「前回までのあらすじ。サーマリオンはトウカイテイオー」
「…いきなりどうしたの?ヨルノアラシ」
「知らないのか?前回までのあらすじだ」
「知らない日本文化だ…」
本番より少し早い日英併走も既に中盤を終えつつある。
状況は変わらずサーマリオンが前、シロツメクサが後ろ。2400m想定の標準タイムから見ればかなりのハイペースの中2人は僅かなやり取りのみでお互いの領空を確保している。
この分だとゴール前の1着争いはない。どちらもがそんな駆け引きを捨て最速でのゴールを目指す極めて純度の高い競走に観衆側のボルテージが目に見えて高まっていく。
速いというだけで心が躍る。人とは、ウマ娘とは単純で難儀な生き物だ。
「だったら自分で走ればいいのに」
「…そういうわけにはいかないってこともあるよ、ヨルノアラシ」
「は?」
「君、いつもそうやって他人を威圧してるならやめた方がいい。冗談のつもりでも目がガチだよ」
「よく言われる」
「その目をやめてってば。…ヨルノアラシ、君はさっきマリオンをトウカイテイオーだと言ったね」
「ああ、言った。不満か?」
「ふふ…そうだね。浅学ながらトウカイテイオーという優駿のことは知っているよ」
「そうか。私は知らなかった」
自国のダービーウマ娘くらい知っておきなよ、と彼女は苦笑した。…やはりヴェイリフロンセは初めて会った時とは別人のように変わっている。
以前は愛国心と誇りに溢れた、いかにもな気取り屋だったのだ。それが他国のウマ娘を知り他国のウマ娘であるサーマリオンの後方彼氏面と来た。
少し、興味が湧いた。話を聞いてやることにする。
「偉大な先達に憧れ、己の運命に挑んだ奇跡にして不屈の天才、トウカイテイオー。だがマリオン、サーマリオンは…彼女と同じ運命を、既に超越している」
「…何だと?」
「君、マリオンの年齢を知っているかい?」
「その辺は公式が言及しないから二次創作でも触れづらいんだが」
「今そういうのいいから」
と促されれば答えないわけにもいかない。
「…なら知っている。一通り調べたからな」
歓声が上がる。2人が最終コーナーを回り、決着を誰もが待ち望む中、1人。
サーマリオンに。
心底楽しそうなその容貌、黄金の輝きの裏に…影を見たような気がした。
いや錯覚だ。今の彼女にそんなものは存在しない。そのように見えるほど眩い金色は。
「…
既に、ヨルノアラシでさえ想像を絶する領域で燃える、太陽なのだから。
『まだ来ないの?このまま勝っちゃうよっ!』
…速い!
おかしいくらい速い。マイラーか、それともスプリンターかと疑うほどの走りでサーマリオンは当たり前のように私の前を走っている。普通なら完全にオーバーペース。いや、ここまで速いと彼女の普段からしてもペースを外しているはずだ。
言うなればこれは、全力疾走。
走るのが楽しい奴の走り方。
しかしどれだけ速くともこのまま負けるわけにはいかない。負けたらヨルノになんかされそうだから。
『やれやれ…あの走りでは永遠に奴には勝てんな。どれ、今回は由緒正しき鍛錬方法を試してみよう。というわけでここに用意したるは大リーグウマ娘養成ギプス。全身の関節ごとに筋肉へ最大1トンの負荷をかけられる特製のバネを組み合わせた逸品となっております。さあ着ろ。そして走れ。どうした!今流行りのバニースーツも着れないほど貧相な身体のお前に一体何が着れると言うんだ!!金太郎の前掛けくらいのものだろうが!!!』
「バニーくらい着れるわぁぁぁぁ!!!!」
脳内ヨルノの挑発に乗る形で強く踏み込み最後の加速に入った。
差し切り体勢と言うよりはパワー重視の追い込み…の気持ちで仕掛ける。彼女を見るに全く消耗しておらず最後まで最高速度を維持して走り抜ける気満々なのは一目瞭然。何と言うか、漲っているのだ。エネルギー的なものが。
観衆の存在を意識して強くなるタイプ?それとも走ること自体を楽しんでいるタイプか…見るからに両方だなぁ。こういうウマ娘は強いんだよなぁ…。
…楽しい、か。
こめかみあたりがちり、と痛む。
走るのが楽しい。ほとんどの、特に競走の道を選んだウマ娘ならそれこそ誰だって楽しいだろう。最初は。
勝てるならもっと楽しい。負けるよりめちゃくちゃ楽しいのは自分の身で学習した。
でも。
負けるのは。悔しい。
それが致命傷になることはない。でも、負け続ければやがて心は腐り折れるのだ。自分の心で学習した。
だからだろうか、見ているだけで充実と高揚が伝わってくるエネルギッシュな彼女に、負け知らずの彼女に、畏敬はしても萎縮はしなかった。
勝ちたい。いや、これは…負かしたいのか。
今更の自覚に意識をフォーマットし直す。目標は…ただ勝ちたいではなく、負かす。
英国最強を負かす。悪くない。脚に力が入り踏み込みの感覚がより鮮明になる。
彼女を抜くだけでは決着にならない、ただの併走として楽しかった思い出にされるだろう。サーマリオンを負かすなら、
「…完全に!!」
叩き潰す!!!
