NEXT FRONTIERを目指して   作:ハチハル

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本章
第1話 始動、皇帝との出会い


 刹那、ターフを風が駆け抜けた。

 体操着にゼッケンを付け、鹿毛の髪をなびかせ、少女が最後の直線で一気にスパートをかける。

 

『おっと、ここで抜け出したのは1番シンボリルドルフ! シンボリルドルフだ! 後続を2バ身、3バ身と引き離し――今、ゴール! 本日最初の選抜レースを制したのは、シンボリルドルフ!!』

 

 ゴール板の前を駆け抜けた瞬間、会場が歓声に包まれる。

 少女がスタンドの前に戻って手を振ると、更に歓声が巻き起こった。彼女の圧巻の走りに、誰もが興奮を抑えられない。

 その威容は正に、“皇帝”の名に相応しいものだった。

 

 

 東京都府中市にある、府中トレセン学園。

 都内の学校の中でも随一の広さを誇る敷地の一角に設置された、トレーニングコースで、選抜レースが開催されていた。

 選抜レースとは、ウマ娘たちが公式戦と同様にレースを行い、その走りを見てトレーナーたちがスカウトを行う大事な場だ。

 トレセン学園の運営元であるURAが開催する、中央のウマ娘レースにデビューするには、トレーナーとウマ娘の契約が絶対となる。

 新たな才能の原石を見つけたいトレーナーたちと、デビューして勝利を勝ち取りたいウマ娘たちの双方にとって、この選抜レースは今後の運命をも左右する重要な行事だ。

 

 今日は、年に4回ほど開催される選抜レースの一つだったのだが、凄まじい盛り上がりを見せていた。

 

「あの子が、シンボリルドルフ……」

 

 コース正面に設置されたスタンドの一角で、レースを観戦していた青年が呟いた。

 髪を短く切り、黒のスーツに身を包んだ彼の名は、白井武(しらい たける)。この春、府中教育大学トレーナー養成コースの2年生になったばかりだ。

 学園には研修という形で今日から出向き、理事長室で秋川やよい理事長から直々に説明や各種手続きを終えた後は、敷地内を巡っているところだった。

 

「普段の選抜レースも盛況ですが、今回は特にすごいですね」

 

 その隣で、緑色の制服に身を包み、頭に同じ色の帽子を被った女性が微笑む。彼女の名前は、駿川たづな。この学園の理事長秘書を務める女性で、今は理事長の指示もあり、武に学園の案内をしているところだ。

 

「彼女の周りにいるのはウマ娘と……、トレーナーの人たち?」

「はい。白井さんもご存じのとおり、今日は大事な選抜レースの日ですから。この機会に、有力なウマ娘と契約したい、と考えるトレーナーさんは少なくありません」

 

 ルドルフの周りに集まってきた取り巻きは誰も彼もが、興奮冷めやらぬといった表情をしていた。

 同じウマ娘として憧れを抱く者、是が非でも彼女と契約したいと必死になっているトレーナーたち。そんな彼らを前に、威風堂々とした態度で応対するルドルフ。

 

「確かにあの子は、他の子たちと比べても纏ってる雰囲気が違いますね」

「皇帝、と呼ばれているくらいですから。もしかしたら、白井さんが配属されるチームの子と対決することもあるかもしれませんね」

「そう、ですね」

 

 たづなの言葉に返事をしつつ、武はどうしてか、ルドルフから視線を逸らすことが出来なかったのだった。

 

 

 学園の説明やら案内やらを終えて、学園から徒歩15分程度のアパートに帰りついた頃には、もうすっかり日が沈んでいた。

 途中のコンビニで買った弁当を食べ、風呂も済ませた武は、ベッドに倒れこんだ。今日は一日中あちこち歩き回ったせいか、身体は随分と疲れ切っている。

 それで武の意識が沈んでいくということはなく、寧ろはっきりと目が覚めていた。

 

「シンボリルドルフ……」

 

