今年が皆様にとってより良い一年となりますように。
「お、目が覚めたか。良かった」
目覚めたら、白髪・顔傷・三白眼の三拍子が俺を見下ろしていた。
フラッシュバックしたのは柱稽古での地獄の臨死体験。
鬼を超えるモノ、不死川実弥。
…魂の奥底に刻み込まれた恐怖は、産まれてからの五年間で肉体に蓄積された幸福の記憶を上回った。
ーーーつまり。
「ぎ、ギエェェェェェェェェェェェェェ!」
「五月蝿ェ!!」
一喝と同時に頭突きがドゴン!
後頭部が枕でしょ?
全面からオデコが来ると衝撃の逃げ場が無いわけで。
つまり。
「パぎゃぁぁん!! 痛いよぉ! お母ちゃぁ~ん!!」
「アホ垂れェ! 簡単にユイに泣き付くなって何べんも言ってるだろうがァ!!」
んなこと言ったって俺五歳だよ?
マキノぜんいちゅ5ちゃい。
ぽく可哀想なあかちゃんなの。
無力なの。
あぶあぶ。
「おら、ゼン」
「うひっ!」
身体に冷気を感じて思考が戻る。
「おーおー。汗びっしょりじゃねぇか、これぁ着替えた方が早いな。体調ももう良いみたいだし」
濡らした手拭いで俺の汗を拭いてくれる手付きの優しさに、ようやく頭がこの世界の実弥を、俺のお兄ちゃんを思い出した。
「兄ちゃん」
「おう、どうした」
正に勝手知ったる、といった具合で箪笥から俺の着替えを探している姿に、どうしようもなく心が満たされる。
家族。
幼い頃には得られず、ずっとずっと心の奥底に封じ込めていた願望、切望。
それが、この家にはあった。
この身体は、その幸せが積み重なって、今ここにあるのだ。
「ゼン」
柔らかい表情。
いつだって俺が安心する顔をして、兄ちゃんは俺を守ってくれる。
「一人でよく頑張ったな。兄ちゃんが帰ったんだから、もう泣くな、男だろ」
頭を抱き締めながら胸からこんなに優しい音を出して。
これで泣くなってそれは無理だろ兄ちゃんさぁ。
五歳の肉体に爺の魂。
だけどほら、精神は肉体に引っ張られるから。
だからしかたないじゃん?
この涙はほら、男の涙だから。きっと。
そんな言い訳を思い浮かべながら、俺はどうしようもなく実弥にすがり付いていた。
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「え、志津ちゃん大丈夫かな?」
本当なら実弥は家族総出で青森の実家に向かっていたはずで、それなのにここにいる。
不思議に思って問いかけると「なんか気になったから汽車から飛び降りてきた」とか言い出すんだもの。
え、あんたまだ十一歳だよね?
呼吸の技術とか修得してないよね?
どんだけ最強なのよ風柱さん。
「大丈夫だ、母ちゃんはアレだけどそのぶん玄弥は頼りに出来るからな。ほれ、お前と違って」
額を突く指に、ぽいんと頬っぺたを膨らませた。
「それよりユイだ。あんな状態のお前を放って仕事に行くなんて考えられねぇんだが。ゼン、お前なんか知ってるか?」
兄の台詞が記憶を抉る。
先日…になるのか否か、熱で脳みそが朦朧としていて、発熱してからどれだけの時間が経過したのかは不明だが、お母ちゃんが出かける直前に聞こえた言葉が浮かび上がる。
「ばんせいごくらくーーー」
そうだ、戸口から聞こえた声の主はそんな事を言ってーーー!?
