「ヒョヒョッ、美しい」
もはや毒という付属に必要性を見出だせない質量の暴力。
敵の回避能力を想定して放たれた面攻撃により、乾いた地面からもうもうと砂埃が舞い上がり視界を塞ぐ。
「我ながら素晴らしい術でした『おーけすとら』でしたか、壺が生み出す悠久の美とはまた別の
自身の感動を全身で表現するように、身体と手足をウネウネとくねらせて巨木を見上げる。
水中を泳ぐ優雅さを魅せて空を行き、枝の隙間をくるくると舞い踊る極彩色の金魚の群れ。
この世の理に反する光景に、彼の二つの口角が鋭く上に吊り上がった。
「しかし、少しばかりやり過ぎましたかねぇ? あの干物はともかく、子供の血は美味ですからねぇ…小鳥のような心臓に穴を開けて、溢れる赤い甘露を噛むように飲み干して、恐怖に歪む表情を舐めるように眺めるあの至福の一時…まるで私が私を喰らうかのような一体感…愛おしい、愛おしですぞぉヒョヒョッ、ヒョヒョヒョヒョヒョッ!」
鬼からすればごく自然な愛と情。
狂った悦楽を、濡れた刃のように冷たい音が遮った。
「そんな美味しそうな御馳走を駄目にしなければならないほど桑島様が、そしてこのタンポポ頭が恐ろしかったのですか?」
凛とした、女性の声音。
「何奴!」
玉壺が再び己の身体を真っ直ぐに伸ばし、今度は緩やかに曲がりながら振り下ろした。
未だに晴れぬ土埃の向こう側。
今度は声のある一点を目掛け、滝のような密度で魚の針が押し寄せる。
「泥の呼吸」
意に介さない。
まるで隔絶したその精神。
小さな唇が、拒絶を唱える。
「伍ノ型・
懐から取り出したる呪符を空に投げる。
梵字に呪を込めて作られたソレを、青い日輪刀で真芯から両断した。
剣士の持つ技と、そこに秘められた鬼滅の活力。
符に込められた術式が反応し、邪なる力の訪れを空間ごと歪める。
結果、千を超える毒針の悉くが目標を逸れ、その背後にあった家屋を粉砕した。
「…剣士、にしてはちと酔狂な出で立ちですねぇ?」
剣圧により死と砂塵を切り払い、現れ出でたその姿。
灰色の羽織を纏う小柄な女。
その顔を覆い隠すのは、赤。
ギョロリと大きな丸目玉、ヒョロリと上向くおちょぼ口。
『ひょっとこ』と呼ばれ、刀鍛冶の里で親しまれている奇抜な仮面を斜にかけて、僅かに覗かせた口を開いた。
「酔狂…? この愛くるしくも美しい芸術に対して酔狂…ですか。審美眼の無い猿はこれだから嫌なのです」
「ハァ? 審美眼ですと? 真に優れたるを見抜く目があるのなら、そんな珍妙極まる面が如き木っ端では無く、この私…玉壺が造り出した壺にこそ魅了されるのが真実!」
ニョキニョキと蠢く小さな掌。
柔らかな泥から押し出されるように、その手の内側から幾つもの壺が姿を見せた。
「どうですか? この世に溢れるありふれた美を足蹴にする程の美しさに! 声すらも失いましたか、ヒョヒョッ!」
「ふふ」
優雅に口許に手を添えて、忍びて笑い。
「お前は便所虫ですものね、見る目が虫の視点ですから…その歪んだ汚物入れが美しく見えるのも仕方ありません」
「……カ!?」
「わかっています、虫なりに努力されたのですよね? エライエライ」
一瞬で沸点の限界を超え、逆に静止した鬼をもう一段煽りながら仮面の女が隠した指で背後に守る仲間へと意思を伝えた。
