コードギアス Lost Colours 銀雪に輝く蒼 作:Akahoshi
穏やかな月明かりと繁華街の人工的な明かりをライは眺めていた。
いつも通りカレンとのトウキョウ租界探索。だがいつもと時間帯が違っている。いつもは完全に夜になる前に終わらせるのだが、探索前にサッカー部から練習試合の助っ人の頼まれたのだ。レギュラーの1人が怪我をしてしまったとかで急遽必要になったのだと。
彼らがあまりに真剣だったので断れず、カレンとの探索を今日は休みにしようとしたのだが彼女は遅くなっても全然構わないと何やら家に帰りたくない様子だったので、練習試合後に租界探索となって夜にまでかかってしまった。
星々の輝く夜空の下、ライはため息を零す。
「これだけ租界を巡って、記憶に触れそうなものがまったくないとなると……」
「マイナスに考えないで! ほら、記憶喪失になる前はトウキョウ租界以外にいたのかもしれないし」
ライのぼやきに被せるようにカレンが眉をつり上げて声を張る。
「あ、ああ……。そうだな、すまない」
「ううん。今度の休みにでも違う租界に行ってみる?」
「いや、さすがに休日まで君の時間を奪うのは……」
「私がいいって言ってるのよ。だから遠慮しないで。今度の休みは特に用事はないし……えっと、それに家の人も外に出るのはいいことだからどんどん出掛けなさいって……!」
後半、カレンの視線が一瞬斜め上を向いた。
家の人については嘘なのだろう。余程家が嫌らしい。
しかし、家にいたくない彼女のためという理由をつけても休日の探索は憚られた。
カレンと一緒にいたくないというわけではないのだが、本人にも告げたよう時間を奪っているようでやはり悪い気がしてその厚意に頷けない。
それに男子生徒からの視線は相変わらず突き刺さる。休日まで一緒に出歩いることを知られたら一層向けられる視線が強くなる気がして躊躇してしまう。
何より……。
「だが、すまない。今度の休みはスザクと約束があるんだ」
「スザクと? なにを?」
「組手をしようと約束したんだ。それでスザクの仕事が入っていない時しかあまり時間は取れないから」
「組手って……?」
意味が分からないというように怪訝そうにカレンが首を傾げる。
「実は昨日、スザクに言われたんだ。僕は格闘技の経験があって、そしてそれは日本の古武術に近いかもしれないのだと。スザクは武術に詳しいらしいから、組手をしているうちに何の流派か分かるかもしれない。
何か……僕のことが分かるかもしれない……」
スザクに教えてもらった、記憶を失うことは前の自分との繋がり。
記憶のカケラ。
自分が何者か分かるかもしれない、桜の折り紙に続く確かな手掛かりのひとつ。
お守りとして制服の内ポケットに入れている桜の折り紙にライは一瞬意識を向ける。
「だから……」
「租界の探索よりそっちの方があなたにとってはいいもの。そっちを優先しないと。それにスザクとの約束が先だったんでしょう?」
彼女の申し出を断ってしまったので少し不満そうにしているかと思いきやそんなことはまったくなく。むしろカレンは柔和な笑みを向け、優しさを感じる声音だった。
怒りを通り越して、というわけではなく純粋なもの。
どこか嬉しいという感情すら彼女の雰囲気から感じ取れた。
「ああ、だからすまない……」
「ライが謝ることなんて何もないわ。あなたの記憶が一番だのも」
カレンの笑顔にライは安堵した。
しかし、彼女のその笑顔にライは首を傾げる。
「なんだか、すごい嬉しそうだな……。約束があったとはいえ、君の厚意を断ったのに……」
「こら、自分を悪いように言わないの。
あなたの記憶を少し知ることができるかもって、私も嬉しいのよ」
と、心から本当にそう思っているように答えて、カレンは軽やかにくるりと身を回す。
そして、日本の古武術がどうのこうのと呟いていた。微かにではあるが、その声は弾んでいるようにも聞こえた。
