琵琶の音を伴う鳴女の血鬼術。
それを受け魘夢が落とされた場所は煉獄邸の正面だった。
「ふ~ん?」
その目に映るのは清らかなる結界。
彼が知るモノよりも格段に瑞々しく、弱い。
恐らくは胡蝶ミズハの弟子か血縁が成したモノだろう、と検討をつけ右手をそれに向けた。
『いただきます』
血鬼術・暴食暴蝕。
右手の手の甲に開いた口が、神聖なそれを捕食する。
いつも散歩ついでにしている行為。
方除札や藤の花の香も、あらゆる鬼除けを食いつくす。それこそが魘夢の右手に込められた外法。
「久しぶりだなぁ、無惨様直々のご命令でこの辺り一帯の結界や鬼除けは食いつくしてしまったからねぇ、ちょっと味が若いけれどこの結界はやっぱり美味しぃ」
暴食暴蝕の効果により一時的に五感が鋭敏に研ぎ澄まされる。その感覚が、人の動きを捉えた。
「おやおやぁ?」
魘夢が眉をひそめる。
煉獄邸に居る人間は現時点で七名。
いずれも年若く苦味が少ない、と魘夢の舌が判断する。
女の気配には動きが少ないなぁ。
唯一動いているのは味が薄い、一般人だね?
そして男。
ほとんどが重傷なのかなぁ、気配が弱いや。
ーーだけど。
『お眠りィィ』
左手の血鬼術・強制昏倒催眠の囁き。
この術の基盤は『音』だから。
だから『目』が合わなくても問題ないんだぁ。
男性が倒れる音と捉えるには、随分と軽い音を立てて倒れた人影。見るとまだ十才前後かな?
不釣り合いな刀を握りしめたまま、夢に旅立つ可愛い子供。
「恐ろしいねぇ? その若さで俺の血鬼術に気付いたのかぃ?」
暴食暴蝕により喰い破られた結界。
その違和感を感じとり、即座に俺を特定するだなんて、並の人間にできることじゃない。
やたら派手な髪の毛だし、炎の呼吸の一族かな?
「…おっとぉ?」
一室に纏まっていた三名の男性の内、蛇の気配が動く。
この子供の索敵に反応したんだね。悪くない、悪くない。
ここで動かないと言うことは後の二名には意識がない、これで確定だねぇ。女にも動きはないし。
うん、とても良い状況だぁ。
『お眠りィィ』
気配に向けて雑に術を放つ。
ここだろうと目星をつけた場所から随分と離れた場所で、黒髪の男がパタリと倒れる。
お友達なのかな?
白い蛇が彼の首筋を噛むけれど、足りない。
気配の消し方から見れば、彼も十分な力量を持つ鬼狩りだと推測できる。
それでも、俺の眠りには抗えない。
そんなフラフラに疲れきった肉体と精神では。
さて、行く道の途中だ。
時間もないし、目覚める前に首の骨でも折っておこうっと。
人間だった頃もこんな事をした気がするなぁ。
道すがら、花を摘まんで帰るんだ。
そうすれば、もしかしたらあの人がーーーーー。
「…へんだな?」
なんだろう?
人間の頃の記憶?
なんで唐突に、そんな?
立ち止まる。
脳の中では未だに記憶の再生が進む。
つまらない長屋の細道に咲いた黄色い花を、俺の小さな手が大事そうに摘み取る。
その記憶を流すように眺めながら、俺は右手で俺の頭を噛み砕いた。
【暴食暴蝕】
神も魔も、夢も霊も、蝕み、喰らい、現世に晒す。
どれほど強い力を持とうとも、食という現実にある地獄を誤魔化せはしない、いや…俺がさせない。
「ふ、ふふふふふふふっ!」
嗤いが込み上げるよ。
俺の口から!
「こんなにも強い神格と
黒髪の男が立ち上がる。
いや『黒髪の男を立ち上がらせる』が正解かな?
