『善逸、お前は俺の誇りだ』   作:マキシマムとと

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第 肆拾弐 話『継子』

麓にある先生の家に近付くにつれ、俺の心中にある水面には波紋が広がった。

どうしようもなく止められない。

 

始めはポツリポツリと、小さな水滴が雨となって水面に落ちたような変化だったが、一歩近付く毎にその粒の大きさは増し、水面を叩く数も、数えきれない量に変わる。

 

心臓が重い。

実際には雨など一滴も降っていない。

にも関わらず、俺の指は長雨に晒されたように冷たい。

 

…怖い。

 

久々に目にした狭霧山。

そして第二の家族と日々を過ごした家。

その景色が鬼よりも恐ろしく見えた。

 

「大丈夫?」

 

背中から声がかかり、驚きのあまり身体の芯が震えた。

懸命に凪を意識し、恐怖や動揺を切り離す。

 

「問題ない」

 

声は震えてはいないだろうか。

 

「……私も歩きます」

 

存在すら忘れていた少女が、俺の背から降りた。

 

「ごめんなさい。ここまで背負ってもらって」

 

「…問題ない」

 

先程よりは幾分か落ち着いて応えたのだが、少女の顔はとても安堵したようには見えなかった。

しばらく言葉を探すように口を開いたり閉じたりしていたのだが、やがて一つ息を吐き出して俺に手を伸ばした。

 

「その…山道は危ないから」

 

仄かに頬を染めて、差し出された手。

これは、俺に助けを求めているのだろうか。

それとも、俺を助けるために伸ばされたのだろうか。

 

「そう言えば…」

 

手を、繋いだ。

 

「名を聞いていなかった」

 

命の鼓動が、俺の中に降り注ぐ豪雨を押し退ける。

それは不思議で。

抗いがたく、暖かい。

 

あの日、俺を見付けてくださった師範と同じ大きさの手。

その有り難さが、俺の口を動かしていた。

 

「呆れました」

 

「…?」

 

「私、冨岡さんが名乗ったときに自己紹介しましたよ? まったく聞いてない風でしたけど本当に聞いてなかったんですね!」

 

「…そうだったのか?」

 

記憶に無いが、彼女が言うならそうなのだろう。

 

「もぅ、いいです! ほら行きますよ!」

 

手を引かれ歩き出す。

 

「しのぶ」

 

振り返らず。

 

「胡蝶しのぶ、です」

 

背中越しに、その名を受け取った。

 

 

 

 

 

 

 

 

結局、麓にある先生の家は留守だった。

土間から上がって直ぐの場所に【大岩の広場にて待つ】と置き手紙があっただけ。

 

「背負うか?」

 

狭霧山は厳しい。

面積の割に標高が高い。

つまり、なだらかな場所も無くはないのだが、基本的に崖と表現しかねない高低差が連続して形成された山なのだ。

 

その上ここの薄い空気に霧が混ざる事で、ただ息をするという基本的な肉体の稼働すら難しく、それを解決する為に自発的に意識した呼吸が必要となる。

そして、それこそが呼吸法の基本である全集中の呼吸に繋がる。

 

本当に、良い修行場だ。

だが、それは覚悟を試される事と同義。

家で待つように言ったのだが、胡蝶は頑なにそれを拒否したため仕方なく先導する形で山を行くことになったのだが…。

 

「……」

 

喋る事すら困難なのだろう。

さもありなん。

つい最近までただ普通の女学生だった彼女に、この山を登る筋力を求める方が間違っている。

 

そう思った矢先、胡蝶が俺の肩に手をかけーーー押し退けた。

そして、よろよろと覚束ない足取りで進み、倒れる。

 

「お、おい…胡蝶?」

 

昨夜から歩き通しの上に目覚めて直ぐの登山だ。

意識を無くした可能性を考え、その背に触れようかと言うとき。

 

「あまり、私を、侮辱しないで」

 

冷たくて、熱い。

明らかな拒絶に、心が揺らぐ。

 

戸惑う俺を余所に、胡蝶はゆっくりと身体を起こし、地に腰を付けたまま近くの木に背を預けた。

 

その様子に、何故か惹き付けられた。

弱い身体、乱れる呼吸。

しかし、その眼光は魂の輝きを写す水鏡。

 

「すぅ…ハァ……すぅ…」

 

呼吸を重ねる毎に違う。

呼吸の質が、変わって行く。

 

これは、全集中の呼吸?

