NEXT FRONTIERを目指して   作:ハチハル

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第7話 新年、皇帝との初詣

『――今年もあと僅か。来年はどんな一年になるでしょうか』

 

 アパートの自室で、武は寝間着の上に半纏を羽織って座卓に肘を置き、テレビを見ていた。

 画面にはコートを着込んだ女性アナウンサーが映り、どこかの神社の境内で大勢の参拝客と共に年越しの瞬間を今か今かと待っていた。

 武にとっても年が明ける瞬間は、普段の日常とはまた違った感覚があった。

 一年が終わってしまったことの名残惜しさと、新しい一年への期待とが入り混じった不思議な感覚だ。

 年が変わった瞬間、突然何かが変わるわけでもない。ただ数字が一つ増えるだけのものだ。けれどその瞬間が、武は案外好きでもあった。

 地元に住んでいた頃は、両親と共に同じ番組を見ながら年を越していた。実家を出て一人暮らしを始め、一人で年を越すのはこれで二回目にもなる。

 時間が過ぎ去るのはあっという間だったなと武が思っていると、いよいよカウントダウンが始まった。

 

『――――5、4、3、2、1……。明けましておめでとうございます!』

 

 画面の左上に表示された時計が0時を示し、賑やかな曲と共に映像に移る人々から歓声が上がった。

 武はスマホでメッセージアプリを開き、グループメッセージでチーム・アルデバランの二人――ルドルフとマルゼンスキーに新年の挨拶を送った。

 

『明けましておめでとう。ルドルフ、マルゼンスキー、今年もよろしく』

『明けましておめでとう。今年も日進月歩、百錬成鋼の努力で共に勝利を勝ち取っていこう』

『あけおめことよろ! 私も復帰に向けて頑張っていくわ♪ よろしくねっ☆』

 

 三者三様のメッセージが画面に並ぶのを見て、武は微笑む。

 武は元々、あまり友人を作るのが得意ではない。

 大学は年に数度しか顔を出していないため友人が出来るはずもなく、学園内では他のトレーナーは皆先輩で気後れしてしまう。

 そんなわけで気安くメッセージのやり取りを出来るのは家族か、ルドルフとマルゼンスキーくらいのものだった。

 当然新年のやり取りをする相手も限られてくるのだが、その数少ない相手にこうして返事を貰えるのは武にとって嬉しいことだった。

 画面をトークの一覧に切り替えて、家族とのグループメッセージを探してスクロールする。その途中で、ふと指が止まった。

 

「あ……」

 

 随分と下に押しやられていたレイとのトーク履歴があった。最後にやり取りしたのは、去年の春ごろ――トレセン学園に来たばかりのころだった。

 レイとのトーク画面に切り替えようとして、やめる。

 そのまま家族とのグループメッセージ画面を開いて、両親に向けて新年の挨拶を打ち込んだ。

 去年色々仕送りしてもらったことのお礼や、今年もよろしくといった一般的と言えるだろう当たり障りのない内容だ。

 実際、両親――というか主に母には世話になっていたので、せめてこのくらいはしておきたかった。

 そんな心持ちでメッセージに既読が付いたのを確認した直後、スマホが鳴動する。

 

「明けましておめでとう、母さん」

 

 電話に出ると、数か月ぶりの母の声が聞こえた。

 

「明けましておめでとう! 久しぶりねぇ、武」

 

 武の母――白井由梨の声色に喜びが隠しきれていない様子に、武は苦笑を漏らす。

 

「久しぶりだね。元気してる?」

「それはもう元気も元気! あんたこそ、ちゃんと食べて寝てるんでしょうね?」

「ちゃんと自炊して食べてる。睡眠時間は……まあ、何とか確保してる」

 

 武は去年の生活ぶりを振り返りつつ答える。

 普段から料理は好きでしているものの、睡眠時間に関しては日によってバラつきがあった。

 大学の課題を消化したり学園の仕事を捌いたり、ルドルフたちのトレーニングメニューを組んだり、あるいはトレーニング教本を読んだり趣味で色んなウマ娘たちのレースを見たりしているうちに夜更かししてしまうことがあったからだ。

 