(この場は任せよ、貴殿は花街へ向かえ)
善逸の
「ヒョッ、幼稚で間抜け…ひょっとこだかうそぶきだか興味の欠片もそそられませんが、そのような子供騙しの薄っぺらい面が芸術? ヒョヒョッ! 滑稽な、餓鬼のような体躯、おぼこの様な匂いをもちながら、年老いた婆の臭いまで混ざりあった行き遅れの化石女の分際で」
玉壺の煽りに、彼女の指が止まる。
「だから何だと? お前の便器がお前のイチモツと同じように情けない曲がり方をしている事と何か関係でもありますの?」
その返しに、目を血走らせ、浮き出た血管から血を吹きながら激昂した鬼が猛る。
「ふ、フザケルナ売女ぁ!! 私と、私の完璧な壺の、どこが歪んでいると言うのだァァァァ!」
手に持つ複数の壺から放たれるは【血鬼術・一万滑空粘魚】。
恐ろしい毒性を帯びた無数の魚が壺から産み出され、宙を滑るように舞い、敵へと殺到する。
「先程と同じようにいなしてみなさい、この魚の秘めた猛毒は霧となり、お前達を壺の内側に落としたように包み殺す!」
この速度。
例え術にて直撃を避けようとも、魚が地面に激突すれば当然その殆どは内容物をばら蒔きながら粉々に砕け散るだろう。
皮膚の上からも作用する強力な鬼毒が、一万匹もの魚群の毒が、その終わりを持って人の未来を奪う。
ーーーさせるかよォ。
先程の千本針を受け、それでも倒壊寸前で踏みとどまっている家屋の上、白夜叉が月を背にして立ち上がる。
ーーー稀血術・剣厳戯淋ーーー
邪に染まった己の髪を操る呪術。
その応用。
染まった髪を風にのせ、怪異に仕込む。
『男ならやってみせなさい』
ぶっつけ本番の大舞台、一人身を隠していた実弥は見事にその術理を成立させた。
ーー【千本針・魚協奏楽殺!!】ーー
樹上に舞い踊っていた金魚の群れ。
その粗方の怪異が実弥の稀血術に侵されて太い毒針を発射した。
その針は鬼と仲間の中間に刺さり、繰り返される事で滑空粘魚の襲来を防ぐ一枚の壁として形作られた。
「わ、私の大切なお魚ちゃんを…よくも!!」
例え一瞬であろうとも、指揮権を奪われた恥辱に玉壺が震えた。
その刹那の…隙。
視界を奪われた玉壺の背後から、清らかなる泥が濁流の如く押し寄せる。
「伍ノ型・干天雷鳴」
それまでの速度から一転。
緩やか、とすら表現されかねない剣の一閃が、その白い鬼を薙いだ。
◆
水の呼吸。
その伍ノ型となる干天の慈雨。
鬼が自ら頚を差し出した時に放つ慈悲の剣撃であり、斬られた者は痛みを感じず優しい雨にうたれているような感覚になるという。
実の所、この技は拾まである水の呼吸の型の中で私が最も巧く扱える技でして。
私がまだ鱗滝様の継子であった頃より、他の技とはまるで異なり教わったその瞬間には息をするようにその真髄を理解しておりました。
されど。
私はその技に価値を見出だす事はありませんでした。
慈悲の剣?
優しい雨?
私はあの御方を心より尊敬しておりますし、水の呼吸…そして水ノ型を崇拝しております。
…しかし伍ノ型に関しては、理解が及びません。
相手は鬼です。
慈悲や優しさ…愚かな。
無惨な理由や悲惨な生い立ちがあれば人殺しが許されると?