いや、違う。

これは呼吸をする為だけの呼吸。

まるで蟲のように静かに、身動ぎも無く内側に活力の源となる空気を巡らせる。

 

「【半端な覚悟の人間が生半可な修行をして、その程度で行くような場所じゃ、ない】でしたね?」

 

肉体の疲労は消えず。

しかし乱れていた呼吸は、正に凪を思わせる静けさ。

 

「私は確かに、ここまで背負われて来ましたが、自分から折れるつもりは一切ありません。私の…私達の覚悟を、半端だなんて言わせない」

 

強い。

痙攣する足で立ち上がり、真っ直ぐに俺を見つめる胡蝶の瞳。

その強さが、己の中の弱さを浮き彫りにする。

 

確かに、俺の肉体は彼女に勝る。

だが、その精神はどうだ?

肉体の限界を超えてでも強引に歩き続け、俺の悪戯な手助けをはね除けるその姿勢。

それに比べて、俺の心の何処に凪のような水面があると言うのか。

その光が眩しくて。

 

「…俺は、ここで修行していた」

 

誰にも、それこそ師範にさえ語ったことのない過去が、とつとつと口から零れた。

常ならすぐに渇いて動きを止める舌の根が、霧のせいか今日はいやに滑らかに動いた。

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

 

 

俺を助ける為に姉が死に、俺が弱いせいで錆兎が死んだ。

 

『鬼が悪い』

『悪鬼を滅して仇を討つ』

 

そんな思いも確かにあった。

だが俺の本質は、外部への憤りなど一瞬とかからずに飲み込む大渦のような自責の念。

 

だから休む間などなかった。

同僚と言う名の他者に、歩調を合わせて会話を試みるだなど、許される筈がなかった。

 

『強くならなくてはならない』

『一匹でも多くの鬼を道連れに』

『強くなって、強くなって、強くなって…!』

 

 

 

 

「それで、野垂れ死ぬのが貴方の望みなのですね?」

 

 

 

 

鬼殺隊。

我ながら厚顔無恥世にも程があるとは思いながら、それでも世のため人のために鬼と戦う偉人達の末席に身を置かせて頂き、一ヶ月が過ぎた。

 

その頃はかなりの無茶を続けていた。

毎日が息苦しくて、寝ても覚めても気が休まる事はない。

我武者羅に任務や訓練に打ち込んで、気絶するように意識を無くす瞬間だけが俺の安らぎだった。

 

そんなある日。

どこぞの雪山に鬼が出ると連絡を受け、装備や食糧…後先の事を無視して山に入り、そろそろ死ぬぞ、といった所で俺が弱るまで待っていたと言う鬼に背後を取られた。

 

どういう経緯で俺が生き残り、鬼の頚が転がったのかもわからない。

何一つハッキリしない白い雪山で、その人は俺を見付けてくれた。

 

「泥の呼吸・壱ノ型ーーー水面不知(ミナモシラズ)ーーー」

 

その息遣いと剣線、秘境にて大河の源流を見たような美しさ。

それは間違いなく水の呼吸。

 

しかしその踏み込みの苛烈は、その苛烈を剣へと淀みなく伝える一連の所作はあるべき水の技とは違う。

水の型の汎用性を殺して砕き、より個人に適した型に組み換え直したような、異形。

 

後に聞くところ、それは水の呼吸・壱ノ型ーー水面斬りーーに炎の呼吸・壱ノ型ーー不知火ーーの動きを取り込み、女性である泥柱・稲井雪菜の肉体稼働に適合するように昇華された技であり、正に泥の呼吸の本質を示す技であった。

 

その頃の俺でも目に捉えられるように加減された攻撃。

それが俺の背に迫っていた鬼の最期の一撃を打ち払った。

 

「残心がなっておりませぬ『水鏡のように静かな心』を保っておれば、あの程度の鬼の悪足掻きに命を脅かされる事など、有り得ない」

 

避けるだとか、距離を取るだとか。

気付いた時には俺の喉元に吸い付くように、鋭い刃が添えられていて、何一つ身動き出来なかった。

 

