殺さずの剣客、そして人斬りの君   作:ただの物書き

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え、早くね? うん、いつもより短いからね


食べてもいい理由

 ひとまず胴元の計らいにより旅籠へ身を寄せることになった赤衣は、彦斎の案内で二階の一室へと通された。

 

「ここ」

 

 ぽんと投げるような声とともに障子が開く。

 現れたのは、十畳ほどの簡素な部屋だった。

 余計な調度は一切なく、部屋の隅に整然と畳まれた布団が一組。そして壁際に立て掛けられた、一本の刀と行灯——ただそれだけである。

 人が生きている気配──というよりは、生活感というものが驚くほど薄い。ミニマリスト、という言葉がまだない当代であったが、それでも、ここまで物が少ない部屋は珍しかった。

 

「好きに座って」

「……失礼するでござる」

 

 彦斎はそのまま、己の領分へ戻るように迷いなく奥へ入っていく。赤衣も敷居を踏まぬよう足元に気を配りつつ、その背を追って敷居を跨いだ。

 身軽なのはお互い様か。これといった荷物のない赤衣は、腰から刀を解くと、敵意のない証として己の右側の畳へそっと横たえた。そのまま、部屋の主である彦斎の境界を侵さぬよう、入り口近くに己の居場所を定めると、背筋を伸ばして正座する。

 そんな赤衣を「律儀な人ね」なんて思いながら一瞥した彦斎は、火種を行灯の油皿へと移し、部屋に明かりを灯した。ぼんやりと灯る火が菜種油の匂いを漂わせ、部屋の薄暗がりにふたつの影を長く引き伸ばす。

 彦斎は布団の上に転がっていた襷を手に取ると、手慣れた所作で袖を繰り上げ、背中で素早く結び合わせた。

 

「じゃあ、私は夕餉を持ってくるから」

「それなら、某が自分で——」

 

 身を寄せている手前、給仕までさせるのは気が引ける。

 身近なことであれば自分でしようと赤衣が立ち上がろうとするが、彦斎の手がそれを制した。

 

「いい。客人を働かせたら、松田さんがあとで怖いから」

「松田、さん?」

「さっきの胴元。賭場以外では、普通に名前で呼んでる」

 

 それだけを言い残すと、彦斎は足音もなく部屋を出ていってしまった。

 ぽつんと取り残された部屋に、静寂が落ちる。

 

「……以蔵殿は、本当に帰ってくるのだろうか」

 

 不意に、本来なら隣にいるはずの連れ——以蔵の顔が思い浮かんだ。もっとも、あの男は昼間の大勝ちで味を占めたのか、部屋に案内されるより早く、「んじゃ、わしは島原で一遊びしてくるきぃ」と鼻息を荒くして花街へ繰り出していったきりである。

 朝には戻ると威勢よく言い捨てていったが、花魁の膝元で腰を抜かしていなければいいが。そもそも、今日の言動を見る限り、真剣に薩摩の人斬り——いや、人斬り親兵衛の動向を追っているのかさえ怪しいと赤衣は思い始めている。

 ——どこまで真に受けていいものやら。

 第一、なぜ以蔵が親兵衛を追っているのかさえ、赤衣には分からないことだった。

 

「敵では無いと思うが……悪意は無かったし、魔蟲の気配もない。そもそも薩摩は閉鎖的な土地柄ゆえ、その内情も伝も、他国者にはさっぱり見えてこんでござるな……」

 

 んー、とひとまず今日わかったことについて考えてみるが、やはり土佐と薩摩——さらに言えば肥後藩の繋がりは一向に分からない。

 赤衣とて、昨今の政局にはそこまで明るくはなかった。

 いや、市井の徒よりは昨今の政情を知る身ではある。しかし、天下の動向をすべて把握できるほど顔が広いわけでもなければ、そこに深く踏み込もうとしたこともない。 

 

「そもそも、あの人が何故、今更になって動いたのか……? 某だけを狙うのであれば、こんな回りくどいことはせずとも良いはず……」

 

 今回の件の黒幕であろう知己を想像し、赤衣は疑問を垂らす。

 もし赤衣ひとりを狙うのであれば、このような回りくどい政略に絡む必要などないはずだ。

 赤衣の知るその人物は、この日ノ本の未来などに微塵も興味を示さない男であるし、そもそも己の祖国ですらないこの地に、思い入れなどひとかけらもあるはずがない。

 

