ARIA The PETRICHOR   作:neo venetiatti

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Episodio 07 通り雨がやんだら

丁度お昼を過ぎた頃、水無灯里は、照りつける日射しに向かって手をかざし、その隙間から太陽をのぞいていた。

 

「今日も暑くなりそうですねぇ」

 

朝のうちは少し涼しい風が吹いていたものの、時間の経過とともに生暖かい風が流れるようになり、今や暑さ全開といった様子だった。

 

「ふぅ~」

 

額の汗をぬぐいながら、灯里はARIAカンパニーへと舵を切った。

 

岸ではこの暑さの中でも観光客が多く行き交っていたが、さすがに誰もがこの暑さに顔を歪めていた。

 

そんな一団のなかに、ちらほらと学生服に身を包んだ姿があった。

 

「社会見学・・・かなぁ」

 

灯里はそうつぶやきながら、マンホームのアイのことを思い浮かべていた。

 

「このネオ・ヴェネツィアに、何を見つけに来たんだろう・・・」

 

まだ幼さが残る顔たちは、まるでこの暑さを謳歌しているかように、灯里には見えた。

 

 

 

午後を境に少し客の流れが落ち着きをみせ始めた頃、灯里がマルコ・ポーロ国際宇宙港近くの船着き場で客を下ろし、再びゴンドラに乗り込もうとした時だった。

 

「あのー、ちょっと聞いてもいいですか?」

 

灯里が振り返えると、そこには学生服姿の少女が立っていた。

髪を肩まで伸ばし、その切り揃えた前髪の下の瞳は、灯里を真っ直ぐに見つめていた。

 

「どうかされましたか?」

 

灯里は優しい笑顔でその少女に応えた。

 

「なんでネオ・ヴェネツィアって、こんなに人が多いのですか?」

 

「へっ?」

 

こんな質問をされるなんて、思ってもみなかった。

 

「なんでって、それはね、えーと、多分、いや当然というか、やっぱり有名な観光地だからだと思うんだけど・・・エヘヘヘ」

 

灯里は不意を突かれたような質問に、とっさにうまく答えられなかった。

それゆえ、苦笑いで返すことしかしかできなかった。

 

「はぁ~」

「どうしたんですか?」

「なんか急に自信が・・・」

「お姉さんて、いわゆるプリマっていう人ですよね?」

「そ、そうだよ~。なんでわかったの?」

 

その少女は、灯里の手を見た。

 

「グローブを着けてないから」

「うん、そうだね」

「だから聞きたいんだけど」

「その、さっきの質問のこと?」

「はい」

 

灯里は、少し考える素振りををみせたが、すぐに微笑んでみせた。

 

「それはね、やっぱり、このネオ・ヴェネツィアが素敵なところだからだよ!」

 

「へぇー」

 

灯里はいつもの笑顔でいたが、目の前の少女は表情ひとつ変えずにいた。

 

気まずい空気が流れた。

 

「あ、あの~」

「はい?」

「通じたのかなぁ」

「ええ」

「そうなんだぁ」

「ところで」

「は、はい!」

「その素敵って、なんなんですか?」

「えーと、素敵・・・」

「街が素敵って、どういうことですか?」

「はひっ!」

 

少女から真っ直ぐな瞳を向けられて、灯里はどう答えていいか悩んでしまった。

 

「例えば・・・」

「例えば?」

「ほら、見て!」

 

灯里は振り返って、大鐘楼を見上げた。

丁度いいタイミングで鐘の音が鳴り響いた。

 

「サン・マルコ広場を象徴する大鐘楼だよ。すごいでしょ~」

「はぁ。なるほど」

 

今度はその広場に向けて手を広げた。

 

「そしてここが、かの有名なサン・マルコ広場。あのナポレオンが、世界一素晴らしい広場だと称賛したことで知られている広場だよ」

「へえー」

 

クルッポ クルッポ

 

灯里の足下には、数羽の鳩がのんびりと歩いていた。

 

「マンホームでの話だけど・・・」

「そうなんですかぁ」

 

少女の反応がどうしても薄い。

 

「ほら!あそこ見て!」

 

今度は反対に海の方を指差した。

 

「あれがサン・ジョルジョ・マッジョーレ島。あの島全体が教会なんだよ。まるで海の上に浮かんでるみたいでしょ?」

「言われてみれば」

「でしょ!」

 

