殺さずの剣客、そして人斬りの君 作:ただの物書き
「立てるでござるか?」
「すみません……まだちょっと足元がふわふわしてます」
土佐浪人から貰った、気付け薬が効いてきたのだろう。先ほどまでの死人のような青白さは引き、頬にはいくらか赤みが戻っていた。
とはいえ、体幹まで戻ったわけではない。立ち上がろうとした途端、その細い身体がふらりと大きく傾いた。
赤衣は慌ててその肩を組み、抱き留めるようにして支える。
「無理は禁物でござるな」
「うぅ……面目ありません」
つい先ほどまで、自信満々に酒豪対決を挑んでいた人物とは到底思えないしおらしさだった。
もっとも、あれだけ文字通り、浴びるほど飲んで盛大に潰れたのだ。己の限界を嫌というほど思い知らされたに違いない。
「では、某がおぶるでござるよ」
「えっ」
「沖田殿、背中に」
「…………」
目の前に差し出された大きな背中を前に、沖田の思考がぴたりと止まる。
年頃の女の子として、流石にそれは恥ずかしすぎる。
普段の彼女なら、軽口をはさみつつも遠慮したはずだ。
しかし、容赦なく押し寄せる二度目の立ちくらみが、彼女のささやかな抵抗心すらも、綺麗にはぎ取ってみせた。
「じゃあ……お願いします……」
小さな、本当に蚊の鳴くような声だった。
ほどなくしえ背中にじわりと伝わる、柔らかい体温と重み。
赤衣の男は、背中に沖田が身を乗せたことを確かに確認しながら、京の夜を歩いていく。
よほど酔いが回っているのだろう。背の上の沖田は、いつになく大人しい。
いつもなら「このままひとっ走りしてみませんか?」だのと賑やかに提案してきそうなものを。
それが今や、赤衣の肩口にそっと額を預けたまま、小さく規則正しい吐息を首筋に吹きかけてくる。
深い静寂が、二人の距離をさらに縮めていく。
だからこそ、彼女の唇からぽつりと漏れ出たその言葉は、やけに鮮明に、夜の空気に溶けていった。
「……思いのほか、今日は楽しかったですね」
「酒比べがでござるか?」
「違いますよ」
それはもう、呆れを含んだ即答だった。
背中越しでも、彼女が軽く膨れているのが伝わってくる。
「酒比べではなく……ふたりで飲んだことが、です。まぁ、最後はなぜか三人になっていましたけども」
どこからともなく酒瓶は飛んでくるわ、気づけば知らない男が同席してるわ、挙げ句の果てに飲み過ぎたあまり嘔吐してしまうわ、と散々な目に遭った気もするが。
だが、それでも。総合的に見れば「まぁ、悪くない夜だった」と沖田は思う。
他の隊士たちと一緒に花街に繰り出していれば、今こうして男の背中を独り占めできるような、そんな、おいしい思いもできなかったことであろう。
そう現金に考えれば、あの土佐者も、結果的には良い仕事をしてくれたのかもしれない。
「まぁ、なんだかんだで……ああいうのも悪くないんだなって、少しだけ思います」
そう言って、彼女は背中に預けた顔を少しだけ埋め直すようにして、小さく笑った。
「反省点も多かったですけどね。飲み比べで勝てると思った私は、本当に馬鹿でした……」
「ははは、ようやく気付いたでござるか」
「うぅ……からかわないでくださいよぉ……」
赤衣の肩口から、なんとも情けない恨み節が漏れ聞こえる。
先ほどまでの現金な計算はどこへやら、我に返ってみれば、おぶられている現状がひたすら恥ずかしかった。
その気恥ずかしさを誤魔化すように、わざと大袈裟に凹んでみせる彼女の反応が妙に面白くて、男は思わずまた吹き出す。
