ウマ娘と辿る日本の歴史   作:ぶ狸

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お待たせしました。
冒頭から五体投地します。
筆者の諸事情により今週は第7話の上だけの投稿です。
筆が進まなかった諸事情は明かせませんが……キーワードは、ウマ娘、イベント、ガチャ、バクシンオーです。
私は、マルゼン姐さんとバブリーダンスを踊りたいだけだったのに……。
しばらくはサイゲームスのガチャに反省を促すダンスを一人で踊ります。


第7回「平安京仏教とウマ娘 弘法は食物を選ばず」上

  蘭肴美膳味無変。病口飢舌甜苦別。西施美笑人愛死。魚鳥驚絶都不悦。

 どれだけ豪華な食事でも、私にはとても足りない。どれだけ美しい人の笑顔に焦がれようと、魚や鳥は驚き逃げてしまう。立場が変われば苦も楽も変わりゆくものだ。

 真言宗の開祖にしてこの世をありのままに見据えた天衣無縫の怪物、空海。

 

 一切衆生悉有仏性。

 全ての者は悟りに至る可能性を持つ。

 そう人々に説きこの世すべての人々を救うと誓った天台宗の開祖、最澄。

 

 生涯を通して互いを高めあった二人の名僧。日本の仏教をさらなる発展へと導いた彼等は、どのような修行を積んできたのでしょうか。そこには、喜怒哀楽、愛別離苦が交わる笑いと涙、そして別れが積み重なっていたのです。

 

 

 

 日本ウマ娘放送協会特別企画

 

 ウマ娘と辿る日本の歴史

 

 第7回「平安仏教とウマ娘 弘法は食物を選ばず」

 

 

「こんばんは。今夜の主役は弘法大師空海。言わずと知れた高野山金剛峯寺、真言宗の開祖です。日本の仏教文化に多大な影響を与えた名バの中の名バは、どのような生涯を辿ったのでしょうか、その歴史に迫ります」

 

 

 弘法大師空海ーー俗名は佐伯真魚(さえきのまお)。芦毛のウマ娘。

 774年、讃岐国生まれ。父の佐伯田公は国司に仕える郡司という地方豪族、母の玉依御前はウマ娘でした。

 幼い頃から学問の才を見せた真魚ははじめ四書五経を始めとする中国の古典に関心を持ち、18歳で官僚の育成機関である大学寮へ入ります。

 しかしーー

 

「真魚殿……その量は一体?」

 

 山盛りのご飯。山盛りの魚。山盛りのご飯。山盛りの煮物、大椀の汁物。山盛りのご飯。

 ご機嫌な朝飯です。が、その量はあまりにも多すぎました。同僚ウマ娘は絶句しますが、本人は涼しい顔でご飯を咀嚼し続けています。

 

「……昼まで断食だからな。食えるうちに食わねば」

 

「そんな短い時間は断食とは言わないよ」

 

 真魚は同僚ウマ娘の正論を全く聞かず、あれ程の山盛りの食べ物を一瞬で腹に入れると、厨房へと声をかけました。

 

「おかわり」

 

 返答は空のお櫃。それは、もう食うなという鋼の意志を無言にしてあらゆる言葉よりも雄弁に語っていました。

 

「何故だ」

 

「いや、当然だよ。それよりも、食べてばかりだけど勉強はしてるの?」

 

「勉…強?」

 

 あ、だめだこのウマ娘。同僚ウマ娘は慈愛に満ちた瞳で真魚を見ると、ぽて腹を晒すおパカにせめてもの学問の手ほどきをすべく彼女の私室へと向かい……後悔しました。

 

「なにこれ」

 

 山積みの書物。山積み書物。山積み書物。

 不機嫌な知の暴力です。

 

「易経に春秋左氏伝……道教、経書。これ、隣の明経科のものじゃない。全部読んだの?」

 

「当たり前だろう。読まなければ暗記できない」

 

「ホントに暗記したの? 二十有五年、春、陳侯使女叔來聘。

打開字典顯示相似段落 」

 

「夏、五月、癸丑、衛侯朔卒。打開字典顯示相似段落

六月、辛未、朔、日有食之、鼓用牲于社。打開字典顯示相似段落」

 

「ホントなんだ……」

 

