『善逸、お前は俺の誇りだ』   作:マキシマムとと

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第 肆拾肆 話『水面の対話』

 

神社の境内にある泉。

そこに浮かべた草舟が揺蕩う(たゆたう)

泉には顎を打たれて気を失った男の子の姿が映った。

 

「あーぁ。ぎゆう負けちゃった」

 

膝を曲げて座り込んだ幼い(真菰)が感情の無い声で呟くと、即座に返答があった。

 

「俺様は死んでも腐っても師範の継子だ、あんな弱味噌なんぞに遅れをとる訳にはいかんぜ」

 

私が見上げる。

逆光でよく見えないその人は、それでも凶悪な笑顔を浮かべ。

私はその顔がいたく気に入って同じように笑って見せた。

 

「けっこう、危なかったよね?」

 

「あぁん? そりゃお前の身体が弱いからだろ?」

 

「水のこきゅうは、やわらかくて強い。私の身体は固かったのかな?」

 

あはは。

私ってば頑固だな。

水柱様にも食って掛かるだなんて。

 

この人も同じように思ったのかな、少しだけ間を空けてから「カッカッカッカッカッ!」と楽しげに笑った。

 

「やはりお主は面白い女子(おなご)よ、せめてこの俺様に血の流れる身体があったなら、お前の気が狂うほどに寵愛を注いでやったのだがな!」

 

「ははは、それは嫌だなぁ。そもそも私は■■の事が好きだがら、水柱さまのお気持ちには応えられないんだよ」

 

………え。

誰って?

私が、誰を…好き?

 

「■■か、また陰気な男を好きおって、同じ陰気仲間ならば弱味噌義勇の方がまだ顔も良く、気心も知れておるだろぉに」

 

「顔なんてかんけいないんだよ。■■は私を救ってくれた。私につながる沢山の命を守ってくれた。あんなに小さな背中なのに」

 

待って…え?

私はいったい何を見せられている。

 

「アレはお前など眼中に無かろう、いや…それどころかアレは死と終局に取り付かれていやがる」

 

「そうかもしれない。けど、まだ■■は負けてない!」

 

恥ずかしい。

なんだろ、これ。

恥ずかしくて、恥ずかしくて。

 

「私は■■を信じてるの」

「私は■■の助けになりたいの」

「私は■月の支えになりたいの」

「私は、私は、私は!」

 

もう、止めて!

羞恥心に耐えきれず、飛び出そうとした私の前に、一頭の蝶が現れた。

 

白い羽の外側を淡い葉の緑や桜の花色で染める。

特異なまでに美しい、蝶。

 

「古き世の水柱様は、随分と下衆な事をなされますね」

 

ーーー蝶…あぁ。

その姿に安堵したとたん、光が満ちて胡蝶カナエその人を象った。

 

「また一つ、勉強になりましたね」

 

柔らかく微笑むカナエちゃんが、私の手を握ってくれた。

 

「神霊…その中でもとりわけ人間に基因する威霊は扱いが難しいのです」

 

幼子の姿の私と、顔の無い水柱様が此方を睨む。

 

「人であったからこそ人の心へ付け込む事を得意とし、未熟な術者の深層に分け入って喰いたがる」

 

「喰う…何を?」

 

私の問いに、手の力を込めて応える。

 

「私たちが持っていて、あの御方が持っていないものです」

 

そう。

それは即ち。

 

「五月蝿ぇんだよ」

 

水柱様の顔を隠す影が、絵の具のように滲んで全体に広がり、同時に私だったモノも、糸が切れたように首が真下へと傾いだ。

 

「私は蝶です、蝿と間違われると困りますね」

 

笑顔。

カナエちゃんは今、きっと笑顔だ。

読み書きを教えるように、怪異との間に保つべき距離を教えてくれている。

 

 

 

『見えなければ弾きなさい』

『美しければ畏れなさい』

『その影を注視し、惑わしを退けなさい』

 

ニコニコと、顔には張り付けたように笑みを浮かべ。

 

『真菰さんには水の心得があります』

『畏れや恐れを否定してはいけません』

『けれど、それに囚われず』

『水面の心で対峙してくださいませ』

『必ず笑顔で、心を正して』

 

 

 