灯里は満足げな表情になっていた。

 

「こんな感じですか?」

「えっ?」

 

「それくらいなら、ここへ来る前に予備知識として習いました」

「習った・・・の?」

「はい」

「そうなんだぁ」

 

灯里は残念そうに苦笑いの表情を浮かべた。

 

「でも実際に目の前で見ると、また違った印象でしょ?」

「うーん」

「でしょ?」

 

「そうでもない」

 

ガクッ

 

「ビジュアル体験の授業だと、仮想空間で再現できちゃうし」

「そうなんだぁ・・・」

 

灯里は誰が見てもわかるくらい、肩をガックリと落とした。

 

「あのぉー、プリマのお姉さん?」

「なに?」

「余計なこと、聞いちゃいました?」

「そんなことないよ~」

「そうですか?」

「もちろんだよぉ~。せっかくネオ・ヴェネツィアまで来たんだから、なんでも聞いてくれていいよ」

 

そう言って灯里は、ふと海の方に目を向けた。

そして、空へと視線を移した。

 

「来そう」

 

灯里の呟いた一言に、その少女は不思議そうに、その横顔を見つめた。

 

「えっ、なんですか?」

 

灯里は、すうっーと鼻から息を吸い込んだ。

 

「うん、もうすぐだね」

「はい?」

 

その少女は、灯里が見ていた方向に目を向けた。

 

ネオ・ヴェネツィアの空に、少し雲がかかり始めていた。

 

そしていつの間にか、少女の横にいたはずの灯里の姿がいなくなっていた。

 

驚いて振り向くと、その先に灯里はいた。

振り向いた灯里は、その少女に手招きをしている。

 

「こっちこっち」

 

少女は不思議に思いながらも、灯里の後をついていった。

 

少し歩いた先に、大きな屋根のあるお店にたどり着いた。

 

「このお店が何か・・・」

 

その少女がそう言って、そのお店を見上げていた時だった。

 

急激に空が暗くなり始めたかと思うと、ポツリポツリと大粒の雨が降りだした。

 

「ねえ、早くこっちこっち」

 

灯里に言われるがままに、その大きな屋根のひさしの下に入った。

 

その瞬間、これまでの天気がうそのように、凄い勢いで雨が降り始めた。

 

「タイミング良かったね」

「そうですね・・・」

 

少し遅れていたら、間違いなくずぶ濡れになっていた。

 

「お姉さん、なんでそんなタイミングばっちりにわかったんですか?」

「匂い」

「匂いって?」

「わからなかった?雨の匂い」

「雨の匂いですか?」

「雨が近づいて来ると、湿ったような、なんか独特の匂いが風に乗ってやってくるでしょ?」

 

少女はそんな灯里の言葉を聞きながら、街中に降り注ぐ雨の風景を眺めていた。

 

突然の雨に通りを駆け抜けてゆく人たち。

上着を頭から被っているビジネスマン。

カフェの小さな軒の下で雨宿りする女性。

花屋の店先で、買った花束を抱えながら空を見上げている若い男性。

急いで店先に並べていた商品を片付ける商店のおじさん。

 

街中が大雨から逃れようと、大慌てになっていた。

 

そして、遠くから雷鳴が響き始めていた。

 

灯里の横の少女は、その雷鳴の音に不安な表情を浮かべていた。

 

「大丈夫。じきに止むから」

 

灯里は、微笑んだ表情で雨の空を見上げていた。

 

「灯里ちゃん、中に入ったらどう?」

 

灯里たちが立っていた後ろのドアが開いて、中からその店の女性が声をかけてきた。

 

「すみません。雨宿りさせていただいてます」

「それは全然構わないよ。それにしてもすごい降り方だねぇ」

「はい。でも通り雨だと思います。じきに止むと思うんです」

「そうかい?よかったら中でゆっくりしていきなよ」

 

気さくな店主の心遣いだったが、灯里は丁重に断った。

 

すると、雨足が少しやわらいできた。

 

「ペトリコール」

 

少女がその言葉を呟いた。

 

「ペトリコール?それなに?」

「さっきお姉さんが言ってた、雨の匂いのこと」

「へぇー、そんな言葉があるんだ」

「以前、授業で雨の研究をしてる人がいるって話を聞いたことがあって、それを思い出したの」

 

