殺さずの剣客、そして人斬りの君 作:沖田愛好家
誰も彼もが寝静まった晩のことである。微かに灯る行灯の光に照らされた一室に、二人の男がいた。
一人は、芹沢鴨。
不遜にあぐらをかいたその巨躯は、愛用の鉄扇を、ぱったぱった、と一定の律動で弄んでは冷酷な双眸で目の前の男を見下している。
それに対しもう一人は、家里次郎。
傲然たる芹沢とは対照的に、彼は湿った畳へ擦りつけるように額を伏せ、惨めに平伏していた。
力関係など、語るまでもなく一目瞭然であろう。
強者は芹沢、弱者は家里。
壬生浪士組の中でも確固たる一派の長として認められていたはずの家里が、今、ただ一人の男の前に完全に屈服しているのだ。
それが意味するところはひとつ。
不意に――パタ、と。鉄扇の動く音が止まった。
「どどど、どうか命だけはお助けを!!」
「ふっ。それでも君は武士なのかな? 頭を下げればなんでも許されると?」
「め、めめめ、滅相もございませんっ!」
完全に怯えきっているのか、家里の舌はまともに回っていない。
それもこれも、全ては彼の仲間達が壬生浪士から逃亡したことにあった。
殿内暗殺未遂から、勢力は一転。根岸ら数名が江戸へと勝手に東したのだ。
当然、取り残された家里が壬生浪士で活躍するためには、どこかの陣営に与するしかない。
かといって、武士の誇りを捨てきれない家里百姓の出である、近藤勇に頭を下げることだけは頑として拒んだ。
客観的に見ればあまりに愚かで、馬鹿げた意地。だが、この定まらぬ狂乱の時代において、その程度の体裁 に命を懸ける男は決して珍しくなかった。
となれば残る選択肢は一つだけ。芹沢一派への仲間入りである。
家里はそれを実行するため、こうして芹沢へ頭を床に擦り付けているのだ。
だが、それを見ている芹沢の目は非常に冷めたものだった。
「私はね家里——別に人助けを趣味にしているわけでは無いのだよ。お願い事をするときは、相手方に何かしらの便益を示す……それが常識というものじゃないかね?」
苛立っているのか、それとも嘲笑っているのか……。
芹沢の言葉の節々からは、家里を圧迫するような力が見て取れた。
決して、ただの武士として生きただけでは、このような圧迫感は身につかない。家里もそれを重々承知しているため、余計に冷や汗が流れ落ちる。
「べ、便益ですか……? ししし、しかし、私にはそのようなもの……根岸らも帰東してしまいました! 仲間を差し出そうにも、何も残っておりませんッ!!」
吃音混じりに、喉を震わせながら家里が言う。
彼の言う通り、家里が芹沢へ差し出せるものなど何一つとしてないだろう。金も、人も、情報だって、彼は命に見合うだけのものを所有していないのだから。
だが、そんなことは芹沢だって分かっている。共に壬生浪士に所属し、一派の頂点同士だった間柄。今の家里が献上できるものなど、彼が欲しいとすら思わないガラクタばかりであろう。
それでも芹沢は余裕を持った笑顔を浮かべたまま、持っていた鉄扇をパッと横に振るう。
「いやいや、問題ないさ。私の頼み事は、君が一肌脱ぐだけで解決するほどの些事だよ」
「わ、私がですか……?」
あり得ないことを聞いたように、家里は強張った顔を上げた。
己の身一つだけで出来ることなど、たかがしれている。元々、浪士組の取りまとめ役に任命されたのも、ただの運でしかなく、家里の実力など誰も見向きしないものばかりである。
そんな家里が単身で粉骨砕身に頑張っても、芹沢が満足する事など起きようもないと思えた。
それ故、妙な懐疑心だけが家里の胸中に燻っていく。
「安心したまえ、君には今から大阪へ行ってもらう。あの無能な徳川の護衛役としてね」
「そそそそ、そんなことができるのですか!?」
「私にもそれなりのツテはある。あちらも見栄を張るため人手は欲しいだろう。私が推薦しなくとも、惜しまずに働き手は受け取るさ」
そう吐かれた芹沢の言葉に、嘘はないように見受けられた。この男が「出来る」と言うのであれば「出来る」のだろう。それだけの凄みが芹沢にはある。
