殺さずの剣客、そして人斬りの君   作:ただの物書き

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間桐臓硯という蟲

 その老練の魔術師――間桐臓硯は、ただひたすらに笑みを浮かべていた。

 まとわりつく蟲の気配だけでも、その闇の中に立つ老人が平常の人間ではないことが分かる。

 気色が悪い——見ているだけで、精神のどこかしらかが削られる。

 怪異と評されれば、なるほど。だれもがその評価に首を縦に振り、同意を示すだろう。異を唱える者などいようはずもない。

 そんな男と対峙しながらも、赤衣は一息に呼吸を吐き出した。

 

「……初めて会ったときと比べて、お互い歳を取りましたね」

「かかっ。なにを言い出すかと思えば、益体もないことを。儂とおぬしを同列に語るでないわ」

 

 臓硯は嗄れた高笑いを漏らし、杖の先でトン、と畳を叩いた。

 暗闇の底でカサカサと蠢く虫たちの蠢動音が、老人の嘲りを裏付けるように室内に響く。

 

「儂は老いたのでなく、積み重ねたのよ」

「……えらく耳当たりのよい言い方に聞こえますよ、マキリさん」

「まだまだ青いおぬしには分かるまい。百年、二百年……人が積めぬものを、それだけ多く積んできた」

 

 己の執念と欲望を「積み重ね」と呼び換えたのは、臓硯の傲慢からくるものだろう。

 だが、その歪んだ自負こそが、この男を数世紀にわたり生き永らえさせてきた原動力であることを、赤衣は誰よりも知っていた。

 魔術師にとって年月とは、ただ流れ去る暦ではない。

 それは、代を重ねることで積みあげた刻印であり、費やした研究であり、失った良心でもある。

 常人には狂気としか映らぬそれらも、積み重ねた事実だけが価値となる。

 考え方も、倫理観も、根本からして違う。決して人間の道徳観と相容れるわけがない。

 だからこそ、ながい沈黙は落ちた。

 先ほどまで途絶えていた蟲の声が、今度は不吉な前兆のように、部屋の外から静かに聞こえてくる。

 

「して」

 

 そんな中、先にその静寂を破ったのは臓硯であった。

 暗がりの中で蠢く双眸が、じっと赤衣の佇まいだけを射抜く。

 

「久方ぶりの再会。積もる話もあるが、まずは聞いておかねばなるまい」

「…………」

「なぜ、今更になって回路を開いた? おぬしはあの時――我らが悲願を、その奇跡を拒んだではなかったか?」

 

 赤衣は答えなかった。

 ここで言葉を返せば、それだけ余計なものまで拾われる。

 この怪物を相手に、生半可な受け答えは命取りだということを知っている。

 

 だが、それ以上に——答えたくない、という幼子のような意地も幾ばくかあった。

 過去の話を持ち出すのは、赤衣としても躊躇いたいこと。

 なにより、己がもっとも恐怖していることは、まさに彼との対峙ではなく、そのうえで過去の清算をすることに他ならない。

 だからこそ、赤衣は問いには答えず、静かに視線だけを横へ流した。

 

「……少し、場所を変えませんか。ここで話すことでもないでしょう」

「ほう?」

 

 喉の奥で笑う老人を横目に、赤衣は布団へ視線を向けた。

 彦斎は静かな寝息を立てたまま眠っている。

 

「他人を気遣うとは、おぬしらしからぬの。そこの眠る女が、よほど大事とみえる」

「大事ですよ……どうでもいい命など、この世にはひとつもないんですから」

 

 赤衣はあっさりと頷いて、臓硯へと視線を戻す。

 

「それに、魔術の師である貴方の夜更かしへ付き合うんです。せめて、このくらいの我儘は、聞いてはくれませんか」

 

 臓硯は返事をせず、じっと赤衣を見つめた。

 老いた瞳が値踏みするように細まり、やがて喉の奥で愉快そうな笑いが漏れる。

 

