武はクールダウンの後着替え終えたルドルフに先ほどのことを伝えると、腰を落ち着けて話したいという彼女の意向でマルゼンスキーと共に生徒会室に通されていた。
生徒会長室は落ち着いた色合いの執務机や応接用のソファーなどの調度品が配置された、文字通り生徒会長のための部屋となっている。こうして専用の部屋が用意されているあたり、トレセン学園の生徒会長は普通の学校と比べて重要な立ち位置にあることが伺える。
ルドルフは執務机に背を向けて配置されたソファーに腰掛け、武とマルゼンスキーはテーブルを挟んで対面に座っていた。
「さて、私たちのチーム名が決まっているか、という話だったな」
腕を組み顎に手を当てながら話すルドルフに、武は頷きを返す。
「そういえばずっと、保留したままだったね」
「ああ。私とトレーナー君、二人での出発だったからな」
「学園からは、クラシックに出るには規定の条件でチームを作っている必要があるとは言われてたんだけど、俺の場合は状況が状況だからメンバーがルドルフしかいなくて」
武がまだ正式なトレーナーではないという立場、高校時代の実績があるにしてもトレーナーとしての能力が未知数なこと、“あの”ルドルフがそんなトレーナーと契約を結んでいることなど、色々な要因が重なって他のウマ娘たちから敬遠されているのが現状だ。
学園もそこは理解しているらしく、仮にルドルフ一人のチームになったとしても、各レース出場にあたり優先出場権を獲得し成績を収めれば一定期間猶予するとのことだった。
そんな事情もあり、チーム名を決めるのは保留されたままだった。
そのことをマルゼンスキーに説明すると、頷きながらも指摘する。
「そういえばそんな噂も聞いたわ。でもその割には、勧誘はあまりしてなかったみたいね?」
「まあ、そう思うよね」
「どうしてなのか、聞いてもいいかしら?」
武は一度、向かいに座るルドルフに視線を向ける。
端整な顔立ちをしたルドルフは、武の視線に何事かと首を傾げつつも静かに言葉を待っていた。
そんなルドルフと視線を合わせながら、武は彼女の姿を初めて見た日のことを思い出す。
見る者全てを惹き付けてしまうほどの走る姿を見たからこそ、武はルドルフの夢も応援したいと思った。
彼女の顔を見ながら、武は自分の内側に問われたことへの答えを探す。
答えは思いの外、あっさりと出てきた。
「――ルドルフの走りだけを、ずっと傍で見てたかった。それに独り占めしたかったんだよ、俺は」
マルゼンスキーに言われて初めて自覚した、と付け加えながら武は苦笑する。
ルドルフの走りを傍で見るのに、他のチームメンバーがいることは大して問題ではない。むしろメリットの方が多いだろう。
それでも自分から行動を起こしていなかったのは、他のウマ娘がいることで彼女の走りを見逃してしまうのではないかという恐れ。そして、ルドルフの走る姿を見る時間を誰にも邪魔されたくないという思い。
身勝手だと思われても仕方のない、子供じみた独占欲だった。
「結局は俺のエゴだよ。……この話をしてなかったら、ずるずると先延ばしにしてルドルフに迷惑かけるところだった。申し訳ない」
一定期間という曖昧な表現を学園はしてたものの、チーム結成のタイムリミットはどんなに先延ばししても菊花賞までだろう。
このまま気付けていなかったら、自分の夢もルドルフの夢も叶わないなんてところまでいってもおかしくなかった。
「私も君の想いは、傍にいてひしひしと感じていたよ。ただ仮にそうなったとしても、私は学園にかけ合うだろうな。何としてもトレーナー君の下で走りたい、彼と共に後輩たちに道を示したい、と」
「いいのか? ルドルフのトレーナーになったのも、ずっとチームを作らずにいたのも結局、俺の我儘なんだよ?」
「それを言ったら、私だって十分我儘な類だろう。自ら掴みたい夢があってこの学園に来て、ターフを走ると決めた。君も、君なりの想いや信念があってこの学園に来たのだろう?」
「それは、そうだけど」
「なら、私の走りを傍で見たいという想いも否定されるべきではないさ。むしろそこまで言ってもらえて、嬉しいくらいだ。そんな君だから――君が、“白井武”という人間だったから私は契約を結ぶと決めたんだよ」
