NEXT FRONTIERを目指して   作:ハチハル

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第9話 如月、皇帝たちとのバレンタイン

「はい、これ」

 

 放課後、授業が終わるや否や帰ろうとしていた武は、一人の女子に廊下で呼び止められていた。

 栗毛色の髪を後ろで纏めたその女子の頭の上には特徴的な耳が二つあって、忙しなく動いている。彼女は武の通う小学校で少数ながら在籍しているうちのウマ娘の一人だった。

 

「何これ、どうしたの? レイ」

 

 同級生でもあるそのウマ娘――レイグランドに突然、カラフルな可愛らしい手のひらより小さいサイズの包みを突き出され、武は困惑したように首を傾げる。

 レイ――レイグランドは一年以上前、小学4年の秋ごろに転校してきたウマ娘だ。         

 

 

その時から同じクラスで過ごしてきているが、とにかく走ることが好きで負けず嫌いの女の子というのが武の印象だ。そんな勝気なところがある一方、真面目であまり突飛なことをするところも見たことがない。

 それに加えて武自身の性格もあってレイ以外の女子とは滅多に話さないので、武は今自分の身に起こっていることもさっぱり分かっていなかった。

 

「何って――。今日が何の日か覚えてる?」

「何の日って……。平日だからGⅠとか無かった――」

「トゥインクルシリーズは関係ないわよ!?」

「じゃあ普通にローカルシリーズのレースだよね。平日開催っていったらそれだし」

「確かにあるけど、いい加減ウマ娘から離れなさいよ!?」

 

 小学5年生ながらまるでウマ娘のことしか頭にない武のマイペースぶりに、レイからのツッコミが飛んだ。

 

「じゃあ……。金曜日だから海軍カレーの日とか」

「……アンタ本気で言ってる?」

「え、違ったっけ」

「本気なのね…………」

 

 心底呆れたように溜め息を吐くレイを見て、武は自分が何か悪いことをしたのかと考えるがやはり思い当たる節が無い。

 今日という日が何なのかも、レイが渡そうとしているのが何なのかにもまるで気が付いていなかった。

 

「ほらこれ、バレンタインチョコ。どうせウマ娘のことばっか考えてて気付いてなかったんでしょ」

「へ?」

 

 突き出すように差し出された包みを両手で受け取りながら、武はきょとんとした顔をしていた。

 頭の中で今日は何日だったかと考え、ようやく2月14日という日付を思い出した。

 

「あー、そっか。バレンタインデー……」

「その様子だとほんとに気付いてなかったのね、武」

「うん。母さん以外から貰ったことないし」

「……そりゃバレンタインなんて気にしないわね」

 

 武の口からさらっと放たれた言葉に、レイはさもありなんといった様子だった。

 武は幼いころから中央地方問わずウマ娘のレースを見て育ち、必然的に学校の勉強以外はウマ娘のことばかり考えているような子供だった。

 周りの子たちは同級生の誰が気になる、なんて話もする年頃だが武はまるで興味を示さず徹頭徹尾ウマ娘のことしか頭にない。そんなわけで同じクラスの女子たちはあまり武とは絡もうとせず、必然的に義理チョコすら貰ったことがなかった。

 そんなわけでバレンタインデーは毎年母からチョコを貰って初めて気付く、という体たらくだった。

 

「別に気にしてないよ。それよりなんで俺に?」

 

 それでもまるで悲しむ素振りも見せない武の疑問に、レイは何故か視線を逸らした。

 

「…………それは」

「それは?」

 

 耳と尻尾を忙しなく動かして、何故か物凄く言い出しにくそうな雰囲気を醸し出すレイを、武はじっと待つ。

 

「……ぎ、義理チョコよ。転校してからこっち、お世話になってたし」

 

