殺さずの剣客、そして人斬りの君   作:ただの物書き

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二人で飲みに行きませんか

 ――夕刻。

 新調された羽織や、赤衣の描いた絵を巡る大騒ぎもようやく落ち着いた頃。八木邸のあちこちからは、これから始まる祝いの席を待ちきれない隊士たちの浮き立った声が聞こえ始めていた。

 

 今日の浪士組は、珍しく明るい。

 先だっての上覧試合以来、芹沢一派と近藤一派の間には刺々しい軋轢が続いていた。

 しかし、芹沢の粋な計らいもあったせいか、今夜ばかりは誰もがその鬱屈を忘れて浮き足立っている。それというのも、今夜は隊服の完成を祝して、近藤の奢りで花街へ繰り出すことになっていたからだ。

 

 もっとも。そんな喧騒から少し離れた静かな中庭で、ひとり洗濯物を畳む男には、あまり関係のない騒ぎのようだが。

 

 白い手拭いの端を綺麗に揃え、洗い立ての隊士たちの着物を丁寧に重ねては、手際よく籠へと移していく。

 どれほど、めでたい祝いの日であろうと、やっていることはいつもと変わらない。まるで、どこかの実家にでも仕える実直な奉公人の佇まいだった。

 

「あ、いたいた」

「ん?」

 

 しゃがみ込んで作業を続ける赤衣の背に、鈴を転がしたような軽やかな声が降ってくる。

 振り返れば、縁側からこちらへ向かって、沖田がトントンと小気味よい足音を立てて歩いてくるところだった。

 

「もー、なーにしてるんですか。皆さん、行っちゃいますよ?」

 

 呆れたように言いながらも、その声音にはどこか楽しげな響きが混じっている。

 沖田も例に漏れず、今の浪士組を包む祝い一色の空気に、心地よく当てられているのかもしれない。

 

 けれど、その華やかな熱気についていけていない男は、気まずそうに頭を掻いた。

 

「あー、そのことだが……すまぬ、沖田殿。今回、某は遠慮しておくでござるよ」

 

 よっこらせ、と洗濯物の入った籠を縁側にあげる赤衣。

 それは、予想外の返答だったのだろう。

 沖田はぱちぱちと丸い目を瞬かせた。

 

「え? 行かないんです?」

「昔から、そういう場所は少々苦手で……皆で楽しんでくるでござるよ」

「近藤さんの奢りですよ? タダ酒ですよ?」

「浪士組の隊士でもない某が、馳走になるのはますます申し訳が立たぬよ」

 

 赤衣はそう言って、白い襷をはずした。

 その言葉に、変なところで殊勝ですねー、と沖田は呟く。

 

「島原なら、綺麗な女の人だっていっぱいいるって聞くのに」

「んー……それも苦手な要因のひとつ故、あまり気乗りせんのだが……」

「女性の人が苦手だったりしてましたっけ?」

「いや、そういうわけでもござらんが」

 

 女性自体は苦手としないが、遊女や芸妓のような見目麗しい相手には萎縮する。

 

 なるほど、なるほど。

 

「つまり、あれですね――」

 

 と、その答えを聞いた瞬間、沖田の目が、すうっと意地の悪そうな三日月型に細くなった。

 

「沖田さんは綺麗じゃないから、今も普通に話せている、というわけですか」

「そうそう、沖田殿とは気楽でいい――って」

 

 そこで己の失言に気が付いた赤衣は、「むむむむむむ!」と凄まじい勢いで首を横に振った。

 もはや何かの剣術の型かと思うほどの風切り音が聞こえそうな速度である。

 

 実際のところ、沖田総司という少女は、客観的に見ても十分に可憐で整った容姿の持ち主である。当然、赤衣とて男の端くれであり、その事実を否定するつもりなど毛頭ない。

 だからこそ、不用意に墓穴を掘ってしまった己の失言に、余計に焦っているのだ。必死にまともな言い訳を探そうとするあまり、挙動不審な手振りが虚空を虚しく泳ぐ。

 

 そんな彼のあまりに余裕のない狼狽ぶりに、沖田はしばらく目を丸くしていたが――やがて、ついに堪えきれず吹き出した。

 

「あははは! 冗談ですよ、冗談! なぁに、焦ってるんです?」

「ひ、人が悪いでござるよぉ……!」

「はぁー、おっかしい。あなたがそういう場所が苦手な人くらい、私じゃなくても、少し一緒にいれば分かりますって」

 

 沖田はくすくすと肩を揺らし、なおも大袈裟に胸を撫で下ろす男を、楽しげな細目で眺める。

 

