こういう長編ものは自分苦手なんだなあと再確認しました
残る力を振り絞って地下階に舞い戻ったイズクは、地に足を着けるなりロディの名を叫ん
でいた。
「ロディ!──ロディ!!?返事をして!!!」
広大に過ぎる空間に声が同心円状に反響して、そのまま戻ってくる。返事はない。そもそも、姿が見えないこと自体尋常でないのだ。ロディの怪我は、自力でどこかへ行けるような類いのものではなかった。
ならば一体、ロディはどうなったのか。何者かに連れ去られてしまったのか。イズクが思わず拳を握りしめていると、回廊の向こうから大勢の足音が響いてきた。
「!」
身構えるイズク。果たして現れたのは大勢の兵士たちだった。厳めしい装いの面々にぐるりと取り囲まれ、緊張が走る。リュウソウケンの柄を咄嗟に掴んだものの、いかに敵対者であれ人間を斬ることはできない。それに、ロディは──
「皆、剣を引け」
「!」
よく通る男の声だった。それはこの場において一定の権威をもっているようで、兵士たちが波を打ったように戦闘態勢を解いていく。
程なく声の主が姿を現した。とりたてて特徴のない、青年というにはやや年かさの男性だった。兵卒らから「補佐官」と呼ばれるのを聞いて、イズクは相手がこの事実上の帝国において重きを置く人物であることを理解した。
「きみの探している少年なら、我々が保護した。現在、治療を受けさせている。深傷ではあるが、命に別状はない」
「!、どう、して……」
その傷を負わせたのは、彼らの頂に立つ宰相であるというのに。
「……閣下のやり方は、ドルイドンのそれと変わらん。国民を大事にしない国はいずれ滅ぶ……わかっていたんだ、わかっていても止められなかった、この国の誰も……」
「きみたちは、それを成し遂げた。──あの少年も」
会ってやるといい、友人に。そう言って、補佐官は笑った。
*
「ロディ!!」
兵士たちに案内されてたどり着いたのは、簡素なベッドの並んだ部屋だった。薬や医療器具の類いが所狭しと置かれているのを見るに、医務室なのだろうか。
そのベッドのうちひとつに、ロディは寝かされていた。上半身裸の上に清潔な包帯が巻かれており、きちんと治療が施されていることが窺える。イズクは堪らず彼に駆け寄ったが、同行の兵士たちに止められることはなかった。
「……デク……?」
「ロディ……!」
目を潤ませながらその手をぎゅっと握りしめると、ロディは薄く笑った。
「あんた……泣いてんの?ははっ、不細工な面ンなってんぜ……」
「……言われ慣れてるよ……」
口の悪い幼なじみがいるのだから。尤も同じ言葉を紡ぐはずの彼の声はどこまでも柔らかくて、湿っていた。
その身体を抱き起こしつつ、そっと"あるもの"を差し出す。
「これ、ピノの……?」
「……うん、これのおかげで勝つことができた、ありがとう。でも、きみに返すよ」
「………」
それを包むロディの手が、わずかに震える。勝利と、友を守れたという事実と引き換えに。ピノは……己の心を映してくれていた相棒は失われてしまった、永遠に。
「ピノ……っ」
あんな小さく丸々としていたピンク色の小鳥が、純白の勇ましい鋼に姿を変えてしまった。ともに歩んだ日々を、ロディは思い出す。
「ありがとな、ピノ……。俺、おまえがいてくれたから……自分を大っ嫌いにならずに済んだんだ……」
今となっては、イズクの言葉はまったく正しかったと思う。誰にも本心を表せずに抱え込んできた五十年余、いつしか自分自身ですら何を思っているかわからなくなることがいくらでもあった。そんなとき、ピノが泣いたり怒ったりしてくれたから。自分の本心を知ると同時に、同じ想いを共有してくれる彼に少なからず癒やされた。
(でも、)
悲しいこと、苦しいことだけではつまらない。もっと嬉しいこと、楽しいこと、幸せなことを共有したかった。ピノが来てから父が失踪するまでの短い間にしか見たこともなかったけれど、翼を揺らめかせて小躍りする姿は弟妹に匹敵するくらい愛おしいものだった。
「ピノ……ピノぉ……っ」
純白のリュウソウルをかき抱き、頬に押しつけて抱きしめる。流れ落ちる雫がひとすじ、つるりとした表面を濡らした。
そのとき、だった。
「……Pi……」
「──!」
うっすらと聞こえた、か細い鳴き声。ロディは一瞬、自分の聞き間違え、あるいは幻聴の類いかと思った。しかしイズクを見れば、彼もまた目を丸くして固まっている。
改めてリュウソウルを見る。ぱき、と音をたててヒビが入る。──まさか?