「雨が降ったあと、地面から立ち上る匂い。それって、微生物か何かが関係してるって言ってたような気がする」

「そんな研究をしてる人がいるんだぁ」

「うん。でも、そんなこと、実際のことと関係ないって思ってた。お姉さんが匂いの話しなかったら、思い出してなかったかもしれない」

 

灯里は、神妙な面持ちで話す少女の横顔を、微笑んで眺めていた。

 

そんな会話をしている間に、雨は止み始めていた。

 

「ほんとですね」

「当たったね」

 

少女は灯里と目が合うと、先程まで淡々としていた顔に、はにかんだ笑みを浮かべた。

 

灯里たちは、雨宿りをさせてもらった店主の女性にお礼を言うと、雨の上がった通りを歩き出した。

すると、雲間から日射しが降り注いできた。

 

どこからか駆け出してきた子供たちが、大きな水溜まりで跳び跳ねている。

 

その水しぶきが二人のところまで飛んできた。

 

二人のそばを、花束を持った男性が笑顔で通り過ぎてゆく。

店先にまた商品を並べ始める店主のおじさん。

カフェの軒で雨宿りしていた女性は、持っていたポーチを肩にかけ直し、通りを歩き始めた。

 

雨に濡れた街の風景が、陽の光によって輝き始めた。

突然の通り雨が、ネオ・ヴェネツィアに澄んだ空気をもたらし、一層輝きを増しているようだった。

 

「ネオ・ヴェネツィアって、不思議なところですね」

「どういうこと?」

「さっきまで人ばっかりで埃っぽくて。正直いって、あまり好きじゃなかった」

「そうだったんだ」

「でも、雨が通り過ぎたあとのネオ・ヴェネツィアは、まるで違う街みたい」

「そうだねぇ。雨がすっかりきれいにしてくれたよう。まるで、街も、そして私たちも、新しく生まれかわったみたいだねぇ~」

 

少女は、灯里の満足げな表情をキョトンとした顔で眺めていたが、クスッと小さく笑った。

 

「今度もし来るときがあったら、もう少し、よ~く眺めてみようと思います」

「何を?」

「お姉さんの顔」

「えっ?」

「うそです。このネオ・ヴェネツィアですよ!」

 

少女は嬉しそうに笑った。

 

「わかった。じゃあその時は、このお姉さんに任せておいて!すみからすみまで、ネオ・ヴェネツィアを案内してあげる!」

 

少し離れたところにいた、同じ制服の集団から声をかけられた少女は、灯里に手を振って駆け出していった。

 

 

数週間後、ARIAカンパニーのドアをノックする音で表に出た灯里は、その目の前の光景に驚くことになった。

 

「いらっしゃいませ!ARIAカンパニーへようこそ!」

 

そこには黄色いワンピース姿の、ひとりの少女が立っていた。

 

「こんにちは!」

「こんにちは・・・えっと、あの」

「お姉さん、来ちゃいました!」

「来ちゃいましたって・・・えっ、ええー!」

 

そこに立っていたのは、あの通り雨のときに出会った少女だった。

 

「印象が全然違うから、わからなかった!」

「そうですか?結構女子してるでしょ?」

「ほんと、女の子らしくて、かわいい!」

 

少女は灯里の言葉に顔をピンクに染めていた。

 

「でも、そんな姿で今頃・・・そうか!夏休みだ!」

「そういうことです!」

 

はにかんだ笑顔がまぶしいくらいに輝いていた。

 

「そうだったね。また来るって言ってたもんね」

「はい!」

「でも、ごめんね。今日はこのあと、予約が入っていて、アシャンテっていうお客様が・・・」

「アシャンテ・モンテローザです。よろしくお願いします!」

「えっ?どういうこと?」

「だからぁ、私がそのアシャンテなの!」

「そうだったのぉー!」

「今日は時間がたっぷりあるので、約束通り、ネオ・ヴェネツィアの案内、すみからすみまでお願いします!」

「わかったぁー!」

「それに・・・」

 

そう言いかけたアシャンテは、肩にかけたバッグからごそごそと何かを取り出した。

 

「それに、これも用意してますから!」

 

アシャンテは、取り出した折り畳み傘を、その笑顔とともに灯里に向かって見せた。

 

 

Episodio 07 通り雨がやんだら  おわり

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