 昼間、学園で目にした少女の名前を口にする。

 威風堂々、泰然自若、彼女が周囲の人たちと話す姿を思い出すと、自然とそんな単語が浮かんできた。

 それがレースになると、まるで疾風の如く他者を圧倒する走りで、ターフの上を駆け抜けていく。特に最後のカーブを超え、集団から抜け出して直線で一気に後続を引き離していく姿が、目に焼き付いていた。

 

「ん……」

 

 不意に、手に持っていたスマホが振動し、通知を確かめる。

 画面には、武の見知った名前からのSNSメッセージの通知が表示されていた。

 スリープモードを解除し、アプリを起動して内容を確かめる。発信者の名前は――。

 

「……レイグランド」

 

 幼馴染で、高校時代にはサブトレーナーとして共に地方を戦ったウマ娘だった。

 サブトレーナーとは言っても高校生なので資格があるはずもなく、あくまでも資格を持った大人のトレーナーの補助として、レイグランドのチームに所属していた。幼馴染だからという観点で、トレーナーから彼女を任されていたため、実質的な相棒ではあったが。

 

『久しぶり。元気してる?』

『一年ぶりだな。俺は元気』

『そ』

『どうしたんだ、レイ』

 

 昔からの彼女の愛称を使いつつ、武は尋ねる。

 大学生になってから一年ぐらいの間、諸々の事情で連絡を取っていなかった相手からの、突然のメッセージだ。武としては、何か要件があるのかと思って聞かずにはいられなかった。

 

『今日、行ってきたの?』

『行ったって、どこに』

『中央のトレセン学園』

『なんで知ってんのさ』

『あんたのお母さんから聞いた』

『もしかして、ウチの店行ったのか』

『そりゃ行くでしょ、ウマ娘なんだから』

 

 そういうことだったのか、と武は合点する。

 武の実家は武の母を店長として、主にウマ娘用のスポーツアイテムを取り扱う専門店を営んでいる。大手と比べると流石に規模は小さいが、それでも地元のウマ娘たちには人気の店だ。

 レイも高校時代、よく店を利用する常連の一人だった。今は一戦を退いているはずだったが、店に行った、ということはまだレースに出ることを考えているのかもしれないな、と武は頭の隅で考える。

 

『無理すんなよ』

『私はいいのよ。武の方が心配だわ。学生なのに、トレーナーみたいなこともするんでしょ』

『大丈夫。一緒にレイとやってたこととそんな変わらないだろうし』

 

 武が通っている大学のトレーナー養成コースは、読んで字の如く未来のトレーナーを育てるためのものだ。

 今回の研修も大学の教育プログラムの一つであり、既に高校などで実績を積んだことのある学生は、実際に現場に出てトレーナーの下につき、より実践的な形で学ぶことが出来る。

 武はそこで、将来中央でトレーナーとして働くために大学へ入学した。

 

『変わらないから心配なのよ。勉強も私のトレーニングメニュー組むのも頑張りすぎて、倒れたの忘れてないわよ』

「よく覚えてるな、そんなの……」

 

 誰もいない部屋で、武は一人呟く。

 レイの言うとおり武は高校時代、地方の重賞連覇がかかっていたレイのトレーニングメニューを、普段の勉強と並行しながら必死でやっていた時期があった。結果、無理がたたって熱を出し、学校を休む羽目になった。

 頑張りすぎだとレイに泣きながら怒られたのは、ちょっとしたトラウマだ。しかしそれは心配の裏返しだというのも分かっていたので、同じ轍は踏むまい、と武に決心させる出来事でもあった。

 

『ありがとう、レイ』

『別に。私がなんであんたのことが心配か、分かってるんでしょ』

『……そりゃもちろん』

『後ろめたさは感じなくていいわ。()()は結局、私の一方通行だったんだし』

 

 レイの“あれ”という言葉に、胸が締め付けられる。それでも、マイナスな言葉はかえってレイに対して失礼だろうと、武はぐっと動きかけた指を止めた。

 

