新潟レース場で開催されるジュニア級メイクデビューの今日、天候は幸いにも晴れとなっていた。
「いよいよデビュー戦だな、ルドルフ」
地下バ道に向かいながら、武は隣を歩くルドルフに視線をやる。
ルドルフはトップスが白、ボトムスは緑の体操着姿で、「6」の数字が大きく書かれたゼッケンを身に着けていた。普通のウマ娘なら初々しさを感じるところだが、彼女の場合は堂々とした立ち振る舞いもあってか、見事に着こなしていた。
「そうだな、トレーナー君」
「緊張してるか?」
「愚問だな。私は必ず勝ってみせるよ。そのために私たちは、今日まで鍛錬を重ねてきたのだろう?」
自信に満ちた目で、ルドルフは武と視線を合わせる。
彼女の言うとおり、武とルドルフはデビュー戦に向けて、調整を重ねてきた。
今回のレースは、芝の2000mで行われる。これは本来、デビュー初戦で走るには少々長い距離だ。大抵のウマ娘は、1000mかそれよりも少し長い程度の距離を走る。
しかしルドルフは己が夢のため、まずはクラシック三冠を手にすることを目標としている。一冠目となる皐月賞は今日と同様、2000mのコースを走ることになる。そのためにもまずは、デビュー戦で慣らしておきたいというのが、ルドルフの希望だった。
「結構きつめにトレーニングメニュー組んだつもりだけど、全部やり切れるとは正直思ってなかった」
武はルドルフの意向をくんで、通常ならデビュー前のウマ娘ではしないような、ハードなトレーニングを組み込んでいた。内容はバーベルやウェイトトレーニングをしたり、山を走ったりといった体づくりや、学園のコースを使った実践形式の練習など、様々だった。
元々基礎的な体力はついていたからか、彼女はそれらのトレーニングを難なくこなし、更には生徒会の仕事や普段の勉強までこなしていたというから驚きだ。
「クラシックを走るのに、避けては通れないからね。少しずつ私が走れる距離を伸ばしていく調整をしてくれたおかげで、今はすこぶる調子が良い」
「それなら良いんだ。頑張ってこいよ」
かつてレイに怒られたことが頭を過るが、喉元まで出かかった言葉を抑え、武はルドルフの背中を押すことにする。
大事なレース前にあれこれ言って調子を崩してしまうのだけは、避けたいことだった。
「ありがとう。――では行ってくるよ」
意気軒昂といった調子で返し、ルドルフは地下バ道へと入っていく。彼女の背中を見送ると武も踵を返し、観客席へと向かったのだった。
『最後に本バ場へ入場したのは、6番、シンボリルドルフ! 圧倒的1番人気です!』
武が観客席に入ったのとほぼ同時に、女性のアナウンスが会場に響いた。
人気投票の順位を示すかのように観客たちの関心は、先日の選抜レースで圧倒的な走りを見せたルドルフに集まっていた。
ルドルフが観客席の前まで進み出て手を振ると、歓声や拍手が沸き起こる。それほどまでに、彼女への注目度は高かった。ルドルフも特に緊張した様子もなく、寧ろ余裕そうな表情で観客たちに手を振り返していた。
先にゲートの周辺で待機している残り8人のウマ娘たちは、そんなルドルフのことをある者は羨ましそうに、またある者は嫉妬の表情で見つめている。
「これだけ場を支配してるとなると、他の子たちからのマークもつくだろうけど……」
登場しただけで、あっという間に空気を自分の物にしてしまうルドルフのカリスマ性は目を見張るものがあった。しかしそれは逆に、他のウマ娘からのターゲットにされやすいということにもなりかねない。
それでもルドルフはしっかりとトレーニングを積んできたし、彼女の地頭の良さからすると、どういうレース展開になりうるかは想像がつくだろう。
「――信じてるぞ、ルドルフ。君なら必ず勝てる」
デビュー戦とはいえ、負けてしまう可能性はゼロではない。それでもルドルフの努力をしっている武は、彼女の勝利を疑っていなかった。
『各ウマ娘、ゲートに入り体勢整い――今、スタートしました!!』
ゲートが開いた瞬間、9人のウマ娘たちが一斉に飛び出した。
ルドルフはお手本のような綺麗なスタートを決め、最初の直線を4番手の位置につけて前を伺う。