「だが満ち足りない。どれほど書を漁っても、つまらぬことしか書いていない」

 

「えぇ……」

 

「だから大学を辞めることにした。ご飯も少ないし」

 

「待って、待って、待って! 庶民の私達にとって大学寮は唯一出世する道よ。それに、今は飢饉疫病が蔓延していて食べていけるかも分からないのに出ていくの?」

 

「問題ない。食べ物は適当なキノコやタンポポでも食べるし、出世などどうでも良い。無駄な時間を過ごす方がよほどツライ」

 

「そこまでして……貴女は何を学びたいの?」

 

「分からない。ただ、私の阿頼耶識が求めるんだ……人とウマ娘の根源とは何なのか。この世の真理とは何か。私を満たせるのはきっと、それだけなんだ」

 

 佐伯真魚、19歳。僅か1年にして大学寮を去ります。

 様々な学問に通じていた彼女は仏教や走禅への関心を深め、四国にて修行を開始します。

 彼女が実践した修行は、虚空蔵求聞持法。虚空菩薩の真言を百万回唱える、ただそれだけの修行。しかし、限られた時間の中でそれを成すには食事と睡眠を削らざるを得ず、同じ言葉を唱え続けるという単純作業の中で心の均衡を失いかねない、仏門においても荒行と言われるものでした。

 物事とは、複雑な方が安定します。この修行は心を安定させていたあらゆるものを取り除いてゆき、針の一本の上に立つかの如き危うさの中で自らを見つめることとなるのです。さらに、ウマ娘ならば座していてはなりません。百万の真言を走りながら唱えねばならないのです。これは、ウマ娘にとって走ることこそが自然体であるため座すよりもむしろ走ったほうがより心の支えを取り除くとの教えによるものです。

 

(終わりまでどれほどかかる)

 

(なぜ私は走る)

 

(なぜ私は食べてはならんのだ)

 

(なぜ、私なんだ……)

 

(なぜ……)

 

 真理など、本当はどうでも良かった。

 ただ、走りたかった。意味などなくとも、走ることが好きだった。走って、食べて、寝る。ただそれだけで良かった。

 なのに、どうして私は飢える。どうして私は乾く。

 なぜ私は頂点を目指さねばならない。誰なんだお前は……どうしてなんだ。

 真理よ……ブラフマーよ、どうしてーー

 

「どうして私を離してくれないんだ」

 

 真理を求めていたのではなく、真理から愛された存在。それが、佐伯真魚の正体でした。

 それは祝福ではなく、むしろ呪い。

 いくら知識を得ようとも、真理は嘲笑うかのように矛盾や反例を挙げ連ねる。学べば学ぶほど、真理は真魚を追い詰めてゆくのです。

 もっと近くへ、もっと寄って、もっと知って。そして、私を決して離さないで、と。

 何時しか真理は形となり、芦毛の怪物の姿をして真魚を追い立てるようになりました。

 阿波国、室戸岬。四国中を走る真魚に、遂に百万回目の真言を唱える時が来ました。そして、唱え終わり脚を止めた真魚には、何の変化もありませんでした。

 

(何も変わらなかった……何も、分からなかった)

 

 走り疲れた身体。襲い来る睡魔と空腹。これだけの負荷をかけておいて、何の成果もないのか。真魚は、無力感に囚われました。

 無

 この時、真魚には走ることも、学ぶことさえも心から消えていました。完全なる無心。一本のか細い針の頂点、剥き出しになった阿頼耶識に、真理はこの時を待ちわびていたかの如く襲いかかります。

 世界とは、人とは、ウマ娘とは、何なのか。

 何時も後ろから忍び寄ってきた芦毛の怪物が嗤い、万雷の歓声の中で真魚を追い抜き振り返ります。変わった髪飾りと白い装束こそ違えど、その顔はまさしく真魚そのもの。真理とは、即ちーー

 

「「梵我一如(お前は私だ)」」

 

 全ては自らの内より生ずる。悟りを開いた真魚は果てしなく広がる空と海の間で大笑いしました。

 

「ああ、この景色は良いな……」

 

 794年、室戸岬。

 佐伯真魚、私徳度*1かつ20歳にして悟りに至る。

 まだ造営を開始したばかりの平安京西寺にある庵に真魚は帰還を果たしました。

 