気持ちを真っ直ぐに保ち、ぶれてはいけない。

間違えてはいけない、間違えないためにも乱れてはいけない。

…術者としての道を行くのなら。

その殿方を、本当に支えてあげたいのなら。

 

そうだ。

…そのために、私は願ったんだ。

あのお馬鹿を助けるための、一手を求めて。

 

 

 

 

 

水柱様の全身に広がった黒。

先程まで右手だった部位が幼い姿の私を模したモノに繋がると、その黒に吸い込まれるようにして融けた。

一部だけを残して。

 

「かしこみて申し上げます。水柱様、その面をお返し願えますか?」

 

残されたのは、顔。

私の顔を手に持って、影が苛立つ。

 

「蝶…蝶か。なるほどお前、胡蝶の系譜か」

 

この人は水柱。

百年前の柱を主人格としながらも、水柱という(ごう)に連なる全てを内包した威霊の一つ。

本来であれば私なんか相手にしてもらえるはずもない、水の柱の守り神。

 

「胡蝶であるなれば理解出来よう。あと一手、この俺様に差し出せ。さすればあの御方の魂は目覚め、今度こそ悪鬼を滅ぼし千年の悲願は果たされる」

 

「私が胡蝶であるからこそ理解しております。あと一手、もし戯れに差し出したなら、貴方様の渇望はこれなる真菰の悉くを貪り、今度こそ千年の悲願は潰えるでしょう」

 

鏡合わせ。

術式の初歩であり、もっとも重要な返しの要素。

 

「俺様を誰だと心得る」

 

「貴方様は神」

「貴方様は霊」

 

空間が捻れるような圧を感じた。

カナエちゃんを中心に、世界が怯えてねじ曲がる。

 

「貴方様は、既にこの世のモノではありませぬ」

 

彼女の美しく清らかな指が九字護身法の印を組む。

 

「久方ぶりに見た空はいかがでしたか?」

 

複雑な型を組ながら、その形状へと意味を呼び込む。

優しく優しく語りかけながら。

 

「真菰さんの心臓は、真菰さんの瞳は、真菰さんの血肉の清らかなる香りは。色を無くした貴方様を狂わせるにはそれだけでも行き過ぎる」

 

「小娘が、俺様に、俺様を…!」

 

「その上に敬愛した御方の魂と邂逅したのです、堕ちたとしても無理はありません」

 

流れるような美しさで九つの印を結び終え、刀印を構えて闇を見据えた。

 

「邪魔だ…」

 

闇となった人形が【ボコリ】と膨れる。

 

「あと一度で良いのだ、あと一度(まみ)えれば、あの御方は唯一無二の『流』の神業を再現される。そしてきっと…俺の事を思い出してくださる」

 

首が伸び、足を無くして胴が伸び。

 

「俺様を、この、俺を、僕を…もう、一度…!!」

 

黒龍。

のっぺりとした、布で作ったような頭の無い粗雑な龍が、小さな腕で懸命に、宝玉代わりにの私の顔を握りしめた。

 

「許されません」

 

絶対の意思を見せて、カナエちゃんが刀印を横に切った。

 

「御覧なさい、貴方様にまだ人の心が在るのなら、どうか目を見開いて、御改め下さい」

 

刀印が開いた空間には、鱗滝さんに手を握られる私の姿。

 

鍛え方が足りないんだよね。

血も筋肉も驚きを通り越して皮膚の内側で破裂しちゃってる。

この調子だと近い内に血で気管が詰まって窒息しそう。

 

うーん。

痕が残りそう。

これはお嫁に行けないかな?

 

予想通りの姿なんだけど、客観的に見ると申し訳ない気持ちになるんだよね。ほら、鱗滝さんはあの日から仮面を外して生活してるでしょ?

