イズクたちのいる街とクレイド王国は地図上は比較的近いといえるものの、人間の身ひとつではそれなりの距離がある。18時間以内というカツキの指定は無謀ではなかったが、かなりシビアな時間設定であるといえた。
何より、ロディを捜索する官憲の目がある。まずは敵の目を欺くところからはじめなければ──
と、いうわけで。
「なんで、俺がこんなカッコを……」
「よく似合ってるよ、ロディくん」
おべっかでなく心底からそう思っているらしいイズクのために、ロディはさらに頬を赤らめた。彼は今乱雑に結んだ髪をおろし、紅蓮のマントとアクセサリーのほかには上半身に何も身につけない状態を晒している。
即席の変装として、別行動となるカツキと衣装を交換したのだ。
「僕らときみに面識があることを知ってるのは、店の人くらいだろ?それにしたって敵が替え玉に気づくまで、時間は稼げるはずだ。きみとかっちゃんの体格が同じくらいで、助かったよ」
「体格同じって……ひょっとしてそれ、ギャグで言ってんの?」
確かに上背は同じというかロディのほうが少し高いくらいだが、筋骨逞しいカツキとでは体つきに雲泥の差がある。ロディはマントでできるだけ身を隠そうと試みた。無駄な努力だったが。
「じゃあ、行こう!」
「行こうって、18時間以内にクレイドまでたどり着くのは容易じゃないぜ。まさかノープランとは言わねえよな?」
「う、……人目につかない場所まで行けば、きみを抱えてハヤソウルを使えば……」
何やらごにょごにょ言っているが、やはりこの異邦人はそういう意味では信用ならないとロディは確信した。この国の地理や交通事情は、それなりの年数住んでいるだけあって自分のほうがよく知っている。
「徒歩は隣町までだ。そっからは馬車でできる限り移動する」
「馬車か……確かに速く移動はできるけど、他のお客さんの目もあるだろ?誰が乗ってくるかわからないんだし──」
「おいおい、勇者サマは邪道ってモンを知らないんだな。人生損してるぜ?」
「??」
ニヤリと笑うロディの意図を、イズクは図りかねた。
*
螺旋状に設計された首都スカイミンスター。その渦巻きの中心に、空の一部が溶け落ちて飴細工になったかのような空色の宮殿が聳えている。
建造物の頂近くにある自らの執務室にて、神聖オセオン国宰相・ガイセリックは部下の報告を受けていた。
「ふむ、それで子供を捕らえられなかったと?」
「は、申し訳ありません」
謝罪の言葉を聞き流しながら、部下の言葉を反芻する。"標的"の包囲までは成功したものの、あと一歩のところで何者かによる攻撃を受け、取り逃がしてしまった──精鋭たる憲兵部隊が相手の姿を確認もできないで敗退するとは。
不甲斐なさを嘆くより、その"何者か"の正体に興味をもった。
「その子供の素性はわかっておるのだろうな?」
「は。タブリスの街はずれのスラムに住む、ロディという少年です。一年ほど前に弟妹とともに住み着いたとか」
「流れ者か、国外に逃げられると厄介だな。弟妹を大至急確保しろ」
「荷物の流通路も含め、既に憲兵隊を差し向けております」
「よい。あとは任せる」
「はっ。……しかし、」
「?」
部下の表情に、初めて感情が滲んだ。
「流れ者とはいえ、臣民です。まさか陛下が了承なさるとは──」
「畏れ多くも陛下より政の委任を受けた余が、陛下をないがしろにしているというのか?」
「!、いえ、そのような……。出過ぎたことを申しました」
神聖オセオンの守護者たる神殿騎士出身の宰相のひと睨みに恐れをなしたのだろう、部下は頭をこすりつけて謝罪する。それを冷たく一瞥しつつ、
「よいか。彼らは我が国が手厚く施している教育も受けず、長じても納税の義務を果たさず、神を冒涜するような行為に手を染めている。──挙げ句に、我が国体を脅かすようなまねをしたのだ。もはや現世からの解放のほかに、彼らを救う手立てはない。そうであろう?」
「……はっ」
心底から承服しているかどうか怪しいものだったが、いずれにせよどうでも良いことだった。述べたように、この国の政の全権は己にある。宰相の言葉は皇帝の言葉、皇帝の言葉は神の言葉だ。
部下が退室したあと、独りになった部屋でガイセリックは手元に目を落とした。握られた漆黒の羽根は、背信の証。しかし彼は、それすらも恩寵へとつながるものと信じて疑っていなかった。
「"鍵"は、必ず取り戻さねばならん……」
「──拙者も出向こう」にわかに響く第三者の声。「かの少年を救ったのは、我らの宿敵……竜装の騎士たちかもしれぬからな」
