マルゼン姐さんが来たのでバブリーダンス踊れました。ただしスペちゃんは来ませんでした。
スペちゃん……君には素敵な役を用意してあげるよ。
あと、報酬でもらった☆3確定チケットではまさかのオグリキャップ。やはり仏はいる。そう思いました。
「何でしょう……最澄の背後にトゥインクルシリーズで見る母性溢れるウマ娘の影が見えた気が……」
「気のせいですよ。松平さん疲れているんですか?」
「いえ、調子はむしろ絶好調ですよ。故あって田村神社にお参りしたんですけど、そこでサイレンススズカさんと彼女のトレーナーさんに会いましてね。そこから妙に調子が良いのです*1」
「それは何よりです。高野山にも機会があればお越しくださいね」
「ええ、ぜひ行かせてもらいます。さて、空海は得度前に悟りを開いたわけですが……このような前例は他にいるのですか?」
「得度をせず、まだ経典を少し読んで荒行一つで悟ったのは弘法大師くらいではないですかね。近いのはお釈迦様かもしれませんが、お釈迦様もいくつもの厳しい苦行の果てに菩提樹の下で静かに瞑想したところ悟ったわけですから期間的にも空弘法大師は恐ろしい速さで悟りに到達しています。普通、我々は真理に近づき悟りを得ようとするわけですが、先程の映像でもあったとおり弘法大師は真理の方から離そうとしません。一体どれほど前世で徳を積み重ねたら……或いは、異なる世界で愛情や信仰を得ればあれほどの速さで悟りに至るのかは私にも理解できません」
「そうですね……それはそれとしてオグリキャップさん食べ過ぎでは? 高野山的にあれってよろしいので?」
「実に弘法大師をよく表現しています。ご本人もきっとそっくりだとお認めになるレベルですよ」
「公認ってどういうことですかね……。さて、得度を済ませた空海。しかし、公的には何の実績もない彼女を遣唐使に推薦するのは半ば無謀な試みと言えます。勤操和尚には空海の希望を叶える当てがあったのでしょうか」
空海は不思議なカリスマ性を持っていたと言われています。それは、南都仏教の総本山たる東大寺の別当であった大僧都の永覚が一目見た瞬間に空海が自分よりも遥か高みにあることを認め、空海の渡唐の支援を約束しました。
また、空海が唐に渡りたいと願っていることを知って劇的に反応したのが四国の人々です。
「あのウマ娘さんが唐に行きたいんだと?」
「こりゃ大変だ。大陸の飯が食い尽くされてしまう」
「お金とか持ってないわよね、あの子」
「心配だ、心配だ。温泉掘り当てたり、溜池作ったりしてくれたけれど、あの子本当によく食べるからな」
「ねえ、みんなで手助けをしましょうよ。あの子が大陸でお腹を空かせるなんて可愛そうだわ」
「そうだね。何だかんだ世話になったし、助けてあげるか」
空海の猛烈な食事量を知る四国の人々は、仮に空海が渡海すれば莫大な食費がかかることを懸念します。その思いが広まり、空海のもとには莫大な資金が集まっていったのです。正確な資金額は不明ですが、何と最澄が桓武天皇から賜った黄金を遥かに超える額であったことは間違いないと言われています。
しかし、南都仏教の支援と四国の人々による資金援助。これを持ってしても朝廷の人々は無名の空海に目を向けることはありませんでした。むしろ、平安京遷都の背景にはあまりにも朝廷と密になり過ぎた仏教勢力と距離を置きたい意図もあり、南都仏教からの支援は逆効果だったのかもしれません。
一方、朝廷が新たに鎮守国家の要として目をつけた比叡山の最澄は着実に実績を重ねてゆきます。
802年、高尾山寺にて行われた天台法華講話。南都仏教内の不和を取りまとめてみせよという余りにも理不尽な依頼でしたが、最澄はそつなくこなしてみせます。最澄の説く法華経の解釈は南都仏教からしても反論の余地は無く、若くしてそこまでの境地に達した最澄に南都仏教の僧達はむしろ感心したほどでした。しかし、話が仏法から走禅ーーウマ娘の育成方となると僧達の目の色が変わります。誰もが自らの愛バを、または己自身を高みへと導くべく最澄の話をギラギラとした雰囲気を隠すことなく聞いていました。
