ARIA The PETRICHOR 作:neo venetiatti
ARIAカンパニーをアリシアから引き継いで一年以上の時間が経過したこともあり、水無灯里は、プリマらしい姿が板についてきたのではと、通りすぎるお店のガラスウィンドウを横目でチラッと見てみるのだった。
「ちょっとはプリマらしくなってきたかなぁ。フフフフ♡」
そんなことを思いながら、灯里のプリマ二年生の夏は、少しずつ終わりへ近づいているのだと、灯里自身も感じ始めていた。
そんなときだった。
「えっと、う~ん・・・あれ?」
若い女性がひとり、観光客が行き交う通りをキョロキョロと辺りを見回しながら歩いていた。
灯里は、その女性の様子を思わず目で追っていた。
「えっと」
少し進んだかと思うと、すぐさま立ち止まり、くるっと振り返ると、また反対方向に向きを変える。
「あっ、違うか!」
「はひっ!」
その女性が方向を変える度に、ポニーテールの髪が激しく揺れ動いていた。
「なんか、ホントにお馬さんのシッポみたい」
灯里はその光景に思わずクスッと笑った。
すると、その女性とぱったり目があってしまった。
灯里は、見ていたことをごまかそうと、辺りを何気なく見回すという下手な芝居を繰り広げていた。
「ちょっと!」
「は、はい!」
「あなた!」
「はい!」
「もしかして」
「はぁ」
「ウンディーネさん」
「はぁ」
「ですよね?!」
「そうですが・・・」
ユニフォーム姿の灯里は、どこからどう見てもウンディーネにしか見えないのだが・・・
すると、その女性は灯里の目の前までつかつかとやって来た。
思わず後退りする灯里。
「なんでしょ~かぁ~~」
「ちょっと聞きたいことがあるんだけど?」
「はい」
「ここ、どこ?」
「はい?」
冗談ではなく、その女性は真剣そのものだった。
「ここは、カステッロ地区になりますが・・・」
「カステッロ?そんなところがあるんだぁ」
一部をサン・マルコ広場に面したネオ・ヴェネツィア東部のこの一帯は、高級なホテルが点在する一方で、フラッと立ち寄れるバーなどがあったりと、広大な一画を占めている。
「観光ですか?」
「あっ、私のこと?」
「はい」
「いえ、ちがうわ」
「それでは、何かお探しですか?」
「やっぱり、そんなふうに見える?」
「そう、ですね」
「やっぱりかぁ~」
その女性のあっけらかんとした表情を、灯里は目を大きく開けて見ていた。
そして、思わずクスッと微笑んだ。
「もしよろしければ、一緒にお探しいたしましょうか?」
「いいの?そんなことしてもらって」
「構わないですよ。お気になさらず、おっしゃってください」
「じゃあ、ウンディーネさんにもお願いしようかなぁ。それの方が手っ取り早いかもだし」
その女性は腕を組んで思案してたかと思うと、灯里の方に向き直ってこう言った。
「このネオ・ヴェネツィアにうっそうと茂った森があるって聞いたんだけど、どこ?」
「も、森ですか?」
「そう!なんかすごいらしいじゃない?」
その女性は冗談を言ってる様子ではなかった。
「朝からあっちこっちと探して歩いてるんだけど、見つからないんだよねぇ。なんでだろう?」
「なんでって言われましても・・・」
灯里はどう答えていいのか、思いつかなかった。
というか、そもそもなんのことを言ってるのか、想像がつかない。
「あのー、ここネオ・ヴェネツィアは、そもそもマンホームのヴェネツィアを元に再現された街なんですが、そのマンホームのヴェネツィアは、そもそも海の中の潟の上に作られたものでして、森とは縁遠いと申しましょうか・・・」
「つまり、海の中にできた街なんだから、森なんてあるわけないと?」
「そういうことになります」
その女性は、眉間にシワを寄せて、怪訝な表情になった。
「そんなことないわ!」
「で、でも」
「ウンディーネさん、あなたの情報、間違ってんじゃない?」
「いや、でも、そのぉ~~」
「だって私聞いたもん!ネオ・ヴェネツィアは数えきれないほどの木々で出来てるって!」
「数えきれないほどの木々で・・・」
灯里は、その言葉を聞いて何かを思いついたようだった。
「わかりました」
「わかったの?」
「はい。多分ご案内できると思います」
「ホントに?」
「はい!」
「さすがウンディーネさん!やっぱりウンディーネさんは、ウンディーネさんだねぇ!」
「エヘヘヘ」
「でもさぁ、朝から歩き回ってたんだけど」
「どこを歩かれてました?」
「どこって、あちこちよ。このネオ・ヴェネツィアのあちこち」
「どの辺りですか?」
「どの辺りって、何?ウンディーネさん、クイズなの?」
「いえ、そうではないんです。どんなふうに探されていたのかなぁと思いまして」
「それは当然、建物の間からとか、橋の上からとか」
「それでは見つからないんです」
「どういうこと?いったい何を言ってるの?森でしょ?森を見付けるんでしょ?」
