ARIA The PETRICHOR 作:neo venetiatti
「ねえ、灯里?」
「なに?藍華ちゃん?」
藍華はARIAカンパニーの一階で、さっきからずっとストーブの番を続けていた。
テーブルを拭いている灯里の方には目もくれず、ストーブの赤い炎を見つめたまま、背中を丸くして座っていた。
「あのさぁ、悪いんだけどぉ~、そのシャッターをさぁ~、一度でいいからぁ~、ちょっと閉めてみない?」
藍華は恨めしそうに、広がる青い空が見えるカウンターにチラリと目を向けた。
「そんなことしたら、休んでるみたいに見える」
「灯里の言うこともわかるけど・・・」
そう言って、藍華は店内に目を向けた。
「今朝から誰も来てないわけだし」
「午後から予約のお客様が来られるの」
「えっ?来るの?こんな寒空に?」
「藍華ちゃ~ん」
藍華の驚いた顔に、灯里は思わず苦笑いになっていた。
観光のオフシーズンを向かえたネオ・ヴェネツィアは、さすがにどこの水先案内店も客足が伸びず、店によっては開店休業状態といっていいくらいだった。
街にも、観光客の姿はチラホラと見えるくらい。
その上、二、三日前からの寒波のおかげで、いっそう寒さが身に染みる状況になっていた。
「毎年この時期に来られるのが恒例になっているんだって」
「そうなの?物好きな人もいるもんねぇ」
「藍華ちゃん?仮にも姫屋カンナレージョ支店の支店長さんでしょ?そんなこと言ってもいいの?」
「わかってるわよ!そんなことぐらい!この寒さが私をおかしくさせるの!」
藍華は眉間にシワを寄せて、ストーブの赤い炎を睨み付けた。
灯里はその姿にため息をもらした。
「じゃあ、しょうがないけど、ちょっと閉めてみる?」
「えっ?いいの?」
藍華は驚いた表情で灯里の方に顔を向けた。
「だって、藍華ちゃんがそんなに言うんだったら」
「ほんとに?なんてものわかりがいいの!あんたって人は!」
「ちょっとだけだからね」
そう言って、灯里は渋々といった顔でシャッターに手をかけた。
そして、降ろす振りをして、何もせずに振り返った。
ドテっ!
「藍華ちゃん、大丈夫?」
「な、なに?どうしたの?閉めるんじゃないの?」
「うーん。やっぱりどうしようかなぁ」
「なにそれ?」
「だって、やっぱり営業中なわけだし」
今度は藍華が、諦めに似た様子でため息をついた。
「もういいわよ。そんな無理してやることじゃないわけだし・・・ブツクサブツクサ」
「藍華ちゃ~ん」
「じゃあさあ、寒さを忘れさせるようなこと、何かない?」
「寒さを忘れさせる?」
灯里は、腕を組んで考え事をするように、遠くを見つめた。
藍華はその仕草を見てパッと表情を変えた。
「あっ、ごめん。わたしが悪かった。こんなことを灯里にリクエストしたわたしがバカだった・・・」
「ほっカイロ100個!」
「あ、あのねぇ」
「しかも貼るタイプのヤツ」
「そんなの、どっちでもいいの!」
「貼れる方が何かと便利だと思うんだけど」
「何を言ってるの?だいたい100個もどこに貼るの?」
「もちろん背中とか、腰とかだと思うけど」
「そんなとこに100個もどうやって貼るっていうの?」
「じゃあお腹は?お腹は結構いいよ。からだにじわ~って感じでいいんだよ!」
「そうね。内蔵にダイレクトにくる感じがいいわよねぇ・・・って言ってる場合じゃないの!」
「結構あったかいと思うけど・・・」
「暖かいのはわかるの!そんなねぇ、100個も貼ったら火傷するくらいよ!」
「まあ、確かに」
「確かにって・・・」
藍華は近くの椅子を引き寄せて、ドッカと座り直した。
「灯里?つっこむようで悪いんだけど。大体ねぇ、100個ものカイロをどうやって用意するの?そこからして、あんたの話は無理があるっていうか・・・」
「カステッロ商店街」
「な、なに?いつの間にできたの?」
「こないだ」
「こないだってねぇ、いつのこないだなの?」
「知らない」
「もう!わかったわよ!それでなに?そこへ行ったら買えるのね?カイロ100個!」
「もうないよ」
「ど、どいうこと?」
「貼れないタイプだけ残ってた」
「貼れないタイプだと、あんた、すぐに100個買えるっていうの?なに?問屋さん?」
「無理だと思う。藍華ちゃんでは」
「どうしてそんなことが言えるの?これでも姫屋のオーナーの娘よ!いざとなったら、あんたなんかねぇ、ギャフンというくらいの・・・」
「ARIAカンパニー専用」
「専用?」
「あっ、違った。専門?」
「専門?」
「えっと、御用達?」
