ARIA The PETRICHOR   作:neo venetiatti

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Episodio 12 満月のドルチェ

 

満月の夜にまた会いしましょう・・・

灯里はひとり夜の運河へと舵を切る。

なぜかはわからない。

でも、オールを持つ手が自然と動いている。

それは、自分でも不思議なくらいだった。

 

 

流れ行く風が涼やかになり、秋の到来を感じさせる季節になっていた。

晴れやかな空は、いつもより高く見えて、空気は澄みきっていた。

 

マルコ・ポーロ国際宇宙港の周辺は、サン・マルコ広場に近いことも手伝って、多くの人で賑わっていた。

宇宙港に到着すると、ホテルへ向かう観光客の多くは、ホテルが用意したボートに乗ってお目当ての宿へ向かう。

混雑する島の中を避け、外周を大きく回ってゆく経路をたどることも多い。

もうその時点で、ちょっとした観光を楽しんだような気分になる。

 

一旦腰を落ち着けたら、その後はゆっくり島内の観光にくりだす。

 

ゴンドラでの遊覧は、ネオ・ヴェネツィアを運河から眺める、最高の観光といえた。

 

ARIAカンパニーのウンディーネとしてひとり奮闘中の水無灯里は、マルコ・ポーロ国際宇宙港を横目にゆったりと、ゴンドラを進めているところだった。

 

その時だった。

 

近くをボートが勢いよく通過していった。

 

「はひっ!」

 

波を立てて進んでいったボートのせいで、ゴンドラが大きく揺らいだ。

 

「あわわわわわ~~」

 

灯里はぐっと腰をおろして、ゴンドラを安定させようと、必死にオールを動かした。

 

「ゴメン!悪い!」

 

ボートの男は、その一言を残してそのまま去っていった。

 

「お客様?お怪我はないですか?」

 

客たちに影響はないようだった。

 

「どういうこと?」

 

灯里は不満な顔で、小さくなってゆくそのボートを目で追い続けた。

 

 

 

灯里は、夕方近くになって、午前中に見たボートを見つけた。

 

「あのボート、確かにあれだ」

 

そのボートは、おしゃれなホテルで有名なアマン・カナルグランデ・ネオ・ヴェネツィアの前に停泊していた。

 

「このボートに間違いない・・・」

 

灯里は確かめるように、ゆっくりとボートの前を通過していった。

 

「あれ?もしかして、あの時の人?」

 

ボートの影から男が灯里に気がついて声をかけてきた。

 

「ああ~!やっぱりあの時の人!」

 

灯里は思わず男に向かって指を指していた。

 

「あの時はゴメン。急いでいたもので、ついあんなことになってしまって。本当に申し訳なかった」

 

男は深々と頭を下げた。

 

「まあ、そうですねぇ。特にお客様に怪我をされた方もいなかったわけですけど」

「そうだっったんだ。よかった」

「ああ~!良くはないです!」

「確かにそうだね。反省してる」

「本当ですか?」

「うん、本当」

「そうですか・・・ああ~違いますぅ~!納得している場合じゃないんです!」

「えっ?」

「えって、なんですか?」

「いや、ぷっ・・・」

「ちょっと!笑うってどういうことですか?」

「ゴメン」

「もしお客様に何かあったらどうするつもりだったんですか?」

「それはそうだ。本当に申し訳なかった。謝ります」

 

男は改めて頭を下げた。

 

「ウンディーネさん?君に迷惑をかけた分、謝りたい。何か僕に出来ることはないかなぁ?」

「出来ることと言われても・・・」

「そうだ。お腹空いてない?」

「えっ、お腹?」

「ちょっと、こっちに来れる?」

 

灯里は言われるがままに船着き場にゴンドラを停めた。

ボートのそばには、先程まで手入れをしていたのか、掃除やメンテナンスのための道具が置いてあった。

 

灯里が船着き場に降り立った時、男がボートの中からひょっこり顔を出した。

 

「これ食べない?」

 

男の手には、赤い包装紙に包まれた小さな箱があった。

 

「甘いもの好きですか、ウンディーネさん?」

「これは?」

「ウェルカムチョコレート」

「はぁ」

 

灯里はなんとなくその箱を見つめた。

 

