ARIA The PETRICHOR   作:neo venetiatti

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Episodio 11 逆漕ぎクイーン

それは約二週間前のことだった。

 

急遽、姫屋のカンナレージョ支店に呼び出されたあゆみ・K・ジャスミンは、納得いかないといった表情で、エントランスに立っていた。

 

「これから仕事だっていうのに、一体お嬢は何を考えてるんだ?」

 

その呼び出した本人が、忙しくホールを横切って行った。

 

「ちょっと、お嬢!」

「あゆみ、あんた何してたの?」

「何してたのって、いつものようにトラゲットへ行くつもりで・・・」

「ああ、トラゲットね。それ、今日はキャンセルだから」

「えっ?いきなりなんなんすか?」

「だから、キャンセル」

「そんなこと急には無理じゃないすか?というより一体どうしたっていうんすか?」

「大丈夫だから。もうゴンドラ協会に連絡入れといたから」

「連絡入れといたらオーケーなんですか?」

 

あゆみは呆れ顔でその場に立ち尽くしていた。

 

「そんなことより、あんたに大事なことを頼みたいのよ」

「大事なこと?」

「そうよ。これは姫屋にとっても重要なことになるんだから、心して聞いてよね」

「ウチは、協力できることより、協力できないことの方が多いと思いますけど」

「何言ってるの?あんた、私のためなら何でもやるって言ってなかった?」

「なんとかも方便と申しましょうか・・・」

「ちょっと!口からでまかせだったていうの?」

「違います!気持ちは本当です!」

「もう!本当なんでしょうね?」

「それは本当です!」

「わかったわよ」

「ふぅ~~」

 

あゆみは思わず額の汗を右手のグローブの甲で拭いた。

 

「それで、その重要なことって一体なんすか?トラゲットを急にキャンセルしてまでのことって」

「それはね」

 

藍華は、両手を腰において、目を閉じた。

 

「出るから」

「出る?」

「そうよ」

「何に出るんですか?」

「レガッタよ」

「レガッタ?」

「私としたことが、うっかりしてたわ!最近忙しかったから、頭が回ってなかったのよね」

「いや、あの、お嬢?」

「ほら、晃さんから本店との合同研修会をやるからって言ってきたりして、ちょっと大変だったしね」

「いや、だから、お嬢?」

「急で悪いんだけど、力のありそうなウンディーネをみつくろってきてくれる?」

「ちょっと、お嬢!」

「なんなのよ!」

「なんで急にレガッタなんすか?」

「ちょっとアンタ!今頃何言ってんの?」

「今頃と言われても・・・」

「知らないの?」

「まあ、そうっすねぇ」

「ああ、頭が頭痛よ」

「なるほど」

「なるほどじゃないの!レガッタにオレンジぷらねっとが船を出すっていうの!」

「へぇ~。そうなんすか」

「あんたねぇ、この一大事に、どうしたらそんな気の抜けた返事になるわけ?」

「だって、よそはよそ、うちはうち、じゃないすか?」

「つまり何?隣んちはステーキにワインだって言ってるのに、うちはパスタだけで納得しろってこと?」

「面白いこと言うんすね」

「ちょっと!真剣に聞いてるの!」

 

 

マンホームの時代からヴェネツィア市民が一番熱狂するとされてきたイベントが歴史的レガッタ。

ヴェネツィアに伝わる美しい時代衣装を身にまとい、カナル・グランデをゴンドラで一大パレードを繰り広げる。

ハイライトは、その後に行われるゴンドラより小さめの小舟を使ってのレース。

16世紀にヨーロッパで猛威を奮ったペストの終焉を、守護神である救世主キリストに感謝したことに由来していると言われている。

海洋国家として名を馳せたヴェネツィアの全盛期を彷彿とさせるお祭りだ。

 

この歴史的イベントを、ネオ・ヴェネツィアで復活させようという計画が、以前から噂されていた。

そしてそれが本格的に始動し始めた矢先、ゴンドラ協会も協力するという話が出てきた。

 

「なんでも、マンホームのヴェネツィア建国2500年、ネオ・ヴェネツィア創設200年を記念してのことらしいのよね」

 

その時は、その話題で沸き立っていたが、しばらくして藍華の表情が険しくなる。

 

このイベントにオレンジぷらねっとが船を出すという。

 

その情報が藍華の耳に入ったのが、丁度イベントの二週間前だという訳だった。

 

藍華はすぐに晃のところに走った。

 

