……昨日だけど
星のない夜空に、溶けるような漆黒の羽根が舞っている。
ふわふわと雪のように漂うその群れをつくり出しているのは、風を切り裂いて飛翔するや
はり漆黒の翼だった。"それ"は聳え立つ摩天楼を認めると、その頂点を止まり木とした。
宝石のような碧い瞳が、じっと鄙びた街並みを見下ろす。
「間もなく、最後の扉が開く──」
*
「ロロ、ララ、朝だぞ。起きろー」
まだ陽の昇りきらない早朝、廃屋に最低限の改装を施した住居の片隅にて、ロディ少年は凪のような声をあげていた。性格もあるが、特段がなりたてずとも目的は達せられると彼は知っていた。
「んん、おはよう……」
「おはよー、おにいちゃん」
果たして愛しい弟妹はするりと起きてきた。本当はもう少し寝かせてやりたいが、如何せん慌ただしい。ありもので作った朝食を食べさせ、さっと身支度を整える。"仕事"が待っているロディは、シャツの上からもう長いこと愛用しているチェスナットブラウンの外套を纏った。伸ばした髪をあえて乱雑に結い上げヘアバンドで纏めると、ぐっと大人の男っぽさが増す。
相手に子供だと思われ侮られないこと、それが第一義となる世界に彼は生きている。
「今日は早く帰ってこられそう?」
玄関口で弟のロロが尋ねてくる。まだ声変わりもしていない子供だが、そのあたりのならず者どもよりよほど賢く芯の通った男だと、兄の贔屓目も込みでロディは思っている。無論そこには合理的な理由もあって、彼ら一家が安住の地を得られないことと密接にかかわってもいるのだが。
「おー、晩飯までには。──でも、もし遅くなっちまったときは?」
「「歯をみがいて、先に寝てまーす!」」
「怪しいヤツが声かけてきたら?」
「「一目散に逃げまーす!!」」
弟妹の声が唱和する。「よろしい」と、ロディは唇の片端を上げた。
「じゃ、いってくる」
戸を閉めると同時に、Pi、とピンク色の羽根が舞う。澄み渡る空へ昇ろうともがき……程なく肩へ戻ってくる小鳥を、ロディは憂いを帯びた瞳で見遣った。
*
「てんめェ、いい加減にしろよこのクソデクがぁぁぁぁぁ!!!」
響き渡るまだ少年の怒声に、人々は何事かとそちらに視線を向けた。
発信源はこのパブの片隅のテーブル、二人組の旅人が何事かを言い争っている。どちらもまだ少年だが、風貌は対照的だ。一方は緑がかったねじれた黒髪に、生まれたときからパーツの配分が変わっていないのではないかと思われる幼い顔立ち。服装もホワイトシャツに髪色と同じグリーンのベストという都市ではよく見かける平凡な若者のそれだ。しかしもう一方の少年ときたら、獣毛で飾られた真紅のマントとその他装飾品のほかには逞しい上半身を剥き出しにしていて、淡い金髪と真紅の瞳はまるで芸術品のようではないか。しかし若い生娘が放っておかないだろう美貌は形だけで、鬼人のような表情を浮かべて連れをにらみつけている。
「声が大きいっ、周りの迷惑だよ……!」
「関係ねえわカスが!どうしててめェは俺の言うことが聞けねえんだ、ア゛ァ!!?」
「聞けないようなことを言うからだろ!きみのやり方は過激すぎるんだっ、それで何度いらぬ騒動に巻き込まれたと思ってるんだよ!?」
「てめェのまどろっこしいやり方に付き合ってたら千年寿命があっても足りねーんだよ!!だいたい成人もまだのガキが、いっちょまえの口きいてんじゃねえ!!」
「大して変わんないだろ歳なんて!だいたいあと何日かで成人だよ僕だって!!」
「……おいおい、いつからここは動物園になったんだぁ?」
ちょうど"出勤"したロディは、彼らの姿を認めてそう毒づいた。お世辞にも仲が良いとはいえない店主も、こればかりには心からの同意を示す。
「あいつら、ゆうべ来たときから継続でやりあってやがる。しかもいっぺんも進展してねえ」
「なしてつまみ出さねーワケ?」
「金払いが良いんだよ。きのうも迷惑料だっつって100ユール出していきやがった、こっちが請求するまでもなくな」
「……へえ、」
「どこぞの坊ちゃんか」と、ロディは口の中でつぶやいた。左肩に乗せたピンクの小鳥が、いらいらと落ち着かなげにしている。