「はい!」
その女性は灯里の屈託のない表情を、口をポカンと開けて見ていた。
灯里は、その女性と一緒に観光客の行き交う通りを歩いていた。
その騒々しい通りから、少し路地に入ると、ある工事現場に差し掛かった。
古い作りのアパートメントの一画を潰して、地面を掘り返している。
「どこに行くの、ウンディーネさん?」
「ここです」
「ええっ?」
灯里はその掘り返している穴の中を覗きこんだ。
「ご苦労様ですぅー!」
汗だくになって作業していたおじさんが、その声を聞いて振り返った。
「おおー、灯里ちゃん!久し振りだねぇー!」
「はい、お久し振りですぅ!」
「こんなところに珍しいねぇ。どうしたんだい?」
「その後どんな具合かをお聞きしたくて」
「まあ、順調といえば順調かな」
一緒に連れてきた女性は、訳がわからないといった表情で立ち尽くしていた。
「だけどさぁ、何を考えてんだろうねぇ、このネオ・ヴェネツィアってところは!」
「そうですか?」
「そうだろう?こんなことまで再現する必要あるかい?」
「おじさんには申し訳ないですけど、私はそこがいいと思ってるんです」
「そうなのかい?灯里ちゃんらしいねぇ。そんなこと思うなんてさぁ」
そばでそのやり取りを見ていた女性は、つられて思わず中を覗き込んだ。
掘り返した穴の中に、柱らしきものが見えている。
「建て替えなの?」
「建て替えというより、建て直し、かなぁ」
「へぇー」
その女性がキョトンとしている横で、灯里は作業のおじさんにお礼を言って立ち去ろうとした。
「じゃあ、次です」
「つ、次?」
「はい!」
「ちょ、ちょっと待って!今の工事現場はどういうこと?」
灯里は〈う~ん〉と思案顔で前方を見つめた。
「もう少し見て回りませんか?」
そう言われた女性は、歩き出した灯里の後ろを信じられないと言いたげな顔でついていった。
「えっと、あのー」
「ああ、わたし?アレサ。別に気を使わなくていいわ。アレサって呼んでくれて」
「じゃあ、アレサさんで」
「そんなことより、ウンディーネさん?森はどこ?森に案内してくれるんですよね?」
「ええ、もちろんですよ」
「だから」
「はい、もう少しで次に到着です」
アレサは大きなため息をついた。
今度も先ほどと同じような建物の密集したところに入っていった。
そしてその先には、また工事現場が姿を現した。
アレサは思わず目をこすって、目に前の光景を確かめた。
「おじさーん、お疲れ様ですぅ!」
アレサは、目の前の掘り返された穴を覗きこんだ灯里の姿に、あんぐりと口を開けていた。
声をかけられたおじさんは、振り返ってニヤっと笑って応えた。
「おおー、なんだ、灯里ちゃんじゃないか!久し振りだなぁー」
アレサは思わず辺りを見回した。
「ここ、さっきと違うとこだよね?」
「どんな感じですかぁ?」
「どんな感じもなにもないよ。相変わらずといった調子だなぁ」
「じゃあ、順調といったところなんですね?」
「まあ、そうとも言えるかな」
おじさんは白い歯をニヤッと見せて笑った。
「あのー、ウンディーネさん?」
「はい、なんでしょうか?」
「ウンディーネさんは、なんでそんなに工事のおじさんと仲がいいの?知り合い?」
灯里は振り返ると、ニコッと笑った。
「知り合いではありません。でも知らない間に知り合いになってました」
「何それ?」
アレサは諦めに似た表情で灯里の顔を見ていた。
だがいつの間にか、その顔には笑顔がこぼれていた。
「あなたって、なんか不思議な人だよね?」
「わたしですかぁ?」
「だってそうじゃない?森を案内するって言っといて、工事現場ばかり案内するし。それに着いて行っちゃう私も私だけど」
灯里はニコッと微笑むとまた歩きだした。
「それでウンディーネさん?さすがに次は工事現場じゃないですよね?」
「あのぉ~、それがぁ~」
灯里は、すまなさそうに肩越しに振り返った。
「うそでしょ?」
「あのぉ、ウンディーネさん?結構な距離よね?」
アレサは灯里の背中に向かって恨めしそうに声をかけた。
「スミマセン」
「しかも5ヶ所目」
「はい~」
「もういいわ。とっとと連れていって。それで終わりにしましょう」
「はい、そうなんです。次で最後なんです」
「ほんとに?」
「はい」
「じゃあ、次はいよいよネオ・ヴェネツィアの森に到着ね」
「ええ。まぁ・・・」
灯里たちは運河沿いを進んでから、また建物の密集した地域へと足を踏み入れていた。
「あのぉ、ウンディーネさん?」
先の方には、並べられた赤いコーンが、すでに視界にはっきりと見えていた。
「あの、もうちょっとのご辛抱を」
「わかったわよ。そこまで言うのなら付き合うわよ。でも、ウンディーネさん?ちゃんと聞かせてもらうからね」
「はい。それは当然です・・・」
灯里はまたもやそこにある掘り返した穴を覗きこんだ。
「また同じ光景。しかも5度目」
