「あっさぶろ、あっさぶろ〜♪」
鼻歌を歌いつつ、エイジロウはおよそ十時間ぶりに露天風呂を訪れていた。まだ日の昇りきらない時間帯、朝霧のような湯けむり立つ温泉は夜とはまた異なる趣がある。仲良くなったサミダレ少年からそう聞いて、早起きして来てみたわけだが、正解だったようだ。
早速身体を流し、温泉に浸かる。程よい温かさの湯が、芯から戦い疲れた身体をほぐしてくれるような感じがする。
(そういや、傷とか病気にもよく効くんだっけか)
それでワイズルーにも狙われたという話だが、気持ちは正直わからないでもない。こんな気持ちのいいものに好きなだけ浸かれて、しかも身体にも良いとなれば、延々逗留したくなってしまう。とはいえエイジロウは皆で賑々しく入るほうが好きなので、自分だけのものにしたいとは思わないが。
今にしても、そのうち起きてきた仲間もやって来るだろう。そう思ってぐでーっと溶けていると、がらりと出入口の戸が引かれる音がした。
「お、」
仲間の誰かだと思って声をかけようとしたのだが、
「ふぁ……ねむ。まだ寝られたのに、朝風呂あるからってさあ」
「なに言ってんだよハンタ、せっかく泊まり代払ってんだぜ?入れるだけ入んなきゃ損っしょ!」
現れたのは知らないふたり組だった。顔立ちや体格からみて、ふたりともエイジロウたちと同年代──というと語弊があるが──の少年のようである。どちらもエイジロウに比べると細身だが、鍛えられたしなやかな身体つきをしていた。
と、向こうもこちらに気づいたらしい。目が合ったところで、エイジロウは笑顔で「おはようございます!!」と元気よく挨拶したのだった。
*
少し時を戻そう。
かつての本拠めがけて逃亡の道中、ワイズルーの前に現れたのは思わぬ男だった。
「キヒヒヒ……久しぶりだネェ、ワイズルー」
「き、貴様は……ゾラ!!」
漆黒の外套を纏い、目深に被ったフードの下から裂けた口を覗かせて嗤う男。"ゾラ"と呼ばれた彼はワイズルーと同じ、ドルイドンのひとりだった。
「こ、ここで何をしている?」
「へへへ……何って、ここから先はオレの領分だ。いくらオマエさんでも、断りナシに入ってもらっちゃあ、困るネェ」
「何ィ!?」
「この一帯は私が手に入れた場所だ!」と、息巻くワイズルー。率直に言ってクレオンは驚いていた。これほど余裕のない上司の姿は初めて見るのだ。
「そう言われてもネェ。オレが来たときには、ダァレもいなかったんだ……キヒヒヒッ」
「ッ、」
「ソレよりオマエさん、リュウソウジャーにやられチャッタんだろォ?」
「!!」
「何故それを」──言葉を失うワイズルーを、ゾラは黄色く濁った
「ま、どうせヤツらはここを通る……。オレに任せときなヨ、キヒヒヒッ」
「ヒィッ」
肩に回された手に力が込められ、クレオンは怯えた。
*
再び戻って、朝風呂のひと幕である。
たまたま一緒になった少年たちと、エイジロウはすっかり意気投合していた。いずれも人懐っこい性格ゆえ当然の帰結だったが、開放的な環境も手伝っているのかもしれない。裸のつきあいと言うのは、いつなんどきでも効果覿面なのだ。
「へ〜!じゃあおめェら、
エイジロウの言葉に、黄金色に稲妻のようなメッシュが入った少年が「まぁな〜」と鼻の頭を擦る。
「ハナシには聞いてたけど……俺、ホンモノの勇者見んの初めてだぜ!」
「ま、勇者っつっても旅のついでに賞金稼ぎやってるだけだけどね、俺らの場合」
ひょろりとした体躯の黒髪の少年が、皮肉っぽい口調で補足する。賞金稼ぎ──要するに、街や村を渡り歩いてはお尋ね者を逮捕したり、トラブルを解決して報酬を貰い、生計を立てているということだ。ひと口に勇者と言っても様態や動機は様々なのだということは、これまでの旅でイズクやカツキから聞かされている。
「ってか、あんたらこそ勇者じゃないの?ゆうべ見かけたとき、剣持ち歩いてたし」