「無理に格上げしたしょー?」
「王室御用達」
「はいはい。確かにここは王室みたいなもんよ。グランマが初代女王で、アリシアさんはお姫様?そんであんたは・・・遠い国からやって来た、右も左もわけもわからない、王太子妃ってこと?・・・そんないいもんじゃないわね」
「マリー・アントワネット」
「知ってるじゃない?」
「エヘヘヘ」
「笑ってるけどさぁ、あんたはどちらかと言えば、マリー・アンポンネットよね」
「藍華ちゃん?」
「何よ!」
「今の、ボケたの?」
「違うの!あんたに相応しい表現をしてみただけ!」
「なんだぁ。藍華ちゃんがボケたのかと思った」
「私がボケたら何かおかしいの?」
「だってツッコミ専門でしょ?藍華ちゃんて」
「あんたねぇ、私がツッコんでるのは、あんたがボケまくるからでしょ?」
「ええ~?わたし、そんなにボケてる?」
「もういいわよ!そんなことより、そのカステッロ商店街の、どこのお店なの?」
「何が?」
「カイロ100個!それも貼れないタイプのヤツ!」
「ないよ」
「これですよ、皆さん?こんなことを、あっさりと返事しちゃうの。この人ってーのは!」
「だって、アリシアさんの昔からのお得意様だった方だもん。だからだよ」
「ちょ、ちょっと待って!それって、買えるってこと?」
「うん」
「ほんとに?」
「うん」
「あんたさっきから、うんうんて簡単に返事しちゃってるようだけど。じゃあどこよ?どこのお店?」
「だから、カステッロ商店街だって」
「そうじゃなくて、買えるお店がどこかって・・・あ、あんた、まさか、それ」
「だから、カステッロ商店街がアリシアさんのお得意様だから」
藍華は、ニッコリと優しい微笑を浮かべたアリシアの顔を思い浮かべた。
「そういうことだったのね。どうりで、灯里の顔が余裕しゃくしゃくだったわけだぁ」
「しゃくしゃく?」
藍華はうなだれるように、カックンと頭を落とした。
「つまりそれって、こないだの、ゴンドラ協会のクリスマス・チャリティーの話?」
「そうだねぇー」
「そういうことなら、わかるわ。あのアリシアさんが一声掛ければ、カステッロ商店街だろうが、カンナレージョ商店街だろうが、どこでもカイロの100個や200個なんて、造作もないことだわ」
「貼れるタイプだよ」
「全部?」
「うん」
「だから、お店には貼れないタイプばかり残ったって訳ね」
「そうだねぇ~」
灯里はそう返事しながら、なんか落ち着かない態度になっていた。
「藍華ちゃん?」
「なんか用ですか?マリー・アンポンネット様?」
「なんか暑くない?」
「どこが?どこが暑いの?一体どこのお屋敷が暑うございますか?姫?」
「なんかさっきから・・・」
灯里は、肩にかかった大きめのポンチョ・マントの背中に手を回した。
ベリッ!ベリベリッ!
「なに?なんか破けたわよ!」
「違うの」
灯里は背中からカイロをはがしてみせた。
「やっぱりカイロって、暖かいんだねぇー」
「なっ」
藍華は口をあんぐりと開けて、灯里の顔を見つめた。
「どうしたの?藍華ちゃん?」
「あんたねー!自分だけそんなもん貼っちゃって、どういうつもりっ!」
「だって、この季節って寒いでしょ?アリシアさんが、女の子は身体を冷やしちゃダメよって、カイロくれたの」
「くれた?」
「うん」
藍華は、これ以上ないくらいに大きなため息を吐き出した。
「あのさぁ、灯里?だいぶんと前から、寒いって話してたよね?言ったわよね?確か言ったはずよね?それをあんたも聞いてたわよね?どう?聞いてた?どうなの?ねえ?どう?」
「ごめんね、藍華ちゃん」
「いまさら謝ってもらっても、この時間は帰って来ないわ」
「だって、忘れてたんだもん」
「忘れてた?何を?」
「カイロ貼ってたこと」
「ああ、さいですか、さいですか!よござんしたなぁー!」
「なんか変な言い方だね」
「ちょっと、それ!貸しなさい!」
藍華は灯里の手からカイロを奪い取った。
「藍華ちゃ~ん!寒いよ~!」
「あんた、さっき暑いって言ってたでしょ?」
「そうなんだけど」
灯里は恨めしそうに藍華の手のカイロを上目遣いで見つめた。
「あんたはもう十分暖まったんだから・・・」
「どうしたの?」
藍華は、その手のカイロをぎゅーっと握りしめた。
「う~ん、もう、カチカチよ!」
「えっ?」
「もうこんなにカチカチになってる!」
「そうだね。もうタイムリミットの時間だと思う」
「なんでそこで、爆弾の赤い線と青い線と、どっちにするかで悩みまくるクライマックス・シーンみたいなこと言う?」