「万世極楽教!?」
「万世極楽教だァ!?」
期せずして異口同音となった二人の声は、その内実にどうしようもなく大きな隔たりを持ちながら響いた。
まだあちらの世界に関わりがない実弥がその名称を知っていたことには驚きだが、あの団体の真実を知っている俺からすれば受け止めるべき脅威が違う。
流石に産まれたばかりの頃の記憶は無いけれど、俺の覚えている限りの範囲では、俺のお母ちゃんは鬼としては異質で人殺しは…そう。人殺しだけはしていない。
本能的に嫌がる俺の影響か、それとも人殺しよりも効率的な方法が手元にあったからなのか、それはわかならいけれど、それでも俺の耳が知っている範囲では、お母ちゃんが俺の側から離れたことはただの一度も無い。
それが極楽教。
上弦の弐の隠れ蓑と繋がりがあっただなんて。
「ユイはどんな風だったか覚えてるか? 無理やり連れ去られたとか、なんか脅されてる風だったとか、なんか!」
きっと人伝にかの団体の悪評を知っているのだろう。
動揺しながらもまず一番にお母ちゃんの心配をしてくれるその姿に、俺は自分が、彼女を母親として心配するより先に、鬼として認識して思考していた非道を思い知った。
悪鬼滅殺。
単純に、純粋に。
これだって、俺の魂に刻まれた呪いの一つなのかもしれない。
けど、だけれども。
胸の痣を押さえる。
アイツが、獪岳が俺に残した過ちの記録。
間違えてはいけない。
もう二度と、間違えてはいけないのに。
それなのに俺はもう呑まれている。
鬼が人を喰ら世界。
その大きすぎる世界の残酷は俺の目を奪い、鼻を削いでは耳を狂わせる。
思い出せ。
獪岳の本当の音を。
思い出せ、鬼でしかない『お母ちゃん』の、あのどうしようもないくらいに苦しくて、苦しくて、悲しくて泣き出しそうな優しさの音を。
鬼と人では立つ場所が違う。
けど、だけど。
俺は知っている。
鬼よりも恐ろしい人間の正義を。
人間が作り出した目に見える地獄を。
それなら。
どうせ残酷な世界で生きていくのなら。
「…ゼン?」
俺を見つめる兄に、問うべき事はただ一つ。
「その顔の傷…さ」
向かい合った姿勢のまま、決意して手を伸ばす。
震える指先を自覚して、それがどうしようもなく恥ずかしくて。
けど、俺は。
「
向き合う。
過ちの上に歩んだ五十年と、目を隠し音を無視してうずくまっていた五年間の帳尻を合わすべき時は、今なんだ。
「お母ちゃんに喰われた傷…だよね」
実弥の顔にある大きな傷痕。
前の世界では鬼に変貌した実の母親を殺した際に刻まれたと聞いたが、この世界では違う。
俺が自我を持つ頃には既に、実弥はどうしようもく傷だらけで、本当ならもうとっくに日常の範囲から逸脱した日々を押し通していただけなんだ。
志津ちゃんだって気付いてる。
それこそ、息子が顔中血塗れで家に帰ってきた五年前から、ずっと気付いて、畏れて、引き離したくて。
「なんで、帰ってきたのさ。なんで…なんで、そんなにまでして、俺達を助けてくれるんだよ!」
今回の、お爺さんの危篤を知らせる電報はまたとない機会だった。
こんな血生臭い毎日から抜け出して、青い空の下で生きてくれれば、それで良かったのに。
拒絶するべきだ。
実弥の自分を顧みない愛情を否定して、引き離して。
そのための言葉を探すのに、その為に暴力が必要なのに。
その全てが悉くこぼれ落ちて手元に残らない。
幼い口が繰り返す言葉は「ごめん」の一声で、幼い目からは雫がポロポロとこぼれて。
あぁ。
俺は本当に過去に帰ったんだな。
本当に、どうしようもなく弱虫の善逸に戻ってしまったんだな、と。
頭に、兄の手の温もりを感じた。
「運が良かったんだ」
「え?」
穏やかな顔で、大切なモノを扱うようにして自分の傷痕を指で撫でた。
