キャロルちゃんは危ない子   作:高町廻ル

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死の匂いだ

 イザークはその完成した薬をすぐさま街に持っていくのではなく野良犬やネズミに投与して副作用の程度を調べていた。

 しかし特効薬の噂は秘密裏に目ざとい商人や権力者の耳に入っていた。当然使者を寄越して薬を要求した。

 

「その薬をうちに預けてくれれば相場の十倍いやそれ以上に売りさばいてみせる。当然そちらの特許だと認めるし名も広める、だから提携しないか?」

 

 相手に使者はイザークにとってこれ以上ない条件を寄越した。

 薬の特許さえあれば後はレシピを渡せば何もしなくても薬が売れて懐に金が入る算段だ。

 イザークとて人間、その提案は魅力的だった。

 いつ自分が亡くなるかも分からない、それだけの大金があれば自分が死んでもキャロルは困らないだろう。

 全く揺れなかったかと言ったら噓になるのだが、彼がこの薬を生み出したのは錬金術師として世界の人々と繋がるという矜持と、妻を失ったあの悲しみを他の人に味わってほしくないからなのだ。

 そう考えるとイザークの心は決まった。

 

「いやこの薬は貧しい人にも手に出来るように極力低価格で提供させてもらうよ。いや動物実験で副作用のほどが確認出来たらすぐさまレシピを無償公開する予定だ」

「何を言っているのか分かっているのか?」

 

 交渉人はまるで異物を見るかのような目を相手に向ける。

 別段強奪する気もイザークに不利な契約をする気など無かったのだ。

 商人サイドの羽振りがいいのは、ここで相手との細かい利益や利権争いでもしてもめてしまったら、そのうち他の誰かが特効薬を作りかねないから。

 商売は先を越されたら終わりなのだ。

 今回の感染症はヨーロッパ圏に広く流行っている、イザークに大量の分け前を渡しても十二分に利益は見込めた。

 感染症の特効薬が高騰するのは良くて三~五年ほどだ。それ以上は収束して価値が下がる。高いうちに商人のコネクション内で連携して薬の値段をコントロールし、可能な限りの利益を得ようと考えるのは商売人としてはおかしくない。

 

「今からでも考え直せ、こちらに薬を預ければお前も娘も死ぬまで困らない富が手に入る」

 

 交渉人は多少の苛立ちをにじませながら再度薬を渡すように言う。

 しかしイザークはもう悩まなかった。

 

「すまない、でも決めたんだ。当然金も名誉も大事だ、特許を渡すのは何一つとしてやましいわけでは無い。だけどそれよりも多くの人の命を救う事こそ一番この世界に必要なことだと思うんだ」

 

 それを聞いて相手の交渉人はますます不愉快そうな表情を作る。

 ここに来て気が付いていた。相手は自分達とは全く違う価値観を持ち、また世界から出てきた異物である事に。

 

「…………」

「…………」

 

 相手は無言でイザークを睨みつけたが、その視線を彼は真正面から受け止めて見せた。

 それはどんな相手であっても決して曲げる気は無い、一切譲る気は無いという明確な意思表示だった。

 交渉人は小さな溜息の後、肩を少しだけ落として家から出て行った。

 ふとイザークが目を見ると、その瞳にはメラメラと燃えるものがたぎっていた。自分の思い通りにいかなかったのが余程頭に来たのだろう。

 

「っ…ふぅーっ……」

 

 イザークは交渉人との会話が自分の思っていた以上の緊張感を伴っていたのか、息を吐いてそして部屋にある椅子に座った。

 彼は決して心臓が強いわけでは無い。自分の高潔な意思を守るために強がっていただけで、心の奥底ではちびりそうになるのを必死に耐えていたのだ。

 怖かったのは彼だけでは無い。

 

「ぱ…パパ……」

 

 部屋に通じている廊下からひょっこりと顔だけ出したキャロルが父親に心配そうな視線を向ける。

 先ほどの男性の淡々としてはいたものの、滲み出ていたあまりの剣幕に怯えてしまったのだ。それでも、怖い経験を先ほどしたとはいえそれでも真っ先に父親を心配するところが彼女の心の強さであり、父が一心に伝え続けてきた高潔さだろう。

 その優しさを見て彼は少しだけ体に活力が湧いてきた。娘が勇気を振り絞ったというのに自分がいつまでも下を向いていては父親としても威厳も丸つぶれだ。

 

「ああ、大丈夫。ありがとうキャロル」

 

 イザークは笑顔で娘の元まで歩み寄ると膝を着いて抱きしめた。

 すると彼女の体から震えが消え、そしておずおずと抱きしめ返す。

 その娘のぬくもりを感じてイザークは自分の作った薬によって多くの人達が、自分の定めた大切なものを助けて、そして守れたらいいなと思う。

 