「競技において勝敗を左右するものは言うに及ばず。されど悲観することなかれ。聞いたことはありませんか。御仏の前で、背後から駆け抜ける何者か……己より遥か高みにあるウマ娘が一筋の光へ向かって走り去るのを幻視したと、多くのウマ娘が証言しているのを。それこそが仏の慈悲、
「方便である!」
若い僧が大声を上げます。彼はなかなか指導するウマ娘が勝てず思い悩む秀才でした。
「最澄和尚の説かれるものはまやかしである! ウマ娘には分相応あり。距離適性、脚質、バ場適性、身体が持つ業も違えば走りたい気質も違う。釈尊が説かれたのはそれぞれに見合った育成である! 全てのウマ娘が可能性を持つというのは、ただ自らを慰めるだけのまやかしに過ぎない!」
最澄はその言葉に対して即座に反論します。
「否! ウマ娘の可能性というのは限りあるものに非ず。仏の示された走禅の道は無限である。その様は広大無辺の大草原が如し。それをどうして否定するのか」
「ならばあなたは、砂の短距離しか走れぬウマ娘が芝の長距離の競技で優勝できると言うのですか!」
「できる! 一切衆生悉有仏性なり。然るに、一切ウマ娘悉有優勝。救いも、可能性も、無限です!」
この世に仏に至る可能性の無いものなどいない。ならば、どうしてこの世に勝つ見込みのないウマ娘など存在するというのか。
この場にいた若輩の僧達は力強く最澄を支持する視線を送り、中堅以上の僧は『そんな当たり前のことは知っている。私の愛バの可能性は無限だ』と、自信に満ちた雰囲気で最澄を肯定しました。
いまだ反論しようとする若い僧の肩に老いた桜の枝が如き細指が置かれます。
「お若い方、あなたの負けだよ」
「春麗和尚……しかし、私は……」
華厳寺の名僧、春麗和尚。この時、齢80を越える高齢でありながら現役時代から140戦以上もの出走を果たし、一度として怪我をしたことの無い仏の加護の化身とも噂されるウマ娘です。
「うららも、かつては芝の上を走るに向かず、長い距離を走ることもできなかった。けれど、うららの師匠……行基菩薩様は教えてくださったの。『諦めるな。仏が救わないんじゃない。お前が自分を救おうとしないんだ』ってね。ふふ……懐かしいね。覚えていますか、みんな。40年前、芝の長距離。一着を取ったウマ娘を。忘れたとは言わせないよ」
無謀すぎる挑戦。記念出走だと誰かが言った。
反論はしません。ただ、結果で黙らせました。
小柄で、頑丈なことだけが取り柄のウマ娘が優勝する様を見て人々は称えました。うららしか勝たん、と。
「全ての僧よ。ウマ娘よ。老バの遺言と思って聞きなさい。救いは無限だよ。うららの脚こそ、仏の慈悲の象。最澄和尚は正しいね。一切衆生悉有仏性、一切ウマ娘悉有優勝。走ることを諦めちゃだめだよ!」
一瞬、この場にいた全員が我が目を疑いました。
齢80を超えた白髪の老バが、桜の花のような髪をした10代の少女に見えたなど信じがたいことです。
最澄は恭しく一礼すると講義を終えました。
この高尾山寺の講義は最澄の名を高め、新たに鎮守国家を担う存在であると人々の期待を高めることとなります。それが、空海にとっては大きな障害に転じるのでした。
「間に合わなかったか……」
勤操和尚に届けられたのは、空海が遣唐使の選から外れたことを報せるものでした。
「ふむ、流石に遅かったか。何とか差しきれると思ったのだがな」
「オイコラ、パカ弟子ィ……言い出しっぺのお前が何で飄々していやがる。どうするんだよ、四国の皆様から集まった寄付とか、東大寺大僧都の面子とか諸々。事後処理で死ぬぞ、俺が」
「案ずるなゴンゾー。果報は寝て待てと言うではないか。ここは何か食べてから寝ようではないか」