刹那、ロディのてのひらの中でリュウソウルが爆発した。
「うおっ、熱ちっ!!?」
熱ちっで済む程度の爆発だったのは不幸中の幸いか。ともかく呆気にとられていると、爆発の勢いで丸っこい何かが飛び出してきて。
「Piiiiii~!!」
「!!?」
ピンク色の翼を片方掲げ、堂々と現れた。ごしごしと目をこすり、もう一度その姿を凝視する。間違いない、これは。
「……ピノ……?」
「Pii!」
丸っこい身体が、ロディの胸板にすりすりと被毛をすり寄せてくる。呆然としていたロディだったが、ゆるゆるとその腕が動くのをイズクは見た。そして、ピノを抱きしめる瞬間も。
「なんだよ……バカやろ……っ。俺の涙、返せよなぁ……っ!」
「Pi、Pi……!」
言葉とは裏腹に、ロディはピノを大事そうに抱え抱きしめている。ピノもそれに応えている──というのは、彼の真実を知らずとも自然な光景だった。今の彼は、ありのままに喜怒哀楽を表している。危険な野望を挫いたこと以上に、その光景がイズクにとっては喜ばしいものだった。
*
数日後。イズクとカツキは彼らが最初にこの国に一歩をつけた港にいた。
「結局、観光は全然できなかったね」
「興味ねえ。それに、何十年かすりゃまた来る機会もあるだろ」
何せ、オセオンの政権中枢に対して剣を向け、あまつさえ叩き潰してしまったのだ。過ぎた野望を抱いたガイセリックが遡及的に謀反人として扱われ、彼らは蕃人ながら聖帝と臣民を救ったのだと表向きには称揚されているが……実際には相当に警戒されているに違いない。できるだけ早々に退去しなければと、最低限の事後処理と休養ののちここまでやって来たのだ。
「何十年、か……」
後ろを振り返ったイズクが、どこか寂しげな、何かを惜しむような表情を浮かべる。"何十年かすれば"……そのときにはもう、この国でできたたったひとりの友人はここにはいないだろう。ろくに惜別もできずに去ってしまったのが、今さらながら悔やまれる。
「おい、」
「!」
呼びかけにはっとする。同時に、ボオォ、と汽笛の音が聞こえてきた。水平線の向こうから現れた豆粒のようなシルエットが、少しずつ大きくなって船の姿を形作っていく。遙か海の向こうからここにやってきたのと、まったく同じ形の汽船だ。それが接岸して程なく、扉が開いて乗客たちが降りてくる。全員が降りきって、清掃やメンテナンスで十五分程度停留してから乗客を迎え入れ、出港する。流れ作業のようなその過程を、イズクはぼんやりと眺めていた。
(……ロディ、)
たった一日。たった一日の邂逅だったけれど、イズクはロディに対して間違いなく友情と呼べるものを感じていた。それはカツキに対する想いとも形を違えたものだ。ともにオセオンの国民を守った仲間であることは確かだけれど、彼は本来戦士ではない、ただの同年代の少年だったから。
会いたい。願わくば、この国を去る前にもう一度。しかし曲がりなりにも宰相を打擲した自分たちが再び会っていれば、要らぬ勘ぐりをされかねない。オセオンを出ていく自分たちはまだしも、ロディたちはまだ暫くはここにとどまるのだ。
せめてまたいずれ、どこかで再会できたら。かなわぬ願いであろうと悟りながらも、イズクは諦念とともに息を吐き出した。
刹那、
「デク!」
「カツキにいちゃーん!」
「!!」
少なくとも数十年は聞くこともないと思っていた声が、背後からかかる。はっと振り返ったのは、イズクもカツキも同じだった。
「ロディ……!ロロくんにララちゃんも──」
ロロとララなどは真っ先にカツキに駆け寄り、抱きついている。カツキは反射的に「寄んなうぜえ」と追い払うしぐさを見せたが、本気でないことは明らかで。
それから少し後れて、杖をついたロディがひょこひょこと歩み寄ってきた。
「よう、勇者サマ。お見送りもさせてくんないなんて、すこ~しドライなんじゃねーの?」
「あ、う……それは、ごめん……でも──」
言いよどむイズクを見て、ロディはぷっと噴き出した。
「ンなマジな顔すんなって。いろいろ気ィ回してくれたんだろ、俺らの今後を考えて」
「……うん」