 

 イザークは作った薬を片手に街中を歩く。

 動物実験を重ねた結果、人体への悪影響はほとんど認められないという答えを導いたのだ。

 とにかくあとは人体にどれだけの効果があるのか、そして副作用が少ない事を祈るだけだった。

 ふとあたりを見回すと俯いている男性を発見する。

 

「……あの」

「なんだ…今はそれどころじゃねえんだ……」

 

 イザークが声をかけても相手は鬱陶しそうな反応を示すだけ。

 彼はその反応を見てやはり…と思う。それはここ数ヶ月で何度も見た光景。

 恐らく彼の家族か友人か、とにかく大切な誰かが病に伏せっているのだ。

 

「……でしたら……」

「鬱陶しいな……あんたに構ってやれるほど余裕はないんだ…他の誰かを頼ってくれ…」

「流行り病に聞くであろう薬を作ったんだが使ってみてはくれないか?」

 

 男は突き放そうとしたのだが、相手の発したその言葉に顔を素早く上げる。

 しかしその表情は歓喜ではなく怒りだった。素早くイザークの胸倉を掴むと吠えた。

 

「おいお前分かって言ってんだな?俺の娘は流行り病でもう死ぬんだ。あれは不治の病なんだ。それを治せるだと?舐めるのもいい加減にしろ!」

 

 その剣幕に少しだけイザークは押されてしまう。

 だが怯んでばかりはいられない。むしろその話を聞いたからこそ一層助けなくてはいけないと思ったのだ。

 

「だけどこのまま俯いて嘆いてもあなたの娘さんは死ぬ!」

「……っ!」

 

 相手の事実しか述べない反論に黙らされてしまう。

 不幸を嘆いても勝手に幸運が転がってくるほど世の中は優しくは出来ていない。それに気が付くと手から力が抜けて胸倉から手が離れてしまう。

 そしてじっと相手を見る、その目を見る。その瞳はただ真っ直ぐに目の前の相手に向かい合う誠実なそれ。

 

「この薬は大切な人を守って欲しいから作った!人と人が繋がるために作った!藁にも縋る気持ちで使ってはくれないか!?」

 

 

 結果から言うとイザークの発明した薬は流行り病に対して劇的な効果を示した。

 これまで多くの人間を絶望の淵に叩きこんできた、生きるという希望すら許さず絶念させてきた病を隙なく駆逐する勢いだった。

 瞬く間に彼の作った薬は発明者とセットで名前が広まっていく。

 その噂は多くの都市の中継地点になっているここでは、希望の薬はすぐに東西南北各都市に広まる。

 

 

「パパ忙しー…」

「ごめんねキャロル……」

 

 娘の指摘にイザークは謝る。

 謝ったのはただ愛娘の相手を出来ないだけでなく、それどころか家の家事や食事の用意を全て任せっきりになってしまっているからだ。

 親の立場としては自分の子供におんぶにだっこはあってはならないだろう。

 しょんぼりとしている娘にどう声をかけたらいいのか彼は苦慮していた。

 彼のポリシーとして日が沈む前には必ず家に帰って娘と一緒に食事を取ることにしている。それは妻に先立たれた彼に残された楽しみの一つだった。

 どんな方針を打ち出しても、たった一人の家族をおざなりにしてしまっているのもまた事実。

 しかしキャロルは自分の父親のその思考を先読みしたのかしてやったりといった感じのニヤリとした笑みを見せて口を開く。

 

「ふふっ……そーんなの分かってるしっ!私大丈夫だもん!!」

 

 それは寂しさを紛らわす強がりだったのかもしれない。

 それでも父親が活躍し認められるカッコいい姿が誇らしく、そして嬉しいからこそ気丈に振る舞った。

 イザークは情けなさと申し訳なさを同時に感じながらも、娘の思いやりに甘えていた。

 

 

「……?…騒がしいな……」

 

 イザークは外から人のざわついた声がするのを聞いてその音で起きた。

 これまで薬が思いのほか評判が良く欲しいと言う声が多く届いており、それに応えるため休みの時間を削って作っているのだ。

 眠る時間はそんな彼にとって唯一と言っていいほどの自分の体も精神も無防備でいられる時間なのだ。

 カーテン越しに外の光を見ようとするのだが、まだ外は真っ暗だった。

 そんな時間に起こされて少しだけ殺意が湧くが、そう考えたとしてもその苛立ちを抑えて漏らす事はしない。

 そもそも都市の郊外に住んでいる彼の家は朝であっても家に届く音はせいぜい鳥のさえずりくらいなのだ。

 

「なんだ…?」

 

 その音はこれまでの日常にはなかった、そのため住人にとって無視出来るものではないため素早く玄関のドアを開ける。

 

