今回、めっっっちゃ長いです。
ナレ死させる予定だった将門と武士のはじまりだけで8000字も使ってしまいました。
そしてゴルシ!お前のせいで1行で済む話が2倍、3倍にもなるのやめてくれませんかねぇ!
時は平安時代。雅な文化が花咲き乱れ、春はあげぽよ、夏は
「ヒャッハー、米を出せオラァ!」
「ひゃっはー、甘いものよこせー!」
世はまさに末法の時代。
どうしてこうなった。
仏陀と空海は寝ておられるのか。
事の始まりは桓武天皇による軍団の廃止です。貴族の勃興と荘園の拡大は地方にとって中央の利益を還元するとこになりますが、一方で朝廷の経済基盤を切り売りする事となりました。そのため、朝廷の所有する軍隊である軍団の維持に予算が割けなくなっていったのです。
とはいえ、この時はまだ蝦夷平定もままならぬ時代。軍事費の削減は緩やかに行われるかに思えましたが、運が良いのか悪いのか、同時期には彼がいたのです。
「もう田村麻呂だけでよくね?」
「他の軍隊とか無駄じゃね?」
「いらない、いらない。軍団なんかいらない」
「田村麻呂なら何とかしてくれるでしょ」
軍神・坂上田村麻呂と鈴鹿御前。
余りにも強すぎた二人。無敗のまま蝦夷平定を成し遂げた軍神と仙女。彼等の存在が桓武天皇と、中央貴族の目を眩ませてしまいます。あるいは、それ以前から愚かだったのでしょうか。
兵役は確かに国民の負担でありましたが……その対案は、日本全国51ヶ国に3155人の精鋭中の精鋭たる
それでも軍神なら……軍神ならこんなパカな計画を止めてくれるかと期待したかったのですが、軍団の廃止が始まったのは792年。彼は
斯くして、誰も現場の意見など聞くことなく愚策は実行され、朝廷は地方統治を事実上放棄してしまったのです。そして、健児だけで国内の治安維持ができるはずもなく日本列島は無政府状態に陥り、この解消には何と300年後の鎌倉幕府の成立を待たざるを得ず、動乱の沈静化には600年後の江戸幕府の成立を待たねばならないのです。
そして、国内の無秩序化はこれまでの為政者が危惧しつつも「ウマ娘達ならば大丈夫だろう」と楽観視していた事態を招くのです。
ウマ娘の
殊に大江山や伊吹山など平安京周辺の山には組織化されたウマ娘の盗賊団が跋扈し、軍隊を手放した朝廷はなすすべなく蹂躙されてきたのです。そう、奴が都に産まれるまでは。
日本ウマ娘放送協会特別企画
ウマ娘と辿る日本の歴史
第8回「ゴールドスピリッツ 〜
「はぁ……あ、大変失礼しました。今夜も始まってしまいました、ウマ娘と辿る日本の歴史。主題となるのは武士の始まりと摂関政治という平安後期の欲張りセットのような内容です。解説には……えー、昨年社会現象となりました平安時代を舞台としたマンガ『鬼殺の刃』の原作者であり、財団法人
「よろしくおねがいします」
「本題とは離れますが、昨年の映画『鬼殺の刃 無限牛車編』の興行収入世界1位おめでとうごさまいます」
「ありがとうございます。狙うなら世界1位というのが相棒であり作画担当のジャスtーーロングエスケープの目標だったので、達成できたことを心から感謝いたします」
「鬼殺の刃は、ストーリー性もそうですが歴史家が裸足で逃げ出すほどの、まるでその時代を生きていたかのような時代考証の巧みさと知識もまた見どころの一つでしたが、オールバトさんはどのようにして調べたりしたのですか?」
「まあ、実際に生きてきたからな。いやぁ〜酒呑童子は強敵だったぜ。飲み過ぎた3日目の朝くらいの強さだったな」
「え?」
「ーーー冗談ですわ。オホホホ」
「あ……ハイ。一瞬、深窓の令嬢かくやという美貌に謎のヘッドギアを付けた姿が見えた気がしましたが、はい、気のせいですね。さて、まずは武士の起源について辿っていきましょう」
