鈴鹿さんにドン引きするコメントを見て「あれ、鈴鹿さんそんなひどいことしたかな」と一瞬思った私は重馬場から抜け出せなくなっていたようです。頭がハッピーミークですか私は……。
「鈴鹿さん、何気に人間を手に掛けた初のウマ娘では?」
「明確な殺意で手に掛けたのは日本史上初かもしれませんね。ただ、事故なら練習場にうっかり入って蹴り殺された天皇がいますし*1、同様にウマ娘が全力発揮しているところへ無防備に入って彼方まで吹き飛ばされた人間はいくつか確認されています」
「そう言えばいましたね、ウマ娘に蹴られて崩御した方。いくつか確認されたとおっしゃいますが、当時の法的にはどのような処分が下ったのですか?」
「崇峻天皇を殺めてしまった東漢駒子がショックのあまり絶食し死亡したのを切っ掛けに朝廷ではまず蘇我氏がウマ娘になるべく罪過がいかないよう法整備をし、藤原氏によって故意によらない事故であれば無罪放免となるよう法が整えられています。元々、練習場を使用できる宮仕えのウマ娘はきちんとした許可と指定された場所での練習をしています。それに加え、農作業や建築で全力発揮する場合も監督者がついており、はっきり言えばウマ娘側の過失を少なくするよう法整備したわけですから、それでも起きた事故は人間側の不用心さによるもの、という扱いです」
「けれど……鈴鹿さんは明確に殺っちゃいまsーー」
「松平さん、それ以上いけない。本当に、これ以上はやめましょう! 鈴鹿さんは良妻。それで終わりです!」*2
「あ、ハイ。それでは続きを。田村麻呂が鈴鹿御前と絆を育む間に、東北では朝廷にとって看過できない事態が起きていました。長きに渡っていた蝦夷討伐。朝廷軍からすれば敵に当たる蝦夷軍に一人の英雄が現れたのです」
789年、陸奥国衣川北岸。
長きに渡る蝦夷討伐の中、病による指揮官の急死により戦線は膠着。朝廷軍には厭戦ムードが漂っていました。
いつまでも変わらぬ戦局に激怒した桓武天皇の命により5月下旬、ついに戦端が開かれます。
朝廷軍は蝦夷軍が胆沢に集結していたとの情報を得て、これを約8000の兵を2つに分け、敵を挟み撃ちにしようと動き出します。
しかし、先発隊は蝦夷の築いた砦を前に手間取り、そこを蝦夷の奇襲部隊800が襲いかかります。後続部隊にも400の奇襲部隊が襲い退路を断ちました。この攻撃に朝廷軍は大混乱。山と川との間に追い詰められ多数の溺死者を生み出す大敗となったのでした。
長らく朝廷と蝦夷の戦いはじわじわと朝廷が有利になる形で進行していましたが、ここにきて予想外の敗北を喫してしまったのです。
これを巣伏の戦いと呼び、この戦で名を挙げた蝦夷側の三人の武将。その名がーー
「大将、阿弖流為……副将にウマ娘の
奥州の地図を前に田村麻呂と鈴鹿が軍勢に見立てた木片を手に頭を悩ませています。
「分散した敵を包囲し各個撃破……兵の不足は奇襲の有利性で解決。我が軍の裏をかく見事な用兵だ。鈴鹿、どう思う?」
「兵学はよく分かりませんが、敵は恐ろしく賢い将に率いられていると感じます。きっと、勝てるのはあなただけ……そんな予感がします」
「だろうな。まったく、今は亡き親父や魔術師様なら手放しで称賛するほどの用兵だぞ、こいつは。何が悲しくて、運命だとか宿命だとかいうものに振り回されなきゃならんのだ」
「……敵の将に、何か運命を感じたのですか? 私以外の相手に、運命を?」
鈴鹿御前の殺る気が上がった。
掛かってしまっているかもしれませんね。
「こんな縁は望んじゃいなかったがね。全く、今なら魔術師様や親父が宿命とか運命だとか、そういった言葉を嫌ったのがよく分かるよ。阿弖流為……俺は幼い頃、一度だけ会ったことがある」
「阿弖流為は、敵方の大将。お知り合いだったのですね」
「気の合う男だったが……残念だ。再会の約束が、こんな形になろうとは」
