人が目の前で亡くなったというのに辺りに粛々とした雰囲気などみじんもなく、相も変わらずに辺り一帯は熱気に包まれていた。
魔女狩りのショーのクライマックスによって人々のボルテージは異様な盛り上がり具合を見せていた。
「…………」
その中心地で一人だけ涙を流し膝から崩れ落ちているキャロル。
もう既に大人たちの拘束は解けて体が自由にはなってこそいるのだが、だからと言って何が出来るわけでも無い。
一つだけ言えるのは彼女は先ほど死んだイザークの子供だとバレているので今すぐにでもこの場から逃げなくてはいけない。そうしなければ、興奮から解けた人々から何かしらの因縁をつけられて彼女もまた同じような目に遭ってしまう。
だが既にキャロルには立ち上がるための力が両ひざに入っては来ないのだ。何一つとして非もない一方的な不幸が生きる気力を奪っていくのだ。
「……こっちに来てちょうだい」
「あっ…」
小さな声がキャロルの耳に届くと、その声の主は彼女の手を取ってその場から連れ出す。
彼女はいきなりの展開に喉から空気を漏らしただけの声しか出せない。引っ張られた勢いでいつの間にか立ち上がっていた。
「取りあえずここなら…」
キャロルの腕を引っ張った女性は人目に付きにくい裏路地まで連れてくるとそう言った。
その言葉はキャロルだけでなく同行していた男性にも言っていた。取りあえずここなら一旦はキャロルを逃がせただろうという意味で。
彼女の前にいるのは四十代半ばの夫婦と思しき男女だった。
二人のうちの男性の方がキャロルに声をかける。
「君の名前はキャロルだね?」
「…………ッぁ」
相手は少しだけ厳格そうな小さな子からすれば多少は威圧感のある相貌と雰囲気をまとっていたが、それを自覚しているのか可能な限り怯えさせないように気を遣った声音で声をかけた。
(まずいまずいまずいっ!)
しかしいまだに父親を理不尽な形で失った痛みから立ち直れていない彼女は、考えている事をまとめてうまく言葉を紡ぐことが出来なかった。勿論それが失礼である事は分かっているだけに彼女の心を焦らせる。
結果として彼女は俯いて肩を震わせる事しか出来ない。
「…………」
そんな相手の心情を見抜いたのか、キャロルの腕を引いてここまで連れてきた女性は少しだけ痛みに耐えるような表情をした。
そして膝を着いて相手の体をゆっくりとそして確かな力を込めて抱きしめた。そして相手の頭を撫でながらゆっくりとそして確かな声で言った。
「あなたがキャロルちゃんね?私の名前はグラス・フレバ―って言うの」
「……グラス…さん…」
相手の醸し出す母性や優しい雰囲気のおかげか何とか口を開くことに成功するキャロル。
いまだに喪失の痛みが襲ってきてはいたが何とか最低限の立ち直りを果たす事には成功する。
「うん。もう時間がないから端的に言うわね。キャロルちゃん、今から私達についてきてこの街を出て一緒に住んで欲しいの」
「え……?」
相手から提案されるあまりにも唐突過ぎる提案に呆然といった返しをする。
一切に顔見知りでもない相手にいきなりそんな事を言われて「はい分かりました」と返す人はまずいないが。
女性の話を繋いだのはその夫と思われる男性だった。彼もまた痛みをこらえるような顔を作っている。
「……イザークさんが魔女狩りにあった事は先ほど見た……」
「ッ!」
彼女は相手のその言葉につい先ほど父親を失ったあの何とも言えない苦しみがぶり返す。
「…自分の名前はエイデン・フレバ―、妻のグラスが例の感染症にかかり…藁をもつかむ気持ちでこの街に来てイザークさんに助けを求めてそして助けてもらった……」
「…病気が治って今日の昼まで宿を借りて休んでいたの、家に帰る前にお礼を言おうと探していたら……今まさに殺される直前のイザークさんがいて…そこでキャロルちゃん…あなたをみつけたの…彼から娘さんがいるのは聞いていたわ……」
二人はイザークの薬や知識を求めてこの街に来たという事だ。そして助けてもらいその恩義を強く感じている。
この二人はイザークの行った偉業は決して奇跡などで片付けることは出来ない、人が人の為に生み出した叡智である事をしっかりと理解出来ている。
エイデンは激情を押し込めて口を開く。
「君のお父さんを助けることは出来なかった…無力で情けないと思ってくれて構わない…代わりに娘を助けてやろうとする身勝手な考えをする奴らだと思ってくれていい…でも今だけはついてきて欲しい…この街に居続けるのは危ないんだ……」
彼の言った事に偽りはなかった。
自分の無力さに嘆いている事も、そして恩人である父への恩義の為に娘を代わりに救おうとしている事も。
