ARIA The PETRICHOR 作:neo venetiatti
12月に入り、ネオ・ヴェネツィアは観光のオフシーズンに入っていた。
いつもなら観光客で賑わっている街も、歩く人の姿は少なく、少しゆったりと時間が流れているようだった。
水無灯里は、午後にできた時間を利用して買い物にでかけていた。
普段立ち寄ることのできない店まで足を伸ばそうと、久しぶりにネオ・ヴェネツィアの風景を楽しんでいた。
コートの首もとにはピンク色のマフラーが巻かれている。
顔には自然と笑顔が溢れてくるようだった。
「今度のクリスマスにはアリア社長に何を買ってあげようかなぁ」
灯里は、シーズン中なら観光客で賑わっているホテル・ネオ・モナコ・グランカナルの、その静かな運河沿いの前にさしかかった。
「ちょっと、いいですか?」
灯里は声をかけられていることに気づかずに、そのままホテルの前を通過しようとしたいた。
「あの、聞こえてます?」
灯里はようやくそこで声に気づいて、あたりをキョロキョロ見回した。
「もしかして呼ばれたの、わたし?」
「そうそう、こっちこっち!」
ホテル前の運河沿いの船着き場には、何艘かのゴンドラが停まっていた。
オフシーズンとはいえ、数は期待できないが、観光客目当てのゴンドラが待機していた。
灯里は運河沿いに並ぶゴンドラに目を向けた。
ホテルの正面から少し離れたところに浮かんでいるゴンドラの上で、マフラーをぐるぐる巻きにしたウンディーネが、灯里に向かって手を振っている。
「そう!こっちですよ!」
灯里はそのゴンドラの近くまで歩いていった。
「えっと、私に何か用ですか?」
「そんな、用ですかねなんて、冷たいこと言っちゃうんだから」
そのウンディーネは人懐っこそうな笑顔で、にっこりと微笑んでみせた。
「よかったら乗ってかない?」
「わたしですか?」
「そうよ。だってどう見てもあなたしかいないじゃない?」
「まあ確かにそうですけど」
「どこ行くの?サン・マルコ広場?デュカーレ宮殿?そうか!ため息橋だ!」
「あっ、いえ、そのぉ、私は買い物にいくところでして」
「もしかして、地元の人?」
「地元といえば地元でしょうか・・・」
「なんだ。そうだったの」
そのウンディーネは残念そうな表情で空を見上げた。
上空はどんよりとした雲でおおわれている。
「じゃあ私はこれで」
「でもさあ」
「はひっ」
「たまには乗ってみるのもいいんじゃない?」
「ああ、でも、私は結構乗ってる方というか」
「結局はさぁ、移動手段てボートとかになるわけでしょ?」
「そうですが・・・」
「えっ、なに?お使いか何か?」
「久しぶりに時間ができたので」
「休暇なの?それなら尚更、たまには観光とシャレこむのもいいんじゃないの?」
「まあ、なんというか・・・」
「よし、決まりだ!」
「はぁ・・・えっ!」
灯里はゴンドラにちょこんと座っていた。
「なんでこんなことに・・・」
灯里を乗せたゴンドラは、冬の空の下、ゆっくりと進んでいた。
「お客さん?寒かったら、そこにあるコートを足に引っかけてくれていいですからね」
灯里の目の前にある座席には、大きめのコートがひとつ、無造作におかれていた。
灯里はそのコートの内側にある文字を見つけた。
「アレッタさん?」
「なんで、私の名前知ってんの?」
「コートの内側に刺繍が」
「それかぁ」
「そうだ!肝心なこと忘れてた!」
「はい?」
「行き先」
「ほんとですね」
「で、どこまで行きますか?よかったらどこか回りましょうか?」
「そうですねぇ」
「普段お仕事に追われて、観光なんてやんないんじゃないですか?」
「まあそうですね。改めて観光となると」
「でしょ?意外と大鐘楼なんて登らないもん」
「えっと、そんなことは・・・」
「それで?」
「はい?」
「いやだから、行き先」
「ああ、そうでした!」
灯里は少し思案していたが、思いきって言うことにした。
「えっと、じゃあ、ARIAカンパニーまでお願いします」
「ちょっと、お客さん?」
「はい!」
「もしかして予約取ってたりしたの?」
「予約とういうか、なんというか・・・」
「わたし、他の店のお客を取っちゃったの?しかも、あのARIAカンパニーの?」
アレッタは頭を抱える仕草をして見せた。
「うわぁ~えらいこと、しちゃったかも」