「ふふっ、すまんでござる」
すると沖田も、釣られるようにして小さく笑う。
先ほどまで喉元を焼いていた柳蔭の酔いは、夜風にさらされて心地よい微睡へと変わっていた。
厄介事ばかりが渦巻く京の町。
だが、こんな穏やかな夜も悪くない。
二人の足音だけが静かな路地裏に優しく響き、ゆっくりと、しかし確実に時間が流れていく。
「でも、不思議なんです」
「何がでござる?」
沖田はすぐには答えず、おぶられたまま、そっと夜空を見上げた。
薄雲の隙間から覗く月は白く澄んでいて、古びた京の屋根瓦を静かに、平等に照らしている。
「京に来たばかりの頃は、こんな日が来るなんて思ってもみませんでしたから」
赤衣の男は何も言わない。
ただ、背中に伝わる彼女の小さな呼吸の震えを壊さないよう、歩調を緩めてその声に耳を傾ける。
「毎日剣を振って。人を斬って。そのうち私も斬られて死ぬんだろうなって」
ふっと、彼女が笑った。
それはいつも見せる悪戯っぽい笑顔ではなく、どこか冷徹で、ひどく自嘲的な笑みだった。
「割と本気で、そう思っていましたから」
文久三年。浪士組の一員として江戸を発ったあの日。
その胸に抱いていたのは、確かに純粋な未来への希望だったと、沖田は覚えている。
清河八郎が募った浪士組で手柄をたて、試衛館の仲間たちと笑い合い、バカをやりながら、将軍職をお守りする。
皆で大きな夢を追いかけていたあの頃の延長線。
それが、きっと京の町にも待っているのだと淡い希望を胸に抱え、上洛した。
けれど、いざ足を踏み入れた京の町は、あまりにも冷酷で、あまりにも血生臭かった。
政治の謀略に巻き込まれ、毎夜のように誰かを斬り、返り血を浴びる日々。かつて胸にあった眩しい希望は、修羅の巷であっけなく粉砕されてしまった。
京の町に転がる骸。
血塗られた斬奸状に、咽び泣く人々の声。
いつからか、彼女は思うようになる。
あぁ、きっと——自分の剣の才は、ここで振るうためにあるのだ、と。
誰かを斬り続け、いずれ自分も誰かに斬られて死ぬ。
それが己に与えられた生の意味なんだろうと、不覚にも納得ができた。
だからこそ――今のこの時間が、不思議でならない。
「でも最近は、そんな想像としていたものではなく、普通に楽しい毎日を送らせてもらっているんです」
過去の暗い記憶から這い上がるように、沖田の張り詰めていた表情が、少しずつ元の柔らかさを取り戻していく。
「壬生寺の境内でお団子やお菓子を食べたり。時々、子供たちと鬼ごっこをして遊んだり。近藤さんや土方さん、試衛館の皆とバカなことで騒いだりして……」
あの日一度は壊れかけたはずの温かい居場所は、形を変えながらも、今もしっかりと彼女の周りに在り続けている。
けれど、それだけではない。
それだけで終わらなかったのは、他でもない――。
「それで……あなたみたいな変な人と知り合ったりもして」
背中越しに、慈しむような微かな吐息が伝わってくる。
最後の一言に、赤衣の男は「変な人とは心外な」と言いたげに小さく苦笑した。
「案外悪くないもんです、こういうのも」
そう言って、彼女は背中に預けた顔をさらに深く埋め直した。
こうして誰かの大きな背中に甘え、夜道を歩きながら、他愛もない酒の余韻を語り合う。そんな、壬生浪士組の仲間とすら分かち合えない特別な温かい時間が、自分の人生に訪れるなんて……。
京の闇でただの人斬りになろうとしていた頃の彼女には、天地がひっくり返っても想像できるはずがない。