「名前はなんと言うのかなぁ?」
男の身体を奪い、一時的に操作しているであろうソレに微笑む。
水の呼吸から派生した、蛇の呼吸に関連する神。
子供の守護者としての側面を見せる神。
あぁ、あぁぁぁぁん。
ゾクゾクするほど愉しいなぁ!
かみさま、かみさま、かみさま!
俺を助けてくれない神様!
鬼を赦してくれない神様!
皆の願いしか、叶えてくれない神様!!
「
はは、流石に、重い!
嗤ってしまうよ、これは嗤う!
看破を受けた神。
流石に交戦は諦めたらしく、眠りこけたまま動かない派手な毛色の子供を拾い闇へと姿を隠した。
「ふふふふふふふふふっ、流石だよ、流石はカミサマだよぉ、救う人間は最初から決まってるんだよね?こぼれ落ちた人間なんて知ったことじゃない。いやいやいやいや、最初から目にも入っていないのかなぁ?」
憎しみが細胞から溢れだす。
悲しみが魂魄から咲き狂う。
…けれど。
「はぁ。飽きた」
神仏?
憎悪?
俺ちゃんの悲しみ?
その程度の雑事に囚われるほど、俺が暇に見えるのかな?
「堕姫様に誉めて貰わなくちゃ」
俺の
そして、無惨様。
無惨様に喜んでもらって、悦んでもらって…!
足の小指だけでも、食べてみたいなぁ。
もちろん、俺の全てを差し出すよ?
当然じゃないか!
俺の全てを食べてもらって、それを前提として、その上で俺も無惨様にかじりつくんだよぉ!
鬼達の神様。
俺だけの神様。
美しい、美しい、生命の慟哭。
あの御方の為に…!
それだけを胸に、俺はその場所へと向かった。
◇
現世へと意識を浮上させた二人の前で、その鬼は笑顔を浮かべて手を振った。
「おはよう、良い目覚めだねぇ?」
「おはようございます。貴方さえ居なければより良い目覚めになったのですが」
余裕を見せるカナエ。
しかし、その笑顔の強張りは誰にも隠せない。
「ヒドイ言い様だねぇ。お前、友達いないだろぉ?」
魘夢の笑顔は爛漫で、油断とも慢心とも取れる本物の余裕でもってカナエを揺さぶる。
事実、力量の差は隔絶している。
物理的な膂力でも、精神的な強度でも、神霊を伴う世界での闘争においても、何一つとして活路が見えぬ袋小路。
しかし。
「私が友達です」
銀狐の神威を纏い、真菰が立ち上がる。
神威とは言ってもそれは所詮、神霊が座した後の残りカス。
その程度のモノで勝機うんぬんを考えるほど愚かではない。
それでも、彼女の心には勝ち負けなどとは並び立つ事の無い、もっと大切で光輝く思いがあったから。
真菰の姿がカナエの心を支えた。
折れかけた心が繋がり、未来への道を模索する。
そう。
隔絶しているのよ。
力量の差がある。
それ以前に、彼は私達が目覚める前に、私達をなぶり殺す事だって出来たのよ。そう考えれば、この状況はおかしい。
「何が目的なのでしょうか…いえ」
目的を達成するために?
「私達に、何を求めているのでしょうか?」
問いかけに、鬼が嗤う。
最初はじんわりと。
少しずつ溶けていく氷のようにじわじわと。
そして、一点を越えた瞬間にゲラゲラとはしたなく大口を開けて嗤いました。
この鬼の特徴なのでしょう、右手と左手の甲に開いた口からも笑い声がするものですから、流石に気味が悪くて。
自然と真菰さんと手を繋ぎあいました。
「イィなぁ?お前、イィなぁぁぁぁぁぁ?」
理解した、正解した。
その確信が、推測を推し進める。
「雷月」
この人しかいない。
花街での決戦、その場所の特定から鬼の性質に至るまで、その全てを知っていた立役者。
真っ先に助けようとして、助けられなかった半死半生。
「情報が必要なんだぁ、小僧だけが秘匿してる、あの御方が生死よりも必要とする、この世界の理を越えた先にある情報」
その為に。
「お前だって、そのつもりでその小娘を起こしたんだろぅ?けど、それだけじゃ足りない。お前と協力したところで自壊し続ける小僧の肉体を押し止めるのが精一杯」
鬼が、微笑む。
「協力しよう。鬼と人が手を取り合うんだぁ!」
理想。
胡蝶カナエが掲げた『人と共に、鬼をも救う』と言う。
それと同じ。
この鬼が、同じ?