「ああ~大丈夫ですぅ~~お気になさらずぅ~~」
「ほんとに?大丈夫?」
「はい!」
「はぁ~よかった!」
アレッタは気を取り直してゴンドラを進めた。
「お客さん、ARIAカンパニーのこと、知ってます?」
「ええ、まあ多少は・・・」
「すごいですねぇ」
「まあ、それほどでも・・・」
「先代のアリシアさん」
「それは・・・確かにですぅ~」
「だってひとりでお店を切り盛りして、それなのにあの人を見ない日はないくらい、いつも観光案内してたもんね」
「ああ、それはホントに」
「うらやましいよ、ほんとに」
「そうなんですね」
「そうだよ!そりゃあ、大変だったとは思うよ。でもさあ、こんな寒空にホテル前の運河で震えながらお客さんが来るのを待ってなきゃならない自分と、何がこうも違うんだろうって、つい考えちゃうんだよねぇ」
「はぁ」
「でもね、あの人も大変じゃなかったかなぁ」
「あの人?」
「あの、アリシアさんの仕事を手伝ってた助手の人」
「助手のって・・・はっ!」
「だってさあ、ミス・パーフェクトとか水の三大妖精とか、すごい異名を持ってた訳でしょ?その人の後を受け継ぐなんて、うらやましい反面、プレッシャーがすごいと思うんですよねぇ」
「確かに、プレッシャーはひしひしと・・・」
「だけど、あの人のせいなんですよ。わたしが、ここにとどまってるのは」
「せい?わたしの?」
「お客さん?」
「ああ、いえ、なんでもないです」
「すみません、お客さん。こんな話、ベラベラしゃべっちゃって」
「いえ、そんなことないですよ。もしよかったら、もう少し聞かせてもらえないですか?」
アレッタは、灯里のその言葉に答えようか、少し考えてから話し始めた。
「実は昔、アクア中を旅して回っていたんです」
「なんかひとりで出来ること、ないかなぁなんて考えてて。昔から縛られるのが嫌で、自由でいたいなんて思ってたんです。それでこのネオ・ヴェネツィアに来たとき、話には聞いていたけど、実際には来たことなかったなぁと思って、なんか興味が出てきて。でも今から考えたら、ほんとに何にも知らなかった」
灯里は、ゴンドラ協会の次回の会合場所として予定されていたホテル・ネオ・モナコ・グランカナルに資料を受け取りにやってきていた。
出かける際に、アリシアからよーく説明を受けていた。
「灯里ちゃん?大事な資料だから、ちゃんと説明を聞いてきてね」
アリシアは、その日も朝から予約でいっぱいだったので、灯里がその代役を任されることとなったわけだった。
シングルの灯里は、練習も兼ねてゴンドラでホテルにやって来ていた。
無事にアリシアの代役を終えることができたので、少し寄り道をして帰ろうと、ホテルから出てきた時のことだった。
運河沿いの船着き場に係留していたゴンドラの前で、ひとりの女の子が立っていた。
少し大きめのコートに大きなリュックを背負っていた女の子は、ぼーっと灯里の乗ってきたゴンドラを眺めていた。
「あのー、何かご用ですか?」
灯里の問いかけに、その女の子は人差し指でゴンドラを指差した。
「これ、いいですか?」
「はい?」
「いくらですか?」
少しぶっきらぼうな態度で尋ねてきた。
「ゴンドラに乗りたいの?」
「はい」
「ごめんね。実はね」
「忙しいですか?」
「忙しいというわけではないんだけど」
「そうですよね」
「えっ?」
「そんなに忙しそうに見えないし」
「そ、そうなんだね」
灯里は思わず苦笑いでごまかしていた。
「いくらなら乗れますか?」
「だから本当にごめんね。わたし、これだから」
灯里はそう言って片方にグローブをつけた両手を見せた。
「ね?」
「怪我でもされてるんですか?」
「そうじゃないんだけど」
灯里はウンディーネに関するレクチャーをかいつまんで説明した。
「そうなんですか。知らなかったです」
「初めてなの?ネオ・ヴェネツィア」
「はい」
「じゃあ、他のウンディーネに頼んでみる?」
ホテルの前の船着き場には、観光シーズンは終わっているとはいえ、ゴンドラが数艘停まっていた。
「お金ないんです」
「そうなの?」
「一文無しというわけじゃありません。観光用のゴンドラに乗れるようなお金がないだけです」
「なるほどね」
「だからこのゴンドラだったら、安いのかなと思って」