「ああ、その件な。お前がそうやって色めき立つのはわかっていたが、意外と遅かったなぁ」

「そ、それはですねぇ、まあ、それなりに忙しかったと言いましょうか・・・」

「まあそれはいい。それよりそのレガッタだが、うちも姫屋として船を出すつもりだ」

「そうなんですか?そりゃあそうですよ!」

「疑問なのか?賛成してるのか?どっちなんだ?」

「そんなの、賛成に決まってるじゃないですか!」

「そうだろうな」

 

晃は目を閉じてクスッと笑った。

 

「カナル・グランデで大々的に行う水上パレードだ。出さない手はない」

「えっ、晃さん?」

「なんだ?」

「それってつまり、レースの方は出ないとか・・・」

「レースはあくまでも、ネオ・ヴェネツィア市民が盛り上がるクライマックスといえるだろう?そこまでやる必要はないんじゃないか?」

「そうなんですか・・・」

「なんだ、藍華?お前、もしかして出たかったのか?」

「出たいとか、そういうことじゃなくてですね?なんていうか、そのぉ~」

「正直に言え」

「出たいです!」

 

晃は、その藍華の正直な返事に思わず吹き出してしまった。

 

「ハハハハ!」

「晃さん・・・笑うなんてヒドイです」

「すまんすまん。でも、なんでレースなんかに出たいんだ?」

「それは、あのオレンジぷらねっとの鼻をあかすためです!」

「鼻をあかす、なぁ~」

 

藍華は鼻息荒く、何というわけでもなく、空中を睨み付けていた。

 

「好きにすればいいんじゃないか?」

「晃さん!ホントですか?」

「ああ。別に反対する理由も見当たらないし」

「よっしゃあー!」

 

 

 

藍華は、勢い込んでARIAカンパニーのカウンターから店内に身を突っ込んでいた。

 

「灯里ぃー!いるぅー?」

 

だが店内は静まり返っていた。

 

「なんだ。いないんだ」

 

どうしようかと思案していた藍華は、メモをテーブルに残し、帰って行った。

 

「あれ?確かに藍華ちゃんの声がしたような・・・」

 

二階からひょっこり顔をのぞかせた灯里は、埃まみれの顔にほっかむりの手拭い姿だった。

 

「さあ、今日中に片付けを終わらせなくっちゃ!」

 

そう言って鼻のところをこすった。

鼻がすすで黒くなっていた。

 

「あれ?テーブルになんかある」

 

 

 

 

藍華は、整列した六人のウンディーネを前に、表情をキリッとさせていた。

 

もちろんその中には、あゆみの姿もあった。

 

「みんな揃った?これで全員ね」

「お嬢?ホントに出るんすか?」

「あゆみ?あんた今さら何を言ってんの?出るに決まってるでしょ?」

「やっぱりそうなんですね」

 

気乗りしないあゆみ以外のウンディーネたちは、意外にもやる気をみなぎらせていた。

 

「みんな!忙しい中、よく集まってくれたわ。本当に感謝する。いよいよ私たちの活躍する時がやってきたわ!」

「おおー!」

 

「えっ?・・・ええー!」

 

あゆみはまわりにいる他のウンディーネたちが、大きな声で応えていることに驚きを隠せなかった。

 

「そんな感じで、行くんすね・・・」

 

「みんなもわかっての通り、敵はオレンジぷらねっとただひとつ!」

「おおー!」

「そして敵の本丸は、アリス・キャロルただひとり!」

「おおー!」

 

「お嬢、ちょっと待って下さい!」

「なによ!いいところで水を差さないで!」

「違うんですよ」

「何が違うの!」

「おそらくなんですが、情報がアップデートされてないような・・・」

「情報が何?どうしたの?」

「レースの方に、アリスさんは出ません」

「そうなんだ。後輩ちゃんはレースには出ない・・・なんですとぉー!」

 

藍華は目を大きくパチクリさせて、あゆみを見つめた。

 

「それってホントなの?どういうこと?」

「こないだ久し振りにアトラと杏に会ったんですけど、ふたりがその事を言ってたから、間違いないっすよ」

「そうなの?」

「はい」

 

藍華は目を閉じ、うつむいた。

 

「お嬢?」

「ふっふっふっ」

「どうかしたんすか?」

「はっはっはっ」

「えっ?」

「あーっはっはっはっはっーー!」

「お嬢、とうとうこんなことに・・・」

「何バカなこと言ってんの?」

「大丈夫なんすか?」

「当たり前でしょ?」

「じゃあなんで」

「決まってるでしょ?これで勝ったも同然!勝利は姫屋のものよ!」

「おおー!」

 

