『善逸、お前は俺の誇りだ』   作:マキシマムとと

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第 肆拾伍 話『月光の導き・上』

 

風の無い夜。

空には雲がどっしりと一つ。

月はそれより遠く離れ、煌々と闇夜を照らしておった。

…懐かしい。

アヤツと出逢うたのはこんな晩じゃったか。

 

涼やかな夜道を歩きながら、身の内から沸き上がる感情をなだめる。無論、訳あってのことじゃ。

 

恐らくは、今日が作戦の決行日。

雷月が正式に鬼殺隊に入隊してから一ヶ月。

百年停滞していた上弦の討伐を目的とした作戦が秘密裏に進行しておった。

 

経験の無い小僧小娘を寄り集めての強引な計画。

あまりにも無茶が過ぎると思う頭はあったが、鬼狩りとは元より無茶無謀を叩いて潰して強引に押し通すのが常道である。

この計画を通すために今この瞬間も数多くの隊士が血で血を洗っておるのじゃ、我が子可愛さに判断を間違えてはならん。

 

当然、理解しておる。

…なれど腹の座りが悪くて敵わなぬ。

まったくどうした事か。

我ながら困ったものよな。

左近次の爺に「子供を信じよ」とのたまっておきながら、こうして夜道を這うては不安に震える。

 

片足を無くして老いさらばえたこの身では、例え馳せ参じたとて壁になるどころか足枷にしかならぬ。

出来る事など祈るか願うか。

神頼みしか出来ぬ己の無力を噛み締めながら、雷月の無事を祈り夜道をふらついておった。

 

昨今は百鬼夜行。

あまりにも無惨な生への冒涜が続いた結果、日が沈む頃には人影も疎ら。

工場通いの夜勤らしき男衆が希に行き交う程度の閑散とした町並みとなっておる。

古い人間が住まずとも藤の花の香を焚いておる家が殆どで、町の中心部はシンと静まり返る。

 

…そんな折り。

町外れにある山裾の民家が目に留まった。

大きな木の影にぽつねんと座るありふれた一軒家。

目も耳も鼻も。

全てが正常を告げながら、どうしてかワシには理解できた。

 

ーーーなるほど、今日あの場所がワシの死地かと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ハァ、ハァ…」

 

狭い。

小屋のように狭い室内には、今の時代からすれば物悲しくも透き間風がよく通る。

しかし、それでいて纏わり付く血の臭いは薄れない。

口呼吸に変えた所でその罪から逃れる術が無いように、男の鼻腔には永遠に消えることの無い臭いの記憶が刻まれる。

男の足元には息をしない三つの亡骸。

貧しくとも、今日この日までは幸せにくらしていた夫婦と幼い娘。

 

「ぐひっ、ぐひぐひ…傑作だ!」

 

人であれば誰もが口を閉ざすようなその場所で、春の桜の花見客のような喜声をあげるのは鬼。

菊柄の美しい腰布一枚を身に纏うは、不釣り合いにも度が過ぎる一匹の人語を弄する浅ましき獣。

 

それに反応して男が振り向く。

落ち窪んだ目に絶望を宿し、右手には逆さに握られた包丁が一本…鮮やかな人血に刀身を染めて。

 

「約束だ…」

 

苦しそうに荒い息を吐きながら、鬼にすがる。

四つん這いで歩み寄る四つ目の鬼よりも、一段低く頭を垂れて。

 

「俺の家族を返してくれ!」

 

無様な懇願。

藁にもすがるその思い。

鬼にも勝る悪逆非道の凶行を犯した男もまた、平凡な人間だった。

見合いで知り合った女と夫婦となり、少なくない年月と子宝によって帰るべき我が家を得た。

ありきたりに幸せで、時には世の不平を嘆く。

そんな満ち足りる人生を歩んでいた男。

 

ーーー鬼に狂わされるまでは。

 

「ぐひひ、いぃぞ。お前は俺よりも低い場所で…ぐひ、俺よりも低く頭を垂れた、俺はとても…ぐひ、ぐひひ、気持ちがイィ」

 

粘り気のある涎が糸を引く。

吐き気をもよおす生臭い口を開くと、そこからは恐ろしく強靭な筋肉を束にした、長い長い舌がゾロンとこぼれ出して男の手にある包丁の血を舐めた。

 

「玉壺様の、世界一美しい作品…ぐひ!」

 

片腕を腹の下にいれ、肉と汁が擦れ合う音を響かせながら、明らかに腹よりも大きなモノを引きずり出した。

 

「あ…ぅ、え?」

 

「作品名は『魚と共に夫のもとへ』俺の依頼で、俺のために、ぐひっ! 造ってくださった!」

 

壺なのだろう。

歪な容器から上半身を見せる女性の姿。

 

「子供の方はなぁ、お前があまりにも愚図だがら一匹見せしめに喰っただろ? その舌触りが良くて良くて、ぐひ…ついつい全員平らげちまった、ぐひぐひひ!」

 