その女の子は、灯里が普段練習用に使っている、飾りっけのないゴンドラを見てそう考えたようだった。
「お邪魔しました」
「どうするの?」
「ぶらっと歩いて、次の街へ行きます」
「旅行中なの?」
「はい。別に観光するつもりで来たわけじゃないので。なんか、ここの噂をよく耳にするので、寄ってみようと思っただけなんで」
灯里は、ぼおーっと運河を眺めるその女の子の横顔を見ていると、そのまま別れてしまうことに、なぜか残念な気持ちになってしまった。
「じゃあ、お友達ということでどうですか?」
「お友達?」
「シングルではお客様をお乗せすることはできないけど、お友達ならお金を受け取らなくて済むでしょ?」
「そんなこと、できるんですか?」
「うん、できるよ!」
灯里は笑顔満点の顔で応えていた。
「じゃあ、今日からお友達で、いい?」
「はい、お姉さんがいいなら、それで」
女の子を乗せたゴンドラは、静かに運河を出発した。
「どこか行きたいところ、ある?」
「だから初めてなんですけど」
「そうだった!ごめんね」
どんよりとした雲の下、ネオ・ヴェネツィアの街並みは、観光客もまばらな状況で、寒さがいっそう身体にこたえるようだった。
「寒くない?大丈夫?」
「大丈夫です。それよりネオ・ヴェネツィアって、こんな感じなんですか?聞いてたのと違う感じがするんですけど」
「それはね、今は観光シーズンじゃないからなんだよ」
「そうだったんだ」
「でも、こういうときのネオ・ヴェネツィアがいいって言って、この時期にわざわざやって来る人もいるんだよ」
「寒いのに?」
「そうなんだよねぇ。でも、だから人が少ないでしょ?どこも混んでないし、ゴンドラも待たなくていいしね」
「ほら、あそこ見て!」
ゴンドラはサン・ジョルジョ・マッジョーレ島が見えるところまでやって来た。
「あれ、なんですか?」
「あそこに見えるの、全部教会なんだよ!」
「そうなんだ」
「まるで海の上に浮かんでるみたいでしょ?」
その時だった。
空から雪が舞い降り始めた。
「雪だねぇ」
灯里は嬉しそうに、その空から舞い落ちる雪に手をさしのべていた。
だが、それとは反対に、灯里の前に座っている女の子は、あまり反応がなかった。
「わたし、雪が嫌いなんです」
「ご、ごめん!それじゃあ、すぐにどこかに停めるね」
「違うんです」
「えっ、違うの?」
「雪そのものが嫌いじゃなくて、雪が降るこの季節が嫌いなだけなんです」
「季節なの?」
灯里はじっと降る雪をただ見つめているだけの少女の背中を見つめた。
「寒いのが苦手とか?」
「そうじゃないんです」
「わたし、誕生日が12月26日なんです」
「クリスマスの次の日」
「そうなんです。中途半端なんです」
「そんなことないかも・・・」
「気を使ってもらわなくても大丈夫です。こればっかりは、どうしようもないですから」
「はぁ」
「だから誕生日も、クリスマスのついでだとか、新年と一緒だったりとか、なんかちゃんと祝ってもらったことがないんです」
「でも一度もってことは、さすがに」
「ないです!」
「そ、そうなんだ・・・」
「だから、あんまりいい思い出もないんです」
少女の言葉を聞いた灯里は、笑顔で思いっきり応えた。
「じゃあ、作ろうよ!」
「えっ」
「折角ネオ・ヴェネツィアに来たんだし、これも何かの縁じゃないかなぁ」
「ここに来たから、何がどう・・・」
「しかも、ほらぁ!」
ネオ・アドリア海が一面の雪景色になっていた。
辺り一面、白一色でおおわれていた。
海の上には、灯里たちの乗ったゴンドラと雪だけだった。
「こんな素敵な風景、ネオ・ヴェネツィアにいても、いつも見られるわけじゃないよ!」
「そうなんだ」
「そうだよ!これって、誕生日を祝ってもらえないっていうあなたのための、きっとサンタクロースからの贈り物なんだよ!」
「サ、サンタクロース・・・ですか」
アレッタは灯里の思いがけない言葉に唖然としていた。
「でも雪が降ったからって」
「約束する」
「何をですか?」
「きっと、いいことあるって」
「お姉さん・・・」
少女が振り返ると、そこには雪の中を進むゴンドラの上で、何か奇跡にでも出会ったかのように雪景色に心を奪われたような灯里の姿があった。
「きっと、だよ」
「あれから、探してるんです」
「何をですか?」
「だから、何かいいこと」
「ずっと?」