「薬を売ってくれ!」「定価の倍で買うから俺に譲ってくれ!」「家族が危ないんだ!」

 

 そこには老若男女関係なく多くの人間が藁にも縋る気持ちで薬を求めてやってきたのだ。

 彼の思っていた以上に発明した薬の効果も、そして噂も本人の思っていた以上に広まってしまっている。

 空いたドアに人々が群がってくる。

 それを見てイザークは少しだけ引いてしまったのだが、すぐさま立ち直る。

 呆然としてはいられない、彼の目の前にいる人達は一度は諦めかけた命を拾うためにここに来たのだ。

 

「分かりました。薬は作っている途中でここにはほとんどありませんが、作り方は教えられます」

 

 彼は急いで薬の調合と並行して少しでも自分の薬を伝えるため行動を開始する。

 

 

 その結果、流行り病の対抗薬のレシピは多くの人に無償で伝わり、少しずつだが撲滅に向かって行く。

 思っていた、これで人が繋がることが出来る世界を繋ぐことが出来たのだと。

そう偽りなく思っていた。

 

 

「…遅い…おーそーいーっ!!!!」

 

 キャロルは日が傾きかけてなお帰ってこない父親に腕をブンブン振りながら苛立ちの声をあげる。

 既に盛り付けた料理は冷えている。

 すでに用意していた料理は作り終わって盛り付けも終えている。

 完成した料理は父親が帰ってきてから温めなおせばよかったのだが、いつもの通りに疲れて帰って帰ってくるであろう家族をすぐに迎え入れたかったのだ。

 何よりこれまでは、料理が出来上がってからさほど時間の経たないうちに帰って来ていたので苛立ちだけでなく、これまで無かったパターンから感じている彼女は胸中の不安を搔き消すために大声を上げている面もある。

 

「…………」

 

 ふと黙って部屋の中を見回すとそこには誰もいない寂しい風景があった。

 この家に生まれてこの方これほどまでに静まり返った家は経験したことが無い。

 

「…やっぱり忙しいよねー…忙しいのかな……」

 

 これまで一度もなかった経験や感情がいっぺんに重なり、先ほどまでの余裕そうな感じは既に無くなりつつある。

 

「…………」

 

 キャロルは無言でキッチンに向かい、弁当箱を取り出してそれに夕食を詰め始める。

 既に作った夕食はしっかりと冷えているため、匂いや沸き立つ蒸気が密閉された空間に充満する事によって料理がダメになる心配はない。

 

「……うん、パパが遅いのが悪いんだからね!」

 

 キャロルは心配になって自分から出迎えに行くことにした。

 冷静になれば行き違いになる可能性や、夜暗くなっていく中で小さな子供が街までの道を一人で歩くのは危ないし、それを知った父親に咎められる危険の方が圧倒的に高かった。

 だが彼女はそのリスクを分かってなお、自分の中にある不安を掻き消したいという方を優先したのだ。

 なので心配させた父親の方が悪いんだととっさに自分に言い聞かせるような言い訳を口にしたのだ。

 そんな事を考えている内にいつの間にか弁当箱に料理を詰め込んで、部屋の奥にかけてあったバケットにその箱を入れた。

 

 外に出る準備を終えると玄関の扉に手をかけて外に出る。そこには夕焼けで遠くの空が赤黒くなっていた。住んでいた家も郊外で人通りが皆無だった。

 キャロルは父親が心配症でいつも夜遅く外を出歩く時は一緒だったため、一人でいる夜がこんなにも不気味だとは思わなかった。

 それ以前にキャロルは街に一人で行く事すら何故かイザークに禁止されていた。街に着いても必ず大人の目の届く場所にしか行かせてもらえなかった。

 夕焼けを父親と見た時は、いつもであれば禁止されていた事が許されていたため悪い事をしているみたいで楽しかった。しかし今の不安に駆られている彼女は何故父親が禁止させているのかここで理解できた。

 

「…………怖い」

 

 彼女のその呟きが静かに響いた。

 そう静かに響いた。誰もその言葉に共感も否定もしない。

今は一人だった。夜の怖さよりも一人でいる事の恐怖の方がこの場では上回った。

そう思うと自然といつも街に行くときに使う道に向かって歩みを進めていた。叱られてもいいから早くパパが前から歩いてきてくれ、そう願いながら。

 

 

 キャロルは恐怖を押さえつけながらも既に夕日が沈んだ道を歩いている。

 昼間に何度も通った道だったため、迷ったり特に困るという事は無い。星空によって僅かな光源が確保され、それに遠目には街の灯りがわずかながらに見えていた。それを頼れば特段困る事は無かった。

 しかし彼女を悩ませていたのはそんな問題ではなかった。

 

「……ぱ、パパー…いるなら返事してよ……」

 