『楽しかったわ、あんたとの三年間』

『俺も楽しかった。レイには感謝してもしきれない』

『なら、そっちでしっかりやんなさいよ。武は、“最強のウマ娘を育てる”のが夢なんでしょ』

『ああ』

『私も、あんたに恥じないウマ娘になるわ。だから、負けるんじゃないわよ』

『勿論、生半可な気持ちでここに来たわけじゃないから。レイも頑張れよ』

『ありがと。それじゃ、私はもう寝るわ』

『ああ。お休み』

『お休みなさい。それと』

 

 メッセージのやり取りが終わろうとしていたとき、レイが文をそこで一旦区切った。数秒の間があって、次のメッセージが届く。

 

『私はまだ、諦めてないからね。それじゃ』

 

 直後に手を振るクマのスタンプが来て、そこでレイとのやり取りは終わった。

 

「諦めてない……、か」

 

 武は、レイのメッセージの意味を正確に理解していた。

 最後に会ったとき、武はレイから宣言にも似た言葉を受け取っていた。さっきのメッセージも、そのことを言っているのだろう。

 

「諦めの悪いところは、あいつの美点だな」

 

 久しぶりの幼馴染とのやり取りに微笑みつつ、武はそのまま床に就くことにしたのだった。

 

 

 

「確認ッ! シンボリルドルフの担当トレーナーは決まっているか、という話だったな?」

 

 翌日武は、研修の合間を縫って秋川理事長を訪ねていた。

 理事長室の最奥にどっしりと置かれた執務机の前で、頭上に猫を乗せた栗毛の少女が扇子を手に打ち付ける。彼女こそがトレセン学園の理事長、秋川やよいだ。

 背が小さく、必然的に武は見下ろす形になるが、聞けば年齢は少なくとも武やたづなよりも若いか、同じくらいだそうだ。どうしてそんな子が、とも思うがその辺りは色々と込み入った事情があるらしいので、あえて踏み込んで聞くことはしていない。

 

「はい。昨日の様子だと、決まっててもおかしくないくらいの勢いでしたが……」

「気になる、というのだな?」

「はい」

 

 一晩が経ち、学園で研修を受けている間も、頭の片隅にはあの少女の走りがこびり付いていた。

 加速時のあのスライドの大きさから来る、風のような走り。重心はぶれることなく、ゴールに向かって地を蹴る姿。あそこまでバランスの良い走りを、武は見たことがなかった。

 

「結論ッ。彼女のトレーナーはまだ決まっていない! しかし、トレーナーたちに課題を出したと聞いている」

「課題……。シンボリルドルフが、ですか?」

「肯定ッ! トレーナー契約を結びたいのであれば、『何故私の下へ来たのかを聞かせてほしい』と言ったそうだ。期限は一週間、と聞いている」

 

 トレーナーとウマ娘の契約は通常、トレーナーからスカウトするという形を取っているが、稀に逆スカウトというのも存在することは武も聞いていた。しかし、トレーナーたちを試すというのは、そのまま受け取るのならおかしな行動と受け取れる。

 

「それだけ必死、っていうことか」

 

 生徒たちに慕われ、生徒会長まで務めるルドルフなら、自分の行動が見方によっては傲慢とも受け取られてしまうことは分かるはずだろう。それでもトレーナーたちを試した、ということはデビューにかける想いが相当強いのかもしれない。

 

「質問ッ! 君は、シンボリルドルフと契約が結びたいのか?」

「契約……」

 

 秋川理事長に問われた言葉を、反芻する。

 武が理事長室に来てルドルフのことを尋ねたのも、ただ気になって仕方がなかったからだった。少なくとも、理事長室に来た時点ではそうだった。

 しかし、契約という言葉を聞いたからだろうか。武の内側でもやもやとしていたものが、形のあるものに変わっていく。

 本当は、不相応なのかもしれない。トレーナーの資格もない、学生でしかない身分の自分に出来るはずがない、と考えていた。高校時代に、トレーナーまがいのことをさせてもらっただけの人間に過ぎない。ルールとして見ても、まともな人間ならまずあり得ない、と切って捨てるだろう。

