NEXT FRONTIERを目指して   作:ハチハル

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第3話 休日、皇帝の素顔

 ルドルフが華々しい勝利を飾ったデビュー戦から約一週間後、武は束の間の休日を過ごしていた。

 日曜日ということもあり、今日は各地でウマ娘のレースも開催されている。武は住んでいる場所から近いという立地条件もあって東京レース場に行くことが多かった。

 今日は夕方から重賞レースがあるということで、それまでは暇だからと駅前を散策することにした。レポートも無事片付け、直近でルドルフの大きなレースはまだ無いため久しぶりに羽を伸ばせる。

 そんな休日でもウマ娘のことを考えている辺りが、白井武という青年の長所であり短所でもあった。

 

 

 レースまでの時間を潰そうと考え、とりあえず駅近くの映画館に向かうとよく見知った人物が入り口でポスターを眺めている姿があった。

 七分袖が特徴的な緑のトップスと白いパンツ姿の女性が、武に背を向ける形で何やら考え込んでいる様子だ。

 服装だけで言えば普段からそのような恰好をしている女性に覚えは無いが、鹿毛の尻尾と髪、頭の上から生えた耳、そして考え込む際の立ち方の癖から、誰かはすぐに分かった。

 

「ルドルフ?」

 

 名前を呼ぶと、耳をぴょこっと動かし鹿毛の少女――ルドルフが振り向いた。

 

「――ああ、トレーナー君じゃないか。急に声をかけられたものだから、驚いてしまったよ」

 

 武の姿を認めると安堵したように、ルドルフが笑う。一方の武は、これまた意外な物を見て咄嗟に反応を返すことが出来なかった。

 

「トレーナー君?」

「……ごめん、ルドルフの眼鏡姿に驚いてた」

「ああ、これか」

 

 ルドルフはフレームが紺色の、縁が上半分だけになっているタイプの眼鏡をかけていた。

 普段は威風堂々とした印象だったが、眼鏡姿になると服との組み合わせもあってかより知的で大人っぽく見える。

 

「初めて見たよ、ルドルフが眼鏡かけてるの」

「そういえば君の前では、この姿を一度も見せたことは無かったな。大抵、学校指定の物か勝負服だったからな。変だろうか?」

「いや、むしろ似合ってる」

「そ、そうか」

 

 一も二もなく武に即答されて、今度はルドルフが戸惑いを見せる番だった。しかしそう答えてしまうほど、ルドルフの眼鏡姿は新鮮でありよく似合っていた。

 

「眼鏡といえば、ルドルフって目は悪くなかったと思うけど」

 

 確か、ルドルフの担当になる前に彼女のデータを閲覧したときに視力のデータが入っていたが、数値は平均よりも良かったような記憶がある。普段の様子を見ていても、視力の悪さを伺わせるような場面はなかったはずだ。

 

「これは伊達眼鏡だよ。度は入っていない」

「じゃあ、オシャレ用ってわけか」

「そのとおりだ。私なりに色々研究してかけてみているのだが、似合っていると言われてほっとしたよ」

 

 ルドルフは照れ臭そうに頬を掻く。

 普段の生徒会の仕事やレースに対するひたむきな姿勢、威風堂々とした立ち振る舞いを見ていて失念していたが、ルドルフとて一人の年頃の少女ということなのだろう。

 

「トレーナー君の私服姿も、見るのは初めてだな」

 

 興味深そうにルドルフは、紺色の半袖Tシャツに白系のズボンというラフな格好をした武の全身を眺める。

 その視線にむず痒さを覚えながらも、武は頷いた。

 

「普段はスーツ姿だもんな」

 

 武はトレセン学園では基本、スーツ姿で過ごしていることが多い。最近は気温も上がってきたので、上着は着ずにワイシャツ姿が基本的な恰好だ。

 学園からの指定は無いが、周囲の先輩トレーナーたちはスーツやジャケットを着ていることが多いので、武もそれに倣っていた。

 結果としてルドルフも、ワイシャツ姿の武と接することが多くなっていた。

 

