『善逸、お前は俺の誇りだ』   作:マキシマムとと

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第 参拾伍 話『月の狂乱』

 

あれから何度季節が巡ったか。

 

歪の呼吸、という名の摩訶不思議な技術を用い、まだ五才の幼児がざっと見ても己の二倍はあるであろう男を担ぎ上げ、見事に闇夜に紛れて逃げ仰せたあの日から。

 

俺の本体は相変わらず情緒不安定で、気紛れにオニバスの頚塊を作り上げたり、実弥君や善逸ちゃんに向けて肋骨邪髪を放ったりしている。

 

正直、迷惑が過ぎるぜ。

 

俺には下弦の弐という肩書きがあるし、無惨ちゃんに対する立場もある。

それを理解しない我が主の気紛れに振り回され、無茶苦茶な穴埋めと誤魔化しに日々忙殺される毎日を送っていたんだが…。

 

それにしても、あの子供たちは異常だよなぁ。

仮にも下弦の参である肋骨邪髪の襲撃を受けて生き延び、いったいどんな手品を使っているのか、時には撃破までしているのだから頭がおかしい。

あの子供たちは本当にこの世界のイキモノなのだろうかと疑問にすら思う程に。

 

俺のそうした困惑を余所に、主は心底愉しそうだ。

憧れていた感情への渇望を無くした俺にとって、主の喜びこそが唯一の至高なんだから、それは良い。

良いんだが『親殺し』だの『カルマ』だのを受け止める度に狂乱して、その制御の為に呼び出されるのは迷惑を越えて超迷惑なんだ。

 

いつだったかオニバスの五人集『吾峠』の作成中に呼び出されたのには参ったよ。

いや、その頃にはまだその名称は無かったし、今現在に至っても五人揃ってはいないのだけれど。

 

なんにせよ、変質途中の文殊史郎兄弟の目の前で【結晶の神子】を使うんだもの。

俺の主の困ったところはさ、いつかその日が来ても対応出来るように戦力を整える、そのために手駒を増やそうとして見込みのありそうな人間に血を与えるんだけど、与えた相手が予想通りだったり、予想以上に素晴らしいオニバスに仕上がったら、それはそれで歯止めが効かなくなって頭から丸噛りしちゃう所なんだよね。

 

恐ろしいことに文殊史郎家の人間は全員にオニバスの適性があって、父親も母親も娘も、それはもう美味しく召し上がってしまって。

さて次は男兄弟の踊り食いだなぁ!

てな時に邪髪ちゃんの消滅を関知してさ?

それはもう涎を垂らしてよがり狂った主様。

ぷっつりと自制が効かなくなってお決まりの『結晶の神子』で『俺』を呼び出してくるんだぜ?

明らかに弱体化した俺に、聖正君と馬畝君がそれはもう必死に攻撃してくるんだよな。

 

狂っても我が主が生み出した俺の永遠の仲間と書いて親友の二人をさ、俺が傷物にするわけには行かないだろ?

全身噛られたり音波で脳ミソを溶かされたりしながら必死で説得してさ。その間にも結晶の御子を使って手当たり次第に人肉を集めて彼等にプレゼントしてご機嫌を取ったりと、それはもう大忙しさ。

 

ファーストコンタクトがそんなだったからかなぁ。

文殊史郎兄弟からは嫌われてしまうし、無計画に複数の人間を襲ったものだから無惨ちゃんからは脳ミソの一部が飛び出す程の血を与えられて「だからお前は嫌いなんだよぅ! バカバカバカぁ↑」なんて風に怒られちゃうし。

それはもう大変だったんだけど、そのお陰でわかったこともある。

それは何気に無惨ちゃんが世話焼きだってこと。

俺の新しい主様の暴走具合を考えたら良くわかる。

鬼を管理するための制度を作って、それを調整して、馬鹿をやらかす前に道筋を用意する。

目的のためとは言え、他者へ時間を割くことが、ああいった人外にとってどれほど大きな負担になるのかが漠然と理解できた今だからこそ、無惨ちゃんの努力と言うか、忍耐? が良くわかるよ。

