NEXT FRONTIERを目指して   作:ハチハル

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第4話 対決、皇帝と無敗のスーパーカー

 サウジアラビアRCまであと一ヶ月くらいとなったころ。

 武とルドルフは順調にトレーニングを積み重ねていた。

 長距離のランニングや坂路での瞬発力強化など、求められるだろう基礎的な部分をこの数ヶ月の間取り組んできた。

 ルドルフは生徒会の仕事もこなしながら練習に休まず取り組み、あとは仕上げだけという段階にまで来ている。

 

「それじゃあ、最後にタイムを測ろうか。芝のコースを一周してくれ」

「よろしく頼む」

 

 学園内に設置された練習コースのうち、芝コースに学園指定の赤いジャージを身に纏ったルドルフが立つ。武はストップウォッチを片手に、彼女の体勢が整うのを見計らう。

 

「位置について――」

 

 武の言葉と共に、ルドルフがスターティングポーズを取る。

 

「スタート!」

 

 合図と共にルドルフが芝を勢いよく蹴り、走り出した。蹄鉄で地面を踏みしめ、出遅れることもなく流れるように好位置に付ける。

 ここ最近の脚力強化のトレーニングの成果が、早速発揮されていた。

 デビュー戦前後の時期もルドルフは十分強かったが、とくに成長した部分の一つがスタートだった。

 

「うん、良い調子だな」

 

 ルドルフは良いペースを維持しながら、最初のコーナーへと差し掛かっていく。ここは無理することなく、実戦を意識するかのように速度は維持しつつ足を溜めていた。

 武が見た限り、ルドルフの得意とする走り方は未知数だ。最後方からの追い込みは難しいかもしれないが、先行や差し、逃げと戦術の幅は広い。学園にやってきた際にもらったルドルフのデータにも、その傾向が示されていた。

 先行策で走るなら、逃げや先行を選択したウマ娘たちに好位置で追走しやすいだろうが、選択肢が多い分どうするべきか迷うところだ。

 頭の隅で思考を巡らせている間も、ルドルフは二つ目のコーナーを抜け、直線も問題なく駆けていく。

 そして最終コーナーに侵入する直前、ルドルフがスパートをかけた。

 

 ――ターフの上を、風が駆け巡る。

 

 武がそう感じた直後、ルドルフは最後の直線で更に伸びを見せて、眼前を駆け抜けた。

 咄嗟に押したストップウォッチを見下ろす。

 

「1分45秒07……」

 

 レコードに迫る勢いのタイムに、思わず鳥肌が立つ。

 

「トレーナー君、タイムはどうだったのかな?」

 

 走り終えたルドルフが、息を整えつつ武の下にやってくる。その言葉で武は我に返りながら、ストップウォッチをルドルフに見せた。

 

「ふむ。悪くないタイムだな」

「相変わらず凄いな、ルドルフ。一ヶ月前のタイムから2秒更新だ」

「まあ、こんなものか……」

 

 ウマ娘のレースにおいて2秒の短縮はそれだけゴールに速く着けるという意味で重要だ。それでもルドルフは満足そうな表情を見せないのは、“皇帝”として夢を掴もうとしているからか。

 

「スタミナの消耗具合はどう?」

「最初の頃と比べて、余裕を持って走れるようになったな。トレーナー君のトレーニングのおかげだよ」

 

 この数か月間、サウジアラビアRCで東京レース場の険しい坂を走り切れるよう、フィジカル面の強化は特に気を配っていたところだ。将来、より長い距離を走る上でもスタミナは欠かせない。

 成果が出ていることに武は、ひとまずほっと胸を撫でおろした。

 

「残り一ヶ月、この調子で仕上げていきたいな」

「そうだな。では、今日のトレーニングはこれで終了ということでいいだろうか」

「ああ。クールダウンしたら解散だな」

「ことを急いては仕損じるという言葉もあるからな。では一周、軽く流してくるとしよう」

 

 今後の流れを確認し、ルドルフが軽いジョギングをするためコースに戻るため踵を返す。武もいつでも上がれるよう準備していると、背後から誰かが近づいてくる足音がした。

 

「あら? トレーニングはもうお終いかしら?」

 

 振り返ると、学園の制服を着た少女が立っていた。

 腰ほどまで伸びる鹿毛の髪は巻かれ、腰に手を当てて佇む姿と相まって大人っぽい印象を与える。

 翡翠の瞳が優しく笑い、武を見つめていた。

 