「ああ。休日だから当然といえば当然の格好だが……、学園の外でこうして私服姿の君を見ていると、何だか不思議な感覚になるよ」

「言いたいことはよく分かるよ」

 

 武とルドルフは基本的に、学園やデビュー戦に関わる場所ぐらいでしか顔を合わせたことが無い。そういった場所ではお互い、きちんとした格好をしていることが常だった。

 学園もレースも関係ない場所で、完全にオフの状態で顔を合わせたとなるとどうにも落ち着かない気持ちは、武にもあった。

 

「ふむ。スーツ姿を見慣れていたから、というのはあるにしても……。うん、君もよく似合っている」

「そ、それはどうもありがとう」

 

 思いの外良い評価を貰えて、武は頭を掻く。

 

「ふふっ。さてはトレーナー君、あまり褒められ慣れてないな?」

「まあ、あんまりそういう機会はなかったから」

 

 成績面で良い評価を取って褒められることなら素直に受け取れるのだが、それ以外の要因で褒められるのは何故か、照れ臭さがあった。

 そういった部分をかぎ取ったのだろう、ルドルフは微笑みを浮かべて武を見ていた。

 

 

 

「ところでルドルフは、見る映画決めたのか?」

 

 あらかた互いの格好について話すことは話したかと、武は話題を変える。

 

「それが、まだ決めかねていてね。私はどうにも他人に威圧感を与えてしまうようだから、少しでも共有出来る話題があればと来てはみたのだが……」

「色々タイトルがあって、決めきれないってこと?」

「そんなところだ。あまり、流行りの映画というものには疎くてね。情けない限りだが」

 

 ルドルフはルドルフなりに、他人――この場合はウマ娘たちだろう――から親近感を持ってもらうために、映画館へ来たのだろう。

 しかしルドルフは、自らの夢のため学園生活だけでなく生徒会長を務め、つい先日レースデビューもしたばかりと多忙の身だ。世の中の流行にアンテナを張り切れないのは、無理もないことだった。

 

「それじゃあ、流行りとは別に気になる映画はある?」

「私個人の感性でいいのか?」

「流行りもいいけど、まずはルドルフの興味を優先させた方がいいんじゃないかなって」

 

 ルドルフがどんな種類の映画が好きなのかは分からないが、無理に流行り物を観るよりはそちらを優先させた方が、話題作りもしやすいのではと考えて提案してみる。

 ルドルフは顎に右手を当てて、暫し考える素振りをしてから顔を上げた。

 

「例えばそうだな……。今日上映しているもので言うと、そこのポスターに載っているタイトルだな」

 

 彼女の視線の先には春ごろに公開された、ウマ娘を主人公とした実写映画のポスターがあった。一時期、テレビで特集として取り上げられるほどの話題を集めた映画だ。

 

「なるほど。公開日に見たけど、凄かったよなこの映画」

「なんと。トレーナー君も見ていたのか」

「もしかしてルドルフも、公開初日に?」

 

 武が聞くと、ルドルフは嬉しさを隠し切れない様子で頷いた。

 

「ああ。偶然にも休みの日に重なっていてね。主人公が挫折と苦難を超えながら成長していく過程が丁寧に描かれていて、自然と物語に惹き付けられていたよ」

「確かに。泥臭いけど、皆の言葉で立ち上がって走ってるのを見ると、『頑張れ』って気持ちになったな」

「『頑張れ』……か。ふむ」

 

 武が映画の感想を語ると、ルドルフが何やら考え込んでいた。

 

「ルドルフ?」

「ああ、いや、君の感想と比べると私は、物語の流れや構造といったものに焦点を当てているなと思ってね。ほら、トレーナー君は主人公への共感を示しただろう?」

 