悪い予感はよく当たるもの。歴史は田村麻呂の予想通りに進んでゆくのです。
791年、敗北を雪ぐため蝦夷征討準備がはじます。
2月25日に兵士の動員について具体化すると、田村麻呂は東海道諸国へと派遣され、兵士の練度と武具の検査を実施、征討軍の兵力は10万人ほどでありました。
7月13日に大伴弟麻呂が征東大使に任命されると、田村麻呂は
口さがない貴人は田村麻呂をお飾りや親の七光りとあざ笑いましたが、司令官を務める弟麻呂は彼らに対して、
「後日、恥入るようなことがなければ良いがな。お前さんたちは大樹の苗木を見て、それが高くないと笑う愚を犯しているかもしれんのだぞ」
と釘を刺したと伝わります。後に、彼の予言は見事に的を得るのでありました。とは言え、このメンバーの中で最も若輩なのが田村麻呂なのもまた事実。確かに幼少期に陸奥国へ行ったことはあれど、朝廷の名誉をかけた反抗作戦の将に名を連ねるにはいささか性急と思ったのです。
「先輩方がいれば私など本当にお飾りでしょう。伝え聞く魔術師様ならむしろ楽ができて良いと笑いましょうが、あの世の親父から何か天罰が降りそうで怖いのですが」
「謙遜は不要ぞ、坂上の子よ。確かに我らならば蝦夷に勝つことは容易いかもしれぬ。しかし、帝は根本的解決をお望みなのだ」
「根本的?」
訝しむ田村麻呂に歴戦の将達は微笑みを返します。
「左様。蝦夷との泥沼の戦を終わらせ、完全に服属させる。ついに日ノ本を一つにする時が来たのだ」
「しかし、我らは老兵。まもなく退き際がやってくる。それに、我等は力を持って征する以外のやり方を知らぬ。血で血を洗うやり方では蝦夷は服属せぬのは、長きに渡る戦いの歴史がそれを証明しておるわい」
「だからこそ、君のような若者が必要なんですよ。田村麻呂君の智略と、君の指揮するウマ娘とは、都の守護にとってきわめて貴重なものですが、このような状況下で君を都にとどめておくのは、炊きたての米をお櫃のなかで堅くしてしまうようなものです」
先輩方の温かい言葉と期待に田村麻呂は身が引き締まる思いでした。
ーーほんの数秒後までは。
「それと……田村麻呂君はウマ娘に随分と愛されているようだね。細君は、鈴鹿と言ったかな」
「はい、お恥ずかしながら愛されております」
「何を恥ずかしがることがある。儂ら全員嫁はウマ娘ぞ。言わば指導人の同胞ではないか」
指導人の同胞。言い換えればうまぴょい被害者の会である。なお、日本における創始者にして終身名誉会長は聖徳太子であります。
「ところで話は変わるが、坂上家には代々伝わるうまぴょいの秘技があるとか……ここはお近づきの印に先輩を助けると思ってちょっとで良いから教えてくれんか」
「は?」
「頼む、また来年の春には繁殖期が来てしまう。今年は何とか耐えられたが我らは衰える一方。妻は変わらずうまだっち。我は辛い、耐えられない」
「後生だ。妻は本当に容赦が無いのだ。満足させなければ『私にはもう魅力がありませんか。それとも他の女が気になりますか。違う、違う、違う。私以外を見ることなんて許さない』と存在しない恋敵に嫉妬して虚ろな瞳で見てくるのだ!」
「あの娘たちの恋愛観は何なのですかね。私がもう歳だからもっと若い人を伴侶にしたらどうかと断っても、『ああ、気になさらないでください。多少時間がたったお米でも、ちょっと温めるとけっこうおいしく食べられるものです』と言ってその夜に私がいただかれてしまいましたよ。いやはや、どうしましょう」
「………………とりあえず、鍛えましょうか」
うまぴょいの道に王道なし。心技体、全てを尽くして立ち向かってこそうまぴょいはなせるのだ。
やはり筋肉。筋肉は全てを解決する。体力こそパワー。速さは不要。賢さなど捨てた。体力と根性で人はウマ娘を満足させられるのか。
出来る、出来るのだ!
