ARIA The PETRICHOR   作:neo venetiatti

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Episodio 02 夏便り

ネオ・ヴェネツィアは日毎に暑さが増す季節を迎えていた。

時折通り抜ける風が、半袖に衣替えとなった腕をすり抜けて行く。

 

「灯里ちゃーん!もう衣替えの季節だねぇー」

「はい!今日から夏服なんです!」

 

年配の婦人が、アパートの二階の窓からゴンドラで運河を進む灯里に声をかけてきた。

すれ違う人が、次々と灯里の夏服姿を見て声をかけてくる。

 

「まるでこの私が、ネオ・ヴェネツィアに夏の到来を知らせる便りを届けに来たみたいだねぇ」

 

「恥ずかしいセリフ禁止ー!」

 

「ええー!」

 

灯里のゴンドラの後ろには、いつの間にか藍華のゴンドラが近づいていた。

「藍華ちゃん、どうしたのー?」

「どうしたもこうしたもないわよ!」

藍華は呆れ顔になっていた。

「灯里さぁ、あんた、お客様を乗せてないからって油断してるでしょう?」

「そんなことないと思うけど・・・」

「あのさぁ、どこのウンディーネがゴンドラを漕ぎながら、〈私が夏の便りを届けてるのかしらぁ〉なんて言ってるの?しかもプリマにまでなってよ?」

「そうかなぁ」

「そりゃそうでしょ・・・」

「灯里ちゃーん!涼しそうでいいねぇー!」

通りかかった岸で作業をしているおじさんから声がかけられた。

「はいー!夏服なんですよー!」

「そりゃあ、見ればわかるっちゅうの!」

「えっ、なに?藍華ちゃん?」

「なんでもございません!ちゅーのっ!」

「はひっ!」

 

「それにしてもあんたさぁ、いつにも増して、声をかけられてるんじゃないの?」

「エヘヘヘ」

「喜んでるし、この人」

ふたりは、少し幅の広い運河までやってくると、横並びになってゴンドラを進めた。

「藍華ちゃんは、これからどうするの?」

「これから晃さんと合流して仕事よ」

「そうなのー?」

「本店と支店の合同研修会をやるの」

「大変だねぇ。それって、ちょっと緊張するね」

「緊張どころじゃないわよ。ここでヘマなんかやらかしたら、〈支店は何やってんだぁー〉ってなるわけよ」

「晃さんだぁ」

「そういうこと」

藍華はため息をひとつついた。

「じゃあそろそろ行くね」

「うん。がんばってね」

「ありがとう・・・ん?」

藍華は別の運河へと舵をきろうとしたが、前方に気になることを発見した。

 

「ゴンドラ通りまーす!」

 

交差している運河から、通過を知らせる声が聞こえた。

すると、灯里、藍華のふたりの前にゴンドラが一艘姿を現した。

 

「ちょっと灯里、あれ」

「うん、練習かなぁ」

 

片手にグローブのウンディーネ。

そして、緑色のラインが入ったユニフォーム姿。

灯里と藍華には、あまり馴染みのない存在。

 

そのウンディーネのゴンドラが、ゆっくりとふたりの目の前を通過してゆく。

 

「なんでなんだろう」

藍華が不思議そうに見ていた。

「知ってる人?」

「そうじゃなくて」

「何かへんなの?」

「だから、あの腕」

灯里はようやく藍華が言っていることに気がついた。

 

「長袖だね」

 

そのウンディーネは、気温が上昇している中、冬用の長袖のユニフォームを着ていた。

「なんでこんな暑い日にあんな姿なの?」

「ほんとだねぇ」

「なんか、怪しい」

「怪しいって、藍華ちゃん」

「例えば、なんかへんなモンが入ってるとか?」

「へんなモンて」

苦笑している灯里の横で、藍華は疑いの眼差しで見つめていた。

 

 

灯里はお客様を予定の船着き場で下ろすと、そのまま建物の密集する運河を進んで行った。

 

「大丈夫ですか?お気をしっかりと!」

 

灯里はその声に気づいて、ゴンドラを止めた。

通過しかけた細い運河の先で、人の姿が見えた。

岸で誰かが倒れていた。

そこに一艘のゴンドラとウンディーネの姿が。

灯里は急いでその場へ向かった。

 

「どうされたんですか?」

 

灯里に気がついたそのウンディーネは、汗だくの顔で振り返った。

両手で、その倒れた女性を抱き抱えている。

「私がここを通り掛かったら、この方が倒れていて・・・」

「それじゃあ、早くお医者さんのところに行かないと!」

「でもわたし、まだシングルだから、ひとりでは・・・」

そのウンディーネの片手には、まだグローブがあった。

だがそれ以上に、長袖のユニフォーム姿が印象的だった。

 

「もしかして、あのときの・・・」

 

 

「こりゃあ軽い熱中症じゃな」

診療所の医者は、ベッドのそばにいる灯里とそのウンディーネに向かって言った。

「早い段階でよかった。そう心配するほどではなさそうだ」

ベッドの上では、運び込んだ女性が、まだ苦しそうな表情ではあったが、落ち着きを取り戻していた。

「それより、お前さんの方こそ心配じゃな」

医者は、灯里の横で、額から汗を流しているウンディーネを見て言った。

「わたしの方はご心配なく。大丈夫ですので」

そのウンディーネは笑顔を見せて、その長袖の腕のところで汗をぬぐった。

 

 