吐き気がするほどの、害悪。
何をもって善とし、何をもって悪と成すのか。
それはカナエにはわからない。
法律も、経験も、まだ十四歳の少女でしかない彼女を助けてはくれない。
凍てつくような恐怖。
狂い果てた人間の最果て。
魂が、汚染されてしまう。
きっと、独りであったならば。
「大丈夫だよ」
繋がり合う手の温もりから、勇気が生まれる。
言葉、言霊。
巡り、渦巻き、命を燃やす。
だから、その熱を持ちカナエは魘夢の手を取った。
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本当に、面白い状況だ。
自らの立ち位置を省みて、魘夢が思う。
見下ろす先には黒髪の少年。
心臓がある辺りから、全身に黒いひび割れが広がっている。
どういう症状なのか、どうしてこうなったのか。
魘夢はそれを気にしない。
彼の目的は雷月の持つ情報だけなのだから。
「いいかい?術の行使中に俺の手を切り離せばここにいる俺は死ぬ。精神が抜けた空っぽの器では鬼の身体は維持出来ないからね。けれど、万が一にでもそうなったなら俺はこの小僧を好きなように弄ぶよ?精神を乗っ取るか、普通に壊してしまうか。なんにせよ一人では死なない、道連れにする」
蛇の男は去ったし、すぐ隣で昏睡している派手毛の兄らしき人物もそう簡単に目覚める事はないだろう。
それでも一応は念を押しておこぅ。
本当なら相手の精神に入り込んだ瞬間、磨り潰される可能性もあるのだけれど、それは黙っておく事柄だしねぇ?
「貴方の安全は私達が保証します」
「雷月を助ける。これだけは守って」
人間の要望に、笑顔で応える。
もちろん、命だけは助けてあげるとも。
命だけは、ね。
俺の右手と雷月を左手、その指を交差させて握る。
反対の手も同じようにして。
あぁ。
気色悪いなぁ。
これが無惨様か、堕姫様だったら。
…けど、なんだろう?
なんでだろう?
とても暗い。
暗い暗い、いぃぃぃぃぃぃぃぃい香りがする。
雷月のひび割れの、その中心から?
とっても、そそる。
涎が垂れる。
「あぁ…夢見心地、だぁ……………」
そして俺は、ひび割れに落ちていくように夢に落ち、その胸に顔を埋めた。
堕姫様、無惨様。
お二方の為になら、命も魂も汚し尽くせる。
だから、俺を、見て。
ねぇ母さん…俺を、見てよ。
魘夢の血鬼術考察(妄想)
彼は強制昏倒催眠の囁きを使用するのですが、原作並びにアニメ(劇場版)でも左手でしかそれを発動していません。
作者の経験上、左手に特殊能力を備えているキャラクターは右手にも別の能力を備えていることが多く、そこから今回の暴食暴蝕を考えました。
ご都合主義は好きではないのですが、必要なら使います。
何より花身術で鬼の毒を払ったり、作中に霊媒師の存在を取り入れたので逆に霊力に対抗できる鬼が存在しなければバランスが崩れますので作者的にはアウトよりのセーフ。
ちなみにこの作品の魘夢の口調は劇場版を参考にしています。
声優さんの名前とか覚えられない系の人間なので申し訳ないのですが、あの声優さんの演技は大好きですよ。
◇
あと、身内の話で恐縮なのですが。
嫁に雷月の絵を描いてもらったのですよね。
目次から見えるようにしてあるのですが、せっかくなので完成記念にこちらにも張っておきます。
凄く良い絵です。
ここまでこの小説にお付き合いくださった貴方なら「なるほど」と言っていただけると信じています。
よろしければご覧ください。
作者は飛び跳ねて喜びます。
【挿絵表示】