殺さずの剣客、そして人斬りの君   作:ただの物書き

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ちょこっと、最後にアンケートもしてみるぞ


人斬り新兵衛 上

 文久三年五月十五日。昼八つを過ぎた頃合いだった。

 島原の廓から千鳥足で繰り出してきた岡田以蔵は、両脇を次郎と戸吉に抱えられるようにして、五条の橋へと差し掛かっていた。

 足元はおぼつかず、口からは酒の匂いを撒き散らしながら、上機嫌に鼻歌まで漏らしている。

 欄干の下では、五月の長雨を集めた川が、いつにも増して勢いよく流れていた。

 

「以蔵さーん、ちゃんと一人で歩いておくれよ。落っことされるのだけは勘弁だからねー」

「ん〜? わしゃ酔うちょらんぞ……酔うちょらんったら、酔うちょらん」

「酔うてへんやつは、誰かに支えられることもせぇへんわ。はぁ……」

 

 到底説得力のない返事に、両脇の男たちは顔を見合わせ、苦笑した。

 昨夜、博打で当てた大金を、遊女を侍らせ一晩で使い果した挙句がこの有様だ。

 武市からの「丹後へ行け」という命など、どこ吹く風。京に居座って人斬り新兵衛を追う身でありながら、目の前に転がり込んだ大金に飛びつき、酒と女をただただ刹那的に味わい尽くしていた。

 言うなれば、この男はどこまでも考えなしで、向こう見ずな性格だったのである。

 

 と、その時、戸吉がふと橋の向こうへ目をやった。

 

「ん……? ねぇ、あれって以蔵さんの連れてた兄ちゃんじゃない?」

 

 もう片方の脇を固めていた次郎も、釣られて目を凝らす。

 

「あー、たしかに。なんや、急いでこっちに走っとるな」

「阿呆言え。あん男は今頃、旅籠でくだ巻いてる頃合いじゃ。こんな所におるわけないぜよ」

 

 そう以蔵が軽口を叩きながらも、視線をやった先——しかし、たしかに、こちらへ向かって橋を渡ってくる人影があった。

 しかも、只事ではない形相である。

 鬼気迫る、という言葉がそのまま当てはまるような顔つきで、赤衣は橋のたもとへと駆けてきていた。息を切らし、着物の裾を乱しながら、脇目も振らず、まっすぐにこちらの——いや、こちらというよりは橋そのものへと向かっているように見えた。

 

「なんか、急いでるっぽいけど……」

「以蔵さん、あんたまたなんか怒らせるようなことしたんか?」

「ま、まさか! 自分だけ置いて島原で豪遊したから、怒ってるんじゃ……!」

「んなっ!? わしはちゃんと誘ったきぃ!? それを断ったんは、あっちじゃ!!」

 

 図星を突かれたように大声で反論する以蔵。それを疑うような目で見つめる二人であったが、さらに赤衣の後ろから、もうひとつの人影が猛然と追いすがってきているのが見えた。

 

「あれ……? あっちは、壺振りしてた子じゃない?」

 

 そう戸吉が言えば、次郎と以蔵も、赤衣が走ってきた方向へと再び目をやる。

 たしかに、赤衣よりかなり距離が離されているが、その後ろに後ろ手で髪を結った剣客が、猛追するように走っていた。

 なぜ、赤衣と彦斎が揃って血相を変えて走っているのか。

 ましてや、この橋の上に一体何の用があるというのか。

 訳が分からぬまま以蔵たちが立ち尽くしていると——赤衣は正面の以蔵らに気づく様子もないまま、勢い良く欄干へと足をかけた。

 

 まるで、そこから飛び下りることに何の躊躇もないかのように。

 

「お、おい——」

「み、身投げだーー!」

「ひぃ!! 誰か、止め——」

 

 橋を行き交っていた人々の間に、どよめきが走った——瞬間。

 タンッ——と欄干を蹴り、赤衣の体は宙へと躍り出る。

 

「!!!?」

 

 以蔵も、戸吉も、次郎も、声を失った。

 下を流れるのは、五月の長雨を集めて荒れ狂う鴨川の濁流だ。水面までは相応の高さがあり、着物と刀を身につけたまま落ちれば、叩きつけられた衝撃で気を失うか、水を吸った衣類に引きずり込まれて瞬く間に溺死する。

 正気の人間なら、足をすくませるような死地。

 そこに、男は寸分の躊躇もなく身を投げたのだ。

 

