「……はぁ、」
回廊をとぼとぼと歩きながら、ショートは小さなため息をこぼしていた。今この場には他に誰もいない。だからこそそういう形で、本音の一端が洩れてしまったのだ。
モサレックスは陸のリュウソウ族を受け入れるなと言う。母と姉はその考えを否定している。ショート自身は……迷っていた。モサレックスにも打ち明けた通り、エイジロウたちが悪意ある存在にはどうしても思えなかったのだ。
しかしモサレックスの意志とは別に、ショートの心には禍根があった。──先ほどフユミが口にしかけた、父親のこと。左半身に残された面影が日に日に大きくなっていく。奇妙な感覚だった。
「ショート殿下!」
「!」
聞き慣れない高い声。高いと言っても女性のそれではなく、二次性徴前後の少年のものだ。この宮殿内でそんな声の持ち主に心当たりはなかったのだけれど、振り返ったところで良くも悪くも合点がいった。
「……おまえ、陸の」
「コタロウといいます。陸の、といってもリュウソウ族ではないので」
いちおう礼儀作法を弁えてはいるが、切れ長の瞳が強い意志を主張してくる。ショートは反射的に「悪ィ」と返してしまった。
「リュウソウ族じゃねえってことは、人間か。……それがわざわざ追いかけてきてまで、俺になんの用だ?」
「質問があります。お許しいただけますか?」
「……回りくどい言い方されるのは好きじゃねえ。単刀直入に話せ」
王族として生まれながらに敬意を払われる存在であるショートだが、格式ばった対応をされるのは好きでなかった。まして、この少年のように恐縮しているわけでもない相手には。
「エイジロウさんたちを遠ざけようとするのは、どうしてですか?」
「……言ったはずだが。それが騎士竜モサレックスの意志だからと」
「そのモサレックスは、過去の争いのために陸のリュウソウ族を嫌っていると聞きました。……何千万年も前と、今のリュウソウ族がまったく変わらないと、あなたは本気でそう思っているんですか?」
「……思ってると、言ったらどうする?」
相手が思った以上に生意気……もとい確たる意志をもつ子供であったので、ショートは意地悪な答えを返した。しょせん子供だ、それで言葉に詰まるだろう、そう思って。
しかし目をさらに鋭くしたコタロウは直後、意外な行動に出た。
「なら、これを読んでください」
「……?」
そう言って差し出されたのは、一冊の手帳。複数枚の紙の連なりであるそれは、海の王国ではあまり見ないものだったが。
ともあれ彼の言に従い、開いてみる。そこに記されていたのは、
「……日記?」
「まぁ、そうとも言います」
まず日付があって、その日何をしただとか、そんなことが書かれている。他になんと称すれば良いのか。
訝しんだショートだったが、存外素直な性質の彼は請われるままに読み進めていった。
『○月✕日
今日は一日じゅう森の中を歩き通しだった。僕は同年代の中では体力があるほうだと思うけど、リュウソウジャーの皆にはとてもかなわない。意地でがんばろうとしたのだけど、案の定エイジロウさんにばれて、無理やりおんぶされてしまった。勇猛の騎士である彼は男らしくて豪快なんだけど、いちばん気遣いをしてくれて、たまにお節介になりすぎるときもある。なんだかお母さんみたいだなんて思ってしまうのはここだけの話だ』
『○月△日
今日は朝から凄い雨が降っていたので、洞窟にこもっているしかなかった。寝たりおしゃべりをしたり、みんな好きなことをして過ごしていたけど、テンヤさんはなんとロウソクに火をつけて勉強していた。彼は叡智の騎士というだけあって、すごく真面目で勉強熱心なのだ。真面目すぎて融通がきかないときもあるけど、僕も見習わなくっちゃなあと思う』
『□月○日
エイジロウさんがどうしても干し肉じゃない肉を食べたいと言うので、みんなでイノシシ狩りをすることになった。僕は罠の設置を手伝ったのだけど、驚くべきはオチャコさんだ。なんとイノシシの首を小脇にかかえて、シメてしまったのだ。流石は剛健の騎士!この人なんで魔法使いやってるんだろうと思うけど、気にしているらしいので胸にしまっておく』