「そうだけど、君って……」

「マルゼンスキーよ。よろぴく!」

「よろ……ぴく……?」

 

 ピースサインを作りながら名乗った彼女の言葉に、武は戸惑う。武にはほとんど馴染みのない言い回しだったので聞くべきか迷っていると、引き返してきたルドルフが隣に立っていた。

 

「君か、マルゼンスキー」

「あらルドルフ。久しぶりね」

 

 親しげに話しかけたルドルフに、マルゼンスキーも笑顔で応じる。

 

「知り合いなの?」

「ああ。以前、彼女のレースを実際に見たことがあってね。その時に話をさせてもらったんだ。彼女のことは――」

「知ってるよ。8戦8勝で引退した『スーパーカー』の、マルゼンスキーだよね」

 

 ルドルフに言われるまでもなく、元々ウマ娘好きな武はマルゼンスキーのことを知っていた。

 ほんの一、二年前、中央で活躍し観客たちを沸かせたウマ娘だ。レースの出場条件など諸々の事情で一線を退くことになり、多くの人たちから惜しまれたこともよく覚えている。

 

「あら、知っててくれたのね。嬉しいわ」

「こちらこそお会いできて光栄です、マルゼンスキー」

「もう、敬語は止してよー。お姉さん貴方よりまだまだ若いんだから」

 

 武としては偉大な実績を刻んだウマ娘の一人なのだが、マルゼンスキーは違う意味で受け取ったらしく困ったように笑う。

 武より若いのに「お姉さん」というのは若干引っ掛かるが……、話がややこしくなりそうなので追及はしなかった。

 

「じゃあ、えっと、よろしく……」

「うんうん! 素直な子は好きよ!」

「マルゼンスキー、トレーナー君が困っている」

 

 マルゼンスキーの押しの強さに戸惑っていると、横からルドルフが助け舟を出してくれた。

 

「あら。じゃあ、この子が」

 

 ルドルフの静止に動じることなく、マルゼンスキーが興味深げな視線を向ける。

 

「ああ。この春から私のトレーナーを務めてもらっている――」

「白井武です。よろしく」

 

 ルドルフから引き継ぎ、自己紹介をする。まだ敬語が抜けきっていなかったが、一応の礼儀だからとあえて気にしないことにした。

 

「話には聞いてたけど、若いわね。学生さんだったかしら?」

「大学2年だね」

「その歳でトレーナーもやってるなんて、イケてるわね!」

「イケ……?」

 

 またしても日常的にはあまり聞かない言葉をマルゼンスキーが口にする。意味は武にも話の文脈からして十分伝わるのだが、果たして年若い少女が使うのだろうか。

 先ほどから微妙に引っ掛かりを覚えるが、マルゼンスキーはどこ吹く風だ。

 ルドルフはそんな彼女の性格のことは既に知っていたのか、言い回しについては特に反応を見せず率直に尋ねる。

 

「ところでマルゼンスキー、私たちに何か用があったのではないか?」

「そうそう! 前々から貴方たちのことは気になってたんだけど、走るのはダメってお医者さんに止められてたのよね」

 

 マルゼンスキーの引退理由の一つに、脚部不安があったことを武は思い出す。全く走れないことはないが、大事を取っての引退だったと当時報道されていた。

 

「――つまり?」

「ついこの間、たまになら思い切り走っても大丈Vって言われたのよ! だから――一本走らない?」

 

 マルゼンスキーは絶妙に古臭い言葉を話していたかと思うと次の瞬間には、蠱惑的な笑みを浮かべ鋭い視線をルドルフに向ける。瞬間、得体のしれない何かが場を支配しているかのような感覚に囚われる。

 しかしてルドルフは――。

 

「良いだろう。無敗の伝説……相手にとって不足なしだ。よろしく頼む、マルゼンスキー」

 

 場の空気に飲まれるどころか、寧ろ拮抗するぐらいの覇気でもって応えていた。

 

「そうこなくっちゃ!」

「距離はサウジアラビアRCと同じ、1600mでどうだろうか」

「あら、私の得意な距離だけどいいの?」

「構わないよ。むしろ、実戦を知っている君だからこそ頼みたい」

「分かったわ! ――負けないわよ?」

「私も胸を借りる立場とはいえ、負けるつもりはないよ」

「ふふっ。じゃあ、早速着替えてくるわね!」

 

 やり取りを終えると先ほどまでの威圧感を霧散させて明るく笑い、マルゼンスキーは部室小屋の方へと小走りで行ったのだった。

 その背中を見送り、隣のルドルフも覇気を霧散させていた。そこでようやく武は、一息吐くことが出来た。

 