「あん、バカがあぁぁッ!」

「ちょ、以蔵さん!?」

「おい、お前まで、まさか——!!」

 

 叫んだときには、以蔵の体も、既に動いていた。

 両脇を支えていた仲間たちを乱暴に押し退け、酔いなど吹き飛んだ勢いのまま、欄干を蹴って川へと飛び込む。

 

 その水音に重なるように、もう一つ——彦斎の体も、同時に川へと吸い込まれていった。

 

 

 

 

 

 

 

 — 壱 —

 

 

 鉄の匂いと、生温かい返り血。それがおいの日常じゃった。

 人はおいを人斬りと蔑み、暗鬼と恐れる。結構なことじゃ。おいは、ただその言葉通りの血を流してきた男に過ぎん。

 誰に恥じることもなか。誰に詫びることもなか。

 おいはただ、そう名乗るだけのことをしてきた厄介者(やっけえもの)(ちげ)えね。

 

 そもそも、おいの生まれは薩摩の湊で、父は主君の御座船を任された、しがない船頭じゃった。

 武士でもなんでもなか、ただの船方の倅がおいじゃ。田畑どころか、名字帯刀すら許されん家に生まれてきた。

 じゃども、そんなおいも誰にも負けんことがあった。

 それが、剣じゃ——剣だけは、誰にも負けんかった。

 物心ついた頃から、見様見真似で木刀を振り続けた。誰に習うたわけでもなか。ただ、振って、振って、振り続けた。

 その太刀筋を見た御方の目に留まり、おいは取り立てられた。船方の倅が、島津家一門の陪臣にまで取り立てられた。国元では、「あの船頭の倅が」と、誰もが驚いた顔をしよったが、おいにしてみれば当然のことじゃった。

 おいの振る太刀には、武士の家柄も身分も関係なか。

 ただ、命を奪うためだけの刃がそこにあるだけじゃ。

 剣一本で、身分を越えた。それが、おいの誇りじゃった。

 

 京へ上ったのは、いつのことじゃったか。もう、はっきりとは思い出せん。

 ただ、あの都に流れ込んだ瞬間、息が詰まったのだけは覚えちょっと。

 公家、幕吏、諸藩の浪士――誰も彼もが、腹の底で何かを企んじょった。田舎剣客のおいには、まぶしいと言うより、薄気味わるい場所じゃった。

 そんとき、島田左近という男を知ったとじゃ。

 九条家に出入りし、幕府方に都合のよかように朝廷を動かしっておった男じゃ。尊攘の志士をとっつかまえ、仲間を殺した。そういう噂は、京におれば嫌でも耳に入ってくる。

 誰かがやらねばならん。そう思うた。

 いや、正直に言えば――誰かがやると決めた話に、おいが乗った。それだけのことじゃった。

 

 一か月——ほんに(なご)う時を窺ったのを、今でも覚えちょっと。

 奴の行き先、供の数、帰りの刻限、果ては愛妾の屋敷まで、ことごとく調べ尽くした。

 息を潜めて追い続け、ようやく一人になった隙を突いたその一瞬を穿つ。

 抜刀から畳み込むまで、瞬きひとつ分。声すら上げさせず、すべてを終わらせた。

 ——斬ったあと、何を思うたか。

 正直、何も思わんかった。ただ、「これで一人、都から悪が消えた」──精々、それだけの冷ややかな感慨じゃった。

 じゃっどん、周りは、おいの思うたようには収まらんかったらしい。

 島田を晒し首にし、斬奸状を掲げ、天下の偉業だと騒ぎ立てった。今思えばあれは、おいの意志というより、おいを担いだ者たちの意志じゃったと思う。

 天誅——その二文字が、都を席巻していく様を、おいはただ見ておった。

 そうして「人斬り新兵衛」の名ばかりが、勝手に一人歩きを始めた。

 

 人斬り新兵衛の名が売れてからは、声をかけてくるもんも増えた。

 長州から始まり、久留米、水戸、肥後、筑前……誰も彼もが、おいの刀に何かを見出しちょった。おいはただの田舎剣客じゃったのに、いつの間にか、大層な看板を背負わされてしもうた。

 ——だが、正直、その頃のおいには、剣を振るう理由なんぞなかった。

 人を斬れば、担がれる。担がれれば、また斬る。それの繰り返しじゃった。

 船方の倅が、剣一本で成り上がった。その先に何があるのか、おい自身、分かっておらんかった。

 

