プロローグ 二人の絆、二人の始まり
チーム・アルデバラン。
数年前、トレーナーとウマ娘の二人だけで結成され、数々の記録を打ち立ててきたチームの名前だ。
トレーナーの名は、
そして彼の相棒であるウマ娘の名は――シンボリルドルフ。無敗の三冠を達成し、更にウマ娘レース史上初の七冠をも達成した、稀代の皇帝との呼び声も高い、トレセン学園の現生徒会長だ。
たった二人で始まったチームはこの数年間で新たに何人かのウマ娘を迎え、他のチームに勝るとも劣らない強豪へと急成長してきた。
そんな世間からも大きな期待を寄せられているチームに、今年も新メンバーが加わっていた。
「あ~、疲れたよう、マックイーン」
「気持ちは分りますが、しゃきっとしてくださいまし、テイオーさん」
夕陽が差し込む部室で、学園指定の制服に身を包み、髪をポニーテールで結わえ白い三日月型の前髪が特徴的なウマ娘――トウカイテイオーが、パイプ椅子に座り、長机に突っ伏すようにもたれかかっていた。
そんな彼女を、同じく制服を着て、紫色の艶やかな髪と落ち着いた物腰が特徴的なウマ娘――メジロマックイーンが注意する。
「マックイーンは平気なの?」
「疲れた、というのが正直なところですがメジロのウマ娘たる者、この程度でへこたれていられませんわ」
アルデバランのトレーニングは、他のチームと比べて幾分かハードだ。
筋力トレーニングしかり、水泳によるスタミナ強化しかり、走る際のフォームの改善しかり……。マックイーンもテイオーもこのチームに来て1ヶ月程度だったが、想像以上にハードで音を上げそうになったくらいだ。
それでもマックイーンが1ヶ月チームに居続けられたのは、何よりも「メジロ家のウマ娘である」という矜持が心の支えになったからだった。
「流石マックイーン、名家のお嬢様だね」
「当然です。そういうテイオーこそ、門限ギリギリまで自主トレしているでしょう?」
「あははー、もしかして寮長?」
「自覚があるのでしたら、あまり困らせないであげてください……」
溜め息交じりに言うと、テイオーは舌を出して手を合わせ、「ゴメン」と言ってくる。その表情が憎たらしいというよりも可愛らしいのが、彼女の良いところの一つだろう。
「まあボクも、カイチョーみたいな“無敗の三冠ウマ娘”になるって目標があるんだもん。出来ることは今のうちからやっておきたくて」
「それで無理して、身体を壊したら元も子もありませんわよ。会長さんのお話、忘れましたか?」
「ああ、カイチョーがトレーナーにすっごい怒られちゃったってやつ?」
二人がチームに入った日、武によるミーティングと身体能力を測るテストを終えた後、チームのリーダーでもあるシンボリルドルフがそれとなく教えてくれた。
無敗の三冠がかかった菊花賞の一月前、彼女は生徒会長の仕事をこなしながら門限ギリギリまでトレーニングに励んでいたのを、武に見つかったのだという。
当時の彼は、普段の温厚さからは想像出来ないほどの怒りを見せたのだとか。
その後は、ルドルフが一手に引き受けていた仕事を生徒会のメンバーが引き受けてくれるようになったこともあり、門限ギリギリに帰るということは減ったそうだ。
「ええ。私には天皇賞連覇というメジロ家の悲願がありますが、無理が祟ってケガをしてしまっては、トレーナーさんに申し訳が立ちませんわ」
「そうだねえ。ボクも、ケガしちゃったら無敗の三冠どころじゃないし」
「でしたら」
「ダイジョーブ! 別に毎日やってるわけじゃないし。勉強の方でも一番取りたいもん、カイチョーみたいに!」
「まったく、あなたって人は……」
兎に角ルドルフのことが好きなテイオーだが、それもまた彼女の良いところだと思いながら、マックイーンは苦笑を浮かべる。
憧れの人のようになりたくてきちんと努力を積み重ねているテイオーのことは、それほど嫌いではないしむしろ好ましく思う。彼女ならば、本当に無敗の三冠を達成するのも夢ではないだろう。