 ――それでも、自分の信じる道のために手段を選ばなかった少女がいた。

 ルドルフが一歩を踏み出したのなら、一瞬でも彼女のトレーナーになってみたいと考えてしまったのなら。

 諦めるのは簡単だ。でもそれでは、レイに対しても顔向けが出来ない。

 答えは一つだった。

 

「――契約したいです。トレーナーの資格があるとか無いとか、関係ない。俺は、あの子のトレーナーになりたいです」

 

 子どもじみた、無茶苦茶な我儘だというのは武自身、誰よりも理解しているつもりだった。それでも“やりたい”と感じたのなら少なくとも、言葉にしておきたいと思った。それこそ、レイグランドのトレーナーだって、元は武自身がやりたいと言い出したからこそ実現したことだった。

 武にまっすぐと眼差しを向けられた秋川理事長は、目を見開く。

 

「不可、と言いたいところではあるが……。共感ッ! 君の想い、しかと受け取った!」

 

 扇子を開いてパタパタと仰ぎ、にっこりと秋川理事長が微笑む。半分ダメ元だっただけに、武は一瞬、反応が遅れた。

 

「あの、いいんですか? 子どもの我儘みたいなものですけど……」

「肯定ッ! 私は、未来ある若者の応援をしたい! ――たづな!」

「は、はいっ!」

 

 秋川理事長に呼ばれ、隣に控えていたたづなが慌てて返事を返した。

 

「至急! URA本部との日程調整を頼む!」

「分かりました! すぐに手配しますね!」

 

 指示を受けて、たづなが駆け足で理事長室を辞していった。

 慌ただしくさるたづなを見送ると、武は秋川理事長へと向き直る。

 

「理由とか聞かなくていいんですか?」

「不要ッ! 君の熱意は、目を見て十分に伝わった!」

「……ありがとう、ございます」

「うむ」

 

にっこりと微笑む秋川理事長に、武は頭を下げる。彼女が万が一困った事態に直面したとき、必ず助けになろうと心に誓うのだった。

 

 

 武は秋川理事長と話し合った結果、他のトレーナーたちはプレゼン資料を作っている、という話を聞き、武も取り掛かってみることにした。

 その間に秋川理事長は、本部と掛け合ってくれるとのことだった。学園にやってきて早々、便宜を図ってもらって頭が下がる思いだ。

 そして一週間が経ち、その日はついにやってきた。

 

 

 先日選抜レースが行われたトレーニングコースの一角で、ルドルフを囲うようにトレーナーが二人並んでいるのが見えた。顔ぶれは若い男の人と、ベテランらしき女の人と一人ずつ。

 武はそこに、一週間かけて作った資料が保存されたタブレットを片手に、歩いていった。

 

「すみません。飛び入り、構いませんか」

 

 第一声を発すると、背を向けて立っていたトレーナー二人が振り向き、その向こうにいたルドルフと視線が合った。

 トレーナー二人の刺すような視線に耐えつつ、武は彼らの隣に並ぶ。

 

「君は……。選抜レースでは見なかった顔だが」

「白井武といいます。この学園には大学のトレーナー研修で来ています」

「研修というと……。なるほど、府中教育大学の学生、ということか」

 

 関心したように頷くルドルフを前に、武は背筋を正す。

 隣のトレーナーたちからの視線の圧だけでなく、ルドルフの佇まいを間近で見ると、自然とそんな姿勢を取っていた。これが皇帝のカリスマか、と心の内で思う。

 

「学生……? けどそのタブレット……。まさか、あなたも彼女にプレゼンを?」

 

 武の手元を目ざとく見ていた女性のベテラントレーナーが、意外そうに目を見開いていた。続けて、若い男性トレーナーが呆れたような声を出す。

 