「……すごいな、二人とも」

「ああ、すまない。トレーナー君には心労をかけてしまったな」

 

 冷や汗をかく武に気付いたルドルフが、気遣うような視線を向けてくる。

 過去にも肌がひりつくような緊張感を目の当たりにしたことはあったが、今回のようなことは武にとって初めてだった。地方の時には感じたことがなかったこともあり、改めて中央がどんな場所なのかを今更ながら痛感していた。

 

「初めて見たよ、ルドルフがあんなに闘志を燃やしてるの」

 

 普段のトレーニングやデビュー戦のときもルドルフはやる気に満ちていたが、先ほどのは今まで以上のものだった。

 

「私も以前から彼女に興味があってね。もしも競うことになったら、果たしてどちらが勝つのか――。それを試す絶好の機会がやってきたんだ、滾らないわけがないだろう」

 

 どこか子どもっぽさも感じる笑みを浮かべながら、互角の勝負を出来ると言外にルドルフは告げていた。

 相手は出走の回数こそ少ないものの全戦全勝を誇ったあのマルゼンスキーだ。実績はまだ足りないと言わざるを得ないルドルフが、それでも自信を持てるのは――。

 

「それだけ自分の脚に自信があるんだな」

「勿論だよ、トレーナー君」

 

 ともすれば大言壮語と取られかねないが、ルドルフの走りを普段から間近で見ている武からすれば、あながちあり得ない話でもなかった。

 いっそ完璧なまでのペース配分と、最終コーナーから最後の直線にかけての凄まじい伸びは彼女の武器だ。現役時代、8バ身以上の差をつけてゴールしたこともあるというマルゼンスキーとも十分張り合えるだけのものはある。

 

「気合は十分……。脚の方はまだ大丈夫?」

「問題ない。あと一本は、全力で走っても問題ないだろう」

 

 ほんの数分前にタイムを計ったばかりということもあり若干心配があったが、ルドルフは自分の脚を確かめつつ異常がないのを確かめる。

 

「そっか。けど体にかかる負担は大きいし、終わった後のクールダウンは入念にやらないとね。ストレッチも手伝うよ」

「何から何まですまないな、トレーナー君」

「このくらいは当然だよ。君のトレーナーなんだから」

 

 ウマ娘にとって脚は命と言っていいくらい大切なもの。その脚を守るためにもトレーナーとして出来るのは練習メニューを組んだり、身体のケアを手伝ったりといった補助的なことくらいだ。

 ルドルフが再起不可能なケガを負う姿は見たくない。だからこそ武は、自分に出来ることはしっかりやっておきたかった。

 

「では私も、君の担当ウマ娘として恥じない走りを見せなければな」

 

 鹿毛の皇帝は、それが当然だと主張するように笑みを深めた。

 

 

 

「二人ともお待たせ!」

 

 数刻してジャージに着替えて戻ってきたマルゼンスキーを、武はルドルフと共に迎える。

 

「待っていたよ、マルゼンスキー」

「おかえり」

「二人とも、今日は時間を割いてくれてありがとね」

 

 早速準備運動で体を解しながら、マルゼンスキーは微笑んだ。

 

「私の方こそ、公式戦ではないにしても君と走る絶好の機会を得られて、感謝している」

「もう、持ち上げすぎよ。お姉さん困っちゃうわ」

「それでもだ。出走条件のせいで出られるレースは多くなかったとはいえ、そのほとんどを圧勝してきた。持ち上げないわけにはいかないだろう」

 

 ルドルフが口にしたとおり、マルゼンスキーの現役時代の出走回数は少ない。一方でその戦績は圧倒的で、8戦中6戦を2着に7バ身以上の差をつけてゴールしていた。

 

「そう言われると、照れちゃうわね。お姉さん、俄然やる気が湧いてきちゃったわ!」

 

 嬉しそうに笑いつつ、マルゼンスキーは体を解し終えるとスタート位置へ移動していく。ルドルフも、その後に続くように歩いていった。

 

「それじゃあ、1600m一本勝負で行くよ。準備はいい?」

「ああ、いつでもスタートをかけてくれて構わない」

「私も準備オッケーよ!」

 

 スタート位置で前傾姿勢になったのを確認し、武は右手を高く挙げた。

 

「位置について――スタート!!」

 

 一気に手を振り下ろした瞬間、ルドルフとマルゼンスキーが同時に前へと飛び出した。

 