そもそも武士の起源はどこからなのか。実は、未だに3つの論が争っている状況なのです。
1.開発領主に求める説(在地領主論)
2.出世から外れた下級貴族に由来する説(職能論)
3.律令制崩壊後の国衙軍制起源説(国衙軍制論)
1は古来より存在する説で、地方領主が自衛のために武装した結果、武士化していったというものです。
2は地方領主説で説明できなかった中央貴族に近しかった源氏と平家が武士の棟梁となった理由を、出世争いから外れた貴族が武装し武士化していったというものです。これは失脚した貴族が大宰府等で軍人として左遷されていること等から説得力がありますが、一方で武士団を構成する要であるウマ娘がどこから現れたのか。また、武士団の特徴である
そこで提唱されるようになったのが3の、
つまり、古来からあった武装組織が国からの賃金よりも貴族に仕えた方が豊かになると気付いた結果、武士団として覚醒したのです。これならばウマ娘は吉備真備や坂上田村麻呂仕込みの弓バの道を身に着けており、人間への高い
3の説に説得力を持たせるのが武士の武装です。
中世武士の鎧と言えば大鎧。重さ30キロ以上にもなる鉄壁の装甲です。それでいて仏具由来の制作法が取られ見た目も美しく、実にウマ娘好みの可憐さがあります。一方で、薄い鉄板でしかない西洋のプレートアーマーが約40キロ、帷子などを含めると更に重量があったのに対して大鎧は比較的軽量かつ防弾性が高いものでした。これは西洋甲冑が体全身を覆う完全防御方式であったのに対し、大鎧は頭と胸に重点を置く集中防御方式であったことが理由として考えられます。
また、大鎧の恐るべきところは機動力の確保をある程度可能とした点です。元々の大鎧は草摺という下腹部から太腿にかけてを守るスカート状の鎧が箱のように4分割されただけであり非常に走りにくく、ウマ娘からは大不評を被ります。そのため、走りやすいよう細分化するなど工夫されていきました。重さ30キロもウマ娘にとっては軽々としており、人間でも伝承上とはいえ大鎧を纏ったまま2丈(6メートル)跳んだ話が存在します。
武装には専ら和弓が用いられました。この和弓、長さ2メートル以上もあり世界最大の長弓であります。射程は約400メートル。その扱いは洋弓とは比較にならないほどの高い練度を要求されると言います。これだけ見ると、汎用性では洋弓(射程は約300メートル)の方が優れているように感じますが、和弓の恐ろしさはむしろ弓ではなく、矢にあります。
日本の鏃は、とにかくデカい。鍛冶師により一つ一つ丁寧に作られた鏃は、当たれば一撃必殺の威力を有します。その脅威たるや、後の元寇において元軍が自軍の盾を軽々と貫通する鎌倉武士団の矢に対して
一方で近接武器も巨大化の傾向が見られます。刀は直刀から太刀へと移り、更には矛から派生した薙刀などリーチ面と一撃の威力に着目した武器が主流となっています。
重装騎兵。盾を排除する代わりに重厚な鎧で身を固め、長射程高威力の弓を主武装とし、近接時にも太刀や薙刀といった殺意溢れる武器で襲いかかる。大陸のウマ娘達からすれば白目を剥きかねない狂気です。
ウマ娘最大の武器である機動性をある程度犠牲にし、代わりに得たのは圧倒的なパワー。機動性を駆使するならば、攻撃を跳ね返す鎧を身にまとえば良い。よしんば接近を許しても、軽鎧如き何人か纏めて叩き斬る近接武器があれば良い。
まさに脳筋。力こそパワー。スパルタも真っ青な力技こそ、朝廷の要求に対する国防ウマ娘達の
地方で力を伸ばしていた武士団が中央に進出するきっかけとなったのが平将門です。
桓武平氏には後に平清盛を排出する伊勢平氏の他、桓武天皇の孫である高望王を祖とする坂東平氏があります。将門は高望王の孫にあたります。
