夢を見ている。
幸せな夢だから、思い出したくはなかった。 幸せだから、その記憶が色褪せたモノクロのフィルムになることに耐えられなかった。
夢を見ている。
会ったことなんてないはずの「母親」が柔和な笑みでエリヤに何か囁いている。
その声は耳元で囁かれているはずなのに、まるで意味がわからない。 エリヤは鬱陶しさに顔を顰めた。
白き呪い、黒い病、鐘の音。迫られる契約。与えられた、ほんの少しの猶予
脳髄に響くのは、醜悪な............
「エリヤさん? 」
「.........うん?」
「ほら、起きて起きて。もう朝ですよ」
「......」
「ああっまた散らかしてる...」
最悪な夢を見ていた気がする。
しかもポエムの方向で
悪い夢はおもい出す前に忘れる方が良いだろう。ニーアは一緒に暮らし始めてから毎朝律儀に僕を起こしてくれるようになった。
意識が覚醒した時、まず味わったのは硬い床の感触だった。 体温が移った
せいで木目は既に生温い。うつ伏せの形で寝そべっているのでいつの間にか僕の部屋にいるニーアが酒瓶を片付けるために動き回っている足音が体に響く。
「うぇっぷ.........恐竜が家を歩き回ってる気分だ......」
二日酔いで鳴り響く頭痛が酷い。地面に手をついてなんとか四つん這いになり、立ち上がろうとすると室内なのでフードを外したニーアがしゃがみこみながらこちらを無言で見つめていた。
「うーん.........」
「........................何?」
「ううん、なんでもない。朝食、キッチンの上にできてます。僕はヨナの様子を見てきます」
「了解.....ゴジラの映画...見とけばよかったな............」
寝起きの頭をガシガシと掻きながら木目の扉を開け、共に外に出るとニーアは僕の様子に苦笑しながらヨナの部屋の方に向かった。
「前」からの僕の家は日本に有るまじきそれなりに大きな洋館である。前の僕はかなりの深窓の令嬢だったのかもしれない、お嬢様ムーブを身につけなければならない可能性がでてきたぞ...。
屋敷は多分バイオハザードに出てきても違和感はないと思うボロくはないが、古めかしく雰囲気も暗い。
世が世なら幽霊屋敷と言われてそうだが、生憎この世界のほとんどがゴーストタウンと化している今では誰もそんなことは言わなさそうだ。
作ってもらった朝食を食べ終えると、僕も手持ち無沙汰になったのでヨナの様子を見に行くことにした。 酷い熱を出していたが空調を効かせた暖かい部屋と栄養をとったことで徐々に回復してきている。 熱も下がったので今日辺りに目を覚ますだろう。
「お」
「ヨナ...!熱が下がったんだね。目が覚めてほんとうによかった!」
「うん...!。お兄ちゃんも、もうへいき?」
「兄ちゃんはだい............じょうぶ! 元気だよ」
「(今思いっきり体がぐらいついたような)」
じっとよく見ると、目の下は酷いくまだった。
「寝てる?」
「うっ...!!」
「もしやオニイチャン、妹の看病にかまけて寝てない?」
「そ、そんなことは...!」
「お兄ちゃん...?」
「うーん、妹に心配かける前に寝ておきなよ、心配しなくても僕が面倒を見とく」
ニーアはうぐぐ、と唸りながら暫く頭をユラユラと揺らしていたが、妹が目覚めた安心で限界を迎えていたのだろう。「妹をお願いします」と僕に頭を下げるとおぼつかない足取りで立ち上がった。
「ヨナ、僕は...しばらく休むね。エリヤさんのそばにいて良い子にしてるんだぞ」
「うん。おやすみお兄ちゃん」
「おやすみ......」
最後に妹の頭を撫でると、ニーアは部屋を出ていった。
バタンと閉じたドアを2人して無言で見つめる。そういえば彼女にはまだ自己紹介をしていなかったな
「ヨナチャン......だっけ。僕はエリヤ」
「ヨナ、です。お兄ちゃんとヨナを、たすけてくれてありがとう。エリヤさん」
「ああ..................」
「............」
「...........................」
再び、場が沈黙で支配される。
「あの、............」
「うん?」
「エリヤさんは、どうしてヨナたちを助けてくれたの?」
「ああ、それは、ほら、君たちが僕の親戚だから............」
「しんせき?」
「君のお父さんやお母さんの妹や弟の...血が繋がってるってことだ。」
「エリヤさんとヨナは、しんせきなの?」
「いや、実際は親戚じゃない。そうだな、難しいな......。」
唸る。
下手なことを言って警戒されるのも面倒だ。
アコールに似たような質問をされたような気がするが、子供に納得して貰えるような答えを探す器用さなんか僕は持ってはいない。 大人にされても困るものだが。 ここで誤魔化すというのも手だが、子供というものは大人の狡がしこさには案外聡いものだ。
ああ、やっぱりさっき実は血が繋がっているって嘘でも言っておけばよかった。
「あまりうまくは言えないんだ、でも.........寂しかった気がする。だから君たちを助けたんだ。たぶん」
「エリヤさんはさびしかったの...?」
「ああ、きっとずっと」
「じゃあ、ヨナと一緒にあそぼ!」
▲▼
ヨナは兄を見上げる時よりもいくらか首を大きく反らして横に立つエリヤを見つめて、そして入口から少し離れて目の前の屋敷を見渡した。