そして何より二人は目の前にあった悲劇を前に、無力さによって傷口が痛む中でも立ち上がって手を差し伸べたのだ。
それはきっと優しい人と呼ばれる人種。
このままこの街に残り続けても身寄りもいなければ、父は魔女狩りを受けてその娘が白い目で見られるのは明らかで、どうみてもここでまともに長生きできるとは思えない。
「…………」
分かっている。
世界の残酷さや自分を取り巻く悲劇の全ては理解出来なくても、彼女はここに居続けてはいけなことは幼いながらも理解できた。
ここでするべきは首を縦に振る、つまり肯定、それだけだった。
だが分かってはいるのだが、それでもすぐさま首を縦に振ることが出来なかった。
何故ならこれまでの彼女は父のイザークによって、人の軋轢を感じないように配慮され、可能な限り痛い事や辛い事を排斥された世界を生きてきたのだ。
彼女が昨日までで感じた痛みは友人だったミリィを失った事だ。それも世界が大きな混乱期に入った事で、引きずっている場合ではなくなり無理矢理に立ち直らざるを得なかった。
父にいつまでも迷惑を掛けてはいられなかった。
決して全てのレールをひかれていたとまではいかないが今日この日まで、このように人が一方的に起こす理不尽があるだなんて思いもしなかった。
これから先の世界には父が優しく微笑んで導いてくれる世界は存在しない。自分で考えて動かなくてはいけない、今目の前に提示されたのは最初の選択だった。
そして何よりもこれまで自分を見守ってくれた家から出ると言うのがどれだけ重い事なのか今はまだ幼い彼女には想像もできない。
唯一の血のつながった家族である父と一緒に積み重ねてきた時間があの家にはあった、覚えてこそいないが母親が生きていた証があの家にはある。それを捨てて飛び出すという決断は、感情を殺して理屈だけを理由に簡単に下せるものではない。
「は……」
そんなことは無いだろうと分かっていても、目の前の二人が優しいふりをして何か裏があるのではと考えてしまうのだ。
そんな自分に反吐が出る思いがする。
気が付いてしまった。自分は自分が思っていた以上に他者を信じていないんだなと、そう思うとつい薄ら笑いが出てしまった。つい先ほど抗いきれない大きな裏切りにあった後である以上は、いつもよりも疑心暗鬼になるのは致し方ないとはいえ。
「……家族の事を捨てろというわけでは無いんだ」
「……ッ!」
エイデンはそんな葛藤を察したのか口を開く。
キャロルは思考を見抜かれてグラスの腕の中でビクついてしまう。知られたくなかった、察されてくなかった、こんなにも醜い自分を。
グラスもまた腕を解いて、相手と正対をする。そして目を合わせてその手を取って言葉を繋げる。
「いきなり家族にはなれないけど…せめてあなたが大人になるまでは寄り添わせて欲しいの…それが本当に勝手で醜いエゴだとしても…それだけはさせて欲しい……」
「…………」
その二人の言葉に黙り込む。
いまだに胸の中にある靄が消えたわけではない、簡単にこの苦しさや絶望が晴れる事など無いのだろう。
しかし今大切なことは亡くなった両親のためにも、二人の生きた証である自分は何が何でも生き残る事、それが今のキャロルに課せられた最大級の使命だ。
どんなに辛い目に遭ってもこの街は間違いなく今日まで自分を育ててくれた、縁と所縁しかない場所だ。
街の外にはきっと自分にはない世界と信じられない法則のもとに動いている。
多くの事を考えた末に彼女は煮え切らないながらも結論を出した。
「はい。よろしくお願いします…」
◎
「取り敢えず持っていけるものは持って行きましょうか」
グラスはそう言った。
今三人がいたのはディーンハイム家の中だった。厳密には三人とその従者と思われる馬車の運転士の男性と生活周りのサポートをする女性だった。
どうやらキャロルが思っていた以上にフレバー夫妻はそれなりに裕福な家庭なのかもしれない。
家の中を見回すエイデンは素直に思った事を口にする。
「しかし……本が多いな…さすが薬師だな…」
「パパは…本を集めたり…書き取るのが好きだったから……っ……」
キャロルは本の話題になって反射的に父親の事を話したのだが、つい先程まで間違いなく存命していた人物の事を口にする。
そう「好きだった」。
既に父親との楽しかった思い出は過去のものになってしまっている。積み重なる事は無い。
それに気が付いてしまい反射的に声に詰まってしまったのだ。
するとキュッとグラスがキャロルの手を確かな力で握る。
「あっ……」
「…………」
キャロルは驚いた声と視線を向けるが、その相手はただ優しそうな表情だけを保ち続けた。