「報せはもう届いてるんだよパカ。お前は唐に行けないの。分かっていますかおパカさん!」
「何を言っているのだ。報せが来るのは明日だと真理くんは言っているぞ。だからとりあえず今は食って寝るべきだ」
ああ、とうとう気が触れたか。勤操和尚は空海が渡海の夢破れて正気を失ったと思いました。ところが翌日、出港した遣唐使の船のうち1隻が瀬戸内海で座礁し、九州にて修理中。乗っていた船員に空きが出る事と、そこに薬生ーーつまり医師として空海が乗ると決まった知らせが届いたのですか。ただし、期間は約20年。朝廷からの資金援助は無く、全て私費でまかなうことが条件です。
「空海、お前は……どこまで分かっていた?」
「何も分からないさ。ただ、私は信じて待った。それだけだよ」
空海が難波の港から旅立つことを知り、もともと讃岐の役人であった父が声をかけた四国の船団が最速で九州へと送り届けることとなりました。
遠く離れていく弟子。唐から帰れぬ期間は長く、次に生きて会えるのかすら分かりません。元気よく手をふる弟子に、勤操和尚は曖昧な顔しかできませんでした。
(ああ、そうか。俺は寂しいのか。これが、愛別離苦なのだな。元気で帰ってこいよ、空海)
斯くして、空海は遣唐使の一員として現在の長崎県五島市三井楽から乗り込み、日本を出立したのでした。
空海は船団の第1船。最澄は第2船の乗員です。空海の乗る船には思わぬ出会いもありました。
「へえ、君が変わりに来た坊主か。名前は?」
「空海だ。ところで、人に名を尋ねるのならばまず己からだと高貴な家では習わなかったのか?」
「高貴ねぇ……橘の家なんてとっくに没落したから死んでもおかしくない遣唐使なんかにさせられているのに、どこが高貴なんだか。あ、僕の名前は
「多生は書くが……キミも利き手を隠してはいるが墨の匂いが身体に染み付いているじゃないか。ウマ娘の嗅覚を舐めないほうが良い。かなりの能書家と見た」
橘逸勢。かつて聖武天皇の左大臣を努めた橘諸兄*2の曾孫にあたります。彼は後に嵯峨天皇、空海と並ぶ三筆と呼ばれる当代随一の能書家として名を馳せましたが……承和の変で藤原良房と従姉の檀林皇后に無実の罪を着せられて伊豆へと配流され、その地で亡くなります。*3
「……驚いた。まさか一日に二人も見抜かれるとは」
「二人?」
「ああ、あっちの坊主だよ。彼に筆まめを指摘されたから隠したのに……いやはや、ウマ娘は凄いね」
「あっちの坊主とは聞き捨てならん。
「おや、地獄耳だね。お詫びに紹介するよ。彼は法相宗の霊仙和尚。こちらは薬士として乗り込んだ空海。同じ船に乗る者同士、仲良くしようね」
互いに目線を交わす二人の仏徒。霊仙は空海の澄み渡る空と凪いだ海のような蒼い瞳の光を見て、彼女が異常なほど心穏やかにあると察しました。
「空海殿。貴女は既に悟りを?」
「そういうキミは……あと一歩だな。いや、既に真理と共にあるが、見えていないだけか。喜べ、霊仙和尚。キミは、この旅で悟りを得るだろう。だがーー」
「待て、空海殿……知っているさ。それ以上は言わなくて良い」
霊仙和尚。またの呼び名を霊仙三蔵。
唐では般若三蔵に師事して経蔵・律蔵・論蔵を修めた日本人初の三蔵法師です。しかし、この出会いから20年後に消息不明となり、後に最澄の弟子である第3代天台座主の円仁が唐で調査したところ、霊境寺の浴室にて暗殺されていたことが判明します。理由は不明ですが、おそらくあまりに優秀すぎる彼は妬まれ、後に唐で流行する反仏教のどさくさに紛れて非業の死を遂げたと推察されます。それでも、空海は彼と共に唐にて長い修行を共にし、確かな影響と日本人初の三蔵法師という偉業を後世に遺したのです。