だから、苦しそうなお顔がそのまんま見えちゃう。

 

はぁ。

私って親不孝だなぁ。

 

「しばらくは、息をするにも苦労されそうですね」

 

そうだね。

けど、必要な事だったから。

私の言葉に微笑んで、カナエちゃんが凛として龍を見据えた。

 

「さぁ…どうか大人しく、その面をお返し下さいませ」

 

その願い、その道理。

正しいと理解しても諦められない、執着心。

それを表すように龍がウネウネと宙を泳いだ。

 

「願いは行き過ぎれば鬼と化します、ご理解していらっしゃるのでしょう? 貴方方(あなたがた)の悲願、私共が受け継いで参ります…どうぞ御身に連なるこの未熟を御許しください。そしてどうか、この繋がりを信じてくださいませ」

 

綺麗だ。

 

ここが私の世界だからこそ、わかる。

本来異物であるはずの、カナエちゃんの美しさと優しさ。

そして…その奥底にある畏ろしさ。

 

それが伝わったみたいで、龍の動きが止まった。

端からハラハラと崩れて消える。

そして残ったのは、私の顔を大事そうに胸の前で抱える小さな男の子だけ。

 

「イヤだ! ボクはお師匠さまに会う!」

 

あぁ。

この子の未練なんだね。

 

「もう一回、もう一回だけでいいから!」

 

「純粋な童心ほど畏ろしい」

 

可哀想ですがーーー。

そう形作るカナエちゃんの唇に、指を添えた。

 

「少しだけ、許して」

 

歩み寄る。

ふわふわと、何だかどうにも頼りない身体を動かして、心に向き合う。

 

恐怖はあるよ。

間違いなく、私は怖い。

人と向き合うこと、触れ合うこと。

理解を願って傷付けること。

 

だから私は逃げてきた。

鱗滝さんから逃げて、義勇から逃げて。

そして命の恩人からも、目を背けた。

あの人の心が、魂が。

どれだけ深い地獄の底で苦しんでいるのか、私は私の才能によって知り得たのに『あの人を傷付けたくない』と言う気持ちを盾にして壁を作った。

 

目の前の男の子と、魂が寄り添っているからだね。

とても、とても。

涙が溢れて、それでも足らずに私の胸が引き裂かれ、裂け目からは血が鮮やかな花のようにふわりと広がる。

 

「真菰さん!」

 

「だいじょうぶだよ。心はね…痛いんだ。この痛みが、私には必要なんだよ」

 

後悔を、共有する。

ああしておけば良かった。

話をすれば良かった。

時間が戻ってくれたなら。

もう一度、もう一度だけでいいから…!

 

『「会いたい」』

 

「そうだよね、苦しいよね」

 

心を込めて、抱きしめた。

小さな鼓動を。

今はもう現世にはあり得ない童心を抱く。

 

「私はあなたのお師匠さまを知らない。けれど義勇のことは知ってるよ」

 

まだ固い。

心の固さを示すように、この子の身体は岩のように固い。

だから暖める。

私の命と血の灯火で、柔らかく包む。

 

「出会ったばかりの義勇はーーー」

 

花身術。

我が身を花に、其の身を内に。

 

『会いたい…もう一度、逢いたい』

 

たゆたえ…揺蕩え。

私の中の水面から、私の外の水面まで。

 

『ズルいな、お前だけが、命を持って』

 

やるせない気持ち。

この世はとっても残酷で、命を落とせば途切れてしまう。

 

『もっと見てもらいたいんだよ、僕は、俺は、俺様は…!』

 

願いは、望みは。

どこも逝けずに飢えては嘆く。

渇望は渦巻き、その場に留まって穢れを呼び込む。

だから。

 

「かしこみ、かしこみ」

 

痛みを流す。

私の内側にある荒神さまのお怒りを痛みとして受け入れて、それを水面へとそっと流す。

 

「かしこみ、かしこみ」

 

だいじょうぶ。

私は、あなたを信じる。

あの人が繋いでくれた、私の命を信じる。

 

「潮の風知る水の主、柱が神の痛みに願う」

 

『………』

 

「義勇を、信じてあげて」

 

心に浮かべるのは、気弱で甘えん坊な表情。

だけどその内側は何時だって罪を抱えて怯えて泣いて。

 

「今はまだ弱いかもしれない」

 

その姿が、雷月と重なる。

 

「あなたの知っている魂に届かないかもしれない」

 

けれど。

 

「きっと、あなたの気持ちは届いたよ。これでもまだウジウジしてるんだったら、今度こそ私が姉弟子としてこてんぱんにしてやるんだから」

 

だから、信じて。

あなたの信じる義勇()を信じて。

私も…。

あの人を信じるから。

 

 

 

その心が伝わったのかどうか。

気付くと満身創痍の私はお布団で目を覚ました。

 

すぐ隣に置いてある狐の面が少しだけ。

私に微笑んだ気がした。

 

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