「もちろん」
灯里は恐縮しきりで聞いてみた。
「ちなみに、どうだったんでしょ~かぁ~?」
「うーん」
「えっ?」
「まだかなぁ」
アレッタは深く垂れ込めた雲の空を見上げた。
「あの時みたいな、奇跡のような風景は、まだ一度も経験してないんだよねぇ」
灯里は、ゴンドラ協会の12月の定例会合が行われたホテル・ネオ・モナコ・グランカナルの正面玄関を出てきたところで立ち止まった。
どんよりとした空が、いかにも降りだしそうな気配だった。
「灯里さん、アリシアさんお元気かしら?」
会合でよく顔を合わせる他店のウンディーネから声をかけられた。
「今日は来られてなかったでしょ?」
「はい。今日はスケジュールの都合が合わなくて」
「そうだったの。ウンディーネを引退されても、なかなかゆっくりとできないのねぇ」
「そうみたいです」
その時だった。
ホテルの正面から少し離れたところに係留していた灯里のゴンドラの前で、女性がひとり立っていた。
灯里はそこへ近づくにつれ、その横顔が最近出会った人物であることに気がついた。
「あの、何かご用ですか?」
その女性は、何も言わず、ぼんやりとした表情でゴンドラを指差した。
「これ、乗せてもらえますか?」
灯里は、その力ない横顔が、先日乗ったゴンドラのウンディーネとは同じ人のようには思えなかった。
「構わないですよ。どうぞ」
そう言った灯里の顔を、その女性は初めて見た。
不思議そうに眺めていた顔が、急に驚いた表情に変わった。
「あなた、もしかして」
灯里は、思い出してもらったのかと、喜んで話かけようとした。
「ARIAカンパニーの人?」
「えっ?そうですけど」
「すみません。失礼します」
そのまま歩き出した女性に灯里は声をかけた。
「アレッタさん?」
驚いて振り返ったアレッタは、目を大きく見開いていた。
「なんで私の名前、知ってるんですか?」
「アレッタさん、覚えてませんか?」
「ちょっと、待って!」
アレッタは一段と大きく目を開いていた。
そして、今度は口をポカンと開けていた。
「覚えてくれてたんですか?」
「ええ、だってこないだ、ここで乗せていただいて」
「感激です!」
「そんなふうに思っていただいて、私の方こそなんて言ったらいいのか」
「まさか、あの時の、助手さんですよね?」
灯里はポカンと口を開けていた。
「そっち、なんですね・・・」
「あのARIAカンパニーのプリマに覚えててもらえるなんて、感激です!」
「そうですね。そっちもなんですけど・・・」
灯里は、アレッタを自分のゴンドラに乗せて運河を進んでいた。
アレッタの、時々見える横顔が、先ほど再会したときよりも元気になったように見えた。
「あの時の助手さん・・・あっ、失礼しました。私なんかが馴れ馴れしく話す相手じゃなかった」
「アレッタさん、そんなに気を使わないで下さい。同じプリマ・ウンディーネじゃないですか?」
「まあ、そういえばそうなんですけども」
「でしょ?」
「えっ、でもちょっと待ってください!あなたとお会いした時、私まだ、ウンディーネじゃなかったですよね?」
「そうでした?」
灯里は、アレッタの驚いた様子にクスッと笑った。
「なんで私がウンディーネになったって知ってたんですか?」
「なんとなく、そんな感じがしただけです」
「なんとなくって・・・」
「今日はお休みだったんですか?」
「休みではないんですけど」
アレッタの声が少し沈んだように聞こえた。
「あの、ウンディーネさん?」
「水無灯里です」
「すみません。ウンディーネがウンディーネさんて呼んだりして、おかしいですよね?」
「そう、ですね」
二人は思わず笑ってしまった。
「じゃあ、灯里さん?」
「はい?」
「なんで覚えてくれてたんですか?」
灯里はちょっと間をおいて話し始めた。
「コートのお名前の刺繍です」
「なんで、そんなことまで・・・」
「先日、乗せてもらったんですよ?覚えてませんか?」
「乗せた?ゴンドラに?」
「先ほどのホテルの前で、すごく寒そうにされてました。たまには観光もいいですよーって」
「えっ、もしかしてあの時のお使いの人?うそー!」
「本当です」
「アレッタさん、私、できれば聞かせてほしいと思ったんです」
「一体どういうこと?」