何が彼女の琴線に触れたのだろうとライの頭の中は疑問符だらけだったが、彼女が嬉しそうならわざわざ水を差すのは無粋だと問わないことにした。
「カレン、今日もありがとう」
「どういたしまして」
「さすがにもう遅い。また、通りまで──」
「? ライ?」
カレンの背後に僅かに映った緑色が強くライの目に残った。
彼女の問いかけに応えられるないほど、余裕をなくし、ライはその緑を追おうと駆け出した。
色を失っているライにとって、まだ何色も取り戻せていないライにとって、その緑は強く心に残った。焦がれたといっても過言ではない。
だが、求めていた色そのものではない気はしている。
ライが求めていた色は、あの緑と近い気配を持つ別の色。
けれど、追ってしまった。
求めている色に近付けるかもしれないから。
緑が路地裏に消えた。
逃さない。
次はないかもしれない、と焦りからギアを上げ、人々の間を縫ってライも路地裏に入った。
繁華街から然程離れていないため、静寂には包まれていない。BGMのように、雑音のように、路地裏に繁栄した街の音が流れる。
そこに緑は──緑色の長髪の少女が、ライを待っていたかのように佇んでいた。
ライは足を止め、彼女をしっかりと見据える。
「私を探していたのか?」
感情を伴わない無感情な声とともに金色の目がライを射抜く。
やはりライの記憶に触れるものは少女には何もなかった。
けれども、知っている何かに近いものを彼女は持っていた。
彼女を通して、懐かしいものに出会えたような感覚に陥る。
「おい、いつまで黙っている。何か話したらどうだ。私を追い求めて、そのために女を置いてまで追いかけたのだろう?」
眉を詰めた彼女が呆れたような声をかける。
あっ、とライは意味もなく後ろを振り返った。
何も言わずカレンを置いて行ってしまった。だが戻るわけにもいかない。
少女と話し終わったらちゃんと彼女に謝ろうと心に決めてから、少女に向き直る。
「僕は……自分が何者か分からない。記憶がないんだ。だが、君と似た雰囲気を人を知っている気がする」
「それを聞くために私を追いかけたのか?」
「ああ。その、すまない」
知人が否か関係なく、突然誰かに追いかけられたら迷惑だし、恐怖でしかないだろう。
なのに彼女はこうしてライと話してくれる。まずは謝罪と感謝を述べようとして、少女の言葉がそれを阻む。
「それだけでいいのか?」
えっ? とライは目を見開く。
すっと少女は手を伸ばし、長い人差し指でライの左目を指し示す。
「それについては聞かなくていいのか? お前も力を持つ者なのだろう?」
ゆっくりとライは左目に手をやる。
左目に宿る〝不可思議な力〟。
そのことをいっているのだろうか。
なぜ少女がこの力のことを知っているのだろうか。
「君は……何者なんだ……?」
「瑣末なことは気にするな。それよりも力のことの方が知りたいだろう」
「君は知っているというのか?」
「知っていなければこんなことは言わない」
淡々と無表情で話す少女。ライもほぼ無表情なので端から見たら不気味だろう。だが二人とも容姿端麗であるので、神秘的とも思う者もいるかもしれない。
どちらにせよ、異様な光景ではあろう。
「
唐突に少女はそう言った。
「シーツー? それはなんだ」
ライがそう応えると少女は眉を顰め、目をきつく細めた。
「なんだとは失礼な奴だな。私の名だ。以後、そう呼べ」
「すまない……。分かっ──」
変わった名前だなと思いつつ謝罪をして、ライはこのやり取りに既視感を感じた。
少女──C.C.とは初対面だ。
他の人と記憶を失う前に似たようなやり取りをしたことがあったのだろうか、と己自身に問いかける。
だとしたら相手は、彼女に近しい雰囲気を持っている人だろうか。
しかし、名前だとは思えないような人など早々いない。
──なんだとは失礼な子だね。私の名前だ。これからはそう呼んでよ。
聞き覚えのない子どもの声がライの頭に響く。
そして、ドクンッと心臓が強く跳ねた。
冷や汗がひとつ流れる。
忘れてはいけない声だった気がする。