「出だしは上々、流石ルドルフ」
先頭に立った黒い短髪のウマ娘が大逃げの形を取り、2番手との差は4バ身以上の開きがある。自分がレース展開を構築して、後続を疲弊させようという魂胆か。
先頭のウマ娘も、序盤から中盤にかけてスタミナを使いすぎて、終盤でバテてしまい順位を落としかねない博打だ。しかもデビュー戦でその戦略に打って出るのは、明らかにルドルフを意識してのことだろう。
2番手、3番手のウマ娘は何とか先頭に食らいつこうとしつつ、すぐ後ろにいるルドルフを意識したコース取りをしていた。
『各ウマ娘、第1コーナーから第2コーナーへと進む! 早いレース展開となっていますが、後続の子たちはついて来られるのか!?』
出だしからハイペースになったこのレース、4番手以降のウマ娘たちは無理にルドルフを囲おうとせず、足を溜めながらマークする方向に切り替えていた。
前方では変わらず、3人のウマ娘たちが、ルドルフに越されまいと必死の形相で走っているのが会場内の中継モニターに映し出されていた。
言いようのない緊張感が観客席を支配する中、武も生唾を飲み込む。
「――焦るなよ、ルドルフ」
観客席にいる武の心配とは裏腹に、ルドルフは落ち着いていた。
「心配無用だ、トレーナー君」
地下バ道に向かう前、彼は明らかにルドルフ以上に緊張していた。
我儘も同然な頼みを、嫌な顔一つせず受け入れてくれたことは、ルドルフにとってありがたいことだった。
体調面での心配もあったのだろう。言葉にはしていなかったが、表情には分かりやすいくらいに現れていた。
「それでも彼は、私の勝利を信じてくれている」
あれだけ緊張していたということは、勝ってほしいという思いの裏返しだ。それは何も、信頼していないということではない。むしろ逆だろう。
武の期待と信頼は、まだそれほど長い付き合いではないルドルフにも十分伝わってきた。
「ならば――」
彼が信じてくれた自分を信じるだけだと、ルドルフは前を見据え続ける。
ルドルフの遥か前方、序盤から大逃げに打って出た1番手のウマ娘は、第3コーナーの手前から明らかに速度が落ちて、後続との差が縮まってきていた。
対して後ろの方からは、追い上げの準備にかかろうというウマ娘たちの気迫がびりびりと伝わってくる。
「これがトゥインクルシリーズ……。やはり、観客席から見ているのと実際に走るのとでは全く違うな」
学園内での模擬戦や選抜レースは走ったことはあれど、ルドルフにとって公式戦はこれが初めてだ。
芝の匂い、前後を走るウマ娘たちの息遣い、そして全身で感じる風、スタンドの方から聞こえてくる観客たちの歓声……。多くの人々の想いが注がれているのを、肌で感じ取っていた。
しかしルドルフの心の内では、気圧されるどころかむしろ高揚感が湧き上がっていた。
これが本当のレース。そして、自分の夢へ近づくための大きな一歩だと思うと、自然と口角が吊り上がる。
「このレース、確実に勝ってみせよう――!」
『各ウマ娘、第3コーナーから第4コーナーへ向かう! 各ウマ娘のペースも上がってきた!』
レースは佳境へと向かい、観客席の盛り上がりが徐々に最高潮へと向かう。
後方からの追い上げに負けるまいと、先頭集団のウマ娘たちが残された力を振り絞る。
そして、第4コーナーから最後の直線へ立ち上がる直前――レースは大きく動いた。
「――来たっ!」
思わず拳を握り、声を上げた武の視線の先には、先頭集団をかわし颯爽と前を行くルドルフの姿があった。
腕を振りターフを踏みしめ、ひたすらに前を進んでいく。
『先頭はシンボリルドルフ!! ルドルフ先頭!! 後続たちを引き離し、その差は1バ身、2バ身――まだ広がる!!』
興奮気味のアナウンスの声と観客たちの歓声を浴びて、ルドルフが力強くスパートをかけ、後続たちをどんどん引き離していく。
最後のコーナーを抜ける直前から仕掛けたルドルフに、他のウマ娘たちは全く対応出来てなかったようだった。
それもそのはず、ルドルフの最大の武器はラストスパートの伸びにあった。
例えブロックされていてもねじ伏せる、パワフルな走りと驚異的なスピードは、さながら風のよう。