あゆみはひとりその場でため息をついた。

 

 

 

カナル・グランデは、色とりどりの衣装に身を包んだひとたちのゴンドラやボートでいっぱいだった。

マンホームのヴェネツィアの建国とネオ・ヴェネツィアの設立を記念しての歴史的なイベントの復活に、その大きな運河の両岸は、人で溢れ返っていた。

そして水上パレードは、お祭りムードいっぱいで、大いに盛り上がっていた。

 

「さあ用意いい?」

「イエッサー!」

 

藍華の前には、今か今かと待ちわびているウンディーネたちが、鼻息を荒々しくして並んでいた。

 

「あのぉー、お嬢?」

「どうしたの、あゆみ?」

「ちょっとお腹の具合がぁ・・・」

「早くトイレいってらっしゃい!もうすぐ始まるんだからね!」

「そういうことじゃないんすけど」

 

レースに出場するチームたちの前には、すでにボートが用意されていた。

 

だが、肝心の姫屋チームの前には、まだボートが到着していない。

 

「うちらだけ、肝心のボートがないんすけど?」

「あゆみ?声が大きい!」

「どういうことなんすか?」

「戦略よ。セ・ン・リャ・ク♡」

「お嬢?」

「なに?」

「似合わないっす」

「うるさいっ!」

 

すると、そーっとボートが近づいてきた。

 

「藍華さん、用意できました」

「ありがとう。ご苦労だったわ」

「いえ、めっそうもございません」

「なんなんすか、それ?」

 

藍華の前に姿を現したボートは、他のチームのそれより明らかに小さかった。

 

「極限まで軽量化を図った姫屋特製ボート。その名は、カンナレージョ号!」

「はぁ」

「ちょっと!リアクションが薄いわよ!」

「と言われても」

「何よ!」

「これって、ズルのような気が・・・」

「ああー!聞こえない聞こえない!」

「わかりました。好きにしてください。うちは、もう何も言いませんから」

 

「そうよー!口ではなく、手を動かすのよ!みんなわかった?」

「はい!イエッサー!」

「はいはい」

 

そしていよいよ、係員からの合図がかかった。

その合図を期に、各チームがそれぞれのボートに乗り込み始めた。

 

「さあ、出陣よー!」

「イエッサー!」

「へーい!よっこらせっと」

 

姫屋のウンディーネたちが次々乗り込んでいった。

すると、ボートが不安定に、グラグラ揺れだした。

 

「や、ヤバいっすよ!」

「ちょっと、どうなってんの?」

 

藍華肝いりのカンナレージョ号は、みんなの重さに耐えかねて沈み始めた。

 

「お、降りないと沈むって!」

「駄目よ!この人数で漕ぎまくって、一気に優勝をかっさらうんだから!」

「そんなことを言ってる場合じゃないすからー!お嬢ー!」

 

藍華の力の入れようも空しく、カンナレージョ号は、カナル・グランデにお目見えすることもなく沈んでいった。

 

岸にひとり茫然と立ち尽くした藍華は、あんぐりと口を開けていた。

 

「どうするの?これじゃ姫屋の看板が台無しじゃない!」

 

岸に上がってきたウンディーネたちは、もちろんびしょ濡れ状態だった。

 

あゆみは、茫然と立ち尽くす藍華の横で、ユニフォームの裾をぎゅーっと絞っていた。

 

「お嬢?残念ですけど、諦めるしかないっすね」

「何を言ってるの?こんなの、諦められる訳ないでしょ?」

「でも、軽量化とか言って、ズルをしようとしたわけですし。なんか、その報いじゃないっすか?」

「それはそうかもしれないけど・・・」

 

そんなふたりの後ろから、聞きなれた声が話しかけてきた。

 

「藍華ちゃん、どうかしたの?」

 

そこには不思議そうな顔で灯里が立っていた。

 

「灯里、来てくれて悪いんだけど、レース出れそうにないの」

「そうなの?手紙を置いてってくれたでしょ?だから来たんだけど」

 

そう言いながら、底を見せてプカプカ浮いているボートに目が行った。

 

「ひっくり返ってるね」

「そうよ。見事にひっくり返ったってわけなの」

「なんでなの?」

「私がズルしたからよ」

「ズルしたの?」

「そうよ」

「それはよくないね」

 

藍華はその場にしゃがみこんでしまった。

 

「元気出して、藍華ちゃん」

「出しようがないわよ。ボートがこんなんじゃ」

「でもさっき、あっちでボートが余ってるって話してたけど」

「余ってる・・・そうでしょうね。余るわよね。当然・・・えっ、灯里?今なんて言った?」

「だから余ってるって、ボート」

「それよー!」

「はひっ!」

 