だからこそ家里は分からなかった。
尊王攘夷派である天狗党出身の芹沢が、まさか将軍の護衛職に就くのと引き換えに、自分の命を見逃してくれるなど、おかしすぎる提案だ。
確かに昨今では公武合体が進んではいる。福井藩や土佐藩、それに薩摩藩と言った大名たちもそれを後押ししているのが現状だ。
けれど、そんなもの表面上の話だけ。攘夷志士は天皇の妹を人質にとったと非難し、去年には坂下門外の変を引き起こす始末。
佐幕派の近藤がこの命令を出すならまだしも、どちらかといえば倒幕派にも近い思想を持つ芹沢が、将軍家をお守りするために命令するとは考えられなかった。
——何かしらの裏がある。
家里はすぐにそう勘繰った。
そして、その答えはすぐに出る。
「君は大阪に行ったら、ここに書いてあることを実行するだけでいい。詳細は追って新見か平山から伝えさせる。準備が出来次第、そちらからも文を寄越したまえ」
家里の予感は見事的中し、芹沢は本題と思われる書簡を投げ渡す。
さらさらと紙が家里の目前に舞い落ち、手に持って見てみれば、そこには思いもよらない文書が書き連ねられていた。
「こ、こここ、これは、正気ですか、芹沢殿……!?」
思わず口が乾く。呼吸は乱れ、大きく見開かれた目は充血し血走った。
先ほどまで命の瀬戸際に立っていたはずなのに、さらに崖っぷちへと追い込まれた気分だ。
そんな家里を見て、芹沢は獰猛に口端を吊り上げる。
「——いいかね、家里。この芹沢鴨が望んだ以上、失敗は断じて許されない。命が惜しくば、尽忠報国――武士の誇りにかけて生き足掻いてみせろ」
これから待ち受ける困難も、苦難も、辛酸さえも。
全てを見透かしたような発言に、家里は思わずごくりと唾を飲み込んだ。
― 壱 ―
そんな密会が交わされた数日後のことである。
芹沢の部下兼狗となった赤衣の1日は実に多忙であった。
誰よりも朝早くに起きては八木邸外を掃除して周り、朝日が昇る頃には壬生浪隊士たちの朝食のため麦飯を炊く。
昼になれば、八木邸に住まう者たちが脱ぎ散らかした衣類を掻き集め洗濯し、また食事を作る。
夕刻には八木邸の子息たちの面倒を見ながらも、芹沢から頼まれた酒と煙草を買いに行き、そしてまたもや食事を作る。
これだけ見れば、ただの奉公人と思われてしまいそうだが、残念ながらこれが現実である。芹沢に傘下へ入るよう言われたものの、それらしい働きを男は未だ命じられていない。
本当は「ただ小間使いが欲しかっただけなのでは?」と思われても仕方のないレベルである。
今だって、男は芹沢から何も言われないため、自主的に隊士たちの衣類を集めては、八木邸の子供たちと一緒に洗濯していた。
「ござるー、ござるー! 見てみて! とぎ汁お化け!」
「とぎ汁お化け!!」
「はははは、二人とも顔が白いでござるなー」
八木家の子息、為三郎と勇之助が洗濯の際に使う米のとぎ汁を顔面につけてはしゃぐ。赤衣の剣客はそれを見て、にっこり笑うと二人の顔を手ぬぐいで拭いてやった。
何気ない日常の一幕とは、きっとこういうことを言うのだろう。
子供が笑い、それを見て大人もつられて笑う。
京の街には似合わぬ、「平穏」という二文字がとてもふさわしい光景だ。
だが、そんなものなど知ったことかと言わんばかりに、一人の男がその日常に冷や水を掛けた。
「——おい、狗。ついてこい」
井戸端まで響いたその呼びかけは、庭に隣接する部屋から出てきた芹沢の言葉である。
いつもなら「おい、買ってこい」が決まり文句となりつつあるくせに、今日は珍しく「おい、付いてこい」という言い回しになっていた。
どうせ拒否したところで、聞いてはくれないのはここ二週間で男も理解している。
そのため、赤衣の男は素直に襷を外して立ち上がった。
「はいはい……相変わらず唐突でござるなぁ。為三郎と勇之助、悪いがこれをあそこへ運んでおいてはくれぬか?」
赤衣が洗濯が終わっていない分を縁側の方へ持っていくようお願いすると、二人の子供はそれを聞いて頷き。