武が初めてルドルフを見たときも、彼女はそんな走りをしていた。
だからこそ、ラストスパートまで耐えるためのスタミナと、最後に必要な瞬発力を重視して鍛えてきた。
そしてその成果は、想像以上の形で返ってきた。
『後続たちも追いすがるが、依然として距離は開いたまま! シンボリルドルフが最後の直線を独走し――今、1着でゴール!! シンボリルドルフ! 5バ身差でデビュー戦の勝利を飾りました!!』
文字通り後続たちを置き去りにして、ルドルフがトップスピードのままゴール板の前を駆け抜けた。
「おめでとう、ルドルフ!」
ウィナーズサークルでルドルフと合流するなり武が声をかけると、ルドルフが余裕の笑みで応じる。
「ありがとう、トレーナー君。見てくれていたか」
「ああ、最高の走りだった。流石だ」
「そこまで褒めてくれるとは、嬉しいよ。それに――」
ルドルフが視線を向けた先には、観客席から声援を送る人々の姿があった。皆、武たち――正確には、ルドルフに希望と期待の籠った視線を向けていた。
「今この瞬間、私の走りに夢を見てくれている者たちがいる。ふふっ、責任重大だな」
「そうだな。俺も、君のことをここからもっと、支え続けるよ。一緒に夢に向かって走るって決めたから」
これからルドルフはレースを走る度、多くの人の関心を寄せ付ける、すごいウマ娘になれるだけのポテンシャルを持っている。
武は選抜レースやデビューに向けたトレーニングで、その片鱗を見てきた。
最終コーナーからの走りは勿論、明晰な頭脳、カリスマでもって多くの学園の生徒たちから慕われる様子、勝利のために努力を積み重ねる忍耐――。
必ずしも努力や人気が結果に結びつくわけではないのが、ウマ娘レースの厳しいところだ。けれど、ルドルフならきっとやってくれる。そんな信頼感があった。
そしてそれは、ルドルフのことを直接は知らない観客たちも同じだろう。だからこそ、彼らの期待が重荷になってしまわないように、支え続ける。
――いや、もっと支えたいと思った。トレーナーとしてだけでなく、一人の人間として。
「――ふふっ、頼もしい限りだよ」
そんな武の決意が伝わったのか、ルドルフは心底嬉しそうに微笑んでいた。
ウィナーズサークルでの記者たちからの取材を受けた後、武とルドルフは控室へと戻っていた。
「早速着替えてみたのだが、どうだろうか」
レースの後に行われるウイニングライブの準備のため、着替えたルドルフが、おかしなところはないかと武に衣装姿を見せる。
白と赤と青をメインカラーとした衣装は、ステージで踊ることを前提とした動きやすい構造になっていた。その上でデザインにもこだわっているようで、どんなウマ娘が身に着けても可愛らしく見えるようになっていた。
デザインのことを十分承知した上で、改めてルドルフの衣装姿をまじまじと見る。
凛とした佇まいでどこか威厳と風格のあるルドルフだが、普段の制服姿やジャージ姿が見慣れていた分、新鮮だった。
衣装一つで、ここまで華やかに見えるのかと武は思う。
「――うん。めちゃくちゃ似合ってる。マ子にも衣装だ」
頭の中では色々と感想が出てきたが、どれを言うべきか瞬時に取捨選択した結果出てきたのは、極めてシンプルな言葉だった。
「そこまで褒められると、かえって面映ゆいな」
武の直球な言葉に、ルドルフは頬を染めながら苦笑する。
「ごめん、ついぽろっと」
「いや、いいんだ。あまり、そういう褒め言葉には慣れてない、というだけだ」
親族はどうか武には分からないが、ルドルフの場合周囲の子たちから尊敬の眼差しで見られることが多い印象だ。ルドルフに対して失礼があってはならないからと、「似合っている」以上の言葉を貰う機会は少なかったのかもしれないのは、何となく想像は出来た。
「まあ、その。俺の偽りのない本音だよ」
「分かっている。私もつい、照れてしまってね」
「けどこの先は多分、そういう言葉もファンの人たちから貰うようになると思うよ。ルドルフなら間違いなく」
「なら、今のうちに慣れておかないとな」
そう言ってルドルフは、僅かに恥じらいの表情を残しながらも、頷いた。
日が傾き、夕陽に照らされた野外ステージの観客席は、今日のレースを見ていたであろう観客たちが大勢いた。