「クカカ。よかろう、腐っても所詮、わしも人の子。わが元を離れたとはいえ、不肖の弟子の頼みを聞き届けてやらんわけにもいくまい」

 

 臓硯はそう言って、こつんと杖を軽く突く。

 すると、誰の手も触れていないというのに、畳を這いずる不快な擦過音とともに襖が音もなく滑り開いた。

 ひやりとした夜気が部屋へと流れ込み、消えた灯火の薄煙を攫っていく。

 老人は嘲笑を刷り込んだ顔のまま、カサカサと蟲が蠢くような足取りで、ひそやかに部屋の外へと抜け出していった。

 

 赤衣は去りゆく老人の背を一瞬だけ見送り、一度だけ布団へと視線を向ける。

 彦斎は変わらず穏やかな寝息を立てている。起きる気配はない。

 そのあどけない寝顔を確かめるように僅かに目を細めると、赤衣もまた気配を消したまま、静かに部屋を後にした。

 

 薄暗い廊下にて、踏み締める床板の微かな軋みだけが響く。

 旅籠はすでに寝静まっていた。

 夜が更けているからだけではない。臓硯がこの宿全体に、何らかの暗示か結界の類を施したのだろう。

 障子の向こうから漏れる灯もなく、人の息遣いすら途絶えている。

 ふと、赤衣は先を歩く臓硯の、小さく丸まった背中を見た。

 月明かりすら届かぬその姿は、あまりにも小さく、そして歪に映る。

 

(もはや……見る影も……)

 

 かつて自分が見ていたはずの大きな背中は、面影などどこにもない。

「随分と変わった」と口にはしたものの、これほどまでに人が成り果ててしまうものかという苦い思いが、赤衣の胸の底に重く沈む。

 だが、その感傷だけは、表情に出すことはしなかった。

 

 やがて、ふたりの影が裏口へと出る。

 夜風が木々を揺らし、湿った土と草の匂いが鼻腔を掠めた。

 庭の隅には一本の老松が枝を広げ、その向こうでは雲間から覗いた月が、淡く庭石を照らしている。

 臓硯が不意に足を止めれば、赤衣もまた、数歩の間合いを保ったまま立ち止まった。

 

「ここでよいか、小童」

 

 振り返りざま投げかけられたその問いに、赤衣は静かに頷いた。

 

「ええ」

 

 それだけ答えて、赤衣はしばし黙る。

 二人の間を、冷ややかな夜風が吹き抜けていく。

 ここまで来て、改めて言葉を選ぶ必要もない。

 もとより、聞きたいことは、最初から決まっていた。

 

「では——単刀直入に伺います。あなたですよね。薩摩の人斬り——田中新兵衛へ魔蟲を植え付けたのは」

 

 落とされた言葉が、夜の静寂に沈んだ。

 だが、対する老人は眉根ひとつ動かさない。

 杖に両手を重ねたまま、いかにも心外だと言わんばかりに小さく首を傾げてみせる。

 

「はて、なんのことか。儂にはすこしも思い当たる節がないのォ」

「下手な猿芝居はやめていただきたい。あのような真似ができるのは、この国において貴方くらいのもんだ」

 

 一蹴された老人は、悪びれもしなかった。

 白々しくとぼけてみせた後、老いた肉の垂れる皺だらけの口元を、どこまでも醜悪に歪めてみせる。

 否定も肯首も口にせず、ただ嘲笑を返す。それこそが、己の仕業であると認めたも同然の答えであった。

 

 赤衣の瞳に鋭さを増す。

 相手が人間としての倫理など疾くに捨て去った怪物であることは百も承知だ。だからこそ、その背後にある思惑を解き明かさねばならなかった。

 

「目的は何です」

 

 問われたはずの臓硯は、おもむろに空を見上げる。

 雲の間に隠れた月を探すように細められた目で、「目的、か」と老人は喉を鳴らして小さく笑った。

 