「ウマ娘のことが好きなのはいいけど、ちゃんと寝なさいよ? レイちゃんに怒られたんでしょ?」

 

 一言も口にしていないのに、ウマ娘絡みであまり寝てないと簡単に看破されてしまう。流石は母親と言うべきか、或いは余程分かりやすかったのか。

 武は苦笑しながら答える。

 

「まあ、うん。あの時は色々と余裕なかったから。今は最低でも6時間確保してるから大丈夫」

「……徹夜してないだけよしとしましょうか」

 

 声の響きから苦虫を噛み潰したような表情をしている気配があったが、それ以上の追及をしてくることはなかった。

 その後も互いの近況のことを話し合い、午前一時を回ったところで通話を終え就寝するのだった。

 

 

 

 雲一つない昼の青空の下、黒いコートに身を包んだ武は市内の神社にやってきていた。大きな神社ということもあり、多くの参拝客が初詣のために長い列を作って並んでいる。

 昨年は昼頃に初めて来たところ物凄い混雑に見舞われたため今年は時間を早めてみると、思いの外そこまで時間を取られずに参拝を終えられそうな人出だった。

 参拝客たち武と同じように防寒具を着込んでいる人もいれば、着物姿の女性もちらほら見受けられた。頭の上から伸びる長い耳が列の中から幾つもあることから、ウマ娘もこの神社の初詣に来ているようだった。

 年末年始に帰省しなかったトレセン学園の生徒や、付近に住んでいるウマ娘が来ているのだろうと推測しつつ、武は列の最後方に向かって歩く。

 前回と同じ轍を踏まずに済んだことに安堵しつつ最後尾に並ぼうとしたところで、武は見覚えのある後姿を見つけた。

 緑色のトレンチコートと、腰ほどまで伸びる鹿毛の髪、コートの隙間から覗く尻尾と頭の上にあるウマ耳。そして何より、威風堂々とした立ち姿をする人物――いや、ウマ娘は武の知る限り一人しかいなかった。

 

「明けましておめでとう、ルドルフ」

 

 隣に並んで人違いではないことを確認しつつ声をかけると、ルドルフは耳をピンと立てて驚いたような顔を見せた。

 武の方に体を僅かに向けたルドルフは、コートの下には白のトップスとブラウンのロングスカートを着ており、普段よりもいくらか大人びたような印象だった。

 今回は伊達メガネをかけていなかったが、服の着こなしでこうも印象が変わるのかと武は感心する。

 

「おお、トレーナー君か。明けましておめでとう。まさか新年早々、こんなところで会えるとはな」

 

 声をかけてきた相手が武だと分かると、ルドルフは自然と笑みを零しながら新年の挨拶を返した。

 

「俺も驚いたよ。ここに来たら、よく知ってる立ち姿のウマ娘の後ろ姿が見えたんだから」

「ふふ、それほど分かりやすかっただろうか?」

「そりゃもう。立ち方の癖ですぐ分かるよ。あとは雰囲気とかかな」

 

 武が知る限りルドルフは、腕を組んだり腰に手を当てたりして立っていることが多い傾向にある。それに加えて、彼女の纏う皇帝の名に違わぬ風格と少女らしさを併せ持ったような雰囲気に不思議と目を惹かれてしまう。

 その印象が深く刻まれていたからか、武にとってルドルフを見つけるのはさほど難しいことではなかった。

 

「まったく、よく私のことを見てくれているんだな。君は」

「一年近く見てたからかな。確実にルドルフだと思ったよ」

「……ふむ。思えば、私たちが出会ってもうそれぐらいの月日が経つのか」

 

 ルドルフは顎に手を当てて、感慨深げに目を閉じた。

 

「メイクデビューを勝って、サウジアラビアRCも勝って、先月のジャパンカップの日にオープン戦にも勝って……。色々あったな」

 

 メイクデビューは少々距離が長かったものの問題なく勝利、二戦目のサウジアラビアRCはマルゼンスキーの協力もあって見事に勝利。その後の三戦目はルドルフの意向もあって、ジャパンカップ同日に行われたオープン戦に出走し、これにも勝利していた。

 

「ああ。特に三戦目はある程度目的は果たせたが――」

 