10世紀頃には地方の領主だった将門が藤原北家と主従関係を結び後援を得るなど、地方と中央の間で太いパイプを持つことが確認できます。この将門の存在が後の武士団へ大きな影響を与えたことは間違いありません。
将門は侠気のあるサッパリとした性格だったようで、主君の藤原忠平*3からも気に入られていました。
将門は最初中央で近衛兵として就職を希望しましたが叶わず、地元である下総へと戻ります。ところが、地元は親戚同士で土地をめぐり骨肉の争いとなっていたのです。将門は叔父等の親戚とは不仲でしたが、これは土地の問題に加えて分家筋かつ
後の清和源氏の祖である源経基が武蔵国の国司となった際に地方豪族とのトラブルを起こした時には将門は調停者として動きますが、解決寸前で経基が命の危機を感じて都に逃亡し失敗。経基は将門が反乱を企てていると讒訴しますが、朝廷は将門から事情を聴くと将門を無罪とし、逆に経基を罰したのです。ここまでは、将門にとって栄光への道のりであったのでしょう。
将門の美点は誉れ高い侠気にありました。坂東ウマ娘達も彼の人柄を慕って集まり、将門の軍事力を支える騎バ隊を形成しています。しかし、その美点が弱点へと反転する時が来てしまうのです。
将門の元にはトラブルから逃げてきた者やアウトローが集まり始め、人の良い将門は彼らを守ろうとします。常陸国の国司に匿った者達の逮捕命令を撤回させる過程で戦闘となり、将門は意図せずして反逆者となったのです。その隙をかつて将門に破れた者達は逃しませんでした。
「それ見たことか。やはり将門は反逆者ではないか!」
源経基は罪を許され、逆に従五位下に叙せられます。そして、将門を討つために関東に赴いた際にはーー全てが終わっていたのです。
将門の首を前に経基は独り座ります。無念の表情を浮かべる将門のこめかみには矢傷があり、尋常ならざる傷口の深さは射手がウマ娘であったことを意味しました。
「……何があったのだ。あれほど勢いがあったお前が、なぜこんなにも呆気なく。どうして、俺との決着を付けずに死んでしまったのだ。お主は知っておるのか、トータ殿」
気配を隠していたのは高齢のウマ娘でした。名を、藤原秀郷。通称を俵トータ。大百足退治やお米大好きで知られる歴戦のウマ娘で、龍神の娘とも言われました。
「……つまらん話だよ。このパカは自らが招いた業に縛られていた。実はね、最初アタシはこいつの味方になってやっても良いと思っていたんだ。他のウマ娘からの評判も良かったし、どんな男かと興味もあった。そして、失望した」
時は将門が討たれる前に遡ります。
反逆者となった将門は関東各地に援軍を求め、その中に坂東ウマ娘達の評判を聞きつけた下野国の豪族、トータもいたのです。
将門は老将トータが来たことを喜び、食事を中座して謁見に応じたのですがーー
「将門殿、袴に米粒が……」
「ん? おお、いかんいかん。お恥ずかしいところをお見せいたしもうした」
何の気無しに袴についていた米を振り払った将門。しかし、それがトータの逆鱗に触れた。
「お米を蔑ろにするなッ!」
結局、将門に君子の器無しと見限ったトータはむしろ将門討伐軍の先鋒となるのです。
一方の将門は周囲に促されるがままに自らを新皇と名乗り、関東に独立国を打ち立てることを目論見ます。そして、敵方である従兄弟の平貞盛を討つべく常陸国へ出陣した際に、貞盛の妻が捕らえられて辱めを受ける事案が発生します。将門は直ちに貞盛の妻に衣服を与えて安全な地へと送ったのですが、規律こそ自慢であった坂東ウマ娘達は自分達よりもか弱く高貴な女性を手籠めにした将門にまとわりつく者共に嫌気がさし、一斉に故郷へと帰ってしまいました。そのため、一時は5000騎いた将門の軍は1000人*4にまで数を減らします。