「やはり、直接、会うしかないか……」

 

 思考の泥沼を抜け出せぬまま、結局はそういう身も蓋もない結論に落ち着いてしまう。いくら考えても分からぬのなら、会って本人に直接問いただすしかない。 

 恐れはある——できれば二度と相見えたくなどないのが本音だ。

 けれど、その人物がなにを考え、なにをしようとしているのか分からない現状、腹をくくるしかなかった。

 

「迷い、悩み、多くの泥を被りながら、それでも信念という根を張り続け、いつの日か形となって答えを得る——か」

 

 ふと、胸の奥で言葉が蘇る。あの男と、そして己の忌まわしき過去と対峙する覚悟をくれた言葉。

 誠——やはり、あの傍若無人な芹沢の口から出たとは到底思えぬ言葉に、赤衣は自嘲気味な笑みをこぼした。

 

「よし——」

 

 そう意気込むと同時、立ち上がる。

 泥沼に突っ込んだ思考を一度リセットしたくなった赤衣は、引き戸を滑らせ、格子窓から外の空気を吸い込んだ。

 眼下に広がるのは、宵闇にすっぽりと包まれた京都の街並み。昼間の喧騒が嘘のようにしんと静まり返り、遥か遠くまで広がっていた。

 この街の何処かに、あの男は潜んでいる。

 

「……貴方は今、どのような誠を追い求めているのですか?」

 

 分厚い暗雲の下、泣いているのか、憤っているのか、あるいは世界を憎んでいるのかさえ判然としない——あの男の顔を思い浮かべながら。

 赤衣はただ、京の冷たい夜風のなかへ静かに言葉を吐き出した。

 

 ——マキリさん、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 — 壱 —

 

 冷たい夜風に身を晒しながら、どれほどそうしていただろうか。

 静まり返った部屋の中、行灯の油煙の匂いに包まれながら赤衣が一人腕を組んでいると、きし、と廊下の軋む音が聞こえた。 

 障子がすっと引き開けられ、見てみれば、重そうな木のお櫃と膳をひとつ抱えた彦斎が戻ってきた。

 そのまま足を踏み入れた彦斎は、赤衣の姿を認めるとわずかに首を傾げる。格子窓の前に立つ赤衣へ淡々とした視線を向け、吹き込んでくる冷たい夜風が、行灯の火をゆらゆらと揺らしていた。

 

「……風に当たってたの?」

「あ、すまぬ。少し夜風にあたりたくなってしまって……」

「そう。夕餉にするから、こっちに座って」

 

 深く追及するでもなくあっさりと納得した彦斎は、抱えていた膳を畳の上に下ろす。赤衣も慌てて窓を閉めると、言われた通り向かい側へ腰を下ろした。

 

「はい」

「かたじけない」

 

 米櫃から湯気立つ麦飯を手際よくよそってもらい、赤衣の前に質素な膳が据えられた。

 そうして配膳を終えた彦斎は、そのまま当然のように赤衣の正面へちょこんと正座する。自分の分を運んでくる気配はなく、ただ無言のまま、じっとこちらを見つめていた。

 

「……?」

「……」

「あの……、河上殿」

「なに?」

 

 目の前で膝の上に手を置き、一切の含みもない澄んだ瞳で見つめられれば、赤衣も思わず言葉を詰まらせる。

 しかし、問わねばなるまい。

 

「河上殿は、召し上がらぬので?」

「食べない。……正確には、食べられないから」

 

 少しの迷いもない即答だった。

 

「えーと、腹が減っておらぬので?」

「減ってる。けど、仕方ない」

「仕方ない、とは?」

「私、ツケがあるから。向こう三ヶ月は、ここの料理を口にできないの」

 

 すんとすまし顔で告げる終えると、彦斎は口を閉ざした。

 その言葉に、赤衣は先ほど賭場で胴元が見せた苦笑いを思い出す。

 ——『ツケはきっちり残っとる』

 たしかに、そう言っていた。

 

「……なるほど」

 

 借りがある以上、たとえ目の前で他人が飯を食おうが、どれほど空腹であろうが店のものには一切手をつけない。

 どこか抜けているように思える一方で、変なところで頑固なまでに愚直。かつ、世間ズレした不器用さを持ち合わせているのがこの少女なのだろう。その独特な筋の通し方と生真面目さに、赤衣は思わず口元を緩めた。