「藍華ちゃんなら、どっちにする?」
「わたしなら、あんたの顔に爆弾投げつけてやる!」
「ええー!なんでぇー?痛いよ?」
「そこじゃないでしょぉぉぉぉぉー?!」
藍華は、少し余裕があるからと、灯里からカイロを数枚受け取り、背中と腰に貼って満足げに表情を緩めていた。
「さすがアリシアさんのカイロねぇ。あったかさが違うわ」
「だから、それカステッロ商店街の・・・」
「もう!黙っててっ!」
「わかった」
灯里は満足そうにしている藍華の顔を、微笑んで眺めていた。
すると、どこからため息混じりの声が聞こえてきた。
「あ~あぁ~」
灯里はその声に気づいて、カウンターの方に振り返った。
「いったいぜんたい先輩方は、この押し迫った年の瀬に何をやってるんですか?」
そこには、情けなさそうな顔で、アリスがふたりの様子を眺めていた。
「アリスちゃん!」
灯里がカウンターから乗り出すようにして声をかけた。
「どうしたの?」
「どうしたもこうしたもありませんよ!カウントダウン・クルーズを控えた、この忙しい時にですよ?いったいお二人はこんなところで何をしてるんですか?」
「こんなところって、アリスちゃん?ここ、ARIAカンパニーなんだけど、一応」
「エ、エヘン!」
アリスは気まずそうに咳をしてみせた。
「なんか、わざとらしい咳ね」
「藍華先輩!そんなことどうでもいいんですぅ!カンナレージョ支店はどうしたんですか?」
「一応営業中よ」
「一応?」
「しょうがないでしょ?私がいたからって、この季節、急に客足が増えるってわけじゃないし」
「そういうことを言ってるんじゃないんです!」
「だって、そういうことなんでしょ?」
「違います!そんな格好を他の人に見せられないんです!」
「えっ?」
藍華はマントをめくって、背中にカイロを貼る位置をさぐっていた。
「だって寒いんだもん♡」
藍華は冗談っぽく、甘えてみせた。
「うぇ~」
「ちょっと、あんた!それ、どういうつもり!」
灯里はふたりの間に入って、苦笑していた。
「まあまあ、ふたりとも。でも、藍華ちゃん、ちょっとかわいい♡」
「灯里先輩!どこがですか?」
アリスはカウントダウン・クルーズまで少し時間ができたことで、ARIAカンパニーによってみようと思った。
きっと藍華のことだから、またARIAカンパニーに居座っているんだろうと予想してみたが、その予想は的中した。
アリスは常連の客から、新年を迎えるにあたってついたというお餅をもらっていた。
藍華、灯里の二人の前で広げたお餅には、きな粉と砂糖がまぶしてあった。
灯里が急いで入れたお茶を飲みながら、三人は口いっぱいにお餅を頬張っていた。
三人の口の回りには、きな粉がつきまくっていた。
「お餅って美味しいわねぇ」
「そうだねぇ」
「灯里先輩?」
「なにぃ?」
「双子のマラソン選手って、昔いましたよね?」
「そうだねぇ」
藍華はふたりの会話に喉をつまらせそうになった。
「うんぐっ。あんたたち、なに言ってるの?」
「藍華先輩、知りませんか?」
「な、なんのこと?」
「えっと、100メートル走って、確か、じゅう・・・いや、きゅう・・・」
「秒だねぇ」
「はぁ?」
藍華は呆れ顔で餅をくわえたままになっていた。
「アリスちゃん?オールって、まっすぐだよね」
「まっすぐ、ですね」
「棒だねぇ」
「ああ、なるほど」
「何がなるほどなのよ!」
「じゃあ、次は藍華先輩の番です」
「ちょ、ちょっと!なんでそんなことに私が乗らなきゃいけないの?」
「藍華ちゃん?ネオ・ヴェネツィアもいよいよカウントダウンを迎えるねぇ」
「何言ってるの?」
「それって、今日だねぇ~」
「ああ、そうだわねっ!」
藍華は残っていたお餅3つを一気に口に入れた。
「ああー!先輩ぃー!」
「藍華ちゃ~ん!」
「おいひぃわねー!モグモグ♡」
こうして、相も変わらず、三人は年の瀬を迎えていた。
ARIAカンパニーのカウンターの横にある電話には、大声で怒鳴り散らす晃の声が、離れたところにいた灯里やアリスのところまで聞こえてきたのは、言うまでもない。
「藍華ぁー!お前どこで油を売ってるんだぁー!この年の瀬に支店をほったらかしてる支店長がどこにいるんだぁーー!」
「ずび、ば、ぜん」
「なんだ?なんか食ってるのか?どういうつもりだぁー!」
灯里とアリスは、口をモグモグさせながら直立不動になっている藍華の後ろ姿を、二人してクスクス笑いながら眺めていた。
Episodio 19 AQUA -guitar solo- おわり