 

 マルゼンスキーは武の合図と同時、一気に加速して先頭に立つ。出遅れなくスタートしたはずのルドルフを4バ身ほど放し、先制攻撃とばかりに逃げを打っていく展開だ。

 

「――速い」

 

 現役時代、短距離やマイルを中心に走っていただけあって序盤の展開はマルゼンスキーの方が上手だった。

 彼女が走ってきた距離は、中距離以上のレースと比べてスタミナの負担は必然的に下がる。その分、序盤から逃げを打っても疲れにくく自分のペースでレースも作りやすい。

 一方のルドルフは、中段からやや前方に位置取りをして最後に差し切っていくタイプだ。故に脚を溜めやすい走り方ではあるのだが――。

 

「少し、マルゼンスキーに引きずられてるな」

 

 今回はたった二人でのレースということもあってか、ルドルフはマルゼンスキーに置いていかれまいと後方から食らいついていた。しかしそれは、裏を返すとマルゼンスキーにペースを握られてしまっている状況でもある。

 

「流石に、デビュー戦のときみたいにはいかないか」

 

 ルドルフが前回戦った面々とマルゼンスキーとでは、実力や経験にはっきりとした差がある。距離も短いため、終盤でマルゼンスキーのスタミナ切れも期待は出来ない。

 むしろ無理に後ろをついていく方が、かえって終盤での脚を残せないことに繋がりかねない状況だ。

 

「ルドルフ……」

 

 武はつい右手に握りこぶしを作りながら見守る視線の先で、ルドルフとマルゼンスキーが最初のコーナーへと入っていく。

 マルゼンスキーは変わらず先頭を走り、ルドルフはその後ろに付けていた。

 

 ふと、ルドルフの表情が目に映る。

 4バ身前を行くマルゼンスキーの背中を負うルドルフに、焦りの表情は無かった。むしろ虎視眈々と差し切る機会を伺っているようだ。

 マルゼンスキーもルドルフの食らいついてくる走りに気付いたのか、笑みを浮かべながらペースを維持していた。

 

 

 

 「スーパーカー」と言われたマルゼンスキーの逃げ足は、ルドルフがかつてレース場のターフで見たときから全く衰えていなかった。

 彼女の戦法は、逃げの一手のみ。単純明快なまでの走りで一度も先頭を譲らず、他のウマ娘たちをねじ伏せてきた実力者だ。

 後ろにぴたりと付くような走りは、スタミナを無為に消費させてしまう。かといってデビュー戦の時のような感覚で足を溜めることに注力していては、距離の短さもあって終盤で追いつけなくなる。

 ペースを握られる形になってしまうが、4バ身ほど後ろにつけて走るのが現状の最善手だった。

 

「流石にきついな」

 

 幼い頃から実力者相手に走る機会はあったが、マルゼンスキーほど圧倒的な逃げでペースを作るウマ娘との勝負は初めてといっていい。

 自分でペースを作らずあえて相手についていくような走りでも、今までは勝つことが出来ていた。しかし今回は、それまでとはわけが違った。

 気を抜けば置いて行かれそうなほどの逃げ足についていくだけも、スタミナを消費してしまう。それでもまだ巻き返しが可能なバ身差は維持出来ている。

 武の指導の下府中の街中や付近の山、あるいは学園内のプールといった場所で行ったトレーニングの効果だろう。なんとか、終盤に加速する分のスタミナは残せていた。

 やがてルドルフとマルゼンスキーは、最終コーナーへと進入する。

 コーナーを幾分か進んだ先で、先に仕掛けたのはルドルフだった。

 

「ふっ……!」

 

 ターフを強く蹴り込み、左回りのカーブを突き進む。

 最後の直線に差し掛かろうかというとき、マルゼンスキーに半バ身ほどまで詰める。少しずつ、彼女との差が埋まっていく。

 

 ――行けるか。

 

 そう思った瞬間、ルドルフの淡い願望を振り払うかのようにマルゼンスキーが更に加速した。

 

「くっ!?」

 

 あれだけの逃げを展開していた上で、まだ加速する余裕を残していることにルドルフは戦慄した。観客席から見ていたはずの本当の力を間近で感じて、全身に鳥肌が立つ。

 マルゼンスキーはルドルフに2バ身を空けて、ゴールへ突き進んでいた。

 それでも、負けるわけにはいかない。

 自分のトレーナーである武が祈るような表情で見守っている姿が、コースの脇に見える。いつの間にか集まってきたらしい、ウマ娘のギャラリーたちもいる。

 そんな状況で無様に負けることはルドルフの矜持が許さなかった。

 全てのウマ娘が幸せに暮らせる時代を創るという夢を掲げて生徒会長に就き、ターフの上で“皇帝”の名に相応しい背中を見せることで皆の希望となる。そのためにここまで走ってきた。