「うん、いいよ! その代わり帰ってきたら鬼ごっこしよ!」
「僕も、僕も!」
「よし、分かった。しかし、二人とも足が速いからなぁ。某ひとりでは捕まえるのは難しいかもしれんなぁ」
赤衣は二人の子供の頭をそっと撫でてやると、そのまま縁側にいる芹沢へ近寄った。
「随分と馴染んでるようだね」と芹沢が含み笑いで男に言う。
「おかげさまで」と赤衣の男は屈託のない笑顔で返した。
「芹沢殿も、案外と子供好きなようでござるな。為三郎が、また芹沢のおじさんに絵を描いて欲しいと、寂しそうに吐きこぼしていたでござるよ」
「ふん……気が向いたらな」
赤衣の言葉に、芹沢はぶっきらぼうに鼻を鳴らした。
その目線はどこか遠くへと飛ばされている。これがこの男なりの不器用な照れ隠しなのだと思えば、赤衣の男も思わず破顔せずにはいられなかった。
となれば、いつものお返しに少しばかりからかってやろうと、彼の脳裏に小さな悪戯心が芽生える。
具体的には、その大きな背中に向かって「おやおや、照れてるでござるか?」と執拗に連呼し、この巨漢の羞恥心を煽り立ててやろうという試みだった。
だが悲しいかな、この赤衣の浪人に備わっている挑発の才は、お世辞にも褒められるものではなかった。
どれほど壊滅的かと言えば、寺子屋に通う幼子のほうが、まだしも小粋で効果的な悪口を叩けるというレベルである。
結果、後ろから「おやおや、照れてるでござるか? もしや照れてるでござるか?」と壊れたからくり玩具のように連呼してくる男を、芹沢は盛大に無視した。
己の不機嫌を撒き散らすような足取りで、目的の部屋へとずんずん突き進んでいく。
「ここだ、開けろ」
完全な無反応を決め込んでいた芹沢が、ある一室の前でピタリと足を止め、顎で命じた。
「む、ようやく話したかと思えば……それくらい自分で開けて欲しいのだが」
「狗が主人に歯向かうと?」
「普通、狗は障子を開けれんでござるよ」
芹沢の放つ、骨を凍らせるような怒気すら、赤衣はどこ吹く風と笑顔で受け流す。
もし今ここに、芹沢を神と崇める水戸派の隊士たちが集結していれば、主君の機嫌を損ねまいと、寄席の幇間よろしく大慌てで障子に飛びついていたことだろう。
だが、ここにいるのは狗と揶揄されてはいても、その本質は飼い慣らせぬ浮浪の徒。
あるいは、抜けたトーンの裏に牙を隠した、甘噛みしかしてこない妙な狂犬である。
当然、芹沢からすれば額に青筋が浮かぶほどに目障りな口答えであったのに間違いはない。
その為、芹沢は大きく舌打ちを繰り出した。
「ちっ……いちいちと減らず口を叩く狗だ」
芹沢はそれ以上の問答を諦め、乱暴な手つきで自ら障子を押し開けた。
二人が足を踏み入れた座敷。そのなかに佇んでいたのは――近藤勇、山南敬助、土方歳三。そして、芹沢の腹心たる新見錦の四人であった。
赤衣からしても、彼らは見知らぬ赤の他人というわけではない。手狭な八木邸で二週間も寝食を共にしていれば、否応なしに顔を合わせる機会も増えるというもの。
なかでも、理知的で人当たりの良い山南は、とりわけ気さくに接してくれる部類の人間だった。今朝も朝食の席で、他愛のない世間話に花を咲かせたばかりである。
あちらもその記憶が新しいのだろう。山南は浪人の姿を認めると、一瞬だけ驚きに目を見張ったが、すぐにいつもの穏やかな笑みを浮かべて小さく会釈をくれた。男もそれに合わせ、自然な笑みを返して一礼する。
「ほう。どうやら私が最後のようだ」
なんの悪びれもなく、芹沢が傲然と言い放った。
その声音が響いた瞬間、どっかりと胡坐をかいていた土方の太い眉が、ピクリと不愉快そうに跳ね上がる。だが、その一触即発の火花を遮るように、芹沢の腰巾着たる新見が、大袈裟な身振りで芹沢の足元へすり寄った。
「いえいえ。芹沢先生を少しでもお待たせせぬよう、我々が早めに参上したまでです」
だが、そんな新見も赤衣をチラリと見れば、額に縦皺を寄せた。