平貞盛はトータにとって親戚筋にあたり、彼女は将門への失望を一層深め、4000の兵を率いて将門と争います。そして、戦場で将門を見つけると渾身の一矢を将門に放ったのです。
「……話はこれで終わりさ。全く、救えねぇ」
「流されるがまま、信じていた者たちを裏切ったか。ありがとう、トータ殿。人の過ちを、ウマ娘が正してくれた」
「どうだかね。今回の件で世の中は変わるよ……悪い方向に。将門はウマ娘無くして戦の勝利はありえないと世の中に知らしめると同時に、ウマが合うならば逆賊でもついていってしまうと分かった。アタシだって、米のことさえなければこいつの力になっていたかもしれん。もしかすると、そこで首になっていたのはお前だったかもしれんな」
「怖いなぁ、トータ殿は」
「まあ、それはともかくとして……朝廷が絶対的な統治者から落ちたこともこれで露呈しちまった。未だかつて、武力で王朝を打ち立てようとした者はいなかったが、ついに現れてしまった。それも、自ら望んだわけでもなく。望んだのは世の中から爪弾きにされた者かもしれんが、関東の者達はその望みを一時は良しとしたのだぞ。これを凋落と言わずして何とする。間違いなく世は乱れ、人々は争う。ウマ娘達も、果たしてどこまでお前たちを見限らずにいられるかな」
「……怖いなぁ。本当に、怖いなぁ。そうならんように、しっかりせんといけんなぁ」
トータの予言通り、将門の乱と同時期に瀬戸内にて藤原純友が反乱を起こしました。この二つを合わせて承平天慶の乱と呼びます。その後も各地で反乱が相次ぎ、世は乱れに乱れたのです。
一方、地方豪族が起こした反乱を同じ地方豪族が打倒し、勝った側を中央貴族が後援する体制により武士団は公的な存在から荘園を守る私兵集団へと変わってゆきます。その結果、地方の治安が安定すると引き換えに誰も平安京の治安維持に身を割かなくなっていきました。平安京のウマ娘達はやる気のない朝廷に絶望し、ついにはウマ娘同士で結託して山に籠るようになります。最初は緩やかに生きていたのかもしれません。しかし、ウマ娘も千差万別。大半が穏やかな気質かもしれませんが、時には荒れ狂う嵐のようなウマ娘もいます。そんなウマ娘が、往来の人を襲ったとして何の不思議があるでしょう。まして、遥かに力に優れたウマ娘が、勢い弾んで人間をバラバラに引き裂いたとしても、全く不思議ではなかったのです。
「おいおい、何だよ。人間ってのはこんなにも脆いのかよ」
「やりすぎだぞ、シュテン。そんなんだから他のウマ娘にも恐れられる」
「パーカ、ちと加減を間違えただけだ。それより不味いな。うっかり殺しちまった。こりゃ、流石に追手が来るか」
「……どうかな? 賭けてみようか。私は追手なんか来ない方にかけるけど、君はどうする」
「あ゛あ゛? お前が先に賭けるなよ。勝つ方だろそれ」
「はは、三冠バと言われた君が器の小さいことだ。それとも、負けるのが怖いのか?」
「……面倒くせぇ。そうやって挑発してんのはわかってるんだぞ、イバラギ」
「おや、もう手ぬぐいを口にあててしまったか。それすると途端に冷静になるよね、君。猫かぶりか?」
「うるせぇよ。黙ってずらかるぞ」
大江山に拠点を構える盗賊団の始まりは不明ですが、およそ980年頃に活動が最盛期であったと言われます。首魁は赤味の強い栗毛のウマ娘、酒呑童子。副官に無類の賭け事好きと知られる茨木童子。二人のウマ娘率いる盗賊団は、たびたび都を荒らし周り財宝と食料、時には男性や配下への褒美として女性を略奪するなど暴虐の限りを尽くします。
「何かすごいことになったな、アタシら」
「そうだな。私は適当なところで追手が来て、解散してトンズラするほうに賭けていたのに。残念、負けてしまったよ。
「姉貴……何してんだアイツ」