 何度か自分を落ち着かせるように息を吸ってから、レイはその理由を告げる。

 武が住む地域の近所にはレース場やトレセン学園の施設がある関係で、この小学校にもウマ娘は少数だが通っている。しかしレイは田舎から引っ越してきて友達はおらず、武のクラスでウマ娘は彼女一人ということもありやや浮いていた。

 そんなレイに真っ先に声をかけて友達になったのが、武だった。

 

「レイってこういうイベント、気にしないタイプだと思ってた」

「アンタと違って走ることしか頭に無いわけじゃないからね? 蹴飛ばすよ?」

「それじゃあ、去年のバレンタインとかはどうしたのさ」

 

 揶揄するのでもなく純粋な疑問として、武は聞く。

 武の記憶では去年の今頃は普通に仲良くなっていたし、渡そうと思えば渡せたはずだ。

 

「あれは、えっと。――わ、忘れてたのよ」

「そうなの?」

「ええそうよ! なんか文句ある?」

「別にないけど。忘れてたなら仕方ないね」

「即答!? もっと何か聞くことあるんじゃないの!?」

「え? でも忘れてたんでしょ?」

「……いや純粋すぎるでしょ」

 

 問答の末に何故か頭を抱えるレイの様子に武は今一ピンと来ていなかった。

 その日を過ぎてしまって渡せなくなることくらい、あってもおかしくはないだろうというのが武の考えだった。

 そして今年は、チョコを渡してくれた。それなら武がかける言葉は一つだった。

 

「レイ」

「何?」

「チョコ、ありがとう。女子からチョコ貰うの初めてだから嬉しいよ」

「――っ! そ、そう。それは良かったわね」

 

 自然と零れた笑みと共に向けられた武の笑みに、レイは顔を赤くしてそっぽを向く。

 初めて貰ったチョコの包みを大事にランドセルにしまってから、武はレイの手を引いた。

 

「夕方のレース、レイも見に行くでしょ?」

「……行く」

 

 何故レイが顔を赤くしているのかに気付かないまま、武は彼女の手を引いて近所のレース場へと向かうのだった。

 

 

 

 

 

「――――君。―――ナー君。トレーナー君」

 

 耳元で誰かが囁く声が聞こえる。

 ほんの少し低音の、それでいて凛と透き通った心地の良い声だ。この声を、最近はよく聞いていた気がする。

 誰の声だったかと思いながら、武は少しずつ微睡みから引き戻されていった。

 

「――ぁ。るど、るふ……?」

 

 未だ覚醒しきらない意識の中、開いた眼に映ったウマ娘の名前を反射的に呼ぶ。

 

「トレーナー君、もう午後だ。トレーニング前のミーティングの時間だ」

「午後……。とれーにんぐ……。――――っ!?」

 

 半ば覚醒しかけていた意識が一気に現実に引き戻され、武は咄嗟に突っ伏していた仕事机から飛び起きた。

 

「おっと。目は覚めたかな、トレーナー君?」

「ルドルフ、今何時!?」

 

 勢い良く起き上った武の頭をひょいと避けて一歩後ろに下がったルドルフに、武は混乱した頭のまま尋ねた。

 元々、ルドルフやマルゼンスキーの今日のトレーニングメニューの整理くらいは昼休みの内に軽くしようと考えていたのだ。事と次第によっては、それが一切出来ないままルドルフたちのトレーニングをしなければいけない、という思いが武を焦らせていた。

 

「まだ昼休みが終わったばかりだよ。そう慌てずとも、練習開始予定時刻にはまだ猶予がある。安心してくれ」

 

 苦笑しながらルドルフは自分のスマホを操作し、時計を見せてくれる。そこに表示されていたのは12時55分――今日の14時からの練習にはまだ十分間に合う時間だった。

 

「よ、良かった……」

 

 安堵の溜め息を吐きながら、武は椅子の背もたれに身を預けて天井を仰いだ。昼食の弁当を食べてすぐに寝落ちしてしまったようだから、時間にして30分ちょっとといったところだろうか。

 