奇っ怪で残虐な玉壺の作品。

その姿に…戻らない幸せに。

折れた心を、舐めては啜る。

 

「大丈夫だ、ガキなんてまたこさえれば良い…あ、けどこれじゃ肉棒を突っ込む穴も無いか? ぐひぐひぐひ!」

 

失意した男。

その耳の奥深くに舌を突き刺し、脳を壊して舐め啜る(すする)

その嗜虐の愉悦に四つ目の鬼がうっとりと嗤った。

 

(他人を見下すのは最高だ)

(俺よりも幸せな奴は全員、全員こうしてやる)

 

ぴちゃり、ぴちゃりと雫が垂れる。

命が潰え、何もかもが終わった場所で。

 

「遅かったか…」

 

土間の外に、気配が一つ。

 

「味がするなぁ? 萎びて老いぼれて、固く臭くなった爺の味だ。舐めなくても空気を伝わる。苦い苦い、汚い味だ……ぐひ」

 

余裕、慢心。

己よりも弱い存在を見下して愉悦に浸る事こそ、この鬼の本質。

故に鬼は選択を誤った。

 

「今日は子供も親も殺したぁ、爺を殺せばもっと愉しくなる…ぐひぃ!!」

 

振り向き様、見せ付けるようにして放たれた舌の一撃。

その爺がただの爺であるならば、当然にそこで幕引きとなっただろう。

しかし、それなる爺は名を持つ翁。

 

その名を、桑島慈悟郎。

 

「ぐひっ!?」

 

闇に煌めくは白刃の輝き。

仕込み杖からの抜刀にて、慈悟郎が鬼の舌を切り落とした。

 

「その刀…鬼狩り、いやそうか…育手か!」

 

痛みが鬼の意識を変える。

慢心を捨てた鬼が一瞬の隙を晒して立ち上がった。

 

もし、ここに我妻善逸が居たならば。

もし、慈悟郎の足が義足でなかったならば。

 

鬼はたちまちの内に霹靂一閃の輝きを首に受け、消滅していただろう。

しかしここに『もし』は無く。

 

【鬼血術ーーー胸腹九物(むなばらくもつ)ーーー】

 

腹に両手を突き刺し、強引に抉じ開けて中身を舌で引きずり出した。

質量が狂い、無いはずの物が有る物として床に音を立てて並ぶ。

 

「ぐひ、ぐひひっ! 育手を殺したなら価千金!! 下弦に身を列ね、玉壺様とあの御方に認めて頂く!」

 

汚ならしい笑い声につられて、あたかも笑うようにゴトゴトと床を鳴らすのは壺。

人の腰丈程もある大きな三つの壺が踊るように揺れ動き。

 

「玉壺…じゃと?」

 

壺の口から巨大な金魚が湧き出した。

野太い手足をそなえ持ち、狭い室内で壁となって塞がる怪異にも動じず、慈悟郎が仕込み杖を構えーーー。

 

「たわけ者がぁ!!!」

 

雷喝…とでも言うべきか。

人であり、地にある慈悟郎の腹から轟雷の如き一喝が放たれ、同時にその刃が熱を帯びて振るわれた。

 

「熱界雷!!」

 

その一撃をまともに受けた真ん中の怪異が一瞬で灰に変わり、その余波で左右の怪異すらホロホロと黒く崩れた。

 

「ぐひ、巧いなぁ…流石に老いぼれるまで生き延びただけはある」

 

クモが巣を張る梁の上に巻き付くように姿勢を変え、四つ目の鬼が見下ろして嗤う。

 

「だが、いつまで持つかなぁ?」

 

おぞましい鳴き声を降らせながら、梁の上をヤモリのように這いずり回り、腹から壺を生み落とす。

 

「命すら造り出す玉壺様の奇跡!」

 

「たわけ者も極まり無いわ、命じゃと? 奇跡じゃと!? 寝言はそっ首叩き落とされてからほざけァ!」

 

あえて浅く怪異を切り裂き、その爪と牙を封じてその上を駆ける。

 

「ぐひっ!!」

 

慈悟郎の機動に呼応し、鬼が力任せに舌で薙ぐ。

反応ではなく経験からその流れを予測していた慈悟郎が、全集中の活力を込めて跳躍した。

 

「参ノ型ァ! 聚蚊成雷ィィィィ!!」

 

ーーーしかし。

 

「ぐひ! 【二枚舌】」

 

遅い。

あまりにもその肉体は、脳が認識する世界への順応は遅すぎた。

見られ、反応され。

それで間に合ってしまう程度には。

 

「ぐっ…!」

 

歴戦の経験…そして欠かさぬ修練の賜物だろう、ほぼ無意識に軌道を変えた刃が鬼の血鬼術による隠し舌を反らし、致命傷を免れる。

だが、その対価として慈悟郎の刃が撫でたのは鬼の首の薄皮一枚。

 