 ちょうどそんな頃じゃったか。

 土佐の武市瑞山——いや、武市半平太と名乗っておったあの男と出会うたのは。

 

 初めて顔を合わせたとき、おいは正直、拍子抜けした。

 目の前に座る男は、剣を振るう腕もなさそうなら、血生臭さもない。どこにでもおる静かな男に過ぎんように見えた。

「天下を語る志士が、こんな男か」とおいは心の中で笑うた。

 じゃが、それはおいの目がなかっただけで、実際は(ちご)うた。

 男の目は、いっさい笑っとらんかった。言葉遣いは丁寧じゃのに、その奥にあるものは、おいのような人斬りよりも遥かに冷たく、底が知れんかった。

 

『田中君は、船方の生まれで陪臣にまで成り上がったと聞いた』

 

 はじめに男は、穏やかな口調でおいの生い立ちを口にした。

 

『そいがどうかしたか』

『いや。大したもんじゃと思うたまでよ。この国は、生まれた家で人の値打ちが決まってしもうちょる。百姓の子は百姓、船方の子は船方。なのに田中君はそいを、その腕一本で覆したがじゃ……ほんにすごい男と思うたがじゃ』

 

 おいは、何も返せんかった。

 困惑した、と言うた方が正しいかもしれん。

 おいの周りにおる武家どもは、誰も彼もがおいを「船頭の倅」と見下すか、「重宝な人斬り」として扱うかのどちらかじゃった。

 剣の腕を褒められたことはあっても、おいの生い立ちそのものを、こうも真っ直ぐ肯定されたことなど一度もなか。

 腹に何か一物あるのではないかと身構えたが、男の瞳には蔑みも、おいにすり寄る邪心も見当たらんかった。それが余計に、おいを狼狽させよった。

 

『わしはの、田中君。君のように身分関係なく、志あるもんが平等に活躍できるような国に変えたいと思うちょる』

『戯言をぬかすな。国を変えるだの、世を動かすだの……そがんこたあ、お上や上士の考えることじゃ。おいたちみたいな下の者が口を挟むことじゃなか』

『その古い考えが、今のこの国を弱らせていると思わんか』

 

 男は穏やかな口調のまま、静かに盃を置いた。

 冷やかすような色はいっさいなか。ただただ真っ直ぐにおいの眼孔を射抜いてくるその目に、おいは思わず息を飲んだ。突っぱねようとした言葉が、喉の奥でつっかえて出てこんかった。

 おいが口を閉ざしたのを見届けると、男はさらに続けた。

 

『生まれで決まるがじゃのうて、何を成したかで人が測られる国にせねば、いずれ日ノ本(ひのもと)は異国によって滅ぼされる。そうならんためにも、腹の底から作り変えねばならん。君の剣は、そのためにこそ振るわれるべきと、そうは思わんか?』

 

 返す言葉が見つからんかった。

 胸の奥を、熱い塊が突き破っていくような心地がした。

 長州や水戸の志士たちも、口を開けば「尊皇」だの「攘夷」だのと威勢よく語ってはおった。じゃが、おいにしてみれば、どれも高尚な身分の者が唱える空々しいお題目にしか聞こえんかった。おいたちのような下の者には関わりのない、雲の上の話じゃと。

 じゃども——この男は違った。

 どこまでも静かな声でありながら、その言葉には、己の命もろとも国を丸ごと叩き壊すような、凄絶な本気が宿っておった。

 都に出てからというもの、ただ流れるがままに悪を斬り、その先に何があるのかも分からず刀を振ってきたおいに対し、この男は誰も見せてくれんかった「この国の明日」という景色を目の前に突きつけてみせた。

 ただ人を斬るためだけの剣に、初めて意味を持たされた気がした。

 誰かに担がれるだけじゃった刀が、ただ世情に流されていただけの剣が。初めて、おい自身の意志で振るえる刀になった――そう、思うたんじゃ。

 

 それから、おいと武市——いいや、武市先生は義兄弟の盃を交わした。

 あの夜のことは、けっして忘れはせん。安酒じゃったが、あれほど旨い酒を、おいは他に知らん。

 

 それから、おいは土佐勤王党の連中とも肩を並べるようになった。薩摩者でありながら、土佐の男たちに交じり、同じ夢を見た。

 国を変える——生まれではなく、成した事で人が測られる国を作る。

 その夢のためになら、おいの刀は、いくらでも血に濡れて構わんと思うた。

 