 

なんだろう、託児所の延長線というか園長先生と言うか。

ふふ。

この思考を覗かれたらその瞬間に消滅させられそうな不敬だが、残念なことにもう無惨ちゃんの読心は無効なんだよな。

かわいそうな無惨ちゃんだぜ。

いや、読心が効かなくても立場が危うくなる程の無理難題を処理し続けているデスマーチ状態の俺の方が、よほどかわいそうな気もするが。

 

っと、お呼びか。

最近は忙しくて過去を振り返る余裕も無かったからねぇ。

 

上弦の欠落、俺の可愛い妓夫太郎が消滅して。

さてさて、残った堕姫ちゃんのお手並み拝見だぜ。

 

 

 

 

 

 

 

 

小生は困惑していた。

下弦の陸の呪を右目に授かって、それから初めて召集された会合で上弦の陸・堕姫様がその数字と地位を剥奪された。

 

もう小生からすればその時点で意味がわからなかったのだが、そこからの騒動がまた急展開だった。

小説の素材に活かせるかもしれない!

と、一瞬は考えたのだが、生命の危機が即座にその甘い考えを食い殺した。

 

 

数字を剥奪した側の無惨様と、剥奪された側の堕姫様が奇妙な連帯感を見せながら下弦の肆・零余子様をあしらい、その後この場を堕姫様に預けて無惨様が退室され、それに伴って上弦の方々も退室された。

 

下弦の弐が堕姫様の手駒となってこの場から消え、残るは下弦の壱・姑獲鳥(うぶめ)様、下弦の参・邪髪様、下弦の肆・零余子様、下弦の伍・累殿、そして下弦の陸・響凱こと小生と。

そして堕姫様の計六名。

…いや、琵琶の鬼を含めれば七名か。

 

 

 

同じ女、剥奪された上弦の陸とこの場においての最高権力を持つ下弦の壱。

 

姑獲鳥様が動く気配。

その先手を取って堕姫様が口を開いた。

 

「『数字を剥奪された敗残者の小娘が、何をどうやって無惨様に取り入ったのかは知らないがーーー』ん? どうした姑獲鳥よ、下弦の壱よ」

 

穏やかな口調と裏腹に、小生の血が…その中に混ざりあった呪いがザワザワと震えるような殺気を込めて、堕姫様が姑獲鳥様を睨めつけた。

頚を傾けて、下から刺し殺すような目付きで。

 

「『なんだこの…』ほらほら、思考が止まっている。どうせ醜いお前の命は私の胸先三寸なのだから、死ぬ前にはせめて自分の口で喋っておくれよ、私には老人介護の趣味はない。まったく、汚い婆が自分の死に様すら決められないだなんて最低ねぇ?」

 

あからさまな挑発の言葉に、姑獲鳥様が震える。

顔中に血管が浮き出るほどの鬼気を発揮して、怒りからか彼女の腕の血管が裂け、自らの血が指先を赤く染める。

 

「『殺してやる』か。単純、単純、たぁ~んじゅんな老害ねぇ。その程度だから無惨様からも見限られるのよ」

 

辛辣な言葉を吐きながら、余裕を見せ付けるように姑獲鳥様の横をする抜けて、背を見せて歩く。

 

「ーーーーー!!」

 

蛇の威嚇音を奏でながら、姑獲鳥様がその背に爪を突き立てる。

血にはこの距離からでも香る呪いの気配。

 

「やはり…ねぇ?」

 

その爪は、血は。

堕姫様の白に阻まれる。

幾重にも重なりながら広がる純白の帯。

何一つとして彼女に触れ、混ざり合うことを赦さない死の香る白に。

 

そこからは正に先程の焼き増しに近い。

堕姫様が姑獲鳥様の頚を掴む。潰しながら持ち上げ、ゆっくりと己の血を(・・・・)流し込む。

 

「理解できなかったのね、お前には…お前達には」

 