「あ、あー……俺ら、辺境の村の出身でさ。そこの"騎士"ってヤツなんだ。やることは勇者とあんま変わんないけど」
完全な説明ではないものの、一応嘘はついていない。リュウソウジャーであることを隠しているわけではないが、あまり言いふらすなとカツキに釘を刺されてもいるのだ。正直、納得はしていないけれど。
「あ、っと……名前、言いそびれてたな。俺、エイジロウってんだ。よろしくな!」
「おー、俺はデンキ。で、こいつはハンタ」
「よろしく。──そういや、エイジロウたちはいつここを発つんだ?」
「このあとメシ食ったらだなぁ、残念だけど。とりあえずオウスの街ってとこ目指してんだ」
「おっ、奇遇じゃん!俺らもそこ行く予定だぜ」
「マジか!あ、じゃあさ──」
人懐こいエイジロウが"それ"を提案するのは当然の帰結であったし、似たような性格の彼らが受諾するのもまた同じだった。
──と、いうわけで。
「つーわけで、デンキとハンタが同行してくれることになりましたっ!!」
意気揚々と経緯を伝えるエイジロウの斜め後ろで、少年ふたりが「よろしく〜」とひらひら手を振る。
それに対して、
「ッッッンでだァ!!?」
案の定の反応を見せるカツキ。隣で「お、」と控えめに驚きを表したショートの声は、容易くかき消されてしまった。
「カツキくん〜……それ定番ネタにするつもりなん?」
「ネタじゃっねえわ丸顔!!──クソ髪てめェは、ワケわかんねえ馬の骨どもホイホイ引っ掛けやがって!!」
「馬の骨って……デンキとハンタだって言ったろ、カツキ」
「名前がわかりゃ良いってモンじゃねえんだよ!!」
野良猫のように毛を逆立てて威嚇するカツキを前に、一同は肩をすくめた。本当にこんな調子で、よく五十年もあてどなく旅ができたものだ。
「……ひょっとして、俺らお邪魔な感じ?」
とかくカツキがネガティブな反応を見せるものだから、存外配慮を知るデンキたちは引きはじめてしまっている。ショートの仲間入りを機にチームとしての壁がなくなったのは良いのだが、カツキひとりのために対外的な人間関係に問題が起きるのが悩みの種だった。
もっとも押し出しの良さでいえば、カツキに負けない人材はいるのだが。
「そんなことはないぞ!デンキくん、ハンタくん、道中よろしく頼む!!」
ずんずんと迫ったテンヤが笑顔で手を差し出す。これはこれで相手によっては余計に怯えさせかねないのだが、エイジロウと似たような性格のふたりであるので、一瞬戸惑った様子ながらもしっかりそれに応じてくれた。そして、カツキを抑える役目はきっちり
「そんなこと言ってかっちゃん……ちょっと目的地まで同道するくらい、ふたりで旅してた頃からあったことじゃないか」
「それで寝とる間に財布スられそうになったことあっただろーがッ!!」
「デンキくんたちはそんな人じゃないよ!……多分。とにかく、必要な用心はするし、だいたいそんなのお互い様なんだから!」
イズクとしては、旅をする以上エイジロウたちにも色々な経験をしてもらいたかった。一期一会の同行者と親しくなるのも、危機管理をするのも、実践で学んで習得していくスキルだ。騎士は戦いだけに生きるものではない。
「まぁ……今さらなんじゃないですか。異分子なら、もう僕がいるわけですし」
身も蓋もないコタロウのひと言で、カツキは舌打ちしながらも口を閉ざした。納得はしないが、多勢に無勢であるとは悟ったらしい。
ともあれデンキとハンタが同道するのはもう、確定事項となっていた。
*
『カワキソウル!──カッピカピ!!』
宿を発った一行は、再び道を乾かしながら進むことになった。そうでもしないとずぶずぶ足が沈んで歩きにくいことこのうえないのは、上陸直後に学習済みである。
「ふぃ〜……」
「お〜、スッゲーな!何それ、魔法じゃないよね!?」
「その剣、どこで売ってんの?」
「いやいや、売りもんじゃねえよ。村で選ばれた騎士だけに与えられる、特別な剣なんだ」
