殺さずの剣客、そして人斬りの君   作:沖田愛好家

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最後、アンケートもあるゾ


何のために剣を抜くか

 上覧試合の場として用意されていたのは、本陣奥にある広い庭だった。

 白砂の敷かれたその空間は、普段ならば藩士たちが弓や槍の稽古に使う場所なのだろう。周囲には縁側が巡らされ、その上には旗本の会津藩士たちが整然と座していた。

 

 幕末という時代、諸藩の気風は案外わかりやすく顔に出るものだ。

 自分たちこそが最強と自負している薩摩は傲岸不遜に。政争にて勝利を収め、天下転覆を目論む長州は偏屈な論法者のように。攘夷や尊王の理想に狂う水戸は血気盛んに。

 

 ともすれば、会津の気風は実直といえるのかもしれない。

 

「武士たるものかくあるべし」を律儀に実践し続けた結果、そのまま時代に殉じた藩。後世の史書を知る者から見れば不器用極まる生き様だが、彼らはどこまでも士道にまっすぐだった。

 

 だからこそ、この場に満ちる空気はひどく重く、鋭いのだろう。

 張り詰めた緊張感のただ中、今回の試合に出場しない近藤一派の壬生浪士たちは、手狭な控え幕に陣取っていた。

 

「ふわぁあ……しっかし壮観だねぇ、こいつは」

 

 永倉新八が胡座をかいたまま欠伸を漏らす。

 表では既に、諸藩の供侍たちが慌ただしく行き交っている状況だ。槍の石突が鳴る音。甲高い草履の擦過音。遠くでは、試合場の設営を急ぐ声も聞こえていた。

 

「会津のお歴々がずらーっと並んでやがる。こりゃあ、見せ場の一つやふたつは作らねーとだなぁ」

「とか言って、お前は試合に出ねーがな」

「うっ」

 

 そう鋭くつっこんだのは、隣に腰掛けていた原田だった。

 彼も今回は上覧試合に出場しない組のため、こうして永倉と一緒に控え幕におさまっている。

 手持ち無沙汰でやることがないからなのか、十文字槍の手入れをしながら、くだらなげながらにも永倉の独り言に相槌を入れていた。

 

 そんな原田に「るせ、俺だって最初は出る予定だったっての」と永倉が唇を尖らせて反論すれば、彼らの対面で座っていた近藤が静かに笑った。

 

「まぁまぁ、そう心配することはないさ。たしかに今日の上覧試合は、我々にとって大きな転機になり得る場。下手をすれば、京での立場すら左右しかねないが、彼らなら何とかうまくやってくれる」

「けっ、なら出なくなった俺は、何とかうまくやれそうな奴じゃなかったてことかよ」

「ははは……そう言われると弱いな……」

 

 そう言って、近藤は申し訳なさそうに頭を掻く。

 それを見かねた原田が、永倉の脇腹を小突いた。

 

「ったく、ちげーだろ。すんません、局長。こいつ、自分が出られなくなって拗ねてやがるんですよ」

「あぁ!? 別に拗ねちゃいねーよ!」

 

 もっとも、永倉が不貞腐れるのも、無理はない話だった。

 

 本来なら、斎藤一と立ち合うのは永倉だったのだ。

 実際、会津側へ提出された組み合わせにも、当初はそう記されていた。

 神道無念流の豪剣と、型に嵌まらぬ実戦剣。

 流派も気質も真逆な二人の試合は、壬生浪士組の中でも特に注目されていた組み合わせだった。

 

 それを、ひっくり返したのが先日の芹沢である。

 しかも、よりにもよって、正式な隊士ですらない流れ者の赤衣を、会津上覧試合という晴れ舞台へ半ば無理矢理ねじ込んだのだ。

 

 結果、永倉は試合から外され、代わりに得体の知れない赤衣が斎藤とぶつかることになった。

 自身の活躍の場を奪われた永倉にとっては、面白くないに決まっている。

 

「で、近藤局長。俺を外した張本人はどうしたよ? 今朝も顔を見せなかっただろ」

 

 苛立ち混じりに永倉がそう問えば、近藤は少し困ったように眉根を下げた。

 

「芹沢さんか? あの人なら先に試合場へ行くと仰っていたんだが……たしかに、こちらに来てからも見ていないな」

「まーた、どこぞで酒を引っ掛けてんじゃねぇだろうな?」

「流石にそれはないだろう。芹沢さんだって、この上覧試合の重要性は理解しているとも」

 