「ユイはまぁ、鬼だ。人間じゃなない。けど、アイツはお前の母ちゃんだ」
その確認に、揺るぎない意思を込めて頷く。
「そうだな。たがらユイはお前の母ちゃんとして生きるために頑張ってた」
ーーーけどな。
「鬼は人を喰わなきゃ生きられない。それを我慢して我慢して我慢し続けりゃ、最後には頭が狂って血と肉に喰らいつくだけの
その日の事を思い出しているらしい実弥の音は、とても静かで。
「俺はさ、ユイに出逢うまでは諦めてたんだよ。親父はクソで母ちゃんは惨めで、俺は無力で世界は無慈悲だ。同じ血が流れていても、同じ形式の言葉を使っていても、それでも俺の家族はどうしようもなく理解しあえなくて。ちっぽけな俺は親父が振るう暴力への恐怖と、何一つかわりゃしねぇ現実への諦め、それを何度も何度も確認するだけで一日の日が暮れてた」
風のようだった。
春を告げる風。
温かな日差しの下で、それでもどうしようもなく突き刺すように冷たい。
「だから、ユイに依存した。ユイの強さを崇拝して、ユイの間抜けに感謝した。俺が、俺だけがユイの助けになれる。だから、この傷は俺にとっては救いだ。この傷だけじゃねぇ、身体中の傷の全部が俺にとってはユイとの絆なんだよ」
絆。
その一言に、胸の痣が疼いた。
俺は忘れていた。
激変する日々に忙殺されて。
その現実に心の底で感謝して。
そうやって目を背け続けて、最後には一週回って赤ちゃん返りまでして。
けど。
なんの因果か知らないけれど。
もう一度…。
もう一度、歩めるのなら。
鼻につく桃の臭い。
やっぱりどうあっても嫌いな臭いのそれを。
それでも俺は胸一杯に吸い込んだ。
◇
実弥の話を聞き終えて、ようやく断片化した情報が繋がった。
「つまり、お母ちゃんは」
認識の齟齬。
それを知っていながらも、俺はそれが意味する所から目をそらし続けていたのだろう。
まず、お母ちゃんには俺と同年代の子供の姿が見えない。
例えば不死川家には三男の就也が居るのだが、俺のお母ちゃんには何度説明しても、触れさせても、就也を認識できない。
近所の子供もそうだ。
どうもお母ちゃんの中ではその子達は皆、死んだ事になっているらしく、下手に会話を振ると「御愁傷様でした」なんて台詞を言い始めるから心臓に悪かったと、実弥が言っていたのも覚えている。
「玄弥が除外されてる理由は乳離れが終わってたからだろうなぁ」
俺を育てる。
より良い環境で俺を育てる。
その為に、殺した。
赤子殺しを決意して、それでも殺せなくて、けど決意していて。
「たぶんな、ユイは鬼の中でも特別に狂ってるんだわ」
「…マレチ?」
そう。
稀血…だったか。
前の世界では実弥本人とは接点が薄かったけれど、俺は彼とは別の稀血の子供に出会っていた。
「知ってんのか? まぁ俺もユイからの聞きかじりなんだが、俺の血は鬼にとっては特別らしくてな。この血のお陰でユイは頭のネジがブッ飛んで、だからこそあの日からもずっとお前の母親でいれたし、俺もギリギリ生き延びられたんだと思う」
確かに、お母ちゃんは変な所が多かった。
それは個性、と言うよりはもっと大きな欠落で。
…て。
待てよ?
確か稀血って鬼からすれば一人で五十人とか百人相当の価値がある特別な血じゃなかった?
え、えっとぉ?
俺の覚えてる感じだとおよそ三日に一度くらいはガブガブされてたような気がするんだけど…?
幼稚な思考を並べる傍らで、生活に染み付いた爺としての感覚が計算を始める。
三日に1度。
月に10回。
年にして120回。
五年だから600回。
殺されてないから吸収率が下がるとしても、実弥さんの血は稀血の中でも特別な血だーとか聞いた事があるし。
そうするとどうなるんだ?