「学生ということは君、トレーナー資格を持っていないんだろう? 仮にプレゼンが良かったとして、君にはそもそも彼女を担当する権利がない。帰った方が身のためだ」

 

 遠回しに邪魔者扱いされたことに、武はそれが普通の反応だよな、と受け流す。

 

「資格については理事長が今、本部と交渉してくれています」

「り、理事長が!?」

 

 女性トレーナーが驚きの声を上げる。男性トレーナーの方も、信じられないとでも言いたげな表情をしていた。

 

「――ふむ。理事長を動かすとは……。彼女が動くとなればあるいは……」

 

 ルドルフは顎に手を当て、一人でなにやら考え込んでいた。ややあって一つ頷くと、改めて武と視線を合わせる。

 

「白井武、と言ったか。二人の後で良ければ、君の話も聞かせてはくれないだろうか」

「分かりました」

「もう知っているだろうが、私の名前はシンボリルドルフ。この学園の生徒会長を務めている。今回ここに集まっている目的は、把握しているのか?」

「『何故、私の下に来たのかを聞かせてほしい』。そう、伺っています」

「結構。それでは早速、一人ずつ話を聞いていくことにしようか」

 

 その一言により、ルドルフのトレーナー候補たちによるプレゼンが始まった。

 

 武に先んじて、二人のトレーナーがそれぞれプレゼン資料を持ちだして、ルドルフに対して彼女の課題への回答と、その実現のためのプランを提示していった。

 男性トレーナーの方は、ルドルフをより強いウマ娘にするためだと語り、そのために予め用意した分厚い計画書を手渡していた。

 女性トレーナーは、ルドルフへの期待を一緒に背負う覚悟を告げ、勝利するために必要なことをまとめた資料を提示していた。

 やはりというか二人とも、プロとして何年もウマ娘の世界でやってきただけあって、語る言葉も提示した資料も説得力のあるものばかりだった。

 

「では、最後に白井君。君が何故ここに来たのかを、聞かせてくれるかな?」

 

 ルドルフの問いが、武に向けられる。

 タブレットの画面を点け、自分が作ってきた資料を見下ろす。そこには、自分なりにルドルフのデータから作った育成計画書が表示されていた。

 しかしこの一週間、資料を作りながら心の中に引っ掛かるものがあった。

 慣れないながらも作ってきた資料は、プロのトレーナーが作るものと比べて数段劣っているのは火を見るよりも明らかだ。少なくとも、同じ土俵で戦っていても勝ち目は全くと言っていいほどない。

 それでも、何故武はルドルフの下にやってきたのか。その原動力は、何だったのか。

 

「――シンボリルドルフさん。あなたの夢を、聞かせてもらえませんか」

「私の、夢……?」

「質問を質問で返すようで申し訳ないです。でも、大事なことなので」

 

 武の脳裏には、一週間前の記憶が浮かんでいた。

 選抜レースを1着で勝ったあの日、ウマ娘たちの声援を受けていたルドルフは、笑顔を浮かべていた。

 レースのときとも、トレーナーたちと話しているときとも違う、柔らかい笑顔だった。

 

「――いいだろう。私の夢は、全てのウマ娘が幸福に暮らせる時代を創ることだ」

 

 そして、今この瞬間――。

 自らの夢を語るルドルフの表情は、あの日と同じように温かみのある笑みだった。それを見ただけで、武は自分が何を言うべきか、決められた。

 

「なら俺は、あなたの夢を叶えたい。夢の先で、あなたの笑顔が見たい。――俺の夢の原点も、そこにあったから」

「君の、夢か」

「俺の子どものころからの夢は、“最強のウマ娘”を育てること。この一週間、なんで俺はその夢を目指したんだろうって考えました。そしたら、思い出したんです。子どものころに見た有マ記念で1着を取ったウマ娘が、すごく幸せそうな笑顔で笑っていたのを」

 