優しげに紫の瞳を細めながら、武の心配もエゴも大した問題じゃないとルドルフは言い切った。
相手を慮り導くような在り方は、まさに“皇帝”の名に相応しいものだった。
ルドルフの優しさに、これではどちらが年上か分からないなと武は笑みを零した。
「なるほどね! つまりトレーナー君はルドルフにゾッコンで、ルドルフもトレーナー君にゾッコンで……。やぱり最高のアベックね、貴方たち!」
武たちの話を聞いていたマルゼンスキーが、花の咲いたように満面の笑みを浮かべていた。
間違っていないようでどこか微妙に間違っているようなまとめ方に、ルドルフが頭を抱える。
「マルゼンスキー、その言い方は多分に語弊があると思うのだが……」
「トレーナー君はどう?」
「え、俺?」
隣に座るマルゼンスキーは興味津々な様子で武を見つめ、ルドルフはツッコミを入れたとはいえ気になるのかちらちらと視線を向けていた。
“ゾッコン”の意味は武も知るところだが、答え方一つ間違えるだけでどこに話が転がっていくか分からない。
いつの間にか追い詰められた状況に胃が締め付けられながらも、武は何とか答えを絞り出した。
「――まあ、その。トレーナーとしてはゾッコン……だね」
ちらりと、ルドルフとマルゼンスキーの反応を伺う。彼女たちの反応はというと……。
「ねえ、聞いたかしらルドルフ!」
「き、聞いているよマルゼンスキー……」
「もう、珍しく照れちゃって可愛いんだから」
「揶揄わないでくれ……」
片やマルゼンスキーは喜色満面の笑みを浮かべ、片やルドルフは耳と尻尾を忙しなく動かしながら視線を彷徨わせていた。
「ふふっ、ウマ娘冥利に尽きるわね」
「それは……そう、だな。そこまで私の走りを買ってくれているとなると、より自信が持てるよ」
一応ながら、武の警戒していたことにはならなかったようで内心安堵する。ややこしい方向に話が転がっていく展開は免れたようだった。
「仲が良くて何よりね!」
「大分話は脱線したけどね……」
にこにこ笑顔のマルゼンスキーを見て、色々とエネルギーを使っていた武は脱力するばかりだった。
「と、とにかく。私たちのチーム名が何だったかという話だったな」
動揺からどうにか立ち直ったルドルフが、咳払いをしつつ話の軌道修正にかかった。武もこれ以上は精神が削られそうだったので、これ幸いと話に乗る。
「ここまでなあなあで済ませてきちゃったからね。……だから、今から考えなきゃいけないわけなんだけど」
こうして話題に上がった以上、チーム名はそろそろ決めておきたいところだった。
例え武とルドルフだけのチームでスタートしたとしても、今後メンバーを増やす意志があると学園に認められる可能性は十分にある。それに、チームの体をなしているかいないかによってもメンバーの集めやすさは変わってくる。
武としては、菊花賞までにはチームの最低条件である5人は集めたいところだった。
「チーム名の候補はあるのかしら?」
「一応、前に何となく調べて頭の中に候補として留めてるのはいくつか。今学園にあるチームの名前は、星の名前――特に一等星が中心だからその辺りの名前にしたいと思ってる」
「そうね。私もそれがいいと思うわ。ウマ娘は誰だって、一番になって輝きたいものね!」
トレセン学園に存在しているチームは基本的に、一等星の名前が付いている。
昔から親しまれ強いウマ娘を輩出しているシリウスや、そのライバルであるアルタイル、最近頭角を現し始めたリギル、休止状態にあるらしいスピカ……などは学園内でもよく知られている。
どのチームにも一等星の名前が付いているのは、マルゼンスキーが言ったとおりの願いが込められているからだろう。
武としても、同じようにルドルフやこれから入ってくるだろうメンバーのために、一等星の名前は付けたいところだった。
「ルドルフは、これが良いって名前はある?」
「そうだな。私としては……この格言を体現するようなチーム名であればいいと思っているよ」
ルドルフが、武から見て右手側の壁に飾られた横長の額縁に視線を向ける。
――Eclipse first, the rest nowhere.
