太陽の光も届かぬ、暗く冷たい海の底。
地上でも知られているようなうろくずたちの姿はそこにはなく、それこそリュウソウ族や騎士竜たちと同じように遥か古代から生きる者たちがひっそりと暮らしている。
そんな時が止まったような世界にも、確かに息づく霊長たちがいた。
「……来る……!禍が!」
音すら呑み込む深海に、鮮明に響くいかめしい言葉。そう、言葉だ。それは知的生命であって、さありながら海中で一、ニを争うほど巨大な姿かたちをしていて──
「禍?」
それに応じる声は、まだ少年のものだった。低く険のある声だが、もとは甲高いのをあえてそのように絞り出しているような。
その顔立ちは非常によく整っていて──にもかかわらず、左半分だけを仮面で覆い隠している。服装も仕立てが良く貴公子のようだから、なおさらそれだけが悪目立ちするのだ。
「禍、か」
晒されたアッシュグレーの右目が、冷たく光った。
*
海水をかき分け、船は進んでいく。
エイジロウたちリュウソウジャーの面々(コタロウ含む)がコランの港町を出航して、間もなく丸一日が経過しようとしていた。今のところは大きなトラブルもなく、安定した航海を続けることができている。
……まあ、些細なものはあるのだが。例えば、
「おろろろろろろ……」
身を乗り出し、海に向かって黄金の何かを吐き出すオチャコ。それがなんなのかは言うまでもない。エイジロウが横で気遣わしげに背中をさすってやっている。
「み、みんといて……」
「いや、見んといてって言われても……。もう四回、いや五回目だろ。ほんとに大丈夫か?」
「ら、らいじょうぶやから……」
だいたい、大丈夫じゃないと言ったところでどうにかできるわけではないのだ。ここは四方八方海しかないのだから。
「けっ、船酔いとかダッセェ。紅一点が聞いて呆れるわ」
「や、やめろよかっちゃん。そういうこと言うの……」
いつもながら幼なじみを叱りつつ、「あと一日の辛抱だから」とオチャコを励ますイズク。コランの港町から南の大地にあるオウスの街までは海路で丸二日、ただしそれは最短ルートでの話だ。
「しかし、我々は海を荒らしているドルイドンを見つけ出し、退治しなければならないだろう。このままその、オウスの街に直行して良いのか?」
テンヤが呈した疑問は当然のものであった。ただ約束したというだけでなく、それを条件に船を無償で借り、食糧まで貰ったのだ。
それに対しては、イズクが答えた。
「コランの港町にあれだけ攻撃を仕掛けているなら、対岸も同様の被害を受けている……あるいはもう陥落していて、奴らの根城になっているかもしれない。いずれにしても、情報は手に入ると思うんだ」
イズクはそこまで言わなかったが、情報もなしにこの海を彷徨うなど、自殺行為も良いところである。食糧は限られているし──オチャコが食べるそばから無駄にしているというのは禁句である──、どんなトラブルがあって船が難破、最悪沈没してしまうかもわからないのだから。
「なるほど……。確かに、オチャコくんもこの状態だしな」
納得顔で頷くテンヤ。リュウソウ族は大抵三半規管も強く、それゆえ初めて船に乗るエイジロウとテンヤも体調を崩してはいないのだが──やはり、個人差はあるということだ。
一方、リュウソウ族でなくても、平気な顔をしている者もいて。
「コタロ、ウは、なに、してる、ティラ?」
「!、あぁ、ティラミーゴ……」
読書中のコタロウに声をかけたのは、今では彼の膝下くらいまでの背丈しかないティラミーゴである。トリケーンとアンキローゼもぞろぞろついてくるあたり、彼らはとことん三匹でワンセットであった。
「言葉、随分上手になったね」
「エイジロウ、と、でぃ、でぃ……あいつに、おそわってる、ティラ」
コタロウは心底から感心した。たどたどしいながらも、誤りのない言葉を話すことができている。カツキの言ではないが、彼らが人間以上の知能の持ち主であるというのも強ち嘘ではないかもしれない。