「トレーナー君、スヤスヤ眠ってたわね」

 

 ルドルフとは別に声が聞こえて視線を向けると、机を挟んだ向かい側に微笑むマルゼンスキーが立っていた。

 

「えっと……。おはよう、マルゼンスキー、ルドルフ」

「おはよう、トレーナー君っ!」

 

 自分の寝顔を思い切り見られていたことへの恥ずかしさと気まずさを紛らさすために、武は起き抜けの挨拶をすると、マルゼンスキーは深く聞かずに気前の良い挨拶を返してくれる。

 その優しさに、思わず笑みが零れる。

 

「おはよう、トレーナー君、目が覚めたところで申し訳ないが……口元に涎が付いているぞ」

 

 安堵していたところに差し込まれたルドルフの指摘に、武は机へ頭を打ち付けたくなるほどの羞恥心に苛まれたのだった。

 

 

 

「やばい、死にたい、穴掘って埋まりたい」

 

 口元を拭い終えた武は、腕で顔を覆うようにしながら机に突っ伏していた。

 耳まで熱くなっていて、きっとルドルフたちからは赤く染まっているのが見えるだろう。それでも恥ずかしさと、何より真っ赤に染まった顔を見られたくなかった武にはこうする他無かった。

 

「その、すまないトレーナー君。あまりにも心地良さそうに眠るものだから悪いとは思ったのだが……」

「ルドルフは全然悪くないよ。無防備すぎる俺が悪い」

 

 普段なら外で寝落ちなんてしないのだが、トレーナー室に一人という環境で部屋の暖房が程よく効いていたせいなのか、昼食後で腹が満たされていたからなのか。理由が何であるにせよ、油断してしまっていた。

 早々に目が覚めていれば何事もなかったかのように誤魔化せもしたが、間の悪いことにルドルフとマルゼンスキーに寝顔を見られてしまった。あまりにも、二人に合わせる顔が無い。

 

「まあでもトレーナー君、ここのところずっと頑張ってくれてたものね。疲れが出ちゃうのも、仕方ないと思うわ」

「普段のトレーナー業務に加えて、マルゼンスキーの取材対応もあったからな」

「ええ。ありがとね、トレーナー君」

 

 先日の東京新聞杯でマルゼンスキーが奇跡の復活劇を遂げた後、各方面から取材依頼がこの一週間殺到し武は対応に追われていた。

 大半は学園側で対応してもらった案件が多かったが、マルゼンスキーのインタビューの付き添いをしたりアポ無しでやってきたマスコミの取材を断ったりと大忙しだった。中には武に直接取材を依頼する所もあって、自分が矢面に立つとは思っていなかった武の心身を疲弊させるには十分すぎるくらい濃密な一週間だった。

 

「どういたしまして。ルドルフも、学園の外に出るときはマルゼンスキーに付き添ってくれてたし、助かったよ」

曲突徙薪(きょくとつししん)、チームメイトを守ることも私の務めだからな。まだ油断は出来ないが、じきに落ち着いてくるだろう」

「まあ、もうすぐGⅠも増えてくる時期だからね」

 

 一度引退したウマ娘が中央で復帰するというのは、前代未聞の大ごとだ。それもマルゼンスキーというウマ娘を取り巻く事情が事情だったからこその、例外中の例外でもある。必然、世間の注目が集まるのも無理はないだろう。

 しかしいくら大ごととはいえ同じ話題ばかりでは次第に人々も飽きてくるし、春のGⅠがこれから盛り上がってくる時期だ。自然と、マスコミからの注目も落ち着いてくるだろう。

 

「もうそんな時期なのねぇ。ルドルフは皐月賞に出るんでしょ?」

「ああ。私の夢に近づくためにも、クラシック三冠は避けては通れない。その前哨戦として、来月の弥生賞にも出るつもりだ」

 