 

「しかし、某だけが食べるというのも気まずいでござるよ。よければ、一緒にどうでござるか」

「ごめんなさい。それはできない。賭けに負けたのは私だし、客人のご飯に手は付けられないから」

 

 気にせず食べて、と彦斎に言われてしまえば、それ以上は無粋だと赤衣も黙した。

 己に課した戒めを曲げない気性なのであれば、これ以上勧めるのは、かえって無粋というものだ。

 

「……では、お言葉に甘えて」

 

 赤衣は一礼すると、塗りの箸を取って麦飯をつついた。

 他人の料理を食べるなど、いつ以来だろう。目が覚める前、沖田と酒亭へ繰り出し、くだらない冗談を交わしながら杯を交わしたあの夜が、ふと遠い過去のように脳裏をかすめる。

 そういえば、目を覚ましてからというもの、まともな食事など一口も口にしていなかった。

 どこか懐かしい感慨を抱きながら、赤衣は持ち上げた麦飯を口へと運ぶ。 

 しかし——。

 

(やはり、か——)

 

 分かっていたことではあるが、やはりこうなってしまうか、と赤衣はため息をつきそうになった。

 

「——ん?」

 

 ふと意識を現実に戻すと、対面に座る彦斎の視線に気づいた。

 彼女は膝の上に両手を揃えた姿勢のまま、赤衣が手に持つ山盛りの麦飯を、穴が開くほど熱心に凝視している。

 それはもう、穴が空くほど見ている。

 

「河上殿? どうかしたでござるか?」

「は——ごめんなさい。少し見てた」

 

 少し——というには、随分と情熱が籠もっていた気もするが。

 もっとも、それを口にするほどでもない。

 代わりに赤衣は苦笑いを浮かべつつ、一応言ってみる。

 

「あの、本当に無理はしなくていいでござるよ? 分け合うくらいなら——」

「それはだめ。賭けて負けたのは私だから。それに——」 

 

 と、少し口ごもると、次の瞬間ぐううううう——と腹の虫が鳴いたのが聞こえた。

 

「……」

「……」

 

 しばしの沈黙ののち、ふたりの視線が交差した。

 彦斎は一切の表情を変えず、すんとすました顔のまま、どこか遠い目をして口を開く。

 

「……もう夏ね。鈴虫がこんなに鳴いてるもの」

「そ、そうでござるな」

 

 ぐううううう——。

 再び鳴った腹の音——いや、鈴虫の鳴き声から意識を逸らすべく、赤衣はそっと閉じられた格子窓へ目を向けた。

 たしかに京の夏の夜、洛外である壬生村では草むらから虫の声が聞こえてはくる。だが、先ほどから聞こえてくるこの主張の激しい音色は、どう考えても目の前の少女の腹から発せられているものだった。

 情緒もロマンチックもあったものではない。

 

 流石にこれ以上、相手の言い訳に合わせるのも無理かと悟った赤衣は、苦笑しながらそっと箸を置いた。

 

「……河上殿」

「なに?」

「ひとつ、聞いてもよろしいでござるか」

 

 赤衣がそう問えば、彦斎は小さく頷いた。

 

「河上殿が食べられぬ理由は、胴元さんにツケがあってここの料理は食べられないのと、客人である某の夕餉だから、という認識で相違ござらんか?」

 

 彦斎はまたも小さく頷く。

 

「うん。これはあなたの」

「なるほど」

 

 赤衣は腕を組み、「ふむ」とひとつ頷いた。

 しばらく何かを思案するように視線を巡らせていたが、やがて思い当たったように顔を上げる。

 

「であれば、少々、塩を借りても?」

「……塩?」

 

 首を傾げながらも、彦斎は膳の脇にあった塩の小皿を差し出した。

 赤衣は湯呑みの水で指先を軽く濡らすと、塩をひとつまみ。茶碗から湯気立つ麦飯を半分ほど掬い上げ、掌の中できゅっ、きゅっと手際よく丸め始める。

 

「……?」

 

 何が始まったのか分からず、彦斎は丸くなっていく麦飯を不思議そうに見つめている。

 やがて、小ぶりな握り飯がひとつ出来上がった。赤衣は満足そうに微笑むと、それをそっと彦斎へ差し出す。

 

「はい」

「?」

「河上殿の握り飯でござる」

「……違うけど?」

 