「違うよ!」

「えっ、何がですか?」

「だから、客室からくすねたわけじゃないからね!」

「別にそんなこと思ってません」

「それならいいんだけど」

「どこから・・・」

「だから違うって!」

 

男は本気で憤慨していた。

 

「ここのオーナーが時々従業員に配るんだよ。お疲れさん、いつもありがとうって言ってね」

「そうなんですか。いいオーナーさんですね」

「うん、いい人なんだ」

 

灯里は男が差し出した、蓋のあいた箱を覗きこんだ。

 

「かわいい」

 

小さなチョコレートがいくつも寄り添うように並んでいた。

 

「女性客も多いからね。評判がいいみたい。味の方もだよ」

 

灯里はひとつつまんで食べた。

 

「おいしいー!」

「でしょ?」

 

ほほえんだ、優しそうな笑顔だった。

だから、余計に不思議に思えた。

 

「でもどうして、あんなことしたんですか?」

「あれはね、実はどうしても急がなければいけない事情があって」

 

男はチョコレートの箱を灯里に手渡すと、夕日にきらめく水面に視線を移した。

 

「プロポーズだったんだ。アクアを離れる最後の思い出に、その女性がが選んだ場所がこのホテル、アマンだった。その最後の日に、彼がやって来た。プロポーズをするためにね」

「そんなことがあったんですか」

「うん。でもボートでネオ・ヴェネツィア国際宇宙港に迎えに行った時は、彼女が出発する時間ギリギリだったんだ。僕はそんなこと知らないから、いつものように混雑を避けて、ゆっくりと島の外周を回ろうとした。でも、その彼の表情が明らかに普通じゃなかったから、話を聞いてみたんだ。そうしたら、そんな事情があったというわけ」

「だから、あんなに急いでたんですね」

「本当はボートを停めて、安全を最優先にしなければいけないことぐらい、僕だってわかっていた。それに、僕のしたことでアマンの名を汚すことになっていたかもしれない」

「でもその彼氏さんのために急いで行ったんですね」

「そう。僕はあれで良かったと思ってる」

「それで、どうなったのですか?」

「聞きたい?」

「それはもちろん聞きたいです」

 

男はにっこりと微笑んで振り返った。

 

「間に合った。彼女がちょうどこの船着き場にいたんだ。まるでタイミングを計ったようにね」

「ええー!」

「彼女もすごく驚いていたなぁ。僕はなんだかヒーローになったみたいな気分だった!」

「はひっ」

「感動的だった」

 

男は本当に嬉しそうな表情だった。

灯里は、夕日に眩しそうに微笑んでいる男の横顔を見つめていた。

 

すると不意に男と灯里の目が合った。

お互いそのまま見つめ合った。

 

一瞬の出来事だったはずなのに、時間が止まったように思えた。

 

「あの、ウンディーネさん?」

「は、はい。なんでしょうか?」

「今度改めて会ってくれませんか?」

「えっ?」

「ちゃんとしたかたちで、謝らせてください」

「あ、でも、これで十分というか・・・」

 

灯里はウェルカムチョコレートの箱を両手の手のひらに乗せていた。

 

「それはそれです」

 

 

 

灯里はARIAカンパニーに戻ると、片付けを済ませ、シャッターをおろした。

 

ふと振り返ると、テーブルの上のウェルカムチョコレートの箱が目に入った。

 

その箱を持って二階に上がると、ガラス戸を開け、テラスの手すりに寄り添うように立って、暗い夜の海をぼんやりと眺めた。

 

天上には、まあるい月が浮かんでいる。

 

「明日は満月かなぁ」

 

月明かりが、灯里のぼんやりとした顔を照らしていた。

 

灯里は、虚ろな表情のまま、チョコレートを一粒口に入れた。

 

 

 

 

忙しい時間の中、灯里は、頭の隅ではその夜のことを巡らせていた。

 

〈満月の夜に会いましょう〉

 

そのボートの男、アロンツォは、ARIAカンパニーに手紙を送ってきた。

 

灯里はどうしようか迷っていた。

 

仕事が立て込んでいた。

 

夕日に照らされたリヤルト橋をくぐると、親子四人の客とゴンドラの上で記念写真を撮った。

 

「カンパニーレ!」

 

するとそばをボートが一艘通りすぎて行った。

 

安全に考慮したゆっくりとした速度だった。

 

客を下ろすと、すでに遠ざかったボートの姿を捜していた。

 

