『善逸、お前は俺の誇りだ』   作:マキシマムとと

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第 参拾肆 話『歪の心』

俺が心を得て最初に感じた感情は『後悔』だった。

 

それまでの自分が認識していた後悔などとは比べようもなく重たい。重たくて苦しくて、体内にある臓器の全てを吐き出してしまいたくなるような絶望が目に見える世界と目に見えない自分の内側、とにかく全てを塗り固めて思考を真っ黒に染め上げた。

 

万世極楽教の教祖として、俺は誰にも恥じること無く責務を全うした。

そう思っていた過去の自分、そしてその誤った認識の上に積み重ねられた罪業が、是正出来ない喪われた命が、暗がりから俺を責め立てる。

 

無我夢中で身体中を切り裂き、あらゆる臓器を握り潰した。

痛いと思えた一瞬だけが救いだった。

苦しみを感じた瞬間だけ、過去に喰い殺した信者達の絶望に寄り添える気がしたぜ。

 

謝罪したい、贖罪したい。

 

そうした願いを追いながら自傷に励んでみたものの、童磨としての明晰な頭脳は即座にこの自傷行為の無意味さを理解して、見知ったばかりの心に突き立てた。

 

 

そうか。

俺は贖罪を求めているのか。

 

 

極楽を求めて俺の足にすがり付き、失意のままに死んでいった数多の者達、彼等に直接報いる術はもう無い。

だが、そこで絶望して停滞することは既に逝去した信者達に対する重ねての冒涜に他ならない。

 

ならば、何をもって贖罪を成すのか。

 

「そうか。簡単なことだったんだ」

 

正しい教理で皆を導けば良い。

皆が万世極楽教に求めていることに、難しいことなんて何一つなかった。

『心』を知った今ならわかる。

 

皆がそうだ。

穏やかな気持ちで楽しく生きたい。

辛いことはしなくてもいいし、する必要なんかない。

ここを訪れる多くの人にとってこの世は地獄だ。

 

三年前にここに入信したキツカちゃん。

表情は無いけれど、誰よりも早起きして誰よりも真面目に働く彼女の人生は親の道具その物だった。

 

生まれて間もない頃から実の親に家畜のように扱われて育ち、小学校にあがる前から頭の狂った男向けの商品として調教された。

…はは。

明治になって半世紀も過ぎたこの帝都で、遊郭に送られるよりも悲惨な道具として生きる子供なんて存在する筈がない…か。

 

そう思えるのなら、そうなのだろう。

きっと君の世界には彼女は存在すらしないのだろうぜ。

だがな、俺は違う。

俺と、俺を掲げる万世極楽教はこの世の地獄に喘ぐ人々を救済するために活動する。

 

素晴らしい宗教だ。

なぜ俺はこの教理の本質を理解せず、創始者たる御父様や御母様を内心で小馬鹿にしていたのだろうか。

見知らぬ人を助けてあげたい。

まだ見ぬ誰かの支えになりたい。

その純粋な優しさを、何故真っ直ぐに受け入れられなかったのか。

 

御父様が色に狂って見えたのは俺の目が曇っていたからだ。

俺が至らない愛。

その溝を埋めるに、ただ愛を与えていただけなのに。

俺が悪いから全てが狂ったんだ。

 

御母様が俺を残して死んだのも俺が悪いからだ。

俺はあまりにも不気味な子供だったし、内心で教理を軽んじている事を知っていた。

だから御父様にすがった。

すがって、すがって、すがり付きたいのに…。

 

 

そうか。

全部、全部俺が原因だったんだ。

俺が、教祖である俺が、教理を蔑ろにしたから。

 

 

「教祖として、信者を幸福に導く」

 

 

正しい行いを成す。

まずはこの寺院にいる教徒全員を鬼に変えなくては。

試した所俺の血は無惨の血とは少し作用が異なるようだが、大まかには同じだ。

俺の掲げる救済の為に必要な処置を施していこう。

 

「心はさみしい」

 

そうだ。

心は常に凍えている。

誰かと繋がりたい。

誰かに寄り添ってほしい。

その願いに近づく為に、人は身体を重ねる。

 

だが、身体と身体の間にはどうしても隔たりがあって、人間である限りはそれを越えることは出来ない。

だからこそ、鬼にするのさ。

 

普通、人間が鬼になる際には極度の飢餓状態に陥る。

これは魂が変質する過程でより多くの業を求めるからだ。

だから俺はその業を頚と背骨に集約した。

 

誰かを襲わなくても良いように。

他人の業を背負わなくても存在できるように。

 