白い紙に、ただその一言だけが書かれていた。
「あら、学園のモットーね」
「ああ。――唯一抜きん出て、並ぶ者無し。日本語では、そのように解釈されている言葉だな」
マルゼンスキーの言葉に頷きながら、ルドルフは慈しむように額縁を見つめていた。
武も、両親からその格言について聞かされたことがある。遥か昔、遠い異国の地で名を馳せたウマ娘の活躍から生まれた言葉だ。
「……チームに入るウマ娘たちには、そのぐらい強くなってほしいってこと?」
「あるいはチームそのものが、だな。まあ、如何様にも解釈出来る言葉ではあるが……。まずは私がこの言葉を体現することで、ウマ娘たちの希望となりたい。そして私の後に続く後輩たちにも、いつかこの言葉を体現する者がチームから現れて欲しい。故に、チーム名もその象徴となるものがいいと考えている」
「なるほどね……」
ルドルフが如何様にも解釈出来る、と言ったのはウマ娘によってその言葉の定義は違ってくるからだろう。例えば日本一になるとか、ダービーで一着を取るとか、目標は様々だ。
そんな風に己が定めた目標に向かってウマ娘たちがひた走ることを学園が望んだからこそ、学園のモットーとされているのだろう。
ルドルフの願いは、武も共感するところだ。ルドルフがやろうとしているのは、後輩たちの道を拓くこと。
それなら――――まだ見ぬ“彼女たち”に相応しい星の名前がいいだろう。
「――アルデバラン」
いくつかの候補の中から、武はその名前を口にする。
「確か、“後に続くもの”を意味する名前だったな」
「うん。プレイアデス星団の後に続いて東の空から昇ってくることに由来してるっていうのを知ったときから、これが一番いいんじゃないかって思ってたんだ」
「ふむ……。プレイアデス、という名前はあくまで星団の名前だ。確かに、命名法則に照らすとアルデバランの方が適切だな」
「アルデバランも一等星に数えられるくらいには明るい星だし、俺やルドルフの後に続く子たちが“自分だけの一番”を手にして、更にその後輩たちも続いていく……。そんなチームにしたいと思って選んだんだけど、どうかな?」
先ほどの格言も意識しつつ、武はルドルフに対して名前に込めた願いを語った上で聞いた。
本当はもっと気軽に名付けても良かったのかもしれないが、ルドルフの夢を応援する以上は何か意味のあるものにしたいと武は考えた。ルドルフも意味を持たせたいと考えている点においても一致している。
果たして彼女は、どう受け取ったのか。
武は口を紡いで、目を閉じ黙考するルドルフの答えを待つ。
「――いい名前だ。我々の新たなチーム名として相応しいものだと思う。マルゼンスキーはどう感じただろうか」
「チョベリグな名前だと思うわ! 私も大賛成よ!」
またもや独特な言い回しをしつつ、マルゼンスキーは武とルドルフに向かって笑顔を向ける。
ひとまず二人に気に入ってもらえたようで、武はほっと一息吐いた。
「それじゃあ申請書類は後でちゃんと作るとして……。チーム名決定ってことでいいかな?」
「ああ、問題ない」
「ふふっ、決まりね! どんなチームになるか楽しみね!」
この瞬間、武とルドルフによる新しいチーム「アルデバラン」が誕生したのだった。
これで武がずっと後回しにしてしまっていた問題は片付き、めでたしめでたしといきたいところだったのだが、ここに来て新しい問題が一つ。
「ところでマルゼンスキー、聞いてもいい?」
「何かしら?」
「君はどうして、
つい先刻の模擬レースのときから今この瞬間まで気になっていたことを、武はストレートに投げかけたのだった。
「ふふっ、気になるかしら?」