その手から伝わる温もりによってキャロルは何とか平常とまでは行かなくても、普段並みの思考力を取り戻す事に成功する。
「うん……全部は持っていけないから…取り敢えず本とか」
「服や家具の類はこちらで用意しよう。どうしても服を持っていくなら片手で持てる範囲にした方がいい。どうしても持ちだしたいものが多いなら今度使いの者を出して持ってこさせよう」
どこかブルジョワさを感じさせる彼の一言。
キャロルはその一言に首を縦に振りながら甘える。
「やっぱり本かな……パパの残してくれたもののような気がするから……あ…………」
「どうしたの?」
彼女は要望を口にすると同時に何かに気が付いて言葉を詰まらせる。
それに反応したのはグラスだった。これまでの喪失からの翳りとは違う、何かに反応をする。
「…………」
彼女は悩んだ。それを言っていいのか。
だが決めた、少なくとも自分に対して誠実であろうとしてくれる目の前の夫婦にまともに向き合えなかったとしたら、あの時自分や父を世界から排斥した人たちと同格になってしまう。
自分がそうなる事だけは絶対に許せなかった。だから口を開いた。
「パパが前に危ない内容だからって読ませてくれなかった本があったの」
「なるほど……危ないというのは危険な薬品や製法に関する事だろう……」
エイデンは薬師であり錬金術師でもあったイザークが禁止していたと聞いて予想を口にする。
今のキャロルには錬金術や世界の抱えている問題を知り、そして向き合うにはまだまだ未熟で若すぎた。だからこそ魔女狩りの存在を可能な限り隠匿して来た。
「ならばその本は持ち出すべきだろう。危険だからこそ知っておくべきだ、きっと彼は君が大きくなったら教えるつもりだったと思う」
親代わりとは言わなくても命を預かる責任は感じている。
これから先彼女には辛い事や苦しい事と向き合わなくてはいけなくなる。そんな時辛い現実に向き合えるだけの知識と力を身に付けなくてはいけない。
甘い事や気持ちのいい事だけで人は生きていくことなど出来ない。
辛い事を大人の自己満足や自分勝手で、子供たちが進む道の上から困難を排斥し続けた世界にはきっとまともな人間など残りはしない。
子どもから大人になるにはきっと失敗や喪失から沢山傷ついて、苦しんで、そしてそれらがかさぶたになり、そして懐かしむことが出来るようにならなくてはいけない。
挫けてしまったその時に必要になるはずなのだ、イザークが残してくれたその叡智の数々は必ずキャロルを守る盾となり鎧となってくれるはずだと思った。
彼は危険と言われた本は持って行くべきだと考えた。
「…お、お願いします……パパの残してくれたものを……」
キャロルは静かな声でそう言った。
◎
ここはフレバ―夫妻がこの街に来るために使った馬車の中。
キャロルの身支度が終わったのはイザークが死んでから丸一日が経った頃だった。既に空は夕焼けに染まっている。
新たな旅立ち。街の外へと旅立ち、そしてここからキャロル・マールス・ディーンハイムの新たな人生が始まるのだ。
(こんなに揺れないなんて…私がこれまでに乗った馬車はこんなに静かでゆったりじゃなかった……)
待合や定期便の馬車は揺れが酷くて腰やお尻が痛かった記憶があったのだが、今彼女が乗っているそれは金持ちが快適に使用するため専用に作らせている。それはとてもしっかりとしたものだった。
何時の時代もどうやら金持ちはいい身分のようだ。
幼い彼女にはそんなみみっちい思考は存在せず、素直に高級馬車凄いしか考えていなかったが。
「…………あ」
彼女がふと外を見ると遠目に薄暗い夕陽の中ではあったが街の灯が映っていた。
それはいつもであれば危ないとかいろいろ言われて父親に外に出してもらえず、家の中にいたため見ることが出来なかった景色。
どんなにひどい目に遭ったとしても、やはり今日に至るまで自分を育ててくれた場所でも同時にあるのだ。
割り切れなくても、ただ運が悪かっただけだと思えなくても、どこか憎み切れない何かがあった。
「…………さようなら」
ポツリとそう言った。きっと彼女はもうこの街に戻る事は無いだろうから。
だからこそ口にする。関係の終わりを決定付けるその一言を。
『…………』
フレバ―夫妻は目の前にいる娘のそんな悲痛な覚悟を黙って見ていた。
何も言わなかった。言葉を持たないだけでなく、ここで中途半端に慰めたり励まそうとしても意味は無いと思ったから。
結局のところ辛い記憶やトラウマはその人だけしか理解出来ない領域で、それを抱えて進もうとする相手を前に生半可さなど失礼でしかない。
とある街から「ディーンハイム」親子がいなくなった。