「あ、そういうの良いんで技を教えてくれんかね」
「心はともかく体はもう無理じゃろ。技で挽回せんといかんのだ」
「無駄に
「……ならば、仕方ありませんね。では手始めにうまぴょいの序盤でウマっ気が暴発しそうになった時に役立つ、『鋼の意思』を伝授いたしましょう」
「「「「おおおおおおッ!」」」」
遠征軍の絆が上がった。
鈴鹿御前はじめ将軍たちの愛妻のやる気も上がった。
その後、将軍たちの体力が50下がった。
ともかく、軍を率いた経験の乏しい田村麻呂が副使として登用された理由は田村麻呂の戦略家・戦術家としての能力を期待するとともに、強力なウマ娘を副官とする阿弖流為への警戒から鈴鹿御前を戦力に加えたい朝廷の意図が見えます。
一方、東北地方では1月11日に蝦夷側の領主である阿奴志己等が陸奥国府にウマ娘の使者を送り、朝廷に服属したいと考えているものの、他の蝦夷の民が妨害して叶えられないと申し出たため、食べ物を与えて放牧したとの報告が来ました。
朝廷から陸奥国司に対して蝦夷は虚言もいい、服属と称して利を求めるので、今後は蝦夷の使者がきてもむやみに物を賜らないことを命じています。
しかしーー
「あのぉ、また食べ物を頂けないかと思いまして。いえ、別に朝廷側のご飯が美味しいからとかではなくてですね、これも服属の練習。そう、朝廷に服属したときには食文化も変わりますから、その練習ですわ」
「ーーません」
「え?」
「あげません!」
「そんなぁ、よよよ〜」
「う”わ”ぁ”あ”あ”あ”!か”わ”い”そ”う”た”ぁ”あ”!!あ”け”る”よ”ぉ”お”」
「あの、チケ……じゃなかった、国司。一応これ勅命なんだけど、いいの?」
「た”い”し”ょ”う”ふ”た”よ”ぉ”。お”て”か”み”き”て”る”か”ら”ぁ”」
「……通訳」
「都からお手紙が来てご飯あげても良くなったみたいですね」
「よく分かるね」
「もっと北の方言にくらべれば聞き取りやすいですよ」
相手が蝦夷でもウマ娘が相手だと対応が甘くなりいまいち効果はなかったようです。
とは言え、792年8月17日の勅では蝦夷の将が服属を望んでいることに際し、都へ上がことを許し道中では軍士300騎をもって送迎、国家の威勢を示したとあります。
また、同年11月3日に同じく蝦夷の将である阿波蘇、宇漢米公隠賀、吉弥候部荒嶋が長岡京へと入京して朝堂院で饗応され、阿波蘇と隠賀は爵位第一等を、荒嶋は外従五位下を賜り、今後も忠誠を尽くすようにと桓武天皇が言葉をかけています。1月時点と8月以降では朝廷の立場が一転しているわけですが、なぜこのようなことが起きたのかと言えば、原因は明らかでありましょう。
「正面切って戦うだけが兵法ではない。そんなのは猪武者がすることだ。敵の数を減らし、味方を増やせば戦争は勝てるもの。利益だけでは理解は生まれず、理解だけでは腹は膨れない。両方与えれば、敵はころっと味方になる、簡単な理屈さ」
田村麻呂が最も得意としたのは戦場での切り合いよりも、むしろ相手を味方につけてしまう交渉術でした。これにより蝦夷の民は戦う前から朝廷への服属者が相次ぎ、戦局は有利になっていったのです。
「さあ、舞台は整った。今回は楽ができそうでうれしいね」
794年3月6日、弟麻呂率いる遠征軍が出発。3月16日には征夷のことが都に報告され、3月17日には参議・大中臣諸魚に伊勢神宮に奉幣せしめ征夷を報告しています。
この時、田村麻呂は自らの指揮する部隊に
「知っての通り蝦夷側は次々とこちら側についてくれてパカ真面目に戦わなくても待っていれば勝てる状況にある。故に、我が軍は勝つことより負けないことを方針として採用する。みんな、かっこうが悪くても良い、生き残れよ!」
「「「はいっ!」」」
「俺たちの行動原理は?」
「「「伊達と酔狂!」」」
「生き残るコツは?」
「「「世の中を、甘く見ること!」」」
「よろしい。これは偉大なる先人の言葉を拝借したものだが、たかだか一地方の存亡だ。競技に較べれば大した価値もない。気楽に行こう」
「「「応ッ!」」」
