『善逸、お前は俺の誇りだ』   作:マキシマムとと

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第 弐拾陸 話『白髪』

赤ん坊の泣き声が止まない。

一刻も待てば治まるかな、と思っていたけれど、一刻どころか二刻を過ぎても泣き通しだ。

今更の話の、俺はお隣さんがいたって事にすら驚いてるんだけど、その上赤ん坊んのギャん泣きだ。

今でこんなことはなかったから母ちゃんは固まってる。

この人は基本的に受け身な性格だから仕方ないんだけど。

 

けど、そろそろ相手の対応に期待してちゃ駄目だ。

アイツが帰ってくる。

この時間の帰宅なら十中八九酒呑みだ。

 

 

【俺が汗水垂らして稼いだ金でーー!】

だか。

【ガキが親に向かってーーー!】

だか。

 

 

生ゴミがみっちり詰まったゴミ箱みたいな口で、毎度お馴染みの決まり文句で好き勝手な自己弁護にオッスオッスしてやがるこの世のカスが帰ってくる。

お隣さんがこの調子なら、間違いなく不機嫌の大安売りになるし、そうなったら殴られるのは母ちゃんだ。

 

今までだって今年生まれた俺の玄弥()がグズった時はどんなに遅くても外に連れ出して、落ち着いてから家に帰ってる。そうしないと猿野郎がウキウキキャーキャーって吠えるんだよ。

ったく、あんな可愛い泣き声を聞いて、返す反応が怒鳴り声だとか親の顔が見てみたいもんだぜクソが。

 

だから、なぁ。

このまま放置するの流石にもう無理だ。

思い立ったら即行動。

母ちゃんがなんかいう前にスルッと家を抜け出してお隣さんの家の戸口に立った。

 

「こんばんわー、入りますよー」

 

俺ぁまだガキだからな、図々しいくらいがちょうどいい。

つっかえ棒もしてなかったようで、少し力を込めると引戸が簡単に横にずれた。

まったく、いくら下町長屋だからって無用心が過ぎるわ。

 

「…あらぁ?」

 

赤ん坊の泣き声に混ざって、奥から間延びした女の声が聞こえた。

室内は玄関の横にある台所の小窓も締め切っていて、ちょっと怖いくらい真っ暗だった。

俺が開いた玄関から入る月明かりと、向かいの家から漏れる電球の明かりだけがこの家の中を照らす。

 

「赤ちゃん、ずっと泣いてるけど調子悪いのかぃ?」

 

赤ん坊の泣き声に向かって声をかける。

反応が無いから仕方ないわな。

ポンポーンと土間に突っ掛けを脱ぎ捨てて室内に押し入る。

 

「実弥…!」

 

心配でついてきたんだろうな、玄弥をだっこした母ちゃんが圧し殺した声で俺をたしなめるんだけど、一歩遅い。

つか母ちゃんは腹に次の赤ちゃん入ってるんだから無理するなよ、ただでさえ玄弥はデカくて重いんだから。

 

「押忍、お邪魔します」

 

光が弱くて奥まで見通せない。

だから俺は、この辺りだと見当をつけて進む。

余計な物が無い室内。長屋なんだから俺の家と同じ筈なのに、物がないとこんなにも違うのか。

 

何一つ蹴躓くこと無く進む。

たぶんこの真上に電球があるけど、俺の背丈じゃどうやっても届かねーし。

なんて思いながら更に進み、闇を突き抜けて感覚的に手を伸ばすと、指先に襖のザラザラした感触。

なんも考えずにスパンと襖を横に退かすと、裏口の窓から青っちろい月明かりが入っていた。

 

その明かりの下に座る女と、その腕の中の赤ん坊。

女の方は洋服を着ていて、長い髪を流していた。

この辺りでは見ない感じだし、都会人ぽいかな?