ちなみにティラミーゴが名前を上手く発音できなかったディメボルケーノはというと、船の隅っこで何やら自問自答している。彼は自他問わず問いを投げかけ、答を見出すのが好きなようだ。封印されていた"賢者の釜"の名は、彼にちなんで付けられたのかもしれない。
「トリケーンとアンキローゼは、喋らないの?」
「ふたりは、まだ、ティラ」
ピィ、と小さく鳴き、恥ずかしそうにする二匹。その姿に微笑ましさを覚えたコタロウは、本から手を放しそっと頭を撫でてやった。子供らしからぬつれなさのある彼だが、意外や動物、とりわけ犬などのことは好きだった。人間と違って嘘偽りがなく、いつも全力でぶつかってきてくれる。そのくせ、こちらの感情を敏感に察して寄り添ってもくれるのだ。
そういえば、誰かさんが──犬ではないくせに──そんなやつだったなと気づいたらば、何度目かの激しい揺さぶりが襲ってきた。
「うぉっ!?」
「また大波か……この辺りは激しいな」
「い、いまこれはあか──おぼろろろろろ」
「しっかりするんだ、オチャコくん!」
オチャコが海に落ちないよう、その身体を支えてやる──胸などには触れないよう配慮しつつ──。カツキの見事な操舵もあって、幸いにして転覆の危機を迎えたことはこれまで一度もない。今回だって、少し我慢していればおさまる──そう思っていたのだけれど。
「──てめェら、構えろ!!」
「え──」
カツキは他人より勘が鋭くその有形化も速いのだけれど、事態は往々にしてそれすらも上回る動きを見せた。
一瞬揺れがおさまったかと思うと、次に襲ってきたのは足下から突き上げられるような感覚。
──否、本当に突き上げられたのだ。
「うわぁあああああああ──ッ!!?」
船自体が叩き上げられ、そこにいた面々はなんの抵抗もなく空中へ投げ出される。先日のゴーストシップマイナソーに対する決め手のしっぺ返しのようだったが、異なるのは船底……つまり海中からの圧力によるものであるということだった。
重力すら打ち負かすほどの力で打ち上げられた少年たちは、程なく海面に浮かぶ巨大なシルエットを目の当たりにした。
あっと思う間もなく、ざばあと海水を巻き上げながら"それ"は浮上してきた。
(──島?)
一瞬そう思うのも無理はなかった。その表面には藻が生い茂り、緑に覆われていたから。
しかしそれは、深緑の大地などではなくて。
「ギィエェェェェェェッ!!!」
耳を劈く悲鳴のような雄叫び。──海から現れたその正体は、巨大な亀だった。島と誤認したのは、その甲羅にすぎなかったのだ。
「で、でけぇ……!」
「海にはこんな巨大な亀が生息しているのか!?」
「ンなワケあるかボケメガネ!!こいつもマイナソーだわ!!」
「ボケメガ……マイナソーだと!?」
まさか、自分たちを狙って?──ゆっくり考えている暇はなかった。上昇の勢いが削がれた果てに、自由落下が始まったのだ。
「ッ、ティラミーゴ!!」
「ティラァ!!」
ティラミーゴの身体が膨れ上がり、一挙に通常サイズに戻る。そうして真っ先に着水した彼の背中に落ちることで、エイジロウたちはかろうじて海に呑み込まれずに済んだ。
「ふぅ……サンキュー、ティラミーゴ」
「ひと息つくのは早ぇぞ」
こればかりはカツキの言う通りだった。もとの──見上げんばかりの巨躯である──ティラミーゴが赤子に見えるほど、対峙するマイナソーは大きい。ましてここは海──リュウソウジャーにとって、未知数の戦場なのだ。
「……それでも、やるしかねえ!」
歯を食いしばりながら、リュウソウチェンジャーを構える。どのみちマイナソーを放って逃げるという選択肢はないのだ、迷いはなかった。
「リュウソウチェン「ギァアアアアアアア──ッ!!」!?」
少年たちの声に被せるように、マイナソーが再び咆哮する。──その瞬間、恐るべきことが起きた。
マイナソーの周囲で海水が回転を始める。やがてそれは巨大な渦巻きと化し、ティラミーゴ……つまりエイジロウたちに迫ってきた。
「な、なんだ!?」
「あ、れは、ヤバい、ティラ〜!」
「言っとる場合かッ!!」
あんなものに取り込まれれば、海の底まで真っ逆さまだ。どう取り繕おうと、逃げるしかない!