「へぇ〜……」
ふたりは当然、興味津々な様子である。とりわけハンタ少年は、剣のグリップに至るまでじっくりと観察しているようだった。
「へえ……その恐竜の頭みたいなアイテムを柄に挿入すると、力が使えるって感じか」
「え……あ、うん、まぁ──」
「ジロジロ見てんじゃねえ、しょうゆ顔」
「なぁ、ショートだっけ?おまえも銃使いなんだな。俺もほら、お揃い!」
「お、そうだな」
「てめェらもよろしくやってンじゃねえッ、アホ面半分野郎!!」
「かっちゃんあだ名やめて……!!」
「そうだよぉ、やめてかっちゃん〜」
「アホ面殺すぞてめェ!!」
──初っ端からこれである。なんだかなぁと呆れつつ、コタロウは手帳を取り出した。このデンキとハンタという少年たち、カツキに対しても物怖じしていない。彼らとの同行がチームにもたらす影響についても、記録しがいがありそうだと思った。
「それよりも!!……このような道、いつまで続くんだ?あまり短期間で使用しすぎると、カワキソウルが壊れてしまうぞ」
騎士竜の化石……つまり遺骸の一部から創り出されるリュウソウルだが、リュウソウケンに挿入してエネルギーを吸い出せばそれだけボディに負担がかかる。無尽蔵に使えるわけではないのだ。
「あ……うん、この先の森に入れば多少は歩きやすくなると思うよ。近くに村もあるしね」
「あー、サルカマイ村な」デンキが割り込んでくる。「そこ通りかかる頃には日が暮れるだろうし、泊めてもらうほうが良いと思うぜ」
「温泉は無いけどね」これはハンタ。
「じゃあ今日は、そこ目指してがんばる感じやね!」
「うむ、頑張ろう!!」
全体的に薄くじめりとはしているが、温暖な気候が彼らに活力を与えていた。再び歩き出す一行。──しかしその中にあって、エイジロウはふと神妙な表情を浮かべて手元を見遣った。
「エイジロウ、それは?」
「!」
ショートに覗き込まれ、我に返る。
「これ、宿出るときツユちゃんに貰ったんだ。"お守り"っつってたけど……」
それも、ただのお守りではなくて。これからの道中のことで、ツユには気がかりがあったようなのだ。
──この先の森から、不気味な気配を感じるの。それが日に日に強くなっている気がして……。
──これ、魔除けの御守りよ。邪悪なるものから、あなたたちの身体と心を守ってくれる。
──でも……どうか気をつけて、エイジロウちゃん。
「………」
「そうだな、モサレックスもさっきから妙な気配を感じてるようだ。この先、注意して進むに越したことはないかもしれねえ」
「……おう、」
既に仲間たちは随分先まで進みつつある。今はまだ、誰もその気配に気づいてはいない。実際エイジロウだって、自分自身の感覚で何かを捉えているわけではないのだ。ツユの忠告がなければ、温泉にいたときの調子で呑気におしゃべりをしていたかもしれない。
*
ただ、警戒しながらの道中は拍子抜けするほど何事もないものだった。
薄暗い森の中、奇怪な形をした木々がそこかしこから天に向かって伸びている。果たしてそれらは気候に合わせて繁茂しているようで、豊富な果実の恵みをもたらしてもいた。
「う〜ん、あまくておいひぃ!こんなんが穫り放題なんて、天国やわぁ」
それをがっつり享受する少女はもう、このチームにおいて様式美のようなものである。その横で「そうだね」と微笑みながら、イズクも緑色の果実を齧っている。気持ちを自覚した今、彼と同じものを共有できるのが何より嬉しいオチャコであった。
一方で、
「ところで、おふたりはどうして旅をなさってるんですか?」
コタロウの問いに、同行者ふたりは思わず顔を見合わせた。
「なさって、って……いちばん小さいのにずいぶん綺麗な言葉使うねぇ、きみ」
「そんな尊敬語なんか使われるほど偉くないよ、俺ら。旅してんのだって、大して動機なんてないし」
