LastStand 作:カニほっち
■
「あ、タイシン来たよ!」
チケットの叫びに気づいて、ハヤヒデもこちらに振り返る。
「おはよう、タイシン」
「……おはよ」
「タイシン、今日はいっしょにがんばろうね!」
「ん」
がんがんと頭に響くチケットの声も、今はどうしてか落ち着いて聞くことができた。
……なんだろう。いつもなら緊張するはずなのに、今日はなんだか余裕がある。
負けたら退学なのに。一位を取らなきゃ、ここで終わりなのに。
そうやってこのレースにかけたことを思い出しても、押し潰されそうになることはなくて。
諦めてるわけじゃ、ない。
ここがスタートラインなんだ、ってはっきり言える。
「タイシン」
思考を遮るように聞こえてきたのは、アイツの声で。
「あ、タイシンのトレーナーさん!」
「君は……ああ。あの日、タイシンを連れて行ってくれた」
「そうだよ! ウイニングチケットっていうんだ、よろしくね!」
「よろしく。そちらは……」
「ビワハヤヒデだ。そうか、あなたがタイシンの……」
「……どうした?」
「いや、なるほど確かに、タイシンが気に入りそうだと」
「何言ってんのさ、アンタ……」
突拍子もないハヤヒデの言葉に、怒りを通り越して呆れてしまう。
てか、そんなこと一言も言った覚え、ないんだけど。
勝手なこと言って、他のヤツらから勘違いされるのもダルいから、やめてよ。
「……で、アンタは何しにきたの?」
「まだレースまで時間があるから、調子でも確認しようと」
そんなこと。
「余計なお世話だって」
「しかし」
「アンタの言う通りに、走ってきたでしょ」
この三日間、アイツの言う通りに走ってきた。
オグリキャップやタマモクロス、スーパークリークとも一緒に練習してきた。
レースの感覚もだいぶ掴めてきたし、アタシがどういう走りができるかも分かる。
あとは、本番でそれを試すだけ。
「とにかく、練習通りのレース運びを」
「分かってるって」
コンディションも悪くない。脚の調子も、だいぶいい。
これなら、いける。
「それと、レースが終わったらの話だが……」
「カジウラーーーーー!!!」
どしん、と。
視界の外から物凄い勢いで飛んできた何かが、アイツの体を吹き飛ばした。
「な……」
あまりの突然の出来事に、思わず言葉が途切れてしまう。
視線を真横へ動かして見えたのは、アイツが地面に仰向けになって倒れている姿と。
その体にまたがりながら、カブト虫みたいに抱きついている、一人のウマ娘だった。
身長はアタシと同じくらい。だからきっと、中学生くらいなのかな。
着ているのはトレセン学園の制服。さっきの出来事で汚れてるけど、お構いなしらしい。
そして何よりも目を惹いたのは、科学塗料で染めたみたいに青く染まっているツインテールで。
「……ツインターボ」
「どうしたの、カジウラ?」
「出会うなり抱きついてくるのをやめろ」
「えー」
頬を膨らませるウマ娘――ツインターボに、アイツは疲れたような息を吐いた。
「何しに来たんだ、お前」
「カジウラがいたからあそびにきた!」
「理由になってないぞ、それ」
また、ため息。口調もちょっと砕けてるし。
「俺は忙しいんだ。用がないなら桐谷のところへ帰れ」
「忙しいの? なんで?」
「彼女のレースを見ないといけない」
「レース? あ、そっか! カジウラが可愛がってる娘でしょ! キリヤからきいたよ!」
ぽん、と手を叩いたソイツが、ふとこちらを向いて。
「……………………どれ?」
「失礼だぞ」
眉間に皺を作りながら呟いたソイツを、トレーナーがようやくどかして立ち上がる。
「すまない、うるさいのが邪魔した」
「いや、それは問題ないんだが……」
「もしかして、その娘もトレーナーさんが担当してる娘なの?」
「違う。同期の担当で、たまに面倒を見てやってるだけだ」
「え、そうなの!?」
「……ちょっと待て。お前は俺と桐谷を何だと思ってるんだ?」
「トレーナーとお手伝いさん……」
「完全に逆だ」
頭を抱えながら、アイツが二度目のため息。
ダメだ、ここにいると全然集中できない。
二人の関係も気になるけど、それ以上にこの会話を聞いてるとバカになりそうだった。
「……漫才してるんなら、アタシは行くよ」
「いや、すまない。俺ももう行く。人探しをしてこないといけなくなった」
「え! カジウラどっか行っちゃうの!?」
「お前のトレーナーを探しに行くんだよ」
言うと、アイツは制服の襟をつかんで、ずるずるとツインターボを引っ張っていった。
「……なんていうか、面白い人だよね。タイシンのトレーナーさんって」
「マヌケなだけでしょ」
チケットにそんなことを言われる時点で、相当だとは思うけど。
「しかし、あのツインターボと知り合いだとは思わなかったな」
「なに、アイツのこと知ってるの?」
「かなりの暴れウマだと聞いたことはあるが」
「うん。ターボちゃん、うちのクラスでも有名だよ。すっごく逃げるんだって!」
「……これ、もしかしてアタシが知らないだけ?」
「かもしれないな。有名だぞ」
そうなんだ。他のヤツらのこととかあんまり興味なかったから、気にしたことすらなかった。
……これからレースに出ることになるんだし、もっといろいろ調べた方がいいのかな。
「でも、あのターボちゃんの担当してるなんて、タイシンのトレーナーさんはすごいね!」
「アイツからしたら普通なんじゃない? この前、オグリの担当してたって言ってたし」
「ということは、何人かを掛け持ちしてたんだな」
「そうみたい。担当はしたことないらしいけど」
「あの二人を手懐ける実力があるのに、か」
そこでハヤヒデは、ふむ、と一度考えるような素振りを見せてから、
「一体、彼はどうして君の担当を引き受けてくれたんだろうな」
そんなの、と答えようとしたところで、言葉が喉の奥で詰まる感覚がした。