大切な者のひとりだった気がする。
けれど忘れてしまった。
今もその言葉しか蘇っていない。
「質問の答えは?」
C.C.の声がライを現実に戻した。
だがまだ心臓は煩く、動揺も続いている。感情が揺れ動いている。
「知りたい」
「当然の答えだな。では、教えてやろう」
ライの心理状態を知ってか知らずか、C.C.は早口で言葉を続ける。
「お前のギアスは……」
急に視界が歪んだ。足から力が抜け、ライは気がつくと地面に膝がついていた。
「……なるほど。お前も絶対遵守。しかし視覚ではなく聴覚か。あいつと似ている力とは、面白いな」
「何が……?」
「お前が手に入れた力のことだ。人を従わせる王の力。それに逆らえる者はほとんどいない」
だが、とC.C.はライに近付き、腕を掴む。
その瞬間、様々な光景がライの頭に流れ込んできた。銀色のふたつの球体に挟まれた光、そこに舞う白い羽根、額に鳥の紋章を刻んだ子どもたち、オレンジ色の惑星が浮かぶ宇宙、青や緑に光る回路のようなもの。
それらにもライは既視感を持ち、疲労が溜まった。
「お前はその力を自由に使えなくなっているようだな」
「記憶を……失ったからか……?」
「いいや。どちらかというと、記憶喪失になったことで制御不能になったギアスを抑えているといった方が正しいか」
「っ……!?」
ライは言葉を失う。
彼女のその言い方では、記憶を失っていなかったらこの〝不可思議な力〟──ギアスは制御できずに暴走していたかもしれないということだ。
ライは失った記憶を取り戻そうとしていた。取り戻さなければならないと強く思っていた。
カレンはほぼ毎日放課後に探索に付き合ってくれた。
ナナリーは記憶探しのヒントをくれた。
スザクは格闘技の経験があるしれないことに気付いてくれた。
他の人たちもライを心配し、気にかけてくれている。
だが、記憶が戻った瞬間、記憶がなかったことで抑えられていたギアスが暴走して皆を傷つけてしまったら……。
また、赤く……。
辺り一面、死に埋め尽くされて……。
生きているのは、ライと……。
(いや、
己に対する憎悪ともいって過言ではない感情がライを支配する。
それと同時に左目が熱を持った。反射的に左目を守るように手をやる。
「安心しろ。私にギアスは効かない」
「なぜ?」
「私は契約する側だからな。私を抹殺しようとギアスを使ってきたギアス使いもいたが無意味だったよ」
冷静な声が彼女の言うことは事実なのだと証明する。
この力が、ギアスが効かない。そのことにライは安堵した。
左目の熱が少しだけ落ち着いた。
突如、不可思議な光景が消えて、視界には元の裏路地が広がった。C.C.が腕を離したらしい。
「時間だ。お前の迎えが来たようだな。余計な詮索はされたくない。私は去ろう」
C.C.の言葉を受け、ライは背後を振り返る。
路地裏の入り口近くで見慣れた紅い髪を認めた。立ち止まってキョロキョロと辺りを見渡し、ライを探しているようだった。
「C.C.、また会えるか? もっと力のことを知らなくてはいけない」
既に踵を返していたC.C.の背中に声をかける。
「これでも忙しい身だ。だが、いずれ機会はあるだろう」
そう答えて彼女は去って行った。
ライはただ黙って彼女を見送る。
力について分かったことは、ギアスという名称。その能力が、逆らえる者はほとんどいない人を従わせるものであること。誰か近い力を持つ者がいるらしいこと。C.C.にはギアスが効かないこと。
そして、記憶喪失によりその力を抑えられているということ。
「ライ、見つけた!」
カレンが走り寄って来る。
謝らなくては、と思っていてもライは彼女に向き直ることができなかった。
落ち着いたとはいえ、まだ左目に熱はある。つまり、ギアスが発動してしまっている状態だ。
「もう、どうしたのよ、急に……」
息を切らしながら彼女が問う。
だが、ライは応えられない。
だから……。
「すまない、カレン……」
スローペースでお送りしています……。