 ルドルフの言葉どおり、武は確かに主人公の気持ちに共感したが故の感想を口にしていた。物語の流れを見られるのも十分すごいことだと武は思うが、彼女にはどうにも引っ掛かるものがあったらしい。

 

「確かにそうだけど……。それがどうかしたの?」

「どうにも私は、同世代の子と比べて感想が批評に寄るきらいがあるようでね。それは君も例外ではなかったらしい」

「まあ確かに、ルドルフのは批評っぽいといえば批評っぽいけど……。そこに視点が向けられるのも、すごいと思うよ。あ、でもそうか」

「君の思っているとおりだ、トレーナー君。同世代の子たちには、いささかハードルが高くなってしまうようでね」

 

 同世代の子……つまりルドルフと年の近いウマ娘たちは、登場人物の気持ちや感情に寄り添って見る子が多いかったのだろう。一方でルドルフは彼女たちには共感されにくい視点を持っている。そのギャップが気になっていて、どうにか埋めたいということか。

 

「登場人物の気持ちに共感して、他の子と語れるようになりたいってこと?」

「ああ、そのとおりだよ」

「なるほど。それじゃあ……」

 

 他のウマ娘たちと同じく思春期の只中にいるだろうルドルフが、そういったことに悩んでいるのは意外だったが、どうにか力になりたいと武は思う。

 共感という意味で、より身近なことをテーマにした作品は無いかと探す。ウマ娘レースよりももっと一般的で、誰にでも起こりうるようなことをテーマ……。

 そう考えてポスターを見ていると、一つのタイトルに目が留まった。

 武の目に映ったのは、悲哀の恋愛映画として巷で話題のアニメ映画の宣伝ポスターだった。

 つい先日公開されたばかりで、ちょうど興味が湧いていたタイトルだ。

 

「恋愛映画か。トレーナー君は、こういった物も見るのか?」

「時間が空いたとき、たまにね」

 

 恋愛物に限らずだが、まとまった暇が出来たときに気になる作品があれば、見に行くという程度だ。

 ただ、映画それぞれに色んな物語があり、主人公と同じ視点で非日常的な体験が出来るというのは中々楽しいし面白い。その意味では、一人一人のドラマがあるウマ娘レースと似ているものはあるかもしれない。

 

「ふむ。確かにこれは、ちょうどいいかもしれないな」

「うん。より身近だし、感情移入もしやすいのかなって」

「なるほど……」

「場面ごとに登場人物の感情を解説っていうのは風情が無いし……。実際に映画を見て、自分が感じたことをお互いに話すっていうのはどうかな」

「確かに、トレーナー君がどんな風に心を動かされたか聞けば、次に映画を見たとき何か気づくこともあるかもしれない、ということか」

「そんなところだよ」

 

 映画に限らず物語というのは、他の人がどんな風に感じたかを実際に見聞きすることで、より理解を深められるものだと武は思う。これは、小学生のころからレイや他の友達と一緒にレースの話やアニメの話で感想を言い合った経験から来るものだった。

 

「――ふむ。では、この映画を見てみようか。トレーナー君もそれでいいか?」

「もちろん。早速チケット、買おうか」

 

 そんなわけで武とルドルフは、現在大ヒット中のアニメ映画を二人で見ることとなったのだった。

 

 

 

 90分ほどとなった映画を見終えた武とルドルフは、昼食も兼ねて近場のカフェにやって来ていた。

 窓際のテーブル席に座り、それぞれ注文した軽食やアイスティーを口にして一息吐くと、先刻見た映画の話になる。

 

「ルドルフはどうだった? さっきの映画」

「素晴らしい映画だったよ。主人公とヒロインの微妙な心の移り変わり、二人が培った物が、ヒロインを失った主人公が明日を生きる希望になる……。繊細で、感動的な話だったよ。大ヒットするのも頷ける」

「その辺、綺麗に作られてたよね」

「ああ。……とまあ、私は相変わらずこんな感想になってしまうのだが、トレーナー君の感想も聞かせてはくれないだろうか」

 