 呑気な返しをする近藤に、永倉と原田は溜息をつく。

 この鷹揚さが近藤勇の器であり魅力でもあるのだが、現状の危うさを前にしては、いささか危機感に欠けると言わざるを得ない。

 

 京都守護職の本陣という、一歩間違えれば不敬罪で首が飛びかねない最高水準の警戒区域。そこで単独行動を取るもう一人の頭領の存在は、いつ破裂してもおかしくない不発弾を抱え込んでいるに等しかった。

 

「早めなんとかしたほうがいいですよ、局長。会津中将様への謁見すら袖にして、ただでさえ俺たちの心象を悪くしてるってのに」

「だがなぁ、原田君……芹沢さんには芹沢さんの考えがあるやもしれんし……」

「それが、甘ぇって言ってんだよ、俺たちは。同じ浪士組になった以上、俺たちは対等。筆頭局長だが元天狗党だか知らねーが、好き勝手させすぎなんだよ」

 

 原田や永倉の不満は、もっともだった。

 

 芹沢鴨という男は、あまりにも危うい。

 その一挙手一投足が、そのまま壬生浪士組という集団の値踏みに直結する。

 今この瞬間も、会津藩士たちは白砂の庭のあちこちから、こちらを観察しているのだ。

 

 剣の腕、礼節、統率力、忠誠心……なにより、どこまで制御可能な集団なのか。

 

 京都守護職預かり――その肩書きは、一見すれば後ろ盾を得たようにも見える。

 だが実態は違う。

 それは、会津という巨大な武家組織の管理下に置かれたということでもあった。

 

 使えるなら使う。役に立たぬなら切る。ただ、それだけ。

 まして会津は、幕府でも指折りの実務派である。

 情や義理を重んじる一方で、必要とあらば非情な判断も躊躇わない。

 壬生浪士組が京で重宝されているのも、結局は便利だからに過ぎないのだ。

 

 ゆえに。

 もし芹沢が、この公式の場で致命的な不始末をしでかせば――。

 

 その瞬間、切り捨てられるのは、芹沢一人では済まないだろう。

 近藤も、それを支持する試衛館組も、壬生浪士組という看板そのものが、危険物として処分されかねなかった。

 

 京に上ってからというもの、彼らは常に綱渡りである。

 昨日まで笑っていた浪士が、翌日には辻で死体になっているかもしれない。昨日まで肩を組んでいた志士同士が、次の日には斬り合っているかもしれない。

 この街では、人の命も立場も驚くほど軽い。

 

 ほんの少し……本当にほんの少し、歯車が噛み違うだけで、現状など容易く地獄へ転がり落ちる。

 そういったことを、浪士組の誰もが薄々理解していた。

 

(皆のためにも、俺がしっかりとしないとな……)

 

 そんな風に近藤が思っていると、だ。

 まるでそれを嘲笑うかのように、その男は幕内へと入ってきた。

 

「ほう? 誰を好き勝手させないんだね」

「芹沢さん……」

 

 近藤が入ってきた主を見れば、そこには件の男、芹沢鴨が立っていた。

 

 それと同時に漂う、近づかずとも分かる酒気を帯びた強烈な臭い。だが、その足取りには酔漢特有の乱れが一切なかった。

 

 ふらついてもいなければ、視線も濁ってはいない。

 彼は悠々と幕内へ入り込み、そのまま上座も気にせず腰を下ろす。その一連の動作を見ていた永倉が、眉間に縦皺を畳んだ。

 

「なぁ、芹沢の旦那……あんた、まさか本当に酒をひっかけてきたんじゃねぇだろうな?」

「なぁに、軽くだよ、永倉君。この程度、さしたる問題にもなりはすまい。それよりも、今夜は君もともにどうかな? 君が気に入っていた芸妓のところにでも行こうと思うんだが」

「……まぁ、あんたの奢りってんなら断る理由もねぇが」

 

 永倉がそう言えば、十文字槍を片そうとしていた原田がぼそりと呟く。

 

「さっきまであんだけキレてた奴とは思えねぇ切り替えの速さだな、おい……」

「あぁん!? るせぇな! お座敷遊びとあれとは話が別だ、別!」

 

 そう言って、ぎゃあぎゃあと罵り合う2人を見て、近藤は苦笑する。

 