「しかし…心根が腐っているかと思いきや、あの状況で鬼の頚を狩ってみせた手前に関しては及第点を付けても良いでしょう、流石はあの御方の教え子ですね」

 

蕾が綻ぶように、ふんわりとした笑顔を魅せてその人が剣を下ろした。

刀の大きさに振り回されるようにしながら、刃に纏わり付く穢れを払い、大きな動作で鞘へと収めるその姿。

 

「…何か?」

 

俺の視線を不躾に感じたのか。

苛立ちを振り撒きながら、俺に詰問した。

その背丈は、明らかに俺よりも小さい。

そこに真菰の姿が重なり、その隣に錆兎の姿を幻視して。

急に身体の中から熱が消え失せたような寒気を感じた。

 

力が抜けて、白い世界が暗転して。

黒い世界の中で、錆色の血だけが生臭く。

あの夜の臭いは永遠に俺の中にあり続けるのだ。

 

「…錆兎。ごめん…ごめん、なさい」

 

贖罪に価値はなく。

それでも、どうしても…。

 

「困った子ですね」

 

声と、温もりが降ってきた。

それらはとても小さいのに。

俺の心の中の灯火を、凍てつくような吹雪から守った。

 

 

 

 

 

 

 

 

それから俺は師範の継子としての日々を過ごすようになった。

師範は泥柱ーー鬼殺隊の頂点に座する九人の剣士の一人であり、俺を最終選別まで導いてくださった先生の継子だったと言う過去からか、生来の気立ての良さからか。

不器用で未熟な俺に目をかけてくれた。

 

「義勇、心が乱れていますよ」

 

師範の指導は的確の一言だった。

容赦や猶予といった不純物を極限まで振るい落としたような訓練で、その密度には舌を巻いた。

これまで自分が考えて実行していた訓練など、この指導とは比べる事すら失礼で、しかし実際にはそのような余計な思考に意識を割く余力など一切無かった。

 

「肉体の疲労と自意識とを切り離しなさい」

 

冷酷と表現する以外に言葉が見つからない扱きではあったが、その苦行の日々は俺から過去へと浸る時間を奪い、只管に未来へと押しやった。

 

「常に心の中心に凪の水面を保つのです」

 

合理、合理、合理。

師範の言動には揺るぎない骨子があり、師範の指導には明確な基準があり、その全てが不安定な俺を包んで導いた。

 

「まだです。甘い!緩い!未熟! 貴方は弱い、しかしその弱さを凪の中心に置くことは許しません!」

 

師範は器のような人だった。

泥から出でて熱を得て、陶器としての形を成して軟弱な()に価値を持たせる。

 

「排しなさい。雑念を排し、無駄な力を削ぎ落とす。そして呼吸の合理に従うのです。力を増しながら力を捨てる、決して忘れてはなりませぬよ」

 

最初は無我夢中だった。

修行に身体が追い付きそうになる度に師範からの課題が増えて。

俺が壊れない瀬戸際を完璧に見定めて、その時々の俺に適した訓練を課した。

 

鬼狩りの任務を達成しても、それで身体に傷を負うような事があれば「何処で、どの様にして、どの程度の相手に」と詰問される。

致し方ない状況の場合には、その状況を作り出した計画性の無さを叱咤され、俺に落ち度があった場合には容赦なく叱責された。

 

そしてその都度、師範は自らの時間を割いて、二度と俺が同じ傷を受けないように指導を徹底してくれた。

 

「…貴方はもっと、自分の身体を大切になさい」

 

鬼を狩る為に、人を助ける為に、効率をあげるために。

そうした建前を立てて俺に与えてくださった言葉の影に、姉の眼差しを見付けて…。

 

 

 

 

だから、負けられないと思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

頚周りを守るように、隠すように。

こぶし大の大きさの玉を連ねた数珠を身に付けた童子の鬼だった。

頭から小さめの角を左右に二本、太めの角を中央に一本。

そして、その左目には【下陸】の呪われた数字。

 

 

下弦の陸・寿限無。

 

 

悪鬼が、親の仇でも見るかのように俺を睨んだ。

 

「鬼血術【影獣】」

 

声変わりすらしていない、無邪気さの残るその音が、俺の死を願って呪いを吐いた。

 

数珠から滲み出す獣の影。

 