「そりゃ、気になるよ。いきなり声をかけてきて勝負しよう、なんて言われたら。あの時は二人とも乗り気だったし俺も個人的に君の走りは見たかったから、聞かなかったけど……。何か理由があるんじゃないの? ここまで付き合ってくれてることも含めて」
ルドルフのトレーニング終わりに合わせたように声をかけてきた時点で多少気にはなったが、武も個人的な興味が上回っていたためその場での言及はしなかった。
医者から走ってもいいとお墨付きをもらったのは本当だとしても、その相手が何故ルドルフではないといけなかったのか。そして、今まではあえて流していたが当然のようにチーム名を決める話し合いに混じっていたのか。
どちらも武は不快に思わなかったし、ルドルフとの対決が見られたりチーム名を決めるきっかけをくれたりと、感謝しているくらいだった。
だからこそ、気になるのだ。
――どうしてそこまで自分たちに関わろうとするのか、と。
「――君は、俺たちのチームに加わろうとしてるんじゃないかって思ったんだけど、どうかな?」
今までのマルゼンスキーの言動を踏まえた上で、武は一つの推測を口にする。ここまで積極的に関わってきたことを思うと、むしろそれしか考えられなかった。
「ええ、そのとおりよ。私は貴方たちのチームに入りたいの。でもトレーナー君が本当に気になるのはそこじゃなくて、“私が貴方たちのチームに入りたい理由”よね?」
「うん。そこが気になってた。何でマルゼンスキーほどの子が、まだ1勝しかしてないチームに入りたいのかって」
ルドルフも同じようなことを思っていたのか、武と共にマルゼンスキーに視線を向ける。
マルゼンスキーは本来、別のチームを預かる若手トレーナーの下走っていたと武は記憶している。
史上稀に見る無敗のまま引退したウマ娘の誕生はそのトレーナーの名声にも繋がったはずだし、そう簡単に手放してもらえるとは思えない。引退してもすぐに学園を去らず、卒業までチームに貢献するウマ娘もいるくらいだ。
「それはね、ルドルフがいたからよ」
「私が……?」
ルドルフをまっすぐ見て、マルゼンスキーは告げた。
「そうよ。貴方のデビュー戦の走りを見たときから、ずっと一緒に走りたいって思ってたの」
「君もあのレースを見ていたのか」
「ええ。デビュー戦の時点で貴方の実力は頭一つ抜けていたわ。他の子のマークも意に介さないどころか置き去りにしちゃって勝つんだもの。ウマ娘として、ルドルフみたいな子と走りたいって思うのは自然なことじゃない?」
マルゼンスキーの言うとおり、デビュー時点でのルドルフの実力は明らかに他のウマ娘たちと比べて抜きんでていた。あの走りがマルゼンスキーの琴線に触れたのだろう。
「確か君は、“アンタレス”に所属していたと記憶しているがそちらはいいのか?」
ルドルフの疑問はもっともだった。
マルゼンスキーは本来、アンタレスという若手の女性トレーナーに率いられたチームに所属していたはずだ。
チームの移籍自体は前例がないわけではないが、チームの代表であるトレーナーから同意を得られているかは確認しなければいけない点だった。
「問題ナッシングよ。ルドルフのところでもう一度走りたいってトレーナーちゃんにも相談したわ。……まあ、私の脚が治りきってなかったからって最初は止められちゃったけどね」
自分の脚を擦りながら、マルゼンスキーは苦笑を浮かべる。
マルゼンスキーの引退の要因となった脚部不安は、彼女を担当していたアンタレスのトレーナーからも心配されていたようだ。常人ではあり得ない速度で走るウマ娘にとって脚は、生命線と言ってもいい。首を縦に振らなかったのは、武にも容易に想像出来た。
「それでもマルゼンスキーは、自分の意志を曲げなかったんだね」