 まぁもっとも、原田が呆れてしまったのも無理はないだろう。

 つい先ほどまで、「勝手に試合を弄りやがって」「俺を外しやがって」と散々に毒づいていた男が、酒と女の話になった途端、けろっと相手の誘いを受けたのだ。端から見れば、女や金で釣られた男にしか見えない。

 

 だが、永倉新八という男は元来そういう性質だった。

 

 気に食わないことがあれば盛大に噛みつく。

 だが一方で、それだけで目くじらを立て、相手を嫌悪することまではしない。

 要は切り替えが早く、物事を一緒くたにして考えないのだ。

 

 そして芹沢鴨もまた、そういう人間を転がすのが上手かった。

 酒を飲ませ、女を紹介し、豪快に笑う。

 永倉のような気性の剣客にとって、芹沢は腹の立つ部分も含めて嫌いきれない兄貴分なのである。

 

「まぁ、そう噛みついてやるな原田君。永倉君のそういう分かりやすいところを、私は買っているのだよ」

 

 芹沢がくつくつと喉を鳴らせば、当の永倉が「うるせぇ」と吐き捨てる。

 その様子をひとしきり愉しんだあと、芹沢は不意に鉄扇を揺らした。

 

「――さて。松平容保公への謁見は無事終わったかね?」

 

 その口調は、妙に軽かった。

 まるで、自分が会津中将への謁見をすっぽかした張本人であることなど、歯牙にもかけていない様子にも見える。

 

 普通なら有り得ないことだ。

 当の松平容保が、芹沢が不在のことに何も言及をしなかったら問題にはなり得なかったが。ただの浪人風情が、大名を袖にするなどあってはならぬこと。

 それだけで首が飛んでもおかしくない無礼だった。

 

 だからこそ永倉の隣に腰をかけなおした原田は、わざと嫌味混じりに返す。

 

「近藤局長は、ちゃんと相手方に敬意を払って挨拶しましたよ。酔っ払いのあんたとは違ってね」

 

 だが芹沢は、さも愉快そうに笑った。

 

「それは僥倖。しかし、私の苦悩も理解してほしいものだなぁ。私としては、あそこで殊勝に頭を下げていては、あちらも我らを測れまいと思っての行動だよ」

「はぁ?」

 

 何をわけのわからないことを、と原田が眉をひそめる。

 すると芹沢は、閉じた鉄扇の先で己の肩を軽く叩きながら、愉しげに目を細めて続けた。

 

「いやはや、実に愉快な話だとは思わんかね。桜田門外以来、尊攘かぶれの不逞浪士どもが京を荒らし回っておるというのに、会津のお歴々は未だ誠忠だの礼節だのと、盲目的に幕府に付き従っている。その最たる例が、このようなお遊戯会だ」

「……」

「我らの腕前を見極めたいというのであれば、もっと他に試しようもあろうに。わざわざ白砂の庭で木刀遊びとは、実に雅なことだよ。そこらの長州浪士でも斬ってこいと言われた方が、まだ話が早い」

 

 そこまで聞いた近藤が低く言った。

 

「芹沢さん……ここでそのような物言いは」

 

 だが、芹沢は笑う。

 そのまま視線だけは、家老中老が並ぶ縁側の会津藩士たちへと流された。

 

「なぁに、事実だろう? 洛中が燃えかけている時に、幕府の忠臣であるはずの会津が、我ら浪士風情を使わねばならんほど人手不足だ。違うか?」

「それは……」

「ならば聞こうか、近藤」

 

 芹沢の濁った瞳が、すっと近藤へ向く。

 

「お前は何のために剣を抜く?」

 

 その声色が、不意に変わった。酒焼けした乱暴な声ではない。

 

 幕内の空気が、ぴたりと止まる。

 芹沢の一言で、永倉ですら口を閉ざし、原田もまた、無意識に沈黙を選んでいた。

 

 ――なんだ、この問いは。

 

 最初は、忠義を問うているのかと思った。

 会津に仕える覚悟があるのか。

 幕府のために命を捨てられるのか。

 だが、どうにもそれだけではない。

 

 攘夷か佐幕か――そんな立場の話ですらない。もっと別の何かが含まれた問いかけ。

 

 まるで、刀の刃先で相手の喉元をなぞるように、芹沢鴨という男は今、近藤勇という人間の芯を確かめようとしている。

 