アサクサとか、あの辺りの人間。

あか抜けてるって奴だ。

 

「電気つけねーの?」

 

問いかけながら近づいて、相手に考える隙を与える前に赤ん坊を取り上げた。

二刻も泣き通しなら虐待の可能性だってある。

目視できるほど明るくないから、変な泣きかたに変わる場所がないかを、ざっくりと触診してみる。

 

…うん。

産まれたばっかりだな。

 

プニプニでふにゃふにゃで。

それなのに力いっぱい。

痙攣する虫みたいな暴れかた。

 

「うわー玄弥が産まれたばっかしの頃を思い出すわぁ」

 

元気も元気。

痛みを避けようとするような動作も無いし、泣きかたも痛いって感じより驚いたって感じがする。

…いや、しょせん五歳児(あと三月ほどで六歳になる)の見立てだからな、間違いもあるだろうが俺は俺の感性を信じる。

 

「なぁ、これって腹が減ってるんじゃねーの?」

 

「ハラ…お腹………? あぁ、そう言えば?」

 

これが演技だったら金投げるわ。

そう言えるくらいにはのんびりとしたとぼけかたで、女が細い指を自分の顎にあてた。

 

「コイツ、拾ったのか?」

 

「うん?」

 

「育てるのか?」

 

「う~ん?」

 

「おっぱい出ねーの?」

 

「おっぱい?」

 

ぼやっとした女の受け答えにイラつく。

つか、もうこんなヤツ後回しでいいわ。

 

「母ちゃーん!」

 

戸口でオロオロしている母親に声をかけた。

 

「たぶん腹減ってるだけだわ。穀粉でお乳作ってくれ」

 

母ちゃんが家に帰る間に赤ん坊をあやす。

口に指を近づけるとそれこそ必死に食い付こうとして暴れた。くっくっく、バカめ。だまされたな!

タンポポの綿毛みたいにふわっふわの産毛を撫でて、背中をポンポンと叩いた。

 

「ねぇ」

 

腹ペコで怒りまくる赤ちゃんの泣き声を抜けて、女の声がする。

 

「貴方も、珍しい色の髪ね」

 

…あ?

 

一瞬、手の中の温もりを忘れる。

頭の中が黒くなって、真っ赤になった。

 

 

 

【あの野郎のガキか】

【貴方の子です】

【嘘をつくな、俺に隠れて…!】

【実弥は貴方のーーーイヤ!】

 

 

 

【…奥さん知ってる、あちらの実弥ちゃんの父親って】

【旦那さんがアレですものね、仕方ないんじゃ…】

【確かに髪の色はかわってるけど顔だけはそっくりでしょ?】

【あぁあぁ、わかるわぁ。あの子も大きくなったらあんな男になるのかしら】

【どうかしらねぇ?多少は似てるけど、アレにくらべたらカワイソウなくらい気立ては良いし髪の色も違うでしょ、やっぱりあの子ってーーー】

 

 

 

クソみたいな奴らの声を思い出して、なんも考えられなくなった。

その隙に、女が俺の髪を触っていた。

 

「この子も珍しい、金色の髪なのよ」

 

「………あ゛?」

 

常時ならあり得なかった。

 

俺を目の前にして髪の色の話題をふってくるヤツは全員敵だから、漏れなく噛み付いて爪を突き立ててやるんだが、女の平然とした言動が俺の暴力を通り抜けていた。

 

「今日、ちょっとした切っ掛けで見つけた髪色でね? 今でこそ月明かりが弱すぎて貴方には見えにくいでしょうけど、それこそ…そうね、まだ実りきる前の稲穂が風に揺れたような淡い金色で…嗚呼、懐かしいわねぇ」

 

何が懐かしいやら不明だったけど、それよりもクソほどむかっ腹が立つことがある。

 

「うん。貴方の髪も質は良いわね、まだ子供の髪だから軟らかいけれど。貴方は今、何歳なのかしら?」

 

気味悪がるでもなく、物珍しく面白がるでもない。

単純だけど、理解できない女の様子に余計に苛立ちが募る。

 