 なぜ、花街を苦手としているのかは知らないが、それでも赤衣がその場所と不釣り合いなのは分かる。ここに来てからというもの、一度も芹沢の酒宴に供をしたことがないのが、よい証拠だろう。

 

 騒がしいのが苦手、というわけでもないはずだ。

 そもそも、騒がしいのが苦手なのであれば、近所の子供たちと一緒に遊んだりもしない。

 

 であれば、酒が苦手か、もしくは島原自体になにか良くない思い出でもあるのか……。

 どちらもしっくりとはこないものの、まぁ、どうでもいいか、と沖田は己の思考を投げ出した。

 

「それに、あれだけ否定されるのも、悪くない気分ですし……」

「何か言ったでござるか?」

「いえいえ、なんでもありませんよ! なんでも!」

「?」

 

 沖田は、実におかしそうに声を弾ませる。

  

「じゃあ、本当にお留守番なんですか?」

「まぁ、そのつもりでござるな」

「夕餉も、ひとりで? 寂しくないです?」

「台所の余り物もあるし、ひとりで食べるのは慣れてるでござるよ」

 

 洗濯物を奥の座敷に運ぼうとする赤衣の背について行きながら、沖田は思案げに視線を彷徨わせた。

 

「へー、そーですか……」

 

 赤衣は、沖田の思いもよらない反応に、内心首を傾げる。

 普段の彼女であれば、「それじゃ、沖田さんたちだけで楽しんできますねー!」と快活に笑みを浮かべ、言い放ってきそうなものを。

 

 しかし、そんな赤衣の怪訝など知ったことかと言わんばかりに、沖田はゆっくりと、こちらに顔を上げた。

 

「だったら私と飲みに行きませんか?」

 

 あまりに唐突で予想外な提案に、赤衣は今度こそ完全に思考が停止し、立ち止まって振り返った。

 

「某と?」

「はい」

「沖田殿で?」

「はい! ……というか、あなた以外に誰がいるんです?」

 

 あまりにも当たり前のように聞き返してくるので、一瞬、沖田は自分がおかしなことを聞いたのかと思ったほどだった。

 

 沖田は、しらーっと目を細めている。

 だが、当の赤衣と言えば、本当に沖田からの誘いが信じられなかったのか、間抜けに瞬きを繰り返していた。

 

 たしかに、多少は強引ではあったかもしれない。

 が、ここまで馬鹿正直に、しかも二度も聞き返されると、沖田としても思うところがある。

 

「なんです? もしかして、嫌なんですー?」

「いや、お誘いは嬉しいのだが……沖田殿は浪士組の皆と祝わなくていいのでござるか?」

 

 とどめとして、赤衣がそう申し訳なさそうに尋ねてきたため、沖田は「はぁ」と小さくため息をついた。

 

「いいんですよー、別に。どーせ花街なんて行っても、性別上、女である私は、近藤さんたちと違って楽しめそうにありませんし」

 

 沖田は完全に平時の温度に戻った手つきで、ひらひらと手を振る。そして、いつものように少しだけ悪戯っぽく、ニッと笑ってみせた。

 

「それなら、あなたと二人でどこかに行くほうが、よっぽど楽しそうじゃないですか!」

 

 だから、行きましょうよー! ねー!」と子供のように強請る沖田を見て、赤衣はふと思う。

 

 自分と酒を飲んで何が楽しいのか。

 他に、沖田には狙いがあるのでは無いだろうか、と。

 

 その邪推は、彼女の心根を知るものであれば、見当違いも甚だしい曲解であるのだが、残念なことに、ここにはそれを指摘する者はいない。

  

 ゆえに、赤衣の勘違いは誰に矯正されるわけでもなく、あらぬ方向へと進む。

 さっきの失言に対する科料代わりに、高い酒楼へ連れて行かれて身ぐるみ毟り取られるのではないか――。

 そう勝手に妄想を膨らませた男は、再度、誤った選択をしてしまうのだった。

 

「某、いうほど金銭は持ち合わせておらんよ?」

「………………はぁ?」

 

 カラスの鳴き声が木霊する、夕暮れ時のことである。

 沖田の冷え切った疑問符が、八木邸に転がった。

 

 

 

 

 

 

 

 ― 壱 ―

 

 

 そんな二人の会話も終わった辺りの時間帯。

 その後、般若のような形相へと変貌しそうになった沖田を宥め、赤衣は誘いを受けることにした。

 

 ひとまず部屋に戻って着替えを済ませ、沖田の待つ場所へと引き返す。

 先ほどまでの張り詰めた空気はどこへやら、すっかり普段の顔に戻った彼女が、赤衣の姿を認めると同時にひょいと首を傾げた。

 

「いいですね、それ。どこで買ったんです?」

 