 近藤はしばらく沈黙し――やがて、ゆっくりと口を開いた。

 

「……会津公には、京を守ろうという御志がおありです」

「ほう、では会津こそが、この動乱を終わらせる光になると? お前は、そのために己の刀を振るうと?」

「……いえ。そこはまだ、私ごときが断言できることではありますまい」

 

 近藤は静かに首を振った。

 

「私の頭では、この動乱を終わらせる術など思いつきもしません。尊王も攘夷も、開国も佐幕も……皆、それぞれに命を懸けるだけの理があるのでしょう」

 

 そこで一度言葉を切る。

 その横顔を、傍らに控えた原田は覗き込みながら、小さく目を伏せた。

 

 近藤勇という男は、昔からこうだった。

 

 理屈で世を斬れる男ではない。時勢の風を読む才に長けているわけでもない。

 武州の百姓の生まれ。学も決して高くはなかった。

 

 だが――それでも、この男の周りには自然と人が集まった。

 なぜならこの男は、自分が信じた相手を、最後まで裏切らないから。それだけは、世界の誰よりも愚直な男だったからだ。

 

「しかし――だからこそ、我々は誰に刀を預けるかを違えてはならないのだと、私は思っています」

 

 近藤の視線が、まっすぐに芹沢鴨を射抜く。

 

「会津藩は、幕府のために命を賭ける覚悟を持っておられる。京を守るため、火中に飛び込む覚悟を」

「……」

「我々もまた、命懸けで京へ来た身です。ならば、その覚悟に応えるのが武士というものではありませんか」

 

 静かな、しかし五臓六腑に染み渡るような声だった。

 

 決して、上手い言い回しではない。理路整然とした大義名分でもない。

 それでも、聴く者を強引に納得させてしまう響きが、確かにそこにはあった。

 

「ふん……」

 

 腕を組んだ永倉が、小さく鼻を鳴らす。

 

 近藤勇とは、そういう男だ。この男のためなら、泥を啜って死んでも構わないと思ってしまう。

 理屈ではない。損得でもない。

 ただ、「この男が行くなら、俺も行くか」と思わせてしまう、理外の引力を持ち合わせている。

 だからこそ試衛館の面々は、気づけばこの男の背中を追って、ここまで来てしまった。

 

 江戸の平穏を捨て。

 慣れ親しんだ道場を捨て。

 ただ一振りの刀と、己の命だけを引っ提げて、ここまで着いてきた。

 

「……」

「……」

 

 しばしの沈黙が、張り詰めた幕舎の空気を支配した。

 芹沢は微動だにせず、ただ近藤をじっと見据えている。その瞳の奥にあるのは、冷徹な観察か、あるいは――。

 

「く、くく……」

 

 やがて、芹沢の喉から、低く掠れた笑い声が漏れた。

 その音は徐々に大きくなり、太い失笑へと切り変わる。

 

「なるほどなぁ。いやはや、なるほど、なるほど」

 

 その笑みは、どこか奇妙だった。

 呆れたようでもあり、愉快そうでもあり――ほんの僅かに、安堵しているようにも見えた。

 

「安心したよ、近藤。お前はまだ、この世の本質を何も見れてはいないらしい」

 

 その言葉に、原田の眉がぴくりと跳ね上がった。

 だが芹沢は、それ以上は何も語ろうとはせず、どさりと不躾に立ち上がれば、長い羽織を翻し幕の外へ消えていく。

 

 残されたのは、重苦しい静寂のみ。

 しばらく誰も喋らなかったが、やがて永倉がこの空気感に堪えられなかったのだろう。わざとらしく大きく息を吐き出した。

 

「はぁ……なんつーかよ。難しい話はこれっぽっちも分からねぇんだが……さっきの言葉。俺にはなかなかに熱かったぜ、近藤さん」

「そうか……。はは、永倉君にそう言ってもらえると、いささか胸がすく思いだな」

 

 そう言って頭を掻きながら笑い合う二人。

 しかし、その歓談の輪から一歩引いたところで、原田だけは芹沢が去った幕を、じっと見つめていた。

 

 

 

 

 

 

― 壱 ―

 

 

 白砂の試合場。その脇には、風除けと目隠しを兼ねた幕が張られていた。

 簡易に設えられた舞台袖――といった風情だろうか。

 布越しには、庭へ集まり始めた会津藩士たちのざわめきが絶えず響いていた。

 