「すごい...!おしろみたい」
「さすがに城ほど大きくはないと思うけど、まあまあでかいな」
おひめさまがすむおしろみたい。
遠い昔、まだ母親や父親がきっと生きていた頃に読んだおとぎ話に出てくる豪華な建物をヨナは思い出していた。
きらきらと輝くお城に、たくさんのお花が咲いたきれいなお庭。
実際は少し剥げた屋根の塗装や壁に這う植物、明かりのつかない古びた外観は薄暗い天気と静寂と相まって、どちらかといえば幽霊屋敷と言われた方がしっくりくるものだ。 庭はとっくに荒れ果てて、低い子供の目線もあるだろう。
それでも、少なくともヨナにはおとぎ話のお城にみえた。
「このおうち、全部エリヤさんのなの?」
ずっとぼろぼろの「おうち」を兄と一緒にさ迷っていたから、こんな綺麗で大きな家にエリヤが一人で住んでいることにヨナは驚きを隠せなかった。当のエリヤは屋敷を見飽きたというように既に目線を外していて、どこか遠くを見ている。
「そうだな、死んだ祖父の屋敷だったんだ。僕も正直屋敷内の構造がどうなってるのかほとんど分からない。使わない部屋が多すぎる」
「たんけんだね!」
「ああ」
玄関、キッチン、食堂、風呂、トイレ、何個かある客間、サンルーム、図書室...順々に巡っていく。
「お兄ちゃん、ねてるね」
「起こさないでおいてやれ」
一度兄のベッドに近寄り、顔を覗き込んだ。 兄は穏やかに眠っている。その顔に少し安心して、音を立てないようにドアを閉めた。
「あれ?このおへや、いっぱいものがある。」
客間の何個目かの扉を開いた部屋は間取りこそ変わらないものの、今まで見回ってきた部屋と何かが違う。 レースのカーテンに最低限の家具だけではなく鞄や本、文房具、化粧品などが比較的に乱雑に置かれているいわば「女の子らしい」部屋だ。
「ここは前に僕が使っていた部屋だ」
「今は使ってないの?」
「ああ、...............ものが多すぎるから、今は別の部屋を使ってる。」
エリヤはデスクに近づくと目立つ位置に置かれた1冊の本を取り上げた。
「にっき?」
「そう。前の僕の日記」
4月1日
日記をつけようと思ってたのに結局2週間ぐらい書くことがなくて放置してしまった。今度は続けるように頑張りたい!
4月2日
学校に行ったら隣の席の子が話しかけてくれた。 仲良くなれるといいな。
4月5日
おじいちゃんが貰ったって言って沢山クッキーをくれた。おやつに一緒に食べた。 余った分は湿気ちゃった。
4月8日
新聞記者の女の人に学校帰りに話しかけられた。ゲシュタルト計画とかおじいちゃんのこと聞かれたけどよく分からないから断った。 悪い人じゃないけどちょっとめんどくさかったな。
4月19日
この前食べたクッキー、おいしかったから(余らせちゃったけど)自分でお菓子を作ってみたいな〜 って言ったらおじいちゃんが材料買ってきてくれるって!
4月23日
クッキー作った! 茶葉とかチョコレートとか混ぜたのも作れて個人的に大満足。おじいちゃんも美味しいって。うれしい
4月24日
友達に昨日作ったクッキーあげた、喜んでもらえてよかった〜。 隣の席だから授業中も話しちゃってよく先生に怒られる。
4月30日
前から持ってたのが壊れたり汚れちゃったから今日はバレッタとかリボンとかたくさんアクセサリー買えたからテンション高い。 毎日どれをつけようか迷っちゃう
5月3日
おじいちゃんが休みだからって一緒に映画を見た。おじいちゃんが生まれた頃の映画みたい。 今と全然違って建物がきれいでびっくりした。
5月5日
昔空から赤い竜が来たって話をおじいちゃんがしてた。酔ってるとよく言うから聞き飽きた笑。赤い竜なんて都市伝説でしょって思ったけど、本当に見た人は結構いるみたい。
5月10日
昨日夜更かししたから今日は疲れた〜!早めに寝よ
5月13日
いつも行く喫茶店で普段はミルクティーばっかりにしてたから今日は珈琲を頼んでみた! めちゃくちゃ苦くてミルクがないと飲めない...。珈琲にも沢山種類があるみたい
5月15日
家になんか沢山人が来てた。おじいちゃんが部屋にいなさいって言うからお茶だけ出した。話せって言われても何話せばいいか分からないから助かった。ありがとおじいちゃん
5月21日
別のクラスの子が白塩化症候群にかかって死んじゃったらしい。 友達と若い人はかかりにくいって話してたけど不安。
5月30日
今日はずっとおじいちゃんとトランプやってた! 私が落ち込んでたのを励ましてくれてたのかな。
いたたまれなくなって、綴られた日記帳の序盤でパタンを閉じた。知らない他人の日記を盗み見たような罪悪感がある。 なんというか、The 女の子といったものだ。JK語は専門外です勘弁してください。
正直前も異性というものにあまり接点がなかったから、女性の何が普通なのか自信はない。それでもこの「エリヤ」はどこにでもいる普通の女の子だったのだろう。
「うーん...、ヨナちゃん」
「なぁに?」
「この中でもしかしたら、何か欲しいものはあるか?」
「わぁ、かわいい!」
ドレッサーの戸棚の中に丁寧に置かれた髪留めやリボンをまとめて差し出すと、ヨナの目は明らかに輝いた。 女の子が好むかわいいアクセサリーを例に漏れずヨナも好きらしい。
「ヨナにくれるの?」
「ああ、どれでも好きなものを取っていってくれ。......僕にはもういらないものだから」