それから母ちゃんが帰ってくるまでずっと髪の話をされた。それも、俺の髪を無遠慮に撫で回しながら、だ。

俺が嫌がろうとも赤ん坊が泣きわめこうとも眼中に無い。

気色悪いから触るな、つって睨んでも無駄で、手ではね除けようとしてもまったく動かないし、噛み付こうにも首が動かせねぇ。

見た目はひょろ長い癖に、鋼鉄でも入ってんのかってくらいには動かせる感じがしなかった。

 

あきらめてされるがままにしたんだけど、ひたっすら髪の毛を触りながらもうじき髪質が変わるだの今からの手入れが重要だの、俺の髪質的にはぬるま湯で汚れを落としながら髪をとかす?のが最適だのと。よくわからないんだけどコイツが髪の毛が好き…と言うか、そこにしか興味がないっぽいことは理解できた。

 

嫌がっても腕力が違いすぎて何とも思われてねーくさいな。

クンクンと犬みたいに俺の頭皮の臭いを嗅ぐ女の鼻に指を突っ込もうとしたら片手で止められた。

 

「とても良い髪だわ。ちゃんと手入れしていないのが信じられないくらい」

「は?ざけんなババァ」

 

食い気味に返すが、まったく反応が無い。

 

「嗚呼、食べちゃいたいなぁ。ねぇ、ちょっとだけ齧ってもいい?」

「あ゛あ゛あ゛ん?」

 

「じゃあ舐めるだけ」

「ブッ殺す!」

 

「イヤねぇ、子供がそんな汚い言葉使ってはダメよ」

 

鼻を摘ままれてなすがまま。

コイツ、ぜってー吠え面かかせてやる。

 

「お前、名前は!」

 

訪ねると、鼻を摘まむ力が強くなって。

 

「他人に名前を聞くときは自分から名乗りなさい。それが最低限の礼儀です」

 

んなこと知ったことか!

と思ったけれど、そんな意地なんか吹き飛ぶくらい鼻が痛いってコレ、潰れる…!

 

「さねみ!しなずがわ、さねみ!!」

 

鼻声で叫ぶと、ソイツは微笑んだ。

母ちゃん以外、みんなマトモに見ようとしない『俺』を、見て。

 

「良く出来ました」

 

そう言われて、俺は固まってしまった。

三歳の頃からかな。

小遣い稼ぎに近所のおっちゃんの仕事も手伝ってるし、今ではかなり細かい作業だって任されてる。

自分で言うのもなんだか俺はかなり早熟で要領が良いらしい。

 

だから他人から怒られることは滅多に無いし、家では母ちゃんの手伝いが日常になっている。

こうやって叱られてから褒められることなんて、最近では本当に珍しいから。

 

だから、だからだぞ?

俺が固まったのは、そう。

珍しい事があったからビックリしたってだけだ。

 

女の冷たくて柔らかい指が俺の髪を撫でる感触とか、ぽっかり空いた深い洞穴みたいな目とか、髪だけ見ながらニヤニヤと笑みの形に歪んだ唇とか。

 

…変なヤツなんだよ。

そうだろ?

変なヤツだから、物珍しいから。

だから目が離せなかっただけだ。

 

「名前…教えろよ」

 

問いかけに、余裕な態度で応えた。

 

「ユイ。髪結いのユイ。そう呼んで頂戴」

 

言いながら、後ろ手に長い髪をフワリと払った。

風に乗って、髪の匂いとは思えないほど胸に透き通る香りが俺の鼻をくすぐって。

 

その姿は、そうだよ。

認めたくないけど。

まぁ、そこそこ、なんだ…その。

 

 

………綺麗だった。

 

 

 




今日は嫁さんの仕事納め。
上手く子供が寝てくれれば、珍しく二人で酒呑みながら岸辺露伴のドラマ見るんだ。
ワクワクすんなぁ。
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