「かつてのおぬしであれば、何かにつけて理由を欲しがるような愚は冒さなんだがな。かか――これも成長と蔑むべきか。あるいは退化と捉えて喜ぶべきか」

「昔話でとぼけるのもいい加減にしてくれませんか。人を蟲の苗床にしておいて、理由はなかったなど聞きたくもない」

「案ずるな。理由など、幾らでもあるわ」

 

 臓硯はそう呟くと、枯れ木のような指をゆっくりと一本、立てはじめた。

 

「ひとつは退屈しのぎ。もうひとつは我が悲願のため。さらにひとつは――」

 

 数え上げる指を途中で止め、老人はその酷く歪んだ口元に嘲弄の笑みを浮かべる。

 

「――ほんの少しばかりの慈悲じゃ」

 

 赤衣の眉根が、微かに寄った。

 あまりにも理不尽な言葉の響きに、わずかな不快感を隠しきれなかった。

 

「慈悲……? 人を狂わせ、死へ追いやるあのような惨状が、ですか」

「左様」

「理解できませんね」

「笑わすでない。それは、はなから理解するつもりのない奴が吐く台詞よ」

 

 ふたたび訪れる沈黙。

 夜風が強まり、老松の枝葉がざわざわと蠢くような音を立てた。

 臓硯の眼差しは冷ややかなものである。赤衣の底にある甘さと脆さを、正確に射抜くようだった。

 

「おぬしは、あの男が哀れでならぬのであろう。儂が無理やり蟲を与えたことで壊れてしまったと——そう思っておるのではないか?」

「違うとでも?」

「違う。おぬしは最初から履き違えておる」

 

 臓硯は、楽し気に嗤う。

 

「儂が壊したのではなく、あれらは最初から、とうに壊れておった」

「あれら……? 田中新兵衛以外にもいるのですか」

 

 赤衣の瞳が鋭く細められる。

 被害者が一人にとどまらないかもしれぬという不穏な事実に、危機感を深めた。

 

「さてのぅ。しかし、小童よ。どれほどの犠牲が出ようと、所詮はただの人間。遅かれ早かれ朽ち果てる器に、何を今さら心を痛める?」

「相変わらず、命を道具としか見ていないのか……どのような理由を並べ立てようと、ひとりの尊厳を踏みにじり、人生を破滅させていい道理にはならないでしょ」

「クカカ。よもや、それをおぬしがほざくか?」

 

 臓硯の嘲笑が、一段と深く闇に響いた。

 

「大義を前にすれば、万象すべて些事に過ぎぬと腹に据えていた男が……まるで、己の手で他人の命を秤に掛けたことなど一度もないかのような口振りをしよる」

「……」

「なぁに、心配するでない。儂はすこし背を押してやっただけのこと。歩いたのは、あの男自身よ」

「……あなたらしい、狡い言い方だ」

「ホホ、そう褒めるでない」

 

 臓硯は愉快そうに喉を鳴らした。

 だが、その歪んだ笑みが、不意に潮が引くように消え去る。

 朦朧の面を脱ぎ捨てた老魔術師の佇まいに、夜の密度が一気に跳ね上がった気がした。

 

「さて——儂は、おぬしの問いには答えた。素直にとまでは言わぬが、偽りでもない」

 

 老人は前屈みの背をゆっくりと正すと、着物の裾の下で幾多の蟲を滑らせた。老木の皮めいた皮膚の奥から蟲の羽音が洩れ出し、不快な騒音となって赤衣の耳に届く。

 

「ならば次は、おぬしの番ではないか、小童。先ほどの問いよ」

 

 逃げ道を塞ぐように吐き出された、冷ややかな追及。

 

 ————なぜ、今更になって回路を開いた?