 GⅡの弥生賞は皐月賞の前哨戦とされ、中山レース場芝2000mと同じ条件の下走ることになる。それに加えて3着以内に入れば優先出場権も得られるとなると、出ないわけにはいかない。

 

「私も精一杯サポートするわ、ルドルフ」

「ああ。よろしく頼むよ、マルゼンスキー」

 

 マルゼンスキーの言葉に、ルドルフも快く応じる。

 

「俺からも頼む、マルゼンスキー。今のトレセン学園の中じゃ、併走相手をお願い出来る子はそう多くないし」

 

 ルドルフの場合実力差があってついていけないどうこうの話の前に、頼もうにも恐れられて中々併走トレーニングが出来ないことがあった。特にジュニア時代の、マルゼンスキー加入前の時期はほぼ一人でのトレーニングになってしまっていたなと武は振り返る。たまに物好きなごく一部のウマ娘がルドルフに声をかけていた程度だ。

 それでデビュー戦を勝ってしまうあたり、シンボリルドルフというウマ娘が秘めている力は底知れない。

 

「皆遠慮しちゃうものね、憧れの会長さんが相手ってなると」

「やはり私は、他の生徒たちからすると親しみにくいのだろうか」

 

 ルドルフは以前からそのことについて頭を悩ませているようだが、あまり関わりのない生徒たちからするとどうしても委縮してしまうのだろう。

 

「親しみにくいってことはないと思うけどね、俺は」

「トレーナー君?」

「あまり悩まなくていいってことだよ。皆にとっては“生徒会長”でも、俺やマルゼンスキーにとっては他の誰でもない、ただの“シンボリルドルフ”だから」

 

 武は生徒たちのことで思い悩む顔も、ダジャレを口にして微笑む姿も見てきた。マルゼンスキーにしたって、同じターフに立つ者同士で切磋琢磨し合う仲だ。そこにいるのは、生徒会長として皆の畏敬を集める存在としてではなく、一人の年頃の少女としてのシンボリルドルフだ。

 

「そうね。あたしも、ルドルフのこと好きよ」

「トレーナー君、マルゼンスキー……」

 

 ルドルフは意外そうに目を見張ってから、困ったように微笑む。

 

「――全く、君たちには叶わないな」

「もしかしてルドルフ、照れちゃった?」

「揶揄わないでくれマルゼンスキー。まあ、喜ばしく思ったのは事実だが」

 

 悪戯っぽく笑うマルゼンスキーに、ルドルフは頬を掻く。そんな微笑ましい光景に、武もつい頬が緩む。こうして見ているとやはり、ルドルフはどこにでもいる普通の少女なんだと実感させられる。

 二人の様子を見守っているとルドルフがこほんと一つ、照れ臭さを誤魔化すように咳払いをしてから手に持っていたカバンを開けた。

 

「感謝の代わりと言っては何だが、二人に渡したいものがある」

 

 そう言って丁寧に包装紙で包まれた長方形の箱を二つ取り出し、武とマルゼンスキーそれぞれに手渡していく。

 

「ルドルフ、これって」

 

 武の問いに、ルドルフは頷く。

 

「ハッピーバレンタイン、トレーナー君、マルゼンスキー。心ばかりだが、日頃の感謝を込めたチョコレートだ」

「ありがとうっ、ルドルフ!」

 

 ルドルフから受け取ったチョコを手に、マルゼンスキーが華やいだ笑みを浮かべて真っ先に喜びを伝える。よほど嬉しかったのだろう、耳と尻尾がそれはもう忙しなく動いていた。

 

「そっか、今日はバレンタインだったか」

 