 そう言って、身支度を終えて出てきた赤衣の首元を指さし、沖田が言う。

 初夏の季節と言えど、いまだ夜は冷える。

 周期的な気温上昇期にあたる当時代、日中はそれなりの暑さを見せるものの、アスファルトのない時代だ。夜になれば風が心地よく吹き抜け、すぐに肌寒さを感じるほどの気温まで下がることが多かった。

 そのため、防寒対策にと赤衣は、珍しく黒の襟巻きを付けていた。

 

「いや、これは貰い物でござるよ。大阪からの土産を渡した際、八木邸の方々から貰ったでござる」

「へー、やっぱり仲がいいんですね、ここの人と」

「そちらの仲はよろしくないのでござるか?」

前川邸(こっち)には奉公人なんかも含め、私達以外は居ませんからね。食事を八木邸で取ってるのも、貴方が賄い方をやるようになってからの話ですし」

 

 沖田は少しだけ唇を尖らせて言う。

 

 彼らが屯所として借り受けている八木邸と前川邸は、同じ壬生村の郷士の屋敷でありながら、その内部事情は大きく異なっていた

 八木邸には今なお主の源之丞一家や奉公人たちが平然と暮らしており、良くも悪くも芹沢一派と同居している。

 対して、沖田らが寝起きする前川邸は、家族が別の家へ引っ越したため、完全に浪士たちだけの貸し切り状態となっていた。奉公人すら置かないその空間は気楽ではあるものの、常に汗臭さの滲む男社会そのものである。

 

 だからこそ、赤衣がこの屯所にやってきて、食事を一手に引き受けるようになるまで、二つの邸宅の間には、目に見えない心理的な距離があったのだろう。

 何しろ、それまではお互いの邸を行き来する明確な理由も、それを繋ぐ和やかな空気も存在しなかったのだから。

 

 とまぁ、そんな他愛のない会話を交わしつつ、身支度を整えた二人は、人目を避けるようにして屯所の裏手へと回っていた。

 

「それじゃ、行きますか」

「行くのはいいが、何故、わざわざ裏手に?」

「え? そんなの決まってるじゃないですか」

 

 沖田は当然と言わんばかりに、さも重大な秘密を打ち明けるような調子で声を潜めた。

 

「面倒だからですよ」

 

 そう言った沖田の言葉は、なるほど、頷ける。 

 たしかに、これから祝いの席をばっばくれる手前、できるだけ目立たないルートを選ぼうという判断自体は、ごくごく普通のことだろう。

 しかし問題は、彼女の警戒の仕方が、単なる「見つからないようにする」というレベルを遥かに逸脱しているように見えることだ。

 

 前をゆく沖田は、まるで薄氷を踏むかのように深く腰を落とし、過剰なほど左右を見回している。いつもなら、何が起きても動じない不敵な胆をぶら下げているはずの彼女が、今は盗人よろしくな抜き足、差し足、忍び足を忠実に披露し、ただの、すこぶる足腰の据わった不審者のような格好をしていた。

 

 そんな不審者の後ろを、普通に歩いてついて行っていいものか?

 赤衣がそう迷っていると、沖田が振り返る。

 

「なーにしてるんです……! 早く、あなたも来てください。いつ、あの妖怪たちに見つかるやら……!」

「妖怪?」

「ええ。ここには、こういうときに限って、間悪く現れる妖怪がいるんです……! それも、とびきりタチの悪いのが二匹も……!」

 

 真顔で物騒な単語をのたまう少女に、赤衣は思わず引き気味に鸚鵡返しをする。

 だが沖田は冗談を言っている風でもなく、思い出すだけでも忌々しいといった様子で、その眉間に深い縦じわを刻んでいた。

 

 妖怪二匹——日頃の平穏を脅かす彼らの生態を、沖田の脳内において、すでに恐るべき怪異として認定されていた。 

 

 まず、妖怪人攫い。別名を、妖怪がむしんという。

 沖田と赤衣が二人でいるときに限って現れる妖怪で、呪いの言葉を吐く。

 彼が放つ呪いの言葉にはいくつかパターンがあり、よく使われるのは「おう、沖田! 暇なら稽古付き合え!」と「おう、赤衣! 暇なら釣りに付き合え!」の2つ。この言葉を大声で吐かれると、なぜか沖田と赤衣、必ずどちらか一人を強引に連れ去ってしまう、危険な呪いだった。

 