 

 赤衣は一瞬だけ間を置くと、表情ひとつ変えず、あらかじめ用意していたような模範解答を口にした。

 

「……薩摩の人斬りなる者に、あなたの影を感じた。神秘に対するは神秘しか——」

「違う。そうではない」

 

 赤衣の言葉を遮る声は、驚くほど静かであった。

 しかし、だからこそ、そこに含まれた圧力が夜の空気を重く湿らせる。

 

「そんな理屈を聞いておるのではない」

「……」

「分かっておるのだろう? 魔術は所詮、手段でしかない。神代はとうに終わり、この星は人の世となった。故に、人に成せぬことを魔術が成せる道理などない」

 

 臓硯は着物の裾からカサリと蟲の蠢く気配を覗かせ、静かに間合いを詰めた。

 それは単なる物理的な距離の接近ではない。相手の精神へ侵食していくような、不気味な圧迫感すら感じられる。

 

「魔術とは万能にあらず。人の限界をほんの少しばかり拡げるだけの技術――これは、かつて儂がおぬしに叩き込んだ最初の理だ。忘れたとは言わせぬ」

 

 また一歩。じわり、と臓硯は逃げ道を塞ぐように間合いを詰めていく。

 

「ゆえに問うておる。おぬしほどの男が、衝動で魔術を使うはずもあるまい……なぜ、閉じた蓋をわざわざこじ開け、再び神秘へ縋った? 何が、おぬしに魔術を使わせた?」

 

 にじり寄る臓硯に対し、赤衣は微動だにしない。

 だが、その沈黙こそが何より雄弁な肯定であった。

 

「何を見た? 何を感じた? ――何を、恐れた?」

 

 ついに臓硯が、赤衣の手が届くほどの至近距離へと肉薄する。

 吐息すら届きそうな距離で、怪物は歪んだ悦楽を孕んだ声で囁いた。

 

「あるいは――それほどまでに、失いたくないものでも出来たか? あの英霊のように」

 

 皺だらけの口元が、闇の中で三日月のように歪悪く吊り上がった。

 急所を的確に穿たれながらも、赤衣の表情には微かな波紋すら生じない。ただ、その眼光だけが静かに冷ややかさを増していく。

 

「……やはり、変わりましたね、マキリさん」

「ほう? まるで儂のすべてを知ったような口を利くではないか」

「そんなつもりはありませんよ。でも、昔の貴方は善を愛した人だった。人の善を信じ、この世界に救済を求める気高い理想を持った高潔な人だった。だから、俺は——」

 

 語られた青臭い偶像に、臓硯はしなびた指先で己の皮膚を撫で、小さく鼻で笑い捨てる。

 

「ふっ、くだらぬ。随分と美化された記憶(モノ)よ」

 

 吐き出された声には、自虐すら混ざっていない。

 

「おぬしも遠坂の(せがれ)も、勘違いが甚だしいわ。儂は昔から何ひとつとして変わっておらん。人の善など、初めから興味などない。儂は——儂らはただ、この世のあらゆる悪が許せなかった。根絶せしめたかった。ただ、それだけに過ぎん」

 

 老魔術師の内に潜む、数百年前から摩耗することなく燻り続ける怨嗟と執着

 それが、一瞬だけ言葉の端に漏れ出す。

 

「儂が真に愛したものなど、なにひとつとして」

 

 瞬間——。

 

 臓硯の首が、なんの脈絡もなく宙を舞った。

 

「————」

 

 赤衣の目が、僅かに見開かれる。

 斬撃の起こりすら生じなかった。

 殺意の匂いも、刃の気配すら一切存在しなかった。

 ただ、首が落ちた。その結果だけが、意識の隙間でも縫ったかのように突如として現出していた。

 

 ゆらりと影が落ちる。

 首を失った老木の残骸の後ろ――暗闇の中に、いつの間にか少女は佇んでいた。

 

「……河上殿?」

「早く離れて」

 

 彦斎の口から、そう短く告げられる。

 彼女は刀の柄に手を掛けた構えのまま、首を失った胴体を見据えていた。

 