 全ては、そこから始まった。

 物心ついて間もないころ、両親に連れられて見に行った有マ記念。歴史に残る名勝負だったそのレースで1着を取ったウマ娘を見て、武は両親に言ったのを覚えている。

 

『いつかトレーナーになって、ウマ娘をあんな風に笑わせたい』

 

 本当に、子どもらしい漠然とした夢だった。けれど、いつしか「最強のウマ娘」を育てることを目標にしていた。そうすれば、ウマ娘を笑顔に出来ると信じていたから。

 

「レースで1着になるのも、最強のウマ娘を育てることも、結局のところ手段でしかない。でもだからこそ、強さを求めた先に、皆に見せられる光景があると俺は思います」

 

 ずっと忘れていた夢。いつの間にかすり替わっていた目標。この一週間で、武は忘れてしまっていたものを思い出すことが出来た。多分、久しぶりにレイとメッセージのやり取りをして、過去を振り返る時間があったからだろう。

 

「――なるほど。君の最初の夢はつまり……」

「ウマ娘を笑顔にしたい。それはあなたの夢と、決してかけ離れているものじゃないと思います。そしてその対象は、あなたも例外じゃない」

 

 ルドルフは目を閉じ、黙して考える素振りを見せる。

 

「――――ありがとう。答えは決まったよ」

 

 しばらく間が空いて、目を開いたルドルフが再び口を開いた。

 

「二人とも、素晴らしいプレゼンだった。あなたたちの教えならば、きっと違う景色が見えていただろう。折角用意してもらったのに、申し訳ない」

「……そうか、残念だ」

「頼みましたよ、白井さん」

 

 ルドルフから丁重に返された資料を受け取りつつ、二人のトレーナーはそれぞれ言葉を残しつつ、去っていく。

 彼らの背中を見ながら武は、ルドルフに尋ねた。

 

「本当に、いいんですか。プロでもなんでもない俺と一緒で」

「構わないさ。君は既に、秋川理事長を動かしている。それに、私と同じ夢を見たいと言ってくれた。何故かな、不思議と君の言葉を聞いただけで私も一緒に歩んでみたい、と思ってしまったよ」

「――それなら頑張りましょう、二人で」

「ああ。よろしく頼むよ、トレーナー君」

 

 武とルドルフは互いに向かい合い、力強く握手を交わす。

 例えこの先どんな困難があったとしても、彼女と一緒ならきっと乗り越えられる。ルドルフの紫色の瞳が期待に揺れているのを見ながら、武はそう思ったのだった。

 

 

 

 ルドルフとトレーナー契約を交わすことになった後、武は彼女と共に秋川理事長に報告するため、理事長室へ向かった。

 結果から言えば交渉は成功し、URA本部から正式にウマ娘との契約を許可する通達があったようだ。ただ、トレーナー試験を合格しているわけではないのでURAから仮免許が発行される運びとなった。

 正規のトレーナーになるには、3年後までに試験に合格するか、GⅠレース優勝などの実績を上げることが求められ、もし達成出来なかった場合仮免許は停止される、という条件が付け加えられた。

 その後はルドルフと別れ、新しく宛がわれたトレーナー室や部室の整理整頓や書類作成など、色々と手続きに追われ、やることが全て終わったときには日がとっくに沈み、夜の7時を回っていた。

 

 

「トレーナー君。今、帰るところかい?」

 

 自宅へ帰ろうと学園の校門を出ようとしたところで、背後から声をかけられ振り向くと、制服姿で学生カバンを肩から提げたルドルフが立っていた。

 

「色々手続きがありまして。そちらも今帰りですか? 随分遅い時間ですが」

「私もあの後、生徒会の仕事を片付けていてね。気が付けば、こんな時間になってしまっていたよ」

 

 そう言って、ルドルフは苦笑する。

 彼女は日々のトレーニングや勉学だけでなく、生徒会長としてかなりの量の仕事をしているらしいと噂で聞いたことはある。こんな時間に下校しようとしていた辺り、あの噂は本当なのだろう。