「あの時、アレッタさんが旅の途中にこのネオ・ヴェネツィアに立ち寄った時、私、無邪気に言ったこと、覚えてます。思い出をここで作ればいいって」
「そんなことまで、覚えてたんですか?」
「はい。あの時、このネオ・アドリア海一面に雪が降って、とっても素晴らしい光景だったので、すごく覚えてます」
「そうだったんですか」
アレッタが少しうつむき加減になった。
そのタイミングで、灯里はゴンドラを漕ぐオールの動きを止めた。
「灯里さん、言ったんです。こんなこと、ネオ・ヴェネツィアにいてもなかなか見れないって」
「ええ」
「灯里さんは覚えてないと思いますけど、私、冬が嫌いだったって言ったんです。そうしたら、雪が降りだして。これは冬が嫌いだって言った私への、サンタクロースからの贈り物だって」
「ああ、そこは、覚えてなくてよかったんですけど~~」
灯里のリアクションにアレッタは思わず笑い出した。
「いえいえ、すごく覚えてます。それが私がここにとどまるきっかけになったんです」
「そうだったんですか?」
「その時思ったんです。もしかして、私、旅をしていたのは、思い出が欲しかったからじゃないのかって。バカに思うかもしれないですけど、この12月に思い出をちゃんと作りたかったのかも」
灯里もつられてしんみりしていた。
「わたし、ウンディーネになろうと思ったのも、あの時の灯里さんの顔が忘れられなかったからなんです」
「そうなんですか?」
「ああ、でも重く思わないでください!私にとっては、とってもいい思い出なんです」
重く横たわる雲の空を見上げながら、ゴンドラはネオ・アドリア海に到着した。
「灯里さん、今日は本当にありがとう。これで思い残すことなく旅立てそうです」
「またどこかへ行くのですか?」
「ええ。こうやって決心した日に、灯里さん、あなたに出会えるなんて、何か縁があったんでしょうか?」
「そうだったのかも知れないです・・・」
灯里はちょっとうつむいて、水面を見つめた。
「灯里さん?」
「聞いてもいいですか、アレッタさん?」
「何をですか?」
「あれからどうだったんでしょうか?」
「それを心配してくれてたんですか?」
アレッタは灯里の曇った表情を座席から振り向き、見上げていた。
「そりゃあ、いろいろありました。もちろん、思い出もね。だからまた旅に出ることにしたんです」
「そうですか」
「ただし、12月の思い出は、あれっきりでした」
「アレッタさん」
「はい?」
「もう少しだけ、お付き合いしていただいていいですか?」
「別にいいですけど」
「今度は、私からアレッタさんに贈らせてほしいものがあるんです」
灯里はゴンドラを器用に操作すると、複雑な進路をたどった。
それはまるで何かを探すように、ずっと空を追い続けていた。
「灯里さん、どうしたんです・・・」
すると、灯里はやさしく語りかけた。
「アレッタさん、両手を前に出してもらっていいですか?」
「両手をですか?」
「はい」
アレッタは、両手を揃えて前のほうに出した。
すると、アレッタの手のひらに小さな雪の粒が舞い降りてきた。
「ネオ・ヴェネツィアの初雪です」
「つまり、本当に最初の一粒っていうこと?」
アレッタはその一粒を大事そうに受け止めた。
「私がアレッタさんに贈れるものって、これくらいしかないですけど、受け取ってもらえますか?」
灯里はアレッタの背中に語りかけた。
「こんな贈り物、見たことないです。灯里さん?」
すると、次々と雪が舞い降りてきた。
ゴンドラはマルコ・ポーロ国際宇宙港そばの船着き場に停まった。
「実はマンホームに一度行ってみようと思ってます。もしかしたら、そこに自分の居場所が見つかるかもしれない」
「そうなんですか」
「そう思わせてくれたのも、灯里さんなんですよ」
「私が?」
「ええ。このネオ・ヴェネツィアで過ごした時間。それは私にとって、どこかにあるかもしれない居場所を探すべきだって」
「アレッタさん」
「また長い旅になりそうです。でも、ただ旅を続けているだけではダメなんだって思わせてくれた。灯里さんとの出会いはそれを知るきっかけになった」
アレッタは、先にゴンドラで離れるよう、灯里に言った。
オールを漕ぎながら、灯里は何度も何度も振り返った。
アレッタは、その船着き場でいつまでもいつまでも手を振り続けていた。
Episodio 14 サンタクロウスの空 おわり