「ごほっ!」

 

一瞬の攻防、その後…盛大に床に身体を打ち付けて咳き込みながら、それでも慈悟郎は意識を研ぎ澄ませて身体の稼働を確かめる。

若ければ無理にでも動けただろう。

しかし、老いた肉体に無茶を重ねれば取り返しがつかない。

その致し方ない、隙。

 

「爺ぃ」

「ぐぉあ!」 

 

太く、しなやかな筋肉の舌が慈悟郎の足を叩く。

まだ健全だった左足、その太股の真芯を打たれて骨が砕かれる。

その痛みに全身が強張り、強引な稼働によって蓄積した疲労が腰に落ちた。

 

もがいても痛く、静止しても痛い。

痛いだけなら我慢できようが、この痛みは一切の力を霧散させる。

 

腰とは月を人の身体に見立て、そこに要と言う文字を加えて作られた単語だ。

人の要である腰を痛めては力を込めることも抜くことも出来ない。

足を砕かれた激痛も加わり、加齢により乾いていた肌には見る間に脂汗が浮かび出した。

 

…死の覚悟は常にあった。

だが、せめてあと一太刀。

 

慈悟郎の願いとは裏腹に、刀を握る手は痙攣して握りしめることすら出来ない。

 

「ぐひっ! ぐひぐひぐひ! 見苦しいなぁ? 爺の臭い肉は舌触りも最悪だし…そうだなぁ、ぐひひ、そうだなぁ~!」

 

享楽的な嘲笑を上げ、長い舌が探るように床板を這う。

まだ三体も残存する壺の怪異の足の間をウゾウゾと進み、ある一点で止まった。

 

「最初から違和感があったんだぁ」

 

狭い室内で、その舌は即座に見つけ出す。

 

「この家からはもっと美味しそうな味がしていた」

 

床下の貯蔵庫。

そこに隠された家族の希望を。

 

「いや、いゃだ!」

 

恐怖で下履きを濡らした幼子。

その命に、鬼の舌がグルグルと巻き付く。

 

母と父、そして兄弟を呼びながら泣き叫ぶ姿はーーー

 

「や、めろ…!」

 

ーーーいつかの己の姿と重なって。

 

「ぐひぃ! お前が悪い、貧相な爺がでしゃばって来やがって! その様がコレだ! お前が来なけりゃこの子供は死ななかった! お前のせいだぞ? お前のせいで家族全員無駄死にだぁ…ぐひ、ぐひぐひぐひ! ほら、おい、このクズ、なんて言うんだ? こんな時なんて言うんだオイ! お前爺なんだろ? 俺より長生きしたご立派な老いぼれなんだろ? こんな時なんて言うのか、言ってみろぉ!」

 

胴に巻き付いていた舌が蠢き、子供の首にも巻き付いてゆっくりと…確実に締め上げる。

 

「やめてくれ…」

 

泡を吹き、白目を剥く子供の姿。

鬼がその気になれば圧力だけで骨を折り、首を捻切る事すら可能だろう。

 

「聞こえないぞぉ? 俺には何も聞こえないなぁ? ぐひぐひ! おいおいオイぃ! 老いぼれ、腑抜け、役立たずの首枷爺! ほら言え、言えよぉ! 惨めったらしく這いつくばって、この俺に! ちゃんとお願いして見せろぉ!」

 

この時、慈悟郎の脳裏には結末が浮かんだ。

鬼は非情だ。

慈悟郎が助命を請うても、強情にはね除けても。

その結末は変わりはしない。

それでも、それでも。

人は願わずにはいられない。

 

「ーーー」

 

「あぁ~? 爺は声も掠れてやがるなぁ? もっと大きな声で、オラ、言えよ…ぐひぐひぐひ!」

 

愉悦を貪り、涎を垂らす鬼に目を合わせて。

慈悟郎が口を開いた。

 

「臭い口を閉じて即時即刻早々に死に様を晒せ、ゴミ以下のチンカス野郎」

 

ーーーその声は。

 

「な、んだぁ?」

 

ーーー黄色い。

 

「聞こえなかったのかよ? アァ? 耳も顔も性根も悪いゴミクソ野郎が。じいちゃんはこう言ったんだよ『半端な三下の落ちこぼれが頭に乗り腐りやがって、みっともなくて目にするのさえ苦痛だからその馬鹿みたいに長くて汚くて臭い臭い舌を梁にでも巻き付けてさっさと首括って一人で死ね』って! しいちゃんを舐めんなクズ、カス! 腹立つ、腹立つ、腹立つ! こんなに腸が煮え繰り返ったのは久々だぜ…お前は俺が、絶対にブッ殺す!!!」

 

月光に照らされて、小さな黄金の剣士がその激憤を解き放った。

 

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