空海の乗った船は、途中で嵐によって大きく航路を逸れて804年8月、第1、2船は福州長渓県に漂着。同地の役人に海賊の嫌疑をかけられ、疑いが晴れるまで待機させられます。このとき遣唐大使である藤原葛野麻呂や慣れない土地で体調を崩してしまった最澄に代わり、空海が福州の長官へ嘆願書を代筆しています。その理路整然とした文章と優れた筆跡により遣唐使と認められ、同年の12月に一行は長安へとたどり着きました。
「「「ようこそ、長安へ〜」」」
日本後紀には、23名の着飾ったウマ娘が一行を出迎えたとされます。
当時の長安はシルクロードを通じて世界中から人々が集まる人種の坩堝であり、溢れる文化と多種多様な宗教、言語、思想。満ち足りた富と財から「花は舞う大唐の春」と称されるほどの栄華を極めていました。
空海らは長安の中心にある西明寺を宿とし、求法の時が始まりました。手始めに空海と霊仙はインド人僧である
「言葉だ。言葉が違えば意図に関係なく悟りは遠ざかってしまう。故に我々はまず釈尊が使っていた梵語により
挑発するような般若三蔵の言葉に空海は即座に「勿論だ」と返し、未だ確かな悟りを得ていない霊仙は沈黙で応えます。
「結構。では始めよう……これより語るは華厳宗の澄観が真理より引き出した四法界の概念だ。さあ、私の言葉に続きたまえ。世界を越えるぞ」
般若三蔵の梵語を空海と霊仙は続いて唱えます。すると、彼等の意識は言葉によって真理へと導かれ、世界を越えたのです。
事法界、即ち現実。
理法界、現実とは全て虚妄であると理解した色即是空の境地。
理事無礙法界、虚妄故に現実がある。無限だからこそ有限もある。空即是色を理解した境地。
そしてーー事事無礙法界、一切の物事が妨げあわずに共存する境地。梵我一如。
既にに悟りに至っていた空海は事事無礙法界へと我が庭の如く到達。事事無礙法界を前に尻込みする霊仙の意識へと侵入します。
(やあ、霊仙。悟らないのか?)
(げえっ、空海。何で我の意識にいるのだ)
(キミも来い。楽しいぞ)
(待てや。そうやって、本当は後戻りできない場所に引きずり込むつもりだろう。騙されんぞ)
(悟りは良いぞ、霊仙。そしてここまで下りてきたなら……キミも悟るぞ!)
(嫌ァァァ、初めてなのに悟っちゃうのぉぉぉ!)
釈尊が最初に説いた教えは空の世界を重視し、一切皆苦である現実を離れ、いずれは終わる天道にさえも見切りをつけ、永遠にして不変である涅槃に至ることが目的です。しかし、唐で発達した仏教は現実に戻ることを重視しました。これはインドの死生観は生きることは苦しみであるという悲観的なものであるのに対して、中国では生きることは楽しみであると考えたことが影響したとされます。
しかし、空海は両方の悟りを自由に行き来することを真理の方から許されたイレギュラーな存在。未知の領域に戸惑う霊仙を強制的に悟らせました。
(……スゴカッタ)
「空海、お主……もう少し何というか、手心と言うかーー」
「般若三蔵、そんなことより他の梵語を教えてくれ。私は飢えているのだ」
「あ、うん。そうだよね。お主はもう悟っているから焦れてしまったよね。何かごめんね」
805年、5月。僅か3ヶ月で梵語を完全に習得した空海はさらなる知識を求め、唐で流行しつつあった密教を修めるべく密教の第七祖である唐長安青龍寺の恵果和尚を訪ねることを決めました。
(そう言えば、第2船に乗っていた頭巾の人……最澄と言ったか。彼はどこで何をしているのだろう)
実は病に倒れた最澄はその後も長安には入らず、福州の天台山の寺院で500巻近い経典をかき集めて日本に送る手配と、同時に自らの修行を短い時間で行わねばならない多忙を極めていました。
何とか密教の触りだけ学んだところで帰国命令が出され、空海が本格的に密教を学ぼうかという5月には帰国の途についていたのです。公に支援されたが故に公に従わざるを得なかった最澄。公には支援されなかったが、故に自由に学ぶ時間を得た空海。これが後の決裂へまで因果がゆくとは誰も思っていませんでした。