「帰ったぞゴンゾー」

 

「勤操和尚と呼べ、溌剌(ハツラツ)*2

 

 勤操和尚。真魚にとって師と呼べる三論宗の僧です。

 三論宗は『中論』『十二門論』『百論』を経典として尊重し、特に龍樹の唱えた『空』の概念を唱える宗派です。

 

「……怪物を飼い慣らしたようだな」

 

「あれは怪物などではないよ。なんの事はなかった」

 

「だが、何かを掴んだのだろう。無を得て、何を見た」

 

「我を見た」

 

 その一言で勤操和尚は真魚が悟りに至ったことを理解します。

 勤操和尚は笑います。仏陀の愛弟子、阿難陀や健陟でさえ悟りに至ったのは仏陀の涅槃の後です。当然、勤操和尚も未だ悟りに至る道半ばです。ところが、真理に愛され過ぎた真魚は一足飛びに悟りを開いてしまいました。そんな彼女に誰が師として得度させられると言うのでしょうか。

 

「得度を前に悟るとは……お前さん、これから仏の道を歩むとしても苦しむぞ。この国に、誰もお前を導けるものなどおらん」

 

「そうかもしれない。だが、導きならば人でなくとも良い。記憶は引き継げないが、記録ならば引き継げる。師には困らんさ」

 

「可愛くない弟子だ。それで、僧としてお前は何と名乗るんだ?」

 

「……小栗頂てn(オグリキy)

 

「よーし、お前しばらく得度させねぇから!」

 

「何故だ!?」

 

 佐伯真魚が正式に空海となった時期は諸説ありますが、近年では遣唐使に随行するため804年に東大寺にて勤操和尚の手で得度したというのが有力です。

 得度前の真魚は24歳で日本初の戯曲である聾瞽指帰(ろうこしいき)を執筆します。これは、生老病死について仏教、儒教、道教の視点で登場人物が討論する内容で、現代日本の宗教学の先駆けでもあります。弘法大師直筆のものが高野山金剛峯寺に伝わりますが、その筆跡はやや硬く後の形式とは異なります。それもそのはずで、そもそも聾瞽指帰を記した理由は……。

 

「溌剌、お前の記した書が話題となっているが何だあの字は? お前らしくない」

 

 真魚の書く字は非常にエネルギッシュであり、書かれた文字が喜んでいるかのようです。しかし、聾瞽指帰の字はどこか恐れと緊張がありました。

 

「ゴンゾー。私も僧である前にウマ娘。ヒトの子なのだ」

 

「つまり?」

 

「これを書いた切っ掛けは、勝手に大学寮を辞めたことを家族から滅茶苦茶叱られて……その言い訳として書いた」

 

「だから、緊張で筆が硬くなったと?」

 

 真魚はコクリと頷きました。

 

「パカかお前は!」

 

 残念ながら弘法大師の黒歴史は現在も高野山にて秘宝として大事に保存されています。後の嵯峨天皇、橘逸勢と並ぶ天下の三筆として名高い彼女の筆跡は今も衆目に晒されているのです。

 

 

「解説には高野山金剛峯寺教学部のサトリダイヤモンド住職にお越しいただきました。サトリさんよろしくおねがいします」

 

「よろしくおねがいします」

 

「弘法大師は、今までのウマ娘と違い競技よりも学問中心ですが、全く競技には出なかったのですか?」

 

「今のところ、弘法大師が競技に参加した記録はありません。一説には非常に身体が硬かったため速く走ることが出来ず競技で他のウマ娘と競うのを嫌がったとも言われています。一方で、これは高野山ではなく比叡山、伝教大師が弘法大師から聞いたと伝わるものですが、一度でも競技を知れば己の内にある怪物を抑えることは出来ず、仏の道を志すことは出来なかったと語ったとも言われています。しかし、一方でお遍路の中には弘法大師が開催をしたとされる地方競技も残っており競技自体を否定はしていません」

 

「あくまで、自らの身を慎むために競技から離れていたのですね」

 

「私はそういう説に依っています。当時でも非常に力のあるエネルギッシュな方ですし、出ていれば競技も普通に強かったと思いますよ」

 