「どうしてか、聞いていい?」

診療所を出たところで、灯里はそのウンディーネに話しかけた。

「これ、ですか?」

そのウンディーネは、長袖の腕を少し目の前に上げてみせた。

「笑うから、いいです」

「笑わないよ」

「だってあなた、ARIAカンパニーの人でしょ?そんな人に話してもしょうがない」

そのウンディーネは、灯里から目をそらすようにして言った。

「でもこのまま、それを着続けるつもりなの?」

「大丈夫です。去年もなんとか持ちこたえましたから」

「ええ?去年も?」

「まあ」

そう言ったウンディーネは、そのまま立ち去ろうとした。

だがその瞬間、ふらついて倒れそうになった。

「ほら、やっぱり無理だよ!診療所にもどろう?」

「それだけは出来ません」

「どうして?」

「会社に知れたら困るんです」

そう言って、日差しの照り返す地面を真剣な眼差しで見つめていた。

 

「わたし、アンジーっていいます。おそらく会社の名前を言っても、あなたは知らないと思うけど」

影になった、風の通る運河のほとりの階段に、灯里は、アンジーと名乗るウンディーネと腰かけていた。

「会社に知れたらって、どういうこと?」

「うちの会社、まだまだこれからで。だから、こんなバカやってるウンディーネなんて、かえってお荷物なんですよ」

「それなら、なんでそこまで、その長袖にこだわってるの?」

「笑わないですか?」

「うん、大丈夫。笑わないから」

「実はこれ、友人との約束なんです」

「約束?」

「はい。どちらが先にプリマになれるか。それまで、この長袖は脱がない。絶対にって」

「なんで長袖なんですか?」

「丁度秋から冬になろうとしていた時期だったんです。つまり、暖かくなるまでには間違いなくプリマになってるって、自信満々だったんです!」

灯里は、あっけらかんと話すアンジーをポカンと見つめていた。

「バカみたいでしょ?」

「なんていったらいいか・・・」

「笑ってくれて構いませんよ。こんなバカなヤツ、あなたのようなプリマのまわりにはいないでしょうから」

灯里はなんて言っていいか、返す言葉がみつからなかった。

「でもさっき、去年の夏もって言ってなかった?」

「言ってました。つまり、あれから二回目の夏ということです」

「はあ」

灯里のため息のような返事を聞いて、アンジーは目を見開いて、灯里の顔をまじまじと見つめた。

「えっと、なにか・・・」

「ぷっ」

「えっ?」

「ハハハハ!」

「ど~ゆ~ことなんでしょ~か~?」

「だって、あなたほんとにプリマなの?」

「見えないですか、プリマに」

灯里は、屈託のないアンジーの笑顔に、ばつが悪そうに苦笑していた。

「あのー」

「ナニ?」

「続き聞いてもいいですか?」

「別に構わないけど」

アンジーは後ろ手に地面に手をつくと、ぼんやりと空を見上げた。

風が通り抜けて、アンジーの前髪を揺らしていった。

そんなアンジーの、少し疲れた横顔が、灯里には気がかりだった。

「一度目の夏は、なんとか根性で乗り切れそうだった。まだあいつがいたから」

「お友達のことですか?」

「そう。お互い意地っ張りだったから。でも考えたら、それがあったからやってこれたのかもしれないけど」

「じゃあ今は違うんですか?」

「今は本当に意地だけかもしれない。もうあいつは、ここにはいないからね」

「いない・・・」

「親の事情で帰ったんだよ、故郷に」

「そうだったんですか」

「きっと悔しかったと思う。自分からは絶対に投げないやつだったから」

「それでアンジーさんは、その長袖にこだわってるのですね?」

「そうなのかなぁ。なんだか最近、わからなくなってきた。一体なんでここまでこだわってるのか、自分でも」

「約束だって」

「確かにそれはそうなんです。でもそれは、私もあいつと一緒で、投げたくないんです。ただ、それだけなんです」

アンジーは、運河からの照り返しに目を細めていた。

そこには、真剣な眼差しがあった。

「うらやましいです」

灯里はポツリとつぶやいた。

「えっ?なんで?ARIAカンパニーのプリマが、なんでわたしなんかがうらやましいの?」

「そんなにも情熱を傾けられる生き方って、素晴らしいと思います」

「なんか、そこまで言われると調子狂うっていうか」

「それに、そこまで思えるお友達がいるって・・・」

「ああ、そこまでにして下さい!照れ臭くて、穴があったら入りたい!」

アンジーは思わず膝を抱えて、顔を埋めていた。

「だから」

「はい?」

「だから、私にはまだ、本当に夏が来たようには思えないんです」

アンジーは、その長袖の腕から目だけを出して、前をじっと見つめていた。

 

 

灯里は運河の交差するところで、聞き覚えのある声を耳にして、ゴンドラを止めた。

 

観光客が運河の岸辺を多数歩いている中、通りかかったゴンドラから、明るく弾んだ声が、しっかりと灯里の耳に届いていた。

 

緑色のラインが入ったユニフォーム姿。

 

そこには、以前会った時より髪を短くしたアンジーが、自信を持った表情で観光案内をしている姿があった。

 

夏服の短い袖からは、この季節には似合わないくらいの、白い腕が伸びていた。

 

 

「アンジーさんにも、やっと夏がやって来たんですね」

 

 

タイミングはズレてしまったが、アンジーにも、やっと夏を知らせる便りが届けられていた。

 

 

Episodio 02 夏便り  おわり

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