そうして集めた頚と骨の鬼。

彼等を組み合わせれば、ほら。

世界で一番幸せな、この世の地獄。

 

やっぱり。

俺は。

俺が信じなかった教理は間違ってなかった。

 

御父様と御母様が作り上げた万世極楽教の教えは、人々を生きながらにして極楽に導いたんだ。

 

 

 

 

だけど。

うん。

そうだね。

 

だからこそ、俺は殺さなくちゃならない。

 

愛を知った。

邪髪ちゃんとの繋がりによって俺は心を知った。

本当に、心から大切な他人を知った。

 

だからこそ、だからこそ、だからこそ。

 

ーー殺す。

俺の命令で殺す。

俺の手で殺す。

俺の信徒が殺す。

何を差し置いても殺す。

 

 

 

殺して、壊して、絶望して。

 

 

 

そこでようやく、俺は本当の意味で信者の痛みに寄り添う事が出来るのだから。

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

 

音。

肺も声帯も持たない彼等には震わす事の出来ないはずの空気の揺れ。

 

それが鳴り響く。

ある頚は歯軋りし、ある頚は床を噛り、ある頚は床でへしゃげて骨を折る。

一対の豪腕による強引な自重移動の際に自壊しては陰惨な音を奏で、その都度再生されてはまた折れる。

そんな醜悪なオーケストラが実弥へ迫る。

 

「さようなら、さねみ君」

 

身体が大きく、根性もある。

肝が据わっているから大人びて見えるけれど俺にはわかる。

君はまだまだ子供。

十一歳の子供が、むしろ良くもまぁここまで耐えられたと思うべきだろう。

 

「あ…う、ぁ!」

 

視覚と聴覚が今まで見知ってきたあらゆる悲惨を超越する存在に萎縮する。

萎縮した感覚に抗えるほど、君の魂は打たれていない。

 

かわいそうに、かわいそうに。

嗚呼。

俺の愛するさねみ君の…最期。

 

ズキキキキキキィィィィィィィーーー。

 

「おやおやぁ? 枕が合わなかったか……?」

 

善逸の寝息に意識が向く。

かわいいゴン。

『お母ちゃん』を助けるために、まだ赤ちゃんなのにこんな山奥までお兄ちゃんについて来るなんて、俺の心を感動で打ち壊そうと、

いうのかしら。

しっかりと労って、

櫛が欲しいなぁ。

髪を梳かしてあげないと。

善逸は手櫛が一番のお気に入り、

やはり髪の事を考えると。

いや、ダメだぜ俺。

今はさねみ君の最期を…を?

 

布団を跳ね除けて、善逸が立ち上がる。

立ち上がる?

違う、それは表現が違う。

 

構えている。

まるで歴戦の剣士のように。

 

ー剣士?

ーーー鬼狩?

ーーーーーーーーー呼吸…?

 

異常な音が。

空気を切り裂くような機械的な音が善逸から鳴り響く。

 

「知らない」

 

俺は知らない。

『私』は知らない。

 

あれ?

あれれ?

何?

 

「なんなのかな、いったい?」

 

俺に答えるように。

 

「歪の呼吸」

 

いびつ…歪の、呼吸?

 

「壱ノ型」

 

黄金は止まらない。

昇り始めた太陽を留める術が無いように。

全身から煌めく雷光の幻影が立ち上り、世界の色を塗り替える。

 

雷一閃(いかずちいっせん)

 

信じがたい光景だった。

空間を飛び越えたような出鱈目(でたらめ)な速度。

何をどう間違っても五才の子供が至れる領域には無い。

壊れてしまう。

なんてことなの!

あんな早さに善逸の肉体が耐えられる筈がない!

ダメだ!

君は俺が殺すのに…!!

 

怖い。

恐怖とは、こんなにも足が震えるモノなのか。

 

知らない、知らない!

知らないっっっっっ!!

私のゴンが死んでしまう!!

 

「っ…結晶の神子!」

 

混乱を極める己の内側が暴走する気配を察知し、咄嗟に術を行使した。

まだ早かったらしい。

心は、俺にはまだ難しい。

今は凍り付け。

俺の大切な(邪髪)

 

汚濁した長髪が雪に変わって俺の顔を覆い隠す。

氷の仮面が、童磨が『俺』を包むのだ。

生きて欲しい。

そんな心を封じ込め『俺』が目覚めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

歪の呼吸。

それは我妻善逸の後悔の結晶。

 

無惨との決戦を終えて、愛する人の生に喜ぶ心とは裏腹に彼の無意識を蝕んだ感覚。

 

『俺がもっと強ければ』

 