 そんな空気とは裏腹に、幕内の壬生浪士たちは妙に普段通りである。会津側の気遣いなのか、舞台袖には茶と簡単な茶菓子まで運び込まれており、沖田などは早速団子へ手を伸ばし「お、これ美味しいですね」などと言いながら、もぐもぐと頬張っていた。

 

 そんな緊張感を毛ほども感じさせない者もいれば、その隣では、明らかに落ち着かない様子な者もいる。

 藤堂平助だ。

 彼は膝へ置いた木刀の位置を直し、袴を払い、また木刀を持ち直すという動作を繰り返していた。先鋒を任されている以上、緊張するなという方が無理なのだろう。

 

 そして、そんな二人ともまた別方向で、居心地悪そうに立っている男がいた。

 

「……何故だろう、すごく見られている気がするでござる……」

 

 赤衣の男はの頬をかきながら、ほそぼそと呟いた。

 

 というのも、幕の端に控えている会津藩士たちが、先ほどからちらちらとこちらを見ているのだ。

 しかもその視線は明らかに、無遠慮に団子を頬張る沖田や、終始落ち着かない様子の藤堂へ向けられたものではない。

 

 土方から着流しを借り受けたおかげで、見た目だけなら多少まともになったはずの赤衣へ、妙に視線が注がれていた。

 

 藤堂は、そんな自身の緊張を高める一端の男へ、嫌味のように口を開く。

 

「別に気のせいじゃないからな。会津中将様の前で、あんな大見得切ったんだ。そりゃ藩士たちから睨まれもするさ」

 

 松平容保直々に名を聞かれた男。

 それだけでも話題性は抜群だというのに、あまつさえ、その名乗りを丁重に断ったのだ。

 松平を殿として慕う会津藩士たちからしてみれば、赤衣のとった行動は、まさに驚天動地。信じられないものであった。

 

「某、そこまで悪いことをした覚えはないのだが……」

「あるんだよ、自覚ないだけで」

 

 げんなりとした顔で言う赤衣へ藤堂がすっぱりと言いのければ、横から団子を持った沖田が近付いてきた。

 

「はむ、もぐ……それにしても妙ですよねぇ。なんでこのお馬鹿さんだけ名を聞かれたんでしょう? たしかに一人だけ浮ついてはいましたけど」

「某より、沖田殿のほうが浮かれていたでござるよ?」

「やだなー、そんなわけないじゃないですか。沖田さんがいつ浮かれていたって言うんですか。ねぇ、平助?」

 

 そう問われた藤堂は、いや、お前も十分物見遊山だったよ――と半眼で内心思った。

 先ほど庭池の錦鯉を眺めながら、『あれは脂が乗ってそうでござるな』『鯉こくとか美味しいんですかねぇ』などと真顔で語り合っていた片割れが、浮かれていないわけがない。

 

 なんなら、赤衣の『鯉は刺身でもいけるのでござろうか』という発言に対し、『いやー、川魚は寄生虫が怖いですからねぇ』などと、妙に現実的な返答までしていたほどである。

 コイツらは一体何をしに来たんだろうか、そう思わせるような会話だった。

 

「……まぁ、今はそんなことどうだっていいさ」

 

 藤堂はそう頭を切り替えて、膝の上の木刀を握り直す。

 先ほどから何度繰り返したかも分からない動作だった。

 

「御上の考えることなんて、いくら思案したところで僕たちには分からないんだ……今は目の前の試合に集中するよ。相手はあの土方さんだし」

「あまり気負いすぎては、いざというとき力が出んよ? もう少し肩の力を抜いたほうが――」

「なーに言ってるんです。土方さんなんてへっぽこですよ、へっぽこ。私なんていつも道場で転がしてあげてますからね」

 

 そう言って、余裕余裕と笑う女を見て、藤堂は「それはお前の剣がおかしいだけだ」と言いたげにじっと睨んだ。

 しかし、高すぎる剣才の前では、そんなもの嫌味にすらならない。

 藤堂は小さく溜息をつくと、赤衣へ視線を向けた。

 

「はぁ……正直、僕なんかよりお前は自分の心配をしたほうがいいと思うよ」

「?」

 

 本気で意味が分かっていない顔である。

 藤堂は、そんな赤衣に呆れ混じりに続ける。

 