「あ、あの~、おじさ~ん、お元気でしょうかぁ~」
「誰?おお!灯里ちゃんじゃないか!」
「5度目のデジャビュだ」
「はひっ!」
「どんな感じかお聞きしようかと思いましてですね」
「5度目の質問」
「あ、あの~」
当然こうなると、工事のおじさんからの返事も、ほぼ同じものなのが予測できた。
アレサは小さな広場の、その中央にある小さな噴水のへりに座って、ため息をついた。
「考えたらおかしいわよね?こんなところに森なんてあるわけないし」
灯里はその少し離れた横に腰かけていた。
「あのぉー、アレサさん?」
「いいのいいの。あれでしょ?ちょっと一風変わった観光案内を考えてくれたんでしょ?私を残念がらせないための、ウンディーネさんの気遣いだったんでしょ?」
「アレサさん、違うんです」
「何が?」
「だから、本当に見ていただいたんです」
「何?どういうこと?」
「ネオ・ヴェネツィアの森を」
「ちょっと待って、ウンディーネさん?私をからかってるの?」
「違います。今日これまで見ていただいたのは、本当のネオ・ヴェネツィアの森なんです」
「ごめん。私にはウンディーネさんの言ってること、わからない。私が見たのは、工事現場ばかりだったわよ?どうしてそれがネオ・ヴェネツィアの森だっていうの?」
アレサの真剣な眼差しに、灯里はやさしくほほえみかけた。
「アレサさん、マンホームのヴェネツィアのこと、ご存知ですか?」
「聞いたことあるわ。昔は観光地として栄えていたけど、気候変動と、それに伴う水位の上昇で水没したって」
「でもそれだけが理由じゃないんです」
「他に何かあったの?」
「もともとヴェネツィアは、海の中の潟の上にできたものなんです」
「そんなこと、言ってたわね」
「最初は小さな小屋から。それが増えていって集落に。そしてついにはひとつの街にまでになったんです。でもそれは、全部、潟の上から一本一本杭を打ち付けて建てていったものなんです」
「杭を打つ?一本一本?」
「そうです。元々は争いの果てに、海へ逃げることしかできなかったひとたちが、始めたと言われています。でもそこからひとつひとつ築きあげて、ヨーロッパの航海路の要にまでなったと。王様が国の全てを決めてしまうのではなく、選挙によってみんなの代表を決めて民主的に様々なことを決定するようになったのも、ヴェネツィアが最初だったといわれています」
「そうなんだ。ヴェネツィアってスゴかったんだね」
「ヴェネツィアは、その全てが一本一本の杭で支えられていたんです」
アレサは突然、何かに気づいたように驚きの表情となった。
「ちょっと待って、ウンディーネさん!それってつまり、あの工事現場って、それってこと?」
「はい、そうなんです」
「じゃあ、あの時見えていたのは、古いアパートの柱じゃなくて」
「ネオ・ヴェネツィアを支えている杭なんです」
「そんなことって・・・」
アレサはその真実を知って、言葉にならなかった。
「アレサさんと出会った時、ネオ・ヴェネツィアが数えきれないほどのたくさんの木々でできているっておっしゃってた話、あの話はウソではなく、本当の話なんですよ」
「そうか。たくさんの木々って、そういうことなんだ」
「ネオ・ヴェネツィアを裏返すと、あら不思議!そこには森が姿を現すんです!」
「えっ、そういうことなの?」
「はい!そういうことなんです!」
「なにそれ!」
灯里とアレサはお互いの顔を見て、思わず笑い転げていた。
「でもどうして、このアクアでそんなことが必要なの?」
「それは、私も確かなことがわかってる訳じゃないのですが」
そう言って灯里は少しうつむいた。
「それは、ヴェネツィアを忘れないためだと思います」
「ヴェネツィアを忘れないため、か」
「マンホームのヴェネツィアでは、毎日どこかで杭を打ち直す工事が行われていたそうです」
「それってもしかして」
「沈んでいくからです。そのままにしておくと」
二人は最後にサン・マルコ広場まで戻ってきていた。
見上げた大鐘楼が、夕日に眩しく輝いている。
二人はその夕陽のなか、まぶしそうに目を細めて、向かい合っていた。
「ありがとう、ウンディーネさん。あんな話が聞けて、ここまで来た甲斐があった」
「私の方こそ、長々と付き合わせてしまって、申し訳ありませんでした」
「確かに、4件目の時は黙って帰ろうと思ってました!」
「ええー!そうだったんですかぁー?」
「うそうそ。でも半分はホント。だったりして」
「もうしわけないですぅ~~」
「ハハハハ!」
アレサは、まだ少し青さを上空に残している空を見上げた。
「ネオ・ヴェネツィアの森。確かにありました。でもこれは、普通に探してたんでは、絶対見つからないですね」
広場に敷き詰められた石畳を見渡すアレサの眼差しは、そこにあるはずの森の風景が、まるで見えているかのように輝いていた。
Episodio 10 眠りの森で おわり