6月13日、歴史書には「副将軍坂上大宿禰田村麿已下蝦夷を征す」と短い記事のみあり、蝦夷征討の関係記事は散逸しているため、この出陣後の具体的な経過や情況はほとんど不明であります。
9月28日には諸国の神社に奉幣して新たなる都に遷ること、および蝦夷を征すことを祈願しているため、蝦夷征討は継続中であったと考えられます。
10月22日に長岡京から新京に遷都されると東北から戦況報告が届けられ、遠征軍は軽微な損害で多数の敵を討ち果たし、さらに戦わずして服属する者は時が経つほどに増えているとの報せに桓武天皇は大いに喜びました。
そして、田村麻呂らがまだ東北で戦っている12月、新京は「平安京」と名付けられます。
奈良時代は終わり、ここから平安時代が始まるのです。
年が明けた795年2月23日、弟麻呂は初めて見る平安京に凱旋して天皇に節刀を返上しました。同年2月7日には征夷の功による叙位が行われ、田村麻呂の位階は従四位下に進みました。
「…………」
「あなた、どうしました?」
「不満だ」
「え、こんな昼間からですか。私は構いませんが、まだお陽様も高いのにうまぴy」
「違う、そうじゃない。先の戦、俺は蝦夷の民との戦を完全に終わらせるつもりだった。なのに、都の連中は遷都したから祝のため帰ってこいだの、勝っているのだからもう大丈夫だろだのと勝手なことを言いやがって。おまけに老人共とくれば『東北の綺麗な空気で身体が若返った。戦は若い者に任せて、妻と余生を過ごす。もう、うまぴょいなんか怖くない』とか言って辞表を出しちまうし*3、何より許せんのは阿弖流為だ。あの野郎、俺達から逃げやがった」
彼が聞けば「無茶を言うな」と言いたくなる文句です。先の戦において阿弖流為は蝦夷軍が内部崩壊するのを防ぐので精一杯であり、田村麻呂と戦場で戦うなどとても手が回らなかったのでした。
「私は、あの美しい景色をあなたと駆けられただけで満足でしたよ」
「嘘だね。景色に浮かれて走って、その後に火照ってしまいましたとか言ってきたのはどこの誰だったでしょうか」
「……(顕明連チラッ)」
「お、俺は屈しない。あの時も流石に戦地では他の将兵に申し訳ないから逃げたんだぞ。それを美しい景色を二人で駆けたとか記憶を捏造するんじゃない!」
「身体が、とても暖かい。何だか因子継承(意味深)しちゃいそう」
田村麻呂は逃げ出した。如何に超人である彼でも斬り合いならば何とかなってもうまぴょいだけはいけない。
しかし、脚でウマ娘に勝てる筈もなくーー
「ふぅ……気持ちよかった」
「ウマピョイニハカテナカッタヨ」
796年3月9日、田村麻呂は
798年7月12日に従四位上、799年5月に近衛権中将になると、この頃には肩書きが「征夷大将軍近衛権中将陸奥出羽按察使従四位上兼行陸奥守鎮守将軍」となっていました。
「いや長いだろ! 死んでもいないのに特進させやがって、俺に死んで欲しいのか!」
「そ、そんなことないんじゃないですか?」
「いいや、中央貴族のボンクラ共のことだ。戦死した特進を前渡ししたから生きて帰るなと言いたいんだよ。俺は伊達と酔狂で戦をするし、民のために戦う誇りもある。だがな、母親の着物の影に隠れて出てこないような腰抜けのために命なんか張れないし、愛妻も配下もウマ娘達も巻き込めるもんかよ。ふざけやがって」
すっかりやる気を無くした田村麻呂はのろのろと準備をし、ようやく出陣したのが801年3月31日、田村麻呂が44歳のときでした。
結局、田村麻呂を心から信頼する桓武天皇が他の貴族の前で田村麻呂の武功を褒め称えると同時に、
「そういえば、朕の記憶では魔術師様も元々は皇族。藤原氏もウマカイを始め軍事には明るかったはず。仮にではあるが、田村麻呂に何かあればこれまで田村麻呂をパカにしておったものこそ遠征軍指揮官には相応しかろう。なに、出征前に特進はさせてやるゆえ安心するがよいぞ。まさかとは思うが、田村麻呂をパカにしておいてできぬなどとは申さぬよな」
と、容赦なく告げたことで中央貴族は震え上がり、田村麻呂は溜飲を下げた後に征夷大将軍として節刀を賜って平安京より出征しました。率いる軍勢は4万です。