「さて、私はこのまま寮に帰ろうと思うのですが、テイオーさんはどうしますの?」
自分のカバンに荷物を入れ、忘れ物がないか確認してからロッカーを締めつつ聞くと、テイオーは何か思いついたように告げた。
「ねえ、マックイーン。トレーナーとカイチョーと言えばなんだけどさ――」
「本当に良いんですの? テイオーさん」
すっかり日が落ちかかり、薄暗くなった学園の校舎内を歩きながらマックイーンは、前を歩くテイオーに声をかけた。
「でも、マックイーンも気になるからついてきたんでしょ?」
「それは確かに……気になりますが……」
「でしょ? だって
チーム練習が終わった後、特別な用事でもない限り武とルドルフは二人で連れ立って、校舎に戻っていくことが多い。“とある事情”もあって、テイオーは以前から気になっていたらしい。
ただ自分自身の夢や、デビューが少しずつ迫っていることもあってトレーニングに専念していたため、確かめようという発想が出てこなかったのだとか。
「人のプライベートを勝手に覗き込むのは、あまり気乗りしないのですが」
テイオーの行動力には戸惑わされるばかりだが、マックイーンも確かに二人の様子は気になるというのが正直なところだった。
口では色々言いながら歩みを止めないマックイーンを見て、テイオーは喜色を浮かべて無邪気に笑う。
「ダイジョーブ、バレなきゃ覗きじゃないから」
「言い方が犯罪っぽいですわ!?」
一路生徒会室に向かった二人は中に人がいないのを確認してから、武のトレーナー室へ向かった。
教員塔の廊下を進んでいくと、一つの部屋から灯りが漏れているのが見えた。
マックイーンとテイオーは互いに目配せをして、部屋へと近づいていく。
ドアは曇り窓ガラス付きの引き戸だったが、幸か不幸か僅かに開いていて、隙間から中を覗き込むことが出来た。
「ふむ。ということは、二人とも長距離を視野に入れた中距離路線で行く、ということかな?」
「ああ。特にマックイーンは、ステイヤーとしての適性が見込まれるし、テイオーも足捌きは目に見えて優秀だね。強くなるよ、あの子たちは」
視線の先に見えるソファーに二人並んで座り、座面ほどの高さのテーブルに置いた資料を見下ろしながら議論する男女の姿があった。
先に話していた、鹿毛でロングヘア―の、テイオーに似た白くて長い三日月型の前髪で制服姿のウマ娘が、“皇帝”シンボリルドルフ。その隣の黒髪を短く切り、白いTシャツと茶色の長ズボンというかなりラフな格好で優しげな眼をした男性が、マックイーンたちチーム・アルデバランのトレーナー、白井武だ。
「ねえねえ、ボクたちのこと話してるよ」
二人にバレないように声を抑えて、テイオーが話しかけてくる。
「期待、されてますわね。ですが今はそれよりも――」
「うん――」
マックイーンとテイオーは、今のやり取りを見て自分たちへの評価よりも気になることがあった。それは――――。
「二人ともなんか近くない?」
「自然に肩を寄せ合ってますわね。それもぴったりと……」
真面目な議論をしながら、仲睦まじげに互いの肩をぴったりと密着させている、期待の若手トレーナーと皇帝の姿だった。
「ぶーぶー。ボクもあんな風に、カイチョーに構ってほしい!」
「き、気にするのはそこですの……?」
テイオーとしては、二人が見るからにいい雰囲気でいることよりも、ルドルフと密着している武のことが羨ましいようだ。
「マックイーンはどうなの?」
「どう、と言われましても……」
改めて、室内にいる二人の方を見る。
先ほどから肩を寄せ合っているのもそうだが、時折視線を通わせた二人の表情が、トレーニング中に見たときよりも柔らかく見えた。顔を寄せ合っている瞬間もあって、ふとした瞬間に頬に口づけくらいはしてしまいそうな――。
「いけません、いけませんわ……!」
そこまで想像してしまって、マックイーンはブンブンと首を振る。