『□月△日
今日は不注意でケガをしてしまった。幸い大したことはなかったのだけど、イズクさんがすぐに飛んできて治療してくれた。薬草に詳しかったりだとか、彼はとても物知りで優しい人だ。見た目や態度とか、頼りなくもみえるけど、剣を握ると人が変わったように……なんていうか、鋭くなる。あと、たまに自己犠牲が過ぎるときがあって……そういうところ、お母さんを思い出して、正直苦手だ』
『✕月□日
今日は特段何もない一日だった。変わったことといえば、カツキさんとふたりきりになる機会があったことだ。カツキさんはふだん乱暴者で声も大きいけど、ひとりきりになると嘘みたいに静かで、遠くを見て何か考えごとをしてることが多い。勇気を出して声をかけてみたら睨まれたけど、僕なんかのことも邪険にしたりはしない。エイジロウさんたちに対してもやっぱりそうだ。遠ざけようとするならもっと徹底的にやれば良いのにと思うけど、僕はカツキさんとの距離感が心地良いと思うから、彼がそうしないでくれて嬉しい』
「……これは、」
困惑するショートに対し、「他人に見せるのはあなたが初めてです」とコタロウは告げた。
「こんなもの……俺に見せて、どうしようってんだ」
「それでわかりませんか、彼らがどういう人間……もとい、リュウソウ族なのか」
端的に伝えるという意味では、コタロウの日記は確かにわかりやすい。しかし、それで納得してしまうわけにはいかなかった。
「……これが事実であるという証拠は?」
「僕がでたらめを書いていると?」
「そうじゃないとは言い切れないだろ」
もはやそれは意地のようなものだった。そんなことに手間をかける意味を、ショート自身見出してはいない。
しかし予想に反し、コタロウはうすく笑みを浮かべて言った──「そうですね」と。
「じゃあ……僕が書いたことが嘘かどうかは、ご自分で確かめるしかないんじゃないですか?」
「……!」
*
「う〜ん、おいひぃ!」
新鮮で豊富な魚介の数々に、オチャコはじめリュウソウジャーの面々は舌鼓を打っていた。
「ふふ、お口に合って良かったわ。質素な食事になってしまって申し訳ないけど」
「えっ……これが質素?」
これほどとりどりの料理を一度に食べることなど早々ない。せいぜいミネタ男爵に招待されたときくらいなものだった。
一方で、フユミ王女の言いたいこともわからないではなかった。まさしくその男爵家の食事と比較すると質素というか、材料さえあれば誰にでも作れそうな簡単な品目ばかりなのだ。無論それが悪いということではないが。
「今、この国は本当に人手不足で……。できることは自分たちでやるようにしているの」
「人手不足……。確かに、街に些か人が少なかったような」
「率直に言って、私たち海のリュウソウ族は絶滅の危機に瀕しているのです」
女王の落ち着いた語り口で紡がれた言葉は、残酷ともいえる現実に他ならなかった。
「海底という閉ざされた世界の中では、繁殖にも限界がある……。それに血縁の近い海のリュウソウ族同士では、交配も難しくなっていく一方なのです」
それはリュウソウ族の村にも起きうる問題だった。しかしエイジロウたちの住む村以外にも幾つか集落はあって、それぞれが嫁あるいは婿取りをすることで異なる血を入れている。西方の村出身の祖先をもつオチャコなどは、まさしくその象徴で。
そして彼女たち海のリュウソウ族も、同じ手法を取り入れていた。
「私たち王族、そして民の中で希望する者は、貴方たちくらいの年齢になると一度陸に上がるの。配偶の相手を探すために」
「!、じゃあ、ショート殿下のお兄さんたちが陸に上がっているっていうのも……」
そのためか。女王とフユミは揃って複雑な表情を浮かべたが、それに気づく者はなかった。