想像できていたとしても、きっと信じたりはしなかっただろう。
真っ赤に熱く上気する顔も。
一言一句を紡ぐ度、震える唇も。
気恥ずかしさと愛おしさに押しつぶされそうになる、心臓のうるさい高鳴りも。
全部が全部、今この瞬間だけの——私だけのもの。
「あははは、なーんて! 沖田さんらしくもありませんね! ちょっと変な話をしすぎちゃいました! はい、今のは全部忘れてください!」
耐えきれなくなった胸の熱さを吹き飛ばすように、沖田はあえていつもの調子で空元気に笑ってみせた。
少しだけ語りすぎた。そう思ったからだ。
酒に酔っているとはいえ、柄にもなく弱音めいたことまで口にしてしまった。
今さらになって、ひどく気恥ずかしい。
しかし、そんな彼女の誤魔化しをスルーして、いつの間にか赤衣の足は歩みを止めている。
男は静かに月夜を見上げたまま、ぽつり、と呟いた。
「……某も、好きでござるよ」
「…………へぇ?」
あまりに自然に、あまりに優しい声で紡がれた言葉に、沖田の思考が白く染まる。
「某はただの浪人崩れ。他人の幸せについて、どうこう言える立場ではないが」
「ちょ、ちょっと待ってください……! あの、あなた、何を言おうとして!?」
ただごとではない空気を察知して、沖田は背中で本気で狼狽えた。
待ってほしい。心の準備がまるでできていない。
そもそも今はおぶられているのだ。逃げ場などどこにもないこの至近距離で、これ以上何を言おうというのか。
けれど——そんな彼女の焦燥をあざ笑うかのように。
――『某も好きでござるよ』
「——————」
よせばいいものを、ついさっき言われたことを思い出してしまう。
それを皮切りに、彼女の記憶の防壁は決壊した。
いつだったか、上覧試合が終わった日の宵。斎藤からニヤニヤしながら投げかけられた、あのしょうもないからかいの言葉から始まり、この赤衣の男と出会ってから過ごしてきた、目まぐるしくも愛おしい2ヶ月間の記憶の断片。
それが、まるで堰を切った雪崩のように脳裏へ一気に押し寄せてきた。
大阪で並んで食べたお団子の味。
近所の子供たちと釣りをしに行った日のこと。
芹沢に切腹されそうな時、己の手を犠牲にしてまで、守ってくれたこと――。
それら全てが言葉の重力に引きずられ、ひとつの巨大な意味を持って彼女の胸に迫ってくる。
「少なくとも、某は——」
「……ぁ……」
しかし男は、そんな彼女の動転など知る由もない。
ゆっくりとおぶっている彼女の身体を労わるように、その顔を覗き込もうと、肩越しに振り返り始める。
こっちを、見ないでほしい————。
それ以上、何も言わないでほしい————。
しかし、それらは声にはならなかった。
聞いてしまえば最後、自分は人斬り以前に、武士ですらいられなくなれる気がするというのに。
理屈では、痛いほどそれを分かっているというのに。
「…………」
「…………」
逃げ場のない沈黙のなか、ついに男との視線が重なる。
聞きたくないと拒む理性とは裏腹に、言葉の続きを渇望してしまう。言って欲しくないのに、自分だけの特別であって欲しいと願ってしまう。
そんな、どうしようもなく矛盾した想いが、胸の内でせめぎ合う。
振り返った赤衣の男は、いつもの穏やかで、どこまでも屈託のない微笑みを浮かべたまま。
これを吐かれたら最後、どうなってしまうのか分からない。
そんな期待にも、不安にも、恐怖にも、興奮にもとれる感情が渦巻く中、赤衣の男は言った。
「某は——今の壬生浪士組が好きでござるよ」
…………へ?