今まで走ることに専念してきて恋愛ごととは縁遠かった彼女には、少しばかり刺激が強かった。
「マックイーン、顔赤いよ?」
マックイーンの考えていたことを知る由もないテイオーは、首を傾げて顔を覗きこんでくる。
「み、見ないでくださいまし!! ――あ」
恥ずかしさのあまり思わず声を上げてしまってから、マックイーンは硬直する。傍にしゃがみこんでいたテイオーも、「しまった」と言わんばかりの顔をしていた。
恐る恐る、トレーナー室の方に視線を向けると……。
「……二人とも、入ってきたらどうかな?」
気恥ずかしそうにしながら、努めて平静を保っている様子のルドルフがマックイーンたちのことを見ていた。
部屋に通されたマックイーンとテイオーは、武とルドルフの対面に置かれたソファーに腰掛けていた。
武とルドルフはというと、部屋を覗き込んでいたときとは違い、ほんの少し間を空けて座っていた。それでもマックイーンからは、普段練習で見かける二人の距離感よりも些か近いように見えた。
気まずい沈黙が流れる中、最初に口火を切ったのは武だった。
「二人とも、どの辺から見てた?」
「その、私たちの適性距離のお話をされていた辺りからですわ」
「……割と見られてたな」
マックイーンの話を聞いて、武は視線を逸らし、頬をかく。
「二人とも、ほんとに仲良しなんだね。いいなあトレーナー。カイチョーとあんなにくっついて」
「いや、それはその……」
テイオーの無邪気な発言に、武は返答に窮しているようだった。あまり恋愛というものをよく知らないらしいテイオーに、どう答えたものか困ってしまうのも無理はない。
とはいえマックイーンも恋愛経験は無いので、人のことは言えなかった。
「やはり、去年の“記者会見”は本当だった、ということですわね」
「――ああ、あの会見か。君も見ていたんだね、マックイーン」
「ええ。会長さんが去年の有マ記念を制し、七冠を達成した数日後の記者会見。あの発表には本当に驚かされましたわ」
「そーそー。カイチョーとトレーナーが付き合ってたーって皆大騒ぎだったよね」
昨年末、都内のホテルで行われた記者会見で行われた、チーム・アルデバランのトレーナー白井武と無敗の七冠ウマ娘シンボリルドルフの交際発表は、世間を騒がせていた。
週刊誌各社は事前に情報を掴めておらず、他のメディア各社にも寝耳に水のような話であったため、テレビや新聞、ネットといったあらゆる場所で混乱が見られた事件だ。
「もしかしてテイオーたちが覗きに来たのって、それが理由?」
「うん。だってカイチョーとトレーナー、皆がいるところだとさっきみたいにくっついてなかったもん。本当にお付き合いっていうの、してるのかなーって。でしょ、マックイーン」
「私も最初はそんなつもりではなかったのですが……。テイオーさんの言うことにも一理あると思いまして……」
「あー、なるほど……」
テイオーとマックイーンの話を聞いて、武は納得がいったかのように頷いた。
「その辺りは、世間に公表する前からの名残……みたいなものだな」
「私とた……トレーナー君が、ウマ娘と担当トレーナーという関係である以上、メリハリは付けないといけないからな。特に衆目に晒される状況下では」
「人目も憚らずいちゃつきなんてしたら、ルドルフ自身の走りにも、他のウマ娘たちの走りにも影響が出かねない。ルドルフは“皇帝”でもあるから、影響は尚更大きくなる」
「ですから、表では普通に接していたと。トレーナーとその担当ウマ娘として」
武とルドルフの話を聞いて、マックイーンは合点がいく。確かに時と場所を弁えなければ、ウマ娘たちのコンディションへの影響はどうなるか分かったものではないだろう。そのことを鑑みての対応だった、ということか。
それはそれとしてルドルフが一瞬言葉に詰まったのは気になるが、話の腰を折ってしまいそうなので、あえてこの場は流すことにする。