「ええ。私が本気だって知ったらトレーナーちゃんも折れてくれて、その代わり脚はきちんと治せるところまで治してからにしなさいって言ってくれたの」
それが、アンタレスのトレーナーに出来る最大限の譲歩だったのだろう。
武は春ごろに一度挨拶を交わしただけで人となりはほとんど知らなかったが、嬉しさ半分申し訳なさ半分といった調子で話すマルゼンスキーを見るに、良い人なのだろうと思えた。
「良いトレーナーなんだね、その人は」
「それはもう! 沢山お世話になったわ。普段のトレーニングもそうだし、レースもやりたいようにやらせてくれたし、私が行きたいって言って買い物やドライブにも付き合ってくれたし……。最高のトレーナーよ」
「――だがそれでも、彼女の下を離れることを選んだのだな」
思い出を懐かしむように目を細めるマルゼンスキーに対して、ルドルフが切り込んだ。
「ええ。私はルドルフっていう目標のためにもう一度走りたいって思ったわ。ルドルフと本気でぶつかり合ったら、もっと楽しいレースが出来るんじゃないかって。だから初心に帰る意味でもこのチームに入りたかったの」
「なるほど。君の気持ちはよく分ったよ、マルゼンスキー。私のような若輩者にそこまでの評価をしてもらえて光栄だ。私は歓迎したいところだが、トレーナー君はどうだろうか?」
「俺も、そこまでの覚悟をして来てくれたのなら断る理由はないよ」
マルゼンスキーの答えを聞いて、武はルドルフと視線を合わせつつ首を縦に振った。
彼女が引退したのはケガをはじめとした様々な事情があったが、気持ちに区切りをつけて一線を引く選択をしたのは彼女自身のはずだ。
それでも今日、直接対決をした上で一緒のチームで走りたいと言わせるほどに、ルドルフの走りはマルゼンスキーの気持ちを変えた。少なくともそれは、尊ぶべきことだ。
「一ついいだろうか、マルゼンスキー」
「何かしら?」
「君の言い回しだと、現役復帰を希望しているようにも聞こえたが……。違いないだろうか?」
「そのつもりよ。そんなに簡単な話じゃないっていうのは、私もよく知っているけど」
マルゼンスキーの言うとおり一度引退したウマ娘が復帰した前例は限られる上、日本ではURAにより中央での復帰は認められていないのが現状だ。
「ああ。URAは過去、復帰したウマ娘が命の危機に瀕し選手生命を絶たれてしまったという事態を経験している。故に非公式戦や一部の例外を除いて、中央での選手の現役復帰は認めていない」
「でも、復帰したから危ない目にあったわけじゃないでしょう? ターフの上を走る子たち皆が背負ってることだわ」
ルドルフが口にしたURAの方針は、ウマ娘たちを守るためのものであって間違っていない。一方でマルゼンスキーの言い分も、ウマ娘全員が同じリスクを背負っているという指摘も理解出来るものだった。
「その指摘は、私も同意するところだよ。だが、URAが規則に厳しいのは君自身が経験していることだろう?」
「日本ダービーのことね」
クラシック三冠の一つであり、これからルドルフも目指すことになるそのレースにはかつて様々な制限があった。マルゼンスキーは当時の制限に引っ掛かってしまい出走が叶わず、彼女のダービー出場を期待していたファンたちから失望の声も多く上がっていた。
「大外枠でもいいから出させてくれってトレーナーちゃんと一緒に頼んだけど、あの頃のURA本部は全然聞いてくれなくて。あれはちょっと、悔しかったわね」
そう言ってマルゼンスキーは茶化すように笑うが、忸怩たる思いもきっとあっただろう。
それだけURAは保守的な面が強い組織だとも言えるが、良くも悪くもウマ娘を「守る」ためでもある。