その間にも、ふたりの言い争いはヒートアップしていく一方だった。尤もここの客は荒事慣れしているので、もう皆じぶんの食事に戻っているが。
「シゴトのついでだ。ロディ、あいつら上手いこと連れ出せ」
「追加報酬は?」
「てめェの立場わきまえろ、ガキが。……デーツが余ってっから、チビどもに持ってってやれ」
「チッ、腐ってたらタダじゃおかねーからな」
唇をとがらせて吐き捨てると、鞄を右肩に担いだロディはひょこひょこと迷惑客へ歩み寄っていった。
「Hey、お客さん盛り上がってんね」
「!」
「ア゛ァ!?ンだてめェ──」
突然話しかけてきた男に凄もうと人を射殺せそうな視線を飛ばしてきた少年だったが、その程度でビビるほどロディは生ぬるい性格をしてはいない。くすんだグレーの瞳を片方閉じてウインクで応答してやると、蛮族のような美少年は鼻白んだようだった。
「せっかくイイ天気なんだ、どうせフィーバーするなら外でしたくねえ?なあ?」
有無を言わせぬ質問形式に、今の今までフィーバーしていた坊ちゃんふたりはえも言われぬような顔を見合わせるのだった。
*
「ようこそ、オセオンへ」
ともに外へ出るなり発せられたロディの言葉に、少年たちはまたしても呆気にとられたようだった。
「ど、どうして僕らが最近渡航してきたばかりだってわかったの?」
「あー、やっぱそうなんだ」
「へ?」
もう一度、ウインク。カマをかけられたのだと最初に理解したのは、良くも悪くも目立つほうの少年だった。
「引っかかりやがって、アホが」
「う……ごめん」
しゅんとする緑髪の少年は、わりあい小柄な体躯も相まってロディの目には好ましく映った。とはいえ帯剣しているし、細身に見えてあらわになった首筋のあたりなどはしっかり鍛えられたあとがある。連れの蛮族?と相まって、油断は禁物だ。ロディは自分に言い聞かせた。
「外国人なのは顔見りゃわかるしな。それでも長くこの辺にいるヤツなら自然となじんでくモンだけど、あんたらにはそれがない。──ここには観光か何かで来た感じ?」
「いや、仕事……かな?でも時間があれば観光もしたいなって思ってるよ!この国は教会とか、古い宗教建築がたくさんあるんだもんね」
「まぁ、神聖オセオンなんて国号にしてるくらいだからな。
「そうなんだ……。でもこの辺りは、普通の人たちばかりだね」
「ははっ。棄民街うろつく物好きな修道士なんて、いねえよ」
なんでもないことのように言い放つロディ。その肩にたたずむピンクの小鳥が俯くように身体を丸めたのは、誰にも気づかれることはなかった。
「おっと、自己紹介が遅れたな。俺はロディ、この鳥は相棒のピノ。さっきのパブでシゴトもらってる。あんたらは?」
「あ、僕たちは──」
「おい」
「!」
ロディの言うところの"かっこいいオニーサン"が、険しい表情で首を横に振る。その意味を察したロディは、内心沸いた感情を抑えて苦笑いを浮かべた。
「なんだよ、警戒するにしたって名前くらい教えてくれてもいいだろ。俺らだって名乗ったんだし、なあ?」
「あぁ、うん、僕もそう思うけど……」
「聞かれてもねーのに勝手にしゃべったんだろ、クソモブ」
「かっちゃん!……あっ」
自ら口を塞ぐ少年だが、手遅れに決まっていた。
「よろしく、カッチャン?」
「てんめェェ……!!」
"カッチャン"呼ばわりされた少年が本日二度目の噴火をかまそうとしたときだった。
陽の当たらない路地裏のあちこちから、見も知らぬ甲冑を着た異相の者たちが現れたのは。
「!」
「な、何……あんたら?」
頬をひくつかせて尋ねるロディ。長槍を構えじりじりと迫ってくるその姿は、どう見ても友好的ではない。残念ながら恨まれる心当たりは嫌というほどあるのだった。
──その一方で、この外国人の少年たちは彼らの正体を知っていた。
「ロディくん、下がってて」
「へ?」
するりと剣を抜くふたり。刃毀れの兆候すらない白銀の刃が、陽光を浴びてぎらりと煌めく。
「ドルドル、ドルッ!!」
文字通り奇声をあげて、甲冑の兵士たちが襲いかかってきた。相手の数は六、こちらは三──いやロディは正面切って戦うつもりなどないので、実質は二だろう。武器のリーチにも差がある。