「弘法大師と言えば筆を選ばなかったと伝わる能書家で、天下の三筆とまで言われましたが、緊張で字が乱れる事もあったのですね」

 

「実はそれ、後世の人々が中国の書家の故事と混同したものでして、弘法大師はむしろ道具にこだわっています。唐で自ら上質な筆を手作りする手法を身に着けてからは筆作りを半ば趣味とし、自らの尾を用いて筆にすることもありました」

 

「自分自身が筆になることーー流石は三筆、次元が違いすぎますね」

 

「弘法大師の乱れた字も我々にとっては彼女の足跡やウマ娘として感情のある確かに生きていた存在である証だと考えておりますので、非常にありがたい存在として祀っております」

 

「たぶん、本人は嫌がっていませんかね?」

 

「それもまた修行ですので、弘法大師の修行に関われることは我々としてはご褒美です」

 

「……徳が高い方々の考えは私には理解しがたいようです。さて、平安時代の仏教は一言で表すと腐敗が始まっていました。政治と宗教が一体となった弊害と申しましょうか、東大寺を筆頭とする南都仏教の勢力が力を持ち過ぎてしまったのです。朝廷はこれを嫌い、長岡京への遷都を計画しますが、担当者であった藤原種継が暗殺されるなど混迷を極めます。この事態を受けて長岡京に見切りをつけて新たな都を定めるよう進言したのが、かつて宇佐八幡宮神託事件で配流されたものの再び朝廷にて出世を遂げていた和気清麻呂です」

 

 

 和気清麻呂は新たな都として山背の地を提案します。治水関係に難点を抱えていた反省から東西に加茂川と高野川を有し、三方を山で囲まれつつも南に巨椋池を持つ背山臨水の地であるこの地こそ、平安京となるのです。そしてその鬼門たる場所、比叡山にはまだ寺社はありませんでした。清麻呂はその地にて庵を構えて修行する一人の青年に目をつけます。その青年の名は、最も澄み渡ることを意味する、純真無垢の象徴。

 即ち、最澄。後の伝教大師です。

 最澄は南都仏教との関係を維持しつつ、朝廷から新たな仏教界の勢力となり政治的な秩序をもたらす存在として最澄が開いた天台宗に期待を寄せていました。

 しかし、最澄からすればわざわざ南都から離れてまで政治的なことから遠ざかっていたにも関わらず勝手に周りが期待する状況です。

 

「困りましたね……また内供奉十禅師の誘いですか」

 

 内供奉十禅師とは、帝を守るために結成された僧侶十人衆。いわば、仏教戦隊サトルンジャーです。最澄にはたびたびこの一員となるようオファーが来ており、更には桓武天皇からはリーダー(赤)以上の立場である存在(シルバー)を意味する頭巾の使用を許可されるほどの高待遇ですが、最澄は頭巾の使用許可だけありがたく受け取りつつのらりくらりとレンジャー入は断っていました。

 

「下手に出世すると南都の先輩方から何を言われるか分かりませんし、仕事が増えれば経典を読む時間が無くなるではありませんか」

 

 最澄は経典マニアの傾向があり、後に空海とも経典の貸し借りをし合った挙げ句に返したくないあまり借りパクをして一時期絶交するほどでした。

 

「けれど、いよいよ断りづらくなってきましたね。泰範(たいはん)、どうしましょうか?」

 

「それウチに訊きますか? お師匠さんのことなんやから自分で決めてくれんと困るわ」

 

 泰範。最澄にとって初期からの弟子であり比叡山開山メンバーの一人です。最澄はこのウマ娘の弟子を殊の外目をかけており、彼女一人のために女人禁制の寺が多い中で比叡山はこの禁を緩めていました。

 

「おやおや、反抗期ですか泰範。私は親離れの悲しみと、成長の喜びの板挟みになってしまいますよ」

 

「誰が親や! そりゃ、まだ赤ん坊やったウマ娘だったウチを拾ってくれたのは感謝しとるし、競技の指導もしてくれたのは恩に着とる。けどなぁ、お師匠さん……もうウチは赤ん坊やないんやで。ちんちくりんかもしれへんけど、立派なウマ娘やーーって、誰がちんちくりんやねん!」

 