「ソイツ、あの薩摩と同じ——人を斬っているのに、人を斬っている感触がしなかった。危険すぎる」

 

 その声には、確固たる手応えを得られなかった惑いと、気味の悪さが混じっていた。

 首を刎ねた感覚はある。だが、そこにあるはずの命を断った手応えだけが一切返ってこない——誰よりも「斬る」ことを熟知している彼女だからこそ、その異様な手応えのなさに、必然と神経が研ぎ澄まされていた。

 

 だが——いくら感覚を研ぎ澄ませようと、予知できぬこともある。

 ましてや、条理に反していることであれば、尚の事。

 それも、斬った死体から何かが飛び出してくるなど、考えもつくはずがない。

 

「……?」

 

 ぐちゃり、と首を落とした臓硯の断面が、不気味に蠢く。

 次の瞬間、傷口から黒い塊が噴き出した。

 血ではない。無数の蟲だ。それも十匹や二十匹——そんな数ではない。

 傷口から溢れ返った蟲の群れが、まるで弾けた墨のように四方へ飛び散る。その一群が、黒い濁流となって一直線に彦斎へ襲いかかった。

 

「――っ」

 

 彦斎が跳躍のために身を引く。

 だが、その一瞬よりも早く、赤衣が地を蹴って踏み込んだ。

 

「わっ――」

 

 前から伸びた腕が、彦斎の身体をさらっていく。

 そのまま腰を抱え込まれ、引き寄せられた時には、すでに彼女の足は宙に浮いていた。

 まるで人攫いのように。文字通り抱え上げられた格好のまま、赤衣は容赦なく再び地面を蹴る。

 逃げるというより、地面そのものを蹴り飛ばすような勢いで、二人の身体は夜の庭を瞬時に横切っていた。

 

 無数の蟲が、先ほどまで二人のいた場所を掠めていく。

 地面へ叩きつけられたもの、宙を狂い舞うもの――そのどれもが異様な速さで蠢いていた。

 やがて赤衣は十分な距離を稼ぐと同時に速度を殺す。着地ざまに身を反転させ、抱え込んだままの体制で臓硯へと向き直った。

 

「……」

「……」

 

 数瞬の間、二人は何も言わなかった。

 何が起きたのか追いついていない彦斎は、己の腰に回された無骨な腕を見下ろし、それから怪訝そうに赤衣の側顔を見上げる。

 

 何か言おうとしたが、彦斎は口を閉じた。

 先ほどまでとは、まるで別人である。

 麦飯のおにぎりを差し出してくれたときの、あの柔らかな顔も。こちらの体調を気遣い眠りへと誘ったときの穏やかさも、今はどこにもない。

 ただ臓硯の死体だけを睨みつける横顔には、触れれば切れるような、言い知れぬ危険な棘が立ち込めていた。

 

「……えっと」

 

 思わず、少しだけ困ったように眉を下げる。

 その消え入りそうな声に反応したのか、赤衣がふと視線をこちらへ落とした。

 途端、刺々しいまでの鋭気が、まるで嘘だったかのように霧散する。

 

「ああ、いきなり抱き上げてすまぬでござる、河上殿。怪我はないでござるか?」

「いや、えっと……ない、けど?」

「そうか。それならよかった」

 

 いつもの、どこか世話焼きな男の顔だった。

 あまりにも自然にそう言うものだから、彦斎はかえって毒気を抜かれ、戸惑ってしまう。

 一瞬前まで己を抱え、鬼気迫る勢いで夜の庭を駆け抜けた男と同一人物だとは、到底思えなかった。

 

「貴方——」

 

 そう、彦斎が核心に触れようとした時だ。

 さも楽し気なささやき声が、どこからともなく嘲弄を送ってくる。

 

『おお、恐ろしいのォ。出会い頭に斬りかかってくるとは。随分と手荒な挨拶をする小娘がいたものよ』

 