「まあ、URA本部の判断は世間の人たちに知れ渡った途端、各所で猛烈な批判を浴びてそれまでの方針が嘘だったかのように規制を緩めたが……。それは、君の活躍があったからだ。君のようなウマ娘がもう二度と悔しい思いをしないようにと、世間が動いた。間違いなく、君のおかげだよ」
「ありがとう。そう言ってもらえると、少し救われるわ。でもあの騒ぎは、ちょっと怖かったわね……」
「それは、私も同意するところだな……」
今から数年前、マルゼンスキーのダービー出走不可のニュースはテレビやインターネットを通じて瞬く間に日本中に広がり、大炎上の様相を呈していた。
レースに出るウマ娘は競争選手であると同時に、アイドル的な側面も併せ持つ。
まして、マルゼンスキーはダービー前の時点でも圧倒的な成績を叩き出しながら、その見目麗しい容姿と大人びたお姉さんのような立ち振る舞いから熱心なファンも多かった。それが余計に、URA本部に対しての世間の批判を加速させたのだろう。
当時の混乱ぶりは、武もよく覚えている。
「マルゼンスキーの現役復帰はすぐにとはいかないだろうけど、あれだけのことがあったんだ。少なくとも無碍にはされないんじゃないかって俺は思う」
世間の激烈な反応を目の当たりにしたURA本部は、未だ事件の傷は癒えきってはいないだろう。今回は命にも関わることのため慎重にならざるを得ないが、妥協点を探ることは可能なはずだ。
「そうだな。秋川理事長を通して本部と交渉する形になるだろうが、まずは君自身の意志を示すことが大事だ。私とトレーナー君に話してくれたようにな」
「――うん、そうね。まずは何事もやってみないと始まらないわ」
日本ダービーの騒動があったから今回は話を聞いてくれるだろう、というのは現段階では希望的観測に過ぎない。駄目なものは駄目だと突っぱねられる可能性は依然として残っている。
それでもマルゼンスキーが口にしたように、動いてみないと成否すら分からないだろう。
だから武も、本部と交渉することに関しては何の抵抗もなかった。
「それじゃあ、まずは俺が秋川理事長に話してみるよ。マルゼンスキーがうちのチームに入るっていう報告と一緒にね。その後にマルゼンスキーも直接話を聞かれることになると思うけど……、それでいいかな?」
「それは嬉しいけど、いいの?」
「マルゼンスキーを預かることになる以上、俺もトレーナーとして責任がある。それに俺個人としてもマルゼンスキーが来てくれるのは素直に嬉しいし、このぐらいはへっちゃらだよ」
内心では秋川理事長にまた苦労をかけることや、マルゼンスキーに並々ならぬ思いを注いできただろう前任トレーナーと話すのは武も気が引ける。
それでもGⅠをよく知り、ルドルフの先輩ともいえるマルゼンスキーがチームに入ってくるメリットは大きいと思えた。
だからこそ、強気でマルゼンスキーの問いに答えた。
「ふふっ、それじゃ、お言葉に甘えちゃうわね。トレーナー君っ!」
武の精一杯の強がりを見て取ったのか、マルゼンスキーは一瞬目を見開いてから破顔したのだった。
「んーっ! すっかり日が暮れちゃったわねぇ」
学園の校門を出ると、月が浮かぶ空を見上げながらマルゼンスキーが大きく伸びをした。
「二人とも、先に帰っててくれてよかったんだよ?」
武は前に並んで立つルドルフとマルゼンスキーを見ながら、苦笑交じりに言った。
生徒会長室で新たなチーム名とマルゼンスキーの加入が決まった後、武は早速秋川理事長に報告しに行った。それ自体はとんとん拍子で話が進んだものの、アンタレスのトレーナーへの挨拶やマルゼンスキーが現役復帰を目指すことついての話をしていたら、いつのまにか夜になっていた。