「時が経ち、阿弖流為は盛り返すかと思えばそうでは無かった。拍子抜けだな」
801年11月6日に「征夷大将軍坂上宿禰田村麿等言ふ。臣聞く、云々、夷賊を討伏す」とのみあり、征討が成功していたことがうかがえます。
801年12月7日に凱旋して節刀を返上すると、12月15日には従三位を叙位、翌年の1月には近衛中将に任命されました。
2月14日、田村麻呂は造陸奥国胆沢城使として胆沢城を造営するために陸奥国へと派遣されます。
かつての通説では胆沢城の造営について、阿弖流為を追い込むための拠点だったと説明されてきましたが、近年では和平交渉の結果、阿弖流為らの正式降伏に向けて話し合いが落ち着き、それにともなって戦闘が全面的に終結したため、工事の着手が可能になったとの見方もされています。
「よーし、お城を建てちゃうぞ。凄いのを建てるぞ」
「嘘でしょ…もう戦も終わりなのに本気ですか?」
「何か嫌な予感がするんだよ。蝦夷を服属させて、本当に戦は終わるのか。いや、これだけ都から離れた場所なら、良からぬ考えを抱く者も現れる。その時、この城が我々にとって重要な拠点となる……そんな予感が」
「それは……嫌な予感ですね」
「外れてくれれば良いんだがね。けど、嫌な予感ってのはだいたい当たるんだなこれが」
この時に田村麻呂が築いた胆沢城は東北地方の鎮守府として150年間機能し、前九年の役・後三年の役においても多賀城と共に兵站基地として活躍することとなります。
「しかし、昨日の雨で随分とぬかるんでいるな。こんな足場では如何にお前でも満足に走れんだろうな」
「そうですね。できれば芝のほうが私はーー」
「た、田村麻呂様ぁ!」
血相を変えたウマ娘が田村麻呂の元へ駆けてきました。
「どうした、敵襲か?」
「いいえ、もっと重大事です。都のウマ娘への挑戦者が現れました」
「何だと!?」
競技>戦。これはウマ娘ならば決して覆ることのない絶対的な式です。それを田村麻呂も十分に理解するとともに事が大きくなる可能性を感じ冷や汗を流しました。
田村麻呂と鈴鹿が急いで仮設競技場に赴くと、泥にぬかるむ路を翔ぶように駆ける仮面のウマ娘が他へ大差をつけての1着。辛うじて整備されていた芝の競技場でも、栗毛の怪物がまるで全身から蒼い気迫を放つが如き走りを見せ、やはり圧倒的な強さで他のウマ娘をねじ伏せました。
「嘘でしょ……あの子たち、坂上のウマ娘よ」
鈴鹿が息を呑むのも仕方ありません。
坂上氏のウマ娘は皆、鈴鹿御前ほどではありませんが皆才能に溢れ、厳しい訓練を積んでいます。
この日は確かにバ場は悪いですが、それは相手も同じこと。なんの言い訳にもならないのです。
「うーん、全然物足りないデース。もしかして、油断しましたか?」
「悪路王、そんなはずないでしょう? きっと今まで工事をして疲れていたんですよ。大和のウマ娘さんたち、『浮き沈み七度』とも言います。今は調子が悪くとも、これからきっと良くなるはずですよ」
仮面を被ったウマ娘は垣間見える碧い瞳から不満げな視線を漏らし、栗毛のウマ娘はたおやかに笑いながらも決して油断ならぬ雰囲気を隠しきれていません。そして、二人の後ろには独特の紋様の手ぬぐいを頭に巻いた民族衣装の男。その顔は、髭面にはなったものの幼き頃に見た顔の面影を残していました。
「はん、大和のウマ娘ってのはこんなもんかい。ちょいと育成が悪いんじゃないのかぁ、田村麻呂」
「阿弖流為……」
好戦的に笑う阿弖流為に田村麻呂もまた好戦的な笑みを返します。
一目見た瞬間から分かっていたのかもしれません。いつか、自分達は戦う運命にあると。そして、その時がきたのです。
「戦は流石だな。とてもじゃないが勝てねぇ。そもそも、戦う前からこちらが負ける状況にしやがって。無学の俺に少しは手加減しやがれ」
「パカを言うな。巣伏で俺が同じことをやれと言われてもできないくらい見事な用兵を見せた奴に正面から戦うなんて猪武者も良いところだ。俺は伊達と酔狂で戦いはするが、自殺志願者ではないんでね」
「はは、何十年経っても伊達と酔狂か……変わらねぇな、お前は」
「お前こそ、剣呑な雰囲気は変わらないな。一杯やるか?」
