『暗殺教室RPG』RTA 殺せんせー札害チャート 作:朝は四本足、昼は二本足、夜は三本足
あれは確か……二年くらい前だったと思う。
入学式が終わって早々、学校内にとある奇妙な噂が流れ始めた。その内容は――『A組に妖精がいるらしい』。
妖精がいるってどういう意味なんだろう?
好奇心に負けた僕は、一度その噂の実情を確かめにA組まで行ったことがある。
噂の意味は、教室を覗いてすぐに分かった。
照明に反射して輝く金色の髪、遠目からでもはっきりと分かる目鼻立ちの整った顔、そして星のように澄みきった青色の瞳。
彼女こそが、噂の妖精の正体なのだろう。
確かにそう噂されるのも納得できた。主に黒目黒髪の人物が多い日本では、彼女の容姿はかなり目立つに違いない。
当時の僕はそれだけを確かめて立ち去ったのだけれど、件の人物――穂波水雲という生徒は、その後とんでもない活躍を続け、その名をさらに広めることとなる。
中間・期末のテスト及び全国模試において堂々の一位を記録、他にも数々のコンクールで表彰され、全校集会の度に彼女が賞状を受け取るため壇上に呼ばれるのは、もはや僕らにとって当たり前の光景となっていた。
また、彼女が所属している部活動、弓道とソフトボールでも優秀な成績を収めているらしい。特に弓道では、的の中心を狙って正確に射ることができる……のだとか。
文武両道、そのうえ上記の容姿も相まって彼女は瞬く間に学校内の有名人となった。それこそ、彼女を知らない人はいないと断言してもいいくらいに。
その非の打ち所のなさは、まさに別世界からやって来た妖精のようだった。
だからこそ僕は……いや、僕以外の皆も、今のこの状況に酷く驚いている。
『皆さん、おはようございます。本日も大変いい暗殺日和ですね。張りきっていきましょう』
『ああ、そういえば……本日からこのE組に、新たな仲間が一人加わります』
『どのような生徒が来るのか、ですが……説明する必要はないでしょう。
殺せんせーは言った。今日新しくE組に入ってくる生徒は、先生よりも僕らの方が詳しいだろうと。
実際その通りだった。
でも……こんな展開、一体誰が予想できたんだろう。
「――失礼します」
ガラガラと扉を開けて姿を見せたのは、ここ、椚ヶ丘の生徒なら誰もが見知っている少女であった。
金色の髪と青い目をもち、抜群のスタイルを誇り、さらには頭脳明晰で運動面においても目覚ましい活躍をしている人物――なんとあの穂波水雲その人だったのだ。
「ね、渚。ちょっといい?」
「……あ、茅野。何?」
「今教室に入って来た子……私以外、皆すっごく驚いてるように見えるけど、誰なの? っていうか、あの子本当に私たちと同じ中三?」
茅野は途中から転入してきた生徒だ。だから、彼女――穂波さんのことは一切何も知らないんだろう。
僕は僕が知っていることを話した。
彼女が学校中の誰からも知られているくらい有名な人物であることを、そうなった理由を。
「へえ、そんなに有名なんだ。……なんでE組に?」
「それは……僕にも分からないかな」
そう。一番分からないのはそこだ。
この上なく優秀な成績を持ち、なおかつ先生たちからも大層気に入られていた筈の彼女が……どうしてE組行きになったんだろうか?
これは僕だけでなく皆も今思っていることだろう。
そんな僕らを置いてきぼりに、殺せんせーと穂波さんは和やかに会話している。
「わ、すっごい! 写真で見たまんまだ!」
「話には聞いていました。貴女が穂波水雲さん――E組に移動になった生徒ですね? 既にご存知かと思いますが、私がこのE組の担任です。生徒たちからは『殺せんせー』と呼ばれています」
「『殺せんせー』……ですか。それじゃあ私もそのように呼びますね!」
「ええ。穂波さん、早速ですが貴女には自己紹介の方を」
「わわわっ! 触手が伸びた! ……えー、皆さん。今日からこのクラスでお世話になる穂波水雲です。仲よくして貰えると嬉しいです。よろしくお願いします」
黒板に名前を書き、ぺこりとお辞儀をする彼女。
新しい仲間が増えたというのに、皆の反応は微妙なものばかりだった。拍手も疎らだ。
一番多いのは戸惑いの感情だと思う。彼女がE組行きになった理由が分からず、現状にひたすら困惑する者。
そして、その次に多いのが……エンドのE組ならではのことなのかも知れない――
寺坂君なんかはそれが顕著だ。
最近暗殺が失敗したことも関係しているのかも知れないけど、ものすごい目つきで彼女の方を睨んでいる。
「ありがとうございます。穂波さんの座席は……先生から見て、右から三列目の一番後ろですねぇ」
「分かりました。あそこですね」
彼女の参入は、きっとこのクラスに少なからずの影響を及ぼすに違いない。
そう思った僕は、でもとりあえず一時間目の授業の準備をしようとして――
「――きゃっ!」
突如として聞こえた悲鳴に手を止めた。
どうやら壇上から降りようとした穂波さんが盛大に足を滑らせ、転びそうになったらしい。
らしい、というのは、その時には既に彼女が助けられていたためだ。
「――おっと。大丈夫ですか? 穂波さん」
「……え? ……あれ?」
「足元にはくれぐれも気をつけて下さい」
殺せんせーの、最高時速はなんとマッハ二十にまで及ぶ移動速度。僕らの暗殺が軽々と避けられる速さ。
事前に知っていたとしても、実際に体験してみればそのすさまじさに誰もが言葉を失う。さしもの穂波さんも驚きを隠せない様子だった。
「……うわー……殺せんせーって、聞いていた通りすごく速いんですね……」
「さ、立てますか?」
「はい! 助けて頂いてありがとうございました!」
そう言って彼女は手に持っていたナイフを振るった。
切り落とされた先生の触手が床でびちびちと跳ね回る。
……え?