 やはりまだ慣れないのか、ルドルフの感想はどこか俯瞰しているようなところがあった。しかし、だからと言って態々指摘するようなことを武はしなかった。ルドルフが自覚しているのなら、その必要はないだろう。

 

「そうだなあ。やっぱり、ヒロインが治らない病気を抱えてるって分かったときは辛かったし、亡くなったときは喪失感があったな」

「トレーナー君、エンドロールで泣いていたな」

「う、気づいてたの……」

 

 くすりと笑うルドルフを見て、武は恥ずかしさから耳が熱くなる。暗いから分からないだろうと高を括っていたが、しっかりバレていたようだ。

 

「しかしそのぐらい、主人公の気持ちと一体になっていた、ということか……。私はその点、共感は少し難しかったかもしれないな」

「じゃあ、ヒロインの気持ちになってみるのはどう?」

「ヒロイン、か?」

「そう。ルドルフがヒロインの立場だったとして、主人公のことはどう思う?」

「ふむ……」

 

 アイスティーを口に含みつつ、武はルドルフの言葉を待った。

 

「私がそのヒロインだったとして……、ああも献身的に支えてくれる彼は心強いし、必然、惹かれていくだろうな。先が長くない彼女が『どうしてそこまでしてくれるの』と問い、彼に『君の傍にずっといたいから』と返されていたシーンは……胸が熱くなったよ。なるほど、これが『きゅんきゅん』、というやつか」

 

 映画の内容を思い出すように語りながら、ルドルフは何か合点がいったようだ。

 

「あのシーン、俺もすごく良かったって思うよ。その後のシーンはまあ、その、ドキドキしたけど」

 

 直接口にするのが恥ずかしく武は言葉を濁すが、ルドルフはその意味を理解したらしく、気恥ずかしそうに視線を逸らした。

 

「上映中は感動的だとは思っていたが……。た、確かに口づけのシーンは思い出すだけで頬が……」

「ま、まあ、あのシーンは兎も角……。話題作りの参考にはなった?」

「ああ。彼女たちが何を語りたがっているのか、理解出来たよ」

 

 頬の赤みを残したまま苦笑するルドルフに、武は笑みを返した。

 今すぐには難しくても、これで他のウマ娘の子たちと気兼ねなく話せるきっかけになれたら御の字だ。

 

「何か、妙な空気にしちゃってごめん」

「構わないよ。寧ろ、私に付き合ってくれて感謝しているくらいだ。ありがとう、トレーナー君」

「こっちこそ、ルドルフの話を聞けて良かった」

 

 普段はレースでの勝利に繋げるトレーニングをサポートするような役回りで、トレーナーらしいことは出来ていなかったから、少しでも力になれたことが武には嬉しかった。

 

「ふふ、普段の練習でもそうだが、私のトレーナーが君で良かったと思うよ」

「ほんとに? どっちかっていうとサポーターみたいな立ち位置だなと自分では思うんだけど」

「そんなことはないよ。私のレースへの展望や希望を聞いて、なるべく私の意に沿うような形でトレーニングメニューを組んでくれているのは、知っている。それに今日みたいに、他愛のない日常の話にも付き合って、相談にも乗ってくれるんだ。頼もしい限りだよ」

 

 ルドルフに正面から見られて、今度は武が視線を逸らす番だった。

 

「……そっか。俺は君の期待に、ちゃんと応えられてるんだな」

「ああ。秋のサウジアラビアRCも、トレーナー君となら必ず勝てると信じている」

 

 まだデビュー戦を勝っただけだというのに、ここまで信頼を寄せてくれていることを知って、身体の内側がむず痒くなる思いだった。

 あまりにも真っすぐで、純粋な希望に満ちた目を向けられると、武はどうにも落ち着かなかった。

 

 