姑獲鳥様の顔が、身体が醜く膨れ上がり、ブチブチと血管が千切れては出血した。

筋肉はその膨張によってあちこちで断裂し、腫れ上がった顔の中心で、血の涙を流しながら姑獲鳥様が呻いた。

 

それを睨めつける堕姫様の額に、切れ目が一筋入る。

 

「数字を剥奪された意味が」

 

そこから現れた瞳は透明だった。

階級と数字が刻まれ、左右同じく剥奪を示す×によって壊された両の眼。

それとはまったく違う。

無惨様と同じく、瞳孔が縦に裂けた蛇眼が、朱く染まって…!

 

ガスを入れて膨らました風船に囲炉裏の火の粉が飛び散って爆発した時の音。

軽いのに、奇妙に腹を揺らす音を放って姑獲鳥様の肉体が弾けた。

ガスのようにばら蒔かれる赤い血の霧さえも、堕姫様の白を汚せない。

その穢れを帯が吸い込み、やがて最初から姑獲鳥などという鬼は存在しなかったかのような空白を見せ、純白の帯が堕姫様のもとへ戻った。

 

小生は動けなかった。

小生だけではない。

この場に立つ全ての鬼が動きを止め、息を止めて堕姫様の動向を伺った。

 

「零余子」

「は、はヒィ!!」

 

恐ろしい速度で零余子様が平伏した。

 

「お前には二つの道を用意した」

「はヒ! はヒィ!!」

 

背中で震え、振り絞る汗で服従を示す。

 

「大丈夫さ零余子。お前の不敬は承知さ、それこそ私という鬼が現れるよりずっと以前から、あの御方は承知しておられた」

 

その言葉に、震えが止まる。

 

「理解していたからこその、不敬だったのだろう? お前は有能だ、それこそ百年もの間無惨様のお慈悲に預かれる程度には…なぁ、零余子お婆様?」

 

ゆっくりと、気負い一つ無く立ち上がるその姿に、小生の肌が痺れる。

…なんなのであるか、本当に。

小生は何故、このようなサイエンスでフィクションな海外の怪物小説のような舞台に引き込まれているのか。

帰りたい。

小生は我が家に帰って、部屋の隅っこで息がしたい。

切実に…!

 

「ふひ」

 

俯いた零余子様が。

 

「ふひひひひひ!」

 

両の手で、野蛮な野党がするが如く腹を抱えて、痙攣するように震えながら大声で嗤った。

 

「ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!」

 

鼓膜を直接爪で研がれるような笑い声に乗る鬼気は、先程の姑獲鳥様の比ではない。

ともすれば堕姫様に匹敵する程の怖気に、小生は自身の矮小を嫌という程に思い知った。

 

「はー…笑った笑ったぁ」

 

一頻り笑い終えた零余子様が、胡座を掻いてどっしりと畳の上に腰を下ろした。

 

「…で?」

 

投げ遣りに頬杖までついたその態度に怒るでもなく、逆に恐ろしい程に冷静に堕姫様が対応した。

 

「零余子お婆様は累の能力をご存知かしら?」

「へいへい堕姫ちゃんさぁ、その婆扱いはヤメテくんなぃ? アーシも最低限、言葉に出す時には優しく呼んでやるから。な? お互いの心のヘーオンって奴を大事にしようぜ?」

 

「ハッ、面白い。良いわよ、そうしましょうか零余子ちゃん?」

「うっげぇぇぇぇ、ちゃん付けは勘弁してくんない?」

 

そうした遣り取りの結果、表面だけ見れば穏やかな状態で話し合いが始まった。

 

 

 

 

小生は存じ上げなかったのだが、下弦の伍・累殿の異能は鬼の中でも珍しく複数あり、さらにそれを他者に貸し与える事が出来る特別な能力であるそうな。

彼はその能力を使って『家族』という自らの願望を再現していたらしい。

 

「豚に真珠だか猫に小判だか…笑ってしまうねぇ。宝の持ち腐れとは正にこの事よ。今までは無惨様のお考えもあって、その無駄が許されていたが…累、こちらへ来なさい」

 

小生の影に隠れるようにして立っていた累殿の気配が揺れる。

小動物が怯えるような、わかりやすい気配を垂れ流して。

 

「累?」

 

子猫を呼ぶような堕姫様の声が恐ろしい。

累殿よ、何故に小生の影におられるのか?

