緑の草原が橙に混じりあい、なんとも形容しがたい色に染まりつつある。
来た途を振り返ればかの橙の源たる夕陽が、先ほどまで彼らの居た野山のむこうに沈みゆくところだった。
「あー、つっかれた……身体、バッキバキだぜ……」
しっかりとした足取りで進みつつも、表情はこれ以上ないくらいに蕩けてしまっているエイジロウである。尤もそれを咎めだてできる者はいない。
「私はお腹ぺっこぺこや……。考えてみたらまともなごはん、ゆうべから食べてないやん!」
「そんな暇もない一日だったからな。うむ、オルデラン村で何か食事にありつけることを期待しよう!」
なぜか胸を張るテンヤに苦笑しつつ、エイジロウは改めて背後を振り返った。ティラミーゴたち騎士竜は山に残り、ドルイドンの残党がいないかを確かめている。そういえば、鋼鉄の身体をもつ彼らは食事をするのだろうか。村に戻ったら、より付き合いの長いイズクたちに聞いてみようかと思った。
と、噂をすれば……もとい、思いを致せばと言うべきか。
「おーい、みんなー!」
オルデラン村の入り口で、こちらに手を振る少年の姿。トレードマークのグリーンのベストが目に入り、エイジロウたちは疲労も忘れて駆け寄った。
「イズク!」
イズク──疾風の騎士・リュウソウグリーン。言われなければ騎士とはわからない、小柄な童顔の少年である。丸みのある頬に浮いたそばかすなど彼がまだ子供だと言っているようなものだが、実は三人組の中では最年長であるテンヤより年上であることが既に判明している。と言っても一歳、人間に換算すればひと月程度の違いなのだが。
「おかえり、みんな」
「うむ、ただいま……と返すのは正しいのだろうか?」
「細かいことはええんちゃう?それよりデクくん、わざわざ待っててくれたん?」
「デッ……う、うん、まあ」
カツキ以外に"デク"と呼ばれるのは複雑なものがあるのか、口ごもるイズク。それを見かねたテンヤが「蔑称で呼ぶのはいけないぞ!」と窘めるのだが、
「でも"デク"って……"頑張れ"って感じでなんか好きだ、私!」
「!、デクです!」
「いや軽ィな!?」
突っ込みを入れるエイジロウに対し「えへへ」とはにかみつつ。ともあれ彼らは、オルデラン村へ戻るのだった。
*
さて、食事にありつければとテンヤは言った。オルデラン村は貧しいとは言わずとも質素な村なので、とった宿で多少の賄いが供されるか程度に思っていたのであるが。
「おお……」
「なんと……」
「うわぁ……」
イズクに案内されるままに村の中心へやってきたエイジロウたちは、言葉を失っていた。そこはリュウソウ族の村にもあったような、集会や儀式に使われる広場となっていた。中心では焚き火が煌々と燃えており、彼方に落日の最後の揺らめきが見えるばかりとなった全景を明るく照らしている。
「勇者さま方、此度はわが村の村人ジンを救けていただき本当にありがとうございました」
オルデラン村の長を務める老人が、皆を代表して感謝の辞を述べる。──ジン?