「そりゃうれしいけど、明日は明日の風が吹くってね。人生何があるかわかんねーんだし、今やりたいようにやるだけさ」
そう、本当に何があるかわからない。今まではネガティブな意味でしか実感したことがなかったけれど、この数日の出来事がロディの数十年分の集積に大きな穴を開けたのだ。
「……大丈夫、心配ねえよ。俺はもう、自分の力で翔べる」
「ロディ……」
ふいにロディが手袋を脱いだ。そのまま差し出される手の意味がわからないほど、イズクも鈍くはない。傷のある自分の右手を差し出し返すことには躊躇われたが、ロディがそれを忌むような少年でないことは明らかで、ここで拒むことは彼の想いを無碍にすることではないかと思われた。
自らも手袋を脱ぎ、おずおずと手を差し出す。やや骨ばった、あたたかい感触が伝わってくる。もしかしたらもう永遠に、触れることはないかもしれないてのひら。
気づけばイズクは、ロディの痩せた身体を抱き寄せていた。
「ちょっ……おい、デク……?」
「また、会いに来るから……。いつか、必ず……!」
「……!」
ロディは思わず、目を見開いていた。今まで幾度となく、心のこもらぬ優しい言葉を投げかけられたことはあった。信じてもどうせ裏切られて、かえって辛い思いをするだけだ。
今回だって、それが現実的に困難を伴う約束であることは明らかで──それなのに。
「……ばぁか、二度と来んな」
皮肉めいた言葉、しかし震えは止められなくて。ピノをしまい込んだ首の後ろに濡れた感触が生まれるのを、ロディは自覚していた。
(END)
«エピローグ»
それから、しばらくして。
首都への転居を行政官から勧められたロディたちきょうだいであったが、暫く家族で話し合った末、スラムに残ることを決めた。宗教都市での堅苦しい生活様式には馴染めそうもない……というのもあるし、いざ転居を考えてみて、なんだかんだこの薄汚れた街に愛着を抱いている自分たちがいることにも気づかされた。今少し、ここで生きてみよう──そんな思いとともに、ロディはとある店の戸を叩いた。
「あぁ?まだ準備中だよ、見てわかんねーのか酔っ払……い……」
「あいにく、シラフだよ」
「よ、おっちゃん」と、ロディは目を丸くするスタンリークに向けて手を振ってみせた。
「……おまえ、無事だったのか」
「まーね。おっちゃんこそ、無事でよかったぜ。あれで捕まってたりしたら寝覚め悪ィしな」
スタンリークはロディの言動の変化に驚いた。無事でよかったなんて、思っても素直には言わない子供だと思っていたが。
「でさあ、またシゴト紹介してほしいんだよね」
「……」
そういうことか。あんな目に遭ったのに懲りないヤツだと思っていたら、ロディの言葉には続きがあった。
「今度はできれば、まっとうなヤツ」
「まっとうな、だぁ?」
「ああ。報酬はあるに越したことはないけど、ある程度少なくてもしょうがない」
“まっとうな仕事”というのはリスクが少なく需要もあるぶん、報酬は安く抑えられていることが多い。それでもロディは、これを“まっとうな人生”を歩む第一歩にしたかった。
「まっとうな、なァ……。俺んとこにンな仕事が入ってくると思うか?」
「……」
それもそうだ。スタンリークは裏の顔として非合法な仕事を斡旋している、合法な仕事を堂々と紹介できるならそれを生業にすればいいだけの話なのだから。
口をつぐむロディだったが、この酒場店主は不意ににやりと笑った。
「まっとうかどうかは知らねえが、そういや空いてる仕事が一個あったな」
「!、なんだよ?」
スタンリークが足下を指さす。
「ここ。いい加減、一人でアホども捌くのも億劫になってきたとこだ」
「……!」
一瞬目を見開いたロディは、その奥から熱いものがこみ上げてくるのを感じた。しかし素直にそれを発露するのはまだあまりに照れくさく、天井を見上げて懸命にこらえる。数秒そんなことを続けて、ようやく震える声をごまかしながら口を開いた。
「そ……そういうことなら、いっちょ手伝ってやっか!」
「ふん。こき使ってやるから、覚悟しとけよ」
意地悪な声音で言い放つスタンリークの目は、しかし我が子を見守る父親のように細められていた。