 チョコレートを手に取りながら、武は昔のことを思い出す。

 それは小学生のころから、感謝の証として毎年チョコレートを贈ってくれたウマ娘の友人との記憶だった。

 一昨年まで唯一母以外でチョコをくれたが、込められていた本当の気持ちにはずっと気づけずにいた。やっと気づいたのはレイとの溝が生じてしまった後、去年の2月だった。

 久しぶりに母以外から貰うことがなかったことで、ようやくレイのチョコに込めていた気持ちに思い至ったのだ。

 今思うとあの頃の自分を武は呪いたくなる。

 自分が積み上げていた物を無自覚に自分で壊して、ようやく気づくなんてあまりにも無様な話だ。

 手元の青い包装紙に包まれたチョコを見れば、ルドルフなりの気持ちが込められていることがよく分かる。それが義理であれ、何であれ、ないがしろにはしたくないと思った。

 

「――ありがとう、ルドルフ。大事に食べるよ」

 

 せめて感謝の気持ちだけでもしっかり伝えたいと、武はルドルフの目を真っすぐ見て言う。

 

「二人にそこまで喜んでもらえると私も選んだ甲斐があったよ。」

「ええ、すっごく嬉しいわ! 包装紙、私は赤いのでトレーナー君には青いのにしてくれたんでしょ? しかもこれ、都心の方の百貨店のじゃない!」

「ほんとだ。結構高いんじゃないか、これ」

 

 独特なデザインの包装紙にマルゼンスキーは目を輝かせ、武も思わずまじまじと見つめる。

 

「何、大したことはないよ。遠慮なく食してくれ」

「そっか。それじゃあ早速開けるよ」

「そうね。ルドルフがどんなチョコを選んでくれたのか、あたしも気になるし」

「ああ、構わないよ」

 

 武とマルゼンスキーは早速、それぞれに渡された包みを丁寧に開けていく。

 

「ねえルドルフ、これって」

「俺とマルゼンスキーで別々に選んでくれたのか」

 

 中に入っていたのはシックなパッケージが特徴的なデザインの板チョコだった。

 武はあまりチョコ市場に明るいわけではないが、見るからに値が張りそうな代物に思える。

 

「ああ。トレーナー君は時折トレーナー室でコーヒーを飲んでいるからそれに合うよう、苦みをある物を。マルゼンスキーには甘さを楽しめるようにミルクチョコレートを選んでみた」

 

 武が思っていた以上に、ルドルフは二人のことをよく見ていたらしい。

 武は眠気覚ましに微糖の缶コーヒーを飲むことが多い。苦みのあるチョコレートならいいアクセントになるだろう。

 

「ここまでしてもらうと、来月何をお返しにしたらいいか悩むね」

「トレーナー君が気にすることではないさ。君が喜ぶ顔を見られただけでも、私にとっては報恩謝徳になっているよ」

 

 ルドルフはそう言って笑うが、武としてはやはり貰いっぱなしでは落ち着かない。来月に向けて何かしら準備はしておこうと、武は静かに決意する。

 

「ふふっ。トレーナー君、自然とお返ししようって言うのイケてるわね」

「まあ、こういうのは大事にした方がいいって子供の頃母さんから言われてたし」

 

 レイから初めてチョコを貰った日に母親から念押しされたことを思い出して、武は懐かしさから笑みを浮かべる。

 小学校のころから友達と呼べる人がいなかった武にとって、女友達というのは更に稀有な存在だった。そんな子からバレンタインチョコを貰ったのなら、義理でもいいからちゃんとお返しした方がいいと強く言われていた。

 その理由も、今ならよく分かる。

 

「それじゃあ、あたしもお返し期待しちゃってもいいかしら?」

 

 冗談めかして笑いながら、マルゼンスキーは自分のカバンから二つ包みを取り出した。

 赤基調のどこかレトロな雰囲気の包装紙に包まれた箱を見て、武はすぐに検討がつく。

 

「もしかして、マルゼンスキーもチョコを用意してくれたのか」

「ええ。あたしも、二人にすっごく感謝してるもの。だからこれは、あたしなりの気持ちよ」

 

 マルゼンスキーから受け取ったそれは、手のひらほどの大きさがあった。

 目配せで開けてもいいか確認を取ってから、武は包みに手を付ける。

 