エイジロウたちが首を傾げていると、横からイズクが補足してくれた。
「マイナソーの宿主だった人だよ。まだ体調が戻ってないからここには来てないけど、あとでお礼がしたいって」
「ああ……お礼なんていいのに」
人々をドルイドンから守るのは、リュウソウ族の騎士として当然のことなのだから。
とはいえここまで大掛かりな催しを用意されて無碍にするわけにはいかないし、何より悪い気はしない。そういえばカツキとコタロウはどこにいるのだろうと視線を滑らせると……いた。端っこのほうで、なぜかふたり並んで出されたものを頬張っている。
そちらに行こうとしたエイジロウだったが、仲間たちともども屈強な村人に押されて中心に据えられてしまった。
「──村を守ってくださった勇者さま方に、神の祝福があらんことを!」
村長の祝詞に続き、「あらんことを!」と村人たちが斉唱する。儀式そのものはリュウソウ族の村にもあったが、それともまた異なる雰囲気にエイジロウたち三人はとまどう。彼らの村は外からの客人を迎えるということが──コタロウのような緊急避難的な例を除いて──なく、遠征に出たこともないため、遇される立場というのを想像したこともなかったのだ。
「大丈夫だよ。おとなしく座っていて、飲み食いしたり話しかけてくる人とおしゃべりしていればあっという間に終わるから」
「!」
そんなことを小声で耳打ちしてくるイズク。流石に自分たちより長く旅をしているせいか、こういった場には慣れているようである。女の子慣れはしていないくせに……と、内心思ってしまうのは致し方あるまい。
促されるままに席につくと、そこには村でとれた果物を搾った飲み物と薄く切ったパンに見たことのない白い固形物がいくつか乗った皿が置かれていた。
「なんだ、これ?」
思わず声に出すと、答えてくれたのは見覚えのあるずんぐりした体躯の男性だった。
「これはチーズと言って、ヤギの乳を発酵させて固めて、塩を振ったものだよ。パンに乗せて食べると美味いんだ」
「!」
そうかと合点がいった。この男性、昼間に搾ったヤギの乳をくれた村人だ。チーズという食べ物も、彼の飼うヤギからとれたものだろう。
「ん、美味しい」
イズクなどは食べ慣れているのか、早速言われた通りに食べて舌鼓を打っている。エイジロウたちも負けじとそれに続き、
「!、美味ぇ!」
初めての味わいに、思ったより大きな声が出た。同じようにしたテンヤとオチャコも、揃って目を丸くしている。咀嚼の度に、硬いパンの生地の中にとろけていくような感触が楽しい。
少年たちの反応に、羊飼いをはじめとした村人たちも満足したようだった。ただ、同時に質問も飛んできて。
「それは良かった。でも、食べたことはなかったのかい?」
「ああ……我々の出身地は他所との往来が少ないうえに、狩猟と少々の農作が主でして。羊や牛といった家畜は、知識としてしか知りませんでした」
リュウソウ族云々については伏せつつ、淀みなくテンヤが答える。こういうとき、村ではいちばんの育ちの良さは大きな武器になる。ただ今は、物腰が柔らかいだけでなく経験も豊富なイズクがすぐ隣にいるのだが。
「こんな美味しいもの、いつも食べてるんですか?」
対照的に、少々不躾ともいえる質問をオチャコがする。マスターピンクを母にもつ彼女も育ちは悪くないはずなので、これは天真爛漫な性格ゆえだろう。
「祝いごとのときだけだ」目つきが鋭くて、身体もテンヤ並みにがっしりしている男が言う。「毎日ぜいたく品が食えるほど、うちの村は裕福じゃない」
彼は村を守る戦士だろうと、エイジロウたちにはすぐ合点がいった。こういう森に隠れたのどかな村であっても、ドルイドンの魔の手というのは身近な脅威として認識されている。実際、ジンという元鉱夫の村人がその想いにつけ込まれてマイナソーの生みの親となってしまったばかりなのだから。
と、空気を和らげるように五十がらみの壮年の男が続けた。
「と言っても、この辺りは気候が安定していますからなあ。山脈の向こう側の北の大地、それに西の海のずっと向こうは大変厳しい環境だと聞きます。そういうところに暮らしている人たちの生活は、想像もつきませんな」
エイジロウたちが神妙に頷いていると、新たな料理が運ばれてきた。丸一日、ほとんど何も口に入れず戦っていた少年たちである、パンとチーズだけでは腹の足しにならない。