 その声は、先ほど跳ね飛ばした首からではない。

 庭の暗闇へ四方八方に散っていった、あの無数の蟲の一匹一匹から、臓硯の肉声が重なり合って降っていた。

 抜き出したままになっている刀を構えながら、彦斎は影の中で蠢くそれらへ目を凝らす。

 

「この声……まさか、斬られた後でも、生きてるっていうの?」

 

 さっき首を刎ね飛ばしたかのように見えた老人の肉体は、幻覚の類だったのか。あるいは、間桐臓硯のには、もとより人としての機能が存在しないのか。

 首を撥ねたところで、この老人は死なない。いや、この無数の蟲こそが臓硯という存在そのものであり、本体を潰さない限り殺すことすら叶わない。

 なんにせよ、斬った感触からも分かる通り、あれは怪異だ。怪異であれば、どのような不条理としてもあり得てしまうのだろう。

 彦斎は動揺を悟られぬよう、そっと襟巻を引き上げ、口元を隠した。

 

『くかかか。そう己を蔑むこともないぞ、小娘。おぬしに斬られた蟲どもは、一匹残らず死んでおる。協会の狗でもないくせに、随分と人間離れしたものよ。儂とて、これ以上の長居は命懸けか』

「話がまだ終わってはおらぬでござるよ。貴方の目的を、某は最後まで聞けてはいない」

『そう焦るな、小童。今宵は、懐かしい魔力を感じ、ふらりと現れただけの道楽に過ぎん。またいずれ(まみ)える機会もあろう』

 

 多重に響く嘲笑が、暗闇の中で次第に遠のいていく。

 

『その時までには、儂と五分にわたり合えるよう魔術回路をすべて開いておくがいい。今の腑抜けたおぬしを甚振り殺したところで、何の身にもならん。あの時の決着、楽しみにしているぞ。くかかかかかっ』

 

 不気味な哄笑だけを残して、臓硯の気配は闇に溶け込み、消失した。後には、刀を構えたままの彦斎と、案山子のように立ち尽くす赤衣だけが残された。

 あまりにかけ離れた神秘を目の当たりにし、彦斎の肌にはざらついた不快感がまとわりつく。だがそれ以上に、隣に立つ男から漂う影の深さが、彼女の問いを躊躇わせた。

 かつてこの男が背負っていたもの、そして今もなお引きずっている過去の重み。先ほどの老魔術師との短いやり取りの中にも、それは凝縮されていた。

 

「ねぇ……」

 

 しかし、この状況に耐えかねたのか。彦斎が、おそるおそると言った様子でぽつりと訊ねる。

 

「あれ、なんだったの……?」

「……あまり、口にしたくはないでござるな」

「……そう」

 

 赤衣の返答を聞き、彦斎はそれ以上、追求しなかった。

 聞き出そうと思えば、いくらでも詰問できたはずだ。しかし、男の背中に滲む拒絶と憂いを感じ取り、そっと刀を鞘へと納める。

 ただ、去り際に老人が残した「あの時の決着」という言葉の真意を反芻するように、少しだけ考える目で赤衣を見つめていた。

 




久々に本物の臓硯を書いたけれども、こんな感じだったっけというのは思いながら書いた。別小説で、書いた以来だから、本当に懐かしいのです。

さて、本文では、なんかさらっと色々と重要なことを吐いてたけど、まぁ想像力で補っていただきましょう。

赤衣の過去の一端を知った彦斎さんですら、深く聞かなかったしね。
どうやら沖田と一緒で、相手が言いたくなるまで待つスタイルにしたそうです。
やったね、彦斎ちゃん! 赤衣ポイントが大きく増えるよ!
最近、このネタ通じないんですよね。
ジェネレーションギャップかな?

はてさて、どうでもいい豆知識でも書こうかと思ったけど。
今回は幕末と言うより、Fateしすぎているからやめておこうか。

みなさん、明日のFGOの星5セイバーの強化で沖田さんが来ることを願って寝るんだぞ。
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