決して広いとは言えないが、それでもほとんどのスペースが埋まってしまうほどの盛況ぶりだった。
「これほどの観客がいるとは、中々壮観だな」
ステージの袖からこっそりと観客席を覗いたルドルフが、呟いた。間違っても観客たちに声が聞こえないように、声のトーンはやや抑え気味だ。
「例年のデビュー戦より、多いんじゃないか?」
ルドルフの傍に立って一緒に覗き込みながら、武も呟く。
子どものころからウマ娘レースが好きな武は、何度か日本各地で行われる中央のデビュー戦も身に行ったことがある。思い出せる範囲だと、多くても今日の四分の三程度だったか。
ネット配信も主流なこの時代にこれだけの人を集めたのは、やはりシンボリルドルフという期待の新人が大きく報道されていたからだろう。
「これは、ますます気合が入るな」
「力み過ぎて棒立ちだった、なんてことはないようにな」
デビュー戦後のライブではたまに、ダンスや歌のレッスンを受けていなかったり緊張しすぎるあまり、棒立ちになってしまったりといった話がある。前者は指導者側の問題もあるが、後者の場合は事前にしっかり練習していた子が特になりやすかった。
ルドルフも武のトレーニングとは別に、専門のコーチから指導を受けてしっかりと練習してきている。彼女の精神状態次第では、あり得ない話ではなかった。
「無い……とは言い切れないな。忠告感謝するよ」
笑って応じながら、ルドルフは観客席の方をまっすぐと見ていた。それを見て、杞憂だったかと武は安堵した。
「――あ、あのっ! お話し中すみません!」
観客席を覗きこんでいると背後から声を掛けられ、武とルドルフは後ろを振り返る。そこには、先ほどのレースで2着と3着だった二人のウマ娘がステージ衣装姿で立っていた。声をかけたのは、2着の子――レース序盤から大逃げを展開していた黒い短髪のウマ娘の方だった。
「ああ、君たちか。構わないよ。先ほどのレースでは同じターフの上で戦えたこと、感謝している」
「はいっ。ルドルフさんには完敗しちゃって悔しいですけど……。でも、一緒に走れてよかったです!」
「私もです! 今日のライブ、よろしくお願いします!」
2着の子に続き3着の栗毛の長髪の子も、ルドルフに対してぺこりとお辞儀をする。
「ああ。こちらこそよろしく頼むよ。私も初めてのステージで、実のところ緊張はしていたんだ」
「そうなんですか? あんなに堂々とされてたのに」
2着の子が、意外そうな表情を浮かべる。確かに傍から見れば、ルドルフは緊張なんかしないように思える。
「緊張しているからこそ、だ。君たちも知ってのとおり、私は生徒会長も務めているが、初めて皆の前で演説したときは緊張したよ。それでも自分を奮い立たせて胸を張り、堂々と演説する。――これだけで、大抵のことは乗り越えられてきた。事前準備ももちろん大事だが、本番で最後に物を言うのは度胸だ」
「ど、度胸……」
「緊張するのは失敗したくない、負けたくないと思うからこその気持ちだ。ならその気持ちを力に変えて、このステージで皆にぶつけてしまえばいい。それにウイニングライブは三人で歌う。ターフの上ではライバルでもステージの上では仲間だ。皆の力を合わせれば、最高のライブに出来ると信じているよ」
「――はいっ! ありがとうございます!」
「がんばります!」
二人はルドルフの言葉を聞くと、先ほどまでどこか硬かった表情が幾分か解れたようだ。
元の待機場所に戻り、振り付けの確認をする二人を見送りながら、ルドルフは微笑んでいた。
「すごいな、ルドルフ」
「私は少しだけ背中を押しただけだよ。あの子たちがより良いひと時を過ごせるようにね。――それに」
「それに?」
「自然と口を吐いて出た言葉ではあったが、私自身改めてステージに上がる覚悟が決まったよ」
こういう時、誰かにアドバイスをしようと話したことが、自分にとっても励みになるという経験は武にも覚えがあった。
初めてトレーナーのようなことをするとなったときは、不安や緊張で押しつぶされそうになったのも今ではいい思い出だ。
「それなら後は、全力で出し切るだけだな」