「私の夫……つまりフユミとショートの父も、陸の人間だったの」
*
「お父上が……ですか?」
同じ頃、コタロウもまたショートから同じ告白を受けていた。
「ああ。あの男は……父は、"火の部族"と呼ばれる、陸のリュウソウ族の血を引く人間の一族の戦士だった──母からそう聞いている」
「女王陛下から?」
言外のコタロウの疑問を察して、ショートは皮肉げに片頬をゆがめた。同時に左手が、顔の火傷痕を独りでに撫ぜる。
「父は俺が生まれて間もなく、この海の王国を去った」
「!」
「夫は出逢ってから二百年以上、女王である私を支えてくれた。でも……ある頃から、故郷のことが気がかりになっていったようなの」
故郷に残した両親のこと、友人のこと──望郷の念を抑えられなくなった彼は、ついに海の王国を出ることになった。妻より贈られた、ひとつの宝物とともに。
「それから、一度も帰ってきてないんですか……?」
「………」
「……この海の王国を訪れたまれびとにはふたつ、守っていただかねばならない掟があるのです」
「──ひとつ、俺たちの存在を口外しない。ふたつ……この国を去るとき贈られた宝箱を、決して開けてはならない」
「……贈っておいて、開けては駄目なんですか?」
身も蓋もない──裏を返せば当然の──問いに、ショートは失笑した。確かに不合理極まりない掟かもしれない。しかしそれは、どうしても必要なことなのだ。
「"宝箱を開ければ、二度とこの地には戻ってこられない"──そう言い伝えられている。だから、ヤツが戻ってこないのは自分の意思か宝箱を開けちまったか、ふたつにひとつなんだ」
「……それは、」
だから俺は、あの男を赦さない──火傷痕に覆われたショートの左目に、憎悪の焔が揺らめくのをコタロウは見た。そしてその瞳が、母とも姉とも異なるいろでできているのも。
「──わかります、その気持ち」
「何?」
ショートの表情がよりきつくなる。確かに言葉だけなら、安易に同情しているとしか思われないだろう。
「僕も、母に捨てられましたから」
「!」
「母は
そんな母が、赦せなかった。いや今でも赦してはいない。
「なら、どうして似たような連中と一緒に旅をしてるんだ?」
私より世界を優先して、戦いに身を置いている者たち──陸のリュウソウ族が悪でないというなら、尚更コタロウにとっては受け入れがたい者たちではないのか。
「最初は成り行きでしたけど……でも、色々あって、ちゃんと見なきゃいけないと思うようになったんです。勇者ってなんなのか、彼らがなぜそうまで他人のために戦えるのか」
「………」
「でも……つまるところ、僕はあの人たちが嫌いじゃないから一緒にいるんだと思います」
「そう、か」
「ええ」
ショートの双眸から、ふっと力が抜けた。先ほどまでとは打って変わって、穏やかな表情が浮かぶ。そうしていると同性なのに思わず見惚れてしまうほど美形で……だからこそ、火傷の痕が際立つ。
「あの……失礼なこと、訊いても良いですか?」
「……内容によるが。なんだ?」
「その火傷……お父上と、何か関係があるんですか?」
"火の部族"の出身であるというショートの父。その名と火傷とが紐付くのは、無理もなかったけれど。
「ああ、これは──」
障りなく明かされた事実に、コタロウは思わず言葉を失うことになる。
*
「ふぃ〜、満腹やぁ……幸せ」
ふにゃふにゃとベッドに溶けるオチャコを見て、エイジロウとテンヤは顔を見合わせて苦笑した。
有意義なものとなった晩餐が終わり、エイジロウたちは当初目覚めた部屋に戻ってきた。ひとまずはここを居室として使わせてもらえるようだ。ショートには拒絶されるかもしれないが、やはりガチレウスとの戦いには自分たちも加わりたい──その思いを女王は受け入れてくれた。リュウソウケンとチェンジャーを返還してくれたことが、何より信頼の証だった。
「いっときはどうなることかと思ったが……あとは皆でガチレウスを倒すだけだ。がんばろう!」
「おうよ!」