 ジャパンカップは世界各地からウマ娘が集まってくる大会であり、必然海外の関係者も集まってくる。その日に自身の走りを見せることで、ルドルフは世界に己の存在を示そうとしていた。

 レースでは最後の直線で得意の末脚を発揮して勝利し、観衆たちを惹き付けていた。

 

「あまり満足はしてない?」

「ああ。直前にミスターシービーが史上三人目のクラシック三冠達成を果たしていたし、ジャパンカップの注目度と比べるとやはり、目的の完遂が出来たとは言い難いだろう」

 

 難しい顔をしながらルドルフは呟く。

 前後の時期に行われる、朝日杯フューチュリティステークスやホープフルステークスはジュニア級の出走が認められるGⅠレースだ。それを回避してあえてジャパンカップ当日のオープン戦を選択したのは、自分の「夢」をより多くの人に見せたかったからに他ならなかった。

 その目論見は、ある程度成功したと言って良い結果だった。ジュニア級ながら圧巻の末脚を見せつけたルドルフは、海外の関係者含め確かに注目されていた。

 それでもルドルフが悔しがるのは、ジュニア級のオープンとジャパンカップの間にはどうしようもなく高い壁があったことを思い知らされたからだろう。

 

「ルドルフの選んだことは間違ってないと思うよ。君の努力は、必ず誰かが見ている。そこに人数の多い少ないは関係ないさ」

「――君の言うとおりだな。あのレースの結果は、私が今立っている地点を認識させるに十分だった。ならばあとは、私自身がどれだけ高みに登れるか、だな」

 

 強い意志を宿したルドルフの視線が、武に向けられる。それは武が初めてルドルフが話した日に見たのと同じ眼差しだった。

 

「そうだな。俺にとっても中央は初めてのことばかりだけど――それでも、ルドルフを勝たせられるように頑張るよ」

「ああ。まずは今年のクラシック三冠――これを確実に取りに行こう」

 

 

 

 それから並ぶこと一時間弱、人混みに揉まれながらもどうにか参拝を終えられた武とルドルフは、境内のあまり混んでいない場所を見つけて一息吐いていた。

 

「これでひとまず参拝は終わったけど……。ルドルフは何か願いごとはした?」

「無論、今年は必ずクラシック三冠を手にする、とね。まあ、願いごとというよりは宣言と言うべきかもしれないがね」

 

 武の問いに、ルドルフは至極当然のように告げる。

 並んでいるときにも話題に上がったこともあって予感しつつも聞いてみたが、やはりそのとおりの答えだった。

 

「宣言でもいいんだよ。結局、願いを叶えるのは自分だと思うし……。ルドルフらしくて、いいんじゃないかな。」

 

 経緯はどうあれ、武自身トレーナーになりたいという願いを持ち、今まさにそれを叶えている最中にある身だ。ルドルフが自分の力で願いを叶えるという覚悟には、武にも共感するところだった。

 

「まあ、それも私一人の力では到底成し得ないことだろうがね。だからこそ私は君と共に歩もうとあの日、決めたんだ。それに今はマルゼンスキーもいる」

「うん」

「共に歩み互いを導き合う存在。そして、切磋琢磨する仲間……。そういう人たちがいて初めて、私はより願いに近づくことが出来る。それを昨日までの一年間、この身で実感したよ。だからトレーナー君、今年も共に心願成就を目指そう」

 

 ルドルフの紫色の瞳が、武に向けられる。初めて出会ったときから変わらない、真っすぐ前を見据えた力強い視線だった。

 例え困難なことだろうと、希望を見出して進み続けるルドルフの姿は武にとって眩しいものだった。そんな彼女の姿を見ていたからこそ、武もここまでトレーナーを続けることが出来た。

 

「そうだな。俺も、君の夢を叶えられるように頑張っていくよ」

「うん、よろしく頼む。トレーナー君の方は、何か願いごとはしたのか?」

「俺は二人が無事に今年一年走り切れますように、だな。もちろん、ルドルフを勝たせたいっていうのとマルゼンスキーを復活させたいって気持ちもあるけど、そっちは今年の目標だから」

 