「まだ学びたりません。それでも……私は私を必要としてくれる方の元へ行かなければ」
遣唐使の帰国命令の理由の1つに桓武天皇が病に倒れたこともあります。最澄を心の支えとしていた桓武天皇は病床で最澄の名を呼び、朝廷は遣唐使が役目を果たすのを待つと急ぎ帰国を促したのです。
密教への未練を残し、最澄の留学は終わりました。そして、新たな鎮守国家の象徴として政争という彼にとって望まない戦いへと身を委ねる時が来てしまうのです。
《林の中で、縛られていない鹿が食物を求めて欲するところに赴くように、聡明な人は独立自由をめざして、犀の角のようにただ独り歩め》
《最高の目的を達成するために努力策励し、こころが怯むことなく、行いに怠ることなく、堅固な活動をなし、体力と智力とを具え、逃げウマ娘のようにただ独り走れ》
スッタニパータにおいて仏陀が語った言葉は、孤高に生きることをそれぞれ犀の角と逃げウマ娘で表現しました。そして、空海は霊仙と行動を分かち密教を習得すべく一人で青龍寺の門を叩きました。
「ああ、お前さんが空海だね。長い間、お前さんを待っていたよ。大いに好し、大いに好し」
恵果和尚は既に病床にありました。しかし、その眼光は衰えることを知らず、更には真理を通して空海と縁を結ぶことまで知り尽くしていました。
恵果和尚は千人を超える弟子を持ち、その内の5人に密教の奥義を伝えました。しかし、心の意味での後継者足り得るものは未だ現れていなかったのです。だが、空海の尋常でない才能を般若三蔵らから聞いて、恵果和尚は空海が自らの後継者に価する器であると期し、真理を通して確信していました。般若三蔵によれば、空海は梵語の理解力が抜群であるといいます。例えば、金胎両部の念誦法にしろ、諸尊供養法にしろ、真言を聴いた瞬間にほぼ、梵語の意味を理解し、更には中国語や日本語への翻訳が完璧にできていると言うのです。
空海を直接見た恵果和尚は、般若の推薦が誤りでないことをすぐ悟ります。
「やっと逢えたのう。よろしい、灌頂をせねば。明日じゃ、明日、灌頂をしよう」
流石の空海もその真意をを計りかねました。空海は密教に少し触れた程度で、それも山岳修行レベルの雑密と『大日経』の学解だけです。
疑問に思う空海に恵果和尚は「金胎不二」の密教の奥義を滔々と説きます。釈尊の悟りから密教までの全仏教史を総ざらいし、大乗仏教の二大流派を金剛界と胎蔵界と体系化。真理へとアクセスし悟りに至る手順が複雑化していた状況を整理し、さらには曼荼羅により視覚的にも密教の概念を理解できるようにしたのです。
「曼荼羅……その手があったか。これならば目で見て真理の世界へ至る術を理解できる。読経は文字と言葉を通して真理へと至る方法だが、これなら!」
「そうじゃ。釈尊が至った世界、我らが見ることを許された世界。まさに真理を金剛界と胎蔵界という二つの世界として視覚化する。至るべき景色が見えるならば、そこに向かい走るのは目隠しをしているよりも容易かろう」
「なるほど……道理で密とするわけだ。これは、公に広めるべきではない。誰もが真理に至るのは素晴らしいが、縁の無い者やまだ資格なき者に対して安易に真理を見せるのは、赤子に強飯を食わせるか、幼いウマ娘に都で競技をさせるようなものだ。それは、救いではなくむしろ毒にしかならないな」
「嬉しいぞ空海。好し、好し、大いに好し。よくぞ密教の意義に気付いてくれた。良いか、決して妄りに広めてはならんぞ。三原則を忘れるな」
密教の三原則とは以下の通りです。
1,法身説法(僧侶は、自ら説法をする)
2,果分可説(悟りは説くことができる)
3,即身成仏(人の身のままで、仏となることができる)
これは密教を受戒した者に対する戒めであるとともに希望です。1により僧侶は一人一人に丁寧な説法を行うことを義務付け経典や曼荼羅により安易に悟りに至るもので氾濫することを防ぎます。2によって授戒者と受戒者双方に悟りは必ず教え学ぶことができると保証し、3によって現世利益を垣間見せる。