笑顔で頷くエイジロウだったが──ふと、何か考え込んでいる様子のイズクが気にかかった。
「どうかしたのか、イズク?」
「!、あぁ……うん。さっきの女王陛下のお話なんだけど、ひとつ引っかかることがあって」
「陛下の旦那さん……王配殿下は、リュウソウ族の血をひく"火の部族"出身だそうだよね。それが本当なら、妙なんだ」
「妙って……何がだよ?」
「陛下が仰ってたじゃないか。二百年、自分を支えてくれたって。──王配殿下は、人間だよ?」
「それは……リュウソウ族の血をひいているのだから、寿命も長いのではないか?」
「……血ィひいてるっつっても、何十世代も前に混血したってだけのハナシだ」カツキが独りごちるように言う。「寿命も何も、フツーの人間と変わりゃしねえよ」
「!、でも現に、生きてたんでしょ……?」
「そう……だから解せないんだ」
この海の王国……あるいは海のリュウソウ族たちに、からくりがあるのではないか。考えたところで、その答が見いだせるはずもなかった。
*
既にもう眠る態勢に入りつつある客人たちに対し、女王の執務は続いていた。厳戒態勢が続いていて、ましてつい先ほど実際に襲撃があったばかりなのだ。被害状況の把握、今後の防衛体制の構築、国民の慰撫──ざっと数えても、これだけの職務を迅速にこなさねばならない。
王女と第三王子の支えがあるとはいえ、女王の華奢な双肩にのしかかるにはあまりの重圧。──こんなとき彼がいてくれたらと、どうしても思ってしまう。
──レイ、
(……エンジさん)
夫の呼び声を思い起こし、女王は静かに目を閉じた。
エンジとの出逢いは、今から250年以上も前に遡る。重傷を負った状態で浜に流れ着いた彼を、ちょうどパートナー探しのために陸へ上がっていたレイが発見したのだ。
レイは甲斐甲斐しくエンジの看病をし、三日三晩傍に寄り添った。美しい女性と、屈強な男。ふたりの若者が恋に落ちるのに、それだけの日数があれば十分で。
果たしてレイは自らが海のリュウソウ族の王女であることを打ち明け、エンジはそれを受け入れた。昏い海の底で、四人の子宝に恵まれた。──幸せ、だった。それはエンジも同じだったと思うのだけれど、彼には未練があった。
──故郷へ一度戻りたい。独り残してきた母が、心配なんだ。
そう打ち明けられて、レイは惑った。とある理由から、絶対に戻らないほうが良い。そう説得したのだけれど、その理由を言わない以上翻意させられるわけもなかった。
結局、ふたつの掟のことを伝え……宝箱を持たせて、彼を送り出した。それが永遠の別れになるかもしれないと思いながら。
それから百年以上が経つ。やはり、エンジは戻らない。摂理のうえで、それは当然のことなのだ。だって、エンジはもう──
「──!」
不意にただならぬ気配を感じて、レイは俊敏に振り返った。しかし、そこには何もない。
「……はぁ」
疲れているのだろうか……いや疲れているに決まっているのだが、ここで気を抜くわけにはいかない。最後の最後まで守護される女王という存在は、ゆえにこそ無血の戦場で血肉を費やさねばならないのだ。
再び書類に目を落として……奇妙な影が、映し出されていることに気がついた。
「お疲れっすねぇ、女王サマ?」
「!?」
声は頭上から響いた。ぎょっと顔を上げれば、天井でスライムのような粘液の塊が蠢いている。その一部がにゅっと飛び出し、キノコのような頭部を形作った。
「どうもォ、クレオンちゃんでっす!」
「ッ、ドルイドン……!」
女王とて無力ではない。習得している魔法でもって己の身を守ろうと試みたが、やはり彼女は戦士ではなかった。
「──うぅっ!?」
クレオンの身体から分泌された液体を浴びせかけられ、その一部を取り込んでしまう。それこそが、敵の狙いだったのだ。
「ハッピーバースデイ、マイナソー!!」
ばさあ、と翼が広がる。飛び散り舞う純白の羽根を綺麗だと思うほどの審美眼は、クレオンにもあった。