沖田の口からそんな声が漏れた。
対して、赤衣からは「ん?」と、訳がわからなかったのか疑問符が飛ぶ。
空気が固まる。
夜の静寂の中には、間の抜けた声がふたつ、ぽつり、ぽつりと取り残された。
「……はぁ……」
「?」
「そういうところですよ、ほんと」
「??」
「ほんと……そういうところです……はぁぁぁ……」
「???」
男の頭上には、これでもかと巨大な疑問符が浮かんでいる。悪びれる様子など微塵もない、きょとんとした顔だ。
対する沖田はといえば、言われなくてよかったという安堵と、言われなかったことへの妙な落胆が同時に胸の奥で絡まり合い、どちらにも振り切れないまま、ただ気まずさだけがやけに鮮明に残っている。
顔は熱いのに、腹の底は妙に冷えていて、そのちぐはぐさに自分でも整理がつかない。
結局のところ、どちらでもない感情がいちばん厄介だと、今さら気づかされた。
頬に集まった熱を必死に誤魔化すように両頬を叩いて、沖田はなんとかいつもの笑顔を叩き直す。
「さてと。もう、大丈夫なので、降ろしてもらっていいですか」
「本当に、もうよいでごばるか? 柳蔭はなかなかに後から引く酒でござるが……」
「ええ、おかげさまで。今ので綺麗さっぱり目が覚めましたから」
嫌味のひとつも混ぜて、沖田は、すとんとその背中から降りる。
男の背中は温かかったが、今の彼女には頭を冷やすための適度な夜風が必要だ。
二人の間に流れる鴨川のせせらぎ。
沖田は一歩、また一歩と川縁へ近付くと、漆黒の夜空を映してきらめく水面をじっと見つめた。
「……知ってます? ここ、少しだけ多摩川に似てるんですよ」
ぽつりと呟いた声は、どこか懐かしさを帯びていた。
ふっと目を細める彼女の横顔に鋭さはなく、ただ故郷を想う一人の少女の面影がある。
赤衣も、そんな沖田の隣に歩み寄り、ともに腰を落とした。
「沖田殿たちの故郷でござるな」
「ええ」
沖田は、月光を反射してきらきらと揺れる川面へ、じっと視線を向ける。
「今思えば、あそこが私の世界の全部だったのかもしれませんね」
「全部、でござるか」
「ええ。近藤さんがいて、土方さんがいて、試衛館のみんながいて……」
記憶の頁を愛おしそうにめくるような声で、沖田は小さく笑う。
「それだけで十分過ぎましたから」
それ以上の言葉はなく、心地よい静沈が二人の間に落ちる。
ただ川のせせらぎと、時折鳴く虫の声だけが、優しく空間を包み込んでいた。
沖田はふと膝を抱え込み、顎を乗せながら、隣の男へと視線を巡らせた。
「あなたには、そういう場所はなかったんです?」
不意の問いかけに、赤衣は少しだけ驚いたように眉を上げ、それから静かに夜空を見上げる。
「そう、でござるなぁ……」
赤衣の男は着物の袖に両手を突っ込みながら、感慨深そうに息を吐き出す。
その横顔は、どこか遠くを見ているようだった。
「某には、故郷らしい故郷は思いつかんでござるよ」
「ふーん……」
意外そうに沖田が丸い目を瞬かせた。
天涯孤独の身の上なのか、あるいは語りたくない過去があるのか。
詮索するような野暮はしなかったが、彼女は何かを閃いたように、いたずらっぽい笑みをその唇に浮かべた。
「じゃあ、壬生浪士組でいいじゃないですか」
「え?」
まるで、落ちていた空き家でも勧めるような気軽さで、沖田は言葉を続ける。
「近藤さんとも仲が良いですし、他の隊士たちも、あなたなら拒みませんよ。子供たちにだって、懐かれているわけですから」
一つずつ指を折りながら赤衣の足跡を数え上げ、そして少しだけ照れくさそうに笑う。
「それに、私もいるわけですから」
冗談めいた、いつも通りの茶目っ気のある声。
けれど、その言葉の裏にある響きは、冷えた夜風の中で不思議なほど温かかった。
天涯孤独だと嘯く男に対して、ならばここを新しい始まりにすればいいと、彼女なりに両手を広げて見せたのだろう。
赤衣は虚を突かれたように数度瞬きを執り行い、それから胸の奥に灯った灯火に目を細めるように、小さく笑った。
「ふふ……たしかに、そうかもしれぬな」
「でしょう? あなたの帰る場所としては、十分過ぎますよ」