空海は間違いなく密教は逼塞感のある日本に必要だと確信すると共に、決して権力者に近付いてはならないと自らに誓いました。
(これは大変だ。あまりにも求心力があり過ぎて権力に利用されてはかなわないな。南都仏教の反省をしなくては国も仏の教えも滅びる諸刃の剣だ)
翌日、空海は胎蔵界の受明潅頂を受け、7月上旬に金剛界の受明潅頂を受けました。受明潅頂とは、密教を学ばんとする者に弟子の資格を与える略式の潅頂です。とはいえ、潅頂の秘儀で一番に重要な「投華得仏」とその結果結縁した曼荼羅中の一尊の秘印(最極秘の印)・秘明(最極秘の真言)の授受は行います。
「投華得仏」とは、道場に引入され目隠しをされた受法者が、手に印を結び、口に真言を唱えつつ、教授の僧に伴われて曼荼羅壇に進み「華」を大壇の上に敷かれた「敷曼荼羅」の上に投華し、「華」が落ちた曼荼羅の仏と縁を結ぶ儀礼をいいます。
(これは……何と、まさしく真理から愛されておるのか)
空海は、6月の胎蔵界につづき7月の金剛界の時も「華」が曼荼羅中央の大日如来に寸毫違わず落ち、恵果を驚嘆させました。確率的にも極めて稀で、恵果和尚は空海の霊威的才能にも目を見張りながら、胎蔵界大日と金剛界大日それぞれの秘印と秘明を授けました。
そこからの修行は恵果和尚の体調を慮った空海により全身全霊の速さで行われ、僅か1ヶ月で師の全てを空海は身につけてゆきました。
恵果和尚は空海の熟達ぶりを見届けると、間を置かず8月10日、阿闍梨位に上る「伝法潅頂」を行います。
「空海、これを」
恵果和尚が差し出したのは五智如来が彫り込まれた黄金の宝冠。五智とは、大日、薬師、阿弥陀、宝生、不空成就の5つの如来を指します。和尚からの贈り物です。
「綺麗だ……ありがとう、師匠」
「ほほ、感動するよりもつけて見せておくれんか?」
ブッピガァァン。
「これで良いか?」
「うむ、綺麗じゃぞ空海(何だ今の音)。お前さんは今日より我が跡目、『遍照金剛』じや」
遍照金剛ーー金剛界(現世)を遍く照らす者。
空海は、一介の私費留学生から阿闍梨の師位をえて、真言付法の第八祖となりました。空海がこれまで積み重ねてきたすべてが一気にまくって上がり、結実したのです。しかし、恵果のもとで何年も修行を積みながら未だ潅頂に浴しない者や、「受明潅頂」の段階で止まっている者や、「伝法潅頂」も金・胎いずれか片方しか受法していない者が大半であります。それを、つい昨日来たばかりの空海が大抜擢されるのには不平不満も出たと思われます、がーー
「さて、儀式も終わったし食事にしよう。今日は私の奢りだ」
「「「遍照金剛様、一生付いていきます!」」」
空海は500名以上の共に学ぶ僧侶に食事を振る舞い、恵果和尚の後継者として認めさせました。
「モウタベラレナイヨォー」
「モウタベラレナイゼー」
「モウタベラレマセンワァー」
「おかわり」
「いや、お前さんが一番食うんかい! しかしその食い気、実に好し、大いに好し。ハッハッハ!」
きっと、飯につられたり空海のあまりの食いっぷりに認めざるを得なかったりしたわけではないと思いますーーたぶん。
秋にかけて、空海の日々は一変しました。『大日経疏』をはじめ新訳の密典・儀軌・梵字真言讃を書写生に頼んで書写しはじめ、青龍寺の手が足りなくなると橘逸勢たち留学生仲間の手も借りて『四十華厳』ほか修学の記録を書き留めることもはじめます。詩文や書の書籍も集め、注文した絵図や法具のほか筆や墨に至るまで作らせ、日本に持ち帰る算段をはじめたかのような様子に、逸勢は「君はすぐにでも帰るつもりなのか?」と訝しみます。
空海ら留学生は最短で帰った最澄と異なり20年は滞在する決まりでした。無断での帰国は当然ながら厳罰に処されます。