どうもこの新見という男、赤衣が住み込みだして以来、執拗に敵意を向けてくる。今日も今日とて、芹沢が己ではなく、得体の知れない浮浪の狗を伴って現れたことが気に入らないのだろう。
平たく言えば、大好きな上官を取られたという嫉妬であった。
しかし、芹沢は新見の思惑など一顧だにせず、悠然と広間の上座へ腰を下ろす。
赤衣も席には就かず、すっと気配を殺して壁の柱へと身を凭れ掛けさせた。
「それで、話ってのは何だ、芹沢さん。まさか、そんなくだらねぇ面を拝ませるためだけに、わざわざ俺たちを集めたわけじゃねぇだろうな?」
芹沢が着座するや否や、単刀直入に、鋭利な刃めいた言葉を叩きつけたのは土方だった。
赤衣から見ても、その一言で空気が張り詰めたのが分かる。
元より、土方と芹沢は極限まで馬が合わない。芹沢が何かを仕掛けるたびに、土方が容赦のない毒舌を混ぜて牽制し、互いに縄張りを主張し合うのが常だった。
だが、その土方の不遜な態度に、当然ながら異議を唱える者がいる。新見錦だ。
「おい、土方君! 芹沢先生に向かってなんだ、その無礼千万な言い草はッ!」
「うるせぇよ、腰巾着が。俺たちはいきなり呼び出されたんだ。用件をさっさと聞こうってのが、そんなに悪いか?」
激昂した新見がカッと目を見開いて立ち上がりかけるも、土方はそれを、昏い眼光のひと言でねじ伏せる。
伊達男は目力が強いと言うが、土方のそれは軽く子供を泣かせるほどであった。
「まあまあ、二人とも落ち着いて。土方君も少し喧嘩腰すぎじゃないか」
そんな爆発寸前の二人の間に、さらりと助け舟を出したのは、苦笑いを浮かべた山南だった。
ゆったりとした物腰の柔らかさは彼の理知的な外見に合っている。
土方も山南の言葉には一目を置いているのか、新見に向けた侮蔑の眼差しを、ふいと目を伏せることで収めた。
「すみません、芹沢さん。この時間はいつも稽古をしていまして、歳のやつも気が立っているのでしょう」
そうして、場がようやく収まりだしたのを見計らい、今し方まで黙していた近藤が口を開いた。
近藤一派の筆頭であるのだから、当然なことではあるが、彼もまた芹沢に勝るとも劣らない確かな存在感を帯びている。ただ、芹沢のそれとは違い、近藤のまとう空気はどこまでも誠実で、人の良さそうな笑みを浮かべているのに、どこか決して侮れない大樹のような器量があった。
芹沢もそれは認めざるを得ないのか、いつもなら「田舎臭いのが移る」などと小馬鹿にしているくせに、今日ばかりはそのような軽口を叩かずにいた。
「……構わんよ。私も話を早く終わらせるのは同意見だからね」
芹沢は近藤の真っ直ぐな瞳からふいと視線を外すと、懐に仕舞っていた一枚の書状を取り出す。
「それでは早速だが、まずはこれに目を通して欲しい」
「なんでしょうか、これ……」
芹沢が取り出した紙を受け取った近藤は、不可思議そうにそれを凝視する。
表題には『壬生浪士脱退状之事』とあり、その旨と経緯が達筆に書き連ねられていた。年月日は今から一、二週間前の日付が記載されており、差出人の名には「家里次郎」とある。
誰が見ても、家里が壬生浪士を辞するために筆をとったのだと理解できた。
「家里から直筆の脱退書だ。奴はここを抜けて大阪へ下る公方の警護職に就く」
芹沢は事もなげにそう言った。
確かにここ最近、それこそこの書状の日付あたりから、家里の姿を見た者は誰もいなかった。浪士たちの間では、家里は根岸や殿内の失脚に恐怖し、江戸に逃げ帰ったのだと噂されていたくらいだ。
けれど、真実は違った。家里が消えた日付と、この書状の日付は完全に一致している。
つまりこれが意味するところは一つ。芹沢は家里の脱退を独断で了承し、そのための書状を書かせた上で、今まで誰にも教えずに秘匿していたということだ。
あまりにも一隊士としての実権を超えている。流石にこれには土方、山南のみならず、近藤までもが不愉快そうに太い眉を顰めた。
「どういう了見だ、そりゃあ……そんな大事なこと、なんで俺たちに相談しなかった」