「ああ。“皇帝”が恋愛にうつつを抜かしている、などと言われてしまえば、後輩たちにも示しがつかないだろう?」
「確かに、そのとおりかもしれませんわね……」
そこまで考えて対応していたということに、内心驚かされる。
トレーナーとウマ娘が恋愛関係になったという話は前例のない話ではないが、ルドルフの場合は別だ。
“皇帝”の異名を持ち、無敗の三冠を成し遂げ、その後も七冠を手にするなど、ウマ娘の世界において影響力は大きく、熱心なファンも多い。下手な対応を取ってしまえば、大変なことになっていたのは想像に難くなかった。
「ねーねー。カイチョーはトレーナーのどんなところが好きなの?」
難しい話は飽きた、と言わんばかりに横からテイオーがルドルフに直球で投げかける。
そんなテイオーを見てルドルフは咎めるのではなく、優しく微笑えんだ。
「――そうだな。常に私と同じ視座をもって隣に立っていてくれるところ……だな」
「それでカイチョーは、心臓がきゅーってなったの?」
「それだけではないが……。一言で表すのは難しいな……。例えば――そうだな。トレーナー君が私に初めて告白してくれたときは、今まで経験したことがないほど心臓が高鳴ったな」
「へえー! そうなんだ!」
当時のことを思い出しているのか、頬を染めるルドルフに、テイオーは目をきらきらと光らせて前のめりになっていた。
「よく覚えてるな、ルドルフ」
「当然だ。忘れたくても忘れられないよ、あの時の君の言葉は。『一生、君を支えたい。君の隣にいたい』、なんて言われてしまってはな。断るわけがないだろう」
「……出来れば一言一句まで覚えていてほしくはなかったなぁ」
耳まで赤くなり、武は自分の顔を覆ってしまっていた。余程恥ずかしかったのだろう。
マックイーンも、その気持ちは分らなくもない。聞いている方まで、顔が熱くなってきてしまうくらいのセリフだった。
「告白どころか、プロポーズですわね完全に」
「ああ。私も彼に惹かれていた時期だったからね、一も二もなく受け入れてしまったよ」
そう言って笑うルドルフの顔は、心底幸せそうだった。
「トレーナーさんはどうなんですの?」
「お、俺か?」
マックイーンに話を振られ、武は顔を覆っていた手を下ろす。
「ええ。トレーナーさんはその、会長さんのどんなところがす、好きなんですの?」
口にするにはまだ恥ずかしかったが、ルドルフの話を聞いた以上、武の話も聞いてみたいと思い、マックイーンは勇気を出して問いかける。
武はまだ耳を赤くしたまま、頬をかいた。
「好きなところか……。沢山あるけど、特に好きなのは走ってるときの姿だな」
「分かる! カイチョー、走ってるときカッコいいもんね!」
「確かに、カッコいいよな。けどそれ以上に、“綺麗だ”って思うんだ。初めてルドルフの走りを見たときから」
テイオーの合いの手を肯定しつつ、武は視線を上に向けて、思い出すようなしぐさを見せる。
「綺麗、ですか」
「ああ。あの力強くも、滑るようなあの走り。最後の直線でのあの加速……。一目惚れだったよ」
「ふふ、私に告白してくれたときも、言っていたな」
ルドルフの走りは、マックイーンもテレビやレース場で実際に見たことがある。
中距離長距離問わず、先行して走ることもあれば後方からの差し、他のウマ娘が動き出したときも焦らず耐える冷静さ。そして最後の直線で、完膚なきまでに勝利するその姿――。
まさに、“皇帝”の名に相応しい走りだった。
「へえ~。他には他には?」
「ちょっと、テイオー」
武の言葉に、うんうんと頷きながら食い入るように話を聞こうとするテイオーを窘める。
「もちろんあるよ。外見だと紫色の瞳とか、綺麗に手入れされてる髪や尻尾とか、大人びた声とか。中身で言うと、常にウマ娘たちのことを慮っているところとか、レースに対する想いの強さとか」
「うんうん! それでそれで?」