などと。
『へぇ』
調子に乗ったがゆえに。
『速いね』
私は久方ぶりに、ヨルノアラシ以外に敗北したのだった。
「すごかったねー!あの末脚!」
「ああ…まさか『四ツ葉』のシロツメクサを寄せ付けないとは…」
「ジャパンカップ本番も楽しみだよねー!」
「ああ…本番でなら見られるかもしれんな。禁断の…『五ツ葉』が…!」
そんなものはないと言うのに。いや、さっき七ツ葉まで作ったんだった。
禁断の五ツ葉、覚醒の六ツ葉、最奥の入り口七ツ葉。
「そして究極の『万葉』に至るのだ…!」
「何の話!?」
「む、すまない。こっちの話だ」
「…私が今語ってたマリオンの生い立ちや、私が日本へ来た理由とか…聞いてた?」
「ああ、聞いていた。驚かされたし、気を惹かれもした。私が驚いたり気を惹かれることがどれだけ珍しいのかはお前も知っているだろう」
「ああ、そうだね…なら」
「その上で私はシロの勝利を疑っていない」
「…」
「初めて訳知り顔以外を見せたな」
日英併走対決の決着に湧く観衆の中で2人。
シロツメクサとヴェイリフロンセだけが口を噤んだ。
ヨルノアラシは人を嘲るのが好きだ。挑発をライフワークとし翻弄を特技とすると言ってもいい。
怒ったり気勢を崩された時の人間は実にいい顔をするものだ、と思う。
「いや全く。フランスのウマ娘たるお前が生まれも違えば育ちも違う英国のウマ娘にえらく入れ込んでいるのはどういうわけかと思ったが。その話を聞いて納得した。させられた。珍しいぞ?私が他人の言葉で意見を翻したことを認めるのは」
「…では聞くが、彼女は君にとってそうではないのかい?」
「ああ、違う。お前はサーマリオンを気に入っているだけだ。私は違う。私は、シロツメクサを唯一の存在として扱うからだ。私が評価するのはシロだけ。私を目指していいのはシロだけ。私が執着するのは、シロだけだ」
「…えっ、気持ち悪い」
向けられたのは白い目だった。
「何故だ。シロほど面白い生き物も他にいないだろう。奇跡だと言うならシロこそ地球上どんな生き物より奇跡の存在だぞ?」
「ちょっと入れ込み過ぎじゃない…?」
サーマリオンかわいさに引退延ばしたお前に言われたくない。
「ともかく、お前の野望はここで潰える。諦めてフランスへ…イギリスでもいいが、とっとと帰れ」
ここで奴の耳へ顔を近付けて囁いてやる。
「…もう、『
食いしばった歯の軋む音が聞こえた。
手は私の胸ぐらを掴みかけて止まっている。
「なんだ、つまらんな」
止まっていた。つまらないことに。
手を引く頃にはその表情も平静を装い終わっていてますますつまらない。
「ちょっと驚かされたよ。まさか君がそこまで積極的にやり返してくるとは思わなかった」
「ふん。我慢の上手い奴は何をしてもダメだ。自分の中に収めるだけでいつまでも発散を学ばない」
「…言われずとも、わかっているさ。耳の痛い挑発はやめてくれ」
「だがこれで本気で走る理由ができたな。奴を奉るのがお前の本分ではないだろう?」
「元より本気のつもりだったけどね。…いいだろう、あえてここで言葉にしていこうか」
「聞いてやる。謳ってみせろ」
「ここに宣言しよう。ジャパンカップでシロツメクサ、彼女に勝つ。そしてその後ヨルノアラシ。君を、」
引き摺り下ろしてやる、と。
そんな捨て台詞と共にヴェイリフロンセは去っていった。
さて。
私の読み通りあっさり負けたシロを嘲笑いに行くか。