「おいあんたら、逃げ──「てめェは下がっとれ!!」!」
質量両面の不利などあってなきかのごとく、ふたりは堂々と彼らを迎え撃った。双方とも姿勢を低くしたかと思うと、身体をぐっと伸ばして勇躍した。その動きはきっちりシンクロしているように、ロディには見えた。
「オラァ!!」
「はぁっ!!」
──ロディは目を瞠った。彼らの剣は長槍を受け止めるどころか、弾き飛ばし、さらにその持ち主どもを切り裂いていたのだ。
「デク、右!」
「了解!」
指示に答えながら、緑の少年は既に跳んでいた。──鍛えられている、そう判断したロディの目は節穴ではなかったが、すべてを見抜いていたわけでもなかった。
あっという間に数を減らしていく兵士たち。しかし業を煮やしたのか、残りのうちの一体が仲間を盾にしてまでこちらに迫ってきた。
「な、お、俺ぇ!?」
「!、ロディくん逃げて!!」
言われなくてもと思ったが、長槍が届く距離には達している。背中を向けたところでぐさりとやられるのは、避けられないだろう。
ならばと、あえてロディはその場に踏みとどまった。真正面にいるのだから、これで相手の動きはだいたい想像がつく。一秒後、相手は案の定穂先を突き立ててきた。
ロディは、背骨をぐにゃりと折ってそれをかわした。
「ドルッ!?」
「へへ」
ニヤリと笑ってみせるロディ。それを挑発ととらえた──実際そうなのだが──兵士は激昂し、さらなる攻撃を繰り出してくる。ロディはこまめに足を躍らせながら、余裕をもった動きでそれらをことごとく避けていく。己の身体を自在に操るこの感覚は、彼にとって不愉快なものではない。
そして我を忘れた相手の動きが無駄に大ぶりになった瞬間、「PiPi!」と囀りながらピノが飛び立った。
「!?」
顔面に飛んできたそれは、兵士の視界を一瞬塞いだ。ロディには、それだけで十分だった。
「──らぁ!!」
猛禽類のように目を眇めると、ロディは頭の高さぎりぎりまで右脚を振り上げた。やや尖った靴先に力が集中し、重量のある長槍が宙を舞っていた。
「これでお互い丸腰だな、ヘンな鳴き声の兵士さん?」
「ドルウゥ……!」
こんなガキに!怒りとともに、武器をもたない同士なら取っ組み合ってしまえば勝てるという慢心があった。この戦いが一対一でないことを、集団で挑んでおきながら彼は忘れていた。
刹那、ザシュウという小気味よい音を背中に聞きながら、彼の意識は永遠に途絶えた。
「けっ、雑魚が」
それをなした少年が、剣を片手に吐き捨てる。気づけば襲ってきた兵士たちはみな倒れ伏していて、向こうではいかにも人畜無害ですという顔をした少年がやはり剣を片手に袖で汗を拭っている。
「へえ、やるなァあんたら」
いちおう義務かと思ってそう声をかけるが、目の前の少年は鋭い視線を飛ばしてくるだけだ。ストレートに反応してくれそうなほうは、距離もあって聞いていなかったようだ。
「ま、この通りこの辺はろくな治安じゃなくてねぇ、こんなカッコで金出せのひと言もなしに襲ってくる連中は初めて見たけど。そーいうわけだから、あんたらもとっとと観光地なり別荘地なりに行ったほうがいいぜ。腕は立つんだろーけど、いらぬ騒動に巻き込まれるとやっかいだからな」
ぺらぺらと口を回しつつ、ロディは内心苛立っていた。わけのわからない連中に絡まれ、時間を浪費してしまった。早く"シゴト"を済ませなければ。遅れればよくても報酬が減るし、最悪は拳で済まないかもしれないのだから。
だのに、
「──てめェ、こいつらに襲われる心当たりは?」
「ハァ?だから──」
さっきの説明を聞いてなかったのか。そんな内心の愚痴とは裏腹に、次の瞬間、"カッチャン"の手が外套の襟を引っ掴んでいた。
「来い」
「は?ちょ、おい、何すんだ放せ!!」
筋肉質とはいえまだ細い身体からは想像もつかない馬鹿力に、ロディはさっさとこの場を離れなかったことを後悔した。──何より、この男に比べれば比べようもないくらい穏健なはずの男の相方が注意のひとつもしない。どうやらいらぬ騒動に巻き込まれたのは自分なのだという予感が、早くも湧き上がっていた。