「芹沢さんが何を企んでるのか知らないけど、相手はあの斎藤さんだ。そこの沖田何某の剣は、とうに理解を諦めたから比較にはしないけど――「なんですかそれぇ!?」うるさい、最後まで聞けって」

 

 藤堂はぴしゃりと遮った。

 

「とにかく、そこの沖田君とは比べはしないが、僕はあの人以上に剣の扱いがうまい人を見たことがない」

 

 その声音に冗談はなかった。

 

 試衛館には、強い剣士が山ほどいる。

 

 槍の名手として名高い原田左之助。

 剣を握って数日で道場主を打ち倒した沖田総司。

 百姓の出でありながら、素手同然で賊を叩き伏せた近藤勇。

 弱冠にして神道無念流の本目録を授かり、心形刀流の師範代も務めた永倉新八。

 そして、近隣道場へ喧嘩同然の武者修行を仕掛けては、片っ端から叩き潰していた土方歳三。

 

 誰も彼もが、一騎当千の化け物じみた連中だった。

 

 その中にいると、嫌でも思い知らされる。自分は凡人なのだと。

 剣才も、膂力も、胆力も。

 きっと、逆立ちしたって敵いはしない。

 

 だが、そんな猛者ばかりの試衛館の中でなお――藤堂から見て斎藤一という男だけは、どこか異質だった。

 

 強い、ではない――うまいのだ。

 

 無駄がなく、隙がない。

 気づけば、喉元へ刃が届いている。

 そんな、まるで人を斬るという行為そのものに最適化されたみたいな剣。

 だからこそ藤堂は、斎藤と立ち合う時だけは、いつも背筋が冷えた。

 

「……」

 

 ふと、そう語り終えた藤堂を見て、赤衣の男が黙り込んでいることに気がくつく。

 怪訝に思った藤堂は、伺うように赤衣を見た。

 

「? なんだよ、いきなり黙りこくって」

「いや……少し驚いたでござる」

「は?」

 

 藤堂がそう返せば、赤衣はまじまじと藤堂の顔を見つめていた。

 まるで、道端の石ころが突然喋り出したのを見たような、面妖な面持ちである。

 

 しかしすぐさま、ふっと、どこか嬉しそうに目を細めた。

 

「まさか、藤堂殿から、某を心配する言葉を聞けるとは、思わなかったでござるよ」

 

 その率直な言葉は、予想外の角度から藤堂の胸の奥を突いた。

 普段はどこか一線を引いているはずの男が浮かべた、あまりにも無防備で、温かい笑み。

 そんな顔をされるほど大層なことを言ったつもりはなく、急に気恥ずかしさが込み上げてくる。

 向けられた好意の純粋さにどう応えていいか分からず、藤堂は居心地悪そうに視線を泳がせた。

 

「っ、悪かったな。僕なんかの言葉じゃ、不安をあおるだけだろうけど……」

「いや、そんなことはない」

 

 赤衣は、そうして首を横に振る。

 

「某は十分、勇気づけられたでござるよ。ありがとう、藤堂殿」

 

 真正面から、あまりにも真っ直ぐに紡がれた謝意。

 皮肉も、からかいも、一切ない。ただただ純粋に、心の底から感謝している声音だった。

 だからこそ、免疫のない藤堂には余計に効いた。ぶわっと耳の裏まで熱くなるのを誤魔化すように、藤堂は勢いよく視線を逸らす。

 

「〜〜〜っ、なんでそんな小っ恥ずかしいお礼が言えるんだよ、お前っ。おかしいぞ!?」

 

 両手で顔を覆わんばかりにして叫ぶ藤堂。

 すると、その様子を特等席で眺めていた沖田が、いかにも面白そうに首を傾げて口を挟んだ。

 

「あれー? なんだか顔が真っ赤ですね、平助」

「う、うるさい!」

 

 藤堂は反射的に怒鳴り返す。

 

「だいたい、僕は芹沢一派であるコイツがどうなろうと、どうでもよくて……! ただ……そう、ただ単に、都合のいい賄方を失くすのはうちの台所事情として惜しいって、そう思っただけで……!」

「うんうん、そうですねー」

「まともに聞く気がないだろ、お前!?」

 

 藤堂はこれ以上ないほど勢いよくそっぽを向いた。

 そして。

 

「そういう無神経で、人の心を土足で踏みにじるようなところ、ほんっと新八さんそっくりだな!」

「――――」

 