「どうだかな。ただ、私の阿頼耶識に真理くんが急かしてくるんだ。帰る準備を始めろと、やかましいほどに。全く、受戒してから今まで以上に話しかけてくるようになったが、真理くんは寂しがり屋なのだろうか」
「君は何を言っているんだ」
空海の怪物じみた幸運はとどまるところを知らず、同じ遣唐使船団の僚船で東シナ海で遭難していた第4船が単独で渡唐し、長安に入っていたのです。空海は鴻臚館に滞在中の使節団に面会し、自分が得た仏法を早く日本に持ち帰り国家のために役立てたいため、国禁を破ってでも帰国したい旨を説きます。使節団の長はこの国禁破りの申し出に官吏として苦慮しながらも、事の重大さを理解し早速空海の帰国を唐の皇帝に奏上し、許可が下りたのでした。
そうこうする間に、年末の12月15日、空海にとって別れの時が来てしまいました。
「ほほ、悲しい顔をするでないよ空海。来たるべき時が来て、また輪廻に戻るだけじゃ」
「……師匠。また貴方に学べて良かった」
「ほう、覚えておったか。善き哉、善き哉。あれは今から何百年前であったか、それとも異なる世界であったか。何にせよ、私とお前さんは宿契。幾度も幾度も生まれ変わり、師と弟子となってきた。だが、それも今回で終わりじゃな」
恵果和尚が最後に差し出したのは自らの袈裟でした。袈裟を引き継いだ者が教えもまた引き継ぎぎます。かつて釈迦如来も弥勒菩薩に袈裟を譲り、弥勒菩薩は来たるべき時を迎えるため57億年もの修行を積んでいるのです。
「お前さんの輪廻は今回で終わり、涅槃が待っておる。私は、どうかのぉ……あと一回くらい人間やり直してみたいのだが」
「その時は、私の弟子となれば良い。涅槃間違いなしだぞ」
「ふ、ハハハッ! それは好し、大いに好し! 東の国にて再会し、共に密教の華を咲かせようか」
午前4時頃。恵果大和尚、東塔院にて入寂。
空海は弟子を代表して追悼の碑文を起しました。
空海と逸勢は帰国するのに対して、霊仙は唐に留まることを選択します。彼は比較的高齢だったことと、般若三蔵を師として学びを深めたいと考えたが故の選択でした。
旅立ちの朝、長安の城門には空海と縁を結んだ大勢の人々が訪れて別れを惜しみます。別れの最後に般若三蔵が柳枝を空海に渡しました。古の中国では旅の安全と平和を祈る餞として柳の枝を贈る風習があったのです。
「達者でな」
「ああ。皆も、元気で」
背を向けて歩み始めた空海。その背に、誰が始めたのか空海の名が幾度も叫ばれているのが響いた。いつしか声は伝播し、数千人もの長安の人々が一斉に空海の旅立ちの祝いと別れの悲しみを込めた万雷の空海コールとなります。
「一生一別。再び見え難し……ああ、楽しかった。ありがとう、みんな。ありがとう、長安」
806年、4月。
空海の唐での役目は、終わったのです。
「……はい。密教を身に付けて帰還した空海。ここから真言宗の開祖としての活動がはじまるわけですね」
「そうですね。特に太宰府で行われた最初の説法は今日の私達にも大きな影響を与えています。」
ちょうど空海が帰国の途についた806年の4月、桓武天皇が崩御し平城天皇が即位します。さらに、翌年に起きた伊予親王の変*4で政治情勢が悪化、さらに伊予親王の教師の一人が空海の叔父である阿刀大足だったため、遣唐使の功績と橘家の昇進により殿上人となった橘逸勢のみが平安京に入ることを許され、空海は809年まで太宰府に留まることとなります。
「まあ、仕方ないか。とはいえ、このまま暇を持て余すのは師匠達にも偲びない。できれば京でやりたかったが、ここで試すか。私の密教をーー」
807年太宰府、観世音寺。
伝説の説法が始まる。
次回は明日の20時予定です。
仏教について考えすぎたせいか、最近髪がチリチリになってきました。何だか体も発光して眉間にはホクロが……変ですね。タキオンさん、何か飲ませましたか?