「相談も何も無いだろう? 彼は元々、殿内や根岸の一派だ。それが瓦解した今、家里がここに残ること自体ありえないと思うがね」
「そういう事を聞いてんじゃねえ! 俺たちに黙って公方の警護職に就かせただと? ふざけるなッ!」
ドゴォッ、と土方が怒りに任せて畳を拳で殴りつける。
土方がここまで激昂しているのは、何より近藤の面目を芹沢が完全に踏みにじったからだ。未だ役職も何も決まっていない現状、芹沢のやったことは、近藤を差し置いて隊長ぶっただけの、悪質な越権行為に他ならない。
背後で新見だけがこの書状を見て勝ち誇ったように鼻を鳴らしているのが、その何よりの証拠だった。
「……歳の言う通り、筋が通りませんね。ですが芹沢さん、これだけで終わる話ではありますまい」
しかし、激昂する土方とは対照的に、近藤はどこまでも落ち着いていた。
彼からしてみれば、いずれ家里が出奔するなど見え透いていた未来だ。それを誰が取り立てたか、誰が許可したかなど、政治的な主導権には大した興味はないのだろう。さっき近藤が顔を顰めたのも、権力への執着ではなく、「なぜ相談してくれなかったのか」という、純粋な仲間としての信頼を裏切られた寂しさ故であった。
元より近藤勇は、誰かの上に君臨して野心を満たしたいという人間ではない。それは、関係の浅い赤衣から見ても間違いないと思える、彼の真っ直ぐな美徳だった。
さて、そんな近藤に芹沢は「流石だ」と不敵に笑う。
「私が話をしたいのはこの先についてだよ。根岸ら一派が消えた今、これからの壬生浪士組について話をしたい」
「なるほど、そういうことでしたか……」
山南は芹沢の本題を理解し、納得したように頷いた。
今でもこうやって越権行為だの、誰が上に立つだので揉めている状態だ。そろそろ明確な上下関係を示さなければ、内部からの崩壊で隊は腐り落ちてしまう。それは試衛館の誰もが懸念していたことだった。
近藤か、芹沢か――。
そこを白黒はっきりさせるしか、壬生浪士に未来はない。
芹沢は持っていた愛用の鉄扇を、パシィィンッ! と鋭い音を立てて閉じると、その先端で近藤を指し示した。
「まずは局長。これは近藤……そして新見に任せようと思う」
「っ、私は異存ありません! ありがとうございます、芹沢先生!」
「ふっ、なぁに気にするな」
局長に任命された。その瞬間、新見がいの一番に立ち上がり、嬉々として頭を下げる。
局長——それは字を読んでも分かる通り、「局」の長のことである。
江戸時代では、一般的に組織の事を「組」と呼ぶ。ここで言うならば、清川が集めた「浪士組」がそれに当てはまるであろう。けれど、その浪士組から独立し、京都残留組となった壬生浪士は、「組」ではなく「局」とするべきだと芹沢は考えていた。
そのため、芹沢は「組長」ではなく「局長」と言う役職を設ける。
そこに近藤一派の頭でもある近藤を入れてやれば、誰も文句が言えない。
はずなのだが……、
「私も、役職を設けること自体に異存はありません。……ですが、そうなると芹沢さんの役職が無いのでは?」
ただの好漢ではない。深く誠実な眼差しのまま、近藤は即座にその歪な構造を見抜き、穏やかに指摘した。
局の長とは、まさに壬生浪士の頂点に相応しい役職ではある。だが、そこに芹沢ではなく新見が座ること自体、疑問の余地を残さざるを得ない。
そもそも、そこに新見ではなく芹沢が入ったとしても、それでは根本的な解決にはならないだろう。これでは近藤一派と芹沢一派の力関係は今と同じように拮抗し、頭が二人並ぶだけの二頭政治に陥るだけだ。
そんな子供騙しの工作を、芹沢が本気で仕掛けてくるはずがない。
近藤の真っ直ぐな視線が、芹沢の真意を計るように注がれる。
「まあ、話は最後まで聞きたまえ。次に副長だが、そちらの土方君と山南君に任命するのはどうかね」
だが、芹沢は近藤の鋭い指摘などどこ吹く風と受け流し、にやにやとした薄気味悪い笑みを崩さなかった。
そのあからさまな餌の提示に、土方がいよいよきな臭さを嗅ぎ取り、ドスの利いた声を割り込ませる。