 ピキ、と空間の温度が、一瞬で氷点下まで吹き飛んだ。

 何の音か、と思い見てみれば、さっきまでヘラヘラと笑っていた沖田の動きが完全に停止している。

 

 まるで、「今、何て言いました?」とでも言いたげに。

 次の瞬間、彼女の愛らしい瞳から光が消え、すっと据わった。

 

「……平助。今すぐその不名誉極まりない発言を撤回してください」

「は?」

「私が、あの永倉さんと、そっくり……? 冗談でも笑えませんね。侮辱罪で斬られても文句は言えませんよ、今の」

「いや、そこまで真顔でキレるほどか!?」

 

 沖田から放たれる、本物の威圧感に藤堂が戦慄する。

 しかも、追い打ちをかけるように、隣の赤衣の男まで、何故かお通夜のような深刻さで深く深く頷いていた。

 

「藤堂殿。いくら冗談でも、今のは流石に業が深すぎるでござるよ。永倉殿に似ているなど、女子(おなご)に対する最大級の罵倒でござる……」

「お前たちにとって永倉さんって、どんな人なんだよ!?」

「がむしゃらと言えば何でも許されると思っている人」

「『明日には百倍になって返す』と言い、屯所の台所費にまで手を付けようとする御仁でござる」

「ただのダメ人間じゃないか……!?」

 

 そう藤堂が思わず叫んだ、その時である。

 

 ごぉん、ごぉん――と試合開始を知らせる鐘が、庭中へ響き渡った。

 

 その瞬間、藤堂の肩がびくりと跳ねる。

 無意識の反応だった。

 一気に押し寄せてきた緊張を誤魔化すように、彼は慌てて木刀を強く握り直し、ついさっき締め直したばかりの草履紐へと、再び焦ったように手を伸ばす。

 

「あー、くそっ……! 大事な試合前だってのに、調子狂うな……!」

 

 指先がわずかに震えている。

 平常心を保つため、ずっと同じ動作を繰り返し心を落ち着かせようとしていたのに、この馬鹿2人のせいで、それもいつの間にか止めてしまっていた。

 

 どうにか、どうにかして、心を鎮めなければ。

 

 激しくなる鼓動の音が、耳の奥でうるさいほどに鳴り響く。

 この試合で無様な結果を出せば、自分はここにいられなくなる――誰にそんなことを言われたわけでもない。だが、天才たちの集うこの場所で、若く、拠るべき実績のない自分という存在の軽さが、底なしの焦燥感となって藤堂の胸中に積もっていた。

 

 ゆえに、彼は必死だった。

 恥をかかないため。無様を晒さないため。

 ここにいていいのだと、自分を必要だと思ってもらうために――この一本で示す必要がある。

 

 思考の泥沼に沈み、呼吸は浅くなり、やがて自分が何をしようとしていたのかもわからなくなり出した時。

 藤堂の背中に、不意にぽん、と手が置かれた

 

「肩の力を抜くでござるよ、藤堂殿」

 

 振り返ってみれば、そこには赤衣が柔らかく笑っている顔があった。

 

「試合の結果がどうあろうと、お主はお主の剣を振るえばいい。他人の目など気にする必要はござらん。最後まで、己が信じた剣で戦ってくればいいでござるよ」

「そうですよ、平助。仮にあなたが不甲斐ない試合をして負けちゃったとしても、私と山南さんでばっちり盛り上げてあげますから。そんな雑念を抱えて斬り合う方が、よっぽど危険ですよ?」

 

 いつの間にか悪戯っぽい少女の笑みに戻った沖田が、腰に下げた木刀の柄をトントンと叩きながら、藤堂を見据えていた。

 

 からかうような口振りの中に隠された、彼女なりの、不器用で温かい気遣い。

 孤独な戦いだと思い込んでいたのは自分だけで、振り返れば、いつだってここには信じてくれる仲間がいた。

 

 その事実を認識し、藤堂は一瞬だけ視線を落とすと、それから、胸の奥に溜まっていた熱い重りを吐き出すように、ふっと小さく息を吐いた。

 じわりと手に汗が滲む。けれど、握り直した木刀の柄は、さっきよりもずっと頑丈にその掌へと馴染んでいた。

 

「……変わったな、お前」

「そうです? とくに背は伸びてませんけど」

「そういう意味じゃないさ」

 

 藤堂は少しだけ目を細め、目の前の天才剣士を見つめた。

 