 ルドルフの勝利やマルゼンスキーの復活も大事だが、それ以上に怪我なく走り切ってほしいというのが武の偽らざる思いだった。

 ウマ娘レースを走る以上、普通の人間よりも怪我のリスクはずっと大きい。

 下手をすると()()()()()()()()()()日常生活にすら支障をきたす怪我を負う可能性のある世界に、二人は身を置いている。それぞれが“走りたい”というウマ娘の本能に従って、その先にある景色を見るため駆けている。脚に怪我を負うことは将来だけでなく、喜び――つまりは笑顔すら奪ってしまいかねない。

 それに武は一度、笑顔を奪ってしまったことがある。もう二度と、同じ轍を踏む真似はしたくなかった。

 

「……ふむ。確かに私たちは、常に怪我と隣り合わせだからな。時として避け得ないこともあるだろうが……。うん、トレーナー君の想いはしかと受け取ったよ」

「ありがとう。今年もよろしくな、ルドルフ」

 

 深く頷くルドルフに、武は右手を差し出す。その手を見てルドルフは一瞬呆けたような顔を見せた後、屈託のない笑顔を浮かべた。

 

「ああ。こちらこそよろしく、トレーナー君」

 

 ルドルフは応じて、武の手を握り返した。

 初めて出会った日以来に握るルドルフの手は細く暖かく、それでいて力強かった。

 

 

 

「そういえばルドルフは実家に帰らないのか?」

 

 神社の境内に並ぶ出店でニンジンの串焼きをルドルフに奢り、自分も同じものを食べながら武はふと聞いた。

 トレセン学園は通常の授業に限っては一般的な中学校や高校と冬休み期間は同じだが、過ごし方は様々だ。トレーニングを優先して学園に残るウマ娘もいれば、三が日が開けて早々にレースを控えているウマ娘もいる。もちろん、実家に帰省して気分転換をするウマ娘もいる。

 武はルドルフやマルゼンスキーの都合を聞いた上で大晦日の辺りから正月の頭の五日間までを自主トレ期間としていたが、その間他に何をするかまでは聞いていなかった。

 

「私は、己がなすべきことをなすまでは帰らないと決めているんだ。それに、生徒たちのことも気になってしまってね」

「なすべきこと……っていうのはクラシック三冠を取るとか、そういうこと?」

「それもあるが、何よりも私が私自身に課した“夢”を掴むための実力を身に着ける、というところだな。実家に帰るという選択肢がないわけではないが、学園にいた方が採れる選択肢は多いと思ってね」

 

 ルドルフらしい理由に、武は納得する。

 トレーニング環境で言えば、トレセン学園は日本でもトップクラスにウマ娘用の設備が整っている環境だ。設備自体は事前申請さえすれば年末年始でも利用出来るので、これを活用しない手はないだろう。

 

「なるほど。生徒たちが気になるっていうのは、もしかして」

「ああ。私に出来うる限りの範囲でだが、生徒たちのケアをね」

「具体的には、どんなことを?」

「この冬休みを最後に学園から去ろうとしている生徒を引き留めたり、学園に残る生徒たちの相談事に乗ったり、といったところだな」

「それはやっぱり、生徒会長として?」

 

 武の問いに、ルドルフは頷く。

 

「そうだな。それに私個人の心情としても彼女たちには、未来を夢見て学園に来た以上引退のその日まで走り抜けて欲しいと願っている。例えライバルであろうとも、最後の最後まで共に走り抜けたい。そんな思いで声をかけているんだが……」

 

 ルドルフの顔に、僅かに影が差した。

 

「ルドルフ?」

「私がまだ未熟者だからだろうな。力及ばず、学園から去ってしまう生徒はどうしても出てきてしまうんだ。重賞を一つでも取れば変わるかもと淡い期待を抱いていたが……。事はそう簡単に上手く運ぶものではないのだと、痛感させられたよ」

 

 そう言って、ルドルフは自嘲気味に笑う。

 ルドルフが語っていたとおり、年末年始の休み期間に限らず学園を去ってしまうウマ娘はどうしても出てきてしまう。選抜レースに出ても担当トレーナーが決まらなかった、デビューしたはいいものの結果が全く残せず心が折れてしまった。その他にも理由は去っていく生徒の数だけあるため枚挙に暇がない。