「一口チョコか」

 

 箱を開け中身を見ると、小さくカットされたチョコがそれぞれ白い包装紙に包まれ、整然と並べられていた。

 

「なるほど。私たちが食べやすいように配慮してくれたんだな」

 

 武と同じように中身を見ながら、ルドルフは感心したように呟いていた。

 

「ルドルフは生徒会宛てで沢山貰いそうだったし、トレーナー君も他の子から渡されそうだなって思って、ね」

「そんなところまで気を回してくれたんだ」

 

 ルドルフ初め生徒会メンバーは他の生徒たちからの人気も高いので納得するところだが、自分のことまでそんな風に見ていたのかと、武は驚く。

 しかしよくよく考えれば、マルゼンスキーはよく人のことを見ているし困っているウマ娘がいれば必要なら手を差し伸べることもある、姉気質なところもある。この一口チョコという選択も、彼女ならではのものだろう。

 

()()()()()()()()食べても日持ちするし、これは確かにありがたいな。感謝するよ、マルゼンスキー」

「ふふ、どういたしまして」

 

 不意に差し込まれたルドルフのダジャレに武が固まる一方で、マルゼンスキーは上機嫌な返事をするのだった。

 

 

 

 二人からチョコを受け取り、午後のトレーニングも終えた武はトレーナー室に戻ってノートPCやタブレットに表示させた資料とにらめっこしていた。

 今日のトレーニングの成果をPCの表データに書き込んでいき、次の課題を洗い出していく。

 

「ここまでウッドチップ中心にしてきたけど、ルドルフは前に比べてスタミナも筋力も付いてきたか。マルゼンスキーは復帰戦が終わったばかりだからあまり無理させられないとして――」

 

 ぶつぶつと独り言を呟きながら、今後の予定を組み立てていく。天候の変化も鑑みて練習場所やメニューを決め、予約が必要な施設は事前の簡単な申請書も作っておく。

 マルゼンスキーは脚に極端な負担がかからないように当面レースに出走させる予定はないが、ルドルフの方はそうもいかない。

 来月には弥生賞が控えているし、彼女が宣言したクラシック三冠の一つ目である皐月賞は再来月だ。

 コース条件は同じにしても、枠順や出てくる相手もある程度考慮する必要がある。

 

「――まあ、ルドルフの走りを見てたらそれも必要か分からないけど」

 

 ルドルフの場合、スタート早々に好位を確保し仕掛けどころを伺う王道の戦法だ。デビュー戦、サウジアラビアRCとその走り方で勝っているのを見るに、多少の不利があっても実力で解決してしまえるだけのポテンシャルを秘めているように思える。

 

「となると、どんな状況にも対応出来るように鍛えてく方針は変わらないか」

 

 小手先の作戦は使わず、正々堂々実力で全てを勝ち取っていく。それがルドルフの走り方であり、皇帝に相応しいとも言えるだろう。

 

「――と、もうこんな時間か」

 

 キーボードを打ちつつ思考にふけっているとスマホのアラームが鳴り、時計を見る。

 PCとスマホに表示された時計はどちらも、ちょうど20時を指していた。

 外もすっかり暗くなり、冷え込んでいる時間帯だ。あまり残っていると方々から心配されるため、仕事を切り上げて帰り支度をする。

 コートを着込んで部屋の暖房と灯りを消し、武は自分のトレーナー室を後にした。

 途中、同じように居残っていた先輩トレーナーと挨拶を交わしつつ外に出ると、冷たく乾燥した空気が頬に触れる。

 

「すっかり遅くなっちゃったわねえ。門限大丈夫?」

「予め申請は通してあるから、問題ないよ。――まあ、寮長はかなり渋い顔をしていたが」

「あの子の顔が目に浮かぶわ……」

 