空気が、止まった。
E組の全員が誰一人として身動きを取れず、その一点に釘づけになる。
――切り落とされた、先生の触手。
続いて、沸き上がる疑問。
――誰が?
そんなの決まっている。
殺せんせーの、一番身近にいた人間だ。
「いったぁ〜い……ちょっと先生! いきなり離さないで下さいよ! お尻打っちゃったじゃないですか!」
涙目でお尻をさすりながら、しかしその手には対先生ナイフが。恐らく改造を施されたのであろうそれは、従来のものよりも刀身が倍になっている。
……そんなに長いものをいつから?
いや、違う。彼女は最初からそれを持っていた。僕らは全員目撃している。彼女が転びかけた時に、既にその手にナイフが握られていたことを。
にも関わらず、何も思わなかった。
彼女は、極自然な動作でそれを振るっただけだ。
「……そ、そういえば……先生はどこに?」
「……あ……後ろ……」
皆一斉に後ろを振り返った。
そこには……今まで見たことないくらいに動揺している先生が。顔色を文字通り青く染め、滝のように汗を流し、そして――
足の触手までをも
驚愕が、驚愕を呼ぶ。
今の一瞬で起こったことを、誰も理解できない。
なぜ僕らは彼女の行動に何も思わなかったのか?
なぜ殺せんせーは攻撃を避けられなかったのか?
最初の腕の一本はともかく、足の二本はどのタイミングで、一体いつ切られたのか?
「それにしても、このナイフって本当に効くんですね〜。ただのゴムにしか見えないのに。それと……これが先生の触手か〜! もちもちで柔らか〜い!」
床に落ちていた触手も拾い上げ、都合
……その光景を見ても、殺せんせーは何も言わない。
「顕微鏡で見たらどんな感じなんだろ? マッハで動ける理由とか分かるかな? もしかして……先生の正体も突き止めることができちゃったり!」
「……」
「うん! 私、俄然貴方に対して興味が出てきました! これからよろしくお願いしますね? 殺せんせー♪」
見る人を魅了する、艶やかな笑みを浮かべる。
翼を失い、地に堕ちた筈の彼女は、しかしそんなことを感じさせない程に依然として美しかった。
「あ、皆もよろしくね? 私、貴方たちのこともいっぱい知りたいな」
僕らは、殺し屋。
椚ヶ丘中学校三年E組は暗殺教室、始業のベルが今日も旧校舎に鳴り響く。
油断していた訳ではなかった。
殺すことをやめてからしばらく経つとはいえ、それでも身についた経験がそう易々と抜ける筈もない。
例え生徒たちがどんな手段を用いようと、切り抜くことができる確信があった。
そう。自信、ではない。確信だ。
彼らはまだ子どもで、私はそれなりに生きてきた大人。ゆえに確信があった。……殺しに関しては、特に。
しかし……いや、だからこそ、彼女の攻撃を躱すことができなかったのだろう。
腕の一本に関しては
この異常事態を言葉で説明するのは簡単だ。
彼女の攻撃には、
だから、私は触手を三本も切り落とされた。
……正直、そこは大した問題ではない。一番の問題は、彼女に殺意が一切なかったという点。
経験上、それは絶対にあり得ないと断言できる。
殺意というものは、隠すことはできても無にすることはできない。仮に本当に殺す気がなかったとしても、相手に攻撃するという行動の際、必ず何らかの気は漏れる。
穂波水雲という少女にはそれすら無かった。
彼女は確かにそこに存在していて温もりもあったというのに、放たれた斬撃は異様なまでに無機質だった。
彼女が機械なら、あるいは生まれたての赤子ならそれも頷ける。だが、それは違う。彼女は年頃の少女だ。
それに加え、あの長いナイフを巧みに操る技術。効率的な筋肉の動かし方。驚異的な動体視力。
……思わず、かつての“弟子”を思い出してしまう。
それ程までに彼女は豊かな才能に恵まれていて――同時にどこまでも危うかった。
「少し調べる必要がありますねぇ……」
彼女がああなってしまった原因を突き止めなければ。
E組の担任として、そして、かつての“弟子”の時と同じ過ちを繰り返さないためにも。
私はマッハで彼女に関する情報を集め始めたのだった。