LastStand 作:カニほっち
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部屋に入って最初に見えたのは、机を埋め尽くす書類の山だった。
「適当に座ってくれ」
戸惑うアタシなんか気にも留めずに、アイツがそうやって声をかける。
一瞬、それについて何か言ってやろうか迷ったけど、無駄そうだからやめておいた。
観念して長テーブルの傍にあるパイプ椅子へと腰を下ろす。
アイツは電気を点けるかスイッチの前で悩んでから、結局何もせずにアタシの正面へ座った。
「少し散らかっているが、まあ気にするな」
「……少しどころじゃないでしょ、これ」
「そうか?」
……後で掃除しよう。絶対に。
「まず、決めておこう」
「何を?」
「今週末のレースで君が一位になったら、俺は君のトレーナーになる」
つまり、アタシが負けたらそこで何もかも終わり。
改めて考えると、相当な綱渡りだった。
「レースにも出てもらう」
「……そういえば、チームはどうすんの?」
「デビュー戦までにこちらで考えておこう。最終目標もな」
きっと、どこかのチームに入れてもらうことになるんだろう。
まさか一から作るなんて、そんな手間のかかることをするわけないし。
そういう話をするためにも、とにかく模擬レースに勝たないと。
「今の君が勝つために必要なことだが」
書類の山を荒く整理しながら、アイツがそうやって話し始めた。
「脚質、って言ってたけど」
「そうだな。今の走り方では、無駄に脚を疲れさせるだけだ」
「じゃあどうすればいいの?」
「作戦を立てる」
取り出した何かの書類の裏へ、アイツがペンを走らせた。
「まず、君は順位争いに加わるタイプじゃない」
「……どういうこと?」
「真面目なレースをしなくてもいい、ということだ」
適当な楕円とそこにいくつかの小さな丸を描いて、アイツが続ける。
「序盤から中盤にかけては正直、最後方でも問題ない」
「本当に?」
「ああ。最低でも、脚を温めることに集中できればそれで充分だ」
第一コーナーから第二コーナーと、そのままぐるぐると線が引かれていく。
「終盤から……まあ、最終コーナーに入る前くらいからだな。コース取りに専念したい」
「どんな風に?」
「外に出られればそれでいい。さっき最低って言ったのはここだな。序盤と中盤にかけて脚を温めること、それとできれば、ここのコース取りのために常にバ群の様子を伺うこと」
そして最終直線になったところで、アイツが一回ペンを置いて、
「以上だ」
「……え?」
「これだけ守れば、勝てる」
いやいやいやいや。
「最後はどうするのさ」
「何も考えなくていい。好きなように走ればいい」
「好きなようにって……」
「いいか」
まっすぐと見つめられて、思わず続けようとした言葉を呑み込んでしまう。
「君の武器はその末脚だ」
「……アタシの武器?」
「ああ。スパートさえかければ、誰も君に追い付けないだろう」
信じられない話だけど、アイツの目は本物だった。
とにかく序盤と中盤は脚を溜めて、出来る限り位置も確認。
終盤はスパ―トのために位置取りに専念。
そして最終直線にかかったところで、一気にスパートをかける。
……本当にこれで勝てるのかな。
「不安か?」
「うん」
頷くと、アイツは少しだけ顎に手をあてて考える素振りを見せてから、
「少しだけ考え方を変えてみるといい」
「考え方?」
「ああ」
首を傾げていると、アイツの言葉が耳に入ってきた。
「抜かれても問題ない。最後尾になっても、何も気にしない。行儀よくレースをしている奴らを愚かだと思え。虎視眈々と一位を狙っている奴らを浅はかだと思え。最後に勝つのは君だ。最後に笑うのは、君だ。腑抜けた顔で走っている奴らを全員、君が追い抜いてやれ。勝ちを確信して笑っている奴らを全員、君の脚でねじ伏せてやれ」
何それ。
そんな漫画みたいセリフ、どっから持ってきたの。
仰々しすぎて、聞いてるこっちが恥ずかしくなってくるし。
大体、そんなことできるヤツなんて、そうそういるわけないでしょ。
……でも。
コイツは嘘を言わないってことは、多分アタシが誰よりも分かってる。
本気で勝てるって、アタシならやれるって、思ってくれてるんだ。
不安は拭えない。
けど。
少しだけ、自信はついた。
「……分かった」
「そうか」
頷くと、アイツはそれだけ応えてから、紙をぐしゃぐしゃに丸めた。
「一応、作戦だからな。誰にも見せないし、言わない。君もだ」
「……うん」
「それと、練習は明日から始める」
「え?」
その言葉が意外だったから、思わずすぐに聞き返した。
「今から体に覚えさせた方がいいんじゃないの?」
「それは勿論だが、今は心身のコンディションを安定させておく」
「……アタシは大丈夫だから」
「俺はそうは思わん」
はっきりと告げられて、思わず口を噤んでしまう。
多分これ以上何を言っても、今日はグラウンドにすら出させてくれないだろう。
ここはアイツの言う通り、大人しくしておくことにした。
正直なところ、そうやって気遣われるのは癪だけど。
「明日の午後、いつもの共同練習の時間に着替えてここで」
「……わかった」
「じゃあ、今日は終わろう」
そう言って、アイツが席を立つ。
扉の前で何かの書類をまとめたかと思うと、それを腋に挟んで、
「では、また明日に」
がらり、と扉が閉まる。
しばらくの時間が経ってから、アタシも扉に手をかけた。
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「あら、タイシンちゃん」
部屋に戻ってからスマホをしばらく弄って、そろそろ眠くなってきたころ。
練習から戻ってきたクリークが、アタシを見るなりそうやって声をかけてきた。
「お疲れ」
「はい。そちらも大丈夫でしたか?」
「……何が?」
「呼び出しされた、って聞きましたけど」
「ああ……いや、別に。適当に話しただけ」
「もし何かあったら、遠慮なく話してくださいね」
そこでふと気づいたことがあって、クリークに問いかける。
「……アンタ、アタシが誰と話してたか知ってるの?」
「えっと、あの痩せ気味のトレーナーさんじゃないんですか?」
どこで知ったのかとかは、きっと欠席したときに教官から連絡が回ったんだろう。
それは別にいい。というか、あんまり関係ない。
重要なのは。
「アイツのこと、知ってるの?」
「はい。あまりいい噂を聞かなくて、少し心配したんですよ」
「え?」
その言葉に、思わず詰め寄った。
「どんなヤツなの」
「そうですねえ……色々と話はあるんですけど……」
うんうんと唸るクリークは、やがて一つ思いついたのか、手をぽんと叩いて、
「あの人はお金のためならなんでもする、って聞きました」
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