もう時間が大分と過ぎていた。

 

灯里は、ARIAカンパニーへ戻る途中、ゴンドラを反対方向へと向けた。

 

すっかり暗くなった海を、岸辺の街灯と、舳先のランプを便りに進んでゆく。

 

アマン・カナルグランデ・ネオ・ヴェネツィアの船着き場には、灯りを灯したボートがあった。

 

もうすでに宿泊客の送迎は終わっている時間。

 

灯里がゆっくりとゴンドラを近づけてゆくと、それに気づいたアロンツォが顔を出した。

 

桟橋の反対側にゴンドラを着けると、降り立ったところに、アロンツォが立っていた。

 

「ありがとう、灯里さん。来てくれてうれしいよ。来ないんじゃないかと思ってたから」

「あっ、いえ、別に」

 

アロンツォはボートに灯里を招き入れた。

 

「灯里さんは飲める方?」

「いえ、まだ、そんなには」

 

アロンツォは、冷えたグラスに透き通ったミネラルウォーターを注いだ。

 

「今夜はお客様として、ゆっくりとくつろいでほしい」

 

灯里はそのミネラルウォーターを少しだけ口に注いだ。

 

「おいしいです」

「そう?よかった」

 

ふとボートから外に目を向けた。

 

今ようやく気づいた。

 

まんまるの月が、煌々と輝いていた。

 

灯里のその様子を、アロンツォは優しい眼差しで見つめていた。

 

月明かりに照らされた灯里の横顔は、どこまでも澄んだ水のように、そして、どこまでも優しく輝いていた。

 

「そうだ」

「どうしたんですか?」

「あのチョコレート、おいしかったです。ありがとうございました」

「それはよかった。いつでも言ってください。用意します」

「でもオーナーさんの計らいなんですよね?」

「大丈夫。オーナーは僕の親友です。いつでもオーケーなんです」

 

アロンツォは、ちょっとオーバーに言ってみせた。

 

「本当、なんですか?」

「あっ、灯里さん?信用してませんね?」

「そういうわけではないですが・・・」

 

二人は顔を見合せ、思わず笑っていた。

 

「実は今日のこと、料理長に話したら料理を用意してくれるって言って・・・」

「月」

 

灯里がポツリと呟いた。

 

「月がどうかしたんですか?」

「月って、なんだかとても引き寄せられますよね。いつまでもずっと見てられます。うれしいようで、でもなぜか切なくもさせるんです。不思議です」

「灯里さん」

 

アロンツォは、料理にかぶぜていたクロスをそのままにした。

そして、灯里に気づかれないように、そっと自分の身体で隠した。

 

「灯里さん?今夜はゆっくりできるのですか?」

「それが明日も朝から予約が入っていて、そんなにゆっくりはできないんです」

「そうなんですか」

「すみません。ご招待いただいたのに」

「そんなこと、気にしないで下さい」

「本当はお断りしようと思ってました」

「そうだったのですか?」

「ですので・・・」

「えっ?もしかして、わざわざ断るために来たとういうことですか?」

「スミマセン」

 

アロンツォは大きく目を見開いたかと思うと、笑い出した。

 

「ハハハハ!」

「そんなに笑わなくても、いいと思いますが・・・」

「灯里さん、あなたって人は、ほんとにやさしいんですね」

「そんなことはないかと~~」

 

 

灯里は、アマン・カナルグランデ・ネオ・ヴェネツィアの船着き場で、アロンツォと別れた。

 

アロンツォは、その姿が小さく見えなくなるまで、灯里を見送っていた。

 

ARIAカンパニーへの帰路の途中、灯里は、身体に力が入らなくてガックリきていた。

 

「ああ~お腹減った」

 

グゥーと鳴るお腹を押さえながら、ため息をついた。

 

「今夜はお客様としてなんて言ってたのに、ウェルカムドリンクがミネラルウォーターって、どうなんだろう?」

 

灯里は、すっかり夜となったカナルグランデを、静かに、そしてゆっくりと下っていった。

 

ふと空に輝く満月をぼんやりと見上げる。

 

〈あのままあそこにいたら、どうなってたんだろう・・・〉

 

そんな考えが、一瞬頭の中をよぎる灯里だった。

 

「ああ~おだんご食べたい」

 

 

Episodio 12 満月のドルチェ おわり

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