 歩けど歩けどイザークが現れないのだ。

 不安を抑えるために小さな声ではあるが自分の父親に呼びかけながら夜道を歩いている。

 住んでいる街一帯は既に人通りに活発で野生の危険な獣はほとんど見ることは出来なくなっているのだが、原始的な本能が大きい声で叫べば見つかると思ってしまっている。

 

 

 そんな不安を抱えながら歩き続けていると街の前の大きな門の目の前に着いたキャロル。

 残念ながらここに来るまでイザークとエンカウントすることは無かった。

 

「ど、どうしよう……」

 

 完全に父親と行き違えたことに焦るキャロル。

 いつも使っている道をまっすぐ進めばいつかは父親に会えると思っていただけにこれは予想外だった。

 本来であれば今すぐにでも家に帰るべきだ。

 しかし―

 

「……………………」

 

 ふと後ろを振り返るとそこには真っ暗闇があった。

 家に帰るという事は先ほどまでの人のいない夜道を歩く恐怖をもう一度体験しなければいけないと言うことだ。それはもうまっぴらごめんだった。

 ここまでこれたのは街の光の前に夕闇とはいえそれなりの光源と、父がきっと待っているという希望があったからこそ頑張れたのだ。

 しかし、帰り道には彼女の心を踏ん張らさせてくれる要素は一切ない。

 

「……あっ…う…っう……」

 

 もう既に動けなかった。

 惨めなほどにめそめそと泣いてその場にうずくまってしまう。

 そこで声が聞こえた。

 

「おいあっちで磔が始まったってよ!」

 

 それはかつてミリィと一緒に街中で聞いたのと同じ何かに対して熱狂するような声。

 完治する事は無いかさぶたになりつつある痛みを伴う友人と一緒にいた記憶。

 あの時は彼女の母親が止めたが、いまのキャロルがそこに向かうのを止めてくれる人は存在しない。

 

「…………はりつけ?」

 

 その言葉につられて顔を上げてキャロルはふらふらと足を進めてしまう。

 彼女は嫌な予感がする。

 彼女はとても頭が痛い。

 

 

 先ほどまでいた門の近くはほとんど人の通りが疎らであったが、都市の中央に近づくにつれて少しずつ人が増えていく。

 

「…お祭り…?…なんの……」

 

 彼女はどこか浮足立っている中央街の雰囲気にそう評した。だが同時にそれは違うとも思ってしまう。

 何かがおかしい。

 彼女の見る住人の顔はどこか狂気に染まっていた。

 ここは街中で明かりもあって、人もいるというのに先ほどの暗闇の一本道よりも何故か怖いと思ってしまうのだ。

 父親から今日何かしらの祭りの類があるとは教えられていない。記憶の中にも国や街が定めている特別な日であるという知識は存在しない。

 

 子供が一人で夜の街中で歩いているというのに誰もキャロルの事を気にした風が無い。そんな些細な事よりも優先するべきことがあるかのようだった。

 人の流れに沿って歩いていると徐々にだが暑くなっていく。

 それは周りの人々の熱狂や熱気だけではない、少しだけ灰が蔓延していて煙たい。明確に何かが燃えて、それが熱源となって一帯の気温を引き上げているのだ。

 そして遠くから丸で山彦かのように人々の叫び声や熱狂している大声が彼女の耳に届いてくる。

 

「けほけほっ…何なの…?」

 

 人混みに揉まれ、灰と熱気にやられながらもキャロルは不審そうな声をあげる。

 何かが燃えている事は分かってはいるが、彼女が料理をした時や家族で暖を取るような優しい暖かさはこの場には感じない。

 これまでのキャロルの感じたことが殆ど無い気配、それは親友が失った時に感じた死の匂いだ。

 

「ミリィ…いるの…?」

 

 死者がいる、そんな話などあるわけがないのだが自然と口にしてしまう。

 人の流れに任せて歩いているとたどり着いたのは街の東西南北に通じている中心地点だった。

 街の真ん中で何かが燃えているのが彼女の目に飛び込んでくる。

 

「…………あ」

 

 彼女の瞳に映って網膜に焼き付いた残酷な映像。

 それはどんなに拒否したくても視線は離れる事も逸らす事も許しはしない。体が目の前で起きている残酷な現実を認識して細かく震える。

 

「あ…っ…ああ……」

 

 言葉にならない、ただそれは喉からひゅうひゅうと肺から喉にかけて空気だけが漏れていく。

 眩暈がする、吐き気がする。

 もう彼女は地面が下にあるのか足がそもそも地面についているのか把握出来なくなる。

 

「ぱ…パパ…っ……!」

 

 ここでやっとまともに声が出せるようになる。

 キャロルの目の前にあった光景は自分の父であるイザークが磔になって火あぶりにされそうなっているというそれだった。

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