「外行きだとすごく威風堂々としてるけど、ほんとは皆の輪に混ざりたいところとか、気を許した相手にはちょっと茶目っ気が出てくるところとか――」
「トレーナー君、そろそろその辺で……」
テイオーがあまりにも興味津々に聞いて話しやすかったのか、武の口から次々とルドルフへの想いが出てくる。
恥ずかしそうに止めにかかるルドルフを見ながら、武は語りだすと止まらなくなるクセがあると以前彼女が教えてくれたことを思い出し、マックイーンは苦笑していた。
「――あとはそうだな。ルドルフが歌う歌はどれも好きなんだが、俺が特に好きなのはうま――」
「トレーナー君!」
武が何かを口にしようとした瞬間、ルドルフが慌てた素振りで彼の口を手で塞ぐ。
突然の行動に、テイオーが小首を傾げて聞いた。
「うま……何?」
「うま……?」
その単語が頭の隅に引っ掛かり、マックイーンは思案する。
ウマ娘が歌うのは、プライベートでのカラオケや特別に何か活動をしていなければ、ウイニングライブのはずだ。そこで歌われる曲も、お約束のパターンが多い。
「Winning the soul」であれば皐月賞、日本ダービー、菊花賞のクラシック三冠、「NEXT FRONTIER」であれば天皇賞の春と秋や有馬記念、といった具合だ。しかしそれらを含めた、ウイニングライブに使われる曲には、「うま」という単語が入る曲はなかったはずだった。
「いや、それはその、まだ未発表の曲なんだ。色々な事情があってね。そのうち、皆も歌うことになると思うが――」
「何なの、カイチョー? その曲って」
「私も気になりますわ」
「それは、そのだな……」
マックイーンとテイオーにじっと見つめられて、何故かルドルフは視線を宙に漂わせる。あの皇帝がこれほど慌てるとは、余程重要な新曲なのか、それとも他に何か聞かれたくない理由でもあるのか。けれど武が「好き」と言っている以上、気になるものは気になる。
「――う……」
「「う?」」
「……『うまぴょい伝説』」
恥ずかしそうに俯きながらルドルフが呟いた曲名に、マックイーンとテイオーは首を傾げた。
いや、聞いたことがない曲だから首を傾げるのは当然だが、それを抜きにしてもルドルフがここまで羞恥の表情をしているのが、マックイーンには解せなかった。ウイニングライブでは堂々と歌っていた彼女に、ここまで感情を露わにさせる曲とは、いったい何なのか。
「去年には出来上がっていた曲なんだが、試しに歌ったのをトレーナー君に聞いてもらったところ……。失神してしまってね」
「し、失神ですか?」
「――そのぐらい良かったんだ、ルドルフのうまぴょいは」
「う、うまぴょい……?」
ルドルフに手を放してもらい、ようやく話せるようになった武の言葉に、マックイーンは困惑する。
ルドルフは兎も角、武の言っていることが全くの意味不明で、容量を得ていない。
「トレーナー、それってどういうことなの? ボク全然分かんないんだけど」
「まあそうだよな。何というかな、滅茶苦茶可愛いかったんだよ」
「カイチョーが?」
「そうなんだよ。ルドルフはどんな曲も歌いこなせる凄い子だけど、あの曲は特別な振り付けがあってさ。そのときの表情があまりにも可愛くて可愛くて。危うく心臓が持っていかれそうになったというか――」
またもやエンジンに火が付いたかのように、武は凄い勢いで話し出す。
練習のときは真面目に指導してくれていたトレーナーの別の一面に、マックイーンは面食らってしまった。
この人が本当に、若くして皇帝シンボリルドルフと共に七冠を達成し、チーム・アルデバランを強豪に押し上げた、白井武なのか。
「ト、トレーナー君、二人とも困っているようだが」
「――っと、すまん。スイッチが入ると、どうにも語りたくなってさ。だからどうか、そこまで引かないでくれると嬉しいんだけど……」
隣に目をやると、テイオーも困ったように苦笑いをして、マックイーンを見ていた。