武もこうなることは想定内だったが、意外だったのはルドルフとマルゼンスキーが待っていてくれたことだった。帰路につくため荷物を取りに、自分のトレーナー室に戻ると二人がいたのには驚かされていた。
「この大事な節目に、君一人に全てを任せて帰るというのも憚られたのでね。せめて君の報告が終わるのを待ちたかったんだ」
「でももう、門限ギリギリの時間だよ?」
「何、そのとき寮長から怒られるのは私一人だから問題ないさ」
当然とばかりに言い放つが、ルドルフは生徒会長だ。学園の学生たちを纏める立場の者が門限破りをするのは如何なものかと武は思う。
一方で彼女なりに心配してくれていたというのは伝わって来たし、待っていてくれたことに対して素直に嬉しい気持ちもあったので、それを態々口にすることはしなかった。
「マルゼンスキーは大丈夫なの?」
「私は一人暮らししてるから問題ナッシングよ! トレーナーちゃんにも挨拶しておきたかったもの」
武の用事が終わり三人で校舎を出る前、マルゼンスキーは退勤するところだった前のトレーナーを捕まえて話をしていた。
武はルドルフと共に気を遣って先に玄関で待つことにしたが、その場を離れる直前に見た二人は気の置けない友人といった間柄であるのが見て取れた。
「さっき会ったときも思ったけど、すごく優しい人だったね。マルゼンスキーのこと、大事にしてるのがよく分かったよ」
「ふふっ、そうね。レースでも練習でも遊びでも、いろんなところに行ったもの。楽しかったわ」
同性であることも影響したのか、学園でも随一と呼べるくらいには彼女たちの仲の良さが伺えた。
思い出を懐かしむように微笑むマルゼンスキーの表情が、それを何よりも物語っていた。
「あの人から託された分、俺も頑張らないとな」
「よろしくお願いね、トレーナー君っ。待ってる間に君が良いトレーナーだってことはルドルフからしっかり聞いたから、期待してるわ!」
「うん。よろしく、マルゼンスキー。因みにどんな話をしてたのか聞いても?」
マルゼンスキーの言葉に応えつつ、興味半分に武は尋ねた。
マルゼンスキーは意味深な笑顔を浮かべながらルドルフを一瞥し、口を開く。
「それはねぇ……。トレーナー君がルドルフのステージ衣装をべた褒めしたこととか、オフの日にデートしたこととか! ふふっ、貴方たち一年目から中々やるわね!」
「ちょっ、それは色々と語弊が……! いや間違ってはいなんだけど!」
確かにルドルフのステージ衣装を褒めたのは事実であるし、オフの日も結果的に二人で出かける形になったが聞きようによっては誤解を招きかねない言い方に、武は焦る。
そんな武を見てか、マルゼンスキーはますます楽しそうに笑みを深めていた。
「ルドルフが嬉しそうに君のこと話すから、つい色々聞いちゃったわ。細かいところまで気を配ってくれてるとか、トレーニングは柔軟まで手伝ってくれるとか、レースの対策もすごく考えてくれてるとかね」
「そ、そうなんだ……」
思っていた以上にルドルフが自分のことを語っていたことを知り、武は何と返せばいいか分からず曖昧な返事をする。
武自身としてはトレーナーとして当たり前のことをやってきたつもりだ。一方でルドルフのようなすごいウマ娘にそこまで評価してもらえていたのか、という思いもあった。
「すまない、トレーナー君。私もマルゼンスキーと話しながらこの数ヶ月を振り返るうち、つい熱がこもって色々と語ってしまったんだ」
「そ、そっか。まあルドルフが話したいって思ったんなら、俺はそれでいいよ」
「か、感謝する……」
妙な気恥ずかしさから、武とルドルフは押し黙ってしまう。そんな二人を見てマルゼンスキーは、微笑ましい物を見るような表情をしていたのだった。