 ——じゃっどん、今にして思えば、あの頃から少しずつ、何かが狂い始めておったのかもしれん。

 

 武市先生の言葉は、日を追うごとに、苛烈さを増していった。

「変える」が「壊す」に近づいていき、おいの刀も、それに合わせるように迷いというもんを失っていった。

 誰かを斬るたび、それが本当に国のためになっちょるのか、確かめる暇すらのうなっていった。

 

 だが、何もかもが決定的に狂うたのは、あの夜からじゃ。

 いつの誰の紹介じゃったか、それすら曖昧じゃが。気づけば、おいと武市先生は薄暗い座敷で一人の老人と向き合っておった。

 異様な男じゃった。皺だらけの顔の奥で、なにかが這いずり回っちょるようなおぞましさがあった。

 まとう空気が、生きた人間のそれとは違う。腐れた土のような、饐えた匂い。あれを人と呼んでええものか今でも分からん。

 

『くかかか。まだ足りぬな』

 

 名乗りもせん老人は、そう言うた。

 

『足りぬ、とは?』

 

 そう問うたのは、武市先生じゃった。

 老人は、皺だらけの口元を、笑みの形に歪めた。

 

『おぬしたちの掲げる理想は、なるほど美しいのだろう。しかし、青い……青すぎるわ、若造ども。美しいだけでは悲願など達成できはせぬ。もっと多くを斬り、もっと多くを変えねば、世界など動きはせんということよ』

 

 ——そのための力を、わしが貸してやろう。

 その言葉に、おいと武市先生が、どう応えたか——正直、よう覚えとらん。

 じゃっどん、これだけは言うておく。

 誰に無理強いされたわけでもなか。

 あの老いぼれの口車に乗せられたのは、認めよう。それでも、最後に頷いたのは、おい自身じゃ。体の中にあれらを飼うと決めたのも、おい自身の意志じゃった。

 

 だから。

 おいの刀が誰を斬ろうとも、それはおいの意思じゃ。




ということで、連日投稿。
今回は場面転換が多そうなので、区切っていくゾ。

みんな、感想とかで彦斎と沖田の未来を見たがっているようだけど、まぁ、この編が終われば見えなくもないと思う。ちょっと悩んではいるけれどね。
当作品は選択肢を間違えたら、すぐにバッドエンドに向かうストーリーしているので。
まぁ、そこも踏まえて、また協力していただきましょう。(⌒▽⌒)

ということで、お待たせ、待った?
久々にちょこっと豆知識書くよ。
京都在住の方、お待たせいたしました! 今回はすこし鴨川について語りましょうぞ。

てなわけで、今回、赤衣と以蔵が飛び込んだ鴨川についてなんだが。
現在の鴨川は綺麗に整備されているけど、どうも昔から今のような穏やかな川だったわけではないんだよね。
鴨川は古くからたびたび洪水を起こす川で、平安時代には白河法皇が思い通りにならないものの一つとして挙げた逸話が残ってたりするほど。
もちろん幕末にも堤防や石垣などの治水施設はあったらしいけど、ただ、それでも大雨の際には増水・氾濫を繰り返していたみたい。
現在のような鴨川の姿が整えられていくのは、昭和10年の大水害を契機とした大規模な河川改修以降なんだぜ。

ちなみに、当作の作中時期ですが、旧暦とかいろいろ書いてるけど、
西暦でいえば、1863年6月30日。現在でいう梅雨の時期と重なる頃。


さて、そんなことも書いた後にですが、すこし書いてて気になってることがあるんだ。
そういえば、みんなどれくらい幕末とか、そういう知識があるんだい、と。
なるべく、誰でも読める簡単時代小説風を装っているが、それでも説明しないものに関しては、説明していない(脚注つけると読みにくいんだ、原稿時に…)ということもあり、かなり置いてけぼりにしてたら、申し訳ねぇ!とおもってるんだ。
だから、少しお声を聞かせておくれよ。

現在の作品を読んでいて、「幕末の知識が足りなくて分からない」と感じることはある?

  • 特にない。普通に理解できてる!
  • 分からないことはあれど、雰囲気で読めてる
  • 分からないことはあれど、困っていない
  • ところどころ分からなくて読みづらい
  • なんも分からん、助けて
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