 何よりまだ、残り僅かとなったスタミナが残っている。

 

「――――行け!!」

 

 最後の力を振り絞り、三度目の加速をする。

 ターフを蹴り、3バ身にまで広げられていた差を徐々に巻き返していった。

 2バ身半、2バ身、1バ身半と少しずつマルゼンスキーの背中に近づいていく。

 

 ふと、マルゼンスキーの息遣いが聞こえた。

 一切乱れのない呼吸をしていたことに、感嘆の念が頭を過る。

 マルゼンスキーはゴールを見据え、自身の勝利を疑っていなかった。しかし僅かに、差を詰められたことに対しての動揺と喜びも聞こえてくるようだった。

 

 ――ゴール板が迫る。あと数秒で、この勝負は終わってしまう。

 そのことに僅かな寂しさを感じながらルドルフはマルゼンスキーと共に、ゴールを駆け抜けたのだった。

 

 

 徐々にスピードを落とし数十メートル進んだところで、ルドルフは膝に手をついていた。

 呼吸は荒く、肺が足りなくなった酸素を取り込もうと大きく動く。全身は焼けるように熱く汗が滝のように流れ、地面に滴り落ちるのを見ながらルドルフは呟いた。

 

「――あと1バ身、届かなかったか」

 

 勝負は、マルゼンスキーが1バ身先行してゴールを駆け抜けたことで決した。

 学園のコースは、多少の坂はあれど普段から走り慣れている。距離にしても、クラシック以降走ることになるGⅠのレースと比べれば短い。それでも体力を消耗し、最後の最後で指し切ることが出来なかった。

 敗因はいくつも浮かんでくるが、これが今のルドルフに与えられた結果だった。

 

「ルドルフ!!」

 

 聞き慣れた男性の声に顔を上げれば、武が血相を変えて水とタオルを抱えて駆け寄って来ていた。

 普段は切れ長だが優しげな印象を与える目が、今は気遣わしげなものになっている。

 

「ありがとう、トレーナー君。助かるよ」

 

 水とタオルを受け取り、息を整えながらも笑みを作ることで武を安心させようと試みる。努めて笑みを作ったルドルフの顔を見て、武はひとまず安堵したようだった。

 まだ大学生の年若いトレーナーだが、未熟さを自覚しながら担当ウマ娘のことをしっかりと考えてくれるところはルドルフも嫌いではなかった。そういう彼だからこそ、ルドルフは或いは自分の望みに近づけるかもしれないと思った。

 武をトレーナーに選んだことは間違っていなかった。

 

「大丈夫か?」

「ああ。どうにか落ち着いてきたよ」

 

 水を口に含みながら、武の言葉に応える。

 

「レース、惜しかったな」

「そうだな。彼女には、あと一歩及ばなかったよ」

 

 改めてマルゼンスキーとの勝負を振り返り、ルドルフは結果を口にする。言語化したからか、悔しさと同時にこれが今の自分の実力かというある種の納得感もあった。

 

「それでも、最後まで粘ってて凄かった。まだまだ伸びるよ、ルドルフは」

「ありがとう。私もここで挫けるつもりはないよ、トレーナー君。次は必ず勝つさ」

 

 武の目を見ていると、自然と力が湧いてくる。それは、ルドルフに対して期待を込めていてくれるからか。それとも、彼がウマ娘を好きだからか。

 経験自体は他のトレーナーに比べて劣ってしまうのは否めないが、武の人としての在り方は一緒にいると心地が良い。

 

「ふふっ、二人とも仲が良いのね。お姉さん、羨ましいわ」

 

 既に息を整えたマルゼンスキーが、微笑みながら話の輪に加わってきた。

 ルドルフはトレーニング後だったというのを差し引いても、マルゼンスキーは汗をにじませるだけでまだまだ余裕そうだった。

 この分だと、トレーニングの疲れが全くない状況で戦ったとしても結果は変わらなかっただろう。

 

「マルゼンスキーも、水分補給しっかりね」

「あら、気が利くのね。ありがと」

 