鬼からすれば20人喰らったくらいの価値があるの、かな?
いや、50人とか?
そもそも死んでないからカウントされない?
いや、でもそれだと飢餓状態の抑制が出来ないよな。
そうなるとやっぱり実弥の血は鬼にとっては意味があって。
…え?
あれ?
待てよ待て待てよよよのよ?
確か鬼って、50人食べた辺りで異能が使えるようになるんじゃなかった?
使える鬼はそこそこレア度高めだったし。
雑魚鬼がアルバイト、異能の鬼が正社員、下弦がチームリーダで上弦が上役って感じに考えたら下弦の鬼で200~300人喰らったくらいだと推測出来るし、そうなると上弦が1000から上か?
推測の幅がガバ過ぎてまとまらないんだけど。
え、お母ちゃんの推定捕食人数、桁違いじゃね?
「え? 待てよ、でもお母ちゃんは」
お母ちゃんの音は、俺の耳が覚えてる大切な音は。
「あぁ、お前の耳が良すぎたからユイが誤魔化したんだよ。お前ユイがいなくなったり、血に酔って狂いかけたりすると火がついたように泣き出すから、血鬼術…種も仕掛けもない無い奇術で分裂してたんだ」
分裂。
…へ?
ナニソレ??
「お、お母ちゃんて分裂して合体して変形するの?」
何故か唐突にお母ちゃんの腕がロケットになって飛んでいったり、背中についたスラスターが火を噴いて夜空へと舞い上がるお母ちゃんロボMark3の姿が脳に浮かんだ。
ユイさんは生粋のおでこフェチですが、実弥くんのおでこには傷一つありません。
理由はそんな素敵ポイントに口をつけたら間違いなく実弥が死ぬまで離れられなくなるから。
ユイちゃんギリギリの理性。
◆
と、ここで唐突に大正(明治?)こそこそ噂話。
旦那さんが穴蔵にぶち込まれたお陰で生活に余裕が出来た不死川家。六歳になった実弥くんは無事に小学校に入学しましたよ。
金銭的にも精神的にも、今までの苦労から解放されたお陰かな?
この世界線での実弥くんはモリモリと成長して同年代の子供を一回りも二回りも越えるくらい大きな子供に育ちました。
ついたあだ名が兄貴さん。
だったのですが。
彼が十歳、小学校の五年生の頃に赴任してきた教師がまぁヒドイ男でして。
体罰程度ならまだ実弥くんも我慢した…可能性も微粒子レベルで存在したのですが、やっちまったなぁ!! なことにその野郎、ロリコンの気もありまして。
ちょぉぉぉっとやらかしやがったからもう兄貴さん激オコ。
襟首を片手で掴んで持ち上げて、教室の出入口がある支柱に押し付けて前蹴りでドン!
股間の間から叩き込んだ蹴りの一発で支柱を凹ませて一言。
「お前の柱もブチ折んぞゴラァ!!」
言いながら再度支柱アタック。
半壊していた可哀想な支柱ちゃんを完全にへし折りました。
教師くん→失神。か~ら~の~自主退職。
実に素晴らしいお仕事で、実弥くんの学校での人気は不動のモノになりました。
その件で校長から親御さんを呼び出されて、ちゃっかり現れたのがユイちゃんだったからね。
もう学校側は\(^o^)/オワタでしたって。
ちなみにその後のアダ名が柱さんやお柱先生。
柱を建てた大工が同級生の風間くんのお父さんだった事が判明してからは『風柱』さんがアダ名として定着したとかしなかったとか。
さて。
次回予告を書くべき所なのですが、実は本日も感想欄にお手紙が入っていたので二回更新になります。
次回は本日の7:30に予約投稿する予定なので、楽しみにしていてくださいませ。
作者初めての予約投稿。
はたして、おっさんに可能なのか、否か…!