 去年も、クラシック級どころかジュニア級すら走り切れず去ってしまった生徒の話を武も耳にしたことがあった。

 ルドルフはそうなる前に学園に居続けるよう尽力しているようだった。

 

「でも、留まってくれる子はいたんだろう?」

「まあ、そうだな。けれどそれも、彼女たちの心のどこかにまだ諦めたくないという思いがあったからこそだろう。私に出来たのは、声をかけることくらいだよ」

「なら、それでいいんじゃないか?」

「……トレーナー君?」

 

 武の言葉に、ルドルフは目を見開いた。

 

「ルドルフは、今の自分に出来る精一杯のことをしたんだろう? その先の事はその子たちそれぞれが決めることだよ」

「そうだな。私も頭では分かっているつもりだが、感情ではどうしてももっと力があれば、と思わずにはいられないんだ」

「分かるよ。でも、それはルドルフが力不足だったんじゃなくて、ルドルフの言葉を聞いた上でその子がその子なりに考えて決めたことだ。それに無理強いして止めたところでいい結果にならないのは、ルドルフも分かるだろう?」

「ああ」

 

 ウマ娘とて、自分の意志を持った存在だ。

 心変わりすればまだいいかもしれないが、学園から去ることを決めた子に対して自分の意志を押し付けたところで、それはその子自身の意志ではない。何かあったとき引き留めた相手に責任を押し付けてしまえるし、そのまま芽が出ず時間を無為に使ってしまうなんてこともあるだろう。

 

「ならそれで十分だし、残ってくれた子がいるだけでもすごいことだよ。君が、その子の心を動かすことが出来たってことなんだから」

「随分前向きに捉えるんだな、君は」

「ずっと立ち止まって後ろを振り返っていても、前に進むことなんて出来ないしね。レースだってそうだろう?」

 

 武とて、今まで生きていて後悔したことはいくらでもある。ふと振り返ったとき、過去の自分の失敗を思い出して苦しくなることもある。それでも自分で決めた目標があり、自分が担当すると決めたルドルフやマルゼンスキーがいる以上、前を向いて進んでいくしかなかった。

 

「そうだな。どうあれ私も含めてターフを駆けるウマ娘たちには、目指す場所がある。レースであれば一着だし、さらにその先の夢を追い求める。なるほど、言い得て妙だ」

「俺だって、後悔はいくらでもある。それこそ、レイを傷つけてしまったこととかね」

「あの日、トレーナー君が話してくれた以前の相棒のことだな」

 

 ルドルフの確認の言葉に、武は頷く。

 

「でもそれは結局過去のことで、今更どうこうしたところで無かったことには出来ない。それに、その経験があったからこそ次に繋げられるんじゃないか……って思う」

「――要は気にしすぎるな、ということか」

「そういうこと。気にするなとも言えないし、傷つくなとも言えない。というか多分、避けて通ることは出来ないと思う。でも、過去に囚われすぎるのも良くない。だから上手いこと折り合いをつけて、進むしかない。俺たちが選んだのは、そういう道だったはずだろう?」

 

 トレーナーになって、ウマ娘を笑顔にすること。「皇帝」として、ウマ娘が幸せに暮らせる時代を創ること。一言で表すのは簡単だが、武たちが歩いている道のりは決して平坦ではない。

 ルドルフに向けての言葉ではあるが、同時に武自身にも向けたある種の戒めの言葉でもあった。

 

「そうだったな。日進月歩、立ち止まることや遠回りをすることがあっても我々は進み続ける。“そうしなければならない”という義務感ではなく、“そうしたい”という願いに向けてだ。……うん。君の言葉で、私もいくらか心が定まった気がするよ」

「ごめん。本当なら、慰めの言葉の一つでも言えればよかったんだけど」

「ふふ、君自身言っていただろう? 気にしすぎるな、と。慰めるのはそうだな――私がどうしようもないほど落ち込んでしまったときでいい。今の私には何よりも、叱咤激励の言葉が必要だからな」

「まったく、ルドルフらしいな」

 

 ルドルフの自分に対する厳しさに、武は苦笑を浮かべる。それでも先ほどまで垂れていた耳がピンと立ち、頬を緩める彼女の様子を見てもう大丈夫そうだと判断する。

 