 次に厄介なのが、妖怪当て擦り。別名を、江戸一のへらへら男という。

 いつも掴みどころのない薄笑いを浮かべており、一見すると無害そうだが、こちらの些細な変化をじっと観察しては精神攻撃を仕掛けてくるタチの悪い怪異である。

 彼が好む呪いの言葉は、「最近、赤衣ちゃんとはどうよ?」「へぇ、今日は随分と洒落込んでるじゃない、沖田ちゃん」「避妊はしっかりとな」の3つ。流れるような無形の三連撃で、相手を確実に仕留めてくるのが特徴的だ。

 

 そんな、無遠慮に突っ込んでくる猪と、隙あらば絡みついてくる蛇のような二人に、もし赤衣と二人きりで屯所を抜け出す現場を押さえられでもしたら――。

 

「うぅう、想像しただけで悪寒がぁ……!」

 

 沖田は自分の華奢な肩をきゅっと抱き、本気でぶるぶると身震いした。

 絶対に遭遇してはならない二大巨頭。この妖怪たちにだけは、なんとしてでも目につかないよう、慎重に、かつ速やかにこの裏道を駆け抜けなければならない。

 

「とにかく、さっさと先を急ぎます、よ……?」

 

 そう固く心に誓い、さらに一段と腰を落とした、まさにその時目——。

 

「? なにしてんだ、お前らこんなところで」

「あ、永倉殿」

 

 緊張感の欠片もない赤衣の声と同時に、生垣の曲がり角からぬっと現れたのは、納刀された剣を肩に担いだ男だった。

 あまりにもタイミングが良すぎる絶望の邂逅。

 この時、沖田総司の脳内に電流走る。

 危険を告げる警報がけたたましく鳴り響き、そうして限界突破した動転のあまり、彼女は絶叫してみせた。

 

「妖怪人攫いだぁぁぁぁぁ! うわあああああん!」

「はぁ!?」

 

 ばったり出くわした同志から、開口一番に謎の怪物名が出てきたことで、永倉は心底わけがわからないといった顔をしながらも剣を構える。

 この時代、巷では本物の怪異や妖物の噂がまことしやかに囁かれることは珍しくなかった。

 ただでさえ暗雲立ち込める幕末の動乱期。人の怨念や時勢の歪みが、人ならざる化け物を生み出すと信じる者は少なくない。ましてや、常に死と隣り合わせの剣客である永倉にしてみれば、天才・沖田総司がここまで恐慌を来すほどの相手だ。反射的に、正体不明の刺客、あるいは本物の化け物を想定して身構えたのも無理はない。

 

 が、緊迫した空気のなか、赤衣が沖田の肩にそっと手を触れた。

 

「いや、沖田殿。流石に、永倉殿だからといって、妖怪呼ばわりは言い過ぎでござるよ」

「はぁ!? 俺ぇ!?」

 

 赤衣のあまりにも冷静で、かつどこか的外れなフォロー。

 ここでようやく、事態の矛先が明後日の方向を向いていることに気づかされる。永倉は、自身が今まさに「妖怪人攫い」という不名誉極まりない二つ名で呼ばれたのだと、遅れて理解させられた。

 

 己を襲った理不尽なあだ名に対する怒りよりも、張り詰めた殺気が一気に削がれた脱力感の方が勝ったのだろう。

 永倉は、構えていた刀の切っ先をずるずると下げ、「はぁ」と気の抜けたような間抜けな声を漏らした。

 

「ったく、なんだよ。いきなり妖怪とか叫ぶから、本気で本物の怪物でも出たと思ったじゃねぇか」

「意外と怒ったりしないのでござるな?」

 

 てっきり噴火寸前の富士の山のごとく怒るかと思いきや、思いのほか寛大な反応をする永倉に、赤衣が感心したように呟く。

 普段から、これくらいの器量を見せていれば、もっと人から慕われていそうなものを。

 いや、実際のところ後輩の平隊士たちからは「新八さん」と兄貴分のように慕われているのだから、あながち彼のこういう良さを知る者は少なくないのかもしれない。

 

 そんな事を赤衣が思っていると、永倉は刀を肩にトントンと叩きつけながら鼻で笑う。

 

「まぁ、こんな見てくれしてっからな。生まれつきの白髪のせいで、そういうのは言われ慣れてんだわ」

「なるほど、大人の余裕でござるな」

「おうよ。――んで」

 

 永倉はそこで言葉を区切ると、ぎろり、と目を据えて沖田を睨みつけた。

 

「人様を妖怪言いやがった張本人様は、当然、なにか言う事あんじゃねぇのか?」

(めちゃくちゃ、根に持ってたでござる……)

 

 残念ながら、少しも許していなかった。

 大人の余裕など幻。

 髪の毛先一本ほども、彼は沖田の無礼を許してなどいなかった。

 

 永倉が永倉たる所以を垣間見た赤衣が内心で激しく頭を抱える中、沖田はふいっと明後日の方向へ顔を背ける。

 