 二人で歩き出しつつ、武はルドルフに声をかけた。

 

「お疲れさまです。あまり、無理はしないでくださいね」

「君もな、トレーナー君。――ところで」

「何でしょう?」

「その、敬語は出来れば止してもらえないだろうか。年長者であり、これから苦楽を共にする君に、そんな言葉遣いをされてしまっては、こう、落ち着かないんだ」

 

 武としては“皇帝”と呼ばれているルドルフに対して、一定の敬意を表すためのものだったが、違和感があったようだ。

 ルドルフに笑っていてほしいと思っても、それは決して、困らせたいというわけではない。武はすぐに、言葉遣いを変えることにした。

 

「分かった。こんな感じでいいか? ルドルフ」

「配慮、感謝する。――うん。こちらの方が、私としても話しやすい」

「なら良かった」

 

 ホッとしたように笑うルドルフに対して、武も笑顔で応じる。武もこの言葉遣いの方が、肩ひじ張らずルドルフと話せる気がした。

 

「ひとまず無事に、契約が正式に成立したようで、ホッとしているよ」

「俺もだよ。まだ仮免許だけど、ルドルフのトレーナーとして頑張るよ」

「ああ、よろしく頼む」

「こちらこそ、よろしく」

 

 正規の免許ではないため油断は出来ないが、これからルドルフのトレーナーとしてやっていくための道筋は付けられた。学ばなければならないことは多いだろうが、ルドルフとなら大丈夫だろうという感覚が不思議とあった。直感みたいなもの、と言ってもいいだろう。

 

「それにしても、理事長室で君の経歴を聞いて驚いたよ。まさか、かつて地方で活躍した“冠位の雷光”……、彼女のトレーナーだったとは」

「非正規の、だけど。少なくとも名目上は先生がトレーナーだったし」

「しかし実際には、君が彼女のパートナーとして地方レースの重賞を次々と制覇していた……。なるほど、上がすぐに動いたのも納得だよ」

 

 “冠位の雷光”。それは、武の幼馴染にして元相棒、レイグランドの異名だ。「冠位」は名前から、「雷光」はまるで雷のようにターフを駆ける様から付けられた。

 本人は「中二病みたいでハズイ」と嫌がっていたが、今ではすっかり地方レースファンの間で定着してしまっていた。

 そんなレイは二年前の年末のレースで一線を退き、諸々の事情もあって武とのコンビも解消、となっている。

 

「結果的に良い方向に動いたってだけだよ」

 

 少なくとも、高校時代に積み上げてきた実績は、武に味方してくれた。

 世間では武の担当教師が、レイのトレーナーであり実績も彼の物、ということになっている。武の存在は、あくまでも学習目的の補助要員、として新聞に報じられたことがある程度だった。

 しかし流石はURA本部というべきか、大学生になったころには既に把握していたらしく、研修として学園に来られたのも、実績を評価されてのことだった。

 

「浮かない顔をしているな」

 

 ルドルフに指摘されて武はようやく、自分の表情に気が付く。いつの間にか、表情に出てしまっていたらしい。

 

「覚悟はとっくに出来てる。ウマ娘を笑顔にしたいって夢のために、まずは君を支えようって思ってる。ただまあ、あいつのことを思い出すと心が痛むっていうか」

「……それは、私が聞いてもいいことなのか?」

「ルドルフが聞きたいっていうなら、話すよ。これから長い付き合いになるわけだし」

 

 言葉を区切って、ルドルフの返答を待つ。

 

「なら、聞かせてもらえないだろうか。愁苦辛勤――君が何故、かつての相棒のことで心を痛めているのかを」

 

 真摯な視線を向けてくるルドルフを見て、武は頷いた。

 

「告白、されたんだ。あいつに」

「――それは、また」

 

 武の突然の言葉に、ルドルフは目を白黒させているようだった。流石に一言だけだと伝わらないのは、重々承知の上で武は続ける。

 