「――さて。私はもう少し境内を見て回ろうと思うのだが、トレーナー君はどうする?」

「ああ。俺も色々回るよ。お守りとかおみくじとか、後回しにしてたからな」

「早めに出たとはいえ、元日だけあって人混みは如何ともしがたかったな。おかげで小腹が空くほど並んだが……、君の奢ってくれたニンジンの串焼きは空きっ腹にちょうど良いな」

「そうだね。火もよく通ってて美味い」

 

 話がひと段落したところでルドルフと一緒にニンジンの串焼きに手を付ける。

 流石に冷めかかってはいたが、それでもちょうどいい火加減で焼かれていて程々に歯ごたえもあり食が進む。

 

「うん。文字通りニンジンを丸ごと一本串で刺しただけのシンプルなものだが、ニンジン本来の味わいを楽しめる上に身も程よい大きさだ。食べ過ぎなければカロリーもそこまで気にしなくていい。実に美味だったな」

 

 満足そうに微笑みながら語るルドルフの手元には、串だけが残されていた。

 

「早っ」

 

 ようやく四分の一ほど食べ終わった自分の串焼きと見比べながら、武はルドルフの食の速さに思わずそうこぼしたのだった。

 

 

 

 それから武とルドルフはおみくじを引いたり境内に並ぶ出店を回ったりして過ごしていた。

 おみくじは武が吉、ルドルフが大吉と正月から幸先の良い結果だった。

 出店の方は数が多い分売っている物が似通っているところもあったが、ウマ娘向けの食べ物を用意するところもあればフランクフルトや焼きそばといった定番のものまで多様で、訪れる者を飽きさせない。

 武もルドルフも昼食代わりに食べ物をいくつか買う程度で抑えたが、つい目移りしてしまうぐらいには賑わっていた。

 出店を一通り巡りきったころには初詣客の待機列も随分と長くなっており、二人はそれを横目にしながら空いた場所を見つけ、暖かい缶コーヒーを片手に一休みしていた。

 

「物凄い混んできたな」

「ああ。早めに出てきて正解だったな。体力には自信があるが、先に気疲れを起こしてしまっていたかもしれないな」

「流石のルドルフも長時間並ぶのはきついか」

 

 いくらデビュー済みのウマ娘とはいえ、ここまでの人混みの中でひたすら待つというのは退屈してしまうだろう。まして、今の込み具合であれば下手をすると二時間以上待たされるかもしれない。

 

「昼前の混雑も中々のものだったが、トレーナー君と話をしていたからか退屈せずに済んだよ。来年は、チームの皆で来るのもいいだろうな」

「実家に帰らないの前提なんだな」

「そういう君も、帰るつもりはないのだろう?」

「それはまあ、そうだけど。レースの有無関係なしでこっちにいると思う」

 

 ルドルフに指摘すると、同じことを指摘し返され武は素直に認める。

 

「理由は聞いてもいいだろうか?」

「構わないよ。結論から言えば、帰り辛いってだけだけど」

「ふむ」

「ほら、レイと色々あったのはルドルフも知ってのとおりだけど……。レイは俺の実家の常連でもあってさ。ちょこちょこ顔を出すんだ」

「ご家族のことというよりは、彼女と顔を合わせ辛いというわけか」

「あいつとは色々あったからね。結局俺は、あいつから逃げてるんだ。さっきあんな偉そうなこと言っておいて、情けない話だけど」

 

 今のところチームに正月早々レースに出るウマ娘はおらず大学も冬休み期間なので、帰ろうと思えば帰ることは出来る。諸々やらなければならないこともあるが、実家に持ち込めばいい話だ。

 それでも今まで帰らずにいたのは、レイとの関係に起因していた。

 

「情けなくなどないさ。君は過去の失敗から目を背けてなどいないし、歩みを止めていない。それにいつかは彼女と向き合わなければならないことは、自覚しているのだろう?」

 

 自己嫌悪に陥りかけていたところを肯定されて、武は目を瞬かせる。

 

「……それは、そうだね。いつかはあいつと話さなきゃいけないって思ってる。でも今はまだ、その時じゃない」

 