「ああ。見ていてくれよ、トレーナー君」
「勿論だ。俺は君の、ファン第1号だからね」
そう言うとルドルフは一瞬、きょとんとしたような表情をしていた。
皇帝と慕われる子でもこんな顔をするんだなと思いつつも、武はもう一度声をかける。
「何かおかしなこと言ったかな、俺」
「――あ、ああ、いや、すまない。そうではないんだ。ただ、トレーナー君の言葉を噛み砕くのに時間がかかってしまってね。……そうか。トレーナー君が私の最初のファンか……。ふふっ」
考えるようなポーズをしながら、ルドルフは噛みしめるように呟く。
ルドルフ本人にはまだ言っていないが、そもそも彼女のトレーナーになりたいと思ったきっかけは、初めて選抜レースで風のような走りを見たからだった。あの瞬間間違いなく、武はルドルフのファンになっていた。
「ルドルフ?」
「いや、思いの外、嬉しくてね。――うん。ならば私は、君にも最高のパフォーマンスを見せなければな」
「ああ。ここから応援してる」
「ありがとう。トレーナー君がいるなら、100人力だ」
そう言って笑いながらルドルフは、最後の段取り確認を行うと告げて、先ほどの二人の下へと向かった。二人のウマ娘はルドルフが来たことに最初は驚いた様子を見せたものの、すぐに受け入れ、三人で話し始めた。
この調子なら大丈夫そうだと一息吐き、武は邪魔にならないところまで移動してライブの開始を待つことにしたのだった。
日が更に傾いて薄暗くなり、いよいよライブ開始の時間が迫ってきた。
ルドルフは他の二人と一緒に舞台袖に立ち、スタッフの合図が出る瞬間を待つ。
「準備はいいな? ルドルフ」
「問題ない。後は全力で出し切ってくるだけだよ、トレーナー君」
本番前最後の合間を縫って武が声をかけると、ルドルフは余裕の笑みでもって応えた。
そんなやり取りをしていると、ルドルフを挟むように並んでいた二人のウマ娘がくすりと笑った。
「会長さんとトレーナーさん、仲が良いんですね」
「うんうん。さっきも二人で、何か話してましたし」
「ごめん、邪魔だったかな」
流石に無遠慮だったかと武が謝ると、二人は首を振った。
「大丈夫です。ルドルフさんがレースであんなに強かった理由、何となく分かりましたから」
「うんうん。そりゃ勝てないわけだよ」
「――ふむ。もう少し詳しく聞きたいところではあるが……。始まるな」
武と同様、二人の言葉の意味を図りかねた様子のルドルフだったが、開園を知らせるブザーが鳴ったために、話を打ち切って前を見る。
武も三人の邪魔にならないように数歩下がった直後、彼女たちは一斉にステージに向かって駆けだした。
ルドルフのデビューを飾るウイニングライブは、結果として成功に終わった。
観客たちからの声援を受けたルドルフも、両脇を固めた子たちも笑顔でステージを終えることが出来ていた。
ひとまずこれで、最初の関門はクリアしたと言えるだろう。
「今日は本当にお疲れさまだ、ルドルフ」
新潟から東京へ向かう新幹線の中、武は隣の窓際の席に座るルドルフに声をかけた。
「ありがとう、トレーナー君。これでようやく、夢に向かって走り出すことが出来たよ」
「レースでは文句なしの1着、ライブも大成功。お客さん、すごく喜んでたな」
「ああ。ターフの上でもステージの上でも、皆の声援はすごく力になった。これからも粉骨砕身、彼らのためにも努力していかないとな」
観客たちの声援は、ルドルフにとって励みになるものだったようだ。彼女の綻んだ表情が、それを何よりも雄弁に語っていた。
実際、ルドルフがセンターとして行われたライブは、デビュー戦とは思えないほどの盛り上がりぶりだった。
高い歌唱力、キレのあるダンスをした上、視線もしっかり送るという、堂々としたパフォーマンスが観客たちの心に響いたようだ。SNSで、今回のライブのことを興奮気味に語っている人たちが数多く見受けられたことが何よりの証明だった。
「すっかり人気者だな。今日のレースとライブの呟き、すごい数だよ。見てみる?」
「いや、遠慮しておこう。皆の声は観客席から十分に聞こえるし、あまりネットの声に拘泥しすぎても良くないからね」