累殿は小生よりよほど幼い姿形ではあるものの、鬼にとって筋肉など飾りに過ぎぬ。

その事は今、目の前で小さい方を漏らしそうになるくらいに教え込まれた所でありましょうが!

ここは漢らしく! 漢らしく前へ!

 

(お願いだから、小生を挟んでお話しないで…!!)

 

小生の願いも通じず、かといって堕姫様の前から避けるという考えすらも恐ろしくて実行できず。

お二方の会話が小生を挟み込んだ。

 

「母さんの言うことが聞けないのかしら?」

 

「お前は…ぼ、僕の母さんじゃない」

 

明確な拒絶に、場の空気が凍る。

かと思いきや、零余子様の呵呵大笑が場を乱す。

 

「ひっひっひ、何でも出来るかと思えば、子犬ちゃんの一匹すら満足に躾られないだなんて笑っちゃうわー。無いわー、これぁ無いわねぇ~っとぉ!」

 

小生が気付いたときには白い帯が零余子様の頚があった場所を切り裂いており、忽然と消えた零余子様は累殿の背後に回って口の中で何か固いものを噛み砕いていた。

 

「ねぇ子犬ちゃん? 子犬ちゃんだってあんな怖ぁいお姉さんよりも、アーシがママになった方が幸せだわよね?」

 

「気色悪い」

 

その返答に零余子様は青筋を浮かべ、堕姫様が満面の笑みを作った。

見えなくてもわかる。

見たくなくても、わかる。

 

「オッケー! んじゃこの駄犬ちゃんの手足は抑えとくから」

「ふふっ、良いわね零余子さん」

 

恐ろしいお二方の圧が、我輩の身体を物理的に押し退けた。

 

「や、やめーーー」

 

そのあと耳にした悲鳴は、何故か普段食する人間のそれよりも酷く耳に残った。

 

 

 

何があったのか、何をされたのか。

それは知らない。

本当に小生は知らないし、知っていても一生紙に書き上げる事はない。

 

小生が気がついた時には既に累殿は頚から上を残してそれ以外が完全に幼児に変化していた。

知識が薄いものの、頚がグラグラしている感じなので幼児というよりは赤ん坊と記述する方が正しいように思われる。

…小生、ドン引きである。

 

ドン引きなどと言う表現技法を使うのは初めての経験であるが、これはなかなかに言い得て妙である。

 

なんの気まぐれか、今まで一切の動きを見せなかった邪髪様が床に転がされた累殿を拾い上げ、あやすかと思えば困ったように硬直して頚を傾げた。

 

「う~ん? やっぱり違う。何が? 手触りかしら…髪の? なんにせよダメねぇ、何だか気持ちが悪くって」

 

やはり、この鬼も危ない鬼なのだろうか。

そう思って眺めた瞬間、目が合ってしまった。

 

「あら? あらあらぁ? なぜ私はこんなモノを抱えているのかしら? そこの太鼓の人?」

 

「しょ、小生であります、う?」

 

自然な流れで累殿を押し付けられてつい腕に抱いたのだが、それに満足したのか邪髪様の興味は小生達からプッツリと途切れ、先程までような虚ろな状態に戻ってしまった。

 

返却も出来ず、破棄も出来ず。

そろそろ胃に空いた穴から逆流した血が口から挨拶しに出てきそうな勢いなのですが、小生のお家はまだ遥か彼方なのでありましょうか…?

 

「あっ…く」

 

頭まで赤子に退行したらしい累殿が、無表情ながら懸命に小さな手を小生に伸ばした。

なんとも、いたたまれない。

 

そんな状況のなか、堕姫様からお声がかかった。

 

 

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