「うう、まだ御山に来たばかりで碌な食べ物が無いばかりに娘の成長を阻んでしまった。不甲斐ない媽媽(ママ)を許してください」

 

「お師匠さん……そこはせめてオトンと言わせてくれへん? 冗談でもキツイわ」

 

 泰範の前半生は完全に謎に包まれており、後の最澄の執着具合から親子のような関係だったのでは無いかとも言われています。

 

「私は泰範の母となると阿弥陀如来に誓ったのです。だから、この豆乳を飲ませて貴女の成長を促さなくてはならないのです!」

 

「なんちゅうことを阿弥陀様に誓っとんねん! いくら仏でも一発でツッコミ入れてくるで。ちゅうか、その豆乳やめてぇな。ウチ、それ嫌いやねん!」

 

「好き嫌いはだめでちゅよ」

 

「オイコラ、終いには家出するぞ。ウチが嫌なのは豆乳だけやない。その布を浸らせて抱きかかえられながら飲むのが嫌やと言っとるんや!」

 

 泰範が赤ちゃんにされるまで、あと1分。

 

 泰範のことはともかく、内供奉十禅師への参加要請の断りと経典の収集を両立させるため最澄はある秘策に打って出ます。

 

「泰範、ちょっと良いですか?」

 

「何や、お師匠さん。ウチは今荷造りで忙しいねん。止めても無駄やで、ウチはもう赤ちゃんになるのもでちゅね遊びも懲り懲りなんや。お師匠さんも親心が少しでもあるんなら笑って見送ってほしーー」

 

「私、暫く唐に行くので留守を任せますね」

 

「聞けや! ウチは家出するゆうてんねん。もうお師匠さんの赤ちゃんになるのは嫌なのに、何で唐になんか……え、唐やて?」

 

「はい。ちょっと経典買いに行ってきます」

 

「そんな買い物感覚で行く場所ちゃうやろ! ええか、遣唐使の死亡率は半分以上なんやで。何でお師匠さんがそんな危険犯して行かなあかんねん!」

 

「けど、帝からのお願い断るのもいい加減心苦しいですし……我が国に伝わった経典は全部読んでしまいました。見ますか、帝からのお手紙」

 

 最澄は桓武天皇からのラブコールを渡しました。

 

「……何か、熱烈やな。これ受けへんと刺されるやつちゃうか?」

 

「私、追いかけるのは好きですけど、追いかけられるのはちょっと……」

 

「鬼かあんた。受けたれや」

 

「受けません!」

 

「その鋼の意志は何やねん! あ、比叡山はうまぴょい御禁制やで。良い子のみんなは『冷静沈着』を身に着けてから入山頼むで*3

 

「受けないといけませんかね……」

 

「受けたれや。すぐ留学行くんやから帰ったときには有耶無耶になっとるやろ。受ける代わりに留学費用でも都合してもらえばええやん」

 

「泰範」

 

(あ、流石にゲスすぎたか。あかん、お師匠さん怒ったら説教滅茶苦茶長いんやけどなぁ)

 

「貴女は何て賢いのですか! 媽媽は嬉しいですよ」

 

「褒めるんかーい! そこは親なら叱れや! 自分で言っておいて割とあかん思ったんやぞ!」

 

 ともかく、803年から最澄は遣唐使として唐に渡るべく準備を進めます。最澄は大陸の言葉を苦手としたらしく、通訳として後の初代天台座主にして古くからの弟子である義真を同行させるよう手配し、更には留学費用として数百両の金銀を賜っています。*4これは、遣唐使の大使にかけられる金銀が200両ほどだったことを考えると破格であり、桓武天皇からの重い愛(物理)が感じられます。

 その頃、奈良東大寺。

 勤操和尚は荒れていた。

 

「うぉぉぉ、お前、この、パカ弟子、パカ弟子ィ! ふざけるな、ふざけるな、パカ野郎ォォオ! いきなり『そうだ、唐に行こう』と言い出した挙げ句に推薦状書かせまくって、更には得度するから準備よろしくとかふざけるなァァァ! 諸々の手続きでどんだけ時間かかるか分かってんのかッ! しかも、出港は来年だと? もう選考が始まっているのに審査資格すらないとか何考えてたんだお前ェェエ!」

 