「別に……なにもありません」

「ありません、じゃねェ。俺に言いたいことあるなら、はっきり面と向かって言ったらどうだ?」

「本当に、なんでもありませんから」

 

 頑なに目を合わせようとしない沖田の態度に、ピクン、と永倉の額に鮮やかな青筋が浮かび上がる。

 いつもならここで「なんだとォ!」と怒鳴り散らすはずの男が、逆に黙ったのだ。

 それは怒りが限界突破したことを示しており、じわじわと肉体に力が込められている前触れだった。

 

「ははーん、そうかそうか、言いたくねぇか。この永倉新八が、ここまで腰を折って大人の対応で聞いてやってるってのに、それでも言いたかねェってか」

 

 そうして、骨をゴキゴキと鳴らしながら、挑発的に距離を詰めてくる永倉。 

 このままでは屯所の裏手で、京都の治安を守る看板を背負った幹部同士の、あまりにも低次元な流血騒ぎが始まってしまうだろう。

 流石に、事の成り行きを見守ろうとしていた赤衣も、それは望むところではない。折角、壬生浪士組が明るくなってきたところに、こんな内輪揉めで傷害事件など、笑い草にもならないものだ。

 

 赤衣は、自分の心臓に冷や汗が伝うのを感じながらも、必死に両者の間に割って入った。

 

「どうどう、落ち着くでござるよ、永倉殿! 沖田殿も、流石に言い過ぎだったのでは?」

「ふんだ。悪いのは、いっつもいっつも邪魔をしてくる永倉さんのほうですよ。私は悪くまりませんとも」

「かっちーーーん」

 

 永倉が、かくりと首を鳴らして顔を傾けた。

 その目は、完全に据わっている。

 

「いくら、対等な関係を好む俺でも、超えちゃいけねぇ、礼儀ってのがある……それを今から教えてやってもいいんだぜ、沖田ァ?」

「へー、意外ですね。永倉さんに、剣以外で人に教えられることがあったんですか?」

 

 沖田は満面の笑みを浮かべて言う。

 その瞳の奥には、一切の光がなく、今日の彼女はいつも以上に煽りのキレが鋭かった。

 

 ――フー、決まりだ。

 

 永倉が、そう息を吐く。それは彼の中で対話による解決が完全に打ち切られ、脳細胞のすべてが筋肉と戦闘開始に切り替わった合図だった。

 赤衣の必死な仲裁など、もはやこの戦闘狂の耳には一言も届いていない。

 

「死に晒せぇやああああああああ!」

 

 永倉が鞘にに収まった刀を上段にぶち上げれば、沖田も腰の愛刀の柄に手をかける。

 浪士組が誇る最強二人の殺気が正面から激突し、皮膚がピリつくような緊迫感が最高潮に達した――まさに、その刹那だった。

 

「死に晒すのは、てめーだ、馬鹿」

「——あ?」

 

 次の瞬間だった。

 永倉が、背後に迫る強烈な質量に気づき、間抜けな声を漏らししたのは。

 

 そのまま、どがぁ、と裏道の静寂を引き裂く凄まじい衝撃音が炸裂する。

 

 永倉の背後にいつの間にかぬっと現れていた、一人の長身の男。

「またこのバカは」という深い深い諦念の入り混じった呆れ顔のまま放たれた、彼の容赦のない全力の回し蹴りが、無防備な永倉の脇腹へと完璧に捉えていた。

 

「ひ、卑怯だぞ……左之、す……け……」 

「な、永倉殿ぉ!?」

 

 優に、突進する野生の猪を木端微塵に粉砕できる力。

 そんなものが、その一脚にはこれでもかと凝縮されていた。

 

 白目を剥いた永倉は、言葉通り弾丸のような勢いで真横へと派手に蹴り飛ばされ、そのまま屯所の生垣へと頭から盛大に突っ込んでいる。

 ガサガサと激しい音を立てて生垣に埋まった永倉は、下半身だけを外に投げ出した状態でピクリとも動かなくなっていた。

 

 まさに、一撃必殺である。

 

「すんません、沖田先輩。この馬鹿、なにも分かってなくて」

「いえいえ! こちらこそ、妖怪退治してくださり、ありがとうございます、原田さん!」

 

 さっきまでの殺気に満ちた顔はどこへやら、沖田はぱっと花が咲いたような快活な笑みを浮かべ、愛刀を、ぱちんと鞘に収める。

 恐ろしいほどの手のひら返しだが、日常茶飯事の原田は特に気にする風でもなく、「うす」と短く応じた。

 