「竜装の、騎士……」
ガイセリックの顔が忌々しげに歪む。オセオンにおいて、竜はよこしまなるものの象徴とされていた。
「では万事そなたに任せよう、同志よ」
頷き、暗闇から飛び立つ漆黒の翼。それはヒトでも天使でもない、生まれながらに禍をもたらす悪魔の姿をしていた。
*
ロディの住むタブリスの街から隣のサンダルフォンの街まで、徒歩にして一時間もかからなかった。しかしそれは彼らが彼らであるからであって、常人には当てはめることはできない。どういうことかというと、
「はぁ、はぁ……ちょっと、待って……ロディくん、はぁ……」
「おいおい、バッテバテじゃねえか勇者サマよぉ。そんなんで勇者務まんの?」
「うぅ、だってこんな、あっちこっちとんだりはねたり……!」
なるだけ他人の目にふれない、なおかつ可能な限りの時間短縮をということで、ロディがとった経路はおよそ常識外れのものだった。建物から建物へ飛び移るくらいならまだしも、数メートルはある丘陵を飛び降りたりよじ登ったり……なんていうルートは普通の旅人はとらない。
「ま、しょうがねえか。まだお子ちゃまだもんなぁ?」
「ッ、そういうきみはいくつなのさ!?」
「俺ぇ?俺は……」しばらく思案顔になったあと、「16、くらい?」
「くらいって……」
「ッ、どうでもいいだろ俺みてぇなチンピラの歳なんて!それより行くぞ、もうすぐそこだから」
言うが早いか、マントを翻し歩き出すロディ。チンピラと己を貶める割には、彼の立ち振る舞いは颯爽としていて下卑たところがない。それなりにきちんとした家庭で生まれ育ったか、誇り高い民族の出身なのだろう。
だからこそ今彼がこのような境遇でいることを、受け入れたくないと思う自分がいる。それがロディのプライドを傷つける感情であるとわかっているから、イズクは口をつぐむほかなかったのだけれど。
果たしてロディが訪ねたのは、ある程度の規模の街ならどこにでもあるなんでも屋のような店だった。店内には雑多な道具が並んでいるが、綺麗なものはひとつもない。中古の品か、下手をすればこれも盗品なのだろうか。
すえた臭いも相まって顔を顰めるイズクだったが、ロディは眉ひとつ動かさず歩を進めていく。
「お~い、邪魔するぜー」
気のない声をかけると、店の奥からがさごそと音がする。ややあって顔を覗かせたのは、三十がらみの金髪の女性だった。けだるげな表情に、咥えタバコが退廃的な雰囲気を醸し出している。
「なんだい、ここはおぼっちゃんとコスプレしたガキのくるような場所じゃないよ」
どっちがどっちを指しているのか考えるまでもないし、コスプレも否定できない。
「こいつはおぼっちゃんで俺はガキかよ……まぁ良いけど。──"荷馬車"を出してもらいたくてさあ」
女の目の色が変わった。化粧っけの濃い瞼がす、と細められ、瞳には鋭い光が宿る。
「……お客ってワケかい。で、どこまで?」
「希望はクレイド国境まで。今出せるのはこんだけ」
そう答えてロディが取り出したのは、イズクから巻き上げた金貨二枚だった。
「ふぅん。これなら、スローネの街までが精々だね」
「チッ、足元見やがって」
「飛び込みのガキにサービスしてやる義理はないね、こっちだって危険がないわけじゃあないんだ」
「………」
女を睨みつけるロディだったが、今は一分一秒も惜しい。ほどなくため息をつき、金貨を差し出した。
「……じゃ、スローネまで頼む」
「はいよ。契約成立」
「来な」と、女は少年ふたりを奥へいざなった。
*
果たしてロディの依頼したもの──"荷馬車"──は比喩でもなんでもなかった。大量の荷物が積み込まれた幌のかかった荷台の中に、ふたりは押し込まれたのである。
「馬車って……こういうこと?」
「安心安全、だろ?」悪戯っぽく笑い、「居心地は再考の余地があるケドな」
積み上げられた木箱に両脇を挟まれ、イズクとロディは向かい合うような姿勢で三角座りをしている。それでも爪先が触れあってしまうのだ、当然足は伸ばせない。ガタガタと道の凹凸のままに揺れても、身体がふらつかないのが利点といえば利点か。
「勇者サマも旅すんならこーいう邪道、知っといて損はないぜ?実際使うかは別にして、いざというときに切れるカードが増えるからな」
「ぼ、僕らだって荷台に入れてもらったことくらいはあるよ!あのときはまぁ、逃亡とかではなかったけど……」