 武が予備として用意していた水とタオルを、マルゼンスキーは顔を綻ばせながら受け取る。こういう気配り上手なところも彼の良いところの一つだとルドルフは思う。

 

「ありがとう、マルゼンスキー。とても有意義なレースだったよ」

「私もよ、ルドルフ。まだデビューしたばかりなのに凄く強いわね!」

 

 マルゼンスキーからの望外な評価に、ルドルフは思わず笑みを零した。まだまだ改善点は多くあるものの、自分の走りを褒められることは素直に喜ばしいことだ。

 

「マルゼンスキーの走りも、全盛期と遜色ないものだった。改めて、私が目指す道の険しさを思い知らされたよ」

 

 ルドルフには慢心も油断もなかった。それでも負けたのはコースに対する理解、基礎的な身体能力、そして先頭を走ることへの情熱といった部分で未熟だったからだとルドルフは客観的に振り返る。

 これから先、走ることになる重賞レースの数々では色んな思いを持ったウマ娘たちが出てくることはルドルフもよく知っている。そんな彼女たちを差し置いて頂点に立つには、生半可な気持ちではいられない。

 GⅠの空気も肌身で知っているマルゼンスキーとのレースは、ルドルフに多くの収穫をもたらしていた。

 

「その口ぶりだと、やっぱり目指すのかしら?」

「ああ。クラシック三冠――私の夢を実現するために、まずはそこを目指したいと思っている」

 

 クラシック三冠はウマ娘レースの歴史の中でも、未だに二桁に満たない人数しか成し遂げられていない偉業の一つだ。

 後続たちに皇帝としての姿を見せ、より夢に近づくためにもクラシック三冠は避けて通れないしルドルフ個人としても挑んでみたい気持ちがあった。

 そんなルドルフの決意を、マルゼンスキーは柔らかく微笑みながら受け止める。

 

「ふふっ、頑張ってね!」

「勿論だ。――ではトレーナー君、私はクールダウンに入ろうと思うのだがいいだろうか?」

「ああ。全力出し切った後だから無理しない程度にね」

「そうだな。留意するよ」

 

 武の言葉に従い、ルドルフはマルゼンスキーに一礼をしてからクールダウンに入った。

 

 

 

「本当に強かったわ、ルドルフ」

 

 クールダウンに向かうルドルフの背中を見送りながら、武の隣でマルゼンスキーが呟く。

 

「でも、まだまだ貴方には及ばなかった。あの子を勝たせてあげられなかった」

 

 コースの外でレースを見ていてルドルフに足りていなかったものは、分かりやすいほどに見えていた。ペース配分や位置取り、スタートダッシュや仕掛け方といった部分でマルゼンスキーには水をあけられていた。

 表情を見るに気持ちの面では決して負けていなかったし、次のサウジアラビアRCに勝てるくらいの実力もあった。しかし現状のままでは、ルドルフも口にしていたクラシック三冠は難しいだろう。

 それでもマルゼンスキーとの勝負を終えたルドルフの目は、折れていなかった。むしろ更に、闘志を燃やしていると感じられたほどだった。

 そんなルドルフの成長をこれから先も手助けしていきたいと、武は誓う。

 

「ふふっ。トレーナー君、ルドルフと同じ目をしているわ」

「同じ目……?」

「ええ、それはもうメラメラに燃えていたわ。最高のアベックね、貴方たち!」

「あ、ありがとう……?」

 

 最後の方の言葉の意味は分からないものの、褒められているのは分かったので武は首を傾げつつも応える。

 マルゼンスキーは武の方にウィンクを送ってから、視線をルドルフに戻す。その横顔は相変わらず微笑んでいたものの、僅かに悔しさも滲んでいた。

 

「ルドルフが言ってくれたとおり、私も()()()()全力で走ったわ。それこそ、後ろの子に10バ身差をつけたときくらいに。……でもすぐに追い抜かれてしまいそうね、私」

「やっぱり、負けたくない?」

「モチのロンよ! 走りで負けたいウマ娘なんて、一人もいないわ。それでもあの子が内に秘めてる力は未知数ね。それこそ、傍で見守ってみたくなるくらいに」

「マルゼンスキー?」

 

 何か決意を含んでいるような視線に、武は思わず声をかける。しかしマルゼンスキーはそれには答えず、武に視線を合わせながら突然話題を変えた。

 

「ねえ、貴方たちのチーム名って決まってるのかしら?」

 




レースの描写、中々難しい……。

本当はもう少し書きたいことあったのですが、長くなりすぎたので分割します。
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