人を殺して、残された人の未来を狂わせて。
そんな害悪にまで恩情を与えんとする心根が私には許容出来ません。
だから『泥』を名乗るようになって改悪した中でも、伍ノ型は最も私に適するように作り込みました。
原理を知っていればそう難しい事はありませぬ。
鬼の呪いだけを斬り払う。
祓う事により鬼に慈悲を与えて無痛のままに昇華させる。
これが肝であるならば。
鬼の呪いだけを残し『人間』の部位だけを斬り裂く事により『鬼』では感知できない痛みを植え付ける事が可能となる。
そのように思考し、試行を重ね。
そして編み出した私の型。
一種の嫌がらせのようなモノですね。
この技はそもそも、鬼の討伐を目的としていないのですもの。
だからこそ水の呼吸でありながら雷の伍ノ型を取り入れ、下から上に斬り飛ばす剣線を活かす事になったのですから。
「あら、どうかいたしましたか? 先程まであれほど喧しくさえずっていた口が、随分と静かになってしまって」
私ばかりが長々と話してしまって申し訳ない。
「例え御便所の虫であれども、五分の魂があるのですもの。少しはお話も聞いてあげないと可哀想」
歪で小さな幾つもの鬼の腕。
その中で本来ならば耳がある辺りから生えた一対の腕が額を抑えて震えていた。
「貴様…貴様……!!」
あら?
虫に言葉を求めるのは間違いだったかしら。
あぁ、それよりも。
「そうそう、五分の魂で思い出しました。お前の数字は伍ですわね? 口の目に書いてあるのでわかるのですが…下弦、でしたかしら?」
私のあからさまな挑発に、鬼の震えが止まる。
「ほら、額の目がパックリ切れてしまって上だか下だか…文字が読めないでしょう?」
止まらない流血と終わらない激痛。
思考して、試行したのでしょうね?
けれどその傷は閉ざせない。
薄雲すらも見えぬような乾いた空、そこにある筈の無い雷鳴を聞くように。
有り得ない損傷を、お前達は見付け出せない。
過去に経験した事のない屈辱なのでしょう、額の目からとめどなく湧き出す血を垂れ流しにして、鬼が私だけをその目に映した。
「ーーーっ!」
発光するように鮮やかな緑色の唇が歪む。
吐き気を催すほど…愉しそうに。
既にこの場には私と鬼以外の姿は無い。
挑発も動機付けも完璧。
そして私はもはや柱では無い。
後はただ
「逃げの一手、ですか?」
私の思考を見越して鬼が言う。
「私のお魚ちゃんを操ったあの小癪な白夜叉が、干物の爺とお荷物の子供を安全な場所に隠した後戻ってくるまでは、無理に攻めずに私を挑発して時間を稼ぎたい、なるほど…なるほど」
奴が手にした壺に鬼の呪いが強く集まる。
「面白いモノを見せてあげましょう」
無音のまま、小さな壺から見上げる程に巨大な水の塊が生み出された。
その不可思議な水球、その内側には。
「虎柱とか名乗っておりましたが、お知り合いで?」
脳が冷える。
血の気の失せる感覚は何度経験しても慣れるということが無い。
壺なんかに収まる筈がない図体を弛緩させ、その中に浮かぶかつての同僚の姿。
「ヒョッ、良かった。あまりにもお粗末な剣の腕でしたので、少しばかり頭が狂っただけの法螺吹きかと思ったのですが、その様子ですとこの小者は貴様のお友達で間違いないようですね?」
喋りながら、別の壺から金魚を生み出す。
一匹…二匹。
青と金の艶やかな金魚がふわりと宙を泳ぎ、虎柱を捕らえる水球へと侵入した。
「つい先程、ここに来る前に捕獲しまして。活きだけは良かったですから、もしかするとまだ生きているやもしれませんねぇ?」
片方の口が舌を出し、汚ならしい唇を舐めた。
「面白い遊びを提案します。あの白夜叉が戻る迄にこの私に追い付いて見せなさい、それが出来なければ…ヒョヒョッ!」
膨らむ。
二匹の金魚がまるで
その皮膚の下にある毒針の存在を見せ付けるように。
「さぁ、楽しみましょうか?」
壺が生える。
地中から、家屋から、木の股から。
無造作に広がる壺の半数が怪異に変ずる。
「あ、ちなみに壺のお魚さんは醜いモノが大嫌いですので、放置しておけばその汚ならしい小者を殺してしまうかもしれません、もしその者の命が大切ならば、どうぞお気をつけて?」
もはや何処から声がするのかも把握出来ない。
「……それでも」
あの
見せて差し上げます。
「泥の呼吸」
私の闘いが、始まった。