そのときは幌もかかっていなかったし、カツキと並んで座って、青空を眺めながら他愛のないおしゃべりをしていた。何気ない時間だったが、楽しかった。
「僕ら、こう見えて子供のときから旅してるんだよ。って言っても同じ街に一年くらいいて学校に通ったり、森の中ぐるぐるさまよったり、どうしても横道に逸れちゃうことが多いんだけどね……」
「……へえ、そりゃ楽しそうで」
肩に乗るピノの足に力がこもるのが、素肌だからダイレクトに伝わってくる。「痛ぇって」とつぶやきつつ、ロディは彼(彼女?)に指でマッサージをしてやった。
「ロディくんは、ずっとオセオンに住んでるの?」
「……なんでもいいけど、そのロディ"くん"ってやめてくんねえ?なぁんか大人ぶった感じがして、腹立つんだけど」
「えぇっ、どこが!?」
どちらかというと遠慮や、もとの性格の柔和さに起因するものなのだが、ロディのプライドにはかえってマイナスに作用したらしい。服装のせいで、カツキのややこしいパーソナリティが移ってしまったのだろうか。いや物怖じせず彼と言い合っていたくらいだから、やはり元々似たもの同士なのかもしれない。
「な、なんとお呼びすれば?」
「何その口調……フツーにロディでいいよ」
「ロディ……ロディ。へへ、なんか照れちゃうね」
"相棒"──カツキのことではない──や敵を除いて、他人を呼び捨てにするのはいつ以来だろうか。まだリュウソウ族の集落にいた幼い頃、周囲に同年代の子供も何人かはいたが、彼らのことをどう呼んでいたかは記憶にない。もしかするとこれが初めてかもしれないと思うと、余計に心が躍った。
「……ヘンなヤツ」ロディは毒づきつつ、「俺たちもこの国に来たのは最近。ガキの頃親が死んでから、あっちこっち住みかを変えてきた。ちっと訳アリで、同じ場所に長くは居られないモンでね」
「そう……なんだ。じゃあロディは、弟妹をずっとひとりで守ってきたんだね」
「別に一方的に守られてるワケじゃねーよ。ロロ……弟はすげえ頭が良くてさあ、このナイフなんか、あいつが作ったんだぜ?にいちゃんの逃げ足を活かせるように~、なんつってな。ララは小せぇのに女の勘っての?がやたら鋭くて、何度も命拾いさせてもらったし。何より──」
「何より?」
「ふたりとも、チョーかわいい」
冗談めかした言い方だったが、ロディの細められた瞳はここにはいない愛おしいものを見ているようだった。──ああ、わかった。ロディのアイデンティティを支えるものは、何よりその、血を分けた弟妹たちなのだと。
「そういうロディは、カッコイイよ」
「は?……俺がぁ?」
「うん」
「急になに言ってんだか」と、唇を尖らせるロディ。イズクより浅黒い肌だからわかりにくいが、ほんのり頬が色づいているような気がする。と思ったら、彼の右肩でピノが真っ赤になりながら翼で顔を隠していた。まるで気持ちが連動しているみたいだ。
「勇者サマにそう言ってもらえるのは光栄だけどさあ、俺のどこがカッコイイってんだよ。ビジュアルには自信あるけど」
「そうじゃなくて……いやビジュアルもだけど!ロロくんとララちゃんのこと守りながら、ちゃんと一人前に扱ってる。そんなふうに、なかなかできないよ」
「別にそんなの……あいつらができた弟妹ってだけだ」
そう、ロディにとっては命より大事な。その瞳に翳が差すのを、イズクは見逃さなかった。
「……あいつは、信用できんのか?」
「!」
"あいつ"が誰を指すかは、訊くまでもなくわかった。
「人間なんざ、自分がいちばん可愛いんだ。今まで勇者だっつー連中にも会ってきたけど、そいつらも結局そうだった。普段綺麗事言ってるヤツほど、いざとなったら平気で自分も他人も裏切る。あいつは確かに強ぇだろうさ。でも万が一追い詰められたとき……ロロとララを売って自分だけ逃げねえとは、俺には思えねえ」
「………」
「怒った?ははっ、これでわかったろ。俺はカッコよくなんかねえ、いつでもどこでも他人様を疑ってかかってるようなヤローだからさ」
イズクは難しい顔でじっと黙り込んでいる。相手は幼いとはいえ勇者である、逃げ足は速いロディだが、この閉鎖空間では明らかに不利だった。そうでなくても、やっぱりきみを守るのはやめると官憲に突き出されるかもしれないのだ。ロディとしては、後者のほうが心配だったが。
一方で、この少年はそんなことはしないと断言する自分が心のどこかにいる。今日出逢ったばかりの相手に何をと笑い飛ばしても、そこにとどまり続けている。