「とまあ、お互い気恥ずかしい空気になってしまったわけだが……。ここで一つ、気分を変える話題を提供しようと思うのだが、良いだろうか?」

「う、うん。是非お願い……」

 

 ルドルフの申し出に、武は藁にも縋る思いで頷いた。恋愛シーンの話やルドルフからの期待と、色々と気恥ずかしくなるような話題が多かった。

 それ故、ルドルフのちょっとうきうきした様子に武は咄嗟に気づくことが出来なかった。

 

「昔、私の友人が子供のころ動物園の触れ合い体験で蛇を持ったことがあるそうだ。中々重量のある子だったようでね、友人はこう思ったそうだ。――とっても()()()! と」

「…………………………うん?」

 

 聞き間違いだろうかと、武は自分の耳を疑った。

 しかし目の前にはいつになくにっこりと笑うルドルフの姿があった。若干俯いて肩を揺らし、耳と尻尾が忙しなく動いているのも見える。

 明らかに、自分の発言でツボに入っていた。

 

「すまない、つい笑ってしまったのだが……。その様子だと、どうやら不発だったようだな。小粋なジョークで場を和ませようと思ったのだが、難しいものだ」

 

 先ほどの笑いをやや引きずりながらも、ルドルフは武の反応をしっかり見ていた。

 確かに、場の空気を変えることには成功していると言える。しているのだが……。

 

「まあ、うん。俺は好きだよ、ルドルフのジョーク」

「そうか? ならいいのだが……。今度は君を抱腹絶倒させるような冗談を用意するとしよう」

 

 自分の指で頭をとんとんと軽く叩く仕草をしながら、ルドルフは告げる。

 中々独特な冗談だったが挫けず前向きな彼女の姿を見ていると、毒気が抜けていく思いだった。

 

「……まあ、ルドルフが幸せそうならそれでいいか」

 

 決意するように頷くルドルフを見ながら、武は小さく呟くのだった。

 

 

 

 

 カフェを出て武はルドルフを伴い、東京レース場にやってきていた。いよいよ、武が見ようと思っていたレースの開始時間が迫っていたからだった。

 観客席に向かう群衆の中を歩きながら、武はルドルフに話しかける。

 

「ありがとう、ルドルフ。付いてきてくれて」

「私に付き合ってくれたからな、そのお礼だよ。それに私も、今日のレースは個人的に気になっていたんだ」

 

 今日のレースは、トゥインクルシリーズの中でも特に注目度の高い重賞が開催される。それを反映するかのように、多くの人たちが東京レース場にやってきていた。

 

「じゃあ、どっちみちここには来るつもりだったんだ」

「ああ。注目度の高いレースは、この目で見ておきたいんだ。特にGⅠレースは、ほとんどを現地で見ていたよ。まあ、今はデビューしているから時間や場所の関係上、難しくなってしまったがね」

 

 ウマ娘レースは全国各地で行われるがGⅠも例外ではなく、京都や阪神、中京といった東京から遠く離れた場所でも行われている。ルドルフはそんな場所にまで自分の足で見に行っていたということだろう。

 流石の武も、交通費がかかってしまうこともあって中々足を延ばせる機会は少ない。ルドルフはその辺も上手く都合をつけて、現地に行っているということになる。

 

「ウマ娘好きは誰にも負けないつもりだったけど……。すごいな、ルドルフ」

 

 武は遠方でレースが行われる場合、テレビで見ていることがほとんどだ。特に重賞レースは欠かさずに見ていたが、更に上を行く存在が自分の傍にいたことに武は驚かされる。

 

「いつか道を切り拓く皇帝として立つために、実戦の空気感は少しでも知っておきたかったからね。何も、現地に訪れることばかりが偉いわけではないよ。私が必要だったから、そうしたまでだ」

 

 見晴らしのいい後ろの席に座りレース場を見下ろしながら、ルドルフは当たり前のように言う。どこまでも謙虚で、“皇帝”の名に相応しくあるための努力を積み重ねていく彼女の在り方を見ると、多くの学園の生徒たちから慕われるのも頷ける。