「京に来る前……いや、試衛館にいた頃よりかな。前よりちゃんと、笑うようになった気がする」

「……? 私は昔から笑ってましたけど」

「そうか。なら僕の気のせいかもな」

 

 それだけ言って、藤堂は力強く立ち上がる。

 本人に自覚がないのであれば、他人がこれ以上、無粋に言及する必要もない。彼女が「変わっていない」と言うのであれば、きっとそうなのだろう。

 

 藤堂はそう思いながら、しかし着実に変化を遂げている沖田と――彼女の頑なな心をそんな風に融かしていっている、隣の赤衣の男へと視線を配った。

 

「(いいこと、なんだろうな。きっと……)じゃあ――行ってくる」

「頑張るでござるよ」

「土方さんの弱点は金的ですからねー。思いっきり蹴り上げるんですよー」

 

 微笑みながら静かにエールを送る赤衣と、剣士として最低の戦術を真顔で推奨する沖田。

 

 呆れ果てて、けれど可笑しくてたまらない二人に背を向けながら、藤堂は幕をくぐり、眩い日差しの降り注ぐ白砂の試合場へと足を踏み出した。

 じりじりと肌を焼く陽光。縁側にずらりと並ぶ会津藩士たちの硬質な視線。

 その最奥には、神格すら帯びた威容で鎮座する主君、松平容保の姿もある。

 

 そして――正面。

 白砂を踏みしめ、木刀を無造作に携えて立つのは、壬生浪士組副長・土方歳三。

 

 対峙した瞬間、肌が粟立つような鋭い殺気が藤堂を襲う。

 だが、藤堂の心は決して怯えていなかった。

 

 むしろ、不思議なほどに凪いでいる。

 

(……これも、あの馬鹿たちのお陰かな)

 

 口元に自然と不敵な笑みが浮かぶ。藤堂に迷いはなく、己の木刀を真っ直ぐに構えた。

 それを見た土方の双眸が、鋭く細められる。ふっと、鬼の唇が、満足そうに吊り上がった。

 

(行きますよ、副長)

(全力で来い。真っ向から叩き切ってやる)

 

 もはや言葉など要らぬ。

 互いの目を見つめ、互いの鋒を向け合って、ただそれだけで理解できる。

 

(あぁ……なんでだろうな)

 

 ――やっぱり、思ったより緊張していないみたいだ。

 

 ただ、己のすべてをこの一振りに乗せてぶつける歓喜だけが、今、藤堂平助の全身を熱く支配していた。




皆さん感想や評価ありがとうー。モチベーションになっております。

さて、長い、一話が長過ぎる。
前から思っていたけど、もうちょいエピソードを削ろうかしら?どうかしら?そうすれば、投稿スピードもあがるしね!

なーんて思いながら書いていた今日この頃。

そんなことより、この小説の藤堂君、めちゃくちゃカドックに見えてくるのは私だけですか?
書いていて、あれ今私ってカドックを書いてるんだっけ、と思うときが時々あった。危ない、そっちに引っ張られないようにはしていたけど、引っ張られているかもしれない。 

まぁ、そんな話は置いておくとしてー、今回も適当にちょこっと豆知識。
あとアンケートもアルゾ★

ちょこっと豆知識
近藤勇がまだ「宮川勝太」と名乗っていた15歳の頃、留守中の実家に強盗が押し入ったことがありました。
近藤の兄は、腕試しといってすぐに斬りかかろうとしましたが、近藤は「賊は入ったばかりのときは気が立っているが、物を盗って逃げる時は気が緩む」と冷静に制止し、賊がめぼしいものをひとまとめにして逃げ出すときに兄と共に飛び出し、見事に強盗を撃退したという逸話があります。
この見事な対応が、のちに天然理心流の三代目・近藤周助の目に留まるきっかけとなり、養子にされるきっかけになったんだとか。

この人のエピソードが見たいって人います? という名の登場人物優先権

  • 近藤勇
  • 土方歳三
  • 山南敬助
  • 沖田総司
  • 永倉新八
  • 原田左之助
  • 斎藤一
  • 藤堂平助
  • 芹沢鴨
  • その他(FGO未登場の壬生浪士組)
  • 高杉晋作
  • 坂本龍馬
  • 武市半平太
  • 勝海舟
  • 人斬り彦斎
  • 人斬り新兵衛
  • 人斬り以蔵
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