「そう言えば、摂津からヤツが帰ってきて本格的に平安京に住み着くらしいぞ。いよいよもって私らも終わりかねぇ」
「……あの芦毛のイカれ娘。朝廷も度を越したパカか。アイツを都に置くくらいなら遷都した方がマシな話だろ」
「朝廷の頭がオカシイのは元宮仕えの私らがよく分かってるでしょ。摂津源氏……武士でありながら治部大輔を務め、鎮守府将軍に昇る。安和の変では左大臣家に仕えながらを売り渡した二重間諜。経基のジジイも厄介だったが、満仲のオッサンも
「……奴等は将門の乱で平氏が名を落としたのと引き換えに武家の代表として名を挙げた。諸国から優秀なウマ娘を集めるなど人材育成にも熱心だな。さて、どうなることやら」
980年。藤原家で力を持つ藤原兼家にとっては喜ばしさと腹立たしさが入り乱れる年でした。娘の藤原詮子を円融天皇に入内させると翌年には第一皇子の懐仁親王(後の一条天皇)を生んだのです。外戚となる機会を得て有頂天の兼家でしたが、中宮立后したのは関白藤原頼忠の娘である遵子でした。唯一の後継者を産んでいるにも関わらず正妻の座を奪われた詮子と兼家は憤慨します。更に、頼忠の子で遵子の兄である藤原公任が兼家の屋敷の前で「こちらの女御はいつ立后なさるのか」と煽り、ひどく恨みに思ったのでひた。
「公任の小僧めが……今に見ておれ。今だけは父親の位が高くて天狗かもしれんが外戚の地位はワシのものだ。時が経てば落ちぶれるのは貴さmぬわぁぁぁあッ!」
「親父ィィィ! 親父が鞠のように飛んでいったァ!」
「こんな滅茶苦茶な事をするのは奴しかいない。出ておじゃれ、右大臣ぶっ飛ばすのはお前しかいねーだろライコォ!」
「兄上方落ち着いてくだされ。父上がライコウにぶっ飛ばされるのはいつものことではありませぬか」
兼家の子である道隆と道兼は慌てふためき、道長は慣れたのか諦めたのかのんびりと構えていました。
「悪い、悪い。アタシの荒ぶる芦毛魂を放ったらうっかり変な波動が出ちまった。あれ何なんだろうな。伝説のウマ仙人の敵討ちで宿敵・登仙弾正を蹴り倒した時以来の快感だったぜ。今度近所の晴明に訊いてみっか*5」
「ライコウ……おま、ワシを誰と心得るか。右大臣ぞ。偉いのだぞ。それを、わけのわからん光だか何だかで吹き飛ばしおって……その技教えてくれんか? ちょっと公任の家にぶっ放してくる」
「ふふ、そりゃ無理って話だぜ。この技は芦毛流に伝わる伝説の技だかんな。聞くところによると光明皇后が旦那に甘味を取られた際に怒りから編み出された哀しき技だ。とても人間が扱えるようなものじゃねぇよ」
「そうか……残念じゃ。ところで、何しに来たのだ」
「ん? ああそうだった。実はアンタにお願いにきたんだよ。アタシってばニルヴァーナ弥勒のことを考えていたらうっかりお前んちの前でお貴族様と肩がぶつかっちまってな。取り敢えずイチャモンつけられる前に河原に頭から埋めてやったんだけどさ、どうもそいつ蛋白の子、藤原筋肉とか言うやつだったみたいでな。早い話が、訴えられた。タスケテ」
「でかしたもっとやれ(何をやっておるのだお主)」
「父上、本音と建前が逆になっておりますぞ。あと蛋白ではなく関白、筋肉ではなく公任ですよライコウ」
「何だよ
「他人の諱をホイホイ変えないでくれませんか。て言うか、眼鏡とか魔夜羅とか何なんですか。時代考証のことちょっとは考えてくれませんかね」
「おいおい
「分かるかァァァ! 突っ込みどころ多すぎて捌くのが面倒だってことをお前が分かりやがれ! つーか諱変えんなっつってんだろこのパカ! この時代だと本気で呪い殺す気だと思われてもおかしくねぇぞ!」
「わーい、道長がキレてやんの。イイね〜オメーもそこそこノリがよくなってきたじゃねえか。3日目の佃煮くれーの仕上がりだな。猫被ってるけどオマエの中にヤベー奴の血が入ってんのは知ってんだぞ。優等生の仮面なんか捨てちまえYO」