 

「それでも、そういう努力を一つひとつ積み重ねてきたのは立派なことだと思うよ」

 

 多くのウマ娘は走ることが好きで注力する傾向にあるが、ルドルフは更に“その先”を見据えている。皇帝の名を背負っているという自覚も影響しているのだろう。

 そんな彼女の姿勢は、武としても見習うべきところがあった。

 

「ありがとう。他ならない君にそう言われると、より一層奮励努力していこうという気概が持てるよ」

「頑張りすぎて倒れることだけは無いようにね」

「ふふ、心配性だな君は。だが、その点は気をつけるとしよう」

 

 ただでさえルドルフは、生徒会長としての仕事もあって多忙の身だ。今は生徒会との仕事の折り合いを上手く付けられているようだが、どこで綻びが出るか分からない。

 ルドルフは安心させるように笑いかけるが、武にはその点が心配だった。

 

「――と。バ場入場が始まったな」

 

 武の思考を打ち切るように、ウマ娘たちのバ場入場を知らせるアナウンスが場内に響いた。待ってましたと言わんばかりの観客たちの歓声の中、ルドルフが呟く。

 

「そういえば私の次のレースも、ここだったな」

「サウジアラビアロイヤルカップだな」

 

 秋に開催されるGⅢレースで、ルドルフにとっては初めての重賞だ。開催場所は今日と同じ東京レース場で、芝1600mで争われる。

 

「距離は若干異なるが、条件は近い。実のところ意識していたわけでは無いが――何かしら参考になりそうだ」

「確かに。しっかり見ておかないとな」

「ああ」

 

 実際のレースは4ヶ月くらい先だが、少なくとも全くの無意味ということは無いはずだ。

 ルドルフに先んじて、この大舞台を駆けるウマ娘たちの走りも見ることの出来る貴重な機会でもある。

 武はルドルフと共に、レースの推移を見守ることにしたのだった。

 

 

 

 

「すっかり日が暮れてしまったな」

 

 東京レース場からの帰り道、隣を並んで歩くルドルフが呟いた。

 

「レース、参考になったか?」

「ああ。改めてあのコースは、距離が短くても消耗戦になりそうだいうのは、見ていて感じたよ」

 

 序盤はともかく、中盤を超えたあたりからが正念場だというのは武にも見て取れた。特に二つの上り坂が関門となるのは、今日のレースを走っていたウマ娘たちの消耗具合からも分かる。

 

「クラシック三冠を目指すとなると最長で3000mは走ることになるから、そういう意味でも次のレースは大事な通過点になりそうだな」

「ああ。スピード、スタミナ、そしてここぞというところでの踏ん張りを求められるという点では、中長距離と変わらない」

「となると、最初から長距離を走るつもりでトレーニングを積んでいかないとな。かなり厳しめに組むことになると思うけど、付いて来れる?」

「勿論だ。デビュー戦で無事走り切ることが出来たんだ。次もトレーナー君と一緒なら、私は必ず勝てる」

 

 自信に満ちた瞳で、ルドルフはそう言い切った。その信頼は武にとって嬉しいのと同時に、身が引き締まる思いだった。

 “皇帝”としての道を歩んでいく以上、その道のりは生半可なものではない。ルドルフのことを支えていくと決めた以上、彼女からの信頼にもきちんと応えたい。

 

「俺も、ルドルフを勝たせられるように頑張るよ」

「お互い、頑張らないとだな」

「うん。今日、ルドルフと一緒にレースを見て、改めて気合いが入ったよ」

 

 当初、武としてはちょっとした休みのつもりだったがルドルフと色々話しながらレースを観戦ことで、改めて何をしていくべきかが見えてきた。

 今も頭の中で、どんな風にルドルフのトレーニングメニューを組んでいようかという思考が過っている。

 それを察したのか、ルドルフが小さく笑い声を漏らした。

 