「一昨年の年末にあったレースでレイは優勝して、控室に戻ってきたときに好きだって、言われたんだ。けど俺は、自分のエゴでそれを断った」

 

 あの時のレイの表情は、一年半近く経った今も鮮明に思い出される。黒色の水晶のような瞳を潤ませて、悲しみに暮れる彼女の顔は、忘れたくても忘れられなかった。

 

「君がそのとき抱えていたエゴとは、何だ?」

「“強いウマ娘”を育てる……。昼間にもルドルフに言った夢だけど。当時はそのことばかり、考えてた。ちょうど、将来が有望そうな子を他に見つけた時期だったから、余計に固執してた。『レイは“最強”になった。じゃあ次は、あの子を育てたい。だから中央に行ってトレーナーになろう』、なんてことを考えてたよ」

「君は、彼女のことを……」

「好きだったよ、初恋相手だったから。でも、本当に意味であいつの気持ちを考えられてなかった。俺とこの先も、ずっと一緒に走りたいって言ってくれた。引退してからもずっと。けど俺は、『それは無理だ』って無神経にも言ってしまって」

 

 ――レイを、酷く傷つけた。

 小学校低学年のころからの付き合いで、ずっと片思いしていた相手から告白されたこと自体は、武も嬉しかった。両想いだったんだ、と思っていた。

 けれど同時に、中央に行ってトレーナーになり、レイ以外の“最強のウマ娘”を育てたいという思いもあった。常日頃自分の夢を語っていた相手であるレイなら、きっと分かってくれる。

 勘違いも甚だしかった。

 

 帰り道を歩きながら、ルドルフは肯定も否定もせず、静かに武の話を聞いていた。だからだろうか、武はつい、自分の後悔を洗いざらい吐き出していた。

 

「本当に最近まで、自分のバカさ加減に気付いてなかったよ。レイの気持ちに応えられなかった分、俺は“最強のウマ娘”を育て上げていかなくちゃなんて思ってた」

「それに気付いたきっかけは……。そうか、私の問いかけか」

「うん。ルドルフの問いかけを理事長伝いに聞いて、プレゼン資料を作りながら考えてた。何で俺は、トレーナーになろうと思ったのか。何で、ルドルフを担当したいって思ったのか。そしたら案外、答えなんて簡単だった。小さいころに、とっくに見つけてたものだったから」

 

 あるいはもっと早くに気付いていたら、レイの気持ちを傷つけず、中央を目指すにしてももっとマシな言い方があったのかもしれない。

 しかしそれはもう、取り返しのつかない過去の話だ。変えることは出来ない。せめて、同じ轍を踏まないように明日を生きていくしかない。

 

「――それを、この短期間で見つけるとは。流石だな」

「褒められることではないと思うよ」

「それでも、だよ。やり方を間違えてしまったとしても、君は今、ここに立っている。その上で、過去とも向き合った。それは尊ぶべきことだと、私は思う」

 

 思っていたよりも肯定的な言葉を向けられて、武は頬をかく。何故だか、実績を褒められることよりも嬉しいと感じていた。

 

「改めて聞くけど、本当に俺でいいんだよな?」

「心配無用。君となら、私も共に成長していけると感じたよ」

 

 まるで確信したかのように、ルドルフは笑顔を浮かべる。ひとまずは受け入れてもらえたらしいと分かって、武はほっと一息吐いた。

 

「悪い、俺ばっかり話して」

「気にするな。その代わり、いつか私の身の上話でもさせてもらおうか」

「ルドルフの話か。さぞ可愛い子ども時代だったんだろうな」

「揶揄わないでくれ。まだまだ道理をしらない頃の話だからね」

 

 ちょっとした冗談を言い合い、武とルドルフは笑い合う。

 真面目で気高く、そして優しい目の前の少女のことを見ながら、何がなんでも彼女のことを支えようと、武は改めて心に誓うのだった。

 

 

 

 

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