「おい、いい加減にしてくれねぇか。副長の席を俺たちの身内で固めるなんざ……一体、裏で何を企んでいやがる、芹沢さん」
けれど、土方の剥き出しの敵意に応じたのは、またしても芹沢ではなく新見だった。
「君は一々、芹沢先生に文句しか言えないのか!?」
「テメェは黙ってろ。俺は芹沢さんに聞いてんだ」
一触即発とはよく言ったものだ。
土方も新見も、少し突けば直ぐに爆発してしまいそうな勢いであるお互いに己の戴く大将を何より重んじる者同士、絶対に相容れぬ断絶がそこにはあった。
だからこそ、噛み合いかける狂犬たちを余所に、当事者たる両雄は恐ろしいほどに冷静だった。
近藤も芹沢も、土方たちの論争など初から視界に入っていないかのように、泰然とした態度を崩さない。
いや――そもそもこの二人の器からすれば、そんな目先の諍いなど、眼中にすら無いのかもしれない。
「別に、何も企んでなどいないさ。私はただ適材適所を意識して、君達全員にそれ相応の格を与えられるよう、親切に提案しているだけだよ」
「それは有り難いのですが、やはりそうなっては芹沢さんの席が……」
「案ずるな、近藤——」
言い募ろうとする近藤の言葉を、芹沢はぴしゃりと、容赦のない鉄扇の響きとともに遮った。
「私は筆頭局長の席に座する。二人も局長がいるのだ、それを纏める者が必要だろう?」
その傲然たる一言に、山南と土方は同時に瞠目した。
「局長」と聞けば、誰もがその組織内における頂点を意味するものと思い込む。
だが、江戸の役職制度に精通している者であれば、ここで初めて芹沢の仕掛けた巧妙なからくりに気がつくはずだった。
そもそも、この時代において組織のトップに「長」という言葉を用いる文化は一般的ではない。
「組頭」然り、「番頭」然り、格式ある役職には決まって「頭」の字が使われる。「長」という漢字が役職名として広く普及するのは、異国の知見が流入した、この幕末よりも遥か未来の話なのだ。
だからこそ、警戒すべきだった。芹沢がわざわざ局長という聞き慣れぬ役職を新設した時点で、そのさらに上に真の頂点を用意しているのではないかと。
「それが狙いか、芹沢さん……!」
「なるほど。私たちにはそれ相応の、しかし芹沢さんにはそれ以上の役職を……と言うことですね」
土方がギリ、と奥歯を噛み締め、山南が冷徹な視線でその謀略を解き明かす。
してやられた——そう思った時にはもう遅い。
何故なら、近藤は先ほど「私もそれで構いません」と、その役職の枠組みを一度肯定してしまっている。今さらそれを撤回し、「ならば自分も筆頭に」などと異議を唱えれば、それこそ壬生浪士組を二分する全面戦争だ。芹沢は近藤の誠実さすらも、計算に組み込んでいたのだろう。常に余裕を持った笑顔は今も健在なままだった。
部屋の隅で立ち聞きしているだけの赤衣すら、芹沢の巧妙な話術に舌を巻く。
「人聞きが悪い事を。私はこれこそ、今後の壬生浪士において適格な人事だと考えている。逆に聞くが……君達はこれ以上に適した配役があると言うのかな?」
声音に混ざる圧倒的な傲岸さ。だが、そう突きつけられては反論し難いのも、この場の誰もが認めざるを得ない事実だった。
近藤一派の頭である近藤は局長という破格の地位を与えられ、その両腕たる土方と山南は副長の席を独占している。
新見が局長、芹沢が筆頭局長だとしても、試衛館組の面目は十二分に立っていると言えるだろう。
何より、この京都残留組が会津藩守護職の御預かりとなれたのも、他ならぬ芹沢の政治的伝手があったからこそ。
最大の功労者が最上位に就くのは、大義名分としても至極当然であった。
沈黙のなか、近藤はどっしりと腕を組んだまま、静かに息を吐いた。
「いやはや……私にはどうも、それ以上のものが思いつきません。確かに芹沢さんの言う通り、二人の局長をまとめる誰かがいなければ、隊の統率は取れない。筆頭局長と言う役職は、なるほど——我々両派の顔を立てる最善の人事だと考えます。これでいきましょう」