「全く、君も真面目だな。――いや、それぐらい真剣に考えてくれている、ということか」

「そりゃまあ、ウマ娘が好きでトレーナーになろうとしてるぐらいだし」

「君に担当してもらうウマ娘は幸せ者だな」

「それで行くと、ルドルフは幸せ者ってことになるけど……」

「ああ。ウマ娘として、親身になって接してくれる君と出会えてよかったと思っているよ。今日で言えば私の相談事に付き合ってくれたこと、本当に感謝している」

 

 まさか肯定されるとは思っていなかった武は、咄嗟に言葉を返せなかった。

 

「……そ、そっか」

「トレーナー君? もしかして、照れているのか?」

 

 武はまだトレーナー見習いというべき立場で実績も少なく、確固たる自信を持てていなかった。それ故こうして担当ウマ娘から好意的な反応を返されると、何を返せばいいか分からなくなる。つまりは、ルドルフの言葉どおり照れ臭くなっていたのだった。

 

「まあ、そんなところ……」

「そうなのか。私としては意外な反応だったが……。昼の服装の件といい、普段は見られないトレーナー君の表情を知れたのは僥倖だったな」

「やばい。余計恥ずかしい」

 

 武としてはもう少し堂々とした姿を見せていたかったが、ルドルフに指摘されてしまうと更に顔が熱くなる。

 

「思えば、普段からこういった話はしてこなかったな」

「まあ、まだ契約してそこまで時間が経ってないっていうのはあるかもしれないけど」

 

 武とルドルフの付き合いの殆どは午後の練習時間で、あとは通勤時間に一緒になったときぐらいだ。二人はそのほとんどを、練習やレース、それから学園での勉強や生徒会の話をして過ごしていた。

 それ以外の話は未だ距離感を測りかねていたこともあり、踏み込んだことは皆無だった。

 

「たまにはこういった会話も、悪くないな。私たちは年単位で共に歩んでいくわけだから、互いのことをもっと知るのもいいのかもしれない」

「それはそうだね。ルドルフが同世代の子との話題に困っていたとことか、冗談が好きなところとか意外だったけど知れて嬉しかったし」

「私もだ。先ほどのレースでは目を輝かせていて、心の底からウマ娘レースが好きだというのが伝わってきたよ。あとは、褒められ慣れていない点も意外だった」

 

 こうして話していると、お互いまだまだ知らないことが多いんだなと実感させられる。

 あまり他人に対して自分のプライベートのことを話すのは得意ではない武だったが、ルドルフ相手なら大丈夫だという感覚があった。そして同時に、ルドルフのことももっと知りたいという思いも湧いてくる。

 

「まあ、他のことはこれから少しずつ話していくってことでいいか?」

「ああ、構わないよ。長い付き合いになるわけだからね」

 

 短く見積もっても三年間、武はルドルフと一緒にトゥインクルシリーズを駆け抜けていくことになる。親睦を深める時間は、まだ沢山残っている。

 だから今は焦って全てを知ろうとするよりも、少しずつルドルフのことを知っていきたいと武は思う。

 それから数十分ほど歩き、二人はルドルフの住む寮の敷地前で立ち止まる。

 

「ありがとう、ルドルフ。今日は楽しかった」

「私もとても充実した一日だったよ。ありがとう。それから、ここまで送ってくれたことにも感謝を」

 

 さりげなく武はここまで歩いてきたわけだが、その意図をルドルフはしっかり察していた。

 

「気にしなくていいよ。俺がしたくてしたことだから」

「そうか。――ではまた明日もよろしく、トレーナー君」

「こちらこそよろしく、ルドルフ」

 

 挨拶を交わすとルドルフは微笑みながら振り返り、寮の敷地内へと歩いていく。その背中を見送ると、武も踵を返して自宅アパートへと向かうのだった。

 

 

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