 そんな微笑ましい(?)和解の傍らで、生垣に下半身だけを残して逆さに突っ込んでいる男。

 そこへ赤衣は慌てて駆け寄り、永倉の足を引っ張って生垣から引きずり出す。

 仰向けに寝かされた永倉の瞳は完全に焦点が合っておらず、その口元から魂のような溜め息が漏れていた。

 

「永倉殿、しっかり! しっかりするでござるよ!?」

「あれ……川の向こうで、おばあちゃん、が…………」

「それは、渡ってはいけない川でござる!?」

 

 危うく彼岸の向こうへ旅立とうとする永倉に、赤衣はなんとか必死にこの世へ引き戻そうと躍起になる。

 しかし、そんな決死の蘇生劇を、少し離れた場所から他人事のように眺める沖田と原田は、二人揃って心底不思議そうに首を傾げ、こう言うのだ。

 

「なんで、赤衣さん。あんな焦ってんすかね」

「さぁ? 永倉さんを人間か何かだと勘違いしてるんじゃないですか?」

「ははは、それ、すげーおもしろい冗談すね」

「っ!!?」

 

 会話の合間に聞こえてきた凄まじい毒に、赤衣は頬を叩く手を止め、戦慄混じりの視線を二人に向けた。

 そこで彼が見たのは、冗談を言ったはずの沖田の目が一欠片も笑っておらず、それを受けた原田も心の底から納得したように深く頷いている場面だった。

 

「永倉殿……お主……!」

 

 そうして、もう一度、永倉を見る。

 

 ——めちゃくちゃ、嫌われてるでござるな……!

 

 もはや怒りを通り越して、涙を禁じ得ないほどの哀愁が永倉の全身から漂っている気さえした。

 

「まぁ、そこに転がる馬鹿は放っておくとして、お二人は、これから別口で楽しまれるんですよね?」

 

 ひとまず、赤衣が彼の呼吸と脈拍を確かめ、単なる一時的な気絶である事を確認すれば、それまで冷徹に永倉を見下ろしていた原田が、気絶した永倉の襟元を無造作に掴み、まるで荷物でも引きずるような体勢のまま、視線を赤衣と沖田の二人へと巡らせた。

 その目には、沖田がわざわざ人目を避けて屯所の裏手へ回っていた本当の理由を、とっくに察しているような大人の余裕が滲んでさえいる。

 

「はい。花街はどうも性に合わないですからね、私たちは」

 

 空気を読むことに長けている原田のおかげか、沖田も悪びれる様子もなく、むしろ、声を弾ませる。

 話を振られた赤衣も、引きずられている永倉に同情の視線を送りつつ、少し決まり悪そうに頭を掻いた。

 

「えっと、まぁ、某も宴会は別に嫌ではないのだが、島原はどうも……」

「赤衣さん、いつも新八や山南さんの誘い断ってるっすもんね」

「へー、ソレッテドウイウ事デスカー? 私、初耳ナンデスケドー?」

「あー、変な意味じゃないすよ。この馬鹿、芹沢さんに誘われる時、決まって赤衣さんや、山南さんも連れて行こうとするんすよ」

 

 それを聞いた、沖田がまたもや光の失った目で永倉を見る。

 沖田の右手が、自然と鯉口を切る準備をしていたが、原田はそれを見なかったことにした。

 

「まぁ、なにはともあれ、近藤さんたちには、俺から適当にごまかしときますよ。ついでに、この馬鹿も引き取っときます」

「そうですかー? 別に、そのまま置いていっても、いいんですよー?」

「(ここに置いていったら、殺されるな、こいつ)…………いや、流石に道端に放置じゃ、迷惑なんで」

 

 あんたに切られそうだから置いていけないんすよ、とは言えない原田であった。

 頭の回転が早く、世渡り上手な原田らしい、極めて現実的かつ賢明な判断と言える。こうした他人の殺気や、場に漂う危険な空気の引き際を嗅ぎ取る嗅覚は、浪士組の中でも抜きん出ていた。このまま永倉をここに転がしておけば、機嫌を損ねた天才剣士によって、冗談抜きで明日の朝には不帰の客となりかねない。

 

 原田は小さくため息を吐くと、気絶して泥袋のようになった永倉の襟元を、手慣れた様子でぐいと掴み直した。

 そうして、ほんのわずかな、躊躇うような間。

 原田はなにか考え込むように目を伏せると、向かい合っていた赤衣と沖田も、不思議そうに首を傾げる。

 すると、原田はゆっくりと顔を上げ、声音をかなり低くして、二人を見つめた。

 

「……沖田先輩。赤衣さん」

「「?」」

 