「今度は三匹か」

 

左から猿・鳥・犬…先程の影は牛だったから、十二支を模倣した術である可能性が高い…。

 

冷静に俯瞰して、敵の手札と習癖を判断する。

 

もし、ここに立っているのが俺ではなく錆兎であったなら…そのような無駄な手間をかける迄もなく、会敵した瞬間に切り捨てていたのだろうが…。

 

「何なんだよ、テメぇ。何なんだよォォォ!!」

 

大声に合わせて三匹の獣を散開させる。

そして、それらの攻撃に併せて、牛に隠して召喚していた鼠の一撃…か。

 

「水の呼吸・伍ノ型ーーー干天の慈雨ーーー」

 

横に避けながら身体を入れ替え、予測した通りの軌道ーー死角から迫る鼠の影を切り払う。

 

「なんで、なんで俺の影を斬れる!?」

 

型を維持したまま、再度身体の重心を調整して、回る。

 

ーーー千年前から願われて。

 

何処かで習ったのだ。

 

ーーー途切れず託す繋がりを。

 

誰だったか、いつだったのかすら不明瞭な記憶。

 

ーーー俺では至らぬその場所へ。

 

ただ、青い羽織を纏った男が教えてくれた。

 

ーーー泥の子よ。

 

伍ノ型が秘める破邪封滅の極意を…刃に!

 

「水面の…凪」

 

三匹の獣は瞬く間に霧散して、最後に残された小鬼に次の一手を与えるほどの無能を、俺は自分に許さなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

下弦の陸を倒した日。

それは奇しくも一年前、あの悪夢の夜と同じ日だった。

 

だがそんな偶然に浮かれる程の愚かは既に無い。

今回遭遇した下弦もそうだ。

師範の指導に従い、その指示の通り動いたからこその成果であり、俺自身が誇るような事は何一つ無い。

 

全ては師範の慧眼。

だと言うのに、何故か周囲が騒がしかった。

 

雲の上のような御方に目通りさせられ、水柱の戦死を聞かされた。

 

そこはわかる。

鬼狩りは文字通り、命懸けで鬼と戦うのだから、いかに高名な柱といえ、不覚をとる事はあるだろう。

 

しかしその先がわからない。

新たな水柱に俺を指名したいとの妄言に、俺は困惑した。

 

本当に困った。

雲の上の人はもっと賢くて、素晴らしい人格者なのだと思っていたのだが、師範を差し置いて俺と言う小者を水柱に置くなどと言う愚にも付かぬ話に時間を浪費するとは。

 

俺は鬼殺隊の未来が心配になった。

 

「俺には務まりません」

 

すると、その人はおおらかに微笑んだ。

 

「それなら水柱代行という体で務めて貰えないだろうか、雪菜が帰ってくるまでの間、その繋ぎとして」

 

何を馬鹿な。

なぜ俺を代理にする必要がある。

そう思ったのだが、その時点で師範との連絡が途切れていたらしく、鬼殺隊の精神的な支柱である水柱を保つための限定的な処置として、その継子である俺に対応して欲しいとの事だった。

 

どこか腑に落ちない感はあったが、師範が水柱と言う肩書きに執着にも近い憧れを抱いている事は知っていた。

だから、師範の夢の手助けになるのであれば、と承諾した。

 

 

 

 

ーーーだが。

それから一週間過ぎても、師範は戻らなかった。

 

 

 

 

師範の居ない間は何をしても虚ろで、まるで糸の切れた凧のような日々だった。

流されるまま、極端に増加した任務を消化する毎日。ともすれば、そうして師範と過ごした時間は過去の物になっていたのかもしれない。

 

しかし、そんな俺のもとに一通の文が届いた。

 

そこには丸く、懐かしい筆遣いで書かれた【ぎゆう】の文字。

それは同じ狭霧山で先生の指導を受けた年下の姉弟子、真菰からの手紙だった。

 




今回登場した下弦の陸。
名前も能力も作者が適当にでっち上げたのですが、実は公式ファンブックの二冊目に1コマだけ登場した鬼なのです。

水の呼吸で頚を斬られた鬼の中の一体で、インタビュアー後藤さんの質問に「うんうん」とセリフまで頂戴しておりました。

暇な人は探してみてください。
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