 一切の迷いなく即座に否定された。

 

「それは、あなたのご飯。私のじゃない」

「いやいや、これは河上殿のものでござるよ」

 

 けれど赤衣は、柔らかく笑みを浮かべた。

 

「これは某が己の飯を使い、己の手で、河上殿のために握ったもの」

 

 そうして、固まったまま手を出そうとしない彦斎に代わり、赤衣は腰を上げると、その目の前へとにじり寄った。膝の上でちんまりと揃えられた少女の小さな両手に、出来立ての握り飯をそっと乗せてやる。

 

「ゆえに、これは某の夕餉ではなく、河上殿の握り飯でござる」

「…………」

 

 手のひらに伝わるじわりとした温もりに、彦斎はまじまじと握り飯を見つめた。

 それから、どこか困惑したように視線を上げて赤衣を見る。そして再び、吸い寄せられるように握り飯へと視線を落とした。

 

「でも……」

「某が、河上殿へ差し上げたのだから、これはここの料理でもござらぬであろう?」

「…………」

 

 再び彦斎はすんと口を閉ざし、沈黙した。

 どうやら、本気で思考の海へと沈み込んでいるらしい。

 

 この握り飯は誰のものなのか。

 客人のもの? いや、それを客人は手ずから渡してきた。

 であれば、これは自分のもの?

 

 握り飯と赤衣を見比べる。

 空腹という切実な本能と、赤衣の提示した優しい屁理屈。どちらを取るべきか。いや、何が正しく、なにが間違っているのか。

 そうして彦斎は何度か視線を往復させ終えたあと、小さく息を吐いた。

 彼女が下した結論とは——。

 

「……本当に、食べてもいいの?」

「もちろん。そのために握ったのだから、食べてもらわねば麦飯も泣くでござるよ」

「麦飯に涙腺はないと思うけど」

「ものの喩えでござる」

 

 両手で握り飯を包むように持ったまま、彦斎は静かに赤衣を見つめた。

 中々、自分の意見を曲げようとしない胴元の松田が、なぜ見知らぬこの男に目をかけ、部屋まで提供したのか——その理由の一端に触れた気がする。

 

「ふふ、変な人……」

「?」

「——いただきます」

 

 そうして、ようやく自分の中で折り合いをつけたように、彦斎は握り飯を口元へと運んだ。

 小さく口を開け、ひとくち。

 こくりと喉を鳴らして飲み込んだ瞬間、彦斎の目がわずかに見開かれる。

 

「……おいしい」

 

 ぽつりと言葉を零すや否や、彼女は待ちきれないと言わんばかりに、もうひとくち。さらにもうひとくちと、無心で頬張り始めた。

 ただ塩を振っただけの質素な麦飯。けれど、空っぽだった胃袋に、そのじんわりとした温もりが深く染み渡っていくのは何故だろうか。

 握り飯など、ごくごくありふれたものなのに。

 それなのに、少し、これまでの人生で食べてきたものより美味しく感じてしまう。

 

 憑き物が落ちたように黙々と飯を平らげていく彦斎。

 そんな彼女の姿に、赤衣は静かに目を細めた。

 

 自分の舌では、もう分からないからこそ――。

 誰かが美味しそうに食べてくれるだけで、それだけで十分なのだと。

 




おそらくここまでが、問題のばらまき。
次回からは、伏線とか、ばらまいた問題とか、そういうのをどんどん回収していくようになると思われ。
つまり、解決編の始まりだってばよ!

にしても、ここまでくるのに12話は使ってしまった。
くっ、いけるか…いけるのかい!?
FGOフェスにぐだぐだの朗読劇があるらしいから、それに間に合わせたいが、間に合うのかい!?(おそらく無理、いけてもラストバトルあたりになりそう)

さて、本文がくそ短い(いや、これが普通です)が、次回がおそらく重いので、さっさと次を書くために私はクールに去るぜ。

あ、ちなみに彦斎も肥後弁で喋らせたりしようかと思ったけど、なんかキャラじゃないのでやめました。


「そういえば、河上殿は訛りがあまりないでござるな」
「そう?あまり気にしたことがない」
「ちょっと、試しに訛ってみてもらっていいでござるか?」
「……貴方の握り飯、こげんうまか……」
「?」
「な、なんでもない。忘れて」


という彦斎もいいかもしれないけどね。
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