果たして彼は、勝利を得た。イズクは笑みを浮かべたのだ。柔和だが──どこか、挑戦的な笑みを。
「大丈夫。かっちゃんは、強いから」
「……上には上がいるモンだぜ」
「いないよ。かっちゃんは世界中の誰にも負けない。たとえ実力が上の相手にだって……ううん、そうであればあるほど、勝つまで喰らいついていくんだ」
「だから負けないし、まして裏切ることなど天地がひっくり返ったってありえない」──イズクの表情が、雄弁にそう語っている。
「かっちゃんは追ってくるヤツら全員まとめてブッ飛ばして、ちゃんとロロくんとララちゃんを連れてきてくれる」
「……信じてんだな、あいつのこと」
「そりゃ、百年以上も一緒にいるからね!」
「……ひゃく?」
「あ!」
顔を赤くしたり青くしたりせわしない所作を一、二秒のうちに見せたイズクは、慌てて訂正した。
「そ、それくらい濃密だったってこと!実際にはまぁ……十年ちょっとかな?」
「ふぅん。ま、気持ちはわかるぜ。俺もララとは五十年、ロロにいたっては百年一緒にいる」
「あはは……長生きだね、僕もきみも」
「俺もおまえもロロもララも、とんだじーさんばーさんだな。あ、カッチャンもか。はははは」
声をあげて笑うロディの表情は、取り繕ったものではなくて。これが本当の笑顔なのだと悟って、イズクは嬉しくなった。
*
その頃疑われたり揺るぎない信頼をぶつけられたりじーさんグループに入れられたりと忙しいカッチャンことカツキは、悪鬼羅刹のような表情を浮かべて追っ手をのしている真っ最中だった。
「オラァ、死ねぇえ!!」
──BOOOOM!!
「ぐわぁああああああ!!?」
爆炎に巻かれ、あえなく吹っ飛ばされる憲兵たち。死屍累々──とどめは刺していない。あくまでもののたとえである──のさなかに着地しつつ、カツキはニヤリと悪辣な笑みを浮かべていた。
「は、わざわざてめェから追いかけてくるたァ、手間が省けらァ」
今のカツキはロディの服を纏っている。その状態で堂々とロディの自宅付近を闊歩しているのだ、当人と誤認した憲兵たちが群がってくるのも当然であった。
しかしロディの一張羅といったら、一見すると立派なものだがその実あちこちに不格好な補修のあとがある。肌触りもあまりよくないと、服装にはこだわりのある──ほとんど半裸のようなものだが──カツキは苛立っていたが、誘蛾灯となるついでに雑魚を吹っ飛ばして憂さ晴らしはできた。
「さァて、」
舌なめずりをしつつ、ロディの家の扉を半ば蹴破るようにして開ける。誰よりも一番襲撃者チックなその姿、ロディが見たらやっぱりこいつに任すんじゃなかったと言い出していたことだろう。
しかし幸か不幸か、カツキが目の当たりにしたのは荒らされた室内。そのどこにも、救出対象の子供たちの姿は見当たらなかった。
「チッ」
村や街で彼らがよく逗留する宿、ひと部屋とそう変わらない広さの家だ。仮に身を隠していたとしても、気配でわかる。それすらないということは──
舌打ちをこぼしたカツキは、再び外に出た。庭にのびている適当な憲兵を吊り上げ、もう一方の手で剣を突きつける。
「おいクソ兵士、ガキをどこにやった?」
「ひぎっ、し、知らな……ヒイィィ!?」
首筋を切っ先でつついてやると、いっそ笑ってしまいたくなるような情けない声を発する。
「答えねえなら用はねえ。他のヤツに訊きゃすむ話だ」
「や、やめっ、し、しらないんだ、ほんとうに……!我々が来たときには、もぬけの殻でっ!」
必死に弁解する様子に、欺瞞は窺えない。憲兵らが踏み込んでくる前に姿を消していた、
それが真実だとするなら──
「あっそ、じゃあ死ね」
「ぐぶっ」
死ねと言いつつ、剣の柄で鳩尾をしたたかに殴りつけて気絶させる。リュウソウ族の騎士にはそれ相応のプライドというものがある。その象徴たるリュウソウケンを、そう簡単に人間の血で汚すわけにはいかなかった。
「………」
脱力したせいで余計に重くなった兵士の身体を地面に落とし、カツキは思考にリソースを回した。逃げた。どこに?この国じゅう、彼らの敵のようなものである。しかし子供ふたりが、未だ発見もされていない。──隠れている?どこに?
「──!」
現実の時間にして七秒、カツキはひとつの結論にたどり着いた。可能性としては五分あるかどうか、というところ。無駄骨を嫌うカツキだったが、今はなりふり構ってなどいられない。
──BOOOM!!
爆炎にまかせて勇躍し、彼は新たな"目的地"へ飛び立った。