我妻善逸の無意識は闇だ。

表層に浮かぶ金色の稲妻とは違う、曇天の夜のような暗がり。

 

その部分が嘆くのだ。

もっと上手く出来たハズだ。

俺が弱いから友の片腕は千切れたし、俺が弱いから何人もの仲間が殉死した。

俺の弱さを、その罪を、よくも忘れて飄々と鼓動を刻めるモノだと。

 

だから力を求めた。

 

既に師は亡く、己の身体は雷の呼吸を強引に多発した事で戦闘に耐え得る状態には無く。

それでも光を求める羽虫のようにそれを求めた。

 

暗中模索の状態で足掻く善逸を支えたのは妻であり、道を示したのは彼女の兄であり、同時に己の生涯の友、竈門炭治郎だった。

 

「水の呼吸を修めてみてはどうだろうか」

 

無惨との激戦による肉体の損傷、そして痣の代償。

世界は何時だって平等に残酷だ。

炭治郎は己の息子を腕に抱く前に、この世を去るだろう。

だと言うのに、彼はその貴重な時間を善逸に費やした。

 

「俺が継いで欲しいんだ」

「俺が」

「俺の言葉で」

「俺の時間で」

「俺の大切な友人に」

 

その心の暖かさに、心音の美しさに感動した善逸だったが初日が終わる頃には虫の息だった。

 

師範=炭治郎。

 

この時点でスパルタ教育は確定しているのだが、その上で炭治郎には時間の制限があるのだから、厳しくならない筈がない。

 

「腹に力が入ってない!!」

 

そんな風に怒りながら腹をバンバン叩かれた日の夜はお腹が痛くてご飯が三杯しか食べられなかった。

 

 

 

とは言っても、善逸も雷の呼吸を継承し、最終戦でも生き残った猛者である。

ある程度の修行には対応できたし、ある程度を超える修行には破損した身体では対処出来なかった。

そのため戦争が始まるまでのごく僅かな時間、その大半は水の呼吸を知るために費やされた。

 

「なるほど、雷の呼吸は神経…つまり意思や願いが力になっている、か」

 

それならば、水は?

 

「水は…血かな。うん、あの頃は目の前の事をこなすので精一杯だったし、ヒノカミ神楽を知ってからはそちらに傾倒してしまったからよく考えたことはなかったんだが、そうだな、水の呼吸は血の呼吸だ、間違いない」

 

そこから水の呼吸に関しての物理的な話が続いた。

 

曰く、血管をギュッとして!

曰く、心臓をなぁ、ギュルんギュルんしたら!

曰く、血がビックリして!

 

と、感覚的な擬音がピコピコバンバンと並べ立てられて辟易としたのだが、最後の言葉が善逸の胸にトゲのように刺さった。

 

「後は血を愛することかな…」

 

「愛する?」

 

「あ、いやこれは俺の持論というか思い込みだから」

 

「いいじゃんかよぉー聞かせてくれよ炭治郎ぅ!」

 

その時は意識などしなかった。

楽しい友との語らい。

いずれ、もしかしたら自分の善逸伝にも活かせる話かもしれない。

とか、その程度の。

 

「俺が思うに、血は繋がりなんだよ。親やその親ーーー先祖との繋がり。彼等が生きて誰かを愛したり、時には憎んで誰かを殺めたり。そうして歴史を刻みながらも今ここへ繋がって、俺達が向かい合ってる。その中でたった一人でも欠けてたら、俺達はここにはいない。つまり、そんな奇跡みたいな概念に感謝する事。それが水の呼吸の本質なんじゃないかなって…」

 

「……」

 

かける言葉が、どこをどう探っても出てこなかった。

それはそうだろう。

血に感謝することなど孤児の自分には不可能だったし、大切な妻と腹の中の子供を持ちながら日に日に死相が増していく友人に、何を語るほどのモノがこの腹にあるというのか。

 

「善逸」

 

そう言って、彼は微笑む。

いつだってそうだ。

自分の苦しみや悲しみ、この世の非情を受け止めて。

それでも真っ直ぐに育ち、決して折れない柳の木のような柔らかな笑顔で。

 

「大丈夫だ善逸、焦らなくてもいい。無理しなくてもいい。善逸が苦しんでるのに一緒に生きてやれなくて本当にすまない」

 

炭治郎は死ぬ。

 

決して抗えない定めとして。

 

「きっとわかるさ、だって善逸は俺のーーー」

 

彼の笑顔だけは覚えている。

だけど、そこから先の言葉は何をどうやっても思い出せないままだったんだ。

 

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