流石のテイオーも、あの勢いは手に余ったらしい。
「い、いえ、こちらこそ。それだけトレーナーさんが会長さんのことを思っていらっしゃるのは、十分伝わってきましたから。私にも、覚えがあることですし……」
「そ、それは良かった……」
マックイーン自身、好きなもののことになると自分では気持ちが抑えられなくなることがある。それ故、武のことを責めることは出来ない。
「あははー。それぐらい、カイチョーとトレーナーはソーシソーアイってやつなんだね」
「テイオー、意味は分かっていますの?」
「互いのことを思いやって、すっごく好き同士ってことだよね!」
「間違っては……いないですわね」
本当にテイオーが言葉の意味を理解出来ているのかは疑問だったが、あえて突っ込むことはしないことにする。純粋で天真爛漫なのは、彼女の良さの一つだとマックイーンは思う。
余計なことを言って傷つけてしまうぐらいなら、何も言わない方がいいこともあるだろう。
「そうだな。相思相愛……。確かに私とトレーナー君の関係には、その言葉が相応しいと思うよ」
「俺も同じだ、ルドルフ」
「トレーナー君……」
武とルドルフが、お互いの顔を近づけて見つめ合う。
「……おほん」
目の前でいい雰囲気になり始めた二人に咳払いをして、マックイーンは自分の存在をアピールすると、武たちはハッとした表情で姿勢を正した。
「す、すまない」
「い、いえ。お気になさらず……」
お互いを思っていれば、二人だけの世界に入ってしまうことも致し方ないと割り切れる。ただ、目の前でいちゃつかれるとマックイーンとしては対応に困ってしまうというだけで。
――決して、その場で口づけをするんじゃないかと考えてしまったわけではない。断じて。
「マックイーン? どうしたの、そんなに首をブンブン振って」
怪訝そうな顔をするテイオーに覗き込まれて、マックイーンはもう一度咳払いをして居住まいを正す。
「しっ、失礼いたしました。お二人が思い合っていることは、十分すぎるほど伝わってきましたわ」
「うんうん! ボクも、トレーナーとカイチョーが本当に付き合ってるんだって確かめられて、良かったよ!」
「これで君たちの疑いを晴らせたというのなら、恥を忍んだ甲斐があるよ」
照れたように笑って、ルドルフは頬をかく。
これで、常日頃思っていることの疑問は解消出来た。テイオーが言い出したことではあるが、彼女と一緒に来ていなければ、確かめようにも確かめられなかったかもしれない。
武とルドルフの前なので流石に言えないが、あとで感謝を伝えておこうと、心の中に留めておくことにした。
「うーん、でも大丈夫なのかな?」
ようやく話がひと段落し、そろそろお暇しようかとマックイーンが考えていた横で、不意にテイオーが呟いた。
「何か疑問か? テイオー」
武が聞くと、テイオーはいつになく真剣な表情で頷いた。
「うん。二人とも、皆の前では普通に接してるけどさ――。それだとトレーナー、他の子たちに取られちゃうんじゃないかなあって」
「ない……とは言えませんわね」
テイオーの疑問はもっともだ。
表ではあくまでもトレーナーとその担当ウマ娘として、武とルドルフは接している。いくらあの記者会見のことがあるとはいえ、少しでも周囲に付き合っていると普段から示しておかないと、何かあるんじゃないかとテイオーは危惧しているのだろう。
自分にもチャンスがあるのではと考える子や、たまたま事情を知らずトレーナーに告白する子が出てこないとも限らない。
武はこの学園では男女比率的には少ない方の男性である上、ウマ娘たちとも歳が近い。そして誰よりもウマ娘のことを考えてくれる人物だ。全く無い、と言い切ることの方が難しかった。
「ああ。なんだ、そんなことか。安心してくれたまえ」
「その心は?」
動じることなく、寧ろ余裕たっぷりの様子のルドルフに、マックイーンが問う。
「万が一そうなったら、恥を捨てて示すまで。――この男は私のものだ、とね」