「急げ、ティラミーゴ!」
「ティ、ティラ〜!!」
慌てて反転するティラミーゴだが、巨体ゆえにそれだけでも時間を要してしまう。何より彼は、泳ぎが得意というわけでもない。
そうこうしているうちに、亀に似たマイナソーがつくり出した渦が迫ってくる。周囲の海水を巻き込みさらに勢いを増すそれは、程なくティラミーゴの尾を捉えた。
「!?」
途端、ティラミーゴの身体は凄まじい力によって後方へ引きずり込まれる。抵抗しようにも文字通り浮足立った状態では力が入らない。大きく態勢が崩れる。そうなれば当然、
「うわぁああああ────」
今度こそエイジロウたちは、海水のほか何ものにも受け止められることなく落ちていく。ばしゃん、ばしゃんと幾つもの水飛沫が上がるが、そんなものは序の口にすぎなかった。
もはやブラックホールのごとく深淵にまで広がった渦が、彼らを海中へ引きずり込んだのだ。
「ぐっ……もがっ………!」
呼吸ができない、苦しい。少しでも酸素を取り込もうとすれば、代わりに大量の海水が流入してくる。精一杯藻掻いて浮上を試みても、渦の圧力によってエイジロウたちは海底へと引き込まれていくばかりだった。
(やべ、ぇ……死ぬ……っ)
全身が悲鳴をあげ、小刻みに震える。手に力が入らなくなったかと思うと、視界が端から霞み、黒へと染まっていった。
(……ぁ、)
川遊び程度しかしたことのないリュウソウ族の少年は、仲間たちともども漆黒の水底へと沈んでいく──
ゆえに、黄金のシルエットが接近しつつあることに、気づく者は誰もいなかった。
*
「──い。……い、……きろ……」
「………」
聞き慣れた声が途切れ途切れに耳に飛び込んでくる。ただ、未だ意識を沈めているエイジロウはその声に抗った。うぅ、ん、と、むずかる幼児のような音が喉から洩れる。
しかし声の主は、我が子を起こす母のように優しくはなかった。
「──起きろっつってンだろうが、クソ髪ィ!!」
「うおっ!?」
怒鳴り声とともに何かが頬を薙ぎ、エイジロウは強制的に覚醒へと導かれたのだった。
「な、なん……あ、カツキ?」
「チッ……寝坊助が」
舌打ちするカツキ。彼だけではない──ともども海に引きずり込まれた、仲間たちの姿もある。
「!、そうだ……マイナソーは!?」
「……わからない。僕らもさっき目が覚めたばかりだから」
かぶりを振るイズク。そこで改めて周囲を見やると、ここはどうやら石造りの建物の一室のようだった。部屋といってもとても広く、ベッドが複数並べられている。全員、ここに寝かされていたようだ。
(ここ……どこなんだ?)
どう見ても死後の世界などではない。あのあとたまたま船が通りかかって、救助されたのか?しかし自分たちは皆、海中深くまで引きずり込まれてしまっていた。ならばあるいは、ティラミーゴが──
「!、そうだ!ティラミーゴたちは──」
姿の見えない相棒たちを案じ、エイジロウが声を張り上げたときだった。部屋の扉が、にわかに開かれたのは。
「!?」
身構える一同。そこに立っていたのは、兵士のような恰好をした二人組の男だった。眼光鋭く、こちらを睨めつけている。
「目が覚めたようだな、
「!?」
この男たち、リュウソウ族の存在を知っている?そもそも陸の、とはどういうことか。
しかし、彼らに対して問いをぶつけることは許されなかった。
「おまえたちが目覚め次第お会いになると女王陛下が仰せだ。ついてこい」
「じょ、おう……?」
女王──女の王様。エイジロウたちもその程度のことは知っている。しかしこの大陸では、王国は滅びたのではなかったか。
「……とりあえず、ついていくしかなさそうだね」
現状は、イズクの言葉がすべてだった。
果たして一行は石造りの廊下を半ば連行されるように進んだ。途中に窓のひとつもないここはまるで牢獄のように薄暗い。カツキやコタロウなどものを知る面々は、もしやここは本当に牢獄で、自分たちは罪人扱いされているのではないかとさえ思った。少なくとも、この兵士らしき男たちは自分たちを歓迎していないようなのだ。
それでも下手に暴れたりしたら、罪人扱いどころかまごうことなき罪人だ。しかもリュウソウケン、リュウソウチェンジャーに至るまで武具といえるものは取り上げられてしまっている。リュウソウルはあるが、そのふたつがなければ発動できないのだから玩具同然だ。
(……最悪でも、コタロウだけは逃してやらねえと)
仮にリュウソウ族である自分たちに敵対する相手なら、人間のコタロウを巻き込むわけにはいかないのだから。
そうこうしているうちと、不意に吹き抜けとなった大広間に出た。唐突な変化に戸惑い、周囲を見遣る──と、さらに驚くべき光景が一同の前に現れた。
「さ、魚が泳いでる……!?」
魚が泳ぐのは自明の理である、オチャコは何を言っているのか。
──いや、そうではない。魚たちは目の前の空間を浮遊、否、泳ぎ回っているのだ。
「なぜ、魚が空中を……?」
「それは、ここが海の底だからです」
「!」
広間に朗々と響く、鈴のような女性の声。同時に、かつかつと響くハイヒールの足音。
「海の王国へようこそ、陸のリュウソウ族の皆さん」
──白銀の髪を靡かせた美女が、エイジロウたちの前に姿を現した。