 校舎の前を正門に向かって歩いていると後ろからふと声が聞こえて、武は振り返った。

 視線の先で、制服の上に上着を羽織りカバンを肩にかけたルドルフとマルゼンスキーが並んで歩いていた。

 同じタイミングで二人も武に気付き、にわかに驚いたような顔をしていた。

 

「やあ、トレーナー君。今帰りかな?」

「そうだけど……。ルドルフは生徒会の仕事?」

 

 声をかけてきたルドルフに応えつつ、武はそう尋ねる。

 学業優秀なルドルフが居残り学習とは考え辛いし、自主的に勉強するにしても寮に帰ってからすればいい話だ。制服姿で息も上がっているような様子もなく、消去法で考えれば答えは明らかだった。

 

「君にはお見通しか」

「まあ一年近くルドルフのトレーナーやってれば、そりゃあね。マルゼンスキーは付き添い?」

「あたし? あたしは付き添いっていうよりお手伝いね。ルドルフってば、どうしてもファン感謝祭の準備をしておきたいって言うもの」

 

 ファン感謝祭は、毎年トレセン学園で行われる行事の一つだ。名前のとおりウマ娘たちを応援してくれるファンたちのために学園を開放し、様々な出し物をする学園祭のようなイベントだ。

 生徒主体で行われるため、実行委員会のトップは必然生徒会となる。そして生徒会長であるルドルフは、管理運営の責任者だ。

 

「君も知ってのとおり、ファン感謝祭の時期には皐月賞が控えている。その前には弥生賞もあることを考えると、あまり時間は取れないだろうと思ってね」

「だからまだ時間があるうちに、やれることをやろうとしたのか」

「ああ。あまり褒められたことではない、と自覚はしているのだがね」

 

 ルドルフは面目ないと苦笑しながら、武とマルゼンスキーを見る。

 

「あたしがいなかったら、全部一人で片付けようとするくらいの勢いだったわ。貴女の悪い癖よ、ルドルフ」

「それについては何も返す言葉が無い。しかし君が手伝ってくれたおかげで、私が今この時期に目を通しておくべきものについては片付けられた。感謝するよ」

「もう、ルドルフったら」

 

 素直に感謝の言葉を向けられて、マルゼンスキーも怒るに怒れないと言った様子で笑う。

 その様はまるで、本当の姉妹のようにも見えた。

 

「まあ、あんまり無理はしないようにな。ルドルフに倒れられたら、俺もマルゼンスキーも悲しいから」

 

 武はかつて無理をし過ぎたことで周りを随分と心配をさせてしまったことがある。そんな過去の自分と同じ経験を、ルドルフにはしてほしくない。

 そんな思いから、武はルドルフに言葉を投げかけたのだった。

 

「そうね。ルドルフはもっと、周りに頼っていいと思うわよ」

「――二人の忠告、感謝するよ」

 

 一瞬目を瞑って思考する素振りをしてから、ルドルフは笑みを浮かべる。

 何を考えていたかは分からないが、彼女がそう告げた以上は深く追求せず見守ることにする。

 こういうことは注意を受けて素直に従うか、頭では分かっていても無理を続けてしまうかの二つに一つだろう。後者にならないように祈りつつ、何かあればフォローするのがトレーナーとしての役割だと武は心に決める。

 

「そういえばトレーナー君は、こんな時間までお仕事かしら?」

 

 武が話題を変えようと思ったタイミングで、マルゼンスキーが水を向けてくる。

 今まで棚に上げていただけに耳の痛い話だったが、聞かれた以上は答えないわけにはいかなかった。

 

「そんなところ。今日の練習のデータとか色々まとめてたら、つい夢中になっちゃって。二人から貰ったチョコ食べながらやってたら、こんな時間になっちゃったよ」

「あたしたちのチョコを食べてくれたのは嬉しいけど、理由がなんだか子どもっぽいわね」

「私たちのため、というのが何とも面映ゆいがな」

 