供されたのは羊の肉をそぎ落として、強い火でこんがりと焼いたものだ。香草がまぶしてあるのか、食欲をそそられつつもどこか上品にも思える、不思議な香りがする。
肉を誰よりも好んでいると自負のあるエイジロウは、あふれ出そうになる唾液を押さえつつ真っ先にかぶりついた。柔らかい質感からじゅわりと肉汁があふれ出たかと思えば、なんともいえない独特の味わいが舌を痺れさせる。リュウソウ族の村ではもっぱら狩りで捕れた鹿や猪、たまに雉といった鳥類を食べるくらいだったので、それを"美味"と脳が処理するには時間がかかった。都市の富裕な美食家の中にはこれを臭いと忌み嫌う者もいることは、当然知らなかったが。
「仔羊を丸焼きにしたんだ。育った羊は肉が硬くなる。ま、それはそれで美味いがね」
「へー……」
しきりに頷くオチャコは、当初エイジロウと同じように素手でかぶりつこうとしていたが、横にいるテンヤが揃ってナイフとフォークを上手に扱っているのを見て、それを真似ることにしたようだった。意外やさらにその隣にいるイズクは、エイジロウに劣らず豪快な食いっぷりを披露しているが。
一方で、相変わらず端のほうでマイペースに食べ続けているカツキとコタロウはというと、テンヤに近い食べ方をしていた。コタロウはともかく、見るからに乱暴者のカツキが。食事を続けながらも、エイジロウはふたりから目が離せなくなった。
ふたりは話しかけてくる村人を適当に──極端に邪険にすることはなく──あしらいながら、時折何か話をしているようだった。気になったエイジロウは席を立って、彼らのもとに歩み寄っていった。
「よう、なに話してんだ?」
「!、いや別に……」
「話しかけんじゃねー、ウゼェ」
これもコタロウはともかく、である。カツキはとことん可愛げがない。尤も人当たりのいいエイジロウは、そんな態度に早くも慣れつつあったが。
「ンなこと言うなって!せっかく美味いメシご馳走になってんだからさ。あ、そうだ、おめェらマイナソーを追いかけてきたんだろ?これからどうすんだ?」
「ンでてめェに言わなきゃなんねえんだよ」
「あー……ほら、俺らまだ騎士になったばっかだし。先輩を参考にさせてもらう、的な?」
カツキはまだ、自分たちを仲間とは認めていない。ゆえにことさらそれを強調しなかったエイジロウだが、彼の自尊心をくすぐるような言葉はそれなりに効果があったらしい。舌打ち混じりにヒント……というより、ヒントに繋がる問いをぶつけてきた。
「……この辺りは世界の端っこと言われとる。なんでだと思う?」
「へ?え、えーと……」
考え込むエイジロウだったが、程なく先ほどの村人との会話を思い返した。
「……北の山脈はすげえ険しくて普通にはとても越えらんねえし、西と直接行き来するには海が広すぎる。行き止まりみたいな場所だから、だろ?」
「はっ、そんくらいは知ってンだな」嘲いつつ、「なら、来た道戻るしかねえんだわ」
つまりずっと東に行って……そのあとは、南か。南の雨林地帯に行くにもやはり、海を渡る必要はあるのだが。
「そういや、コタロウの出身はその辺のどっかにあるのか?」
時折旅人の一行に紛れつつ、リュウソウ族の村にまで流れ着いたコタロウ。いくらなんでも、彼が海を渡ってやって来たとは考えにくい。
「……ええ、まあ。でも、僕はもうそこに帰るつもりはないので」
どこか都市にでももぐり込めば、子供といえども働き口はある。それまでエイジロウたちリュウソウジャーに同行して、というのがコタロウの考えだったが、それを披瀝したのは初めてだった。
「……そっか」
コタロウの予想に反して、エイジロウはどこか沈んだ声でそう言っただけだった。そういえば……彼らは昨日、生まれ故郷を失ったばかりだったのだ。
肉親も亡く、親友を目の前で喪い、そうして何も守れずあてどない旅に出た。それでも笑顔でいられる心中は如何ほどのものか、コタロウには想像がつかない。きっとエイジロウは否定するのだろうが、彼らに比べて自分があまりに小さい人間に思えてみじめな気分になる。
そしてそんなふたりを、カツキは何も言わずに見つめていた。
ぱちぱちと爆ぜる篝火に郷愁めいた感情を呼び起こされながらも、晩餐は月が見えなくなるまで賑やかに続いた。彼らのすぐ足下を、悪意の指先がゆっくりと侵しつつあることには気づきもしないで。