「捨てませんッ! 僕は学んだんだ。やんちゃ系よりも真面目系の方がこの時代はモテるんだ。僕は詳しいんだ!」
「え、ワシ、ヤベー奴扱い?」←道長の父・兼家*6
『何も言えねぇ』←祖父・師輔(故人)*7
「とか言っちゃってー、ライコウちゃんは知ってるんだゾ☆ 本当は盗んだ牛車で走る京童共に憧れてるんだろ? 弓の鍛錬の跡、残ってるぜ。しかも相当の腕前だ。隠れて鍛錬してるんだろ? 知的な青年として世の姫君を口説きたいんだろうけど、一方で筋肉モリモリの強い男への憧れも止められない。分かるぜ、その気持ち。男の子って、悪ぶりたい時期あるよな。アタシ、ウマ娘だけど」
「止めろめろめろライコウめろ! 止めてくれ、その秘密は僕に効く。止めてくれ」
「ライコウはアレじゃの。道長のことが気に入っておるようじゃな」
「でかした弟よそのまま盾になってくれ(源氏の当主に見初められるなんて羨ましいぜ)」
「どうせ出世できん3男坊なんじゃからいっそお主も源氏になればよくね?(羨ましいなぁー、憧れちゃうなー)」
「オイコラ、パカ兄貴共……本音と建前、逆さだぜ」
源経基の孫娘、
ライコウは藤原氏の、特に藤原北家の末裔である兼家に仕えていました。この年には詳細不明の乱闘により取り調べを受けましたが、右大臣兼家のおかげか「まあライコウだし」とお咎めなしとなっております。
兼家の3男である道長は何故かライコウに気に入られてしまいライコウの被害に遭う確率を下げるため父や兄達は率先して道長を差し出したと言われます。
「よし、お願いも終わったし遊びに行こうぜ。球体から穴をくり抜くって遊びなんだけどよ……凄えんだぜ。虚無感が」
「頼むから帰ってくれライコウ、300文あげるから。誰がそんなつまらん遊びをするんだよ」
「そりゃアタシとオマエだろ。世界がつまんねーなら、オマエ自身が面白くなるこった! まあ、球体から穴をくり抜くことに虚無感があることは変わんないんだけどな」
「タスケテー、父上、兄上、タスケテー!」
道長は助けを求めた。
「「「………」」」
返事はない。
救いは無いようだ。
「救いは無いんですかぁ!」
「うおっしゃあァァァ! 何だか知らんがノッてきたぜ。さあ今こそ遥かなる朱雀大路に繰り出そう。まあ、今の平安京とか乞食と野良犬くらいしかいねーけど、それはそれで乙だろ。虚無まで運んでやるよ……この袋に入れてな」
「やめろォ! 何だその頭陀袋は! くそッ、離せ、HA☆NA☆SE! 畜生、恨むぞ父上と兄上共……たとえ輪廻100万回巡っても、恨み晴らすからなぁァァァ!」
貴族とは……武士とは……。
もはや誰にも分からない。私にも分からない。それが平安時代後期という混沌とした時代です。
そんな時代に一つの標を残し、後に平安貴族と武士とはどのような者であったのかを象徴とすることになる2人。今は気ままに生きる芦毛のウマ娘と、頭陀袋の中でもがく貴族の3男坊が歴史の表舞台に立つまで、あと4年。
今更ながら将門編は分けたほうが良かったのではと後悔しています。
秀郷=ウマ娘が無理あるかなぁと思っていましたが、中々にハードボイルドかつやっぱりおかしなウマ娘になったので彼女単体で掘り下げたかったです。
将門は、あれですね。失敗した劉邦という印象です。彼に張良たりえる人がいれば、歴史は変わっていたかもしれませんね。
道長は脳内でcv杉田で勝手に変換されます。日本最初の糖尿病患者だもの。仕方ないね。
そしてゴルシ…おま、お前はさあ。番組破壊するの本当にやめてください。尺が……尺が足りない!
続きはゴールが来週土曜日を目処に書き上がり次第投稿していきます。