 隠さずに言うと、二人は困ったように笑う。

 子供のころから武はウマ娘という存在に惹かれ続けてきた。同年代の子どもたちがアニメやゲーム、スポーツや音楽といったものに夢中になるように、武もウマ娘を追い続けてきた。

 その中でもウマ娘のレースは、武の心を何よりも躍らせる。

 故にファンでありトレーナーでもある武は、練習データのまとめやレースの研究、トレーニングメニューの組み立てすらつい楽しんでしまう質だった。

 マルゼンスキーの子どもっぽいという指摘も、あながち外れてはいなかった。

 

「まあ今日は帰ってから勉強もしなくちゃだし、仕事はまた明日にするから。心配させてごめん」

 

 二人がわざわざ言及したのも自分を気遣ってくれたからだろうと察した武は、先んじて謝る。

 

「つい忘れそうになるが、君はまだ学生の身分だったな」

「そう。あくまでも大学の研修で来てるって立場だからね。今からトレーナー試験に向けて準備しておきたいし」

 

 URAの猶予のおかげで、正式なトレーナー免許の取得にはGⅠ優勝などの実績を上げるか試験に合格するかのどちらかを達成すればいいことになっている。

 しかしレースの結果はいつでも保障されるわけではないし、他のトレーナーたちは大抵試験を潜り抜けてきた人たちばかりだ。

 自分を試すという意味でも、結果如何に関わらず試験は受けるべきだろうと武は考えるようになってきていた。

 

「応援してるわ、トレーナー君っ。でも、あんまり無茶はしないでね?」

「言われちゃったな。その辺は上手くコントロールするよ。長距離レースと同じで、ペース配分も大事だと思うし」

 

 先ほど言ったことがブーメランのように帰って来たことに苦笑いしつつ、武はマルゼンスキーの目を見答える。

 

「ええ。息抜きしたくなったら、いつでも言ってちょうだいね? お姉さん、こう見えて免許持ってるから」

「ドライブか。なら、そのときはお言葉に甘えてお願いさせてもらうよ――――ルドルフ、どうした?」

 

 マルゼンスキーの提案に快く応じていると、何故かルドルフが遠い顔をしていた。

 

「――ああ、いや。その……彼女とドライブに行くなら覚悟を決めておくことだ」

「うん……?」

 

 らしくなくいまいち要領を得ないことを言うルドルフに首を傾げつつあるいていると、いつの間にやら学園の校門のところまで来ていた。すっかり三人で話すのに夢中になってしまっていたらしい。

 ルドルフは途中まで帰り道が一緒でマルゼンスキーも一人で返すには少し心配な時間帯だと考え、先ほどの疑問は隅に追いやりつつ改めて二人に声をかける。

 

「と。ルドルフもマルゼンスキーも今日はありがとう。チョコ、すごく美味しかった」

「そう? それならよかったわ」

「早速口にしてもらえて、私も嬉しいよ」

 

 そういえばまだ感想を言ってなかったと武が礼を言うと、二人は笑みを浮かべて応じる。

 

「二人とも途中まで送って――」

「――こんな時間までお疲れさま、武」

 

 校門を出た直後、横合いから不意に懐かしい声が聞こえた。

 武は思わず足を止めて、隣のルドルフとマルゼンスキーが立つ方向とは逆の方にゆっくりと振り返る。

 

 そこには栗毛色の艶やかな髪を後ろの高い位置で縛り、ブラウンのジャケットと青系統のジーパンに身を包んだ釣り目がちのウマ娘が立っていた。

 恰好からして明らかに学生ではなく、その佇まいから大幹はしっかりしていてよく鍛えられているであろうことが伺える。

 印象は随分と変わっていたが、武はそのウマ娘のことをよく知っていた。

 

「なん、で、ここに――」

 

 鈴の音のような声とその姿を、武が忘れるはずがなかった。

 ――忘れられるはずが、なかった。

 

「…………レイ」

 

 

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