「そ。元々俺、酒場で雇われ仕事してたんだけどさ、ハンタがそこの常連で。よく駄弁ってるうちに意気投合して、どうせなら一緒に世界回ってみねえ?なんてハナシになっちゃったわけ」
「しかし、それで勇者をやっているんだろう?もののついでだとしても、困っている人々の助けになろうという姿勢は素晴らしいと俺は思うぞ!」
ストレートなテンヤの称賛に、ふたりは揃って頭を掻いた。あてもなくふたり旅をするくらい意気投合したというだけあって、彼らの所作は兄弟ではないかというくらいよく似ている。
「はは……そういや、ぼちぼち村の領内に入るぜ。あんまりギラギラしてっと追い出されちまうかもしれないから、頼むなかっちゃんくん」
「ンだその呼び方!!てめェらよりよっぽど長く旅してンだよこっちは、舐めんな」
結局デンキの言うところのギラギラは収まらないまま、一行は村へ足を踏み入れた。
「なんか、オルデラン村とは雰囲気違うなぁ……」
率直なつぶやきだった。同じく森の中にひっそりとたたずむ村落というだけあって、いちばん最初に訪れたオルデラン村をイメージしていたエイジロウたちスリーナイツである。ただ、木漏れ日に照らされのんびりとした空気に覆われていたかの村に比べ、ここはあちこちに小さな沼地ができていて、なんというか、じめりとした感じがする。時間の感覚を失わせる分厚い曇に覆われた空のせいもあるかもしれないが。
「まぁ、気候が違ければ雰囲気も変わるよ。この辺りは見ての通り湿地帯だから、水耕の農業が盛んなんだ。だから宿のごはんもそうだったけど、お米を使った料理が豊富だよ」
「ほんと!?超楽しみや……!」
「てめェはマジで食いもんのことしかねえな、丸顔」
「それがオチャコくんの力強さの所以でもあるからな!──そういえば少し気になったんだが、この村、なんだか妙な臭いがしないか?」
くんくんと鼻を動かすテンヤ。言い出したのは彼だったが、それは皆大なり小なり感じているところだった。何日も放置された動物の死肉のような、腐った臭いだ。
「………」
結果的に、それは第一の違和感と言うべきものとなった。鼻と口を手で覆いながら居住区近くにまで進んだのだが、村人がどこにも見当たらないのだ。
「どうしたんだろ、まだそんな遅い時間でもないのに……」
「つーか臭い、さっきよりきつくなってるような」
「………」
エイジロウとショートは自ずと視線をかわしあった。出立直後の会話──ツユからの忠告が想起される。彼女の感じていた不気味な気配、その真っ只中にあるのがこの村だとしたら。
「──あ、あそこに人おるやん!」
オチャコが指差した先、水田の中に農夫らしき姿があった。こちらに背を向け、一心不乱に鍬を振り下ろしている。
「あの人に訊いてみようよ!」
「そうだな!では──」テンヤが一歩踏み出し、「そこの御仁、お忙しいところ申し訳ありませんが少々よろしいでしょうか!?」
相変わらず、地面を震わせるような大声である。それでいて言葉づかいは美しく、発音もはっきりしている。エイジロウたちは既に慣れっこなのだが、デンキたちは目を剥いているようだった。
しかし一方で、男は反応を見せない。鍬を振り上げ、振り下ろす動きを規則的に続けている。
「──あの、スンマセン!!」
今度はエイジロウが負けじと大声を出した。──やはり、反応はない。
「無視たァいい度胸じゃねえか、ア゛ァ!?」
「ちょっ……やめろってかっちゃん!」
焦れたカツキを抑えるイズク。もはや様式美だが、村人に嫌われれば当然滞在はできなくなる。まあカツキにしてみれば、別に野宿でもかまわないというところなのだが。
そのとき、不意に男の動作が止まった。鍬を両手で握ったまま、ゆらりと立ち上がる。不意に、ずっと漂っていた腐臭が鼻を刺すほどに強烈なものとなった。
「ッ!──なぁ、あの男……」
ショートがその"予感"を口にしようとした瞬間、男がぐるんと
──その眼は赤く濁り、泪のような血が滴り落ちていた。