 声をかけられた二人の視線が重なる。

 つい先ほどまで永倉を容赦なく蹴り飛ばしていた男と同一人物とは思えないほど、原田の表情は、いつになく真面目なものに変わっていた。その双眸には浪士組の男としての、鋭く冷徹な光が宿っている。

 

 さすがにただ事ではないと察した沖田は、笑顔を引っ込め、小さく首を傾げた。

 

「……どうしました?」

「あんまし、お二人に言うことじゃないかもしれませんが……最近、ここらも随分と物騒になってきました。夜道にはくれぐれも気をつけてください」

 

 しかし、その忠告に沖田はさらに小首を傾げた。

 どこか腑に落ちない、といった様子である。

 

「原田殿にしては珍しく、神妙な忠告ござるな」

「京の街が物騒なのは、いつものことですしね?」

「ええ、まぁ……そうではあるんすけど」

 

 原田は一度視線を落とし、それからゆっくりと首を振る。

 

「お二人は、例の辻斬り騒動を知ってますか?」

 

 その問いが裏道に落とされた瞬間、先ほどまでの緩みきった空気が、明確にその色を変えた。

 

 例の――とは、どれのことを指しているのか。

 すう、と細い路地を冷たい風が吹き抜ける中、原田のただならぬ気配に、事の成り行きを見守っていた赤衣も、小さく眉を寄せずにはいられなかった。

 

「いや、知らぬが……」

「その辻斬りとやらが、どうかしたんです?」

 

 赤衣と沖田がそれぞれ問い返すと、原田はさらに一歩距離を詰め、地を這うような声で呟いた。

 

「通称――『薩摩の人斬り』。遺体の近くに薩摩藩の下駄が落ちてたことから、そう呼ばれてる、今巷で有名な人斬りです」

 

 薩摩下駄――幅広の台に太い白鼻緒をすげた、薩摩者が好んで履くことで知られる下駄のことである。京では、それを見ただけで「薩摩者か」と囁く者もいるほどだ。

 

 そんな、薩摩といえば、示現流や薬丸自顕流が有名であろう。初太刀のひと振りに全てを賭ける苛烈な剣術。防禦など一切顧みず、ただ一撃で相手の脳天を割るその太刀筋は、幕末の京を震撼させる恐怖の象徴でもあった。

 

 だが、現在流れている噂は、そのお家芸たる一撃必殺の爽快さとは、どうにも毛色が違っていた。

 

「普通の人斬りなら、斬って殺された、で終わりなんですけどね……」

 

 原田の言葉は重い。

 ここ数日、東山の陰や鴨川の河原といった、薄暗い京の裏通りで妙に囁かれる噂。夜な夜な現れる辻斬り――その正体とは、ただの政治的な暗殺者なのか?

 

 人斬り自体であれば、別にこの都では珍しいことではない。

 文久の京都とは、文字通り政治の狂気が刃となって踊る街だ。過激な尊王攘夷派による天誅の横行に対し、治安維持を担うはずの京都町奉行所は完全に機能不全に陥り、民から「ただの死体回収業者」と蔑まれる始末。新設された京都守護職の手すら、未だこの街の血を止められずにいる。

 

 だが、この噂が不気味なのは、その凄惨な死に様にあった。

 

「奇妙なのは、ここからです。どうも、その辻斬りに斬られた死体は、死肉を荒らされ、極端に血がない状態になるって聞きます」

「血がない……か」

「なーんか、不気味ですねー。野犬にでも食われたんですかね?」

「そうっすね。奉行所も、そう見ているらしいとは聞きますが」

 

 当時の京の街には、死体の味を覚えた野良犬や、夜な夜な徘徊する浮浪の群れがいる。

 奉行所がそれらを理由に、単なる野犬の仕業として片付けたがるのも無理はない。事件を怪異のせいにでもしなければ、自分たちの無能さをこれ以上晒すことになるからだ。

 

 しかし、沖田の疑問は別の、より現実的な政治背景へと向けられていた。

 

「あれ、でもおかしくないですか? 私はこの前、土方さんから『薩摩の尊攘派は、例の寺田屋の件以降、ほぼ壊滅した』って聞きましたけど。今更、そんな辻斬りなんて、出るもんなんです?」

「沖田先輩のその指摘は、あながち間違いじゃないすね。島津久光公が誠忠組を力ずくで取り込んだことで、薩摩の暴発は大筋で片付いてます。だけど――」

 

 そこで原田は少し顔をしかめた。

 

「思想ってのは、そう簡単に根絶やしになるもんじゃねぇでしょ?」

 