「応とも、そのつもりで来たーーと、言いたいが……どうやらそうもいかんみたいだな。俺の愛バが何か怖い」
「き、奇遇だな。何故か俺の愛妻もさっきから刀の鯉口を滅茶苦茶鳴らしているんだ。またにしよう」
「そうしよう」
蒼い気迫を放つ栗毛のウマ娘ーー阿弖流為の副官である母禮と、顕明連の鯉口を笑顔で切りまくる鈴鹿御前の殺気に男二人の再会を記念する酒盛りは一旦お預けになりました。*5
「それで、敵方の総大将たるお前が何で俺の前に? 単なる降伏じゃないんだろう」
「まあな。近いうちに降伏するのは話し合いで決まったとおりだが、俺達はちょいと納得がいかないところがあってな。俺が負けたのは別に良い。お前が優れていただけの話だ。だがな、何故だろうな。みちのくウマ娘は大和ウマ娘に劣る? そんなパカな話が出てきている。これは、どういうことだ」
「何だと」
田村麻呂が振り向くと、彼が従える配下の中から顔を背けるものがいました。おそらく交渉の際に戦勝に浮かれて口が滑ったのでしょう。
「巣伏を思い出してみろ。貴様ら朝廷軍は惨敗、大敗、完敗のあげく東北の塵の一部となりはてるところを愛バ達のお情けで生きながらえさせてもらった。それなのに再侵略してくるろくでなしではないか」
「……」
「そして、今しがた競ってみれば……まるで話にならん。芝でも砂でも負ける大和ウマ娘のどこにみちのくウマ娘に勝てる要素があるというのだ」
「……」
「お前の愛妻も、どうせ大したことはないのだろう。そんなやつに誰が降るものか。戦に負けたが、みちのくウマ娘が大和ウマ娘には決して劣らん。いや、むしろ勝っている。そう宣言しなければ降伏するのはナシだ」
「貴様、俺の愛妻をパカにしたか」
「そうだ。落とし前の付け方は、分かるよな」
「言われずとも」
「そりゃ良かった。では、報せを待つぞ田村麻呂。せいぜいそれまで朝廷の捨て犬共を鍛えるのだな。帰るぞ、母禮、悪路王」
「え、もう帰りのデスか? 今からみなさんと格闘の練習をすると約束がーー」
「悪路王、阿弖流為さんの言うことがきけないんですか?」
「お、おぅ。母禮ちゃんが何かコワイです。ではみなさん、また走りましょう。ワタシは世界最強ですけれど、挑戦者は拒みまセーン」
騒がしく帰ってゆく阿弖流為一行。
残された田村麻呂達はお通夜のようなムードです。手塩にかけたウマ娘達はたった二人に完敗。指導人としての田村麻呂の誇りはズタズタでした。しかし、彼本人はそんなことは小さな問題に過ぎません。彼の逆鱗に触れたのはそこではないのです。
「鈴鹿、都から僧を呼べ」
「はい」
「胆沢城が完成次第、この地にて競技を開く。そのためには厳正な審判ができる者が必要だからな。阿弖流為め、人の滾らせ方をよく知っている。俺は俺自身がパカにされたならば笑って世界最強の言葉で言い返したさ。だがな、奴は俺の愛バ達を、何より愛妻を敢えてパカにしやがった。もはや言葉では足りない。朝廷の捨犬だと。言ってくれるじゃないか。俺たちを何だと思ってるんだ、奴らは」
802年2月25日に田村麻呂は都から僧を派遣することを朝廷に求めています。理由は戦乱による彼我の戦没者の冥福を祈るため、蝦夷の教化のためなどの説が推定されています。しかし、僧侶がこの時代では仏教家、学者、医者、教師、指導人、ウマ娘ならば競技者、そして競技の審判など様々な分野を担う国家公務員であったことを考えると、田村麻呂は特定の目的ではなく複合的な理由で僧侶を従軍させたのではないでしょうか。
そして、ついにその時がやって来るのです。
胆沢城が完成し、その記念の競技が開かれるとの報せが東北地方を駆け巡り、みちのくウマ娘の面目を晴らすと共に大和ウマ娘を打ち倒すべく強豪達が集まります。
後世で最も速いとされるウマ娘。
最も強いとされるウマ娘。
最も恐ろしいとされるウマ娘。
身に纏う雰囲気は他とは一線を画し、まさに一触触発。
伝説の戦いまで、あと僅か。
続きは明後日。
調べてみると意外と戦をしてなくて内心焦りましたが、それも奇術師らしくて悪くないかなと開き直りました。何だか知らんがとにかくヨシ。