 自分とは真逆の考え方をしていたルドルフの言葉を受け止めながら、武は自分の心の内に問いかける。

 それなら、いつならばいいのか。どういう自分になれば、レイとまた話すことが出来るのか。

 

「俺は、あいつにも胸を張れるトレーナーになる。ルドルフもマルゼンスキーも、何ならこれからチームに入るかもしれない子も笑顔にするトレーナーになって、あいつを――()()()()()()()()

 

 武の言葉はともすれば、矛盾を含んでいるものだった。

 

「それは……」

「分かってるよ。ウマ娘を笑顔にするって言いながら、あいつを泣かせるかもしれない。でも、俺とあいつの関係を前に進めるためには必要なことなんだ」

 

 小学生の頃に出会い高校では共に地方を戦った幼馴染との思い出は、振り返ると数え切れないほどあった。

 初恋相手であったことは確かだった。しかしその気持ちは、彼女と共に過ごすうちに違うものへと変わっていった。それが何だったのかは、未だ答えは見出せていない。

 

「君はそれでいいのか?」

「構わないと思ってる。むしろこの先何年もあの時のことを引きずっている方が、お互いのためにも良くないと思う」

「――今はそのための準備期間、ということか。心の整理をつけることと、一人前のトレーナーとなって君が選んだ道を彼女に示すこと、その二つを果たすための」

「うん。それから俺とあいつが、もう一度笑って話せるようになるためにもね」

 

 仮に立派なトレーナーになってもう一度レイを振ることになったとして、それが必ずしもいい結果を招くかどうかは分からない。しかしそんな悪い未来を恐れて立ち止まるよりも、僅かでも希望を夢見て進む方が良いだろうと武は思った。

 

「全く、君の前向きさには驚かされるな」

 

 武の答えに、ルドルフは苦笑していた。

 

「そう見えたのは多分、ルドルフと話したからだよ」

「私と?」

「ああ。正直、レイのことはずっと引きずってたんだけど……。ルドルフの悩みを聞いて、俺の話も聞いてもらって……。そしたら自然と、ちゃんと向き合わなきゃって思えたんだ」

 

 武は高校時代、例え負けてしまっても次の目標に向かって進むことをレイと共に繰り返していた。「何故負けてしまったのか」ばかり追求しても前には進めない。「結果は結果として受け止めて、次に進む」ということを続けてきた。続けざるを得なかった。

 その経験を言葉にしてルドルフに自分なりの考えを伝えたつもりだったが、却って武自身が気づきを得るきっかけとなっていた。

 今日こうして話をしていなかったら、無理に前に進もうとしてどこかで立ち止まってしまっていたかもしれないと武は思う。

 

「私も学園を去るウマ娘を引き留められなかったことで、己の無力さを悔いていた。しかし決してそうではないと君が教えてくれた。無駄ではなかったと、認めてくれた。不思議なことに、それだけで随分と救われた気持ちになったよ」

「それなら良かったけど……。俺たち、正月早々何話してるんだろうな」

 

 お互いの悩みが一つずつ解消されたところで、武はふと我に返る。

 正月とはもっと、未来への希望だとか正月行事や食べ物のこととか、そういったことをして楽しむのが普通なのではと。

 

「ふふ、確かにな。こうしためでたい時期に話すにしては、少々重い内容だったかもしれないな」

 

 武に同調するように、ルドルフも笑みを浮かべる。

 

「だよねえ。――あんまり踏み込まないようにしてたんだけど、ルドルフのプライベートの話とか聞いてもいい?」

 

 トレーナーとウマ娘という関係である以上、必要以上に相手に深入りするべきではないと武は線引きをしていた。あとは単純に、プライベートに踏み込んで嫌われて今後に支障が出てしまうのを恐れていた。

 しかし会う度に真面目な話ばかりしていては、息が詰まるのではないか。そう考えて、武は話を切り出した。

 

「君であれば勿論、構わないよ。私も君がこの年末年始、どんなことをして過ごしていたのか興味があったんだ。存分に話し合おうじゃないか」

 

 顔を綻ばせるルドルフを見て、武も頬が緩む。

 その後は缶コーヒーを飲み切り帰路につきつつ、他愛のない話をしてルドルフとの親睦を深めたのだった。

 

 

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