藍華は勢いよく立ち上がり、そのままかけていった。

 

 

ゴンドラよりも少し小さなボートが、藍華とあゆみの前で浮かんでいる。

 

「ねえ、なんで私なの?」

 

ボートの上では、オールを持たされた灯里が戸惑いの表情で立っていた。

 

「つべこべ言わずに協力して?ねえ、灯里ぃー?一生のお願いだから!」

「一生って言われても」

 

藍華がボートの手はずを終えて戻ってきた時には、チーム・カンナレージョは、すでに解散していた。

 

「なんで引き留めてくれなかったの?」

「だってお嬢?あれは誰だって終わったって思いますよ?」

 

それで白羽の矢があたったのが、なぜか灯里だった。

 

「なんで?」

「あんた、漕ぐ力だけは、人より何倍もあるじゃない?だから」

「でもなんで、これ?」

 

灯里はユニフォームはそのままに、顔にはカーニバルの仮面を被らされていた。

 

「だって、バレたらおかしいじゃない?」

「お嬢?そもそもおかしいすよ、これって」

「そうなんだけどね」

 

灯里は、その体格に似合わない大きな仮面をを被らされていた。

その姿は、どう見てもアンバランスだった。

 

「ねえ、藍華ちゃん?他になかったの?」

「あ、あのぉー、灯里さん?そこじゃないと思うんですけど・・・」

 

そうこうするうちに、レースをスタートする合図が鳴り響いた。

 

「ちょ、ちょっと待ってください、お嬢?灯里さん、ひとりなんすか?」

「もうこうなったら、破れかぶれよ!灯里!頼んだわよ!」

 

灯里がどうしようかと、周りをキョロキョロ見ていたら、そのタイミングで爆竹の音が鳴り響いた。

 

「灯里!何してんの!早く漕いで!」

 

灯里の回りのボートが次々にスタートを切っていた。

 

すると灯里は意を決したかのように、グッと腰を据えて構えだした。

 

「あんた、それで行くの?」

 

灯里は、進行方向に背を向けてグイッと漕ぎ始めた。

すると、信じられない早さで、次々と他のボートを追い抜いて行く。

 

「お嬢・・・他のボートは何人も乗ってるっすよね?灯里さんはひとりっすよ。どうなってるんすか?」

「これが水無灯里なのよ」

 

その後も次々と抜き去り続けた灯里は、最後はゴール手前で、屈強な男たちのチームを抜き去り、優勝してしまった。

 

「やった。やったわ・・・やったぁーー!」

「お嬢、あの人っていったい・・・」

 

だが、ゴールで周りから祝福を受けていた灯里は、その大きすぎる仮面のまま、あちこちに顔を向け応えていることで、どう見ても挙動不審の状態になっていた。

 

すると、仮面がポロっと落ちてしまった。

 

「あれ?あなたは確かARIAカンパニーの・・・」

 

 

 

藍華とあゆみは、急いで表彰式の場所までやって来た。

 

だが、人だかりをかき分けた先の、目の前に現れた光景に唖然と立ち尽くした。

 

「この記念すべき歴史的レガッタレースの、映えある優勝者は・・・」

 

ドラムロールが鳴り響いた。

だが、壇上には姫屋とは違うユニフォームの、素顔をさらしている、いつもの見慣れた人物が、照れ臭そうに立っていた。

 

「ARIAカンパニーの水無灯里さんです!」

 

「ちょっと、なんなの、これ・・・」

 

笑顔の灯里は、その大きな優勝トロフィーを抱き抱えていた。

 

「あっ、藍華ちゃーん!勝ったよー!」

 

「あゆみ、なんか食べたいもの、ある?」

「お、お嬢?いいんすか、あれ」

 

くるりと振り返った先では、カメラのフラッシュを受けた灯里が、満面の笑顔で大きく手を振っていた。

 

「藍華ちゃーーん!」

 

「お嬢?ビビンバ食べたいっすねぇ」

「そんなのがネオ・ヴェネツィアにあると思ってるの?」

「それがあるんですよねぇー」

「そうなの?」

「最近、なんとか流ブームがやって来たとかで、新しく出来たんすよ!」

「じゃあ、そこに行きましょう!」

 

そそくさと歩いて行くふたりの背中に、灯里は少し憮然とした表情になっていた。

 

「藍華ちゃん?これっていったい、なんだったの?」

 

 

Episodio 11 逆漕ぎクイーン  おわり

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