我が意を得たりとばかりに、沖田は得意げに胸を張る。
そうしてひとしきり満足したあと。
ふっとその悪戯めいた笑みが、夜の静寂に溶けるようにして、少しだけ柔らかく、切ないものへと変わっていった。
「だから——」
「む?」
沖田は、自身の内にある切実さを隠すように小さく俯くと、躊躇がちに手を伸ばした。そして、夜風に揺れる男の赤き着物の端を、細い指先でぎゅっと小さく掴む。
「どこにも行かないでください」
「某が、でござるか?」
「ええ」
不意にトーンを落とした少女の声に、赤衣が視線を戻す。
月光を背負った沖田の瞳が、真っ直ぐに赤衣を捉えて離さなかった。それは、いつかこの京の激動に呑まれて消えてしまうかもしれない、流れ者への切実な引き留め。
沖田が再び、川面へと視線を落とせば、その横顔は、夜の帳に同化してしまいそうなほど静かに見えた。
「きっと、私はこれからも戦いますし、人を斬るとは思います」
「…………」
「だって私には、剣しかありません……他のことは全部、どこかに忘れてきちゃいましたから」
その言葉には、悲壮感もなければ、自嘲の響きすらなかった。ただ朝が来れば日が昇るというレベルの、淡々とした現実の受け入れ。
天然理心流塾頭にして、壬生浪士組組長――沖田総司。
幼少から剣の天才と持て囃され、血生臭い修羅の巷を見て、己の生の意味を知ってしまった。
今さら、この手を血で汚さず、別の生き方など想像できるはずもない。
「斬り合いなんて、至極単純なものです。斬れば相手は死にますし、斬らねば自分が死す。残るのはただの物言わぬ骸と、後味の悪い鉄さびの臭いだけ」
「…………」
「だから今でも、活人剣なんてものは綺麗事だと思っています」
迷いのない、きっぱりとした断言。己の歩む日陰の道を自覚しているからこその冷徹さ。
だが、そこで言葉を区切ると、沖田は小さく息を吸い、そっと夜空を見上げた。暗がりに浮かぶ彼女の瞳に、かつてこの男が紡いだ言葉が、鮮明な光となって蘇る。
「それでも——」
——『けれど某は——そんな誰もが従う当たり前よりも、誰もが諦める当たり前じゃないことを目指す方が、ずっと素敵だと考えているでござるよ』
「あなたが、あの時そう言ったから——」
——『できれば……沖田殿には、そんな誰かを守るための剣を目指してもらいたい』
「少しだけ考えてしまったんです。誰かを守るために剣を振るう私を——誰かの側にいたいと願う、私を」
血の匂いに満ちた彼女の世界に、この男はあまりにも場違いな優しさを持って踏み込んできた。
それは凍てついた修羅の道を歩む彼女の足元を、そっと薄く照らすような、ひどく不器用で、けれど温かい灯火。
ただ刃を交え、命を奪うことしか肯定されない少女の生に。
男は、それ以外の可能性を持ち込んだ。
あまりにも優しく。
あまりにも残酷な形で。
沖田は男の着物を掴む力をぎゅっと強め、覚悟を決めたように向き直る。
「なので、どこにも行かず、見届けてください」
壬生浪士組を——私を——。
「それで、もし、私が満足するまで戦い、みんなを守り終えることができたならば……その時は……」
そこから先は、未知の領域だった。
人斬りとしての生しか許されないと思っていた彼女が、初めて思い描く、戦いの後の未来。
「もし、あなたがよろしければ、ですが……」
「?」
向けられた男の瞳は、どこまでも濁りがなく、純粋に彼女の次の言葉を待っている。
いつものようにぐだぐだと、はぐらかされないように。
ただの酔っ払いの世迷い言として、勘違いで終わらせないように。
じわり、と二人の距離が縮まる。
あとは、心の奥底でずっと大切に温めていた最後の願いを、言葉に託して紡ぎ出すだけ。
沖田は静かに赤衣の顔へと自分の顔を寄せ、意を決して唇を開く。
あと一言。たったひと言。
それだけだった。
「私と、一緒に――」
「きゃああああああああ!!」
――その瞬間。
至近距離で重なり合おうとした二人の世界は、劈くような女の悲鳴によって唐突に撃ち砕かれた。
「っ!?」
一瞬前までの甘やかな空気は、爆音に打たれたかのように霧散する。
赤衣の眉が跳ね上がり、反射的にその手は腰の得物へと伸びていた。