「まあ、確かに。今は色々大変な時代だからな」
ネットは匿名性が高い分、ポジティブな言葉だけでなくネガティブなことを書き込まれてしまうことも多い。ルドルフもこの先、そういったことを書かれることが出てくる。場合によっては、心を乱されてしまうこともあるだろう。
彼女の判断は十分、理に適っていた。
「まあそれでも、誰かが私を見てくれているのはとても嬉しいよ」
「今日のライブも、すごく嬉しそうに笑ってたもんな」
「そんなところまでよく見ているな、トレーナー君は」
武の言葉に、ルドルフは照れ臭そうに笑う。
「そりゃあ、曲がりなりにも2ヶ月近くルドルフのこと見てきているから。初めてのライブであんな風に笑えるなら、この先も大丈夫だなって安心したよ」
「なら私も、その信頼に応えないといけないな。この先のレース――特にクラシックに入れば今以上に厳しいものになる。まずはそこに向けて、己を鍛えていくつもりだよ」
流石と言うべきか、ルドルフは先々のことまでしっかり考えているようだった。
「俺も、ルドルフのことしっかり支え続けるよ。まだまだ未熟だけど、これからもよろしくね」
「それを言うなら、私も未熟者の身だ。こちらこそ、よろしくお願いするよ」
本当ならしっかりとした大人のトレーナーの方が、ルドルフがいざ立ち止まってしまうようなことがあったとき、道を示してあげられるのかもしれない。しかし武にはそういった人生経験はまるで無かった。
それでもルドルフの夢を叶えると決めた以上は、とことん付き合うつもりだった。
「――とまあ、お互いの決意表明もしたところで」
武は黒いリュックからタオルケットを取り出して、ルドルフに渡した。
「トレーナー君、これは……?」
「今日はいっぱい頑張ったし、東京に着くまでの間くらいは寝てて大丈夫だよ。まあ、ルドルフは今日に限らずいっつも頑張ってるけどさ」
慣れない土地でのレースにライブと、ルドルフは自覚が無いかもしれないが初めてのことばかりで、身体には疲労が溜まるだろうと思い武があらかじめ用意していた。
「心遣い、感謝する。正直なところ少々、眠気もあってね」
「それだけ頑張ったって証拠だよ。タオルケットは一応新品だから、遠慮なく使って」
武からタオルケットを受け取り、ルドルフは自分の体にかける。
「なら、ありがたく使わせてもらおう。トレーナー君は眠らないのか?」
「俺は、今日のことをレポートにまとめて、大学に提出しないといけないから。少しでも記憶が残っているうちから始めておきたくて」
武はリュックからノートパソコンを取り出し、電源を点ける。
ルドルフのトレーナーとしてやっていく場合、この先大学の講義に顔を出す余裕はほとんど無くなる。代わりにレポートを提出すれば単位が出るということだったため、レースの度に書くことになっていた。
目標レースに向けてどんな練習過程やレースでの結果、武とルドルフのメンタルのことなど、内容は色々だ。結局はレースで結果を出すことが全てであるため、どちらかというと報告書や日報の類ではあるが、だからといってさぼるわけにもいかない。
「……ふむ。そう言われると、私も溜まっている生徒会の仕事をしたくなってしまうのだが……」
「ルドルフは今日の主役だったんだから、ゆっくり休んでよ。俺は走ってなかったし、帰ったらさっさと寝るつもりだから」
それにまた無茶をしたらレイにも怒られそうだし、と冗談交じりに武は笑いパソコンに向かう。
「そういうことなら、私は休ませてもらうとしようか」
「うん。東京駅に着く前には起こすよ。降りる準備もあるし」
「何から何まで、本当に世話になる」
「そりゃ、ルドルフのトレーナーですから」
ルドルフがウマ娘たちのために頑張っているように、武も彼女の夢を支えるトレーナーとして、出来ることはしておきたかった。あまり度が過ぎればお節介だろうが、このくらいなら良いだろうと踏んでのことだった。
「――ふふ。ではお休み、トレーナー君」
「ああ、お休み」
ルドルフは目を閉じ、ややあって寝息を立て始める。
すぐに眠りについたあたり本当に疲れていたんだなと思いつつ、武はレポートを書き進めていったのだった。