「すまない、四国中で食べ物を貰っていた。お返しに温泉掘り当てたりしたから大丈夫だとおもう」

 

 後のお遍路である。

 

「お前、もう31歳だろ! 王族育ちの仏陀でももう少ししっかりしていたぞ!」

 

「いや、阿頼耶識で真理くんが教えてくれたが……シッダールタはお供のウマ娘と阿難陀くんがいなければ割と生活能力無かったようだぞ。最後は二人が目を離した隙にその辺のキノコを食べて食あたりで涅槃入りしたみたいだ。その点、私はどんな食物も選ばない。私は仏陀を追い抜いたのではないか?」

 

「白毫も螺髪も無いのに並んだわけ無いだろうが提婆達多級の大パカが!*5

 

「そうか。ところで得度の後の法名なんだが、自分で決めて良いのだったな」

 

「ああ、名乗りたいものがあるんならな。良いか、小栗とか頂点とかは駄目だぞ。振りじゃないからな」

 

「安心しろ、そんな名前じゃないさ。私が悟りを開いた時、室戸岬から見えた海と空が余りにも記憶から色褪せなくてな。仏陀も言ったそうじゃないか、『この世は美しい』と。その通りだと私も思ったよ*6

 

 どこまでも広がる空と海。大いなる世界で自分はあまりにも小さく、だからこそ世界の大きさを表している。

 色即是空空即是色。一があるから全があり、全かあるから一がある。そして、いつかは自身も解脱し世界と溶け込み、あの空と海と同一になる。真理は全てを真魚に教えてくれた。

 

「だから、名乗るよ。今日から私の名前は……空海だ」

 

「……食うかい?」

 

「そうだ、空海だ!」

 

「……うん、ピッタリだと思うが。いや、僧侶として良いのかソレ」

 

「へ、変だと言うのか? 大いなる意味を感じないのか?」

 

「いや、確かに大いなる意味かもしれないが(食欲的な意味で)。法名にしちゃ不味いだろ」

 

「ご、ゴンゾーだって、変な格好で輪っかみたいな鳴り物叩いて踊っていそうな法名のくせに!」

 

「オイコラ、得度取りやめるぞ。とにかく、音だけなら悪くないから、せめて空と海で空海と名乗れ」

 

「いや、さっきからそうだと言っているが?」

 

「え?」

 

「え?」

 

「……すまん、ニルヴァーナ弥勒のこと考えていた」

 

「57億年先のこと考えているとは良い度胸だな、ゴンゾー。今すぐ涅槃に行くか?」

 

「やめてくれ、まだ悟っていないから下手すると人間道からも落第する。やめてくれ」

 

 804年、東大寺授戒檀にて佐伯真魚は得度授戒。以後、空海と名乗る。

 後に平安仏教を盛り立てる二人の名が歴史に現れましたが、まだこの時は顔を合わせてさえいませんでした。更に、空海は得度したばかりの新米僧侶であり、勤操和尚も留学僧としてねじ込むわけにはいかず、通訳か医者として推薦する他ありません。

 果して、空海は遣唐使に選ばれるのでしょうか。

 

*1
正式に僧として登録されず、まだ勝手に名乗っているだけの僧侶。

*2
真魚のあだ名。元気と食欲の有り余る様から勤操和尚が勝手に呼んだ。

*3
下テロップ『タマモオネェちゃんと、ついでにナイスネイチャとの約束や!』

*4
泰範「他人の金で行く留学は楽しいか?」

*5
白毫は眉間のイボっぽい何か。螺髪はパンチパーマみたいなものです。最近では立川でこの姿をした聖人男性が目撃されているみたいですね。

*6
※この辺りから勤操和尚は提出書類のことを考えていまいち聞いていません。




ちなみに、伝教大師最澄は人間の男性かウマ娘かで滅茶苦茶迷いました。特にスーパークリークが当てはまりそうでしたが、踏みとどまりました。
理由としては、流石に仏教文化全部がウマ娘によるものではないだろうとの思いと、現在でも多くの日本人は何らかの形で檀家になっていると思いますが、禅宗や浄土真宗など鎌倉仏教の母たる比叡山の開祖が走る西松屋だと日本人は古来からバブみを感じてオギャっていた民族となってしまうのでやめました。

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