「ぴいっ!」
武の腕に抱きつきながら宣言するルドルフから凄まじい重圧を感じて、隣に座るテイオーが尻尾をピンと伸ばし、小さく悲鳴を上げる。
マックイーンも、皇帝の圧を目の当たりにして背筋に冷たい汗が流れる感覚がした。元々そんなつもりはなくとも、ここまではっきりと警告されると、武を横取りしようなんて気は失せる。
「それほどトレーナーさんのことが大事なのですね」
「理解してもらえて感謝するよ」
マックイーンが言うと、ルドルフはさっきまでの重圧を霧散させて微笑む。
普段通りの表情に戻ったのを見て、マックイーンもテイオーもホッと一息ついて、無意識に緊張していた身体から力を抜いた。
皇帝シンボリルドルフの圧は強烈だと噂で耳にしたことはあったが、目の当たりにすると話に聞いていた以上のものだった。恋愛ごとというのが些か気の抜けてしまいそうなポイントだが、当事者からすれば関係のないことなのだろう。
「……なんか、そこまで好意を示されるとなんか照れるな」
「トレーナー君、二人の前だ。せめて二人きりのときにしてくれ……。結構恥ずかしいんだ、私も」
余程嬉しかったのか頬をかく武に、ルドルフは彼の腕から離れつつ視線を逸らす。
「これが世にいう、イチャイチャ、というものですか……」
「何言ってるの? マックイーン」
甘い雰囲気を見せられて毒気を抜かれるマックイーンに、テイオーは不思議そうに首を傾げるのだった。
一通り疑問を解消したマックイーンは、これ以上二人きりの時間を邪魔してはいけないからと、テイオーと共にトレーナー室を辞し、寮への帰路に就いていた。
校舎を出るとほとんど日は落ちて、街頭の灯りが点いていた。
「随分と、トレーナーさんたちのところに長居してしまいましたね」
「そうだねぇ。ボクは見たいもの見れたし、満足だよ」
「あら、いいんですの?」
「うん。カイチョーはトレーナーのこと、すっごく大事に思ってるのが分かったし。ボクがワガママ言って、カイチョーを困らせることはしたくないから」
テイオーのことだから嫉妬するのではと思ったが、先ほどの彼らのやり取りを見て思うところはあったようだ。
「そうですわね。私たちのこともよく見てくださってるようですし――、お二人とお話して、ますます気合が入りましたわ」
「うん。ボクも絶対、無敗の三冠取りたいって思った。カイチョーとトレーナーのためにも」
「ええ。私も、天皇賞連覇、確実にモノにしてみせますわ」
二人が人前でいちゃついていなかったのは、彼らも言っていたとおり学園のウマ娘たちへの影響を鑑みてのものだろう。
同時に、チーム・アルデバランの面々が全力で、ターフを駆け抜けられるための環境づくりに気を配っているからこそ、二人きりのときでも自分たちのことが話題に上がっていたのだろうとマックイーンは思う。
「頑張ろう、マックイーン。いつかターフの上でぶつかるときもあると思うけど、そのときは負けないよ」
「こちらこそ、あなたに負けるつもりは微塵もありませんわ」
テイオーが校門に向かって小走りで駆け、振り返る。
それから拳を突き出して、にかっと笑って宣言する。
「じゃあ、ボクたちは仲間でライバルだ!」
マックイーンも思わず、頬を綻ばせて拳を突き返す。
「改めてよろしくお願いしますわ、テイオー」
「うん! よろしくね、マックイーン!」
メジロマックイーンと、トウカイテイオー。
チーム・アルデバランに新しい風を吹かせることになる二人の物語は、まだ始まったばかりだ。
* * * * * *
マックイーンとテイオーが去ったトレーナー室で、二人が座っていた対面のソファーを見つめながら、武とルドルフは並んで座っていた。
「ふむ。少しだけ、私たちは余所余所しく見えていたのだろうか、タケル」
顎に手をやり思案しながら、ルドルフが呟く。