届きかけた言葉は、最悪の形で遮られた。少女としての未練が脳裏をよぎらなかったと言えば嘘になる。
しかし、それ以上に二人の身体は、染み付いた悲しき習性によって思考よりも速く動いていた。
「沖田殿!」
「……っ! ええ、行きますよ!」
先ほどまで足元を覚束なくさせていた酒精など、もはやひとかけらも残っていない。
重なる足音。
弾かれたように地を蹴り、二人は悲鳴の上がった薄暗い路地裏へと飛び込んだ。
— 壱 —
そこは、濃密な死臭に満ちていた。
地面に転がる、血塗れの骸。
そして、その傍らに佇む、一人の笠を被った侍。
雲間にのぞいた月光が、冷ややかに路地を照らし出す。
男の手にあるのは、抜き放たれた白鞘の刀。刀身にまとわりついた鮮血が、ぽた、ぽた、と不気味な音を立てて土を汚していく。
周囲には、心臓を鷲掴みにされるような異様な静けさが満ちていた。
そして何より――月明かりの下、男が履いていたのは、特徴的な薩摩藩士の下駄————。
「――?」
気配を察し、侍がゆっくりと振り返る。
その瞳には、人を殺めた興奮も、追っ手に見つかった動揺も、何一つとしてない。
ただ、冷徹に獲物を定める獣のような、底知れない虚無だけがそこにはある。
その虚無の視線が向けられた路地の入り口に、滑り込むようにして二つの影が滑り込んできた。
息を荒くして現れた赤衣の男と沖田の視界に、今まさに出来上がったばかりの凄惨な光景が飛び込んでくる。
鼻を突く鮮血の臭い、倒れた遺体、そして抜き身の刀を提げた怪異なる殺人鬼の姿。
二人は即座に足を止め、一瞬にして状況を理解した。
「これは——」
「まずい、ですね……」
そう言った沖田の右手が、自然と腰の得物へと伸びる。
隣に立つ赤衣の男もまた、いつでも動けるよう、腰の刀の柄へとしなやかな指先をかけた。
「……まさか、原田さんに忠告されていたことが、真になるとは思いもしませんでしたよ」
「どうやら、そのようでござるな」
「何モンじゃ……オハンら……?」
一歩、また一歩。
薩摩の侍が、何の躊躇もなく二人に向けてじりりと間合いを詰めてくる。その独特の構えから放たれる圧倒的な威圧感は、これまで相手にしてきた有象無象の尊王攘夷派の浪士とは一線を画していた。
「——キ、ギ、」
男の喉の奥から、骨をきしませるような不気味な音が漏れ出た。
笠の奥の暗闇で、その瞳が異様にぎらりと狂気の色を帯びて歪む。
それは言葉を交わすことなど到底不可能な、ただ命を刈り取るためだけに最適化された蟲の鳴き声に酷似していた。
人間としての情緒が一切削ぎ落とされたその異形の恐ろしさに、路地裏の空気はさらに一段、凍りつく。
「京を騒がす、噂の辻斬りは――」
「……この者でござるな」
抜刀の瞬間は、すぐそこに迫っていた。
コーヒーが、コーヒーがのたいよおおおおお!!!
と思いながら書きました。
これを書きながら、すっごいまほよのBGMが脳内再生されたのは、きっと気の所為であろう。
さて、みなさん。
この話がこの章で最も幸せな回なので、今のうちに見納めしてください。
誰にとって、とは言いませんが。
ということで、今回の豆知識はなし!
書けるけど、変に余韻を壊すのも悪いからね!
ひとまず、今週の平日はこれでしまいかも、ごめんね…!!
今後の参考にしたいので、今の作品の「文字数」や「展開のペース」について、一番気持ちに近いものを1つ教えてください!
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今の文字数・テンポのままで最高!
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展開 or 文字数をサクサク早めにして!
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描写やエピソードをじっくり厚めにして!
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続きが読めれば、どんな形でもOKです!