 沖田の言う寺田屋事件とは、前年である文久二年に起きた、薩摩藩の身内による凄惨な粛清劇のことだ。

 藩の事実上の最高権力者である島津久光の命により、倒幕・挙兵を企てていた薩摩の過激尊王攘夷派が急襲され、有馬新七をはじめとする中心人物たちが容赦なく斬り殺された。これにより、薩摩の過激な政治運動は完全に冷え込んだと誰もが信じていた。

 

 しかし、藩の上層部がいくら公武合体という大人の政治的打算で立ち回ろうとも、末端の若き志士たちに植え付けられた攘夷の狂信までは消し去れない。

 本流から溢れ、行き場を失った熱量は地下へ潜り、より歪んだ殺意となって個人の暴発を招くものだ。政治の季節が狂わせたのは、何も浪人の脳髄だけではない。

 

「実際、昨年には生麦事件で、寺田屋の一件を起こした島津久光の行列が、直々に攘夷のようなことをやってます。その本意がどういうものであったであれ……結果だけを見れば、薩摩の血の気の多さは健在ってことっすよ」

「んー、生麦事件……どこかで聞いたことあるような、ないようなー……?」

「……武蔵国の生麦村で、久光公の行列を横切った英国人を、供回りの薩摩藩士が容赦なく斬り捨てた大騒動でござるよ」

「あ、それです! というか、意外と世情に詳しいんですね?」

 

 異人を斬り捨ててなお、英国の脅しに屈しなかった薩摩の凶暴さは、当時の過激浪士たちの間では一種の英雄譚のように語られていた。

 沖田がそれを知らないのは、彼女が根っからの極端な思想を持っているがゆえである。彼女にとっては、政治の良し悪しなど、今日の夕餉よりも、どうでもいいことであるからだ。

 

 そんな沖田の陽気な納得を横目に、原田は小さく息を吐いて表情を引き締める。

 

「なんにせよ、気をつけてください。俺たち壬生浪士組は、まだ大して名も売れてない小所帯ですが、やってることは過激攘夷派を叩き潰す会津藩側です。人斬りがあの薩摩の野郎ってだけでもきな臭いですが、今回の辻斬りは、どうにも妙な違和感がある相手だ。狙われたらタダじゃすまない可能性が高いす」

 

 そこで一度言葉を切り、原田はふっと肩を竦めてみせた。

 

「ま、お二人なら、どんな相手がこようと、大抵は返り討ちでしょうがね」

 

 そう言って笑う原田。

 沖田はそれを聞き、「当然ですよ! この沖田さんの手にかかれば、どんな相手も——」と胸を張るも、原田は彼女の口上を聞くことなく頭を下げ、踵を返した。

 

 ずるずると引きずられる永倉。

 そのまま原田の背中が角を曲がり、見えなくなる。

 

 残された二人の間に、一瞬だけ沈黙が落ちた。

 

「……私、実は嫌われてたりするんですかね?」

 

 沖田が問いかける。

 それにつられるように、赤衣は「いや、そんなことは無いと思うが……」とあいまいに返すのだった。

 




何か、偉いお気に入りとかが伸びてて驚いた物書きです。

さて、あれだけ大見えきって始めた人斬り編ですが、展開のろくて申し訳ない。ちょっとテンポアップは試みますが、いったん書きたいように角書くよ。

さて、どうせ本編に書く気もないので、豆知識のついでに裏話も載せましょう。

■原田がやけに寺田屋の話に詳しい理由
今回、原田が「寺田屋事件」や「薩摩の内部事情」に異様に詳しかったのには、実は裏設定があります。
FGO設定における原田は、浪士組の生みの親である清河八郎を、幕府が監視するために送り込んだ所謂スパイであった、というのは知っていますよね?

実は歴史的にも、清河八郎は薩摩の過激派と深く繋がっており、あの「寺田屋事件」の直前まで彼らと一緒に倒幕の計画を練っていた、いわば事件の重要関係者でした。
原田が寺田屋や薩摩の動向にプロ並みに詳しいのは、ターゲットである清河八郎の足取りを徹底的にマークしていたから……という、ちょっと不穏な裏の顔の伏線でした。

あと、同じ寺田屋で起きたために、よく混同してしまう坂本龍馬の寺田屋の襲撃事件、ですが、これらを呼び分けるときは、薩摩藩のほうを寺田屋騒動、坂本龍馬のほうを寺田屋遭難、といえば伝わると思いますよ!

では、また明日、もしかしたら今日!

今後の参考にしたいので、今の作品の「文字数」や「展開のペース」について、一番気持ちに近いものを1つ教えてください!

  • 今の文字数・テンポのままで最高!
  • 展開 or 文字数をサクサク早めにして!
  • 描写やエピソードをじっくり厚めにして!
  • 続きが読めれば、どんな形でもOKです!
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