マックイーンたちの前では「トレーナー君」と呼んでいたが、二人きりになると武のことを呼び捨てにしていた。
「そうだなあ。いっそ、二人きりの呼び方を表でもしてみるとかいいんじゃないか、ルナ」
お返しとばかりに武も、ルドルフのことをかつて本人から教えてもらった幼名で呼ぶ。
「さ、流石にそれは……」
「ルナと呼んでくれ
「この状況で私のジョークを使わないでくれ。余計に恥ずかしくなる……」
「俺は好きなんだけどな、ルナのジョーク」
いつだったか、二人で月を見上げながらルドルフがそんなダジャレを言っていた。他にもことあるごとに、彼女はジョークを言う傾向がある。
普段は威厳ある皇帝として振舞っていることもあって、ルドルフのジョークを知る者は武を含めて、日常的に交流のある者に限られてくる。
大抵は凍り付いたような表情をしたり、無反応だったりするが、武は彼女のジョークを聞くと自然に笑みが零れてくる類の人間だった。
「そこまではっきり言ってくれるのは、タケルくらいのものだ。最初は、場を和ませようと始めたものだが、どうも皆からは一様に微妙な反応をされてしまう」
「典型的なダジャレだからな。けど案外、この先ツボに入るヤツが出てくるかもしれないぞ」
「ありがとう。そうだと嬉しいな」
武の言葉に、ルドルフは微笑む。
「それにしても今日は、マックイーンとテイオーのおかげで色々懐かしい話ができたな」
「ああ。私が君と二人で会見したのはまだ半年ほど前だが、随分昔のことのように思えてくるよ」
「全く、あの時はホント大変だった。ある程度覚悟はしてたつもりだったんだけど」
「私も、君がいなければあの数の取材はなかなか捌ききれなかったと、つくづく思うよ」
七冠を達成して間もないころの、交際を発表した記者会見から始まった一連の騒動は、元々それなりの頻度で取材を受けていた武とルドルフにとっては、未知の経験だった。
それでもなんとか乗り切れたのは、お互いの存在があったからだ。
当時のことを思い出して、武とルドルフは笑い合う。
「やっぱり、七冠達成した後に発表のタイミングを持ってきたのは正解だったな。その前だったら、レースどころじゃなかっただろうし」
当時のメディアはルドルフの七冠達成で話題が持ち切りだったところに、あの会見だ。報道がますます過熱していったのを、武はよく覚えている。ポジティブに受け止めるものもあれば、スキャンダラスに報じるものまで、反応は様々だった。
「何が最適なタイミングか、は実際にやってみないと分からないからな」
「そういうもんかね」
「そういうものだよ、タケル」
会見のタイミングを後ろ倒しにしたらしたで、世間の反応はまた違ったものになっていただろう。しかしそれも、結果論にすぎない。
「秋川理事長にも、随分世話になったなあ。一生、足を向けて眠れる気がしない」
「彼女の尽力があってこその、あの会見だったからな」
トレセン学園の理事長、秋川やよいは、会場の手配やマスコミへの初動対応など、武たちの希望を汲み取って、色々と奔走してくれていた。武もルドルフも、その辺りのことについては感謝してもしきれない。
「この恩に報いるためにも、これから頑張っていかないとな」
「私も、今の私に出来ることに全力で取り組むとするよ」
「がんばろう、ルナ」
「お互いにな、タケル」
改めて武とルドルフは、誓いを胸に抱く。
そうやって今までの数年間を、二人は支え合うようにしながら駆け抜けてきた。それは、これからも変わることはないのだろう。
互いに依存し合うのではなく、自立した存在として支え合う。その在り方は、武とルドルフが初めて出会った日から少しづつ築き上げてきたものだった。
――武が史上最年少のトレーナーとしてこの学園にやって来て、初めて選抜レースで“皇帝”の走りを見たあの日から。
マックイーンが想像してたのは、半分当たってて半分はずれてるということで、よろしくお願いします。
次回本編からは、時間軸が遡る予定です。