確かに、アタシとアイツはこのレースに向けて約束した。
アタシはアイツしか信じないから、アイツにトレーナーになってほしいために。
アイツも自分の力量に自信がないって言ってたから、それをアタシが証明するために。
このレースで一位を獲って、その約束を果たすんだ。
……でも。
アイツと出会った他のウマ娘だって、それだけの想いがあったかもしれない。
トレーナーになってほしいって思ったヤツだって、いるかもしれないのに。
アイツはなんで、アタシに答えてくれたんだろう。
他のヤツでもよかったんじゃないの、なんてことを今更言うつもりはない。
でも、やっぱりそれは気になる。
あの夜、アイツはどうしてアタシのことを見ていたんだろう。
「……知らないよ、そんなこと」
黙ってアタシのことを見つめるハヤヒデに、アタシはそう答えることしかできなかった。
■
「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
時間も過ぎて、そろそろ第一レースが始まろうとするころ。
ターフに出ると、マチカネフクキタルのそんな長すぎるため息が聞こえてきた。
……そういえばいたな、こんなヤツ。
「ようやく本番だな、タイシン」
「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
「タイシン、がんばってよ! アタシたち、まだ一緒に走りたいんだから!」
「おぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ」
「…………まあ……頑張るけど…………」
「うわああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
「新しくなったタイシンの走り、楽しみにしてるぞ」
「のほぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ」
「アタシもだよ! どんな感じなのか、今からワクワクしてきた!」
「んひぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ」
「…………」
…………。
「ごめん、ちょっと行ってくる」
「集中したいのか? だったら悪かった、私たちは行くよ」
「いや、そういうわけじゃないけど……」
「それじゃあ、またレースのあとでね! タイシン!」
「ああ、うん…………」
そうやって、ゲートに入っていく二人を見送ってから。
さっきから隅っこで変な声を上げているマチカネフクキタルに、声をかけた。
「どうしたの」
「やや、あなたはナリタタイシンさん! 聞いてください、聞いてくださいよ!」
やっぱり無視しときゃよかった……。
「今回のレース、私にとって最悪の結果になりそうなんです!」
「……この前、大吉引いたんじゃないの?」
「そうなんです! でも、見てくださいよ、これ!」
そうやって、無駄にデカい声でマチカネフクキタルが自分のゼッケンを見せてくる。
引っ張られたそこには、四番の文字がでかでかと刻まれていて。
「……四番? ああ、アタシの隣……」
「そう! 四番なんですよぉ!」
「うわっ」
わなわなと肩を震わせながら、マチカネフクキタルはがしりと肩を掴んできた。
よく見れば瞳には涙が潤んでいるし、空いている口元からは半分涎が零れている。
それを指摘しようしたアタシの言葉を遮りながら、コイツがまた喋りだして、
「四番!
「いや……まあでも、そんなこと気にしなくても……」
「気にするに決まってるでしょうがあッ!」
「うるっさ!」
わざわざ耳元に近づいて叫ぶな! 頭に響く!
「ああ、どうしましょう……まさかレース本番でこんな不吉なことが起こるなんて……」
「決まりなんだから仕方ないでしょ」
「タイシンさん、気を付けてください! このレース、何が起きてもおかしくないですから!」
「何が起きてもって……」
「もしかすると、誰かが死ぬかも……! ああ、いけません! すぐに学園側に連絡を……!」
「やめとけって!」
「うェ」
踵を返して、そのままどこかへ行こうとするマチカネフクキタルを止める。
「止めないでください! このままでは助かる命も助かりませんよ!?」
「模擬レースで死ぬわけないでしょ!」
「いいや、その考えが甘いんです! それで何かが起きたら遅いんですからね!?」
「あーもう、ウダウダ言ってないでさっさとゲート行けって!」
未だにどこかへ走ろうとするコイツを、無理やりゲートの方まで引きずっていく。
なんでこんな、レース前から疲れることしなきゃいけないんだ。
本当、面倒なヤツと知り合いになった。今になって後悔が強くなっている。
「ちょッ……タイシン、さん? ち、力つよッ……」
開いている四番のゲートにマチカネフクキタルを投げ込んで、アタシもその隣に。
かたかたと震えるアイツの向こうには、チケットとハヤヒデの姿が見える。
……目の前のコイツの存在感がデカすぎるから、あんまりよくは見えないけど。
「ちゃんと走りなよ」
「で、でもぉ……」
「アンタの限界は、運で決まるわけじゃないでしょ?」
そんなアタシの言葉に、アイツはすごく悩んで、そのまま黙り込んでしまった。
悪いこと言ったかな。あれだけ運気を気にするヤツだから、ちょっとは癪に障ったかも。
でも、それで限界を決めてるなんて、そんなこと。
「……他人を気にしてるヒマないか」
自分に言い聞かせて、姿勢を正す。
左脚を引いて、右腕を胸の前に。目線はずっと先、コーナーの向こう側へ。
呼吸を整えると、周りの音がずっと遠くへ消えていくような感覚。
瞬きすらも忘れた瞳が乾いたのに気づいて、それを潤すために静かに目を閉じる。
全ての音が遠ざかっていき、自分の心臓の鼓動だけが聞こえる暗闇の中で。
がこん、と。
ゲートの開く音が、した。
■