「近藤さんッ!」
まだ納得がいかない土方だけが、近藤へ詰め寄ろうとする。
「……ふっ、中々に話が分かるじゃないか、近藤。君の部下も、これくらい物分かりが良いと助かるのだがね」
「何だと――?」
「文句があるなら、言葉ではなく刀で向かってきたらどうだ? いや……本物の武士でもない君たち田舎の猿には、少々荷が勝ちすぎるかな?」
そう嘲笑った芹沢は、土方の闘争心を煽るよう感情を逆撫でする。
流石にそこまで侮辱された土方も黙ったままではいられない。座卓の横に置いてあった愛刀の柄へ手を伸ばし、それを引き抜こうと姿勢を取った。
——が、その凶刃が引き抜かれることはなかった。
土方と芹沢の視線を遮るように、近藤がすっとその巨躯を立ち上がらせたからだ。
「挑発はやめてもらえませんか、芹沢さん」
その声音からは、先ほどまでの謙虚な響きが完全に消え失せていた。
向けられたのは、どこまでも真っ直ぐで、だからこそ一切の妥協を許さない武士の眼光。
まるで我が子を守るように土方の前に立ちふさがった近藤は、芹沢の目を正面から射抜く。
「これでも皆、各々がこの組の未来をきちんと考えて行動しています。……それに私は、貴方が裏で手引きした総司の一件について、未だ許せる気分じゃあないんですよ」
いつもは頼れる好漢としての笑みを浮かべる男が、初めて見せた、身内を傷つけられたことへの静かな怒り。
その真っ直ぐな覇気に圧されたか、芹沢は数瞬の間、近藤と視線を交わし合わせた後――つまらなそうに鼻を鳴らし、鉄扇をぱたぱたと開閉させた。
「これは怖い怖い。そう睨まれては、私もそれ以上何も言えないな」
芹沢は「よっこらせ」と、わざとらしい仕草で立ち上がる。
「それじゃ、私の話はここまでとさせてもらおう。これ以外の細かな人事も、追って私が決めさせてもらう。詳しいことは後日、皆の前で発表しようじゃないか」
それだけ言い残すと、芹沢は立ち尽くす土方と近藤、そして静かに座す山南の脇をすり抜け、部屋の出入り口へと足を進めた。
「行くぞ、狗」
芹沢は懲りもせず、目線だけで壁際の緋色の浪人に障子を開けるよう命じる。
「……ふぅ。まだ某に頼むでござるか?」
と、ため息まじりに赤衣の男は呟けば、やれやれ……これは今後、どれだけ言っても無駄だろうなと諦める。
仕方なしに、今回は言われた通り障子をさらりと開けてやれば、日中の穏やかな陽光が目を焼いた。
いつもならここで豆知識を垂れ流すのですが、
今回は作中で「なぜ、新撰組なのに局長」というのかについて、その一説を垂れ流したので許してください。ごめんなさい、ネタ切れとかじゃないんだよ!?
ただアンケートをさせてもらいたくてですね。
今回までは、致し方なしに新見や近藤(オリキャラたち)を出させていただいています。
これも全て、型月でまだ出てきていないのが悪い。(コハエースにそれらしき奴はいた気がするけど)
で、まあこれくらいのオリキャラ量なら全然良いのですけど、残念ながら壬生浪士には他にも四人ほど未登場のキャラがいますよね。
藤堂、井上、永倉、原田……。
さてこれを出すのか、出すとしてもどれくらい出すのか。
そのアンケートをさせていただけたらなと思います。
永倉、井上、藤堂、原田などの壬生浪士メンバーをオリキャラとして出すか。また、出すとしてとの程度か。(これによって沖田さんの出番が減るとかは無いです)
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出さないでほしい
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出しても良いけど、モブキャラ程度で
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出してほしい
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めちゃくちゃ出してほしい